受胎
薄い行灯の明かりに照らされる広い部屋。中の装飾等で豪華さを感じさせる部屋だ。
部屋の中央に布団が敷かれ、女が一人で横になっていた。歳は三十を過ぎた位だろうか、悩みがあるのだろう、何処か影を感じさせる。
女は右手に細長い棒のような物を見つめている、棒は小さく今で言うならカプセル錠の大きさだ。棒には金色の小さな梵字のような文字が刻まれていた。
女の顔には迷いがある。この棒に頼るか、それとも今の地位を脅かす者達を恐れながら生きるか。
女は天井を見つめた。自分の意思を固めたようだ。
女は右手を布団の中の陰部へと持っていく。
行灯の中の蝋燭の火が揺れ、大きくなった。いや、直ぐに消え入るかのように小さくなる。
明滅を繰り返す電球のように、部屋の中の明度が変化する。
ピキ―――ン!!!
女は思わず声を上げそうになった。今までに経験した事のない快感で、一気に絶頂を迎えたのだ。唇を噛み、声を出さないように耐える。
周りで待機している侍女たちに、聞かせるわけにはいかなからだ。
押し寄せる快感に耐えながら、女は時が過ぎるのを待つ。
何時経ったのか、もしかしたら僅かな時間だったのか、それとも自分が意識を飛ばしてしまったのか分からない。身体から、あの壮絶な快感は引いていた。
女が右手を布団から出した。その手には、あの小さな棒の姿はなかった。
女はゆっくりと自分のお腹を摩り、狂気じみた笑みを見せた。
行灯の明かりが、何事も無かったかのように、薄い明かりで女の笑みを照らしていた。
「ここは上山藩でしたかな」
「はい、藩主は土岐頼行様かと」
少し寂しげな城下の町を光圀達は歩いている。暑い季節から寒い季節へと移る時期、東北にある町は陽が落ちる前に人気が減っていくのだろう。
「我々も早く宿を探しましょう」
「そうですな、食事何処も早めに閉めていっているようです」
「では、食事ができる宿を探さないと」
三人は陽が傾いていく町で宿を探す。幸い直ぐに宿は見つかり腰を落ち着かせた。
食事が部屋に運ばれ、女中に会話を振り、情報収集を行う。
怪異、妖の対策だけが水戸家の仕事ではない。幕府の者として、各藩の動向を知る必要がある。
特に庶民の生活から、藩内でのいざこざ等が伺える。この時も女中に最近の町での城に対する噂話を聞いてみた。町中では税や御触れの話が良く上がるそうだ。殿様によりそのあたりが変わってしまうからだろう。時折跡取りの噂も流れる事がある。
「ほう、最近ご懐妊されたのですか」
「ええ、そうらしいですよ」
女中は料亭で働く知り合いのから聞いたと、断りを入れ話だした。そこのお座敷で城の偉い人が食事会を開いた時に話していたらしい。
「子供ができなかったら奥方様の立場が微妙になってしまうかもと心配でした」
女中は奥方様が城下に下りてきた時等、庶民に笑顔を見せてくれる良い人だと話した。
本妻に子が出来ず、側室の子が跡を継ぐこと等は良くある話だ。しかし跡取りの子の母親は強い影響力を手に入れる。逆に本妻の権力が弱まるのは事実だろう。
「もう後は無事に産まれて来る事だけですよ」
女中は話を切り上げると、部屋を出ていった。
「奥方様のご懐妊ですか」
「我々の介入するような事はなさそうですな」
助と角が食後のお茶を飲みながら話す。光圀も同意見だ。藩の在り方により幕府が藩主を変える事もあるが、水戸藩が立ち入るような件ではない。
「この藩内では問題がなさそうですので、明日にでも出立しましょう」
「ええ、そうですな」
三人は、明日にはここを出立する事を確認して寝床に就いた。
「おばちゃん、どうしたの?」
陽が西に傾く頃、村から町へと続く街道で、白い着物を着た女がしゃがみ込んでいた。着物と言っても、派手さがない寝間着のような物だ。女に声を掛けたのは幼い娘で、その横に父親であろう男が娘と同じように心配気な顔で女を見ていた。
「大丈夫ですか? 家はどこですか?」
「ま、町の方です」
女は顔を上げ、男を見上げた。その顔色は青白く精気を感じられない。
男は女の顔色を見ると直ぐにしゃがみ背を向けた。
「私達も町に帰る所です。おぶりますので背中にどうぞ」
「ありがとうございます」
女は倒れるように男の背にしがみついた。
男は立ち上がり、町へと向かって歩き出す。その後を娘がついて行く。
「少し冷えてきましたが大丈夫ですか?」
女からの返事は無いが、息づかいは感じられる。男は女が喋れないほど辛い状態なのだと思い足を速めた。その後の娘も速足になる。
陽はまだ落ちるには時間がありそうだが、気温は下がり始めている。町へと続く街道に人の姿は見られなくなっていた。
ギャーーー!!!
