妖刀(後編)
「助三郎か!?」
山野は松井の遺体の向こうにいる男を見つめた。
「久しいなー 栄太郎」
助は白い歯を山野に見せたが、直ぐに真顔に戻り、皆に此処から出るように促した。
山野は同士の遺体を放置するのを拒んだが、新手の刺客が来るかもしれないという助の言葉に説得され寺を出た。
助以外は気付いてないだろうが、皆が寺を出るのと入れ替えに一匹の黒猫が寺へと入って行った。
山野達は次の機会を設ける事を約束して、各々の家へと戻った。
助は山野と共に彼の家に向かう。山野はまだ独り身で、ぜひ家で話をと誘われたのだ。
「栄太郎、どうして廃寺にいたのだ?」
二人はわずかな肴をあてに酒を口に運ぶ。旧友で積もる話も沢山あるが、あのような事態の後では昔を懐かしんでの話はできない。
「いや、助三郎が気にする事ではない。それより貴様こそ何故ここへ」
山野は藩の恥と考えているのだろう、内情を話す事なく話題を切り替えた。
「助三郎は江戸での職務だろう?」
「ははは、俺はしばし休暇をもらっての里帰りみたいなものだ」
助三郎は表向き、江戸で働いている事になっている。水戸藩で働くという事は副将軍と共に諸国をめぐる事が多い、それが表沙汰になると、光圀の隠密活動に支障をきたす恐れがあるからだ。
それに水戸藩は、武家での妖の事案を受け持っている。水戸藩の者が来たと知ったら、武家の者達は身構えてしまい、真実を追求出来ない事態になりかねない。
「助三郎、よく松井を止められたな」
「松井と言うのか、あの侍は。 何者だ?」
妖刀「暁宗」を使い、松井を止めた事を追求されたくないので、助は話題を松井の方へ切り替えた。
「んー ・・ 同士と言っておこうか」
「何かあるなら力を貸すぞ」
助の進言を山野は断った。江戸からの客人に頼んで、事が江戸に知られるては藩の存続が怪しまれるのと、旧友を危険な騒動に巻き込みたくないのだろう。
「栄太郎、先程の松井同士のような敵に出くわしたなら、刀を持っている腕を切れ」
「腕を・・・・ わかった」
二人はその後、しばし酒を交わし昔話を少しだけした。しかしお互いの内情には踏み込まない。旧友だからこそ互いの事情が解るのだろう。
二人は注がれた酒を呑み干し、互いの目を見て頷いた。そこには無言の誓があった。
お互い何かあれば助けに走る!!
言葉に出さないまでも、互いの胸の内は理解している二人だった。
「足立様、今宵の首尾はいかがでしょうか」
「ハハハハ、奴らは今頃、松井と同士討ちをして果てている頃だろうよ」
「それは何より」
料亭の一室で身なりの良い男と商人風の男が笑いあう。
「お前の方はどうなのだ、浅井屋」
「私の方はもう少しです。中宮屋は岩国紙の納期には間に合わないでしょう」
「そうか。さすれば浅井屋が御用問屋を務め、岩国紙を一手に賄う事となるの」
「はい、足立様のおかげです」
浅井屋は風呂敷を足立の前に出し、中から小判が包まれた白い束を差し出した。
足立はほくそ笑んだ後、少し眉を寄せ険しい表情を見せた。
「しかし、お前が岩国紙と称して出しているやつは、評判が悪いぞ」
「申し訳ございません、ですが中宮屋が我が手に入ればそれも解決いたしょう」
浅井屋が足立に酌をしようとした時に外から声がした。
「どうした?」
障子が開けられると、目つきの鋭い男が一礼して足立に近づいた。
「山野達が各々の家に戻ったそうです」
「何! それは誠か?」
「はい」
足立は手にしたおちょこを台座に置き、浅井屋を見た。
「足立様」
浅井屋が不安気な顔を見せる。
「ふん、ならば違う策を講じるとするか。 阿賀瀬よ」
「はっ!」
足立が目つきの鋭い男、阿賀瀬を見た。
「貴様の出番のようだ」
足立は再びおちょこを手に取り、注がれた酒を一気に呑み干した。
翌朝、光圀は枕元で鳴く猫の声で目が覚めた。
