傀儡
田んぼに黄金の稲が生える。ずっしりと首を垂れ、豊作を実感させている。
「や、やめろ!」
のどかな田園風景とは似つかない、緊張した声が響いた。
「ね、年貢は待つ! だっ だから!」
二人の役人を取り囲むように、十人の村人が桑や鉈を握りしめていた。
村人達は皆無表情で、役人を取り囲む輪を、じりじりと縮めていく。
「や、やめてくれ・・」
村人達の腕が上がり、桑や鉈が役人達を照らす陽の光を遮った。
ウギャーーーーー!!!
ギャーーーーーー!!!
稲を揺らすかのような悲鳴が、田園にこだました。
当然、人家の方まで悲鳴は届いていただろうが、家から出てくる影すら見えない。
悲鳴は止み、ひたすら人肉や骨を砕く音が静かに響く。
村人が肥料をまくように、人の部位だったものを、これから耕していく畑へとまいていく。
違う村人が、桑で土を掘り返し、部位だったものを、土になじませていく。
「終わったかしら」
男に手を引かれた少女が、動きを止めた村人達を見た。
男の方は、この村の庄屋だろうか、それなりの着物を着ている。少女の方も、村娘というよりか、町の大店の娘のような赤い着物姿だ。
「お父様、皆を休ませてあげましょう」
少女の言葉に、男は穏和な笑みを浮かべ頷いた。
男の頷きが合図のように、村人達は無表情で、それぞれの家へと帰って行った。
「私達も帰りましょ、お父様」
男と少女は顔を合わせ、微笑んだ後、畑に背を向けた。
人が消えた畑に、鴉が数羽舞い降り、畑の土を掘り返す。
カァーー
ひと鳴きした鴉達が、肉片をくちばしに挟みながら、傾きかけた陽へと、翼を広げ飛び立っていった。
「何故年貢が徴収できぬのじゃ!」
代官屋敷で、代官の粟田正二が激怒した。
「申し訳ありません。しかし徴収に行った者が戻らぬのです」
「それはおかしいだろう」
「おかしいのは、あの村です」
部下の者は、村についての説明をした。
村は少し前まで廃村だった。その村にいつの間にか人が入り、田んぼを植え、畑を耕しだした。そして庄屋らしき者もいる。
村ができた事で、役人が調べに行った時、庄屋らしき男と話をし、年貢の事も指示したという。その時の村人の様子は、誰一人喋らずに挨拶すらなく、黙々と畑仕事をする人形のようだったという。
「これで帰って来ない者は八名になります」
「うぬぬぬ、少数で行くから駄目なのじゃ。次は其方が十人位引き連れて行ってこい」
「わ、わかりました」
部下は、あの村に関わりたくないのだろう。苦い表情で頷いた。
「儂もご家老様に取り次いでもらい、上に報告しておく」
「で、できましたら、代官栗田様が直々に同行された方が、早く解決するのではありませんか?」
「うむ、ご家老に報告後、儂が行って解決すれば、儂の株があがるやもしれぬの」
「はい」
「わかった、役人は二十人以上は集めておけ」
「二十人!」
先程は十人と言っていたのに、自分が行くとなると、人数を増やす上役に、部下はあきれ顔になった。
「儂が行って、失敗しましたは許されん。わかるな」
「はい」
「歯向かう村人を、数人殺してでも、年貢は納めさせねばならんのじゃ」
部下は数年前の飢饉の時、栗田が村人を殺めて、年貢を徴収したのを思いだした。あの時栗田はまだ役人頭で、その時の年貢徴収で出世したと聞いている。
栗田は、これからの自分の役職を想像したのか、黄ばんだ歯を部下の者に見せた。
「陰陽網からですか?」
「うむ」
白髪で、髭を蓄えた老人が頷いた。水戸光圀だ。
光圀達は旅先の旅籠で、陰陽網からの雀を受け取った。
