百鬼夜行
山の奥深い場所で、人間と人間でない者が対峙している。
人間は屈強な体つきの男だ。背丈は二メートル近いだろう、太い首に太い胴、そして太い腕に太い脚。ボディビルダーのような、絞られて造られた、逆三角形の身体ではない。格闘の為の身体だ。
人間でない者は異形の者。 鬼だ!
鬼は男よりも頭一つ分、背が高いだろう。しかし線が細い。
線が細く、異様に手が長い。肘の関節が太もも位の所にあり、伸ばせば手が地面についてしまうのか、やや肘を曲げて、長い指も曲げている。
頭部には僅かばかりの毛が生えていて、頭の皮を突き破るように、角が三本、不揃いに伸びていた。
鬼と対峙している男の顔に恐怖心はない。出会い頭で鬼に遭遇したという事ではないようだ。
そう、男は鬼を追って、この山奥に来たのだ。
春に近づいても山の温度は低い、しかも今は夜。深夜と言ってもいい時間帯だ。
しかし男は上半身裸で鬼の前に立つ。裸の身体から闘気が湯気のようにたっているような幻が見える。
それほどまでに男の闘気がみなぎっている。
冷たい風が、男の身体を冷やすかのように、強く吹いた。
それが合図のように、男が弾かれるように鬼へと動いた。
一気に間合いを詰めると、正拳、正拳からの肘打ち。そして足技。
足技は太い男の身体からは、想像もつかないしなやかな蹴りだ。
ムエタイのような華麗な足技。しかし、強力な蹴りだ。常人がこの蹴りをくらえば、吹き飛ばされ、骨が砕けてしまうだろう。
男の連続技を、鬼は長い手で起用に受け止める。男の技を受けても、骨が折れる事はない。
男が少し、鬼からの間合いをとった。
男にとって鬼との闘いが、これが初めてではない。過去五回鬼と闘い、殺してきた。
五体とも、決して弱い鬼ではなかった。皆、地元の猛者を、返り討ちにしてきた鬼達だった。
男はそれらの鬼を殺してきた強者だ。しかし今日の鬼は過去の鬼とレベルが違う。
「ふっ! 気に入った」
男が少し口元を緩めた。探し物をしていて、店先でそれを見つけた感じだ。
男が再び動いた。低い位置から右蹴りを頭部へとぶち込む。そして瞬時に左の蹴りが入る。
双竜脚。身体全体のバネと、強靭な筋力がないと繰り出せな技だ。
しかし鬼は右脚の一撃をくらっても、左脚の攻撃はくらわず、手で男の左脚を掴んだ。
男は左脚を掴まれながらも、身体をひねり、右脚を鬼の頭部へと放つ。
鬼はその右脚をも掴み、長い腕を上に上げ、男を逆さ宙吊りにして、地面へと叩きつけた。
「グフ!」
常人なら首の骨が折れ、即死の状態だっただろうが、男は血を吐きながら立ち上がり、鬼に血のついた唾を飛ばした。
鬼は人を喰らう。人の血を感じた鬼が、男を長い腕で掴み、一気に首筋へと喰らいついた。
男が鬼に喰われる。喰われていく男は自分の意識がなくなるまで、何か呪文のような物をつぶやく。
男がつぶやく呪文が、暗い山林へと吸い込まれていき、やがて聞こえなくなった。
月明りに照らされた血だまりの中に、鬼が立っている。
細かった長い腕が、先程よりも太くなっていた。
「ま・・ず、一鬼・・」
舌足らずな言葉が、異様に山に響いた。
鬼は月明りが届かない、山の奥へと消えていった。
「姫路藩から依頼ですか?」
四国から備前へと渡り、九州を目指そうとしていた光圀一行に、陰陽網から知らせが入った。
「姫路藩、確かご隠居の甥、本多忠国様が治めておられる所では」
「ふむ、そうじゃのう」
助三郎の言葉に、白髪の老人は顎鬚をなでた。
「どういう事案でしょうか」
角之進も光圀の親族からの事案が気になるのだろう、酒が入った湯呑を置いた。
「人食いの妖です」
「妖ですか」
光圀の言葉に、角が唇を吊り上げた。この大男は、妖と闘えると考え、喜びの表情を浮かべたのだ。
「姫路城には、昔妖怪か出たと聞いていますが」
「滝本又三郎が倒したと記述に残っている妖怪ですね」
