Episode13 不吉の正体
何杯目か分からなくなるぐらいまで酒を飲んで、ようやく俺達は店を出た。けっこうな量を飲んだ気はするが、まだある程度は意識を保っていられる。眠いのには変わりないが。フィオもかなりのジョッキを空にしていたが、ちょくちょく俺が水を頼んで飲ませたので前よりはまともだった。それでも、頬っぺたから耳の先まで真っ赤になって鼻歌を歌いながらスキップしているのでかなり酔っている。幸い、深夜で通りに俺達以外の姿はなかった。
今回は俺もけっこうな量を飲んだので、満足感と同時にかなり体がだるくなっていた。今夜泊まる場所についてどうするかをフィオに尋ねると、当てがあるのか彼女は嬉しそうに笑った。
「海が見えるところにしよう」
朝日に照らされた群青色の海は綺麗だから、と昔を思い出すかのように言うフィオに俺は肯定の意で頷く。ここでしか見られないような景色を楽しめるというのに、俺が彼女の提案を蹴る理由はない。
フィオが先導して歩き、俺は都を見渡しながらその広さを痛感していた。クタラと比べていた自分が馬鹿らしくなるくらいだ。都の中央部には噴水があり、そこを中心として沢山の飲食店が囲うように配置されていた。どの店も見たことのないような名物料理の名前とイラストが貼り出されているので、明日、ギルドに寄った後にでも食べに来ようと思う。
噴水の近くに設置された掲示板に都の地図が描かれていて、それを見て俺は都にある施設の大まかな場所を把握した。今向かっている北部には宿泊施設が多く、その反対に位置する南部には入り口で目にしたような娯楽施設が立ち並んでいる。東部には武具などの冒険者や旅人に必要な道具の数々が売られていて、西部には民家が密集しているとのことだ。フィオに聞いてみると、他の大陸からの輸入品は東部で売られているらしい。機会があったら行ってみるのも悪くないだろう。
都の最北端、宿泊施設の中でも一際目立つその宿の前でフィオは立ち止まった。
「ここが海の見える宿、“海神”だよ」
「これは……」
したり顔でフィオは宿を指差す。彼女が自慢げな笑みを浮かべるだけあって、その宿は俺の想像を上回る大きさをしていた。都の入り口にいた時から見えた高台が、まさか今夜俺達が泊まる宿屋だとは思いもしなかった。これだけの大きさだときっと宿泊費用も高いだろう。収入もなかったし、もうすでに所持金も少ないので足りるか心配だった。そんな俺に構うことなく彼女は宿の説明を続ける。
「海の神の名にふさわしい立派な宿屋でしょ? 周りの宿より値は張るけど上階の宿部屋からは他では味わえない絶景が見られるんだ」
「そうか」
俺の頭の中は財政的な不安で一杯になっていたので、フィオには適当に相槌を打っておく。これは、明日からギルドで稼がなくては大変そうだ。情報収集と旅の資金集めの為に一週間ぐらいここに滞在するとフィオは言っていたので、その間に出来る限り働くとしよう。
「聞いてる?」
「悪い。金の心配をしていた」
「まったく、もう。水を差すような事言わないでよ」
「すまないな」
それにしても、酒に酔っている時のフィオは表情が豊かになり口数も多くなる。不満そうに頬を膨らませた彼女の顔は可愛かった。冷静沈着ないつもの彼女とはまるで別人で、そのギャップに笑ってしまいそうになる。そんな俺はもうすでに夜風に当たって酔いが冷めてきてしまっていた。
その心境を読心術を持った彼女に悟られないように目を逸らすと、ふと路地を駆け抜けていく一人の少女の姿が目に入った。歳は十二、三歳だろうか。不吉な予感を感じた俺は追いかけるべくフィオに宿の予約を頼み、ずた袋を預けて走り出した。
「ちょっと、ジン!」
フィオの制止を振り切って俺は少女を追いかける。おそらく、こんなに俺が焦っているのは殺人鬼の噂を耳にしていたからだろう。こんな時間に子供が路地を徘徊していたのも気になる。だが、少女が連続殺人に巻き込まれてしまうのだけは何としても避けたかった。
不吉な何かがすぐそこに迫っている。そんな気がしていた。気が付くと、俺は血腥さの漂う場所に辿り着いていた。首を落とされた死体が幾つも転がっている路地裏の行き止まりで、少女はようやく立ち止まって、俺の方にその幼い顔を向けた。
俺の考えは間違っていた。少女は俺を見上げて狂気の孕んだ笑みを浮かべていた。この都に入ってから感じていた“何か”の正体に俺は気付いた。咽返るような血の臭いと、尋常ではない殺意。可愛らしい少女は人間の枠を外れている、紛れもない化け物だった。
「今日はみんな答える前に死んじゃったから、お兄さんは答えてね?」
不気味に少女が微笑んだ刹那、彼女は腕を鎌のように変形させて俺の首筋を刈り取ろうと迫ってきた。やはり、人の類ではない。長剣では間に合わないと感じた俺は膝を大きく曲げてその攻撃をかわし、目前の少女の鳩尾に拳を食い込ませた。