陰陽網とは、日本全国に張り巡らせられた、怪異の報告を請け負う機関だ。政や寺等の権力が関わる所は水戸藩が、庶民に関わる怪異は高野衆が対応する決まりはあるが、臨機応変で対応する時もある。
「で、何と書かれているのですか」
見た目は細身で色男な人物が、雀から手紙へと変化した文を受け取った。
佐々木助三郎だ、着痩せするタイプなのだろう、見た目は細いが、今でいう体脂肪が無い身体で、貧弱という事ではない。妖刀暁宗を使い、妖魔を退治する光圀の腹心だ。
「式を飛ばして来たからには、余程の用事でしょうか」
二部屋続かせた、旅籠の部屋を狭く感じさせる程の大男が、冷めた茶を入れ替えた湯呑を、光圀の前に差し出した。
渥美角之進だ、あらゆる武術に精通しており、強い妖と素手で闘うためだけに、光圀に仕えていると言っても良いほどの格闘家だ。
「廃村に人が住み着き、蘇ったそうだ」
「良い事ではありませんか」
「それだけなら良いのじゃが・・・」
光圀は髭をさすりながら、助三郎を見た。助は手紙に目を通すと、眉をしかめて頷いた。
「年貢を徴収出来ない・・・ですか」
「藩主の忠海殿が、陰陽網に頼んできたらしいのう」
「と言うと、妖からみですか?」
大男は嬉しそうに唇を吊り上げた。
「徴収に行った代官が帰って来ぬそうじゃ」
「代官自ら徴収ですか」
「戻って来れた役人は一人だけ、その役人が言うには、あそこの村人は人間じゃない。と」
「ほうー」
ますます角の唇は吊り上がる。
「ここから近いですから、明日の朝に旅立ちましょう」
陰陽網からの文だけでは、情報が少なすぎる。妖の仕業としても、どんな妖かも分からなければ対処のしようがない。光圀は村に行って、情報収集することを二人に伝えた。
「弥晴!」
ニャー
いつからいたのか、黒猫が光圀の前で鎮座していた。
「代官屋敷の調べ、城の内情もお願いいたしますよ」
ニャー
猫は一鳴きした後、旅籠の窓から飛び出していく。
秋風の涼しさを演出するように、薄い雲が満月に近い月をそっと隠していった。
日差しが弱まり、冷えた空気を風が運んで来る。
夕方と呼ぶにはまだ早い時間に、光圀達は目的の村にやってきた。
田んぼは稲を垂らし、畑には実をつけた作物が見え、これから耕すであろう畑には、鴉が土を掘り返している。
しかし、実をつけた作物は収穫された気配はなく、無造作に土の上に落ちたままになっていた。
「豊作過ぎて、収穫していない実というわけでは無さそうですね」
助が畑に近づき、様子を伺う。
「もったいないですね」
光圀も土の上でしおれている作物を見た。
「お爺さん達、何してるの?」
不意に背後で女の子の声がした。光圀達も近づく気配に気付いていないわけではなかったが、あまりにも静かすぎる気配だったので、様子をみるために、気付かない振りをしていた。
三人が振り返ると、男と少女が手を繋いで立っていた。二人とも、穏やかな笑みを浮かべている。
「いやいや、これは失礼。作物が収穫もされずに落ちているので、勿体ない思いで眺めていました」
「収穫は終わったのよ」
少女が口を開いた。決まったセリフ回しのような喋り方だ。感情がない。
「こんなに残してですか」
「食べる分だけ収穫するの」
「食べる分だけですか?」
「そう、残りは土に帰り、また芽を出し実をつけるのよ」
感情が無かった声音だが、土に帰り辺りから、少し言い方が変化した。寂しげな、または儚げな感情が入っているように思われた。
「旅の方ですか?」
「はい」
「この先、宿屋がある町までは距離があります。良かったら泊まっていかれますか?よろしいですよね、お父様」
また、セリフ回しのような喋り方に戻っていた少女が、手を繋いでいる男の方を見上げた。男は穏和な笑みを崩さず、静かに頷いた。
