Episode16 油断
突然、一人で走り出していなくなったと思ったら、都の警察に捕まっているなんて、一体、何をしているのだろう。馬鹿。朝っぱらから宿の人に警察が呼んでいると言われ、私はシャワーも浴びれずにジンの元にすぐに飛んでいった。きっと何かに巻き込まれたのだろうと思っていたけれど、彼は事件現場に一人でいたところを警官達に取り押さえられたらしい。抵抗しなかったのは余計に疑われないようにする正しい判断だと言えるけれど、それでも、あの容姿では犯人だと決め付けられてしまう。都中で怪物が捕らえられたという噂も流れていたし、警官達も犯人を捕まえたと大喜びして浮かれきっていた。
私達は昨夜、この都に入ったばかりだ。どうしてジンが現場に居合わせたというだけで、一週間前から起きている連続殺人の犯人にされなければならない。そのことをいくら説明しても、警官達はまともに取り合ってはくれなかった。それどころか、私が犯人を擁護しているのではないかという変な疑いまでかけられた。
どうして、こんな目に遭わなければならないのか。それもどれも、ジンを襲った真犯人、彼の言っていたあの少女のせいだ。話によるとあの女の子は合成魔獣。おそらく精神の殆どを怪物に食われている。もう手の付けようはない。万が一出会ったのなら殺し合いは必至。
また彼女が人を殺せば、さすがに無能な警察も真犯人が別にいると気付くだろう。今、私にできるのは殺人鬼を追うのではなくジンが戻ってきた時の為に旅の資金を多く稼いでおくこと。そして、彼の言っていた刺青の男の情報を集めなければならない。
ひとまず少女のことは放置して動きがあるまでは様子を見よう。それにしても、ジンを監視している警官が妙に殺気立っていたのが少しだけ気掛かりだった。けれど、警察の人間が無抵抗の人間にそう簡単に手を出したりはしないだろう。ひとまず私は警察支部を後にしてギルドに向かった。
メアラーシティのギルドは旅人御用達の道具の数々が売られている東部に位置していた。警察支部が中央部にあったので歩いていくのにそこまで時間は掛からない。ギルドは巨大な天幕のような形をしていて他の店と比べても一際大きくて派手だった。冒険者、旅人歓迎の貼り紙が天幕正面を埋め尽くしている。私は暖色の幕を潜ってギルドの中に入っていった。
久しぶりにギルドに入った。メアラー大陸には小規模の村や街は多数存在するが、ギルドがあるところは少なかった。おそらく、この大陸でギルドが建設されているのはこのメアラーシティと一部の大きな街くらいじゃないか。
ギルド内部の沢山の依頼が貼られた掲示板には、多くの旅人や冒険者が集まっている。ジンにもギルドならではのこの賑やかさを見せてあげたいと思った。高額の報酬が用意された依頼にはそれなりの危険が伴うが今は所持金が少ない。背に腹は代えられない。そう考えた私は目に入った一番高額な報酬の依頼の用紙を手に取った。
都の住人からの依頼で内容は最近都周辺を暴れまわっている巨大虎の討伐。警察は連続殺人鬼の件で忙しくてそこまで手が回らないらしい。出没地域は都の東部から出てすぐのところの小さな密林で、その虎はの凶暴性は凄まじく挑んだ冒険者の多くが犠牲になったそうだ。私一人で倒せるかは不安だが何体もの合成魔獣と戦ってきた自分の腕を信じよう。見事、虎を討ち取った者には金貨十枚という、おそらく住人達の出し合った相当な大金が贈られる。金を一気に稼ぐのには持って来いの仕事だった。
都に向かう途中にすれ違った猪達も、多分この巨大虎に住処を追われたのだと思う。そう考えると都である程度の武装を揃えてから行こうか迷うが、他の冒険者や旅人に先を越されては困るのでやめておく。
「お嬢ちゃん。その“人食い虎”を狙うのかい?」
私に話しかけてきたのは大柄でジンのような全身装甲を着込んだ冒険者らしき男だった。背中にはその体躯によく似合う巨大な斧を背負っている。
「そのつもりだよ。報酬の額がいいからね」
「その分、死の危険が付き纏うが……な。俺もちょうどそいつを狙ったところだ。どうだい? 手を組んで報酬を山分けってのは」
依頼を受けに来て他の冒険者に声を掛けられるのはよくあることだ。その内容の大半を占めるのが依頼の協力。たまに気安く声を掛けて口説いてくるような男がいるけれど、今回話しかけてきた男は協力が目的のようだった。
「君は見たところ前衛で腕が立ちそうだし、銃士の私とは相性が良さそうだね。うん。構わないよ」
「おう、見る目があるな、姉ちゃん。よし、決まりだな」
断る理由はなかった。報酬は半分になるけれど、金貨五枚でもかなりの大金が手に入ることには違いない。それに、一人で戦うよりもリスクが大きく軽減されるし何より討伐対象と対峙した時に鉢合わせすると揉めかねない。早い者勝ちが依頼の基本だが無理に争いの種を作る必要性はない。一人旅をしていた時も他の冒険者や旅人と共闘することは多かった。
