簪(かんざし)
日本有数の神社、その外宮にある小さな祠。周りには人払いの結界が張られていて、普段は人を寄せ付けない場所。
その祠の前に男が立っている。
鉢巻をし、たすき掛けをしていて、お参りといういで立ちではない。
時は深夜という程でもないが、暗くなると外宮内に人の姿はなくなる。当然だ、家があるわけでもなし、飯屋等もない。
男の鉢巻とたすきには、びっしりと漢字で文字が書かれている。結界を祓える呪物なのだろう。
月と星が煌々と祠を照らす。外宮に祀られいて、人払いの結界が張られているせいだろう、神職の一部の人間しか知らない祠。どこか禍々しさがあり、祀るというよりは何かが封印されているのかもしれない。
男が祠の扉に手をかけ開く。祠の中から一瞬小さな稲妻が、放電したかのように青白く光り、男の指に絡みついた。
男は慌てて腕を引っ込めたが、痛みもなく普通に指は動く。男は再び半開きの扉に手を掛け開いた。
祠の中に手を入れ、20センチ位の長方形の薄い木箱を取り出し、結ばれた紐の模様を確認して懐へ入れた。
祠の扉を閉め、自分が来た時と同じ足跡の上を踏みながら、ゆっくりと後退していく。
ズリ!
自分が付けた足跡と少しズレが生じた。男は息を殺し、辺りを見回す。
静寂の中、男はじっと祠を見つめた。変化はないような気がするが、何かが変わっている。
闇だ!
闇が濃くなってきている。先程まで祠を照らしていた月と星が消え、真の闇の中に男は立たされていた。
バン!
静寂を乱す音が祠の方からから聞こえた。暗くて見えないが、祠の扉が勢いよく開け放たれたようだ。
男は踵を返し走り出す。もはや付けた足跡をたどる等できていない。
とにかく走る。 いや逃げる! 何から? 分からない?
男は雇われた者、祠への近づき方を聞き、中の物をとってこいと言われた。
破格の報酬に、簡単な仕事と思った。だが違った。背後で死の気配が満ちている。
闇へと向かい男は走る。
背後からの気配が、一瞬で男を追い抜いた。
助かったのか? いや、見逃してくれたのか?
男は闇の中で、自問して立ち止まる。
落ち着かせるため、深く呼吸をしようと試みた。
ガッ! くッ!
男は突然倒れた。バランスを崩して地面に倒れた感じだ。
足に痛みが走る。首を起こし、足をさすろうとしたが、違和感があった。
足がない!
男の手にべとついた液体がついている。自分の血だ。
ガリ! ガリ!
今度は脇腹に痛みが走った。感覚でわかる。何かが自分の脇腹から肋骨を齧り、肉を喰っているのだ。
男は自分が喰われている事を悟った。
男は闇の中でもがく。空をかきながらもがく。だが動けない。いや動かす手と足がもう無いのだ。
やがて男は息絶えた。
ジャリ
死の気配が消え、月と星の光が戻った時、誰かが動かない男へと近づいてきた。
社には似合わない虚無僧姿の男だ。
虚無僧は血まみれの男の懐から薄い箱を取り出し、自分の袋へと入れた。
「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」
男は経を口ずさみながら、月光が届かない闇中へと消えていった。
「すがすがしい空ですな」
「ええ、良い気候で助かります」
「ここを抜けると村があるそうです」
光圀一行は、山間部を抜け、山の麓へと差し掛かっていた。
前方に田んぼが広がり、脇道に小さな祠が見える。その前で老婆が手を合わせていた。
「失礼ですが、この祠は何が祀られているのですかな」
光圀は穏和な笑みで、老婆に話かけた。
「ええ、わらしべ様ですよ」
「わらしべ様? どういった神様なのですか」
あまり聞いた事がない神の名だったので、思わず聞き返す光圀。職業柄、神と仏は気になるのだろう。
「金運をもたらしてくれる神様です」
「金運ですか」
「金運と言っても、お金持ちになる訳じゃないですよ。食うに困らない程度の運を村全体に与えてくれているのです。だから私達は飢えた事がないのです」
「ほう、それは良い神様ですね」
「はい、だから村人はここを通る度にお礼を言うのです」
