曼荼羅 サイドストーリー 陰者
「オン・マユラ・キランディソワカ」
「おまえは後ろを押さえろ」
「承知!」
ギャオーーーー!
「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前」
小さな村、その一つの家で三人の僧が退魔業が行っている。
一月前から家畜が襲われ、次に子供が襲われた。
目撃した村人が、村はずれに住む少女が、子供を喰らうのを見たと証言した。
人が人を喰らう。 狐憑き。
そう判断した村長が陰陽網に知らせた。陰陽網からの連絡で、高野衆が駆けつけた。
村長の判断は正しかった。少女は憑りつかれていた。
狐付きだから、狐に憑りつかれたというわけではない。雑多な霊に憑りつかれてしまう事の総称として、狐憑きと呼ばれる。
ギギギ ギギギ
僧の一人が、少女を背後から押さえていた。もう一人の僧は呪術で少女の力を押さえている。
「マユラキランディ 堯仁今だ! 祓え!」
堯仁と呼ばれた僧が、独鈷杵を握り少女の前に立った。
「南無!」
ゴト!
少女の首が床に落ちた。血しぶきが上がり、家じゅうが血臭に包まれる。
「堯仁! 何故!」
少女の身体を支えたままの僧が、血まみれで声を上げた。
「そうだ堯仁、あのまま祓えてたのだぞ!」
呪術で少女を押さえていた僧も声を荒げる。今の少女の状態なら、身体から雑多な霊を祓えると判断して、除霊に取り掛かったはずだ。
「ふん、一度魔の物に染まった者は、この世から消すべきだ」
「き、貴様!」
少女の亡骸を床に置いた僧が、堯仁に殴りかかろうとした。
「やめろ!」
術者の僧が止める。ここではリーダー格のようだ。
「堯仁、それは御山の方針に反するぞ」
「御山? 方針? そんなもの関係ねぇ。方針は俺が決める」
堯仁は血臭漂う家を出る。その後を二人の僧が追った。堯仁を危険と判断したからだ。高野衆の中にも、自身の術に溺れ、弘法大師の教えから外れていく者が出る。こういう者は早めに対処しなくてはならない。
二人の僧が家を出ると、人の形をした物が鉈で襲い掛かってきた。 傀儡だ。
「堯仁の傀儡か」
「ああ、奴は傀儡師だからな」
独鈷杵で鉈を防ぐ二人の僧の顔に、血が飛んで来た。二人は共傷にを負ってはいない。しかし血がかかる。
鉈だ、鉈に付着していた血が飛んできているのだ。
僧は傀儡から距離をとり、辺りを見回した。
家に入り口や、井戸の前、家の前の道等、至る所に血まみれの村人が倒れていた。
「堯仁! 貴様!」
「ははは、狐憑きを出した村だ。元を全て絶たないとな」
屋根の上から声がする。堯仁が狂気の笑みで笑っいた。
「ナウマク・サマンダボダナン・バク」
一人の僧が術を試みる。傀儡を止めるためだ。もう一人の僧が独鈷杵を揮い、傀儡の攻撃をかわし、術の発動を助ける。
「いい連携だ。だが、 しのげるかな」
堯仁の顔がにやけている。遊んでいるのだ。楽しんでいるのだ。
村に点在したいた傀儡が集まってきている、その数二十は超えている。皆、鍬や鉈等の農具を持っていた。僧達を囲みながら襲いだす。
「堯仁、どうやってこれだけの傀儡を操れる術を覚えた!」
堯仁の他のも傀儡師はいる。しかし扱えるのは精々五体が限界だろう。
独鈷杵でなんとかしのいでいるが、相手は傀儡、傷つけても怯む事はない。僧を囲む傀儡の輪が縮まっていく。
ギャーー チクショーーーー
ギョーージ・・・・
傀儡の輪がごちゃごちゃと動いている。いや、蠢いているという表現の方は良いだろう。
ボッ!
