その4 魔窟になりし、かの山
振り下ろされた大斧の質量に群体がぶっつり二つに切り離される。
片方の群体が最後に見た景色は、“頭上”から迫る燐光紋様が滲んだ金属柱。
もう一方の群体は、星の光を宿したかのような美しい剣の閃きと、つづいて全身を包む激しい星光の奔流を見た。
薄れゆく意識の中、魔者スライムの群体知性は思った。
――今度生まれてくる時は空を飛べる生き物になろう。何者にも縛られずに美しい大空を自在に駆け回る、かのドラゴンのような――
*
「これで五匹目だぞ……遭遇頻度が高過ぎる。なんだこの山」
熊蜥蜴の脳天かち割った斧を担ぎ、ゲバは訝る。中型魔者と日に五匹も遭遇するなど、人里近い山中ではまずあり得ないことだ。
「ドラゴンが棲み付いた影響で、山の生態系が変化したのでしょうね」
「魔者や獣の番付が変わったというわけか」
「これでは麓でさえ一般の者は立ち入れない。危険な魔者が山から降りてくることだってあり得るわ。早々になんとかしないと……!」
マントを脱いだ臨戦態勢のルツィノは、背中の剣吊に宝剣ガルダラウザーをしまいながら言った。
「急ぐが焦らず進むぞ。ドラゴンはだいたい高い所に巣を作る。狩るには山頂まで登らにゃならん」
逸る姫騎士に、ゲバは躊躇無く口を挟む。山林での活動は亜人の本領であったし、山の恐ろしさを知る者として一行の命運を握るのは自分だと自覚していた。
「じきに日が落ちる。今日はこの辺りで休もう。どこか安全そうな場所を見つけるぞ」
「場所の心配なら無用ですよ」
「あ?どういうことだ」
「移動神殿の傍は常時“安全地帯”です。下等魔者くらいならルア様の“加護”が排除して下さいますよ」
「……“加護”、ねえ」
「あなた、未だ女神ルア様のお美力を疑っているのですか?」
「いや、チカラは疑っちゃいねえ」
ゲバの三白眼がじとりと見やるのは、移動神殿が電磁障壁で焼きなぎ倒してきた森の木々である。
(少なくとも、お優しい女神さまじゃあないだろうよ)
*
「おはようございます、皆さん。私だけ屋根の下で眠らせてもらって、すみませんね」
神殿から出てきたルツィノが、入り口前のたき火を囲んで夜を明かした男三人に声をかける。
「おお、姫様。ちゃんと眠れたか」
「お陰様で」
突き立てた金属柱でテッポウ稽古をしていたタメエモンが、柱から向きなおり答えた。
ゲバはズタ袋に入れてきた道具類を入念に確認している最中で、顔だけ向けて会釈する。
「タエルは何を?」
草むらの一角に大小さまざまな消し炭を積み上げた山に、タエルは両手を合わせていた。
「“これら”は、夜のうちに神殿に近付いた魔者に獣たちの成れの果て。わが身を守る為とは言え、殺めた手前、弔っておかねばなりません」
合掌したタエルが口中で幾扁かの呪を唱える。山岳地帯で道を修める僧侶衆が用いる鎮魂の呪文であった。
<<星光力充填率50%。完全充填まで残り2時間かかります>>
「ん?この声は……」
不意に頭に響いてきた声に振り返るタメエモン。だが、後ろも上下にも声の主たる『少女』の姿は見当たらない。
「今の声、姫様か?」
「私?何も言ってないけど」
「どうしたんだお前。声なんざ聞こえなかったぞ」
キョロキョロと辺りを見回すタメエモンに、ゲバとルツィノが首をかしげる。
タエルだけは微笑んでいた。
「あなたにも聴こえるようになりましたか、タメエモン。これがルア様のお告げです」
「お告げとはこういうものか。スクナライデンに乗っていたときにも聴こえた声だ」
「おそらく“そういうこと”なのでしょう。今まで私にしか聴こえなかったルア様の声があなたにも聴こえるようになったのは、きっとスクナライデンとして戦った影響です」
タエルの解説を、タメエモンは素直に受け入れた。天資が引き起こす現象はしばしば日常の範疇を超える。
一通りの超常現象はおおむね天資か魔者の仕業と考えるのがクァズーレでの常識であった。
「タメエモンも聴いての通り、ルア様は少々お疲れのようです。この場所を拠点にして頂上を目指しましょう」
*
山頂へ近付くにつれ、山道は険しくなる。
もはや人間にとって道とは呼べぬ地形を踏破する中、散発的に襲撃してくるスライムや熊蜥蜴、食獣蔓など魔者をも相手取る必要があった。
「姫様、大丈夫ですか」
使う武器の都合上、後方支援に回っていたタエルはルツィノの面に疲労が浮かんでいることにいち早く気付いた。
