SUICIDE45〜語られぬ戦いと語り継がれる戦い〜
失って取り残された子は、死神になった。
失ってさえ弟を想う兄は、狂気と化していた。
失っても先に進んだ女は、世界最強のままだった。
――失って自分を呪った男は、二度と失いを繰り返さぬために、世界を穿つ術を得た。
―――――――――――――――
「うっ……あ……」
霞みが掛かった視界が戻る。
何があった……姐さんが言い出したと思おたら、突然体が吹っ飛んで……腹がイテぇと思おたら男の頭が腹に突っ込んどるし……あ? 男?
気を失っとったらしい俺の目の前には、見たことない男が仰向けにぶっ倒れとる……お、目ぇ覚ました。
「イテェな畜生ッ……自分の親父をスクリュー回転かけて投げるか普通? てか、秦も秦で本気で打ち返すなよ」
「……誰やアンタ?」
「ん? あぁ、ぶつかってすまねぇな。文句なら全部ウチの息子に言ってくれ」
長髪白髪頭の男は、謝りながらもデカイ態度で立ち上がる。
っ……ダメや、頭がボーとして状況が整理できとらん。
さっきの地震も訳わからんし……そういえば姐さんの姿が見えんな。
「あぁ、秦を探してんのか? アイツならあの中だ」
「なッ!?」
俺の考えが分かったらしい男は、ある方向を指差した。
その先には、馬鹿デカい真っ白な箱があった。
その白い表面には不気味な黒い文字が四方八方から流れとる。
あん中に姐さんが閉じ込められてる――瞬発的に箱に駆け寄ろうとする俺の前に、その男は立ちはだかりおった。
「ジジィッ!! 邪魔すんなッ!!」
「頭使え。それはこっちのセリフだ。あの二人の邪魔はするもんじゃねぇよにーちゃん」
「うるせぇ……黙ってどけやワレッ!!」
カッとなった俺は、右拳を硬く握り締める。
それに応じて、俺の拳は岩石の如く巨大化し、岩盤の如く硬くなる。
俺は邪魔なジジィを頭から叩き潰すつもりで、その巨大な岩塊と化した拳を振り下ろす。
そして、肉が潰れる独特の生々しい鈍い音が俺の耳に届く。
そう――自分の拳が潰れる音が
「ガァアアッ!?」
時間差で来た痛みと同時に、ひしゃげた拳から真っ赤な血が勢い良く噴き出す。
俺は血が溢れ出る拳を庇いながら一歩後ろに下がった。
味わったことのない痛みが、右腕から全身にジワジワ流れ込んでくる。
そして痛みと同時に沸き上がる疑問。
『なんで俺の拳が潰れとるのか?』
その答えを知るために……俺は目の前を睨みつけた。
「血の気が多いのは大いに結構だぜ、にーちゃん。俺の家族も喧嘩っ早いからそういうのは嫌いじゃない。でもワリーな、俺をブン殴っていいのは女房と息子達だけなんだよ」
俺の睨みつける先には、傷一つ負っとらん男が微動だにせんと立っとった。
まるで何事もなかったかのように、飄々とした面構え。
たった一撃で分かることは少ない……やけど、この男と俺の間には圧倒的ななにかがあるんは明かや。
「もう一度言っとくか。あの二人の邪魔するもんじゃねぇよ三下。あれは次元が違うんだ。……ま、それでもちょっかい出したいって言うんなら……」
男は天に手の平をかざす。
その手の平がゆっくりと握られるんに合わせ、なにもない場所から特殊な形の光が現れおった。
光は男の手に収まり、その全貌を明らかにする。
それは……純白の鶴嘴。
「俺が相手してやるよ。一部じゃ『無彩神壁』とか『無尽なる境界』なんて、随分けったいな名で呼ばれてんだわ」
「ッ!?」
「あと『霊極』なんて呼ばれてたが、あの隠れサド狐や腹黒フリーターにとっちゃ俺なんかただのオッサン……個人的には豪勢すぎる肩書だと思ってんだ。やっぱり、『世界最強の主婦の亭主』って肩書きが一番分かりやすい」
無彩神壁……霊術の知識があるなら少しは耳にしたことがある名や。
『参極の術士』の一人で、『空間を区切る』結界霊術を極めたヤツの術はその枠を外れ『世界を創る』とまで言われとる。
そんな化けモンがこんな所におるなんて……やけど、それなら俺の拳が潰れたんも、見えんなんらかの結界が男の周りに張られとれば説明がつく。
時々姐さんが話してた『ダイちゃん』言うんはこいつのことか……なんや、夫婦揃って化け物やないかッ!!
