Episode33 二人の溝
フィオに銃口を向けられたその日から、俺達の仲は険悪そのものだった。お互いに事務的な会話しかしなくなり、城下街ウェイルに到着してもそれは変わらなかった。昼前に着きまだ時間に余裕があったので、昼食を済ませたあとに俺達はすぐにウェイルのギルドに向かった。
「何の人だかりだ?」
ギルドに入って最初に目に入ったのは、尋常ではない人の山だった。大きな掲示板に貼り出された一枚の依頼の書かれた紙に、その場にいる殆どの冒険者や旅人が釘付けになっている。
「初めてギルドに来たが……いつもこんな感じなのか?」
「いや、普段でもあそこまで、一つの依頼に人が集まることはないよ。大体、どれも似たようなものだからね」
「……少し、様子を見てくる」
フィオが了承の意で頷いたのを見てから俺は人ごみを掻き分けて、依頼用紙に書かれていることが見える位置まで移動した。ギルド内のあちこちで叫声が鳴り響いている。こういった場所に慣れていない俺は、なるべく早く仕事の内容の確認を済ませて、すぐにでもこの場から離れたかった。
「内容は警備か。依頼元は……王室だと?」
俺達が今いる中立国リオンドの首都ウェイルの王室。つまり、リオンド王からの直々の依頼ということである。道理で募集人員も報酬も他と桁違いなわけだ。目を疑うような法外な額の報酬金。おまけに、依頼を引き受けている間の衣食住は約束されると書いてあった。
これは、受けない理由はない。我先にと、依頼を見た者達がギルドの受付に走っていく。俺達も急がないと、すぐに募集人員に到達してしまう。俺は人ごみから抜け出すとフィオを手招きして、すぐに受け付けで依頼の申し込みを済ませた。ちょうど、俺達で締め切りだったようで、運の良さに感謝する。
「それで、何も聞かされずに私も一緒に依頼を受けさせられたわけだけど、内容の方を教えてもらえるかな?」
ギルドを出てすぐに、フィオは明らかに不機嫌そうな表情で尋ねてくる。時間がなかったとはいえ、何の説明もなければ彼女が怒るのも無理はない。ますます、俺達の間に流れる空気が気まずいものになってしまった。
「この城下街ウェイルの王室からの特別な依頼だ。内容は、ウェイル城周辺の警備。最近、国王身辺に不審な影があるらしい。今のところ死人は出ていないが、実際に、何人かの王室の人間が、一人でいる時に襲われて大怪我をしたとのことだ。だが、犯人を捕まえようにも、現在、リオンド軍は近衛兵を含めて財団と教会への牽制の為にウェイルから離れた国境付近に多く配置されている。その穴を二大勢力のいずれか、あるいは両方に狙われたってことだろうな。だから、圧倒的な人手不足の今は、藁にも縋る思いでリオンド王は俺達のような旅人や冒険者を傭兵として雇おうとしているようだ。期間は今日から約一週間で、警備も今夜から始まる。衣食住までついているし、けっこう魅力的な依頼だろ?」
「話は分かったよ。でも、この街には“何か”いる。具体的には分からないけど、ナタリアに匹敵する、いやそれ以上に強い化け物の気配をこの街のどこかから感じる。だから……せいぜい気を付けたほうがいいよ」
いつの間にか、不機嫌そうな顔は鳴りを潜めて、フィオは真顔になっていた。
「……肝に銘じておく」
俺には特に何も感じられなかったが、長い間化け物と戦ってきたフィオが言うのだから間違いない。
「私は少し調べたいことができたから、じゃあね。王室が用意してくれているという宿で君は休んでいるといい。また夜に合流しよう」
「あ、おい! ……全く、宿の場所も聞かないで、どうやって合流するんだ」
俺の返事を待たずにフィオは去ってしまった。あれだけ他者への深入りは禁物だと彼女に言われていたのに、この様だ。本当に自分が情けなくなる。何も言わずに大人しく引き下がっていればこうはならなかった。とはいえ、過ぎたことに悩んでいてもしょうがあるまい。今は王室から提供された宿で先に待機し、共に警備を行なうメンバーと顔合わせでもするとしよう。
王室指定の巨大な宿に備え付けられた食堂には、すでに百人近くの屈強な戦士達が集まっていた。今夜には警備が始まるからか、緊張感が漂っている。二大勢力のいずれか、あるいは両方から遣わされた精鋭の刺客と戦う可能性が高いのだ。呑気に飲んではいられないだろう。
そんな強者達の中でも、一際異彩を放っている者がいた。テーブルに肘を突いて両指を組み、山高帽子を被った黒尽くめの男。そのテーブルは他に何人も座れる場所があるのに、男の放つ威圧感からか誰も近付こうとしない。ふと、男が俺に顔を向けた。
瞬間、背筋が凍り付いた。どうしてかは分からない。ただ、この感覚は以前にも感じたことがある。しかも、つい最近のことだ。確か……。
「初めまして」
それが、男の第一声だった。見れば、男は俺の目の前に立っていて、握手を求めるかのように自分の右手を差し出していた。元から人相が悪いのか、笑みを浮かべる口元とは逆に、その両目は俺を射殺さんばかりに睨みつけているように見える。握手を交わしたあと、男は勝手に自己紹介を始めた。
「私はブランク。短い間だが、よろしく」
ブランクと名乗る男は、肉体を相当鍛え上げているのが近くで見れば服の上からでも分かった。腰には華美な装飾のない実用的な軍刀を帯刀し、左胸に硬そうな膨らみがあることから、おそらく銃器も隠し持っているのだろう。
「ああ、こちらこそ。俺はジンだ」
ブランクは満足したように軽く頷くと、踵を返して自分の席に戻っていく。その去り際に、俺はふと浮かんだ一つの疑問を投げかけた。
「なあ、ブランクさん。あんたと俺、最近どこかで一度会ってないか?」
「さあ、何のことだか」
彼はこちらに顔だけ向けて答える。その口元には張り付いたような気味の悪い笑みが浮かんでいた。