堯仁が木切れに火を点つけた。それを傀儡の群れに放り込む。
「せめて火葬にしてやるよ」
小さな村に火の手が上がる。黒い煙に笑みを見せ、堯仁は山間に姿を消した。
山間にある小さな里。結界が張られ、意図的には、この里までは辿り着けない。道に迷い、ここに紛れ込んでしまう者もたまにいる。そういう者は、この地を迷い家と思い込むだろう。
この里に家らしき建物は数件見えるが、田畑は無い。しかし生活をしている者がいるのは分かる。
陰者の里。正式な名はないが、あえて呼ぶならそう呼ばれるだろう。
寺社の呪術部隊に馴染めなかった者が身を寄せる里だ。ここには、陰陽網を介せないような仕事が回ってくる。だから田畑を耕さなくても喰っていける。いわゆる必要悪というやつだ。
しかし、この里で寿命を全うする者はほとんどいない。呪術が嫌になり出て行く者や、呪術関係の依頼で命を落とす者が殆どだ。
この里に縦社会はない。皆自由に生きていた。依頼が来ても、受けたい奴が受ければいい、そんな感じだった。だが最近、一人の僧により、少しだが秩序というものが表れてきていた。
僧の名は 隋風。
この僧が持つカリスマ的な魅力で、縦の関係が出来始めている。しかし完全ではない。元々、秩序に馴染めず、寺社を出た人間の集まりだ。最後は皆、自分中心の考えで動いていた。
「隋風様、私も行ってまいります」
里にある、少しだけ大きめな家で、襖越しに堯仁が言った。隋風からの指示はない。
堯仁は足早に家を離れ、里を後にする。隋風の返事は待たない。もし隋風が違う指示をだしていても聞かないだろう。自分が楽しそうだからいくのだ。ただそれだけだ。
堯仁は笑みを浮かべ、四国へと渡るべく道を急いだ。
「あれか」
山の中、一際高い木の上で、堯仁は唇の端を吊り上げた。
見覚えのある三人が下にいる。慈按、雲鄭、玄妬達だ。いや、見覚えではなく、因縁かもしれない。
堯仁の脳裏に、嫌な過去が頭をかすめる。
あれは五年前、まだ高野衆として活動していた頃だった。
高野衆では少ない傀儡師としての力に、自信がついてきたと思っていた。いや、傀儡以外の呪術も他の者よりも、頭一つは抜いていると思っていた。
「そっちに行ったぞ」
「おう」
狸老爺の退魔だった。齢百は超えると言われる化狸だ。こいつらが厄介なのは人間に変化するという所だ。しかも単体ではない、時々群れをなす事もある。
慈按と蔵按がコンビネーションで化狸を追い込んでいく。
堯仁は傀儡三体を操り、化狸のもう一体を追い詰めていた。
「助けて!」
堯仁が追い詰めていた化狸が家に入り、村人を女を人質にした。もう一人老人がいたが、部屋の隅で震えているのが見えた。堯仁は傀儡を操り、人質の救出に成功して、女を自分の背後に庇った。
ブス!
背後から脇腹を刺された。庇ったはずの女が、血の付いた刃物を握り、裂けた口を拡げて笑っていた。もう一体いたのだ。
堯仁が刺されたのを見た慈按が、女化狸に宝輪を放つ。宝輪は女化狸には当たらず、普通なら慈按の元に戻ってくるはずだが、近くにいた年老いた村人を直撃した。老人は首を切断され、血を吹きながら倒れる。
バタリ!
倒れた村人は、首と胴が離れた化狸へと変化していった。
まだ化狸がいたのだ。慈按はそれに気づき、宝輪を飛ばしたのだ。
蔵按が戟を振るい、始めに対峙していた化狸を仕留めた。それを見た女化狸は踵を返し逃げ出す。慈按が放った宝輪が、背後から女化狸襲い貫いた。
「やったか」
「ああ」
慈按と蔵按が、脇腹を押さえる堯仁の所にやってきた。
「何故気付かなかった、堯仁」
「そうだぞ、自身の術を過信して、修行を疎かにしていただろう」
深手を負った堯仁に、労いの言葉は無く、叱責の言葉が浴びせられる。
退魔業は常に命懸けだ。一緒に退魔を行う時は、相手に背中を預ける事になる。それだけに相手の技量が問われる。
堯仁は唇を噛みしめながら、出血のために気を失った。
木の上、堯仁はふてぶてしい笑みを浮かべる。
「・・あの時の俺とは違う」
堯仁は傀儡を一体残し、三按が求める気配を追った。
堯仁は死人の気配を感じる。日頃から隋風と接する機会が多いせいか、死人の気配に敏感になってきている。
「三按は死人を追っているのか?」
死人に近づいた時、人の気配も感じた。
「あいつらか」
堯仁は人の気配が、自分が送り込んだ者達だと直ぐに察しがついた。そして彼らの思惑を理解する。
「そのまま持ち帰るつもりだな フフ・・ 面白い、様子を見るか」
あえて傍観を決める。分かっているのだ、彼らでは首の曲がった死人には敵わないだろうと。
ギャーーーーー!!!
