Episode23 消失
鍛冶屋の職人は最初、俺の姿を見て驚いた様子だったが、特に何も言わなかった。全身装甲の修理に大して時間は掛からず、日が暮れる前には出来上がっていた。
修理が終わって都の中央部に戻ってきた後も俺達の間に会話はない。重い沈黙が続いていて、俺達には気まずい雰囲気が流れていた。
途中、フィオは何かを言いかけようとしては、すぐに諦めたように口を噤んでいた。
俺も、そんな彼女に言葉を掛ける気にはならない。都で評判だという食堂で昼食を済ませたが、料理を味わうような気持ちにはならなかった。
ただ、先程のダウトの頼みの事で頭の中が埋め尽くされていた。本当は、ナタリアと決着を着けねばならない事は分かっている。しかし、それを認めたくない自分がいた。
ナタリアと戦う気にはなれない。彼女との最後の戦いを決定付けられたのが、あの情報屋のせいだというのが気に食わなかった。
そして、それ以上に、ダウトの話に簡単に乗ったフィオに俺は言いようのない失望を心の中に抱いていた。
気が付けば、ポツポツと小雨が降り始めている。
今の俺の心を映し出したような暗く冷たい曇り空を見上げると、より気が重くなるように感じた。そこで、ようやくフィオが口を開いた。
「私が悪かったよ。君の気持ちを尊重せずに勝手に話を進めてごめん」
俺は何も言わずにフィオの事を見据えていた。彼女は話を続ける。
「でもさ。次にナタリアと会う時に殺し合いになる事は、君も分かっていた筈だよ」
「……言われなくてもそんな事は分かってる。俺はただ、フィオやあいつがナタリアをただの怪物としか見ていないのが気に入らないだけだ。元々は、彼女も人間なんだぞ。まだ大人になりきっていない彼女を、どうして、そんな冷たい目でしか見れないんだ」
「前のナタリアはただのいたいけな少女だったかもしれない。でも、今の彼女は都を震撼させる連続殺人鬼なんだよ。きっと、ナタリアの暴走はその息の根を止めるまで止まらない。君もいい加減、現実を見なよ」
「……」
「ちょっと、どこ行くの!?」
「少し、一人にしてくれるか」
俺はフィオに背を向けて歩き出していた。これ以上、彼女と話しているとこみ上げる怒りを抑えきれない。
確かに彼女の言っている事は正論だし、魔物と化したナタリアに肩入れする俺の方が間違っているかもしれない。
それでも、だ。俺はナタリアが踏み止まる僅かな可能性を強く信じている。たとえ、誰が何と言おうと、それだけは譲れない。
どうして、俺がここまでナタリアの事を助けてあげたいと思うのかは自分でも分からない。
フィオは俺を追ってきてはいなかった。怒りに任せて仲間を突き放すような真似をしてしまった。だが、今の俺には頭を冷やす時間が必要だ。
一人、都の東部の大通りを俺は歩いていた。突然の雨で人ごみは少なく、昼間に比べて歩きやすく感じる。
それでも、さすが北の都といったところで、どの店にも人だかりができていた。販売されているのは、生活用品や食品類の品々が殆どだ。
ふと、派手な彩色の看板が目に付いた店に立ち寄ってみた。そこは、旅人を客層としている所で、携帯食料が多く販売されていた。
バックパックは宿に置いてきていたし、出掛ける時にポケットに突っ込んだ金は全身装甲の修理費と昼食代で消えたので、大した持ち合わせはない。
価格は安めに設定されていたので、ずた袋に入った残りが少なかったのを思い出し、手持ちの許す限り購入しておいた。
これで、都を出た後でも一週間は持つだろう。都を出た後は長旅が予想されるし、多く買っておいても困る事はない。
だが、所持金は宿においてある分を含め、もう底を尽きかけていた。そろそろ、稼がなければならない。
俺は袋詰めにされた携帯食料を背負って、フィオの言っていたギルドという所に向かう事にした。もしかしたら、そこで彼女に合流できるかもしれない。
しかし、そんな俺の淡い期待は簡単に打ち砕かれた。というよりも、ギルドに向かう途中で俺は今一番会いたくない相手に出会い、ギルドに行くのを諦めざるを得なかったのだ。
その相手とは、変わり果てた姿のナタリアだった。突如、鳴り響いた悲鳴を聞きつけた俺が向かった先に“ナタリアだった怪物”は居た。
その怪物がナタリアだと、俺は最初分からなかった。狼のような剛毛に覆いつくされた逞しい両足に、鋼鉄のような装甲を上半身に纏う怪物。
大鎌と化した両腕を構え、襲われたらしき女性は恐怖に震え腰を抜かしていた。俺に気付いたのか、その怪物は昆虫染みた異形の顔でこちらを見た。
もう、ナタリアの人間としての面影は微塵も残されていない。人を食い殺す魔物がそこにいた。眼下に映る化け物を彼女だと思いたくはない。
だが、昨夜と同じナタリアの深い憎悪と殺意がその怪物からはありありと感じられ、それが彼女だと確信するしかなかった。
刹那、ナタリアだった怪物は女性に大鎌を振り下ろす。俺の立ち入る一切の隙を与えずに、そいつは女性の顔面を大鎌の先端で貫き殺したのだ。
血飛沫が全身装甲にまで飛散する。惨すぎて、吐き気がした。大鎌によって地面に磔にされた女性の体はビクビクと痙攣を起こし、大量の鮮血が流れ出ていた。
ナタリアを救う事は敵わなかった。もう、彼女はいない。あれは、ナタリアという人間を飲み込んだ魔物だ。
その現実を見せ付けられ、俺は激しい無力感に苛まれた。ナタリアは内に潜む怪物に食われ、犠牲者まで増やしてしまった。
怪物は嘲るように俺の方を見ながら、切り裂いたり更に突き刺したりして、女性がただの肉塊になるまで怒りをぶつけていた。
背負った長剣の柄を俺は静かに握り締め、深呼吸する。あの怪物を生かしておいてはいけない。
フィオの言う通りだ。あれは、間違いなく俺達の倒すべき相手だ。怪物も俺の方にその巨体を向ける。
邪魔になる携帯食料の袋を路地の端に投げ捨て、俺は両腕で大きく長剣を振りかざした。




