Episode5 初めての戦闘1
夢を見ていた。夢の中の俺は、右肩から突起物が生えているわけでもなければ、半身を鱗が覆いつくしているわけでもない。俺はただの人間だった。
どこまでも広がる大空と照りつける太陽の光がなんて気持ち良いのだろう。そよ風が髪を撫ぜ、ひぐらしの鳴き声がどこからともなく聞こえてくる。近くの木々は紅葉に彩られ、自然の美しさを改めて知る。季節は秋。ほどよい暖かさが絶好の散歩日和だと俺に教えてくれた。ここは自然公園らしく、整備された散歩道を俺はゆっくりと一人で歩く。
「ねえ」
後ろから声を掛けられた。その綺麗な女声に俺は言葉に出来ない懐かしさを感じて振り返った。
「行こ?」
そこにいたのは俺と歳が変わらないくらいの一人の女だった。長い黒髪が特徴的な美しい少女だ。差し出された手を、夢の中の俺は自分の右手でぎゅっと握る。少女と並んでゆっくりと道を歩く。彼女の手は暖かくて、優しさに包まれたような感じがした。ふと目頭が熱くなる。突然、言い知れない強い感情に心を激しく揺さぶられて俺は泣き崩れた。
「どうしたの?」
不思議そうに首を傾げて俺を見下ろす少女。俺はそんな彼女に何も言うことができない。これは夢であって現実じゃない。俺の姿も、この景色も、少女も、懐かしい幻想に過ぎないのだ。
「ジン」
俺は。俺は。俺は。
「ジン!」
気が付くと、目の前には不安そうに俺を見つめるフィオの顔があった。辺りは自然公園などではなく、年季の入った宿部屋だ。窓の方を眺めると空が明るくなっている。どうやら俺は夢から覚めたようだ。冷や汗で服はぐっしょりと濡れ、頬には涙が伝っていた。
「酷くうなされていたよ、君」
「……だろうな」
尋常ではない汗の量を見ればわかる。俺はゆっくりと体を起こすと、フィオの頭をポンポンと軽く叩いた。
「心配をかけて悪かったな」
「しかし、君も随分と馴れ馴れしくなったね」
頬を膨らませて不機嫌そうに言うが、妨害しない辺り、彼女も大して怒ってはいないだろう。
「昨日のフィオほどじゃないさ」
酔っ払って随分と爆弾発言を振り撒いていた昨夜の彼女に比べれば、今の俺の行動なんて可愛いものだ。
「飲み過ぎて記憶が飛んでいるから分からないなー」
あくまでシラを切るつもりか。明らかな棒読みに思わず俺はフッと笑みがこぼれた。彼女は酒に完全に飲まれたわけではなくて、きっと冗談半分で言っていたのだろう。
身支度をすぐに済ませて俺達は宿を出た。早朝の街並みは露天商も少なくて静かだった。今にも泣き出しそうな曇り空を見ると憂鬱な気分になる。
「昨日はあんなに晴れていたのにね」
「雨でも降らないといいが」
「そうだね」
俺達はクタラの街を後にし、北西にあるという“盗賊街”に歩を進めた。最悪の場合、複数の野盗との集団戦闘に成りかねないので気を引き締める。背負った長剣を実戦で使いこなせる自信はなかったが、自分の身を守るためには四の五の言ってはいられないだろう。奪われたものを取り戻すには通らなければない道。力なき者は淘汰される。それが、この世の定めだ。
「初めての戦闘となると、やっぱり不安かな?」
フィオは相変わらずの読心術でまた見透かしたように尋ねてくる。見栄を張っていても意味がないので俺は正直に答えた。
「ああ。一昨日、怪物と対面した時も足が震えた。相手が残虐な人間ともなればもっと怖い」
「戦うというのは命を奪い合うこと。恐怖を覚えない方が狂ってる。君は何も間違っちゃいないさ、私だって怖い」
「……そう、か」
「もし、そんな状況になったとしても私が出来る限り助けるから。安心して」