「それは助かります。お言葉に甘えさせていただきます」
光圀は男の方に返事をしたが、男は笑みを浮かべて、再び頷いただけだった。
男と少女は、手を離す事なく、村落の方へ歩いて行く。その後を光圀達が続いて歩き出した。
途中の田畑に、人の姿は見えない。先に見える集落にも見えない。
「他の人の姿が見えませんな」
「皆、朝早く働いて早めに休むのです」
「ほう、まだ陽が見える時間なのにですか?」
前を歩く二人は、立ち止まる気配はない。
「陽が沈むまで働かなくても、作物は実りますから」
セリフ回しのような喋り方が聞こえてきたが、少女が振り返る事はなかった。
日差しはあるが、暖かみが感じられない村。村人は家で休んでいると言われたが、生活感が見えない村落。そんな村落へと光圀達は入って行った。
「お茶をどうぞ」
部屋に通された光圀達の前にお茶が運ばれてきた。
「恐れ入ります」
光圀は湯呑に手を伸ばし、口にあてた。
「結構な住まいですね」
「ありがとうございます」
村で一番おおきな家の一室。お世辞ではなく、家というよりは屋敷と表現するほうが良い位の広さだ。
他の家もしっかりとした造りで、百姓の家とは思えないものだった。
使用人はいないのだろうか、お茶を運んで来たのは少女で、男の方は姿が見えなくなっている。
「ご主人はいかがされましたかな」
「はい、身体が弱いので自室で休んでおります」
「それは大変ですな」
「食事は後程に、ごゆっくりどうぞ」
ねぎらいの言葉に返事をせずに、少女は部屋を出ていった。
「妙な娘ですね」
少女が遠ざかっったであろう時に、角が口を開いた。
「ええ、村の内情をききたかったのですが、聞けませんでしたね」
「話してはくれないでしょう。それより、離れの戸に鎖が掛かっていましたね」
この屋敷の庭に離れがあり、戸に鎖で封鎖しているような感じだった。
「はい、何か違和感がありましたな」
「助さん、調べてもらえますか」
「わかりました」
使用人はいないと思われていたが、夜になると三人の女中が交互に膳を運んできた。豪勢とは呼べないが、しっかりとした食事だった。
「では助さん、頼みますよ。私と角さんは屋敷の主と話しをしてきます。もし襲われるような事があれば、相手が何者でも、躊躇せずに倒してください」
光圀と角之進は、助三郎への指示が主に気付かれぬようにするため、主の部屋へ向かった。
屋敷の中は静かで、女中達の気配も感じられない。皆が寝静まった真夜中のようだ。
「どうかされましたか?」
二人の背後で、少女の声がした。畑の時と同じ静かな気配だ。
「いやいや、ご主人に就寝の挨拶でもと思いましてな」
「お父様も、朝が早いので、もうお休みになられました」
「おや、さようですか。 で、お嬢様はお名前は何と?」
「幸でございます」
「幸さんですか、良い名ですな」
「・・・・ では、これで」
幸は名を誉められた事の対応に少し戸惑った後、自室へと足をむけた。
「幸さん!」
光圀は幸の背後に、静かだが、強い口調で声を掛けた。
「幸さんは、それで良いのですかな」
老人の言葉に、一瞬だけ足を止めた少女は、振り向く事をせずに歩きだした。
冷たくなった風が、助三郎の顔を撫でる。陽は落ち。村落の家々からは、物音一つしない中、助は薄い月明りを頼りに、目的の家を目指した。
お~~~
風に乗って、男の呻き声が聞こえる。例の家の方からだ。
「死にたいか!」
家の中から、怒号が届く。
あ~~~~~
「まだ、死なせてやらぬ! お前がした事をもっと後悔させてやる! 今日は残った耳をそいでやる!」
ギャーーーーァァ!!!!
