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人柱

 高い木がそびえ立つ山の中、少女が木々の間をくぐり抜けるように走る。

陽はまだ高い時間だが、木々から伸びる枝に遮られ、少女の行く手を明るく照らす事はない。

少女は十を過ぎたような歳だろうか、時々転びながらも、賢明に起き上がり、とにかく下る方角に足を動かし麓を目指す。

 「おんみょうもう」

少女が小さく呟いた。

 「おん、みょうもう」

確認するように、もう一度同じ言葉を繰り返す。

普段使わない単語で、意味もわからない。しかし、自分に山を下るように指示をした女性に、麓で人に会ったら、この言葉を言えろと教えられた。

少女は何故自分が麓を目指さなければならないのか、理解はしていない。

山の上にあるのは神社だった。そこに数人の子供達がいて、食事も食べられ、暖かい布団でも寝られる。

ただ一つの、キツイ作業を受け入れれば、衣食住は保証されていた。

キツイ作業。十日に一度、山の神に祈りを捧げる作業だ。

掘られた穴に入り、首から上だけを地面からだして、神に祈りを捧げる。

この作業が終わる頃には、体中の力は抜け、思考も回らない。時折意識を失う事もある。中には、そのまま死んでしまう子供もいた。

そんな中、世話係のような仕事をしていた女性が、自分に山を下るように指示を出してきた。

今日は上の人達は、役人との話し合いがあるので、麓まで逃げられる。

女性は、このままでは皆殺される。いや、それ以上のひどい仕打ちを受けると懸命に説いてきた。

神社にいる子供達の中で、自分が一番体力もあり、足も早い。だからお願いするのだと言われた。

神社の中で一番優しい女性の言葉だから、少女は受け入れ、麓を目指す。

      ガウハッ   ウェェーー

少女の背後から音が聞こえた。何かの声のように聞こえるが、獣の鳴き声ではない。

 「も、もう来たの・・」

少女は声の主を知っているのか、ゆっくりと振り返った。

僅かにこぼれてくる光の中で、人が立っている。いや、人ではない。あえて例えるなら人と形容したほうがわかりやすい生き物だ。

手足があり、二足歩行で少女の方へと向かっていく。しかし両手の長さがアンバランスで、片方は地面まで届くかのように長く、片方はやけに短い。脚はガニ股で足の先が左右を向いていた。そして体中にヌメヌメしたような緑色の液体を纏っている。