男が悲鳴を上げ、地面へとうつ伏せに倒れ込んだ。
アーーーー ギーーー
男は悲鳴を上げ続ける。男が地面に倒れても女は男の背に乗ってままだ。
「おっとう!」
娘が男に近づいた。見ると女が男の首に噛みついていた。
ヒーーー
娘は後ずさる。そんな娘を横目で睨みながら女は男の喉へと歯をいれる。鋭利な刃物のように女の歯が男の喉に埋もれていく。男は動かなくなっていた。
女はゆっくりと立ち上がり、後ずさる娘に近づいて行く。
ニィ
女が下卑屈な笑みを見せ笑う。その口元は男の血で赤く濡れていた。
「お お・・っとう」
娘は動かない男に声を掛ける。動かない男を案じてか、助けを求めてなのか、言葉を発した娘にも分からない。
「美味しそう」
女が口角を上げ、口を開いた。
「あなたは私の子供の血肉になるのよ」
震えながら後ずさる娘に女が近づいていく。
イヤーーーーー!
娘が女に背を向け走り出した。恐怖に身体が反応し足が動いた。
ガチ!
一歩目を出した時に腕を掴まれた。まだ距離があったはずなのに、一瞬で腕を掴まれた。
イヤーーーーー!
女が娘を引き寄せ、頭をつかむ。そしてあらぬ方向へとねじった。
ゴキ! ガキ!
陽が沈みかける街道から娘の声が消えた。娘の首が百八十度、正反対を向いている。
「静かになった」
女は娘を地面に寝かせ着物をはだけさせた。そして腹に鋭い歯を立てる。
グチャ グチャ グチャ
内臓をむさぼる音を、吹き始めた北風が運んでいく。
陽が沈み、北風が男と娘の身体を冷たく、そして硬くしていった。
光圀達が出立の準備をしていると、下の階からの喧騒が響いてきた。
部屋へと向かってくる足音が聞こえると、乱暴に障子戸を開けられた。
十手を右手に持った男が、威圧するよう眼光で光圀達を見た。
「お部屋改めですかな?」
威圧する眼光を静かに流し、光圀は尋ねる。
「おう、少し邪魔するぜ」
男と手下と見られる二人の男達がずかずかと部屋に入り込み、出立の為にまとめられていた荷物をひっくり返す。
めぼしい物が見つけられなかったのだろう、男達は慌ただしく隣の部屋へと移動していく。
「乱暴ですね」
散らかされた荷物を整理していると、宿屋の主が部屋に入ってきた。
「すみませんね。内のお客さんで昨夜出かけた者はいないと言ったのですけど・・強引に」
主は自分が悪い訳ではないのに頭を下げる。
「何かあったのですかな?」
「はい、殺しが」
「それは物騒な」
「ええ、それも酷い有様だと」
主は十手持ちから聞いた事を光圀に話す。
殺されたのは二人で、親子連れ。親の方は鋭利な刃のような物で首を刺されていて、娘のほうが酷く、首はねじられ、内臓はほぼ無いような状態だったそうだ。
「獣の仕業ではないのですかな?」
冬眠前の熊等も考えられると思い、光圀は尋ねる。
「それが首の捻り方が獣では出来ない位だったそうで」
「ほうー 物騒ですな」
「ええ、子供の被害は先月もありましたから」
「先月も!?」
「はい、ではこれで」
主は隣の部屋へも謝罪に伺うため部屋を出る。その背に光圀が声をかけた。
「もう暫く泊めさせていただけますか?」
主は光圀達が殺しの者を怖がり、出立を遅らせるのだろうと解釈して了解した。
「ご隠居」
「うむ、滞在が長引くかもしれませんね」
人の首を捻り殺し、腸を喰らう者。獣には出来ない首の捻り方で人を殺める者。
「鬼が出ましたか・・・」
光圀は窓から街道へと抜ける道に目をやり、遠くを見て呟いた。
香のきつい匂いが立ち込める城の一室。女が布団に横になり寝息を立てている。
「光の状態はどうじゃ」
