98:天使・2
「あ……来た……。」
翌日――。
日が沈む頃、エレジーナが村の出入り口に来るのを発見した。
サンナは一日中そこに張り付き、彼女が来るのをずっと待っていた。
頼んでも連れて行ってもらいないだろうし……。
それなら、こっそりと後をつければ良いと考えたのだ。
考えてみれば、サンナはエレジーナが戦っている姿をまともに見たことがなかった。だから、その姿を見てみたいと思った。
基礎しか教えてくれないというのであれば、見て盗めばいい――。
そんな結論に考え至り、サンナはエレジーナの尾行を開始した。
「――隣町に行くのは久しぶりですねー。」
「おや?エレジーナさんのことですから、行き慣れているかと思っていましたよ。」
「いやー仕事以外で村から出ることは、ほとんどないですから。」
「そうなんですね。町には色々揃っているので、楽しいと思いますよ。」
「まーそうですよね。」
楽しい……か。
そんなことを最後に感じたのは、一体いつだっただろうか?
……思いだせないくらいには、前ってことだよね。
最初は畑を荒らす獣を殺すことにすら躊躇していたのに、これから人殺しをするのか。
人生ってどうなるか分からないもんだね。
「……緊張、していますか?」
「……いえ、平気ですよ。」
少し、嘘かな?
落ち着こう。人だろうと魔物だろうと動物だろうと……全部同じ命だ。姿形が違うだけで、命に価値を付けるのはおかしい。
「……ならいいのですが……そろそろ着きますね。」
あれ?思ったよりも早く着いた。
自分で考えているよりも、周りが見えていなくなっていたってことか。
「居場所の見当はついているので、案内しますね。こっちです。」
町とは言っても、そこまで規模の大きいところではない。けれど、故郷の村に比べたらずっと大きかった。
日が暮れ、人通りが寂しくなってきた道路を歩き、男はとある店の前で足を止めた。
「ここです。」
「ここって……?」
表通りから外れたところにある、妙な看板の店。
「ああ……字が読めないんでしたね。まぁ悪い人が集まる店ですよ。」
「……なるほど。」
文字が読めないっていうのは、何だかもどかしい。
そうだ、帰ったらサンナちゃんと一緒に文字の勉強をしよう。
「……あの男です。」
店のドアを小さく開け、奥の席に座る大柄な男を指さした。
「……分かりました。」
エレジーナは静かに頷き、男のすぐ後ろを歩いて入店した。
子供である彼女に視線が集まるが、誰もそこまで気にする様子はない。
若い男が親戚の子を連れて店に来た。その程度の認識なのだろう。
「……何か……変なお店……。」
二人の後をつけていたサンナは、入り口のところから店内を覗き込んだ。
「エレジーナ……ここで何をするんだろう……?」
……落ち着こう。
生きるためには、汚い仕事もやらないといけない。
大体、いつかは人殺しの依頼も来るんじゃないかと思ってたじゃないか。
それが今日になっただけだ。
「……?お嬢さん?君みたいな子が来る店じゃないぞ。」
近寄ってきたエレジーナに気付いた男性が、こちらを向いた。
「親戚か何か知らないが、子供を連れて来る場所じゃあるまい……何を考えて……ッ!?お前はっ!?」
紹介人を見て、男性は驚く素振りを見せた。
今だッ……!
エレジーナは抱き着くように男性に身体を密着させ、袖口に隠していたナイフを背中に突き刺した。
「ぐあっ!?このガキッ……!?」
男性は痛みに顔を歪ませ、エレジーナを振りほどこうと暴れるが、振りほどけない。
エレジーナは男性の二の腕の上から抱き着いている。そのため、男性は力を込め辛く腕も満足に動かせない。
「……そろそろか。」
唐突にエレジーナは男性から離れた。
その直後、男性の脚が暴れ出した。
もう少し遅ければ、あの脚に蹴られていただろう。
冷静な状態であれば、すぐさま脚を使って抵抗することが思いつくだろう。けれど、痛みによって判断力が低下している状態であれば、その判断には至らない。
脚を大きく動かしたことで、男性はバランスを崩し椅子から転げ落ちた。
その隙を見逃さず、エレジーナは腰からナイフを引き抜き、男性の喉元に突き刺した。
「がっ……あぁ……!?」
「……ッ…………!?」
苦痛にもがく顔を間近で見て、エレジーナの身体が固まった。
そっか……痛みで死ぬ時……人はこういう顔をするんだ……。
やっぱり、分かっていなかった。
人という生命が命を奪われるということ、それがどういうことなのか。
「逃げるぞ!」
殺人が起きた店内には悲鳴が響き渡り、呆然とした様子のエレジーナの腕を掴み、紹介人は走り出した。
「あ、こっちに……隠れなきゃ!」
入り口から一部始終を見ていたサンナは慌てて隠れた。
次の瞬間、扉が勢いよく開かれ二人は走り去っていった。
「……何をしてたの……?」
サンナは店内をこっそりと覗いた。
エレジーナが何か行動を起こしたのは見えていたが、彼女の背中の向こうで何が起きていたのか、それは何も分からなかった。
「えっ……!?人が……死んで……!?」
そこには、喉から大量の血を流して倒れている男性の姿があった。
あの人って……エレジーナが近づいた人……つまり……。
「殺したの……?エレジーナ……?」
まだ幼いサンナにとって、この光景は――殺人現場はあまりにも衝撃的であった。