Episode29 渡航
更新遅くなってしまい申し訳ありません
早朝、出発の準備を終えた俺とフィオは、警察支部でオリバーから礼の言葉と共に懸賞金を受け取り、都の北にある港まで来ていた。到着した時には、間もなくエイギリカ行きの船が出るところで、ぎりぎりで乗船の手続きを済ませ、俺達は足早に船に乗り込んだのだった。
「これから、新天地か」
「そうだね。何度も言うようだけど、この先は危険も多くなると思う。気を引き締めていこう」
「ああ」
ダウトの話によれば、今のエイギリカは大陸内の二大勢力による内戦が勃発しているという。幸い、上陸する南側は危険性は比較的低いらしいが、それでも、危ない橋を渡ることには違いない。フィオの言った通り、戦いに巻き込まれる覚悟をしておいてもいいだろう。
「それにしても見事な海だ」
一面に広がる海面は、太陽の光に当てられてきらきらと鮮やかに輝いていた。近くで見ているからか、宿で見た時よりも透き通って見える。
「今、私達のいる東の海域は海が綺麗なことで有名だからね。逆に西の海域はダイダル大陸の軍事施設から垂れ流しにされた産業廃棄物で薄汚れていて目も当てられない。そのせいで海洋生物の多くが死滅してしまって、ロイ大陸の漁業は壊滅的。海側の街々の産業の殆どが廃れてしまっているのが現状だよ」
「酷いな」
「うん。……少し船室で寝てもいいかな? まだエイギリカに着くまで五日は掛かるだろうから、海の上ぐらいはのんびりしておきたくてさ」
「分かった。もう少しこの景色を眺めたら俺も戻る」
フィオはくるりと踵を返すと、部屋に向かって足早に歩き去っていった。一人残された俺は、美しい海を眺めながら物思いに耽る。
俺達を追ってきた謎の影。フィオ曰く魔族と呼ばれる人外の力を操る存在。もし仮に彼女の言っていた事が事実ならば、一体どう対抗すればいいのだろうか。おそらく、これまで以上に危険を強いられることになる。今のままの俺では力不足であるのは否めない。思えば、昨夜、あの影と対峙した時から気分が晴れないままだった。
「そんな険しい顔してどうしたんだい?」
気が付くと、見知らぬ女が俺の隣に立って地平線の彼方を見ていた。横目で見ても分かる鍛え上げられた体つきから女はかなりの手練れだと見て取れる。
「誰だ?」
「何、別に怪しい者ではないよ。あんたと同じただの旅人さ。困っている奴を放っとけない性分でね。つい話しかけちまったんだ」
「俺の顔は兜で見えないだろう。それに、別に俺は困っていない」
鬱陶しそうに俺がそう言っても女は気にした様子もなく、何が可笑しいのかけらけらと笑っていた。
「雰囲気って奴だよ。そう冷たくしなさんな。どうせ、この船がエイギリカに着くまでは一緒なんだ。それまでの間くらい仲良くしたっていいだろ?」
「……」
追い払うのも面倒だし、暇を持て余していたので、少しだけこのおせっかいな女に付き合ってやることにした。
「それで、何があったんだい?」
「何かあったわけではないさ。単に自分の力不足を嘆いていた。それだけの話だ」
「力不足……ねぇ」
女は下を向き、下顎に親指を当てて考え込むように唸り始めた。今になって、女の右腕がないことに気付く。乱雑に巻かれた肩口の包帯に血が滲んでいることから、ここ数日間の間に負わされたものであるのは間違いなさそうだ。右腕がない女……どこかで聞いたような気がするが、昨日は色々あったせいか、頭の中がこんがらがったままで思い出せそうにない。
それから暫くの沈黙の後、先程とはうってかわった真剣な表情で女はこちらに顔を向け口を開いた。
「その気持ち、なんとなく分かる気がするよ」
「……そうか」
ふと、押し寄せた波風が頬を撫ぜる。女はそれから半笑いを浮かべて、自嘲するように続けた。
「絶対に敵わない奴がいて、でも、絶対にそいつに負けるわけにはいかなくて。いつかきっと越えてやるって自分にはそう言い聞かせてきたけど、結局、無理なんだよ。本当、情けない話だ。こんなこと、あんたに話したところでしょうがないんだけどね。あんたがあたいと同じ目をしていたもんだから、思わず口を突いて出ちまった」
何か気の利いた言葉の一つや二つ言おうと思ったが、気安く立ち入ってはいけないような気がして、俺は沈黙することしかできなかった。
「辛気臭い雰囲気になっちまったね。あんたのお悩み相談をする筈が、あたいの下らない話に付き合わせて悪い」
「別に構わんさ」
「あんた、やっぱり良い奴だよ。あたいに気を遣って敢えて何も言わなかったんだろ? 薄っぺらな同情やら慰めよりもよっぽどましな対応だ」
女は俺の肩をポンと軽く叩くと、ニッと快活に笑ってみせた。
「じゃ、そろそろあたいは船内に戻るとするよ。最後にあんたの名前を聞いてもいいかい?」
「ジンだ」
「あたいはカセン。それじゃ、ジン。またいつかどこかで」
「ああ、そうだな」
カセンは手を振りながらゆっくりと船内に消えていった。何故か、その彼女の背中が俺には酷く物寂しいものに見えた。