予想通り陰者の二人は殺された。そして悲鳴を聞きつけ壕按達が駆けつけてくる。
「これは有り難いな。蔵按と慈按も直ぐにくるだろう」
堯仁は口元をほころばせ、死人から距離をとった。先程の陰者では、首の曲がった死人の力が分からない。しかし三按を相手に、あの死人がどう対処するか、また、三按が死人にどう対処するかという事が見れる。
「追っているのは死人が持っている巻物か」
先程陰者が巻物に手を触れた時に発動した術を堯仁は思い出す。単に凄腕の三按が死人のために揃うというのはおかしいからだ。
「死人と三按が潰し合ってくれたら、その隙に奪えるか・・」
堯仁は巻物を奪い獲る事を考える。彼は察しているのだ、この死人は今まで対処してきた物とは違う。
陰者の里にいると、様々な呪術に出会う。高野山や延暦寺、菩提寺等の呪術部隊で術を学んで来た者が集うからだ。そこの宗派だけで受け継がれている呪術も存在する。当然死人返りの呪法も一つだけではないのだ。そんな堯仁だから分かるのだ。この死人は今までの死人とは違う。とても異質な存在だ。
ドーーーーン
バン! バン! バン! バン! バン!
「なに!」
堯仁の前で、信じられない光景が繰り広げられた。あの三按が、その力、連係を発揮する前に吹き飛ばされたのだ。
「・・・・・」
これからの策を考える堯仁の目に、白髪の老人の姿が見えた。
「光圀か・・ 厄介な・・」
本音が堯仁の口から洩れる。権力者だからではない。当然それもあるが、この爺の術は、高野衆の最高の術者を凌ぐと堯仁は思っている。
その白髪の老人が、死人の前に座し、巻物を受け取り、紐を結ぶと、再び死人へと巻物を返した。
「やはり、あの巻物には何かあるな」
死人が光圀や三按に背を向け、山の奥へと姿を消していく。それを、三按達は追わずに立ちすくんでいる。
「これは狙い時だな」
再び堯仁は、距離を置き死人の後を追い始めた。
背後から三按が追って来ない事を不思議に感じながら、堯仁は死人を追う。三按がわざわざ四国まで出向いてきて、何故死人と巻物を追わないのか。
「水戸家の指示?」
独り言ちた後、直ぐに否定する。高野衆は水戸家の下にいるわけではない。表向きの対立は無いが、指示を受けて従う事はない。絶対にだ。
「まあいい。その方が追いやすい」
堯仁は自分を納得させるために言葉を発する。それに、追わない理由は死人と対峙すれば分かるだろうとも考える。
三按達とはかなり離れた。その事を確認し堯仁は術を発動させた。山中に潜ませている傀儡を動かし始めたのだ。傀儡は所詮人形、発動しなければ、居場所は特定されにくい。
「あれだな」
木の上から、背の高い雑草を避ける事もなく突き進む者が確認できた。大きなな木は避けるが、それ以外は踏み倒しながら突き進む、人間がやっていれば、身体中が傷まみれになっているだろう。
「さて、どうするか・・」
とりあえず質の低い傀儡を突き進む死人の前に出した。式だけで動かす単純な傀儡だ。
死人の動きが止まり、傀儡が懐から覗く巻物に手をのばした。
バキ!