助の問いにスラスラと返答する光圀。各地の妖魔がらみの記述は、殆ど頭に入れているのだろう。
「その妖怪と関係があるのでしょうか?」
「確かめるためにも、行かねばなりませんね」
「はい」
光圀達は備前へと渡った後、長雨に巻き込まれ、今の宿場町に二日間足止めを喰らっていた。そこに陰陽網からの知らせだ、光圀はこれを天啓と考えたのだろう。この長雨がなければ、今頃は九州に近づいていて、姫路からはかなりの距離になっていたはずだ。
長雨も少しずつ弱くなってきて、西の方は雲が薄くなっている。一行は明日の朝には旅立てると考え、早めの床に就いた。
「水戸藩には連絡がついたかのう?」
本多忠国が家臣の前で、心配げな顔を浮かべる。
「陰陽網の知らせは迅速です。もうご老公様の耳に入っている頃かと」
「そうじゃと良いがのう」
忠国が水戸家の退魔を早急に願うのも無理はない。この十日の間に、城の者が十六人も喰われてしまった。
始まりは、夜の庭見回りの者が姿を消し、右脚だけが堀に浮かんでいるのを発見された。
一人での見回りは危険と考え、二人での見回りを始めてからの二日後に、右腕が二本、堀に浮かんでいた。
腕に自信のある者を募り、十三人の猛者が名乗りを上げ、城内の探索を始めた。
猛者達を三つの班に分け、探索を始めた最初の夜、五人組の班の猛者達が消息を絶った。翌朝、一人の首が堀に浮いているのが見つかった。後の者は肉片すら発見できなかった。
危機を感じ、陰陽網へ応援を頼んみ、残りの猛者八人を一つの班として見回りを続けた。
二日は何事も無く過ぎたが、三日後に片腕を食いちぎられた猛者が一人、命からがら逃げ伸びてきた。
生き延びた猛者がいうには、妖は鵺のようだったと伝えた。
鵺、猿の顔、狸の胴、虎の四肢、蛇の尾を持つ妖。所説により、部位の動物は変わるが、強靭な妖だ。
「幸い鵺は昼には現れません。それに城内に入って来た事もありません」
「・・・城の中は安全という事か」
「それと・・・餌の方も・・・」
家臣は唇を噛みしめながら、餌という表現をした。行方が分からなくなった最後の猛者七人だ。
最初の五人で二日間は何事もなかっ。恐らく三日位は大丈夫だろうと思われた。
「三日の内に水戸家は来てくれるかのう」
忠国は、家臣達には普段見せない弱気な顔で、天井を見つめた。
「すみません、ご隠居」
山の中の廃墟で、助が光圀に頭を下げた。
「何を言うのですか、雨はしのげて、火も起こせる。申し分ない家ですよ」
「しかし、私が道を間違わなければ、宿場町に着いていたはずですから」
「ははは、助さん。酒はないが、美味い猪肉が手に入った。宿じゃ味わえねえよ」
宿場町までの行くのを諦めた一行は、廃墟で一晩明かすと決めた。廃墟だが、囲炉裏はしっかりとしていて、暖もとれる。
角が食材を調達してくると山に入って行き、猪を仕留めてきた。味付けは野宿の為に用意していた塩のみだが、角の調理が上手いのか悪くはない味だ。
「ご隠居、山の奥で感じたのですが、この山に何かいますね」
「ふむ、角さんも感じましたか。山の妖精みたいなものでしょうが、かなり強いです」
「私の暁宗も、何か瘴気を吸い込んでる感じですな」
三人は山の異様な様子を感じていた。山には色々な気が集まる。その気が人型をとった物が妖精となり、小人もいれば猿人もいる。それらが発する精に惹かれて様々な妖魔が集まって来る。彼らは結界をはり、人が入り込めない領域を作る。人の世界ではない所だ。神聖な場所、同じ山なのに違う次元にある場所。そういう場から流れてくる精を光圀達は感じているのだろう。
「山の精でしょう。人に害を及ぼすなら我々が出なければなりませんが、大丈夫そうです」
「そうですな、この辺に人がいるとも思えませんし」
「明日も早い事ですし、休むとしましょう」