「それは良き事です」
光圀は老婆の横に並び、祠にお参りをした後その場を離れた。
「ご隠居はわらしべ様をご存知ですか?」
「さあ、聞いた事はないですが、座敷童の仲間かもしれませんね」
「座敷童ですか」
東北で語り継がれている妖の話を思い出す光圀。人に強運をもたらす妖。妖と言うより神に近い存在かもしれない。
「村を抜けて、少し行けば温泉があり、宿もあるそうです」
助三郎が少し顔を綻ばせながら、光圀の横に並んだ。最近妖退治が続き、光圀が疲れているのではと思い、道中にある温泉を提案したのだ。
「何日か湯治しましょう」
「そうですな、良い所のようですからな」
一行は温泉街の美味い物を思い浮かべながら足を速めた。
「長い雨だな」
「ああ、これだけ長雨が続くと作物に影響がでるぞ」
温泉街に入った翌日から天候が崩れだし、十日連日の雨だった。屋内の湯舟に浸かりながら光圀は何気に噂話に耳を傾けていた。
光圀達は湯治のつもりで温泉街に入ったが、ここまでの滞在は予定していなかった。無理して雨の道中を行くよりも、雨が止んでからの出発を考えたからだ。
「しかしこれだけの長雨は初めてだな、これは祠が潰されたせいか」
「わらしべ様がお怒りなのかもしれね」
話が不穏な事になってきたので、光圀は二人に近づき笑みを見せる。
「失礼、私は旅の者なのですが、祠というのはわらしべ様の祠ですか?」
「そうだ、旅の人がよくわらしべ様を知っていたな」
「ええ、道中で祠にお参りしてる人に話を聞きましてな。その祠が潰されたと?」
「そうだ、扉が壊され、お祭りしていた木札が無くなっていたそうだ」
「木札が・・・ それは大変ですな」
光圀は二人から離れ思案する。祠は潰れたのではなく潰された。そして木札が盗まれた。木札とは恐らくご神体。そしてこの長雨。
「しばらく湯治が続きそうですね」
光圀は独り言ちた後、聞こえてくる雨音に耳を傾けた。
「ご隠居、陰陽網からです」
部屋へ戻った光圀に助が文を渡す。陰陽網からの知らせは式を通じて届く仕組みになっているので、事が起きてからのタイムラグは少ない。
わらしべ様の事を聞いてからの知らせなので、嫌な予感が頭を過ぎりながら光圀は文を受け取った。
「陰陽網は何と?」
「西条藩内の神社で、封印の祠が何者かに壊されたと」
光圀は顎鬚を摩りながら、静かに息を吐いた。
「・・と言う事は」
「封印されていた妖が解き放たれた・・」
角と助は神妙な趣で顔を見合せた。
「先程温泉でわらしべ様の祠が潰され、木札が盗まれたと耳にしました」
「それは・・ 神社の件と結びつくにでしょうか?」
「わかりませんが、嫌な予感がします」
封印の祠と村を御守りする祠、どう結びつくかは今は分からない。接点が見当たらないのだ。
「いつ祠の封印が解かれたのでしょうか?」
「神社側が自力で解決しようと動いて、解決出来ずに死傷者が増えたため、十日位は過ぎていると書かれています」
「日本有数の神職者がいる神社で対応できない程の妖ですか」
「どんな妖が封印されていたのですか?」
「霊獣の類と聞いていました。天照大御神の神力で何とか封印されていたようです」
神に近い力を持つ霊獣、この世に災いをもたらすなら退治しなければならない。
「明日、神社に向かいましょう」
「そうですね、ここからなら一日歩けば着く距離かと」
翌朝、光圀達は神社に向けて旅立った。幸いにも雨は降ってはいないが、どんよりとした曇り空だ。
途中、わらしべ様の祠を通ると何時ぞやの老婆と数人の村人が、扉が外れた祠を掃除していた。
「この度は大変でしたね」
「ああ、あんたらけ」
「何をしてらっしゃるのですか?」
老婆達は掃除の手を止め、小さなため息をついた。
「わらしべ様がいつ帰ってきても良いように掃除をしてるんだ」
「そうですか、良い行いですね」
「あんたら、急がねば雨が降るぞ」
「ああ、そうですね。我々はこれで」
光圀達が少し歩を進めた時、まるで彼らの出立を邪魔するかのように雨が降り出した。
ギャーーー!!!
ウヮーーーー!!!