呻き声が悲鳴に変わった。
助が中の様子を確かめようと、家に近づきた時、背後から空気を切るような音が襲ってきた。次の瞬間、助の鼻先を鉈の刃がかすめる。助は横に飛び、家から距離を置いた。
暗い家の前に、農民が鉈を持ち、助を見ている。何の感情もみせずに、ただ静かに助を見ている。
助は暁宗を抜いた。大刀より短い刀身が月明かりを受け、鈍く光った。
農民が、鉈を上へと振り上げ、助へと向かってきた。 速い! 人の動きではない。
助は水戸家で、妖相手に戦う猛者だ。これ位の速さに驚いて、切られる事はない。彼はそれ以上の動きで、暁宗を横に薙ぎ払い、農民の腕を切る。
バキ! キーーーン バサ!
農民の片腕が飛び、地面に落ちる。しかし暁宗の刀身が折れ、刃先から欠けていた。
痛さを感じないのか、農民が片手で鉈を振り上げ、助へと向かってくる。
助は重心を下げ鉈をかいくぐり、折れている暁宗を農民の腹に突き刺した。
農民はふるえながら後方へさがり、その場に倒れる。突き刺した状態で、暁宗の鍔に、黒い霧のようなものが吸い込まれていった。
「やはりな」
月明りの下に、簡素な人型の人形が倒れていた。光圀の言葉を聞いていなければ、農民と思い込み、手加減した攻撃をしていたら、自分の身を危険にさらしていたかも知れない。
ウギャーーーーーァァ!!!
家の中の悲鳴が大きくなった。人形との戦いを、中の者には気付かれている様子はない。
助は風通しのために開けられていた小窓から、そっと中の様子を伺った。
蝋燭の明かりの中に、裸の男が転がっているのが見えた。
両耳がなく、血だらけ顔は苦悶に歪んでいる。手足、指の関節はあらぬ方へ向いており、生きているのが不思議な状態だ。
「まだ殺さぬぞ! 明日は折れている足を切断してやるからな」
血だらけの男を、鬼の形相で睨みつけていたのは、穏和な笑みを浮かべていた屋敷の主だった。
助は人形を物陰に隠し、その場を離れた。
ハハハハ ハハハハハハハハ
主の狂った笑い声が、冷えて来た空気を揺らすように響いていた。
「陰陽網からの返事はまだか!」
城で家老の伊江出斬裕が、家来へと声を荒げた。
「はっ、まだでございます」
「水戸家は何をしておるのじゃ」
家来の返事に、斬裕は顔をしかめた。
代官の栗田は斬裕が推挙した男だ。可愛がっているという事ではなく、利用しやすい男だからだ。
栗田が搾り取った年貢を、斬裕は自分の采配で横流しをし、私腹を肥やしているのだ。
その栗田から、年貢の件は自ら徴収に赴くので、面倒ごとはもみ消してくれという報告があった。
面倒ごととは、村人を殺してでも徴収するので、その後の処理と出世の事だ。
以前も代官になる前の栗田を使い、飢饉の中で徴収を行った彼を代官に引っ張りあげた。
「殿! 水戸藩を待つ余裕はありませんぞ、このままでは年貢を納めない村が他にも出るやもしれません」
上座に座る忠海は、斬裕の言葉に渋い顔を見せた。
「殿、見せしめが必要です。例え妖の村でも、我が藩の精鋭なら大丈夫です」
斬裕は自分の為に藩の軍を動かそうとして、忠海を丸め込もうとしている。
「わかった、斬裕がそこまで言うのなら、其方にまかせよう」
忠海は斬裕の本性を知らず、藩の財政を任せられる家臣と信用していた。その斬裕の言葉に忠海は逆らえず、軍を出す決断をした。