彼女の言葉で気持ちが少し軽くなった気がした。礼を言うと「だって、仲間でしょ?」と当たり前に返してくれるフィオ。もし俺が一人だったとしたらこんな簡単に戦う勇気なんて持てなかっただろう。目を覚ましてから初めて出会ったのが彼女で本当に良かったと思う。
「そろそろだね」
歩き続けて数時間経ち、見えてきたものは、荒れ果てた物寂しい野原だった。雲に覆われて暗い空が、どことなく不穏な雰囲気を醸し出している。高低差の激しい地形で、いかにも野盗が潜んでいそうだった。フィオを横目で見ると、険しい顔で辺りの様子を窺っていた。
「ここには、例の怪物はいないみたいだな」
「もう少し歩こうか」
「あ、ああ」
フィオに手を引かれて俺は半ば強引に歩かされた。どうやら彼女は何かの気配を感じ取ったようで、心なしか焦っているように見える。いくら歩いても怪物の姿を捉える事は出来なかった。やはり、本当はその情報は盗賊の仕掛けた罠なのかと思ってしまう。突如、フィオが珍しく大きな声で叫んだ。
「君達の追跡にはとっくに気付いている。いい加減、出てきたらどう?」
すると、多数の岩陰から数にして十は超える野盗がぞろぞろと現れた。その内の誰もが得物を持っていて、強い殺意が俺とフィオに向けられているのを感じた。その中からリーダーらしき大柄な男が一歩前に歩み出て、野盗達を睨み付ける彼女に言葉を返した。
「そこの旅人さん達よ。“盗賊街”に何の用だ?」
「怪物の噂を聞いてね。物好きなものだから、探しに来たところさ」
「そうかい、お嬢ちゃん。横の上等な全身装甲の奴はその連れか」
「そうだよ。質問が終わったなら消えてもらっていいかな。君達に構っている時間はないんだ」
男に強い口調で返すフィオ。こんなにも冷たい言い方をする彼女を見たのは初めてだ。男の方も少し驚いたように目を見開いている。だが、その次の瞬間、男はげらげらと下品に笑った。それに続くかのように他の野盗も笑い出す。こちらの言い分など、賊がまともに聞くわけがなかった。
「そいつは無理な相談だなぁ。盗賊街には余所者は全員、身包み剥がさなきゃならねえってルールがあるんだよ」
「……随分と自分勝手な規律だね」
フィオは小声で呟くと同時に腰に差したホルスターから拳銃を取り出して戦闘体制に入る。俺も背中の長剣を両手で振りかざし身構えた。野盗達は、リーダーらしき男を筆頭にそれぞれの得物を振り回しながら突っ込んできた。遂に、言葉は不要の殺し合いが始まった。
予感はしていたものの、いざとなると体が動かない。かっこつけてそれらしく剣を持ったはいいが、圧倒的な野盗の数に気圧されて一歩も踏み出せなかった。戦う勇気を得たと思ったのに初っ端からこの様か。自分が情けなくなる。対してフィオは、迫り来る野盗達の頭を的確に銃弾で貫いていた。
目前に迫る野盗の軍勢。立ち止まっていれば一瞬で囲まれて殺される。この状況で生き残る為の方法は一つ、命を賭して戦うのみ。死を怖れていては、いつまでも前に進めない。己の迷いを振り払うかのように俺は叫びを上げて、野盗達を迎え撃つべく走り出した。
「威勢のいい兄ちゃんだな」
「そりゃあ、どうも」
俺は先ほどフィオと話していたリーダーらしき男と向かい合わせになった。彼女の射撃技術には驚くばかりで、十人以上いた男の取り巻きはフィオの銃撃でだいぶ数が減っていた。残りの野盗も仲間が倒された恨みか、俺のことは気にも止めずにフィオに向かっていく。おそらく、彼女の実力なら放置しても問題ないだろう。
「敵と剣を交えている時に余所見ってのは良くないぜ」
「っ!」
俺がフィオの様子を見ている隙を狙って、男は長槍で心臓目掛けて突いてきた。俺は反射的に体を横に逸らして間一髪、その突きをかわした。
「やるじゃねえか」