背後で叫び声が上がる。先程の祠の方だ。
光圀達が駆けつけると、手足を喰いちぎられて絶命している村人の姿が目に入った。老婆は祠の近くにある木の傍で震えている。
祠には、黒い靄が覆いかぶさるようにゆらいでいた。
やがて黒い靄に四つの肢が形どられ、獣の姿へと変わっていく。
獣は狛犬のような姿になり、駆け付けた光圀達を睨みつける。しかし狛犬ではない。黒い瘴気を立ち昇らせ、邪悪な気配をまき散らしている。
光圀が印を結びかけた時、黒い神職の服を纏った者達が、黒い狛犬の前に割って入ってきた。
「下がられよ!」
神職者のリーダーらしき男が光圀を制し、天乃咲手の印を結ぶ。
「天乃息、地乃息、天乃比禮、地乃比禮」
「あ~ ま~ て~ ら~ す~ お~ ほ~ み~ か~ み~」
「あ~ ま~ て~ ら~ す~ お~ ほ~ み~ か~ み~」
神職者全員で印を結び、狛犬を包囲するように、輪を縮めていく。
ギャーーオーーーーーー!!!!
怯んだ様子を見せた狛犬は、自身を奮い立たせるように咆哮を上げると、神職者達へと走り出し、次々と鋭い牙と爪で襲い掛かっていった。
ワッーーーー
ギャーーーーー
神職者達が次々と襲われていく中、角が狛犬へと体当たりをくらわした。
助が妖刀暁宗を抜き、光圀は葵退魔銃を懐から取り出した。
グゥーーーーーー!!!
狛犬は唸り声を上げながら、背後へと跳躍し、山の方へと消えていった。
いつの間にか現れた黒猫が、光圀を見上げ一声鳴いた後に狛犬が消えた方角へと走りだす。
光圀と助は息のある神職者の介抱へと向かい、角は老婆の元へと向かった。
「しっかりしろ!」
助が神職者を抱きあげ、励ます。
「か、かんざしを・・」
しかし神職者は虫の息で助からないのは明らかだ。
「簪ですか?」
光圀は神職者の言葉を復唱した。
「か・・ん ざし・・・・・」
神職者はすがるように光圀を見た後、息を引き取った。
「かんざしですか・・・」
神職者言葉を静かに吐き出した光圀を、大粒の雨が叩きだした。
「これで富と名声が手に入れられるのか?」
代官の屋敷の離れで、ここら一帯を預かる代官の村田八重蔵が黄色い歯を見せた。
「はい」
村田の前に立っている虚無僧姿の男が頷いた。部屋の中なのに天蓋を被ってままだ。
僧が言うには、顔の火傷跡が酷く、人前に出せる顔ではないと言う事だった。
二人がいるのは二十畳位の板床の離れだ。部屋の奥に段差があり、広い床の間という感じになっている。段差の前には、編まれた紐で区切られている。
床の間の中央には、木札が長い杭で打ち付けられていた。
杭はただの鉄の杭ではない、装飾が施され、天部に飾り物も付いている。杭というよりは簪に見える。人が使うには長すぎる簪だ。
僧は頷いた後、打ち付けられた木札を見た。いや、木札ではない。僧には幼い男の子が、左手に杭を打ち付けられている姿が見えていた。
「これで村中に幸いをもたらせていた神が、あなた一人に幸いをもたらすのです」
代官の方に向き直った天蓋越しの声が、静かに部屋に響く。
「しかし村の作物が不作になり、税を滞るのではないか?」
「それは村の事、あなたは不作でも税をむしり取れば良いのです。何があっても神があなたに幸いを約束している」
「幸いを約束!」
「そう、ここに神がいる限り、あなたは安泰ですよ。では約束の物を」
「ああ、そうであったな」
代官は僧に木箱を渡す。中には小判がぎっしりと敷き詰められている
「確かに。一応離れの周りに結界を張っておきました」
「結界?」
「ええ、神を守る結界ですよ」
「そうか」
僧は中の小判を確認すると離れの出口へと向かう。
「神に捧げものはいらぬのか?」
代官が僧の背中に尋ねた。
「いりませんよ。その神は家にいるだけで良いのです。いるだけで・・」
二人は再び床の間の方を見る。
ほくそ笑む代官には打ち付けられた木札が映り、僧にはぐったりとしている男の子の姿が映っていた。
「ご隠居、あの狛犬は何故ここに?」
温泉宿に再び戻った光圀達。神社に向かわずとも、向こうから妖が来てくれた。
「恐らく神力に惹かれて来たのでしょう」
「神力ですか」