斬裕は忠海の言葉に平伏したが、畳に近づける顔には、いやらしい笑みが浮かんでいた。
翌朝、 城から百人近い兵が出ていく。まるで戦のようだ。
集団の後方に斬裕の姿が見える。普通なら、この徳川の時代、家老自ら兵の混ざり、出兵する事は無いはずだが、彼には一つ気がかりがあった。
「儂は、代官の屋敷で待機しておる」
家老の出兵に、役人達はピリピリとしているが、士気も上がる。しかし斬裕の目的は代官の栗田に預けている裏帳簿だ。兵達が村から徴収している間に、裏帳簿を回収する狙いだろう。
「吉報を待っておるぞ」
斬裕は、代官屋敷の門の前で、三分の二の兵を送り出した。相手は妖かもしれない、精鋭を送り出しているが、もしもの時に自分を護る兵もいる。常に自分本位の人間なのだろう。
「まあ、あの兵力なら大丈夫じゃろう」
村へと向かう兵士達の背中をみながら、斬裕は不適な笑みを浮かべた。
「客人方、役人が攻めてきてます。巻き沿いになりますので、裏山の方へ逃げて下さい」
幸が慌てる事なく、連絡事項を述べるように、部屋にいる光圀達に伝えた。
「役人が? 何故ですかな?」
事情は把握している光圀は、知らぬ顔で幸を見た。
「あらぬ罪を、この村にきせているのです」
「あらぬ罪とは?」
「時間がありません、さあ、こちらからお逃げください」
光圀の質問をはぐらかすように、少女は光圀達をせかし、裏口へと連れていく。
「ここから山へと抜ける道があります」
少女から追い出すように外に出された光圀に、幸は悲し気に目を伏せながら裏口を閉めた。
追い出された光圀の前に、いつの間にか黒猫が鎮座している。
光圀が猫を抱き上げると、文に変化した。
「そうゆう事ですか」
白髪の老人は、文に目を通した後、顎鬚をなでる。
「弥晴、この事を忠海殿に伝えてくれますか。私達は代官屋敷に向かいます」
一鳴きした黒猫は光圀から離れ、山の方へと姿を消した。
「ご隠居、やはりあの娘も」
「そう、傀儡です。しかも外法により、人の魂で動かされ、幻術で人の姿に見せているのでしょう」
傀儡師が傀儡を操るのは、通常は式を使い傀儡を動かす。高度な傀儡師は幻術を用い、常人には傀儡だと悟られないほどの精度だという。しかし、この村の傀儡は、ほぼ全員が式ではなく、雑多な霊を用いて動かされていると光圀は言う。しかも幸だけは、時々自分の意思を認識しているようだとも付け加えた。
「裏が深そうですね」
光圀は山の遥か上に昇った陽を見て、険しい表情を見せた後、代官屋敷の方へと歩き始めた。
「脚を切れ!」
村で村人と戦う役人が叫ぶ。
強者を集め、村に来た兵士の数は十人まで減っていた。
鉈や桑を持つ村人と切り合いになった時、兵達は直ぐに片が付くと思っていた。
しかし、村人は腕を切られても、腹をきられても、平然と襲い掛かってくるのだ。しかも、兵達の刃こぼれが激しく、大刀が折れてしまい、小刀で戦っている者も多い。
そんな中で、一人の兵士が、首を切られても起き上がる村人が、両足を付け根から切り落とせば、歩けなくなる事に気付いた。
足を切られた村人は、その場でジタバタするだけで、襲いかかれないのだ。
兵達が勝機を見出したと思った時、場違いのような赤い着物の少女が戦場に入ってきた。
「貴様も妖であろう!」
強気になった役人が、刀を水平に持ち、少女の脚を狙い襲い掛かる。
ヒュン!
