Episode2 冒険の始まり
目が覚めた。木々によって遮られているものの、陽は昇り雲一つない青空だ。すでにフィオは起きて出発の準備を整えていた。大木に体を預けて寝ていた俺は起き上がってずた袋を手に持つ。
昨日化け物に襲われたせいか、それとも体が異様な変化を遂げたせいなのかは知らないが体の節々が痛んだ。彼女は俺が起きたのに気付くと一瞥くれて「出発しよう」とだけ言い、返答を待たずに足早に歩き出した。俺も彼女を追いかける形で歩き始めた。
フィオが先導して歩いているが、俺達の間には会話がなかった。昨夜の彼女とのやり取りのせいか申し訳なくて気まずさを感じる。彼女はずっと無表情で、何か話を切り出そうにも話題もないので非常にやり辛い。さて、どうしたものだろうか。
「名前」
「?」
突然にフィオが強い口調で切り出したが、俺はその彼女の言葉の意味を計りかねて首を傾げる。
「君のこと、なんて呼べばいいかな? 私のことは呼び捨てでいいけど、君の名前が分からない以上“君”と呼ぶしかない」
そうか、そういうことだったのか。フィオの言葉の意図を理解する。彼女の言うことは最もだ。確かに名無しでは呼び辛いだろうし何かと不便である。だが、記憶がない今の俺にそんなことを言われたところで答えようがない。
「名前、か」
「もし思い出せないならさ。ジンって呼んでいい?」
突然のフィオの申し出に俺は困惑こそしなかったが、少しばかり疑問を抱いていた。彼女の言っていることが飛びすぎているのか、それとも俺の察しが悪いのか。話が上手く噛み合っていない。
「別に何でも構わない。その名前、何か拘りがあるのか?」
「まあ、そうだね。言うならば昔の仲間の名前かな」
懐かしそうに目を細め口元を緩ませる彼女の提案を却下する理由はない。そもそも、俺の名前が何なのかすらわからないのだから。
「そうか、わかった」
「じゃあ、いいよね」
フィオは俺の言葉を是と受け取ったようだった。そのつもりで言ったので何も不平はない。
「よろしく、ジン」
嬉しそうな笑みを見せる彼女に俺は頷いた。彼女の勢いに押し切られるようにして俺の当面の呼び名はジンとなったのだった。
「ああ。よろしく」
未だフィオに対して俺は若干の気まずさが残るものの、ある程度打ち解けたようで何よりである。再び彼女と仲間としての挨拶を交わして、同じような道が続く森を歩き続ける。
「ジンのその体についてだけど自分で制御できないんだよね」
「そうだな」
フィオとは違って俺の体は人に戻れるわけではないらしく、戻し方があったとしても全くその知識がないのでわからない。そもそも自分の体の半分が化け物になるという事象はまず起こらない出来事だろうし対処の方法など知るわけがなかった。
「街にその姿の君が入ったらパニックになってしまうし、とりあえずはその姿を隠せるような全身装甲を街で探そう。今はとりあえず私の外套を貸すよ。けっこうな大きさはあるしそれである程度は隠れると思う。フード付きだから顔も隠れるしきっと大丈夫」
「わかった、色々と手間取らせてしまってすまない」
「いいって、旅の仲間なら当然の事だよ。あ、出口が見えてきた」
フィオが指差した先には一点の小さな光が見える。どこまでも暗がりが続いているかに見えた森をとうとう抜けられるかと思うと嬉しくなる。
「森を抜けて東に行ったところにあるクタラという街に、私が迷いの森での合成魔獣のことを聞いた情報屋がいる。そこにまずは向かおう」
俺は無言で彼女の言葉に頷く。森を抜けた瞬間、様々な出来事で色々な感情が入り混じった心がすっきりしたような感じがした。太陽の光を直に浴びて"生きている”と実感する。それだけは、記憶を失って人ではなくなっても感じられる唯一の気持ちだった。
「なあ、フィオ」
彼女は振り向いて何か用かと首を傾げる。
「生きているっていいな」
突拍子もない俺の言葉に彼女は戸惑うことなく微笑を浮かべた。
「うん、そうだね」
決してこれからの旅の道のりは楽なものではないだろう。ましてや胸を躍らす冒険などでは断じてない。ただ、この旅の始まりに不思議と居心地の良さを感じた。生きていられることの幸せを俺は改めて知った。