      アァァ~~

そいつが少女のほうへと歩を進める。小さな木々や枝等を破壊しながら進む。よっぽど大きな木でないかぎり、向きを変える事はなく少女に近づいていく。

少女は恐怖しながらも、神社で教えられた祈りの言葉を唱え。両手を前方に突き出した。

少女の手に、収束された光が集まる。

ヌメヌメした長い手が、少女に触れようと光の先に届いた瞬間、異形の身体が膨れ、弾け飛んだ。

緑色の液体と、赤い鮮血が辺りの木々を濡らす。

返り血を浴びながらも、少女は再び走り出した。

 「おんみょ・・う・もう」

教えられた言葉を、再度繰り返す。

少女の視界に夕日に照らされた道が見える。険しい山を抜けたのだ。後少しで麓まで辿り着けるろう。

しかし少女の意識は切れかけていた。無理もない。一日近く動き詰めで、何も食べていない。

山を抜けた安堵感からか、足に力が入らず、ふらついてきた。

少女の意識が切れ、地面に倒れかけた。

彼女は薄れゆく意識の中で、地面の冷たさが浮かんだが、固い地面の感触は伝わって来なかった。

意識が落ちて行く中で、少女の視界に僧衣が視え、人の体温が伝わる。

 「おん・・みょうも・・う」

途絶えた意識の中で、少女は女性からの言葉を絞り出した。

僧衣を着た男が少女を抱き、立ち上がる。その背後にも、僧衣姿の二人の男がいた。

三人の僧侶は夕日を隠しつつある山頂を、険しい表情で見つめた。



 「ご隠居、この街道を抜ければ町にでれます。そこで宿をとりましょう」

 「そうですね。ここは龍野藩の管轄。確か城の建て替えを行っていると聞いてますが」

 「はい。火事で城が半焼したため、新しく立て替えているとか」

 「藩主の脇坂殿が張り切っているようですな」

 「それは、さどや立派な城ができるのでしょう」

光圀達は街道から城下町を目指し、近くにある村にたどり着いた。稲を刈り取った田んぼが見え、豊作とまではいかないが、まあまあの収穫があったように伺えた。

 「あの娘はどうしてる?」

 「ああ、庄屋様の家にいるらしいぞ」

田んぼで片付けをしている村人の、世間話が耳に入ってきた。

 「傷は無いが、着物が血だらけで、一体何があったのかのう」

 「さあな。事情を聴いても、おんみょうもうとしか言わんみたいだ」

 「何だべな、おんみょうもうって」

 「わしらじゃ分からん、庄屋様は知ってそうじゃったけどな」

陰陽網という単語が気になり、光圀達は村人の方へと歩み寄った。

 「失礼ですが、娘と陰陽網とは、どう言った話ですかな」

穏和な笑みで村人に近づく光圀。最初は怪しんでいた村人だったが、田んぼの作業を手伝ってくれる助三郎と角之進、それにカリスマ性の高い光圀の態度で、次第に心を許して色々と喋りだしていた。

 「ほう、娘さんは庄屋様の家の前で倒れていて、書状が帯に挟まれていたと」

 「んだ、見た者の話じゃ、着物は血だらけじゃったが、書状は白いままだったそうじゃ」

 「娘さんの具合は?」

 「まだ、床から起きられず、寝ているそうじゃ」

陽が傾きかけ、そろそろ町へ向かわないと暗くなってしまうので、作業を切り上げようという時に、、あぜ道から声がかかった。

 「おい、ここに見知らぬ娘が来なかったか」

馬に乗った偉そうな役人が一人と、数人の役人が長棒を持っている。馬に乗った役人は、威圧的な態度で、光圀達を見下ろしていた。

 「へい、数日前に庄屋様に家に」

役人の態度に委縮する村人が、正直に答える。

 「わかった」

役人は、光圀達を一瞥した後、急いでいるのか、庄屋の家へと向かった。

役人の後ろ姿を見つめる光圀の足元に、いつからいたのか黒猫が鎮座している。

白髪の老人は、顎髭を撫でた後、黒猫に笑みを浮かべ頷いた。

     ニャーー

黒猫は一鳴きすると、役人の方へと走って行った。

 「おめーさんら、今からじゃ町まで行くと、途中で暗くなるだ。良かったら泊まっていくか?」

村人は、旅の話を聞かせてくれと、光圀達に泊まる事を勧めてきた。光圀は村人の言葉に甘え、村に泊まる事となった。




 「妙な話でしたな」

旅の話をしながら村人達に、辺りの事を聞いていた。

村人達もそれぞれの家に帰り、光圀達は一軒の小屋を借りている。

 「神隠しですか」

数か月前から、ここいらの村で、子共が行方不明になっていると言うのだ。この村でも実際に消えた子供がいるという事だった。保護された娘も、神隠しの里から逃げてきた子かもと、村では噂しているらしい。