城内で藩主の土岐頼行が、医者に尋ねた。光は奥方の名で、昼を過ぎる頃なのに眠っているようだ。
「はい、母子共に異常はなさそうです」
「そうか」
頼行は安心し笑みを見せる。待望の本妻の懐妊だ。男子なら間違いなく跡取りとして育てられるだろう。
「ですが・・」
医者が渋い顔をみせた。
「どうした?」
医者の態度が気になり、頼行は怪訝な顔になる。
「いえ、睡眠が長いのと食事が進んでいないようで」
光の侍女の話だと、目を覚ますのは朝と昼の一時だけで、食事も目が覚めた時に少しだけ口に入れる程度。夕方から明け方までは呼ばない限り部屋に入って来るなと言われているらしい。
「それは身重でしんどいからであろう」
「ですが食事はしてもらわないと」
つわりが酷い時期は過ぎ、安定期に入っていると医者言う。食事をとる事はできるはずだ。
「衰弱はしておらぬのか?」
「ええ、先程も申し上げましたが、母子共に異常はなさそうです」
「わかった、儂の方からも光に話してみよう」
話すと言ったが、頼行も政務の合間に光の部屋にいくが、ほぼ寝ている状態で、まともに話をしたのは二ヶ月以上前になるかもしれない。頼行は政務を調整し光との時間を取らねばと考えながら奥方の部屋を後にする。
医者は頼行に話そうかどうか迷い、話せなかった事があった。光の爪に血のりがついていたのだ。
妊娠の高ぶりから、自分の身体にどこか傷をつけたのかなと心配したが、それらしい傷はないようだった。
医者は次の検診の時に確認したら良いと安易に考え、光の部屋を出た。
人が離れ、一人布団で眠る光。不意に目を開き、天井を見つめた。
ヒーー ヒューーーーー
ヒーーー ヒューーーーーー
ヒーーー ヒューーーーー
今まで呼吸を止めていたかのように深呼吸を繰り返す。
その呼気は妙に生臭く、部屋に焚かれたお香の香りを塗り替える。
部屋の空気も塗り替えられたように重たくなり、外の明かりが届かないのか、明度が落ちていくように感じられた。いや、光の吐く息が瘴気のように部屋に充満し、外からの明かりを遮断しているのだ。
光は身を起こし、お腹を摩る。
「あー 私の子。早く出でおいで」
愛おしそうにお腹を摩る。
ドン
お腹を中から蹴られた。
「あら、もうお腹が空いたのかしら。じゃあ、また食事に出かけましょうか」
光は何度もお腹を摩り、自分の腹に笑顔で問いかける。その笑顔はもはや人間の物ではなかった。
目は吊り上がり、口は裂け、長く伸びた犬歯が暗い部屋で鈍い光沢を魅せる。
「次も子供がいいわね、私も子供が大好きよ」
暫くお腹に話しかけた後、光は横になり再び目を閉じた。
何事もなかったように、部屋の明度は戻り、重い空気も消えていった。
光圀達は角と助に先月も子供が殺された状況を探るよう指示をだした。殺害後の状況が似ているなら同じ鬼の可能性がある。そして犠牲者は確実に増えていくだろうと予測する。角と助が持ち帰った情報は、やはり先月の子供も腹を喰い破られていたという事だ。今回と違う点として、昨日の犠牲者の内臓はほぼ喰われていたが、先月被害にあった子供の内臓は半分以上は残っていたらしい。
「鬼の食欲が上がってきているという事でしょうか」
「それとも、もう一体鬼が増えたか」
三人は可能性について話す。食欲が増しているという事は鬼は大きく強くなりつつあり、かなりの力をつけている。そして鬼が増えているなら、被害は広域に及び、対処がかなり困難なってくる。
「二手に別れ、探るしかありませんね。角さんは街道寄りを、私と助さんは町の中を」
光圀は二手に別れ対処する案を出す。そして弥晴から、式で子供の擬態を二体準備してもらった。
