100:天使・4
「……何だその顔は?」
不意に屋敷の男はそう言った。
「普通、泣き喚いたりするだろ?何で無表情なんだ?」
翼をナイフで刺された痛みを感じつつも、それを一切表情に出さないエレジーナを見て、恐怖にも似た感情を男は覚えた。
刺された瞬間には流石に悲鳴とともに表情を歪ませていたが、もうそれも収まっている。
「おい、このガキ、本当に大丈夫なんだろうな?」
「……はい。今は無口でも、すぐに声を上げるようになるでしょう。構わずに……。」
ダンッ!
と強く床を蹴る音がした。
「やああああああぁぁぁぁぁっっ!!!」
「がはっ!?」
次いで空を切る音がし、直後鈍い音とともに紹介人は床に倒れ込んだ。
「なっ……!?エヌマエル……お前どうやって……!?」
押さえている力がなくなった。
今だ――……!
全身に力を込め、エレジーナは身体を起こした。
「……ぐっ……うぅ……!」
翼から嫌な音が聞こえ、激痛が走った。
そして、軽くなった。
下を見ると、ナイフに刺された翼が床に固定されている。
千切れたか……。でも……。
「うっ……ああああああぁぁぁっっ!!!!」
野獣のような咆哮を上げ、エレジーナは男に飛びかかった。
右手で顔を掴み、そのまま床に叩きつける。
そして、指を両目に突き刺した。
「ぎゃあああああっっっ!!??」
両手で顔を覆った男の股間を蹴飛ばし、のたうち回るその身体に、心臓にナイフを突き刺した。
「……あとは……!」
「押さえています!とどめを!」
見知らぬ少女――青緑色の長い髪をした、上品そうな少女が紹介人を床に押さえつけていた。
「ま、待て!私は……!」
「黙れ下衆がッ!!」
これほどまでに力を込めたことはなかったと思う。
それくらいの勢いで、頭蓋骨にナイフを突き刺した。
もの凄い絶叫が響き渡った。
町中に響き渡ったのではないかと思えるほどだ。
「ふぅ……これで……。」
「ありがとうございます!あの、お名前は!?」
見知らぬ少女はエレジーナの手を掴み、凄い勢いでブンブンと振った。
「あー……落ち着いて……いたた……。」
冷静になってくると、痛みを思い出してきた。
右翼を見ると、ボロボロになり半分以上が床に落ちていた。
こりゃあ……もう治らないかも。少なくとも、もう飛ぶことは出来ないかな。
「あっすみません!すぐに手当をしますね!ついて来てください!」
少女はエヌマエルと名乗った。
屋敷の男の一人娘で、日頃から酷い目に遭っていたそうだ。
「……母はあの男によって精神的に病み、自殺しました。私は、ずっとこの屋敷を出たいと思っていたんです。でも、いつも屋根裏部屋に閉じ込められて……。」
「で、私が来てその機会がきたと……?」
少女が持っていた武器を見やる。
長剣の両刃に沢山の棘が付いた、変わった武器だ。
「はい。貴方のおかげです。本当に……あっ!この武器は屋根裏にあったのをたまたま見つけて!……それで、相談なんですけど、私を雇ってもらえませんか!?」
雇う?
私が?
……おかしな話でもないか。もう私に仕事を紹介する者は死んだ。これから先、当ては何もない。
つまり、自分の力だけで生きていかなければならないわけだ。
「……いいよ。パートナーがいる方が、きっといいだろうからね。」
「はい!ありがとうございます!えっと……。」
「エレジーナ。それが私の名前。これからよろしくね。」
「はいエレジーナさん!あの……他にお仕事をされる方とかは……?」
仲間がいるのかどうか、という意味の質問だろう。
「いない。私と、君だけ。」
「えへへ。それじゃあ、私はエレジーナさんのパートナー一号ですね!」
「あーうん。いいねー。」
これが私と一号ちゃんの出会い。
それから故郷に帰ることもなく、二人で色々な国を回って――。
……。
「――サンナちゃんはさ、私に憧れてるから駄目なんだよ。」
ナイフが静かに、しかし鋭く空を切り、サンナの服を切り裂いた。
「……くそっ……!」
まただ。
身体には一切触れず、服だけを斬っていく。
全力で戦っているというのに、こちらの攻撃は一切当たらず、エレジーナの攻撃は衣装を切り裂いていく。
明確な実力差を見せつけられている。
「私の戦い方を参考にするのはいいけど、そこにオリジナリティを混ぜていかないと。多分、私が村に帰らなくなった後も、私の動きのコピーを練習し続けたんでしょ?」
「……っ……そうですよっ!何が悪いっていうんですかっ!?」
思わず怒鳴ってしまった。
「悪くはないよ?でも、それだけじゃ駄目だ。サンナちゃんが戦わないと。私のコピーじゃなくて。」
「でもっ……私は貴方に……っ!」
「その気持ちは嬉しいけど、否定させてもらうよー。私に憧れている限り、君は成長出来ない。だから、この場でその意識を変えて……っと。」
エレジーナはサンナから視線を外し、左右を見やった。
「もう周りは終わりそうだねーちょっと時間使い過ぎたかなー?まーいーか。二人の勝負が終わったら、皆でフィーくんのところに行っていいよ。」