     ニャーー

光圀の横で猫が鳴いた。先程の黒猫だ。

黒猫は光圀に頭を擦り付ける。光圀がその頭を撫でると、猫が文へと姿を変えた。

 「さすが弥晴、見事な式ですな」

何度みても本物の猫にしか見えない弥晴の式に、角が感嘆の声を上げた。

白髪の老人は文を広げ、読み終えた後に顎鬚を撫でた。

 「何か様子がわかりましたか?」

 「ええ、役人は娘を置いて引き返したようです」

 「ほう、あの勢いでしたら、無理にでも連れていきそうでしたが」

文によると、無理に連れて行こうとする役人に、庄屋が今動かせば、命の危険があると引き止めたらしい。

 「役人にとって、死なれては困る娘という事ですね」

 「そのようですな」

助の言葉に相槌をうち、白髪の老人は再び顎鬚を撫でた。

 「明日、庄屋の所にいきましょう」

 「娘の様子を見にですか?」

 「怪我は無いようですが、血だらけだったという事でしたね」

 「恐らく、返り血でしょう」

 「娘が山中で獣を仕留めたという事でしょうか・・  無理がありますね」

角は自分の言葉を否定する。山に住む野生の獣を普通の娘が仕留められるとは思えない。では、どうして返り血をあびたかが分からない。

 「書状に答えがありそうですね」

 「血を浴びていない書状ですか」

 「庄屋は役人に書状を見せていないでしょう」

光圀は娘が持っていた書状は、娘についての事が記されていたと推理する。娘の素性は、自分達の命に関わる事だったと仮定すると、役人に書状の事は伏せていても不思議はないだろう。

謎の娘と役人、それと神隠しで消えた子供たち。光圀は、これらがどう結びつくのか、思案しながら顎鬚を撫でた。



 「娘は居たか?」

 「はっ、命の危険がある故、庄屋の家で保護しております」

 「逃げる心配があるのでは?」

 「あの衰弱ぶりですと、暫くは動けないかと」

家老、平賀康友の私邸の一室。村に来た役人、代官の佐久間十郎と平賀が小声で話す。

 「衰弱していたという事は・・・」

 「力を使ったものと思われます」

佐久間の横に座る、宮司のような出で立ちの男が口を開いた。 

 「山を下りるのに、力を使ったのでしょう。山中でバラバラになった四肢がありました」

 「娘があれをバラバラとは・・ 神の力か、道吟殿」

 「はい、神の力でございます」

平賀の言葉に、道吟と呼ばれた宮司姿の男が嫌らしい笑みを浮かべた。

 「手引きした女はどうされたか?」

 「はい、神童達に信頼がある女なので始末はしておりません」

 「そうか、神童は何人育った」

 「娘を入れて、五人です」

 「ほう、ではそろそろ城の礎、人柱のができるの」

 「はい、娘が回復したら直ぐにでも」

三人の男達が、揃って嫌らしい笑みを浮かべながら酒を口に運んだ。

 「女の始末は何時つける」

 「はい、神童達を城へ誘導させるまでは必要でしょう」

 「必ず口は塞いでおけよ」

 「心得ております」

道吟が頭を下げて頷いた後、心配気な顔で口を開く。

 「上様に神童達の件は御存知なのですか?」

 「伝えておらぬ、生贄のたぐいは水戸藩が禁じているからの」

 「大丈夫でしょうか?」 

 「心配はいらぬ。神童の人柱が上手くいけば、城は安泰。道吟殿の噂も裏の世界で響き渡るるだろう」

先の火事で藩に莫大な損失が発生した。また火災が起きれば破綻の恐れもある。防火に努めれば良いのだが、もしもの事を考え、平賀が道吟に相談した結果が、今回の人柱計画だ。