男は嬉しそうにニィと笑う。この一発で仕留められるとは相手も思っていなかったらしい。まずはお手並み拝見といったところのようだ。
「兄ちゃんよ。お嬢ちゃんは軍人上がりか」
「……知らないな」
「そうかい」
口を閉じてふうと息を吐いたと思うと、男は目にも留まらぬ速さで額を斬りつけにきた。俺は首を引いてぎりぎりのところで避けるが体勢を崩してしまった。その隙を男が見逃す筈もない。
胴体を切り裂こうと迫る追撃を、俺はまたすんでのところで長剣を盾にして防いだ。長槍は白兵戦において最も広い攻撃範囲を持つ武器だ。剣と槍ではあまりにも分が悪いだろう。
しかも、相手が戦闘慣れしている野盗のリーダーであるのに対し、こちらがろくに戦ったこともない素人ともなれば、勝ち目はないに等しかった。今のところ大した傷は負っていないものの、徐々に踏んだ場数の差が出てくるのは間違いないだろう。
「実力が伴っていなければ一級品の装備も宝の持ち腐れだぜ、兄ちゃん」
男は流れるように長槍を振り回す。その一撃一撃が、防具越しとはいえ致命傷に成り得る場所だけを狙って飛んでくるのだから恐ろしい。大勢の野盗の上に立っている人間だけあって男の実力は高い。俺は防戦一方のままひたすら後退を続けるしかなかった。
「逃げてばっかいるんじゃねえ!」
男の罵声と同時に勢いよく長槍が薙ぎ払われる。俺は瞬時に上半身を反らしたが、それは俺の首を掠めたかと思うと、急転換して右肩を狙うように突いてきた。
避けられない!
長槍は全身装甲を軽々と貫き、俺の肩に深く突き刺さる。そう思っていた。だが、俺の肩にぶつかると同時に、合金をも貫通した槍の刃先は簡単に折れてしまった。男は突然の出来事に目を見開いたが俺の反撃に気付き、地を蹴ってすぐに距離をとった。
「一級品の合金製の刃を生身でへし折るとはどういう了見だ!」
俺も何が起きたのか一瞬わからなかったが、すぐにその理由に思い当たった。そう、俺の肉体の半分は人間ではない。頑丈そうな鱗に覆われた未知の生物が俺の体に巣食っているのだ。肉を切らせず骨を断つ。人外なら人外らしく戦えばいい。
「ありがとな、おっさん。色々と吹っ切れたぜ」
「畜生、化け物め!」
俺は男の間合いを詰めにかかる。長剣はまるで自分の体の一部のように綺麗な放物線を描いて男の首を刈り取りにいった。男は折れた長槍で俺の心臓を槍で突いてくるが刃を失った槍の威力など怖れるに足らない。ただの棒と化した長槍は鎧の堅牢さに負けて真っ二つに折れ、男の首が鮮血を撒き散らしながら宙に飛んだ。
どうやらフィオの方も片付いたようで、綺麗に眉間を撃ち抜かれた死体が疎らに転がっている。間違っても彼女だけは敵に回したくないものだ。
「そっちも終わったみたいだね」
「ああ。大人数を任せてしまってすまないな」
「大丈夫だよ、こういった手合いは慣れてる。でも、ジンも初めてとは思えない戦いぶりだったよ」
「妙に武器が馴染んでな。戦っている内に体が勝手に動いたんだ」
「まあ、その内思い出すよ」
「そうだな」
それにしても、何事もそつなくこなすフィオには感嘆するばかりだ。だが、一人旅を続けてきたからこそ彼女はその戦闘技術を必要に迫られたのだろう。そう思うと、何か気の利いた言葉をかける気にもなれない。彼女は「行こう」と言って俺に背を向けると一人で歩き出した。
「どこに?」
「クタラの街だよ。おそらく、ここに合成魔獣はいない」
「俺達はまんまと嘘の情報に乗っけられたってわけか?」
「嘘ではないぞ、鎧」
何者かが俺の言葉に横槍を入れた。子供っぽい高い声と“鎧”という呼び方でその人物が誰かは分かったが、まさかここに来るとは思わなかった。
「何でお前がここにいるんだ、ダウト」