一回目の被害から一月で事件が起きた。しかし鬼は成長している、もしくは数が増えていたら一月と待たずに次の犠牲者が出るだろう。三人は今日から張り込みを始めた。
あれから五日が過ぎた街道に角之進はいた。その隣で子供が角の手を握っている。
小ぶりの雨が降り出し、本来なら陽はまだ出ている時間だが雨雲のせいで薄暗い。北から吹く風も昨日よりも冷たく感じられた。そんな街道に寝間着のような白い着物を着た女がしゃがんでいた。
「どうしなすった」
角が女と同じようにしゃがみ込み、女の顔を覗く。
女は青白い顔をして、子供を宿しているのかお腹が膨れていた。
「すみません、具合が悪くなってきて」
小さな声で女が話す。その声はか細く、言葉を発するのもやっとのようだ。
「それはいけねえ、見た所身重のようだ。俺が背負って連れて帰ってやろう。家は何処だ?」
角は女がおぶさりやすいようにさらに身をかがめた。
「すみません。町の方まで」
女は角の背に掴まり、かろうじて声を吐き出した。
角の頬に雨粒がかかりだした。
「降ってきた、急ぎましょう」
角は背の乗せた女の重み等感じ無いかのように足を進める。その後を小走りで子供がついて行く、
女は横目で子供を確認した後、長い犬歯が見える口を拡げた。
ビュン!
角が女の襟を掴み、首に牙を立てられる前に前方へと投げた。女は空中で一回転して地面へと着地する。
シャーーー ギュウーーー
女は四つん這いになり角を睨みながら唸る。その顔は人の顔ではなかった。そして角を見据えたまま跳躍する。
そのまま角へと襲い掛かると思われたが、女の狙いは子供だった。無表情の子供へと跳躍し、押さえ込みながら子供の首に牙をたてる。首から血を吹きながら子供が倒れた。
ビュン!
子供に覆い被さる女の腹へと、角が蹴りを放つ。しかし蹴りは空を切る。女が瞬時に跳びのき、角と距離をおいた。
ギュウーーー
女が悔し気に唸り声をあげ、口に付着した子供の血を舐める。
シャーーー
角を威嚇した後、素早く振り返り、雨で靄る街道を後にし姿を消した。
強くなってきた雨を受けながら、角は血を流す子供を抱き上げた。子供は角の腕の中で、雨水に溶けるように小さくなり、紙片へと姿を変えていった。
「角さんの方に出ましたか」
「はい」
「食いつきましたか」
「ええ」
「そうですか」
角からの報告を受け、光圀は顎鬚をなでる。
「弥晴からの知らせを待つとしましょう」
光圀は弥晴の式で作った子供に仕掛けをしていた。わざと襲わせ血液を付着させたのだ。当然人の血液ではなく、特殊な物で弥晴なら時が過ぎても追跡は可能だ。そして消え難く、証拠として利用できる。
ニャーー
明け方近く、光圀の膝元で猫が鳴いた。
光圀が猫の喉元を指で撫でると文へと姿を変える。
文を開き、目を通す。その後二人に文を渡した。
文には鬼についての詳細が書かれていた。鬼は藩主土岐頼行の奥方であり妊婦。そしてお腹の子も鬼であると。
「ご隠居」
事態の詳細と、これからの事を尋ねるように、二人が光圀を見た。
「呪胎ですね。呪術で子を宿したのでしょう」
「呪術で」
「ええ、もちろん禁呪です。人の子が宿る事はありません。城に向かうしかないでしょう」
「そうですね、昨日餌に恵まれませんでしたから、早々に人を襲いにくるでしょうから」
光圀は書状をしたため、再び黒猫になった弥晴の式に預ける。黒猫は陽が昇っていく城下へと走りだしていった。
「そんなに蹴らないで」
光は昨日逃げ帰った後、部屋に籠っていた。あの後、街道で人が襲われたと噂が出ているかもしれない。