山が完全に闇の支配に入り、夜行性動物が徘徊を始める頃、異様な気配が廃墟に流れ込んできた。当然光圀達もこの気配に気付いている。
「山が騒いでますね」
光圀は感じたままを口にした。山にいる生き物が騒いでいるのではない、山の存在自体が騒いでいるのだ。
「開けている所に何か見えます」
立ち上がり、明かり窓から外を見ている角が目をこらす。
昔に畑があったと思われる場所に、雨上がりの夜空から、薄く灯りを落としている。暗くて、少し遠いので見えにくいが、二体の獣が闘っているように見えた。
遠目だが、二体とも普通の生き物ではない、鬼か妖獣の類だろう。
しかし、ほぼ勝敗はついているのか、一体はぐったりしたまま、もう一体に捕食されているようだ。
捕食されている方の鳴き声か、恨み節か、何か呪文のような言葉が、風にのり光圀の耳まで届いてきた。
「これは!」
少し慌てながら窓に近づき、外の様子を確認する老人の目に、捕食を終えた鬼が佇んでいるのが見えた。
遠目だが、鬼が小刻みに震えているように見える。いや、震えているのではない、身体が変化してきているのだ。腕が先程よりも伸びて、地面に着きそうになっていた。
「どうされました、ご隠居?」
珍しく慌てた光圀を見て、助が声をかける。
「百鬼夜行かもしれません」
「百鬼夜行と違うのですか?」
助は魑魅魍魎がこの世を徘徊する怪異を口にした。
「はい、百鬼夜業とも書きます。究極の力を得る為の荒行です」
「究極の荒行?」
「行と言うよりも呪詛ですね。自分より強い妖と闘い、相手に自分を喰わすのです」
「喰われたら死んでしまうのでは?」
「はい、肉体は死にます。しかし喰われながら、相手の精神と身体を乗っ取るのです。喰われる事により、強い身体、新しい能力を得ていくのです」
光圀達の視線に気づいたのか、鬼は暗闇の奥へと吸い込まれるように姿を消して行く。
騒いでいた山が静けさを取り戻し、窓から入り込んで来る風が、小さく燃える囲炉裏の火を揺らした。
山の奥、人が寄り付かない、いや、入り込めない場所で、異形の姿をした鬼が座っている。
長い両手を起用に操り、印を結び瞑想しているように見える。
ヒュー
風が吹き、木々の葉を揺らし、鬼の髪を揺らす。
髪と言っても、髪の毛らしき物だ。頭部のいびつに生えた角の間に、雑草のように生えている。
シューーーーー
鬼が口から息を吐き出す。犬歯が伸び、口が上手くしまらないのか、呼気が漏れるような呼吸だ。
鬼は瞑想ではなく、記憶を確認している。
自分が何者で、何をしているのか。
「俺は・・・仰郭」
鬼は自分に言い聞かせるように名前を口にした。ガラガラと乾いた声、乾いてはいるが野太く響く声だ。
「力を得て、鬼の頂点に立つ」
《何の為に?》
自問する声が頭に響く。
「徳川の世を覆す」
《何故?》
「お家、再興・・・・ 仇・・・ いや・・」
思考が廻る。記憶が曖昧になってきている。様々な鬼や妖を吸収することによって、自我が不安定になってきているのだ。
鬼が天を仰ぎ、夜空を見る。過去の記憶が曖昧になっているが、最近の記憶はある。
山を通って行った旅人の話だ。旅人は姫路城に妖が出るらしいと噂していた。
「姫路城・・・・妖・・・・ 徳川を滅ぼす」
鬼は立ち上がり、ゆらゆらと山の奥へと姿を消した。
「ご老公様、お待ちしておりました」
目の下に隈をつくり、頬がこけた忠国が光圀達を出迎えた。
光圀達が到着したのは、猶予が予想された三日間の最終日だった。
三日間は大丈夫と予想はできても、確実ではない。その間の心労が忠国の姿に現れている。
「忠国殿、心労お察しいたす。で、鵺の状況は?」
「はっ、この二日間は姿を見せておりません」
忠国は、犠牲者が餌になっている事を伝えた。
「ふむ、完全に人の味をおぼえましたね、他の肉では囮にならないかも」