光圀が猫の頭を撫でると文に変わる。文の横には、護符が貼られている抜き身の刀が置いてあった。
角之進も猫の気配で目が覚めたのだろう、刀を調べようと手を伸ばした。
「角さん、触らない方が良いですよ」
白髪の老人の言葉で手を止めた角、険しい表情で光圀を見た。
「もしかすると、妖刀ですか?」
「そのようです、弥晴が護符を貼ってくれてますが、触れない方が賢明です」
二人は抜き身の刀を見る。見た目は普通の大刀と何ら変わらない。所々刃こぼれが見え、血のりが見てとれる。恐らく人を切って間もない刀なのだろうと想像がついた。
光圀は自分の荷物から梵字が書かれた風呂敷を取り出し、小さく呪文を唱えた後に刀を掴み、風呂敷で包んだ。そして風呂敷の上で印を結ぶ。
「これで大丈夫でしょう」
光圀は角に風呂敷を部屋の隅に移動するよう指示した後、窓を開け外を伺った。
窓からは少し距離を置いた所に中宮屋が見える。朝早目だというのに、侍が入って行くのが見えた。
侍が中宮屋に入った後、一人の男が侍の後を尾けてきたのか、中の様子を伺うように立ち止まった。
助三郎だ! 光圀は助の姿を見ると、一人頷き顎鬚を撫でた。
助三郎は昨日、山野と別れた後に近くの空き小屋に泊まり、朝早くから山野の家を張り込んでいた。
助は山野が今朝から動くと考えていたのだ。案の定、山野は朝早くから家を出た。
気付かれぬように距離を置き、山野を尾ける。尾行は忍び並にこなせると自負している。
山野が閉まっている店の前に立ち止まり、辺りを見渡した後に中へ入るのが見えた。
助は店舗の脇にある路地へと入り、中の様子を伺った。
「山野様、城代家老の松川様は?」
「まだ謹慎がとけないので動けん」
「では、どうされます?」
中から男と女の声が聞こえる。あらぬ罪を着せられて謹慎している城代家老の話をしているようだ。
「このままでは足立の思う壺になってしまう」
「山野様・・・」
「心配はいらぬ、今夜にでもけりをつける」
山野は懐から一枚の紙を取り出し、女将に見せた。
「これは浅井屋が足立を通して、岩国紙と称し他国に出している紙だ」
「こんな粗悪品を」
女将は紙の表面を撫でて驚いた。中宮屋を筆頭に、皆で培ってきた岩国紙のブランドを、ないがしろにしているような紙質だった。
「今夜、足立にこの紙を叩きつけて、罪を認めさせてやる」
「山野様! 危険では?」
「大丈夫じゃ、他にも色々と証拠は揃えておる」
山野は他の仲間と連携して、あれこれと足立の企みの証拠を集めているようだ。
「殿の参勤交代を待ってはおられぬ、藩を足立の自由にされてしまう」
山野は女将の肩を抱き、しばし見つめ合った。
「中宮屋と岩国紙は俺達が護る」
「山野様・・」
二人はそっと抱き合い、口づけをかわした。
助三郎はその場をそっと離れた後、視線を感じ振り返った。
少し距離を置いた宿屋の窓に、白髪の老人の姿が見える。
助は老人が「全てお見通しかな」と、苦笑いを浮かべた後、宿屋へと足を向けた。
「どうですかな、助さん」
宿屋の一室で助が刀を調べている。常人が妖刀に触れるだけで危険だが、彼は妖刀の使い手として一流だ。
触れるだけでは毒されたりしない。
「昨晩、暁宗に妖気を吸わせましたが、妖刀としては妖力が少なすぎました」
助は一通り見た後、刀を光圀が持参していた風呂敷にくるんだ。
「どういったものか分かりますか?」
「昨晩、この刀を使っていた男の様子から考えますと意識を乗っ取り、身体を操る刀かと」
助は昨晩の松井の様子を光圀に話した。死しても動く身体。恐らく、松井の刀に妖気を移して本体の妖刀使いがそれを操るのではないかと推測を立てる。
「本体の妖刀をやらねば厄介という事だな」
角が唇の片方を吊り上げる。この男は未知の敵、厄介な敵が大好きなのだ。