城に災いが起きないように、生贄として重要な柱の元に人を埋める。道吟はさらに強固な人柱とするために、神童を育てていたのだ。

 「お家安泰のため、全てはお家安泰のためじゃ」

平賀は、言葉を佐久間と道吟に向けながら、自分に言い聞かせていた。



 「お待ちしておりました」

光圀達が庄屋の家に訪れると、庄屋の利平りへいが自らが出迎えてきた。

利平によると、書状に旅の老人を装った高野山からの使者が来るから、娘を診てもらうようにと書かれていたらしい。

 「書状に私達の事が書かれてましたか、それは良かった」

光圀は書状が高野衆からの物と知り、角と助に高野山からの使いだと、話を合わすように目で合図した。

利平は客間に光圀達を案内し、書状は庄屋宛てと使者宛ての二通あった事を明かし、密封された書状を渡す。白髪の老人は、書状を受け取り目を通し始めた。

書状には、高野衆の秘術を盗んだ男、道吟を始末するので、手出しは無用という内容が書かれ。この件に関わっている藩の処分を任せる旨が記されていた。

 「では、娘の容態を診させていただきますよ」

光圀達は娘が寝かされている部屋へ通された。利平には高野山の秘密の治療なのでと退室してもらい、三人で眠っている娘の傍らに腰を下ろした。

 「高野衆に上手く使われた感じですね」

角が苦笑いを浮かべ、光圀を見た。

 「そのようですね。しかし我々がやらなければいけない事に違いはありません」

 「確かに」

三人は娘の状態を診て頷いた。

少女は薄く呼吸はしているが、痩せこけいて、肌の色も悪い。利平の話だと、目覚めないので食事を与える事ができず、濡れた布を口に入れ、水分を与えるのがやっとだという事だった。

助と角には見えないが、光圀の目には、少女を包む淡い光が見えている。光は揺らぎながら霧散していき、大きくなる事はなく少女を包み続けている。

光圀は娘の着物の前をはだけさせた。

色白の肌に、所々黒子ほくろのような斑点が見える。しかし色が黒色ではなく、緑がかっていて、盛り上がりが見える。良く見ると、肌に張り付いた苔のように見えた。

 「山の精に憑かれてますね」

 「山の精ですか・・」

 「しかも、不自然な憑かれ方です。人為的に憑けられたようですな」

山の精は人に憑りつき、子種に憑依し、人として産まれる。そして山からの誘いに目覚めた時に、山へと帰っていく。その後、山神になるか鬼になるかは定かではない。だから生きている人間に、山の精が憑りつくとはありえない。光圀は書状にあった高野衆の秘術がこれなのだろうと考えた。

 「取りあえずは、山の精の動きを止めなければなりません」

山の精を持って産まれた子供は精霊化しているので、人為的に人には戻せないが、後から憑けられた精なら、憑き物と同じなので何とかなるのではと光圀は考える。

 「オン・バサラダルマ・キリ」

光圀は千手観音のマントラを唱えながら、少女の足元からお腹、そして胸へとかざした両手の平を移動させていく。

少女の身体が時々、ビクビクと痙攣するような動きをみせが、目を覚ます事はない。

 「助さん、娘の鼻を掴み、口を開けさせてください」

助が言われた通りに、少女の口を開けさせた。

光圀はゆっくりと、胸から喉へと手のひらを移動させていく。 

   ゴボ!  ゴボ!

少女の喉元から、聞きなれない音が聞こえる。老人がタンをきるような音に似ているが、人が発せられる音ではない。

 「娘を横向きに寝かせてもらえますか」

角が少女の身体を少し持ち上げ、横向きに移動させた。

 「オン・バサラダルマ・キリ」

開けられた少女の口から涎が垂れる。しかし、人が吐く唾液の色ではない、薄い緑色の液体が小さな少女の口から流れてきた。

 「ご隠居、これは?」

 「山の精のものでしょう」

 「精が身体から離れたと」

 「いえ、水戸家の術では精を眠らせる事だけです」

水戸家には憑りついた山の精を祓う事はできない。しかし精を眠らせる事は出来る。眠らせるといっても睡眠をさせるわけではない、仮死状態のようにし、活動をやめさせるのだ。

少女が目を覚まさないのは、山の精が少女の回復力を取ってしまい、少女自身が回復できないでいるのだ。

光圀は利平を呼び、汚れた布団を変えさせ、回復するまで養生させるようにと指示をだした。

利平は役人が来た時の不安を口にする。利平宛の書状には、高野山の者が保護する娘なので、迎えが来るまで役人に渡すなと書かれていたらしい。信仰厚い利平は書状の指示を守り、役人に引き渡さすのを拒み、役人も少女の容態を見て、連れ帰らなかったらしい。 

 「庄屋殿、役人には上の者が対処しているでしょう。心配はいりません」

光圀は利平の心配に、安心できる笑みを見せた。

しかし利平の安心を裏切るように、翌朝、娘の姿が消えていた。




 険しい山道を三人の男が歩を進める。

三人共僧兵のようないで立ちで、道なき山中だが、立ち止まる事もなく山を登る。

慈按じあん澐鄭うんてい玄妬げんとの高野衆だ。皆、高野山の他、修行として数々の山を登ってきた。秋が深まり、気温が低く感じられても、極寒の山での修行をこなしてきた彼らには、これくらいの山で歩を止める事はない。