少女は血を吐きながら吹き飛んで勢いよく壁にぶつかったが、すぐに体勢を立て直して襲い掛かってきた。いつの間にか少女の両足は獣のものに変わっていた。狂ったように笑いながら、少女は大鎌と化した左腕振り下ろしてくる。俺は長剣を盾にしてその攻撃を防いだ。だが……。
「嘘……だろ?」
少女の怪力は予想の範疇を超えていた。俺は両腕で攻撃を抑えているのがやっとだが、彼女は片腕しか使っていない。小さな体のどこにこんな力が隠されているかは知らないが、これ以上、少女との鍔迫り合いを続ければ負けるのは確実だった。渾身の一撃で少女を弾き飛ばし、俺は距離をとって長剣を構えなおす。少女は両腕を地面に突き立てて獲物を狙う狼のような構えをとった。
「お兄さん、強いのね。他の人と違ってすぐ死なない」
随分と恐ろしいことを口走りながら両腕の大鎌を振りかざし、異常な脚力で地を蹴って少女は突っ込んでくる。長剣でもう一度ガードを試みるが、全身を利用した攻撃は先程の比にならない威力があった。俺は受けきれずに後ろに吹っ飛ばされる。
「ねえ、私ってどう見える?」
仰向けに倒された俺の額に少女は右腕の大鎌の刃先を向けて、首を傾げながら優しげな笑みを浮かべ聞いてきた。
「怪物だな」
率直な感想を述べると、何が可笑しいのか少女はけらけらと笑い出した。
「半分、正解」
ピタリと笑いが止んだかと思うと俺の額を貫かんばかりに少女は刃先で突き刺してきた。何とか瞬時に首を捻ってぎりぎりのところで回避するが、彼女が攻撃の手を緩めることはない。彼女が両腕を交互に高速で地面に突き刺してくるのを、俺は体を転がして避け続けた。こんなのは単なる時間稼ぎにしかならない。いずれは壁にぶつかって逃げ場がなくなる。
この体勢で少女と戦うのは圧倒的に不利。状況を打開すべく少女を蹴り飛ばそうとするが、彼女は身軽に跳躍してその蹴りを避けてみせた。攻撃の止んだ一瞬の隙に俺は近くに落ちていた長剣を片手で思いっきり振り回す。だが、彼女は宙に浮いた状態だというのに片腕だけで受け止めた。
少女の両腕の大鎌での猛攻は威力も高く剣では防ぎようがなく、加えて俺の攻撃は彼女の持ち前の身軽さで簡単に避けられてしまう。だからといって、この狭い路地裏で逃げまわっていては壁に追い込まれる。地力もおそらく少女の方が上だ。
少女の足が地に着いた瞬間に足払いをかけて、何とか彼女の体勢を崩す事に成功した。俺はすぐに立ち上がってうつ伏せに倒れた少女に長剣を振り下ろしたが、その一撃も彼女の腕の刃に阻まれる。俺の全力で振り下ろされた長剣を、彼女は表情一つ変えずに片腕だけでゆっくりと持ち上げていく。狂気を感じさせる少女の笑みは、彼女が端整な顔立ちをしているからか底知れない恐怖を覚えた。どんな経験をしたら子供がこんな顔になるんだろうか。
長剣を押さえていない方の腕で、少女は俺の喉元を掻き切ろうとした。両腕は剣を持つので精一杯でとても防げない。刃が辿り着く前に頭を前屈みにして急所を避けたはいいが大鎌は兜を簡単に切り裂いて俺の頭蓋に食い込んだ。
「がっ!」
攻撃を受けたのが鱗で覆われた右側でなんとか即死は防げたが、槍さえも弾くその鱗を鎌は切り裂かんばかりに食い込んでくる。刺すような激痛と共に頭から血が滲み出てきた。少女はそのまま頭を両断しようと更にその力を強める。
俺は右足で少女を蹴ってなんとか引き離した。刃が離れた瞬間に傷口から鮮血が飛び散るが、気にする余裕はない。刃に付いた血を少女はぺろりと舐めながら、彼女を引き離した拍子に兜が外れて露になった、俺の魔物の顔を見てにやにやと笑っていた。
「お兄さんも私の同類なんだね」
「化け物という意味ではな」
「そういうことじゃなくて、お兄さんもいっぱい殺してるでしょ?」
「……何?」
「ごめんね。もっとお兄さんとお話したいけど、余計な邪魔が入っちゃった。バイバイ、また会おうね」
そう言って少女は俺に手を振ると、一瞬で壁をよじ登り家の屋根を飛び越えて夜闇の中に消えた。“いっぱい殺してる”という彼女の言葉が変に引っ掛かる。そんな筈はないというのに。
「そこの男、止まれ!」
背後からの声に振り向くと、そこには複数の警官が銃口を俺に向けて、鋭く睨みつけながら仁王立ちしていた。
状況は最悪だった。目も当てられない死体の山とそこに一人立ち尽くす男。しかも、顔の半分を黒い鱗に覆われた怪物。これは俺がこの事件の犯人だと言っているようなものではないか。だが、ここで抵抗してお尋ね者になるよりは捕まって事情を話した方がいい。俺は警官達の指示のままに両手を上に上げて、近付いて来た一人の警官に拘束された。