「角さん、妖刀使いは助さんにまかせましょう。角さんが妖刀使いに操られたら、私達では対処できません。角さんには数十人の操り人形の相手をお願いします」
角は少し残念そうな顔をしたが、光圀の案を受け入れる。角には恐らく数十人は居よう、妖刀で操られる侍達の相手をしてもらおうというのだ。
「栄太郎さんは今夜と言っていたのですね」
「はい」
光圀はそっと顎鬚をなでる。何かを思案する時の癖のようなものだ。そして、おもむろに書状を一通たしなめる。
ニャーーーー
いつからいたのか、部屋の隅で黒猫が鳴いた。
「弥晴、お使いをお願いしますよ」
光圀は書状を猫に銜えさせる。黒猫は窓から飛び降り、賑わいを見せ始めた城下町に姿を消した。
「山野殿、首尾の方は?」
「大丈夫じゃ、証拠の紙もここに」
山野は懐から浅井屋が出荷している岩国紙を取り出した。
陽は落ち、月明かりが屋敷の前に集う侍達を照らす。人数は五人。本来は七人だったが、悠木と松井がいなくなった。中でも松井の件は衝撃的で、岩元を討つ為の機会を今夜に早めたくらいだ。
「武井も帳簿は持参したか」
「はい」
武井と呼ばれた若い侍が数冊の帳簿を懐から出した。この帳簿には中宮屋が納めた紙の枚数と、足立が他国に出荷した紙の枚数が違う事の証拠となるはずだ。足立は浅井屋が納めた紙も中宮屋が納めた紙と称して出荷し、利益を我が物としているのだ。
「皆の者、準備はよいか!」
「おう!」
血気を高めた侍達が足立の屋敷の門を叩いく。門がゆっくりと開き侍達を中に招いた。
山野達は少し拍子抜けの面持ちで中に入る。足立が自分達をあっさりと中に入れるとは思っていなかったからだ。
「山野か、何用じゃ」
中庭で月見をしていたかのように、足立が侍達を出迎えた。
「足立様、この紙に見覚えがあるだろう」
山野が紙を岩元の前に突き出した。岩元は少しだけ眉をひそめたが、それがどうしたという顔で山野を見た。
「足立、まだあるぞ!」
山野は余裕のある足立の態度が癇に障るのと、この男に様付けする嫌悪感から、今度は呼び捨てにして帳簿を岩元の前に叩きつけた。
「これで貴様が岩国紙を利用して、私腹を肥やしているのは明白だ!」
次々と不正の証拠を突き付けられても足立は顔色一つ変えない。それどころか、黄ばんだ歯を見せて笑いながら山野を見た。
「こんな物、貴様達が居なくなれば何の役にも立たぬわ」
足立の言葉が号令のように、中庭に足立の配下の者が数人現れる。皆、刀を抜いていて、山野達を切る気満々に見えたが、どこか様子がおかしい。覇気が感じられないのだ。
山野達も迎え撃つべく刀を抜いた。侍達の持つ刀が月明かりを反射する。
配下の者が上段で襲い掛かってきた。それを山野は横にかわし相手の横腹を切った。
配下の者の脇腹から血が流れ落ち地面を濡らす。武井達にも別の者が次々と切りつけてくる。
しかし山野一同は皆剣に自信のある者達、敵の刃をかわし相手を切っていく。
普通なら傷を負わされて地面に倒れているはずの者達が、倒れずに、血を流しながら襲ってくる。
山野達も怯まずに再度相手を切りつける。
腹から腸を垂らしながら襲って来る者、片腕を切り落とされても刀を振り上げて来る者、中には首を切られ、皮一枚で首が落ちず頭をぶら下げながら襲って来る者もいる。
山野は昨夜の松井を思いだす。あの時は助三郎がいたから助かったが今夜はいない。
山野達は配下の者達に囲まれ唇を噛んだ。
「ハハハハ、終わりだな や・ま・の 」
足立は庭での惨劇を楽しんでいるかのように、最後はゆっくりと山野の名を呼んだ。
「くっ! ・・・・・・・ ハッ! 皆! 相手の刀を持っている腕を切れ!」
山野は昨夜の助三郎の言葉を思い出し、皆に指示を出した。
山野の言葉が皆を動かす。いや、倒れない相手に対処が見いだせなかった者達が、彼の指示で動けるようになったのだ。
ドサ! ドサ! バサ!