鬼化してきていても、凶暴化し本能のみで動く事なく、冷静に判断している。
ボン
一人部屋の中で光はお腹をさする。
「分かっているは、私も食べたいわ。子供の腸を。そして子供はあなた以外にいては駄目なのよ」
ボン
同意しているかのように、お腹を蹴られた。
「ふふふ、少し待ってね。今夜はあの側室の子をたべましょうか。そして全ての子供を・・」
ボン
「ええ、きっと美味しいわよ」
光は再び愛おし気にお腹をさすった。
「書状は読まれましたかな」
城の一室で光圀は頼行と対峙していた。
副将軍からの突然の書状と訪問。しかも隠密故、歓迎な出迎えの禁止を指示されていた。
隠密というのは建前でもある。水戸家の訪城を奥方の光に知られるからだ。鬼化が進んでいても光圀達がいる間は人を襲うのを止める可能性がある。それだけの理性が残っているだろうと光圀は考えている。
「ここに書かれている事は誠なのでしょうか? 信じられません」
頼行は控えめだが、否定をこめた目で光圀に尋ねる。やっと授かった本妻との子供が鬼で、その本妻も鬼化して子供を喰らっていると言われているのだ。信じられるはずが無い。しかも昼間に穏やかに寝息を立てて眠る光を見ているのだ、当たり前だろう。
「認めたくないだろうが、事実です」
光圀は静かだが、否定できない強い語尾で応えた。
「昨日、共の者が子供を襲う鬼と接触しました。そしてその鬼に追尾できる印を付けた」
「その鬼が我が城に逃げ込んだと」
「この城の奥方の部屋にです」
光圀は、鬼は奥方の光であると告げるように応える。いや断言しているのだ。
頼行は項垂れ、両手を畳の上についた。
「私はどうしたら?・・・」
縋るように顔を上げ、頼行は光圀を見た。
「何もしなくてもよい。ただ、これから起きる事を受け止めてくだされ」
「・・・・・」
「奥方は鬼に魅いだされてしまっただけ、悪いのは全て鬼だという事を覚えておいてくだされ」
光圀は頼行の肩に手を置き、静かに、そして力強く頷いた。
ニャーーー
頼行と話した後、別室で待機していた光圀達の膝元で黒猫が鳴いた。
「動き出したようですね」
三人が顔を合わせ頷くと、立ち上がり部屋を出て行く。黒猫の後に続き、光圀達は足を速めた。
「城の外ではないようですね」
町の子供を狙うと思っていた助が小声で話かける。
「そうだな、この先は離れで側室の部屋と伺ったが」
角が助の問いに答えるように、先程聞いたた城内の地図を頭に描く。
「鬼化が進むと本能が強く出てくるのです。正体が暴かれる危惧より食欲と思いが先に立つのですよ」
「思いですか?」
「狙いは側室の子供でしょう。自分の立場を悪くする者を排除しようとしているのでしょう」
鬼化が進む事について光圀は説明する。自我があやふやになっていき、人間であった時の強い感情、思いで動くようになっていく。やがて本能とその思いだけで動く鬼になるのだ。光が子供を狙う鬼になったのは、子供が自分の立場を悪くする物、だから排除するのだろうと推測した。
ニャーー
前を歩く黒猫が部屋の前で止まった。恐らく側室の子供の部屋の前になるのだろう。
「ご老公様」
「頼行殿」
三人が部屋を出るのを見た頼行が後をつけて来たようだ。
「光が中に?」
奥方が鬼化している事実をまだ信じきれていないのだろう、頼行は不安気に光圀を見た。
「辛い事態を見る事になりますが、よろしいかな?」
バン!
光圀は躊躇なく部屋の襖を開いた。
血なまぐさい匂いが三人の鼻をつく。見ると頭と身体が離れた侍女が横たわっている。
シュ!
子供の首筋に牙を立てる所へ、光圀が抜いていた葵退魔銃の引き金を引いた。
ダン!