私と全身装甲の男は巨大虎の依頼を受ける事と協同の旨をギルドの受付に伝え、すぐに都を出て密林へと向かった。
「俺はトム。アメジア大陸のブルディンの出身だ」
「私はフィオ。ブルディンって鍛冶職人の街じゃないか。道理で立派な斧を持っているわけだね」
工業が盛んなアメジア大陸でもブルディンは鍛冶において世界で一、二位を争うほど有名な街だ。自分の装備品を褒められてトムは嬉しそうに快活に笑った。
「おお、分かるか! フィオちゃん、若そうなのに色々と詳しいんだな」
「旅をして長いからね」
名前にちゃん付けされたのが少し気になったが、あまりに自然だったので突っ込む気にはならなかった。昔の仲間の一人にもそんな風に呼ばれていたが、トムとは違って彼の言い方はかなり気持ち悪かったけど。でも、嫌いではなかった。彼はいつでも明るく場を盛り上げてくれたし常に仲間への気配りを忘れなかったから。
「そうかそうか! そうなんだよ、この斧は親父が旅に出る俺の為にわざわざ鋳造してくれてな! ……」
それから、トムが故郷の話に花を咲かせて私が時々相槌を打っている内に密林に辿り着いた。
「ようやく着いたか。む、近いな」
近付いてくる巨大な気配にトムは斧を構える。私の見込み通り、彼はやはり戦いに慣れている冒険者だ。手を組んで正解だったと思う。私も腰のホルスターから拳銃を右手で抜いた。そして、もう片方の手には先日手に入れた短機関銃を持って万全の体制で臨む。
人の気配を即座に感じ取って近寄ってきた巨大虎は一瞬で私達の前に躍り出た。視界に入った瞬間から何発か銃弾を叩き込むが、華麗にかわされる。さすがに、そう簡単に倒せるような相手ではないか。巨大虎は私に狙いを定めて飛び掛ってきたが、ジムがその前に立ちはだかって斧の柄で攻撃を受け止めた。
「フィオちゃん、前衛は任せな!」
「うん。すぐに終わらせる」
すぐに私はトムの右に移動して、巨大虎の横腹に銃弾の雨を浴びせた。悲鳴を上げて虎は口から血を吐きながら後退りする。虎は地面に倒れてすぐに動かなくなった。やはり、合成魔獣に比べれば少し大きいくらいの獣を仕留めるなど実に容易い。
「ありがとう・トムが押さえてくれていたおかげで簡単に倒せたよ」
トムは私の方を向いて拳を上に掲げる。その次の瞬間、彼の体を槍が貫いた。いくら頑丈な鎧とはいえ、近距離から思いっきり突かれたのでは簡単に貫通する。心臓を一突き。即死だった。トムは引きつったような笑顔を浮かべたまま、固まったようにゆっくりと前に倒れた。
結論を言うと、私は油断していた。だから、巨大虎とは別の多くの気配に気付く事ができなかった。高額な報酬の依頼にはその手柄を横取りしに来る輩が少なからずいることをもっと警戒しておくべきだった。
私はすぐに何が起こったのか把握した。気付けば数人の冒険者達に取り囲まれていた。向けられたのは明確な殺意。おそらく、ギルドで依頼を受けた私達を彼らは尾行してきたのだろう。巨大虎の首、それに加えて私がギルドから受け取った依頼受注の紙さえあれば倒した本人であろうとなかろうと報酬は受け取れる。
結局、銃弾を何人かの眉間に撃ち込んだら生き残った者達は恐れをなして逃げていった。他人の手柄を横取りするような連中だ。その強さは私やトムには遠く及ばない。私が油断しなければこんなことにはならなかった。
「ごめん、トム。……気付けなかった私が悪い」
トムの死体に手近にあった私の外套を上から被せた。私がもっとしっかりしていればこんな事にはならなかった。油断していたのはトムも一緒だが私は彼よりも多く場数を踏んでいる。こういう事態を予期できた筈だったのに迂闊だった。
討伐した証であるナイフで切り落とした巨大虎の首を縄で縛って、私はそれを背負い密林を出て都に戻った。せっかく依頼を果たせたというのに、気分は重い。旅人や冒険者同士での裏切りや殺し合いが多いのは事実。最初からトムと組まなければこんな気分にならなくて済んだと思ったけれど、それだと密林で彼と衝突していたかもしれない。
今日会った仲とはいえ、目の前で仲間に死なれるのは嫌なものだ。でも、いつまでも落ち込んでいてはいられない。人間誰しも死ぬ時は死ぬ。たまたまトムが死んだのが今日だっただけだ。そう自分に言い聞かせて私は報酬を貰いにギルドに向かった。巨大虎の首をギルドの受付に渡して報酬の金貨十枚を受け取り、せめてもの償いで密林にあるトムの遺体を葬儀屋に頼んで手厚く葬ってもらった。
そうして、事を済ませて空を見上げた頃には、日が沈みかけていた。黄昏時。私の一番好きな時間。昔、他の仲間達が賑やかに草原で焚き火をして談話している中、私と“ジン”は輪を抜けて丘で二人きりで黄昏を眺めていた。彼と私が初めて唇を重ねたのもあの時だった。あの日の記憶は鮮明に焼きついている。大好きだった仲間達。その中でも一番好きで、いつも一緒にいた“ジン”。私の大事な人。 懐かしい日々に思いを馳せて、私は日が落ちて酒飲み達で賑わい始めた夜の都を歩き出した。