刀を持った腕、手が次々と切り落とされる。
腕や手を切り落とされた者達が地面に伏して行く。
地面に落ちた腕は刀を握ったまま、蜥蜴の切られた尻尾のようにウネウネと動き続ける。
「足立! 貴様、松井やこの者達に何をしたー!」
山野が怒りを露わに足立に剣を向ける。
剣を向けられた足立は、配下の者が動かなくなったのに、まだ余裕の笑みを見せている。
「足立!!!」
武井が足立に切りかかった。
キーーーーーン
武井の剣を、目つきの鋭い男の刀が防いだ。
「貴様は、 阿賀瀬!」
山野が阿賀瀬を睨む。いつの間にか我が藩にいて、いつの間にか足立の側近になっていた男。
素性の分らぬ男。だが、剣の腕は一流と聞いた事がある。
「うぉーーーーーー」
武井が再び阿賀瀬に剣を向ける。阿賀瀬は武井の刃を刀で受け止める。
武井は受け止められた刀を力任せに押して行く。阿賀瀬はしばし刃を受け止め、力で押し返した。
「大丈夫か」
押し返された武井を山野が受け止めようとした。しかし山野は咄嗟に武井を受け止めずに横に逃げた。
山野が居た場所で、武井の剣が空を切った。その後も山野達を切りつけて行く。
「武井!」 「武井!」 「武井!」
山野達は武井の名を呼ぶが、彼はただ、ただ無言で皆に切りつけて来る。
「ハハハハ、仲間の腕も切り落とすか ワハハハハハ」
月夜の下で下卑な笑みを見せながら足立が笑った。
月が屋敷での惨劇に目をつむるかのように雲に隠れる。
屋敷の庭で山野達は苦渋の決断をしようとしていた。
仲間は皆、武井に傷を負わされている。山野も足を切られ、立っているのがやっとの状態だ。
松井の時は訳が分からなず切るしかなかった。しかし目の前の武井は、うっすらだが事情が分る。
操られている、何らかの方法で。その呪縛を解くには彼の手から刀を放さなければならない。
「どうする?」
山野は自問する。手、腕を切り落とし、すぐに止血して武井の命が助かったとしても、彼の侍生命は終わったと同じだ。しかしこのままでは我らが皆殺される。
「卑怯だぞ、足立!」
山野が足立を睨んだ時、武井が山野に切りかかった。山野は一瞬防御が遅れ、武井に切られたと思われたが、武井はそのまま地面に倒れ込んだ。
山野の前に助三郎が立っている。助三郎は武井の手から刀を取り、阿賀瀬の前に投げた。
「大丈夫だ、致命傷は外している。それと、妖気も抜いた」
山野が武井の身体を見ると、脇腹に軽い切り傷が見られた。
「妖気が身体に入って、時が経っていないようだから良かったよ」
「ここからは俺達の領分だ、栄太郎は下がってなぁ」
助三郎は山野に白い歯を見せて笑った。
「何だお前はー!」
足立から初めて余裕の顔が消えた。
「これまでです、足立。君主の参勤交代を良い事に藩の利益を我が物にするとは言語道断!」
白髪の老人が庭に姿を見せた。
「なにーーーー この爺いがーーーー 阿賀瀬! やってしまえ!」
阿賀瀬が助三郎に切りかかる。助はその刃を受け止める。
その光景を見て、足立がほくそ笑んだ。しかし助三郎は阿賀瀬を押し返した後も状態は変わらない。
「その刀で相手と刃を交えた時に妖気を送って、身体を支配していたか」
阿賀瀬の眼光がさらに鋭くなった。
「貴様も妖刀使いか」