光圀は顎髭をさすり思案する。人間の味をおぼえた妖は人肉しか食べなくなる。他の動物で誘い込もうと考えていたのだが無理そうだ。
「夜の見回りも、今夜は控えていただきたい。外にでるのは我々だけにしてもらえるか」
「ご老公様がそう言うのなら・・・ しかし大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃ、其方等も油断めされるな」
「はっ!」
心強い味方が来たせいか、忠国は昨日までとは違い、力強く返事をした。
忠国に安心できる笑顔を見せた後、光圀達は城の一室を借りて鵺を仕留める為の対策を練る。鵺は強くて、頭も良い。しかも夜しか活動していない。住処を見つけて、陽の明るい内に攻める方が得策だが、姫路城内は広い。しかも肉片がよく浮いている堀の奥に、住処を作られていたら攻められない。
鵺はいくつかの動物が合わさった、動物霊の集合体が、生きている動物に憑りついたと考える説もある。今回の鵺は、水中でも力を発揮できるやつかもしれない。
「ご隠居、何か名案が浮かびましたか?」
「そうですね、今夜はかような鵺か見てみましょう。対策はそれからです」
いかな光圀でも、妖の性質を見てみなければ対策は浮かばない。鵺は合わさった動物霊により、性質が変わってくるからだ。
光圀達は夜を待ち、月が出る頃に見回りに出た。幸い今夜は天気が良く、鵺が出ても、雨で視界を邪魔される事はないだろう。
「ご隠居!」
堀の手前、大きめの庭がある場所で、三人は気配を感じた。
堀の中に映る月が波で揺れ、形を崩していく。水面に長い顎が姿を見せたかと思ったら、一気に全身を跳ね上げ、陸地へと飛び出してきた。
ワニのような長い顎。しかし、目は正面についている。胴はネコ科の獣のように、しなやかさを魅せ、後ろ足はカンガルーの足のように太く、強い跳躍力を伺わせる。尾は長く、蛇のようだ。
鵺は恐竜テラノザウルスのような姿勢をとり、短い前足を揺らしながら、周りを見る。
前足は足というよりも、ヒレのように見える。ヒレの先に鋭い爪のような物を生やしていた。しかも全長は三メートルを優に超えている。
「助さん! 角さん!」
光圀の指示の元、二人が鵺の前へと飛び出す。鵺が地上に出て来た所で、油断していると判断したのだろう。
助が鵺の前方にまわり、妖刀暁宗を構える。角は後方にまわり、鵺の攻撃に備える。
鵺は前方の助へと、走り出した。後方の角が走る出す鵺の尾を掴もうとした時、尾が上へ跳ね上がり角の頭部を打ち付けた。角は腕をクロスさせ、尾の攻撃を防ぐ。衝撃が角の腕に走る。並みの人間なら腕をへし折られ、頭部を破壊されている一撃だ。しかし角の鍛え抜かれた身体はその衝撃に耐える。
尾の攻撃をはじかれても、鵺は躊躇なく助へと速度を速め突進してきた。
助は紙一重で鵺の突進をかわし、頭部へ暁宗を振り下ろすが、カウンター気味に鵺が頭を持ち上げてきた。
顎の部分に妖刀の刃が当たったが、切り込めず跳ね返される。
二人と一匹の動きが止まる。この僅かなスキにどこから紛れ込んだのか、一人の童子が鵺の前に走り込んできた。
童子は、鵺を誘うように堀へと向かい、飛び込んだ。鵺もそのまま堀へと飛び込み水しぶきを上げる。
波紋で揺らぐ堀へと光圀が走り込み、印を結びながらマントラを唱える。
堀全体が、一瞬淡い光を放ち、辺りに夜の静けさが戻ってきた。
「どうでしたかな、鵺は?」
光圀が助と角の顔を交互に見た。
「はっ、暁宗の刃が欠けました」
助が刃こぼれした妖刀を見つめる。刃こぼれはしても、暁宗の本体は鍔にあるので慌てる事はない。
「なかなかの力でした。しかし、さすがは弥晴の式ですな」
角が自分の両腕をさすりながら光圀に近づいていく。鵺の攻撃で、腕に痺れが残っているようだ。
「ええ、鵺が直ぐに追いかけましたからね」
「本当です」