三人の前に細い道のような物が現れた。獣道ではなく、道というよりは、ある場所にたどり着くための目印という感じだ。

 「結界が張ってあるな」

澐鄭が微かに揺らぐ道を見て印を結ぶ。

人がこの山に入り込み、迷っても立ち入らせないように、道を分かりにくくしているのだろう。高野衆の三人だから道と判断できたのだ。

 「オン」

澐鄭のマントラで揺らぎが晴れ、道の先に鳥居が見えた。

鳥居の奥に広間があり、さらにその奥に建物が見える。

三人は躊躇する事なく鳥居をくぐり、開けた場所へと歩を進めた。

広間の先にやしろがありそうな場所だが、先に見えるのは、母屋のような建物だった。

     ウェ~  ア~~

母屋の後ろから、ゆるりという動作で人影が数体現れる。

足を引きずりながら迫って来る者、首を前に倒しながら来る者。皆、身体のバランスが歪で、四肢があるというだけで人に見えるが人間とは呼べない生き物達だ。十体以上はいるだろう。

     ウッ  ウッ  ウッ

緑色のぬめりを纏わせ、人でない者達が慈按達に向かっていく。

一体が手を伸ばし、澐鄭に抱きつきにきた。澐鄭は素早く左に避ける。人でない者は、そのままの勢いで背後の大木に衝突した。

       バキッ!   ボキッ! 