腕の一振りで傀儡は破壊された。傀儡といっても脆いものではない。樫の木までとは言わないが、それなりの木で作られ強化を施されている。鍛えられた高野衆の僧の身体だからか、この死人に何らかの術が施されているのかは分からないが、傀儡の身体はバラバラに飛んでいった。
「手強いな」
堯仁は全ての傀儡をぶつける策を練る。残る傀儡は十二体。式で操るのが八体、雑多な霊を憑りつかせているのが四体だ。普通の傀儡師は式で傀儡を操るが、外法として雑多な霊を憑りつかせる術がある。
堯仁は式と霊を憑りつかせて傀儡を操るという両方の術を使っている。式で操るのも五体が限界と言われる中、霊を混ぜて二十体以上の傀儡を操る堯仁は、傀儡師としてはかなりの術者といえるだろう。
傀儡が死人の前方を塞ぐ。素早く左右から別の傀儡近づきそれぞれの腕をとった。
前方にいた傀儡がそのまま前に進み、死人を背後にあった木に押さえ込む。左右の傀儡も同時に動き、死人は完全に押さえ込んだ。もう一体傀儡が現れ、脚の動きも止める。
「これからだな」
堯仁が死人の前に姿を現した。死人は傀儡に抗おうと身体を動かしている。
「巻物を取ると術が発動し、爆発するか・・」
配下の陰者が失敗した事を思い出し策を練る。死人を押さえている傀儡が四体、控えているのが八体。この八体をどう使うか。
「数で押すか」
傀儡が動き出した。最初の傀儡が懐に手を入れ、巻物に触れた。
バチーーン!!
術が発動し、青と白の火花がスパークする。手を触れた傀儡が吹き飛ばれた。次の傀儡が間髪をおかずに巻物へと手を伸ばす。巻物は懐から半分位出ている状態だ。術はまだ発動しない。瞬時に連続での発動ができないようだ。
「オ ン マリ シエ イ ソワ カ」
ガサガサ ガサガサ ガサ ガサ
ズン! バン! ズン! バン!
死人が摩利支天の真言を唱えた。木々の間から数匹の猪が現れ、傀儡へと次々に体当たりをしていく。
最初は巻物に手を伸ばしていた傀儡が吹き飛ばされる。次は死人を押さえていた傀儡達が木々の間に飛んで行った。
「オ ン アボ キャハラ チカタ ウ ンウ ン ハッ タ ソワ カ」
死人が自由になった手で印を紡いでいく。
「不空羂索観音だと」
ガサガサガサ
控えさせていた傀儡が動きだした。真っすぐに堯仁へと向かっていき、彼を押さえつける。
「な! なんだ! 俺の術を乗っ取っただと!」
身動きが出来ない堯仁へと、死人が向かっていく。
「ナ ウマク サマ ンダボダ ナ ンアビ ラウン ケン」
死人が腹部の前、組んだ左右の手で楕円形を作り、法界定印を紡いだ。
バン!
周りの全てが吹き飛ばされた。堯仁も爆風の中、何度も木々に打ち付けられていく。
打ち付けられながら薄れていく意識の中、堯仁の脳裏に曼荼羅の世界が霞め消えていった。
夜の闇に包まれた山の中。月と星が木々を照らす。
そんな光に、堯仁も照らされながら横たわっている。
身体中が傷だらけで、あちらこちら骨折しているようだ。
ぼんやりとした意識の中で、堯仁は星を見ていた。
このまま死ぬのか? いや死んでもかまわない、 いや死にたくない。
俺はまだ何もしていない、 出来ていない、 いややっている。
混濁した意識の中で、様々な思いがめぐっている。
ガサ ガサ
木々を揺らしながら、堯仁へと近づく影があった。大きな影だ。
熊か・・・
堯仁は動じず、慌てる事もない。
思いとは矛盾しているが、死を覚悟しているのだろう。これまでも散々自分も配下の者を犠牲にしてきたのだ。
黒い影が間近に立っている。大きい影だ。
・・・・・・
堯仁は察した。大きな影に生の息吹が感じられないのだ。恐らく隋風が死んだ熊に死人返りの呪法を施しているのだろう。
隋風様が俺を始末しにきたのか・・
死臭する熊が堯仁の着物の衿首を咥えた。そして引きずりながら山の中へと消えていく。
そうか、俺はまだ必要とされているのか・・
再び闇へと沈む意識の中、堯仁は口元に笑みを浮かべていた。