堀に飛び込んだ童子は弥晴が放った式だった。食べやすい人間と判断した鵺が後を追い、堀に飛び込んだのだ。その後、鵺が堀から出てこれぬように光圀が結界を張った。
「問題はこれからです。どうやって鵺を退治するか」
結界を張ったからと言って、鵺を退治した事にはならない。この広い堀に結界を張り続ける事は出来ないのだ。今日は鵺の性質の確認の為、探りを入れたに過ぎない。
「部屋に戻り、案を練りますか」
堀に映える月が揺れている。騙された鵺が水中で暴れているのだろう。
揺れる月を見ながら、光圀はもう一つの案件を思い浮かべる。
「・・・・百鬼夜業、あちらも何とかしないといけません」
三人は、揺れる月を背に、城内へと戻っていった。
「ご老公様! お、鬼が出たそうです」
昼食を終えた光圀の元に忠国が走り込んで来た。鵺を退治出来ずに一日が過ぎていた。そんな時に城下から少し離れた山で鬼が人を喰らっていたと報告が上がってきたのだ。忠国の顔が前以上に悲愴な状態になっていた。
「鬼ですか」
「はい」
驚かない光圀の返答に、忠国は少し戸惑い気味に老人の顔を見た。光圀は顎髭をさすりながら、何事か思案している。
昨晩鵺を堀に閉じ込めてから、皆で策を考えているが、なかなか名案が浮かばず今の時間になっていた。いや、この老人はこの知らせを待っていたのかも知れない。
「その鬼は手が長いですか?」
「はい、よく御存知で。報告書にはそう記されてます」
「ふむ、助さん、角さん」
白髪の老人は、二人を呼び寄せ、策を伝える。
「角さん、鬼と闘いたいじゃろうが、今回は我慢じゃ」
「はい」
「では、角さんは鬼を迎えに、助さんは私と堀の鵺を放つ準備にまいりましょう」
三人は立ち上がり、行動を移す。角は城を出て山へと向かう。光圀と助は堀の方へと移動を始める。
「ご老公様・・・・ 大丈夫ですか?」
鬼を迎えるとか、鵺を放つとか、物騒な光圀の言葉に、忠国が不安を漏らした。
「博打ですが、やるしかないでしょう」
「博打!」
忠国の顔が、これまで以上に悲壮感に包まれた。
山の麓、先にある村を抜けたら、城下町へと繋がる道がある。その麓で大男が仁王立ちで鬼を待つ。
陽は西に傾きかけてはいるが、暗くなるまではまだ時がありそうだ。
光圀は言っていた、「鬼は強者を求めてやってくる」 この場合、強者は角之進ではなく鵺だ。
しかし、鬼が姫路城に着くまでに、何人の人間を喰うか分からない。それを阻止する為に角はここに立っている。
山からの風が異様な気を角の元に届ける。異様な気は角を包むように纏わりついてくる。
瘴気だ!
山の雑気が鬼に触れ、瘴気と化し、角に纏わりついているのだ。
近くにいる!
鬼は確かに近くにいる。しかし、まだ姿は見えない。
百鬼夜業の呪詛で、鬼は色々な妖を取り込んでいる。それは、色々な妖の性質、特技を身に着けているという事だ。その中に透明化の性質を持った物もいたかも知れない。
シッ!!!!!!
角の頭上を、空間を裂くように、突然何かが襲い掛かる。
角は動物的感で右へ跳ねのけた。
長い腕が、先程まで角がいた場所に振り下ろされていた。
ゆっくりと鬼が角の方を見た。
鬼!?
鬼と呼べる代物なのか、頭に角はあるが、鼻が無い。目と目の間が開いていて、額に三つ目の目がある。腕は長いままだが、鱗が陽の光を受け、鈍い光をはなっていた。
脚は硬い剛毛に覆われ、刃物を通しそうにない。割れた腹筋だけが肌色で、かつて人間だった事を伺わせる。体長は三メートル近いだろう。
角は思った。百体近い妖を取り込み、変化した身体は、人間版の鵺だ!
恐らく、もう自我を保っているとは思えない。ここまで来たのも、最初の目的が本能に刷り込まれたせいだろう。
グゥオオオーーーーーー!!!!!!!
鬼が吠える。吠えると同時に長い腕が角を襲う。角が腕をクロスして、鬼の攻撃を防ぐ。
バッ! ギ!