衝突の勢いで大木が折れ、横倒しになった。

      ウ~   ウ~~~

人でない者がゆっくりと振り返り、澐鄭を見る。大木に当たったからか、頭部から赤い液体が流れだし、ぬめりある緑色と合わさって、どす黒くなっていく。

 「成り者か・・」

慈按が哀れそうに呟いた。

 「道吟め、何人に呪術を施した」

玄妬が怒りの形相で、成り者と称された者を見た。中には小さな子供位の成り者もいる。

 「こうなれば、人には戻せぬ。哀れだが、仏の元へ導かんぞ!」

 「おう!」

玄妬が戟を持ち上げ激しく回す。澐鄭が独鈷杵を構る。慈按が法輪を成り者へと放った。

法輪が成り者の腕を切り落とす。しかし成り者は痛さを感じないのか、歪な声をあげながら三人へと向かっていく。

澐鄭が投げた独鈷杵が、一体の成り者の頭に突き刺さった。成り者は地面に倒れ、ひっくり返された虫のように四肢を動かす。

 「オン・マユラ・キランディ・ソワカ」

マントラを唱えながら、澐鄭が刺さっている独鈷杵に呪符を被せた。

成り者の身体から、水蒸気のように緑色の影が立ち昇り、霧散していった。

横たわる成り者は、歪な身体のまま木乃伊化みいらかしていく。

玄妬が戟を振るい、成り者の四肢を切り落とし、動きを止める。

手足が無くなった成り者は、もぞもぞと地面を這いずりながらも、高野衆へと向かう。そんな成り者の頭部に澐鄭が独鈷杵を突き刺し、呪符を被せていく。

 「哀れよな。輪廻で来世を幸せに迎えよ」

法輪で四肢を飛ばされた成り者に、早く楽にさせるようにと澐鄭へと視線を向けた。

 「道吟は、ここには居ないな」

 「ああ、城での儀式を早めたのかもしれぬ」

 「後は水戸家に任すしかないか」

 「悔しいが、仕方がない」

静かになった境内に、数体の木乃伊が横たわる。木乃伊は枯れた木々のように崩れ始め、やがて山へと帰るように、風にさらわれ消えていった。




 「娘がいなくなりました」

利平が慌てて、光圀の所へと駆け込んできた。

白髪の老人は、利平の慌てようとは反対に、落ち着いた様子で利平をなだめた。

 「娘の居所には、見当がつきます。心配はいりません」

光圀は、娘が消える事を予想していたようだ。もう出立の準備が整っていた。

利平には、後の事は私達で解決する旨を伝え、心配顔な利平達に見送られ村を出た。

 「ご隠居、娘は何処に?」

 「お城です」

光圀は今朝届いた、弥晴からの文を助に見せた。文には今日、城で大きな儀式がある事が書かれている。

 「儀式ですか」

 「さよう。火事が起きないようにと、起きても火が蔓延しないようにするための儀式でしょう」

 「祈祷ですか」

 「祈祷だけなら良いのですが・・」

山の精を憑けられた少女。その少女が攫われた理由。助三郎も、角之進も大方の予想がついたようだった。

光圀は歩を進めながら二人に頷き、そっと口を開いた。

 「人柱です」

水戸家は生贄等を禁じている。無論、人柱も生贄の部類に入るのでご法度のはずだ。しかし龍野藩はそれを実行しようとしているようだ。 

 「でも、どうして山の精を憑けた者を」

 「本物の人柱ですよ」

 「本物?」

助と角が顔を見合わせる。人を生贄にして城を護らせる人柱、その本物の真意がわからない。

 「人柱とは元来生贄ではないのですよ。人を柱にする。すなわち人を神にするのです」

光圀は人柱の柱の意味を解く。柱とは神を数える単位みたいなものだ。人ならひとり、ふたり。獣は一匹、二匹。そして神は一柱、二柱。人を柱、神とし家を護らせる、それが人柱だ。

常人を人柱にしても、ただの生贄だ。だが、山の精の力を持つ者を人柱にすると違ってくる。

 「人に山の精を憑かせて、神通力を会得した者を人柱として、より強固な柱にするつもりでしょう」

 「なんて事を!」

角が怒りで手を震わせた。庄屋の家で見た少女の姿を思い出したのだろう。山の精を無理に憑かせて、尚且つ人柱にするという行為、人の所業ではない。

 「神通力を持つ人柱。完全に輪廻の輪から外れ、城に束縛されてしまいます」

光圀は止まる事も無く、淡々と歩を進める。顔には出ていないが、内心はこみあげる怒りでやるせない気持ちなのだろう。いつもよりも歩く速度が速い。

 「娘を攫ったという事は、儀式の準備ができて、娘の命が尽きるまでに終わらせる裁断なのでしょう」

 「強硬に出たという事ですか」

 「ええ、高野衆が来た事で、早めたのでしょうね。私達も急ぎましょう」

城へと急ぐ三人に、背後の山から強い風が吹く。山の力を、人に利用される怒りの感情のように、光圀には思えた。

   



 「かえでよ、皆を誘導しろ」

道吟が、三十位の女性を睨みつけた。楓と呼ばれた女性の後ろに四人の子供がついてきている。

 「おまえがゆうを逃がした事は腹ただしいが、そのおかげで高野衆が来ているのがわかった。ハハハ」

代官の佐久間から、庄屋での娘、優の様子を聞いた道吟は、高野衆の動きを察知したのだ。 力を使った者が、道吟の介抱なしにいられる事はない。それだけ山の精の力は強力なのだ。

麓に辿り着いた優を、だれかが応急処置を施した。そんな事をできるのは高野衆しかいない。そう考えた道吟は、神社に成り者を潜ませ罠をはり、儀式を早めたのだ。

 「城に入れば高野衆は手が出せない。感謝するぞ楓。ハハハハハ」

道吟は嫌らしいな笑みで楓を見た後、再び声を出し笑った。

 「楓、神童達を掘られている穴へと連れて行け。私はこの祭儀場で待っている」

道吟は、横にいる佐久間に、楓を見張るよう目配せをした。

風水、陰陽術等を駆使して、道吟は城を護る為の場所に、子供が埋まってしまう深さの穴を五か所掘っていた。そこに柱を建てるという事ではない。霊的に計算された場所に神童を埋め、結界を張るような形で城を護るのだ。