「まだ出発したばかりじゃない、2時間荒れ地を飛び跳ねて魔者を10匹切り伏せたくらい、全然平気よ」
案の定強がってみせる姫騎士は、案の定「ぐぅぅ」と腹の虫で本音を上げた。
「ああぁ……」
「腹が空くのは健康な証拠。恥じることなど無いぞ、姫様」
またも赤面するルツィノにタメエモンが豪快な笑い声。しかる後、太鼓腹が獣の唸り声の如く響いた。
「ホレ、ワシの腹も鳴ったぞ。腹時計には従わんとな」
「い、今の、タメエモンのお腹の音!?」
「おうよ」
もう一度、タメエモンの腹が鳴る。山にこだまするほどの音に、ルツィノは思わず噴き出した。
「ふふふ!そうね、タメエモン。お腹がすきました。何か食べて、力を出さないと!」
*
「ゲバは本当に平気そうですね。ずっと先頭を進んで枝を払ったり足場を確保したりしているのに」
渓流の傍に構えた簡易キャンプで火をおこすゲバの背中に、ルツィノは素直な褒め言葉を投げかけた。
「……俺たち亜人は、そうするしかないからな」
今は無き故郷では、数年来称賛されることなど無かったゲバは、不意に美しい少女から手放しに誉められたことで自分でも不思議なほどむずがゆい心地がする。
それがゆえに面と向かってルツィノを見ることができず、火起こし作業に集中する風を装うことにした。
「あんたら人族みたいに精霊術は使えないし天資にも縁が遠い。だから、自分のカラダの使い方で何とかするんだよ」
「カラダの、使い方」
「ああ。体の捌き方ひとつでなんとでもなる。あとはアタマだ。無い知恵絞るのさ」
それきり会話は一時停止。
ルツィノが沈黙に気まずさを感じ始めたところで、タエルが割り込む。
「地力があるならあとは体捌きと立ち回りを工夫すれば非の打ちどころがなくなる、ということですね。この男は不信心者ですが心得がありますよ、姫様。こいつなりに助言したつもりのようです」
「――ありがとうございます、ゲバ」
無骨なオークの男には、少女の柔らかく可憐な声に応える言葉が思いつかず。
ささやかな感謝の声を、入れ墨だらけの背中でひたすら受け止めることしかできなかった。
*
「タメエモン。卵料理の名前を思いつくだけ言ってみて下さい」
「うむ。だし巻き、オムレツ、目玉焼き、錦糸卵にスクランブルエッグあとは……」
「それくらいご存知なことは判りました。それで、これは何ですか」
「卵を、焼いた」
「でしょうね」
タメエモンが両脇に抱いて調達してきた卵はそれぞれがバスケットボールを二回りほど大きくしたほどのサイズ。
足元に転がされた卵二つは、直接たき火にくべられ表面黒々と焼きあがっていた。
「中はうまい具合に焼けているようだぞ」
「どうしてこんなに大きな卵を二つとも同じ調理法にしてしまうんですか……」
「お、殻は意外と薄くて剥きやすいぞ」
頭を抱えるタエルをよそに手近な石でヒビを入れた焼き卵を剥いていく。みるみる露わになっていく艶やかな白身が湯気をたてている。
「どうやって切るの?」
「瓜みたく切ればいいんじゃねえか」
「そうだな、スイカみたいに切るか」
「すいか、って何?」
「シヤモの方じゃ暑い日によく食う瓜の仲間だ」
「そんなものがあるのね。今度取り寄せてみようかしら」
剥けた卵を前に会話が弾む三人を見て、タエルはこれ以上のツッコミを放棄して巨大焼き卵に振る塩を荷物から取り出すことにした。
「それにしても、でかい卵だな」
「まさかドラゴンの卵だった、なんてことは無いわよね?」
「ハハハまさか。周りに何もおらなんだからな」
「……じゃあ凄い勢いで飛んでくるアレには心当たりがないんですね?」
談笑する三人に、タエルは厳ついスキンヘッドに汗を滲ませ空の彼方を指さす。
目をこらせば、オオトカゲにコウモリの翼をつけたシルエットが上空に見えた。
「おう?何か飛んでくるな。あれは、なんだ」
「おいタエル。あれって――」
「ええゲバ。あれは、まぎれもなく」
翼長57メートル。体重250トン。
赤い鎧鱗が煌く巨体唸らせて、怒れるドラゴン雲を切り裂き飛んできた。
和やかなキャンプ風景が一転。思いがけなくさもありなんと現れた討伐対象を迎撃すべく一同は速やかに戦闘態勢をとる。
「出たわね魔者『紅ドラゴン』!いざ、尋常に勝負よ!」
ルツィノは背負った宝剣を抜き構える。柄を握る少女の掌に、じわりと汗が滲んでいた。