角が後方に飛ばされ、巨体を受け止めた大木が砕けた。
口の端から血が流れる。しかし大男は片方の唇を吊り上げ笑う。攻撃を受けたダメージ等を感じさせない速さで跳躍し、鬼の顔へと蹴りを放つ。
大男の体重が乗った蹴りを受けて、三メートルの巨体がよろめく。が直ぐに体制を整え、剛毛の生えた脚で蹴りをうつ。
角が左に避け蹴りをかわす、しかし瞬時に左側からも蹴りが入る。
双竜脚だ!
この巨体で双竜脚を放てるものなのか、しかし実際に左側から角の頭部へと蹴りが飛んでくる。
角は本能、真さに本能でしゃがみ、蹴りを回避した。
しゃがんだ体制をバネに、右拳を鬼の脇腹に打ち込む。
角の拳が効いたのか、鬼が少し距離を置いた。
強い西日が、2体の影を伸ばす。
西日を浴び、大男は冷静さを取り戻したのか、光圀の言葉を思い出した。
「ふっ! 我慢か・・」
大男はこのまま闘いに没頭したい気持ちを断ち切り、鬼に背を向け走り出した。
鬼が強者と認めたのだろう、角を追いかけだす。
角は鬼との距離を保ちながら、茜染まる道を、城に向け駆けて行った。
城の庭、堀に近い所で、二つの目が光る。
黒猫、弥晴の式だ。
黒猫は光圀の張った結界を維持していた。しかし限界が近い。広い堀で暴れる鵺を押さえきれなくなってきているのだ。
黒猫の横に白髪の老人が立った。老人は、堀に映る月でも見に来たかのように、その場にしゃがむと、猫の頭をなでた。
「ご苦労様です」
黒猫は光圀の言葉に対し、手に頭をこすりつけた。
「今夜でけりをつけます」
光圀は堀に目を向ける。霊能力のある者なら見えるだろう、堀の水面に雲のような物が浮いている。例えるなら、雲海のような雲だ。
白髪の老人は、印を組み替えながら、気を放つように堀へ両腕を伸ばした。
雲が割れ、滝のように堀の中へと雲が吸い込まれていく。
雲の割れ目から、流れに逆らうように、妖が飛び出してきた。
鵺だ!
剛毛から水をしたらせ、口からは、水か体液かわからないものが垂れ落ちる。
ギャォーーーーーーーーーーォォォーーーー
鵺が吠えた。怒りの叫びだ。
童の偽物に騙された怒り、空腹の怒り、そして、堀の中に閉じ込められた怒りだ。
鵺が、百メートル程先にいる光圀を見つけて、走りだした。
光圀の前に助三郎が割って入り、暁宗を構える。刀身は差し替えてあり、黒い鋼が、月光を鈍くはね返した。
ピキーーーーーーーーーーン!!!
金属が叩かれるような音がして、鵺の突進が止まる。助も刀を振り切った姿勢で止まっていた。
鵺のヒレのような前足が、宙を舞った後、庭に落ちた。
ギャォ---------!!!
鵺は再び吠えたあと、助を睨みつける。助は再度、暁宗を構えなおす。
切られた鵺の前足部分にに変化が起きる。白い泡のような体液が出て来て、切られた部位を包む。
泡の間から、再びヒレに似た前足が生えてきた。
再生能力。この鵺は再生細胞能力があるようだ。
助は鵺の能力に一瞬眉をひそめたが、元々切り殺せるものとは思っていないのだろう、直ぐに妖刀を持つ手に力を込めた。
ウギギギギィーーー
鵺が威嚇するような唸り声をだす。
助と鵺の間合いは縮まらない。そんな中、城の門の方から、響くような足音が聞こえた。
「来ましたね」
「はい、来てくれました」
ドスーーーーーー!!!!!!!