 「楓様、今日はここで祈りの業をするのですか?」

人柱となる意味を知らない少年が、穴に入り上にいる楓を見た。楓は唇を噛みしめながら頷き、小さく震えながら「ごめんね」と呟いた。

城を囲むように掘られた穴へと、神童達を残してきた楓が、道吟がいる祭儀場に戻ってきた。

道吟の前には祭壇が組まれ、護摩壇で静かに炎が揺らめく。祭壇の下にも穴が掘られていて。覗き込めば横たわっている優の姿が見えた。

 「殿は、こちらに」

道吟の背後に椅子が組まれ、そこに藩主の脇坂が家老平賀と共にやってきた。

脇坂の位置からは、祭壇の下にいる優の姿は見えない。全て道吟と平賀の計算だ。

 「では、鎮守の儀式を始めます」

神主の衣装を羽織、道吟は粛々と脇坂達をみて、祭壇に向かい頭を下げた。

 「柏子見、柏子見、守護を願いたてまつる」

道吟の祝詞に呼応するかのように、炎が激しくなり、煙が高く昇る。

激しく揺れる炎に、道吟が護摩をくんでいく。

脇坂達には見えていないが、横たわる優の身体から、水蒸気のように緑色の影が揺らめき昇り始める。

緑色の影は、四方に掘られている穴のほうからも昇り始め、城の中を漂っていく。

道吟が、勝ち誇った笑みを浮かべながら、祝詞を続ける。

再度、道吟が護摩をくべた時、四方からの、緑色の影が勢いを無くしてきた。

道吟は訝しい顔になり、護摩の量を増やし、炎へと投げた。

 「そこまでです」

祭場の背後で声がした。皆が振り返ると、白髪の老人といなせな男、そして大男が立っている。

 「何奴じゃ!」

平賀が立ち上がり、三人を睨む。道吟から高野衆の話を聞いていたので、その手の者と判断したのだろう。

 「子供等は、穴から解放しました」

杖をつきながら、光圀が前に出る。

 「何!  曲者じゃ!!  出会え!  出会え!」

掛け声と共に、待機していた役人達がわらわらと駆け込んできた。

 「儀式を邪魔する不埒者じゃ!  ひっ捕らえよ!」

棒を持った役人、刀を抜いた侍達が次々と光圀達に襲い掛かる。それを掻い潜り、角が手刀で、助が峰内で倒していく。 

 「何をしておる! 早く捕らえよ!」

平賀が激を飛ばすが、次々と役人達は倒され、地面に倒れていく。

 「助さん、角さん、もう良いでしょう」

切りつけてくる役人を杖ではたいた後、光圀が二人へ目を向ける。

      静まれ!!

      静まれ!!