光、いや、鬼は瞬時に跳び退き、天井にぶつからないよう手をつき、部屋の奥へと着地した。
グゥーーーーー
鬼は四つん這いに近い前かがみの姿勢で、唸り声をあげ、首を上下に振りながら威嚇するように四人を見た。目は吊り上がり、口は裂け、長く伸びた犬歯が人でない事を強調しいる。銃弾がかすめたのだろう、右肩辺りから血を流している。
「み・・光なのか?」
鬼が見覚えのある着物を着ているのを見た頼行が、震える声を上げる。
ウッ グッ
鬼が苦しそうに、畳に手を着き倒れ込んだ。
「よ、頼行様」
鬼化が解けたのか、鬼は光の顔に戻り、涙を流しながら苦し気に頼行の名を呼んだ。
そんな光に光圀は再び銃口を向ける。
「やめてくだされ!」
頼行が光に駆け寄り、銃から庇うように覆いかぶさった。
「退きなされ、頼行殿」
光圀が諭すように告げる。しかし頼行は動かない。動かない所か、苦し気な光の手を取り、愛おし気に見つめた。
「頼行様」
「光・・・・」
暫く無言で見つめ合う二人に、光圀は引き金を引けないでいた。二人の愛情劇に心を打たれていたわけではない、寧ろ光が鬼化から戻れないのは分かっている。頼行が邪魔で打てないのだ。
「私達の子供が産まれそうなのです」
潤んだ瞳で光が頼行を見つめる。頼行はそんな光の手を握りしめて頷いた。
「だから、私達の子供の血肉になって!」
光の顔が豹変し、長い犬歯、いや牙が頼行に襲い掛かかった。
ピキーン
牙が頼行の首元に刺さる前に、助の暁宗が光の牙をないだ。
光は牙を折られる直前、瞬時に頼行から飛びのいていた。
ウッ ウッ
飛び退いた場所で、鬼化を解き苦し気に呻き出した。
「光!」
殺されそうになったというのに、頼行はまだ光の前にはだかり、光圀達を近づけさせない。
「頼行殿! 離れるのじゃ!」
光圀は銃口を下げ、頼行の説得にかかる。
「ご老公様、光と私の子供が産まれるのです」
頼行は、産まれてくる子供は自分の子供、だから鬼では無いかもしれないと願っているのかもしれない。
「頼行殿、呪胎で人の子が産まれるてくる事は決して無いのじゃ」
「し しかし、ご老公様」
グッ グーーー
まだ食い下がる頼行。その背後で光が更に苦し気な声を上げた。
「光!」
光は自分で着物をはだけさせ、素肌のお腹を掻きむしるようにして、苦悶の声を上げている。
膨れた腹が揺れ出している。波打つように揺れ出している。とても人の出産時のお腹ではない。
「光!」
ギャーーーーーー!!!!
頼行が光の手を握ろうとした時、光が断末魔のような悲鳴を上げた。
グチュ グチュ
光の腹を裂きながら腕が出て来た。血だらけの三本指の腕だ
イギャーーーーーーーー!!!
再び光が悲鳴を上げた。
ブチブチ
腹から這い出るように何かが顔を出した。
当然人の子ではない。血だらけの赤い顔。目の位置は左右でずれていて、額にも目のような穴を有している。口は大きく、長い物を咥えていた。 腸だ。光の腸を喰いちぎりながら出てきているのだ。
光はもう息絶えているのか、口から血を流し動く気配がない。
「あれが人の子、いや頼行殿の子に見えますかな?」
光圀は鬼が這い出してきているのに、落ち着いた表情で尋ねる。しかし頼行は妻の死を目の前にしたからか、産まれてきた鬼の姿を見たからか、その鬼を産んだのが自分の妻だったからか、いや、その全てだろう。精神が崩壊しかけているのか、口を開け、放心状態になっていた。
その間にも鬼は光の腹から這い出し、全身を露わにしている。
手と足はあるが左右で長さが違う。脚の長さもチグハグなので身体が歪んで見えた。恐らく早産だったのかも知れない。額の穴も、もう少し光の腹の中にいたら目になっていたのだろう。早くに腹から出てきたため身体が出来ていないのだ。しかし、どうお腹に収まっていたのか、身長は一メートル位はある。
クチャ
ビタ
クチャ
ビタ
鬼が腸を噛みながら、血まみれの足で光圀の方へと向かってきた。
シャ!
鬼が急に、光圀へと跳躍した。本能的に自分に害をなす者を排除しようとしているのだ。
バシ!
バーーーン!!
角が跳躍した鬼の足を掴み、畳の敷き詰められた床へと叩きつけた。
助と角は常に光圀に害が及ばないように、敵になる者の動きを察知しているのだ。
鬼は叩きつけられても、角へと掴まれていない足の爪で攻撃を仕掛ける。角はそれを軽くかわし、助の方へと鬼を投げた。角は自分を楽しませてくれる相手ではないと判断したのだ。
シャーーッーーー!!
助が暁宗を振り下ろす。
バサ! ゴロン
首と胴が離れた鬼が、畳の上に転がった。
バス!