精鋭の一太刀が空を切る。瞬間、頭上の陽の光が遮られた。
少女、幸が飛び上がり、そのまま落下しながら、兵士の頭に鉈を振り落とした。
兵士は頭に鉈を刺したまま、地面に倒れ込んだ。
「妖め!」
残った精鋭達が次々と、少女へと切り込んでいく。
しかし、幸はどの兵の刃も掻い潜り、落ちていた刀で兵達を倒していった。
「終わったかい」
「終わりました」
血臭漂う村の中で、穏和な笑みで主が少女の肩に手を置いた。
「こちらも、代官が死んでしまいました。もっと苦痛を与えたかったのに」
「もう、終わりましょう、お父様」
「いや、まだだよ。もう一人親玉がいるからね」
主は、死体が転がる村で、場違いな笑顔で少女の頭を撫でた。
「おのれ! 何奴じゃあ!」
代官屋敷で、斬裕は荒げた声を上げる。
「ハハハ、年貢を納めるのは伊江出斬裕、あなたですよ」
「何を言っておる、この田舎爺が! 者ども! 曲者じゃ! ひっ捕らえよ!」
見張りの役人達を次々となぎ倒し、光圀達は部屋でくつろいでいる斬裕の所へやって来た。
「大事そうに、懐に入れているのが、裏帳簿ですね」
「な、な、何を言っておるか! 者ども妖の仲間じゃ、早く捕らえよ!」
残っている精鋭部隊が、次々と現れ、光圀達に刃を向ける。
睨みあいの中、斬裕は兵に囲まれ、庭へと逃れる。
キェェェェェ!
兵達が光圀達に、襲い掛かってきた。それを角之進が素手で薙ぎ払っていき、助三郎も、大刀を抜き峰内で対応していく。
ヒュン!
荒れる代官屋敷の庭に、塀を乗り越え、赤い着物の少女が跳び込んできた。
ギェーーー! ウヮーー!
少女は斬裕を取り囲んでいる兵達を瞬殺していく。
「おやめなさい、幸さん!」
震える斬裕の首元に、刃をあてる幸の動きが止まる。
「殺しは幸さんの本意じゃないでしょう」
光圀はゆっくりと、少女へと近づいて行く。
「幸! 何をしている」
主が庭へ入って来た。目は血走り、口からは血が混じった涎が垂れている。とても常人には見えない。
「幸、そいつが一番の黒幕じゃ、殺せ」
「やめなさい幸さん」
葛藤の中、少女の手が震えている。
「幸!」
主が胸元で印を結び始めた。
「やはり外法か」
光圀が呪符を取り出し、主へと放つ。
グワーッ
呪符は主の指に絡まった後、碧い炎を放ち印の紡ぎを止めた。
助が素早く動き、幸の小刀を持つ手を、暁宗で打った。
幸は小刀を放したが、後ろに跳びのき、光圀達と距離をとる形となった。
ウォーーーーーーー!
幸が突然吠えた。
目が赤い光を放ち、小刻みに震えている。
「間に合いませんでしたか」
主の印が紡ぎ終えた後に、光圀の呪符が絡んだのだろう。
「幸! 皆を殺せ! 全て殺せ!」
主が真に鬼の形相で、空へ叫んだ。幸に言うでもなく、この世の全ての者に言うように。
「助さん! 角さん!」
光圀の言葉で、助と角が幸をはさむように対峙する。斬裕は腰が抜けたのか、その場でへたり込み、動けないでいた。
シャーー
幸が助走もつけずに、その場から跳び上がり、助へと襲い掛かる。助は大刀を横にはらう。幸は右腕で刀身を受け、左腕で正拳を助へと叩き込んできた。助は大刀を離し横へ逃げる。幸はそのまま前方へと走り抜ける。走り抜けた幸の前に角が回り込んでいた。
幸は勢いを止めることなく、角へと体ごと当たっていく。角は足を開き、踏ん張りをきかせ、正拳をカウンターで打ち込んだ。
バキッ!