阿賀瀬が剣を構え直した。今までの剣を受け止める為の構えではない、相手を切る為の剣技の構え。
助三郎も暁宗を構える。しかし暁宗は小刀で刃が短い。
「そんな短い妖刀など、我が操魂刃の敵ではないわ!」
カキーーン カキーーーン カキーーン
次から次へと剣技を出してくる阿賀瀬。助はその全てをはじき返す。
刀と刀の応酬、時に体術を交えての闘い。
速い! 速い! 速い!
二人は型が決まっているかのように、目にもとまらぬ速さで刀を交えていく。
ピキ-----ッッーーーン
助三郎の暁宗が折れた!
助も大刀は所持しているが普通の大刀だ。操魂刃を受け止めると妖力で操られてしまう。
「ハハハ、やはり操魂刃の敵ではなかったな 死ね! 」
阿賀瀬が上段で助に襲い掛かった。普段の阿賀瀬ならしない動きだ。助の暁宗の刃が折れているので防げないと思ったのだろう。
助は上段からの刃をかいくぐり、すれ違いざま阿賀瀬の腹を暁宗で払った。
阿賀瀬の腹から血が溢れでている。
「ば・か・な・・」
阿賀瀬は消えゆく意識の中で、助三郎の暁宗を見た。彼の目には大刀並の長さに光る刀身が見えた。
「俺の暁宗は刀身ではなく、鍔から下が暁宗なんだよ」
阿賀瀬は助三郎の言葉を最後まで聞けずに、この世を去った。
「終わりです、足立!」
光圀が茫然とする足立の前に立った。
「おのれー 田舎爺がーー」
足立が刀を抜いて光圀に襲い掛かった。それを助が大刀を抜いて防ぎ蹴りを入れる。
「助さん、もう良いでしょう」
助が光圀の前に立ち、足立を睨みながら印籠を取り出した。
「皆の者! 静まれ! このお方をどなたと心得る。さきの副将軍! 水戸光圀公にあらせられるぞ!
一同の者! ご老公の御膳であるぞ! 頭が高い! 控えおろー!」
皆が助の手に握られている印籠に注目する、紛れもない三つ葉葵の紋章。
浮足立つ庭に、身なりの良い侍が走り込んで来た。
「山野! 控えぬか」
「松川様!」
城代家老の松川が光圀の前に座り頭を下げる。山野達もその後ろに控え頭を下げた。
「ご苦労様です松川」
「ははっ! 書状を受け取り、やってまいりました」
光圀が松川に声を掛けた後、後方で控えている足立を睨んだ。
「足立! 参勤交代で主君が居ない時の狼藉、明白である」
「はて? 何の事やら」
足立がとぼけるように口を開いた。副将軍の前でも白を切り通すつもりのようだ。
「そこに落ちている帳簿と紙が証拠ではないのか」
「こんな物、いくらでも偽造できましょう」
太々しく白を切る足立を山野達が睨む。そんな足立の前に男が一人放り出された。
「こいつが全て吐いたぜ」
庭に入ってきた角之進が、浅井屋を足立の前に投げたのだ。
「ぐぐぐっ」
足立は下を向いて唇を噛み締めた。
「もはや、これまで!」
足立は立ち上がると、横たわる阿賀瀬の所に行き、操魂刃を手に取り光圀に襲い掛かろうとした。
「やめろ!」
助三郎が足立を制す。光圀を襲い掛かろうとする行為を止めるのではなく、操魂刃を掴むのを止めようとしたのだ。
グギャーーーー アーーーーーー アーーーーーーー
足立は光圀を襲う前に奇声を上げ、カクカクと妙な動きを始めた。
目は白目を剥き、口からは泡を吹いている。
ゴキ! ゴキ! バキ! ゴキ!