壊されたわらしべ様の祠に、神力の残り香のような物があり、それに惹かれて妖がきたのだろうと光圀は説明した。黒い靄が祠から神力を得て狛犬のような姿へと実体化したようだ。しかしまだ昔のような力は得ていないだろうとも付け加える。
「退治するなら今しかないという事ですか」
「そうですね、今は妖ですが、力を得ると神獣、霊獣と化してしまうでしょう」
神獣、霊獣クラスになると人が倒すのは難しい。昔の人がどうやって狛犬を封じたのか、古文書をあさる時間もないだろう。
ニャー
思案する光圀達の部屋に猫の鳴き声が響く。光圀の膝元にいつの間にか黒猫がいて、頭をこすりつけていた。白髪の老人が猫の顎を撫でると文へと変化する。陰陽師弥晴の式だ。光圀は文を開き目を通した。
「ご隠居、弥晴は何と?」
「妖の行方、いや狙いがわかりました」
「狙い?」
「かんざしと神力です」
「簪と神力、神職者が言っていた」
「はい、正確には神を刺すと書いて神刺です」
「神を刺す?!!」
神に近い霊力、妖力を持つ妖を倒すのは難しい、しかし封印までならこの神刺をつかえば可能になる。神刺とは神の力を持った簪で、三種の神器に匹敵する力を持つ。此度の妖は神刺により、天照大御神の神力の域にある祠に封印されていたのだろうと光圀は語った。
「それと、わらしべ様が結び付きました」
「わらしべ様とですか」
「ええ、神刺の力でわらしべ様を独占しようとしている輩がいるようです」
「何てやつだ!」
角が自分の右拳を左手の平に打ち付ける。
「妖はわらしべ様の神力を喰らい、神刺を破壊する。それが狙いですか」
「急ぎましょう!」
三人は急ぎ、腰を上げた。宿を出ると雨は止んでいるが、薄雲が月を隠している。
提灯で照らされた道を光圀達は足ばやに急いだ。
ドン! ドン!
深夜の代官の屋敷に、大きな音が響く。壁を大きな丸太で打ち付けるような音だ。
眠りに就いていた代官の村田は目を覚ました。家来の者達も音を聞きつけ集まってきている。
「何事じゃ?」
「はい、離れの方に何かが当たる音がするのですが、何が当たっているのか分かりません」
家来の返答に村田は首を傾げながら、離れへと急いだ。
ドン! ドン!
大きな音はするが、離れの壁に直接何かが当たっているという感じではない。壁の手前で何かが当たっているようだ。事実、壁に大きな音がするほどの傷や穴は見当たらない。
「何だ?」
村田は中の木札が気になり、離れの扉を開けようと手を掛ける。その手を掛けつけて来た老人の手が止めた。
「やめなさい!」
「な、何奴じゃ!」
村田は突如現れた見知らぬ白髪の老人に、驚きはしたが怯む事はなく睨みつける。
「扉を開けると神力が漏れ、奴が力をつける恐れがある」
「何を言っておる、者ども! 曲者じゃ! 出会え! 出会え!」
音を聞いて集まって来ていた者に加え、村田の命令で屋敷中の家来が離れの前に集まってきた。
家来達は角之進巨漢に、一瞬怯むが勇気をだして光圀達に切りつけくる。
光圀も家来達の襲撃をかわすため、村田から手を離した。その隙に村田は離れの扉を開ける。
ギュオーーーーー!!!!!
聞いた事もない咆哮が屋敷に響く。
ドン! ドン! ドドドドドドドドド----ン!!
地響きが起き、離れの外に黒い靄が現れ、黒い狛犬のような妖が離れに何度も何度も突進している姿が村田にも見えた。
わらしべ様の祠の残り粕のような神力で一時的に実態化したが、元の靄に戻っていた妖が、扉から漏れる神力で実態化し始めたのだ。姿が見えるという事は力もそれだけ強力になっている証だ。
「角さん!」
光圀が角之進に狛犬の相手を指示する。角は片方の唇を吊り上げ、狛犬へと走っていった。
バン! ドン!
角が結界へと突進してくる狛犬を正面から受け止めた。双方の動きが止まる。
力が均衡していて、どちらも動けないのだろう。
フン!
ミキ!
角の腕の筋肉が盛り上がるる。同じように踏ん張っている足の筋肉も膨らみ、堪えるようにやや地中に潜り込んでいく。
ギュウーーオン!!!!
狛犬が唸りながら、角を押し付けていく。
ウォ!!!!!!!
角は気合一発、狛犬を頭から持ち上げ、投げつけた。
狛犬は低く宙を舞い、地面へと叩きつけられた。
バシ! バシ! バシ!