庭に植えられた木々をなぎ倒しながら、大男と鬼が堀の前に現れた。
鬼と鵺の妖が対峙したせいか、瘴気が舞うように騒めき、堀に浮かぶ月を揺らす。
月は潰された卵の黄身のように、原型を留めずに揺れ続けていた。
妖になりきれな気、瘴気が舞う。
見える人間には、瘴気が嵐のように舞っているのが見えているだろう。
それほどまでに、二体の妖は強い。その存在自体が巨大なのだ。
グゥーー
鬼が唸り声を上げる。角之進を追いかけてきたはずが、目の前には強力な妖気を纏う妖が現れたのだ。
角は鬼からの追随を避けるため、弥晴が張った結界に身を隠した。角がいたら鬼は鵺よりも、角と闘うかもしれないからだ。
鬼と鵺を闘わせる、これが光圀の案だ。
鵺を退治できたとして、直ぐに鬼退治をするのは流石に光圀達でもきつい。しかも鬼は百鬼夜業の鬼、普通の鬼とは違い、呪術で強化された鬼なのだ。
ギャォーーーーーー!!!!
鵺が鬼に威嚇の雄たけびを浴びせる。しかし鬼は動じる事はなく、長い腕を上に持ち上げた。
鬼の拳の高さが優に五メートルは超える。鵺が突進してきたら、その拳を頭部へと叩きこむつもりだろう。
しかし鵺は突進をしない。前へ進まずに勢いよく百八十度反転して、長い蛇の尾を鬼の顔面に叩きつけた。
鬼は尾を防ぐため、腕を下ろす、その腕に尾が絡みつき両腕を縛る形になった。
蛇の頭部を持つ尾が、鬼の左拳に喰らい付き、食いちぎる。そのまま鬼を引きずり、長い顎が開いた口元へ引っ張り込んだ。
鬼は顎を避け、右手の指で鵺の片目を突いた。鬼の長い指が鵺の目に入り込み、眼球をえぐるとった。
グゥギャーーーーーーー
鵺は痛さから腕に巻き付けた尾をほどき、距離を置いた。
蛇の尾に喰いちぎられた左手から血が流れる。血を流しながら左腕が変色していく。
単に血が抜けて、変色しているのではない。
毒だ!
蛇の尾は毒を持っていたのだ。毒が徐々に鬼を犯し始める。
鬼は左腕の変化に気付き、右手の長い爪で、自分の左腕の付け根部分を突き刺した。爪が刃物のように左腕を切断する。鬼は毒が全身に回る前に左腕を切り落としたのだ。
鬼が腕を切断している間に、鵺の片目から白い泡が出て来て、えぐられた眼球の再生が始まる。
今、鬼が笑みを見せた。
地上に転がる自分の左腕を見て、そして、鵺の再生する片目を見て。
グフフフフフフ
鬼が笑う。声を出して笑う。
そして、鵺に向かって走り出す。 瞬い!
瞬時に鵺の前に走り込み、左脚の蹴りを放つ。左脚が鵺の頭部にヒットする。
鵺の頭が右方向に傾く。傾いた右から鬼の右脚が飛んできた。
双竜脚!!
角が受けた双竜脚よりも、キレがいい。人間でいる時から、幾度となくこの技を出してきたが、今までで最高のキレとスピード、そして体重が乗った蹴りかもしれい。
バギ!!!
鵺が鬼の脚を、長い顎で咥えた。そして一気に噛んだ!
鬼の太い脚の骨を噛み砕き、右脚を喰いちぎる。
左腕と右脚を無くした鬼が地面に倒れた。
倒れた鬼に、鵺がさらに襲い掛かり、腹部に喰らい付き食べ始めた。
鬼は喰われながら、マントラを唱え、片手の指で印を紡ぐ。
壮絶な光景だ。堀の周りは、鬼の血で赤く染まる。血だまりの中で鵺に喰われる鬼。
鬼は上半身だけ、いや、肩から下を全て喰われても、マントラを唱え続ける。
声は出ていないが、口が小さく動いている。
腹をすかせた鵺は、鬼のマントラなど気にする事なく、鬼の頭部を顎に入れた。
激しく舞っていた瘴気が、鵺を勝者と認めのか、身体を包むかのように、静かに旋回し始める。
グギャーーーーーーーーーーーーー!!!!!!
鵺が吠えた。
閉じ込められた怒りは、まだ収まっていない。空腹はまだ満たされていない。
グギャーーーーーーーーォォォ!!!!!!!!