足立の身体の内部から、変形した骨が肉を突き破って飛び出してくる。
背中が大きく膨らんで、バランスが悪く二本足で立てないのか、手を地面に着ける。
もう操魂刃は手から離れているのに、変形が止まらない。
口は大きく裂け、奥歯の歯茎が見える。結った曲げが整っているだけに、生々しい悪鬼に見えた。
どこに肉の量があったのか、変形した足立の身体は二メートルを超えているだろう。
妖刀使いのように、妖刀に免疫がない者が妖刀を扱うと刀に呑まれてしまうのだ。
「牛鬼か!」
助が折れている暁宗を抜いた。
「俺に任せろ!」
唇を吊り上げた角が牛鬼の前に立った。
牛鬼が身体を起こし角に襲いかかる。角は正拳を二発顔面に叩き込み、揺らいだ所を豪快な後ろ回し蹴りを喰らわした。
蹴りを喰らった牛鬼が後方へ飛ばされる。角がゆっくりと牛鬼の方に向かう。
牛鬼が再び身体を起こし、角に襲い掛かる。角は素早くかわし、後ろに回り込んで胴体を掴み、今でいうバックドロップの体制で牛鬼の頭を地面に叩きつけた。
そこに助三郎が、暁宗を牛鬼に突き刺した。
黒い靄が暁宗の鍔に吸い込まれて行く。牛鬼の身体が萎んでいき、人間の形になる。
形と言っても、骨はバラバラで、肉厚が無く皮だけの状態だ。
かつて足立だった人の皮だ。
「助さん、早いよ」
角がおもちゃを取り上げられた子供のように助を見た。
「すまん、すまん。他の者が危ないだろう」
「その通りですよ角さん。これにて落着です」
光圀は松川と山野を見て微笑んだ。
「後は藩の内部での事、参勤交代の間の留守を城代家老松川、頼みましたぞ」
「ははっ!」
松川と山野達は深々と頭を下げた。
雲が晴れ、惨劇に目をつぶっていた月が、操魂刃を鈍く照らした。
「ご老公様、ありがとうございました」
翌朝、中宮屋の前で山野と女将が頭を下げる。昨夜の件は山野から女将に伝わり、岩国紙が守られた事に皆安堵していた。しかし妖刀と牛鬼の事は女将には伏せている。知らせる必要のない事だ。
「いやいや、これからも良い岩国紙を造って下さい」
「はい、他国に出しても恥じない紙を作ってまいります」
「私が携わっている大日本史にも使わせてもらいますよ」
光圀が女将と話している時に、山野が小声で助三郎に話かけた。
「水戸藩の人間は凄いな」
「何がだ?」
「素手で鬼と闘うのだから」
「ははは、あいつは特別だよ」
助は光圀の横で女将の話を聞いている角に目をやった。
「どうした、助さん」
助の視線を感じたのか、角が助の方へやってきた。
「助さん、女将に惚れたのか?」
角は助の視線が女将に向けられたものと思ったようだ。
「ばーか。女将には栄太郎がいるんだよ」
「すっ! 助三郎! 何故それを!?」
「ハハハ、水戸家は何でもお見通しさ! ねぇご隠居!」
赤い顔で汗を浮かべる山野に助が片目をつぶってみせた。
雲行きが怪しかった城下町に日が差し始める。光圀一行は山野達に別れを告げ、次の町に向かった。