角の正拳が狛犬のこみかみをを何度も打つ。常人なら先程の投げで力つきるはずだが、角は間髪を入れずに狛犬を仕留めに行った。
「助さん!」
光圀の声で助三郎が狛犬へと駆けつけ、暁宗で頭を突き刺した。
ギャオーーーン!!
狛犬は悲鳴を上げたが消滅する事はない。離れから漏れ出てくる、わらしべ様の神力で力を保っているのだろう。暁宗でも一時的に動きを止めておくのが精一杯のようだ。
「な、何者だ! 貴様らは!」
狛犬と角の戦で度肝を抜かれていた村田が光圀を睨む。他の家来も怯みながらも、光圀達を囲み震える刀を向ける。
「静まれ! 静まれ! この紋所が目にはいらのか!」
助が懐から取り出した三つ葉葵の印籠をかざす。
「この御方を何方と心得る、さきの副将軍、水戸光圀公であらせられるぞ!」
「一同の者、ご老公の御前である、頭が高い、控えおろう!」
助と角の言葉に、皆刀をしまい、地面にひれ伏した。
「水戸のご老公様 ・・・・」
村田も慌ててひれ伏す。
「代官、村田八重蔵! 其方が村の神を独り占めしようとしている事実、この光圀がしかと確認しておる」
「はっ! しかしそれは虚無僧が私に」
「その虚無僧との経緯も、しっかりと話してもらうぞ。 ひったてよ!」
村田はかつての家来に縄で縛られ、連れていかれた。
ギュウーーーーゥーー
揺れる篝火の中、狛犬の恨めし気な唸りが響いていた。
「さて、これからですね」
光圀は一息ついた後、離れの中に入って行く。外の狛犬は助と角が見張っている。
今は辛うじて抑えられているが、元霊獣クラスの妖だ、どのような危険があるか分からないので、二人で見張るように指示を出していた。
光圀が中に入ると、床の間に、左手を簪で打ち付けらた少年の姿が目に入ってきた。
床の間の前に張られている紐を脇差しの短刀で切る。
常人には見えないが、切った瞬間火花のような青い光がスパークした。
この脇差しにも三つ葉葵が刻まれ、暁宗とは比べ物にならないが、それなりの霊力がこめられている。
「天乃息、地乃息、天乃比禮、地乃比禮、 あまてらすのおおみかみ」
光圀は簪に手をかけ、ゆっくりと引き抜いていく。
簪が抜かれても、少年はまだグッタリとしていたが、朧気な瞳で光圀を見た。
「しばし待たられよ」
光圀は簪を持ち、離れの外に出、狛犬の前に立った。
「高天原に神溜坐す
神漏岐 神漏美の命以て
皇親神伊邪那岐乃大神
筑紫の日向の橘の 小門の阿波岐原に
禊祓ひ給ふ時に 生坐せる 祓戸の大神等
諸々の禍事罪戯を 祓へ給ひ 清め給ふと
申す事の由を
天津神 地津神 八百万神共に
聞こし食せと 畏み 畏みも白す」
白髪の老人は祝詞を読み上げると、一気に狛犬の眉間に神刺しを刺した。
ギャーーーギーーーーィィ!!!!!!
この世の物ではない咆哮が屋敷中に木霊する。
恐らく屋敷中の者達は、二度と忘れられない咆哮となっただろう。
狛犬の形が崩れていき、黒い靄となり、神刺に吸われていく。
カラン カラン
黒い靄が消え、神刺と暁宗が地面に転がった。
光圀は簪を懐から出した呪符でくるみ、助が暁宗を拾い鞘へとなおす。
「後、一仕事です」
光圀は再び離れの中に入る。今度は角と助も一緒だ。
少年はまだグッタリとしたまま、床の間にいた。先程と同じ態勢のままだ。
「オン・カンウンキャダヤ・バンジャ・ソワタヤ・ソワカ」
馬頭観音のマントラが離れ内に響く。
農耕には天候が大きく左右する。光圀達を足止めした長雨も農耕を司る馬頭観音様の眷属だからできたのではないかと光圀は考えたからだ。この長雨はわらしべ様からのSOSだったのかもしれない。
少年の身体が淡く光り出し、離れが幻想的な光に包まれた。朧気な瞳に光が蘇る。
少年が光圀に無垢な笑顔を見せる。光り出した身体はやがて透けていき、木札へと姿を変えた。
月と星を隠していた雲は流れ、夜の闇に光が蘇っていた。