Episode21 都の貿易店
果てしなく広がる群青色の空と、朝焼けに照らされきらきらと光り輝く海面を見て俺は言葉を失った。
フィオが目に焼きついていると言っていたのも頷ける、一度目にすれば決して忘れないような美しい景色だった。蒼い海に心が洗われるかのようで俺は何も言えず、ただ感動するばかりだ。そんな俺の心境を見透かしてか、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
「これが、私が君に見せたかった景色だよ」
「……何も言えないな」
「それはよかった」
フィオは嬉しそうに目を細めて笑った。陽の光に照らされた彼女はいつにも増して綺麗で、思わず見惚れてしまった。肩口で切り揃えた艶のある美しいブロンドと、透き通った翡翠色の瞳。端麗な顔立ちを見て今更ながら改めて彼女が美人だと認識する。
「どうしたの?」
首を傾げて怪訝そうにフィオがそう訊いてくるまで、俺はずっと彼女に釘付けになっていたようだった。慌てて何でもないと誤魔化しても彼女は納得がいかないようで首を捻ったままだった。話題を変えるべく今日の予定を尋ねてみる。
「今から食料品とかを買いに都の東部に行くつもりだよ。他大陸からの輸入品も多いからきっとジンも楽しめると思う。昼食は都の中心部にある食堂で済ませて、午後からはギルドで一仕事しよう。大体の流れは今言った通りだけど、どうかな」
「問題ない」
「じゃ、決まりだね。着替えたらすぐに出発するよ」
それから俺とフィオは別々の部屋で手早く着替えを済ませて合流するが、俺は相変わらずの全身装甲なのに、彼女はいつも着ている旅服と違っていた。街娘の着るような絹のワンピースを着ていて、それがまた彼女には似合っていた。すれ違う男が皆振り返るような魅力が今の彼女にはあった。
「前からこういう格好がしてみたかったんだ。買ってはいたんだけど、なかなか着る機会がなくてね」
その言葉は、彼女が一人旅の中で一切気を抜けなかった事を意味していた。ふと、彼女と最初に飲み交わした時の一件を思い出す。今まで彼女は何事も自分一人でこなさなければならず、何時も強く在り続ける事を強いられてきた。どれだけの努力を重ねてきたのか俺には分からない。だが、だからこそフィオは高い実力と多くの知識を有しているのだ。……仲間達の復讐に駆られる彼女はそうならざるを得なかった。
「ジン?」
「……ああ、すまない。あまりにも似合っているから見惚れてしまってな」
「君は嘘をつくのが下手だね。そんな曇った顔で言われても嬉しくない」
「似合っているってのは嘘じゃないんだけどな」
「まあ、そういう事にしておくよ」
フィオは全てを見透かしたような薄笑いを俺に向けた。やはり、彼女の読心術にかかれば俺の安っぽい同情などお見通しなんだろう。もしも、ここで何か哀れみの言葉を彼女に投げ掛けたのなら、それは彼女の努力を否定する事になる。俺は沈黙で返すことしかできなかった。
「……気を取り直して、そろそろ行こう。今日は武器を持たない私を騎士さんが守ってね?」
「ああ、任せろ」
フィオのポケットに拳銃のグリップの先が見えた気がしなくもないが、あえて突っ込むのはやめておく。俺達は貴重品だけ持って海神を後にすると都の東部に向かった。北部からだとそれなりに距離があり、到着までに半刻を要した。
東部に辿り着いてまず最初に驚いたのは人の数だった。クタラの街と比べ物にならない程の多くの人々で市場は埋め尽くされている。さすが大陸一番の都といったところだ。これでは人の波に流されてしまって真っ直ぐ進む事すら困難ですぐに迷ってしまいそうだ。
「私から離れないようにね」
「わかった」
フィオは俺の心中を察してくれたようで、はぐれないように俺の手を引きながら東部の大通りを歩き出した。確かな足取りで人ごみを掻き分けながら突き進んでいく彼女の後姿に尊敬の念を抱く。彼女についていくのに精一杯な俺には到底無理な芸当だった。
人並みに暫く揺られていると、フィオに引かれるままに俺は細い路地の方に出て、遂に目的の店に到着した。
「ここは他大陸の特産品を直輸入している都でも有名な店なんだ。前に仲間達と来た事があるんだけど、その時は多種多様な品揃えに驚かされたのを覚えてるよ」
「それは、期待して良さそうだな」
その店は綺麗に敷き詰められた煉瓦造りの入り口に多彩色で塗られた派手な看板がアーチ状に飾られていた。実に都会の店らしい。外観にここまで煌びやかなら、内装がどうなっているのか楽しみだ。
店の中は外観に負けず劣らずの意匠が細部まで施されていた。王宮仕立ての床一面に敷かれた真っ赤な絨毯と、天井にぶら下がる豪華なシャンデリアが見える。硝子で作られた複数のテーブルには各大陸の特産品がそれぞれ置かれていた。多くの客達が目を輝かせて品物の数々を眺めている。この店の人気は高いようだ。
「どう? 気に入った?」
「財布の中身が心配になってきたな……」
冗談っぽく俺がそう言うとフィオはさも可笑しそうにくすくすと笑った。実際、派手な店の内装からして、品物の値段が気になるのは確かだ。他大陸からの輸入品という事は輸送船を経由する為に現地よりもは当然ながら高い価格が設定されているだろう。俺は早速近くにあったテーブルに近付いてみた。
そのテーブルには、北の港から行くことができるエイギリカ大陸の品々が等間隔に陳列されていた。特産品としてエイギリカ特有の技術で作られたという繊細な作りの懐中時計が多く飾られていたが、そのどれもが高価そうだった。
硝子板に立て掛けられた懐中時計の下にちょこんと置かれた値札に俺はなんとなく目をやって、その次の瞬間、あまりの衝撃に開いた口が塞がらなくなった。金貨百枚。到底、一日やそこらで稼げるような額ではない。その懐中時計は他と比べても異彩を放っていて文字盤の中から裏にまで美しい花のような紋様が描かれていた。
他の懐中時計の値札を確認してみても、最初に見た金貨百枚という膨大な額が書かれたものはなかった。だが七十枚や五十枚といった価格の時計はちらほらと見受けられ、洒落た懐中時計に憧れを抱くものの俺の手の届く代物ではない。気が付くと、いつの間にかフィオが俺のすぐ隣に並んでいて俺と同じように陳列された懐中時計を見回していた。
「ジンは懐中時計に興味があるんだね」
「まあ、時計は手元に残るものだからな」
「何かそういった物に思い入れでも?」
「“今”の俺には分からない。でも、そうなのかもな」
「そっか。……早く記憶を取り戻せるといいね」
「そうだな」
それから、各大陸の特産品を見て回ったが懐中時計の他は特に目ぼしい物はなかった。船を経由しているからかどの品物の物価も高めだ。あまり財政的に良くない現状で無駄遣いはなるべく避けたかった。それに、現地で買った方が種類も多くて安く買うことができるだろう。
「何か欲しい物はあった?」
「いや、別に。そろそろ出よう」
「分かった」
旅の道中にいつか立ち寄るだろう他大陸の珍しい品々を目にしてから、俺はまだ見ぬ土地に一体何が待ち受けているのかと思うと胸の高鳴りを感じていた。




