Episode44 出立
俺は、前にも夢で見た黒髪の女の子と一緒に自然公園のベンチに座っていた。また……夢か。どこか懐かしさを感じるが、いつのことかは全く思い出せない。ただ、彼女が隣で微笑んでいるだけで心地良かった。緊張を強いられてきた今までの過酷な旅とは違って、この場所は気持ちが落ち着いた。
いつまでも、こうしていたい。しかし……それはできない。記憶を取り戻すまで、俺に本当の安らぎは決して訪れないのだ。
「そんな張り詰めた顔をしてどうしたの?」
不思議そうに首を傾げて彼女は問う。俺はその問いにすぐに答えることができなかった。彼女に全てを話してどうなる? この俺の中の曇りが少しは晴れるだろうか。でも、きっと彼女には何を言っているのか分からない。今の俺はただの人間だ。
「なあ、一つ訊いてもいいか?」
「うん、いいよ」
彼女は天使のように優しげな笑みを浮かべ、快く頷いてくれた。その顔を見て俺は言うか躊躇ったが、覚悟を決めて切り出した。
「君は一体……誰なんだ?」
困ったように首を傾げる彼女。本当は、俺は彼女のことを知っている筈なんだ。しかし、忌まわしき記憶喪失のせいで、今、俺の隣に座っている、親しい間柄であろう彼女の名前すら俺は思い出せなかった。
「え、分からないの? 私は……」
彼女が何かを言おうとした次の瞬間、俺は目を覚ました。ぼんやりとした暖色の照明が目に入り、意識が冴えてきた。隣で眠るフィオはまだ寝息を立てている。窓の先の地平線の彼方には微かに朝陽が見え始めていた。そろそろ、ブランクとの約束の時間か。
「フィオ、もう宿を出るが用意はできているか?」
身支度をし終えた俺は、眠そうな表情で目を擦りながら起きてきた部屋着姿のフィオに訊く。彼女はしっかりとした意識があるかは分からないが、ゆらゆらと体を左右に揺らしながらうんうんと何度も頷いた。きちんと彼女の荷物は整頓されて宿部屋の隅に置かれていたので、昨夜の内に全て終わらせていたようだ。だが、寝ぼけ眼の彼女を見て分かるが、随分夜遅くまで掛かってしまったらしい。
「明日に備えて早めに寝ろって、俺が寝る時に忠告しただろ?」
「ごめん……。もっとここにいるつもりだったから荷物が部屋中に散乱しててね。思った以上に手間取っちゃったよ」
「病み上がりなんだし、体には気を付けろよ」
「分かった」
「もう出発するぞ。ブランクを待たせては悪い。部屋の外で待っているから、早く着替えて来てくれ」
彼女が頷いたのを見て俺は部屋を出た。扉の前で待っている間に、先程、夢で見たことに思いを巡らせる。結局、あの黒髪の少女が何者なのかは分からずじまいだ。いつも、大事な局面で何かに遮られる。胸のわだかまりはどんどん大きくなるばかりだ。
「そんな張り詰めた顔をしてどうしたの?」
俯いていた俺ははっとなって顔を上げる。目の前に立っていたのはあの黒髪の少女ではなく、心配そうな顔をしたフィオだった。
「……なんでもない。行こう」
フィオが何か言いたげな表情をしていたのを見て、俺は彼女から逃げるように背中を向けて歩き始めた。どうして、こんなにも感情が揺さぶられるのだろう。黒髪の少女とフィオの姿が重なり、何故か気が動転してしまっていた。
北門ではすでにブランクが相変わらず磔の笑みを浮かべて待っていた。
「揃ったな、出発だ。寄り道をする予定はない。ちゃんと準備は済ませてきたな?」
「ああ、問題ない」
「私も」
俺達三人はどこか緊迫した空気の中、破滅の一途を辿る城下街ウェイルを後にした。