助が暁宗を鬼の頭部に突き刺した。黒い靄が暁宗の鍔に吸われていく。鬼の頭部、身体が消滅していった。
「頼行殿」
光圀は呆ける頼行の手を取り、光の亡骸に目をやった。
別の侍女に知らせ、側室の子供は別室へと移動させていた。家老及び腹心達も皆光圀の指示で動き、事の流れを見守っている。
光の遺体には布団が被せられ、無残な個所は見えないように配慮した。
「鬼となった光殿は火葬も土葬もできぬ」
その言葉に呆けていた頼行が反応した。愛した妻を正式な形で送れないと言われたのだ。
「それはどう言う事ですか?」
光圀は説明する。死者を送るという事は、その魂が安らかな場所へ導かれる事を祈り願う事だ。しかし鬼化した光は釈迦如来が管理する輪廻の輪から外れるだろうと。当たり前だ、自分の欲望で鬼となり人を殺めたのだ。そんな者を神仏が転生しようするだろうか。
「光殿の魂は地獄へと向かっておる」
「地獄!」
五道輪廻の法則なら地獄道の末、転生するものだが、鬼となった魂は未来永劫地獄道から抜け出せず、苦しみつづけるのだ。
「光に安らぎは無いのですか?」
それが答えなのだろう、光圀は無言で頼行を見る。そして、静かに口を開いた。
「千手観音菩薩様に祈りなさい」
「千手観音菩薩様に?」
輪廻の輪には乗れないが、千手観音菩薩への祈りと願いで、光の魂は地獄道へは向かわずに消滅させられる可能性がある。魂の消滅でしか光の苦しみは拭えないと光圀は説いた。
「助さん」
光圀の言葉に助三郎が暁宗を抜く。布団を被せられた光の元へと近づいていった。
「ご老公様・・?」
戸惑いの声を上げる頼行、しかしその声に応える事なく、光の傍らに立つ助を見て首を静かに縦へと振った。助が抜いた暁宗をを布団の上から光の身体へと突き刺した。
ギエーーーーーーーー!!!
城内へと悲鳴が響いた。鬼化していた光は、腸を喰われていても死んではいなかった
グーー グーー グーー
光は両手を天井へとあげ、苦し気な声を出し続けている。
「ご老公様!」
頼行は妻が悲鳴を上げ、苦し気な声を出し続けても何もできず、ただ光圀を縋るように見るしかなかった。
光の身体が震えだし黒い靄と化していき、暁宗に吸い込まれていく。
「オン・バサラダラマ・キリク」
光圀は印を紡いでいき、千手観音のマントラを唱える。
「頼行殿も私に続いて、祈りなされ。 オン・バサラダラマ・キリク」
オンバサラダラマキリク
オンバサラダラマキリク
オンバサラダラマキリク
オンバサラダラマキリク
オンバサラダラマキリク
オンバサラダラマキリク
光圀のマントラの後に頼行のマントラが続き詠唱化していく。その間にも、靄と化した光の身体は、暁宗に吸い込まれていった。
光圀の目には、靄の向こうに合掌する、沢山の手を携えた千手観音の影が見えた。
布団から光の身体は消えていた。詠唱は止み、光圀は静かに息を吐いた。
「ご老公様・・ 光の魂は?」
必死に祈ったのだろう、額に汗をにじませた頼行が尋ねる。
「大丈夫。地獄道で苦しみ続ける事はないでしょう」
「あ、ありがとうございます」
「いや、頼行殿の祈りが通じたのです。しかし鬼化して、人を殺めた事は事実。民衆に知らせる必要はありませんが、親族としてこの業を忘れてはなりませぬぞ」
光圀は、この件に関して幕府が介入する事はないと、遠回しに伝えた。
「はっ! 当家末代まで伝えてまいります。ありがとうがざいました」
光圀は光が横たえていた布団をみる。黒い靄も全て暁宗に吸い込まれ、今は鬼がいたという形跡は残っていない。しかし呪胎という禁忌の呪法を光に教えた者がいる。経緯から察するに、頼行は何も知らないだろう。この世には、平和な徳川の世を破壊しようとする者達がいる。その者達は様々な呪術でこれからも徳川の転覆を計ってくるだろう。
オン バサラダラマ キリク
光圀は先の事を憂い、再度千手観音のマントラを唱え、手を合わせた。




