桜神社の神様
さらさらと音を立てて葉を揺らす桜の木を横目に、神社への階段をのぼる。
東京の人が名前も知らないような田舎町。
町人同士で仲がよく、協調性は日本一かも知れない。
もっとも、中学に入りたての私がそれを知ることなど出来やしないのだけど。
どうでもいいような事を考えながらリズム良く足を動かす。
いつもなら行かない場所に行くのには理由があった。
今日、隣の家に住むおばあちゃんから聞いた話。
桜神社にはね、感情を司る神様が居るんだよ。
私みたいな年寄りが生まれる、ずうっと前からこの地にいて、見守ってくださっているんだ。
ありがたい話だろう?
でもね、その神様は大切なものと引き換えに願いをかなえるんだ。
だから、願いを告げてはいけないよ。
感情と聞いて、お姉ちゃんはその神様と何かあったのでは、とそう思ったから。
私のお姉ちゃんには感情がない。
いや、なくなった、の方が正しい。
あれは、五年前。
良く覚えていないが、目を覚ましたらお姉ちゃんが別人のように変わっていた。
記憶にモヤがかかっているように、その前は全く思い出せない。
感情をなくしたお姉ちゃん。
感情を司る神様。
無関係には思えなかった。
一礼してから赤い鳥居をくぐると、少し先に、こじんまりとした社があった。
その前に立つと、私は口を開いた。
「あの、神様いませんか?お聞きしたいことがあるんです。」
我ながらかなりイタイことを言っている自覚があった。
同級生とかに見られたりしたら、きっと恥ずかしくて立ち直れない。
羞恥心を抑えて続ける。
「いるなら出てきてください」
そのとき、ザアアッと今日一番の風が吹いて、思わず目をつむった。
桜の葉がより一層ざわざわして、でも悪い気はしなかった。
目を開けてみて、驚いた。
そこには、本当に神様がいたから。
シュッとした目に線のように細い眉。平安貴族のような、束帯の服。
一瞬コスプレでは?と疑ったが、体が宙に浮いているので人間じゃないと思った。
「我を呼んだか、人の子よ」
その声に、じろじろ見すぎていた事に気づく。
「あなたが、桜神社の神様ですか?」
慌てて言うと、彼は満足げに私を見た。
「ああ。その声…美里か?」
美里、と呼ばれて本当に驚いた。
美里は、お姉ちゃんの名前だから。
「違います。私は、秋中千里です。
美里は、私のお姉ちゃんです。」
神様はほう、と少し驚いた様子だった。
「美里の妹か。凛とした声がよく似ておる。美里に聞いたとおり良い子そうじゃな」
神様はさっきとは打って変わり、目を妖しく光らせた。
「で、なんのようじゃ?」
私はその威圧感に息を一瞬詰まらせたが、すぐに話しだした。
「私のお姉ちゃんには感情がないのをご存知ですか?
五年前、お姉ちゃんは突然に感情を失ったんです。
感情の神様なら、そのことについて知っていることがあるのでは、と思って来ました。」
「もちろん、知っておる。彼女から感情を奪ったのは我だからな。」
サラリとした爆弾発言に驚くことも出来ず、戸惑うことしかできなかった。
な、なんて言ったんでしょうか。
暇なのか、神様はお手玉を始めた。
素晴らしく上手い。
神様でも、お手玉するんだ。
って、そーじゃないでしょ私!
「お姉ちゃんの感情、返してください!」
「ん?ヤダ」
即答ですか!
「ど、どうして....」
「おぬしは、美里が感情を売りざる負えなかった理由を知っているのか?」
「知らずして、美里の覚悟を踏みにじるのか?」
私は最初、言葉の意味がわからなかった。
そんな私に、神様は暖かい声で言った。
「よく考え、よく知り、またよく考えなさい」
「え..?」
「それからまた、出した答えが同じとき、感情を返すかどうか、考えることにするよ。」
また、ザアアッと風が吹いて、目を開けた時には神様はいなかった。