赤い着物の少女が宙に舞う。やがて地面へと落下し、砕けるように手足が外れ動かくなった。
「さちーーー!!!」
主が倒れている幸を抱き上げ泣き崩れる。抱き上げられた幸は手足がない、簡素な人形だった。
「御老公様!!」
藩主の忠海が、顔を引きつかせながら、代官屋敷の庭に飛び込んで来た。
「この度は、申し訳ありません」
斬裕は白髪の老人の前で膝まづく忠海を見て、再度白髪の老人を見た。
「と、殿、この方は?」
「斬裕、控えろ! こちらは副将軍の光圀公であらせられる」
「な、なんと」
斬裕は慌てふためき、その場で膝まづいた。
「家老、伊江出斬! 其方の罪はその帳簿が全て物語っておる」
光圀は斬裕の懐にある帳簿に指をさした。斬裕は唇を噛みしめ、地面に頭をつけた。
「忠海殿、政は民をないがしろにしては成り立たぬ。飢饉の時にこそ、知恵をしぼり、民を護るのが藩主じゃ」
「はっ、申し訳ありませぬ」
「しかと部下の管理を行うように」
「はっ」
忠海も地面に額をつけた。
光圀は呆然と人形を抱き上げる主に近づき、抱き上げられた人形に、そっと札を貼り印を結ぶ。
「ナウマク・サマンダボダナン・バク」
釈迦如来のマントラを唱え、再び印を紡いだ。
「お、お とう さ・ま」
「・・・幸」
人形の顔が幸の顔になり、口を開いた。
「主さん、幸さんを逝かせてやりなされ」
「・・・・」
「このまま、魂を人形に留めては、輪廻の輪に乗れなくなります」
主はそっと幸の顔をなでた。
「お とうさま、か かなしま ないで」
「幸・・ すまなかった」
幸は主の言葉に微笑み、目を閉じた。
「ナウマク・サマンダボダナン・バク」
光圀が再びマントラを唱え、印を紡いだ後、幸の額に指をあてる。
幸の顔が、乱れた映像のように、幸の顔から人形の顔へと変化していった。
少女の身体から、薄い光の影が浮かび、昇るように上がっていく。
「オン・カカカ・ビサンマエイ・ソワカ」
地蔵菩薩のマントラが静かに響き、光の影はさらに薄くなり、蒸発するように消えた。
「地蔵菩薩が幸さんを導いてくれるでしょう」
光圀の言葉に主は、茫然と空を見上げた。
「ところで主さん」
「・・・はい」
シュッタ!
光圀は顔を見上げた主の額に、素早く呪符を貼った。主は呪符を額につけたまま動かくなり、虚ろな目で何もない空間を見つめている。
「オン・シュチュリ・キャラロハ・ウンケン・ソワカ」
光圀は主の顔前で手刀を切り、大威徳明王のマントラを唱えた後、印を紡いだ。
ギギギ・・ギャ・・ ウッ ウッ
主が身体を小刻みに揺らしだし、おかしな擬音を発しながら、口を大きく開けた。
レ・・・ レギ ャ ローーーーー
擬音と共に、主が舌を出す。 長い舌だ!
口を開けた主は、無造作に舌を出したまま動かない。
だらりと下がる舌に、陽の光を受けた唾液に混じり、呪符が縫えられていた。
「主さん、やはりあなたは・・ 助さん!」
助が刀で舌を切り落とした。 舌は地面で蠢くような動きを見せる。
ザン!
刃先がない暁宗を、助は素早く抜き、蠢く舌に突き刺した。
黒い靄が鍔に吸収されていき、舌は動かなくなる。同時に主の身体も地面に倒れた。
「ご、御老公様、これは?」
予期せぬ事態に、忠海が狼狽しながら口を開いた。
「死人です」
「この男は、死人だったのですか!?」
光圀の言葉に、忠海は顔色を無くし、倒れている主を見つめた。
白髪の老人は、主の亡骸と幸だった傀儡を交互に見た後、前に聞いた名を思い出した。
「隋風・・・」
南光坊天海の昔名を名乗る僧侶。死人返りの呪詛を見ると、この名が頭を過る。しかも術は確実に進化していて、これほどの死人返りの術を使える者は水戸藩、高野衆にもいないだろう。
光圀は傾いたきた陽を見上げて、目を細め、そっと息を吐いた。
死人返り、傀儡、幻術。これらの呪術でこれから何が起きるのか、光圀にはまだ予測できない。しかしこの平和な徳川の世を乱そうとしているのは確かだ。
ざわつく思いを押さえ、光圀は主と幸だった傀儡を共に寝かせた。
夕日が差し込む代官屋敷に、哀れな二人を救うための、般若心経が響いた。