その声は城中に響き、城の中の者、全てに恐怖を与えた。
堀に映る月が静かに揺れている。
嵐のように舞っていた瘴気も、今は鵺の周りをゆっくりと旋回しているだけで、舞う事はない。
先程まで吠えていた鵺が、月に頭を向けたまま、動かなくなった。
いや、動かないのではなく、動けないのだ。
鬼の百鬼夜業の呪詛が、鵺の精神支配を始めたのだ。
鵺の身体が小刻みに震える。
「助さん! 角さん! 今です!!」
光圀が二人に声を上げ、懐から葵退魔銃を取り出し、頭部へと放つ。
助三郎が跳躍して、鵺のワニに似た頭部を暁宗で切り落とした。
地上に落ちた頭部を、角之進が体重を乗せた膝で潰す。
光圀はこのタイミングを狙っていたのだ。
百鬼夜業の呪詛で、精神支配が始まっている最中は、身体を動かせず無防備になる。以前、山で百鬼夜業を見た時に、光圀は確認していたのだろう。
いくら再生能力を持つ鵺でも、脳がある頭部を切り離されたら、細胞再生の信号を送れないはずだ。
しかし月光にさらされている、鵺の身体は倒れない。しかも、再生の印である、白い泡が切られた首から噴き出ている。
ヒレのような短い前足がどんどん長くなり、カンガルーのような後ろ足も、剛毛が生え、膝の関節が伸びる。
蛇の頭部を持つ尾に、角が生え始めているが、だらりと垂れたままだ。
首の泡を突き破るように、長い顎が伸びてきた。
顎には、切られた頭部のような目が無い。強靭な歯を持つ顎のみだ。
キュルルーーーールルーーーーー
顎から出された、先程までとは違う、甲高い声が月夜に響く。
シュッーー!!
光圀が再び葵退魔銃を放つ。自分が立てた案が破られても、次の案の為の活路を開くためだ。
銃弾が顎に当たり、跳ね返された。切り落とされた頭部よりも、強度がましているようだ。
跳ね返された弾が尾の付近に落ちた。
蛇の頭部を持つ尾は、まだ百鬼夜業の呪詛が終わっていないせいか動かない。しかし角は先程よりも伸びてきている。
「助さん! 尾です!」
光圀の言葉を理解した助三郎が、蛇の頭部へと走り込み、暁宗を振り上げた。
長い腕が助へと襲い掛かる。本来の動きを取り戻しかけている鵺の上半身が、反射的に動いているのだ。
バギッ!!
間一髪、角之進が長い腕の攻撃を受け止めた。
角の防御を信頼していたのだろう、助は長い腕の攻撃に躊躇する事なく、暁宗を蛇の頭部へと突き刺し、地面に縫い止めた。
キュルーーーーーーーーンンン!!!
顎から、空気を震わすような甲高い雄たけびが、月へと放たれた。
「オン・アビラウンケン・ソワカ・マユラ・キランディ・ソワカ」
光圀が印を紡ぎ、マントラを唱える。
「アビラウンケン・ソワカ 願わくば、孔雀明王呪で、百鬼夜業を喰いとめられよ!」
光圀が印をほどき、腕を素早く左右、上下に振るい、身体全体で、印を紡ぐ。
「オン!!」
光圀の声が、堀の水を揺らすかのように響いた。
風が吹いてきた。いや、風がやって来たという表現の方が良いだろう。意思を持つかのような風が、堀の水面を揺らし、波を立て始める。
風が舞う、瘴気を吹き飛ばしながら風が舞う。
風はつむじ風のように旋回をはじめ、鵺を巻き込み、月へと昇りはじめる。
キュルルルーーーーーー
鵺が風の中で、苦し気な声を上げ、もがいている。
蛇の頭部が地面に縫い止められているので、尾が伸びた状態で空中に浮いているように見える。
つむじ風が強烈なので、助も角も暁宗を抜きに行けない。無理に近づけば、鵺と一緒に巻き込まれるだろう。
ビキッ!!
尾が頭部を残し千切れた。
つむじ風は鵺と共に、月夜へと昇っていき、見えなくなった。
静寂を取り戻した庭に、刀で刺された頭部が、月明りに照らされている。
蛇の頭部は、角が生えた人間の頭蓋骨に変わり、砂のように崩れ、風にさらわれ消えた。
風が収まった庭に、孔雀の羽が舞い落ち、雪のように溶けて消えていった。