助と角が光圀を挟む形で、周りの役人に睨みをきかせた。

 「この紋所が目にはいらぬか!」

助が懐から三つ葉葵の印籠を取り出した。

 「この御方をどなたと心得る、さきの副将軍、水戸光圀公であらせられるぞ!」

 「一同の者! ご老公の御前である。頭が高い、控えおろう!」

助の言葉の後を角が引継ぎ、再び周りに睨みを効かせた。

 「ご、ご老公様!」

脇坂が慌てて光圀の前にひれ伏した。続いて、平賀、道吟、そして役人達がひれ伏していく。

 「家老平賀康友、そして道吟。其方等がやろうとしている事は、しかとこの光圀が見届けている。申し開きはあるまいな」

理由が分からない脇坂が平賀をみた。

 「脇坂殿、この二人は禁じている人柱を実行しようとしていたのじゃ」

 「な、何と!  誠が平賀?」

平賀は俯いたまま、唇を噛みしめた。

 「道吟、禁呪の罪で其方を捕らえる」

光圀は一歩進み、道吟を見下ろした。

 「もはや、これまで!  楓! 」

光圀の言葉を聞いた道吟が、楓の腕を掴み引き寄せ、彼女のうなじへと呪符を貼り付けた。

 「柏子見、精、急、道」

道吟が呪符へ、手刀を切るように払った。

城中に薄く漂っていた緑色の影が、うなじに張られた呪符へと吸い込まれていく。

楓の身体が小刻みに震え始めたかと思われた瞬間、一気に身体が膨張し、三メートルを超える人型の異形へと変化した。

人型と言っても、目鼻、口があるわけではない。ただ人の形をしている、緑色の化け物だ。  

 「ハハハハハ。水戸家といえど、こいつにはかなうまい」

異形の者の背後で、道吟が狂騒の笑みで笑った。

高野山の秘術、人と山の精の憑依の秘術。それは人ではない者、鬼を創り出す秘術だった。

じりじりと役人、侍達が主君を背後に護りながら後ずさっていく。そんな中、鬼の前に不敵な笑みを浮かべた大男が立ち塞ぐ。渥美角之進だ。

角は脚を広げ、両拳を腰の位置に構え、気を溜めていく。その間も角の目は鬼を睨みつける。

鬼が腕を上にあげ、そのまま、角をめがけて振り下ろした。角は右へと避けた後、腰の捻りを加えた右の拳を、鬼の脇腹へと叩きつける。

   ドーーン!

地響きが起こりそうな角の拳を、鬼は難無く受け止め、角を捕まえようと、両手で襲ってきた。

角はその巨体から、信じられない動きで跳躍し、鬼の頭に蹴りを入れた。

蹴りの威力で鬼が、少しふらついたが、態勢を立て直し、角を掴みに来た。角は鬼の攻撃を掻い潜り、背後から延髄蹴りをおみまいした。 

鬼が地面に倒れていく。

 「助さん、もういいぜ」

倒れていく鬼を見ながら、角が助に言い放った。どうやら角之進が、全力で闘いと思えるような鬼ではなかったようだ。

助三郎が素早く妖刀暁宗を抜き、うなじに貼られている呪符へと突き刺す。

暁宗のつばへと、緑色の揺らめきが吸い込まれるように消えいく。それと同時に鬼の身体が萎んでいき、枯れ木のような木乃伊になっていく。

やがて木乃伊は人型を崩しながら、山へ帰るかのように、風に運ばれ消えていった。

 「ご、ご老公様! 申し訳ありません」

静かになった祭儀場で、慌てるように脇坂が、光圀の前に再びひれ伏した。その他の役人、侍達、そして平賀も同じようにひれ伏す。しかし道吟の姿が見えない。恐らく鬼が出現した時のいざこざで逃げたのだろう。

白髪の老人は、結末がわかっているかのように、静かに息を吐いた後、遠い山の方へと視線を向けた。



 男が一人、街道から外れた道を急ぎ足で歩く。

時折、振り返っては、背後を確認し歩を進めて行く。

男、道吟は少し余裕がでてきたのか、口の端に笑みを浮かべた。

山の精を人に憑りつかせる秘術は、ほぼ手中にあると考えての笑みだ。そして術の成功率は大人よりも、子供のほうが高い。今回の人柱の件は失敗したが、得た者は大きいと道吟は思った。

この秘術があれば、どこかの藩、または宗派が自分を雇ってくれるだろうとも思う。

   シャリン!

錫杖のような音が、人気がない道で静かに響いた。

道吟は息を殺しながら、辺りを探る。

     シュン!

風を裂くような音がしたと思った瞬間、右腕に痛みが走った。目をやると右腕が無くなっている。

悲鳴を上げかけた時、態勢を崩し、地面へと前のめりで倒れこんだ。今度は両足に痛みが走る。

脚の方を見ると、両足の膝から下が無くなっていた。

激痛の中、誰かが近づいてくるのを感じ、首を上げ、荒い息を吐いた。

   シャリン!

慈按が血の付いた法輪を持ちながら、見下ろしている。

 「こ、高野衆か・・・・」

 「安心しろ、血止めはしてやる。お前の術の成果を高野山おやまに報告せねばならぬからな」

 「後、神童達は我らが保護した。これはお前の成果の一つだな」

道吟は、薄れいく意識の中で唇を噛みしめた。

 「・・・所詮は高野山おやまの手の平の上というわけか」

   シャリン!

街道から離れた道で金属が擦れる音が響く。その音を風が静かに山へと運んで行った。





 























































 






 





















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