その6 奴隷解放
質のよい紙に毛筆を走らせ、署名に朱色の判を押し。
スーサはしたためた一通の書簡に封をしてタエルに手渡した。
「これを見せれば、きっとペラギクスの“大学長”が力になってくれるがやき」
海底迷宮から持ち帰った謎の天資は、使い道に見当がつかなかったし、何より件の『隷属装置』と出所が同じとあっては迂闊に触れることも憚られた。
そのため、スーサは天資の研究に長じた機関に調査を依頼することを提案したのである。
「しかし本当に私達が預かってよかったのですか」
「手伝いの報酬と思ってくれれば良いがじゃ。元々タメエモン殿が目を付けたものでもある。その『樽の天資』はおんしらの“獲物”ぜよ」
「かたじけない。スーサ殿、此度は世話になりもうした」
女艦長に深く頭を下げるタメエモンは、自身の胸が柄になく期待に高鳴るのを感じていた。
「……さて、鬼が出るか蛇が出るか、ってとこだな」
「おや?ゲバ、興味があるんですか?あなたの事だから“面倒ごとには関わりたくない”だの言い出すかと思いましたよ」
「俺にだった人情はあらあ。ここまできたら、顛末が気になるじゃねえか」
*
クルールの地上部に在る大闘技場。剣奴たちが日々駆り出される興行を最も“良い場所”から見渡せる最上段には、奴隷市場の元締めを務める男の居所がある。
欲望の終着点、あるいは末路とも呼ばれるこの奴隷島を牛耳る者。彼自身もいわば欲望の奴隷であり、そのことを自覚しながらも進んで甘んじている。
中年も半ばな彼の相は堕落した欲望に醜く歪みきり、肉体もまただらしなく弛緩していた。
「きたか、ラムダ」
部下達から陰で成金趣味と噂されている華美な装飾に彩られた室内に、女剣奴ラムダは呼び出された。
“主”の命令で事前に湯浴みを済ませ、全身からはほのかに香油が匂う。
身に着けているのは剣闘興行用の帷子ではなく、向こうの透けて見える薄布で仕立てられた薄紫色のベビードールである。
「脱げ」
元締めの男は立ち上がるついでに一言、目の前の女奴隷に命じた。
命ぜられたラムダは、躊躇無く衣の肩紐を滑らせる。薄布が絨毯敷きの床にはらりと落ち、褐色の肢体を露わにした。
血生臭い闘技場にあってさえ男共に嗜虐的な好奇心を浮かばせるラムダの肉体に、彼女の“持ち主”はたちまち欲望を滾らせる。
元締めの中年男は歩み寄るや彼女の白髪の頭を掴み、強引に傅かせた。
男の腰とラムダの顔がちょうど同じ高さになる。
ラムダの目の前に、垂れ下がった体毛の濃い出腹と、その下で脈打つものが突き出され。
「早くしろ」
言われるがまま、ラムダは“いつものように”彼の際限なき欲望を充たすための奉仕を始めた。
「せっかくあの海底迷宮から救い出してやったのだ。こうして日々感謝せねばな?」
下腹部の“持ちもの”に伝わる生暖かい刺激を堪能しながら、元締めは下卑た笑みを浮かべる。
ラムダにしてみれば、牢獄の場所が変わっただけだ。
海底迷宮の一室に隷属天資を埋め込まれ眠らされていた彼女は、ある日やってきた奴隷商人の一味によって此処まで連れて来られた。
それ以来、昼は闘技場で死に掛けるまで戦わされ、夜は醜悪な欲望のはけ口にされる毎日である。
「おれも感謝しているんだぞ?お前は実に重宝している、よい“もの”を拾った、とな」
女奴隷の頭を掴み腰を前後すると、苦悶の呻きが聞こえてきた。
下腹部に押し寄せる快楽に涎を垂らす男は、気付いていない。
――ラムダの胸元に埋め込まれた隷属天資の明滅がとっくに止まっていることに。
元締めの男は、不意にラムダの頭を押さえる掌に違和感を覚えた。なにか突起物が掌に当たっている。
そして、股間にいつもの生暖かさとは違う熱さを――激しい痛みを覚え腰を引く。
すると、そこにはなにも無かった。ある筈のモノが無くなっていた!
「ファァァァッ!?」
股間から鮮血を、顔面から涎と涙と悲鳴を撒き散らす中年男。
平然として静かに立ち上がったラムダは、彼に向かって眼を見開き、口角を裂けるほど吊り上げた唇の間から舌を思い切り伸ばしてみせた。
彼女の艶かしい唇の間から伸びる舌は、先刻まで男を慰めていた“それ”ではなく波打つ蛇矛の穂先であった。
あらわれたのは穂先だけでなく。いかなる仕掛けか、ラムダの口からずるりと一柄の蛇矛が吐き出された。
矛を携えた裸身の美女を前にして、自身を切り落された男は後ずさり。
「き、きさ、きさま!は、は、は、反ぎゃ――――!」
閃く蛇矛の切っ先は、男に一の句すら許さなかった。奴隷島の元締めは一瞬にして全身を八つ裂きにされ、もはや人とは呼べぬいくつかの肉塊と成り果てた。
赤い絨毯に血が染みてゆくのを、ラムダは何の感情も篭らぬ目で一瞥してから踵を返す。
「――ようやく“帰れる”な」
一言の呟きを合図に、ラムダの身体が変化を始める。
白髪を搔き分け左右一対の角が後ろへ向かって伸び。むき出しの背にはコウモリのように翼膜のついた翼が生え、艶かしい稜線描く尻の割れ目上端からは鱗をもつ長い尾が伸び床に曳く。
その姿は、まさに『竜人』と呼ぶべき魔性を具えるものであった。