「……ったくあの息子、レベルが高いからって一直線にラスボス倒しに行っても、モンスターは全滅しねぇから平和にはならねぇつーことが分からねぇのか?」
俺が男を睨みつけてる間に、騒ぎを聞きつけたヤツ等が集まってきたらしい。
百を超える鬼が壁に隠れて遠巻きに男を囲んどるこの状況は、普通は地の利もあるこっちが優勢や。
やけど、俺にはそう思えん。
なぜなら、俺の目の前の男はこの状況で……笑っとった。
あまりに世界最強に酷似しとる、ふてぶてしい笑みで。
「仕方ねぇ……キャラじゃねぇが、息子の尻拭いしてやっか」
男は手にしとる鶴嘴を大きく振り上げ、振り下ろす。
堅いはずの床に深々と突き刺さる鶴嘴の柄を持ったまま、その男はなんの構えも取らんで無防備に目を閉じた。
そして、その口からは言葉が紡がれる。
「――我は開拓の使者。我が持つのは自らの強き意志と一本の鶴嘴のみ。その黒き幻影は厳格なる玄人さえ騙し、紅き羅刹は深々と螺旋を刻み、蒼き天空は世界を喰らい尽くし、白き折鶴は如何なる汚れも隔絶する……」
体の芯が震えとる……その震えに耐えながら、俺は前を見ることを止めん。
俺の視界に映り続ける男は、床に突き刺した鶴嘴を片手に長く永い詠唱を続けとる。
異常な威圧感が襲い掛かり、俺はその場から動くことさえできんかった。
「我、開拓者が命ずる。その仮初めの姿を解き放ち、この柵に縛られた世界を穿つ戟となれ……玄螺喰隔」
男の詠唱が止まると同時に鶴嘴が光り輝き、俺はその眩い光に耐え切れんと目を瞑る。
その間、どこからか聞こえる鳥の甲高い鳴き声が空気を揺らす。
「そういや自己紹介がまだだったな」
気の抜けた声と同時に目への刺激が消えたのを感じ、俺は瞑った目を開く。
その時俺の視界に飛び込んできたのは、鶴嘴を持った男やなくて……ドリルを持った男やった。
そのドリルの見た目は鶴嘴以上にこの状況に似合わんし、一見俺達を馬鹿にしてるようにも見える……だが、醸し出す雰囲気は鶴嘴以上に恐ろしい。
……そしてそのドリルを持っとる男こそが、一番恐ろしくてたまらん。
「俺の名前は安全第二もとい、須千家大慈。覚えるか覚えないかはテメェしだいだ。お前は名乗らなくていいぞ。むさ苦しい男の名前なんて覚えるつもりなんてサラサラねぇからよ」
さっきまで聞こえとったなにかの甲高い鳴き声は、いつの間にか高速で稼動するドリルの回転音に変わっとる。
両手持ちのドリルを片手で持ち上げ悠々と担ぐ黒白の術士は、その存在だけでこの場を主導権を握っとった。
「まぁ――手加減はしてやる。安心してかかってこい」
「クッ……このクソがぁぁぁあああ!!」
俺は砕けた拳を振り上げ、その男に突撃する。
それを皮切りに、隠れとった鬼も一斉に襲い掛かる。
……やけど、俺等が束になってもかなわんのは、その時点で分かり切っとった。
―――――――――――――――
神聖なる戦い……世界で最後の戦いと言われる神々の運命、最終決戦。
世界を司る神々と悪戯好きの神が率いる巨人族は、九つの世界を破壊しながら戦乱を極め……巨人達が敗北し、世界が大海に沈むことでその戦いは幕を閉じた。
「やっぱり私達の戦いには、こんぐらい大舞台じゃねぇといけねぇよ……なぁ、息子ッ!!」
「あぁ……最悪に傑作だッ!!」
空を裂く雄叫び、大地を揺るがす地響き……荒々しい空気に満ちた戦場。
そのド真ん中で、俺とお袋は拳を打合せる。
左ストレートを右裏拳で軌道をずらし、右の肘鉄を左のアッパーで叩き上げ、ハイキックはエルボーをふくらはぎに落とす。
一発、十発、百発……まともに食らったら致命傷になるお袋の攻撃を、俺は避け切らず受け切らず最低限の動作で受け流す。
下手に完全回避をすればこの均衡状態が崩れ、それこそ危険だ……だから、俺はお袋の攻撃全てに反応して、それをほぼ無効化する。
……来たるべき時のために
「今の私をいなすなんて……なかなかやるじゃないか」
「吐かせ、喋る余裕があんならもっと本気出しやがれ」
「言うようになったねぇ…なら、期待に応えてやるよッ!!」
お袋の顔に不敵な笑みが浮かんだ瞬間――消えた。
「ッ!?」
俺は反射的にバックステップで跳ぶ。
攻撃を避けるために。
そう……避けるためにッ!!
さっき消えたはずのお袋の笑みが、俺の視界いっぱいにまで近づく。
飛べない俺は着地してない状態で回避はできない。
――んなクソっ!!
「残念だったな、む・す・こ♪」
「ッア!?」
横に吹っ飛ぶ――体が――意識がッ!!
冗談みたいなスピードで空中をブッ飛ばされる。
下手に地面に叩きつけられたら無事じゃすまない……霧散しそうな意識を無理矢理叩き起こし、まるで水切りのように地面をバウンドしながら、出来る限りの受け身をとる。
クソッ、早く止まらねぇと……
「ほら、休んでる暇なんてないよッ!!」
「ぎッ!?」
腹を抉る衝撃。
それがお袋の蹴りと気づいたのは、反対方向に吹っ飛ばされてからだった。
腹の底から鉄臭い液体が喉を通して沸き上がる。
確実に内臓が逝った……このままじゃやべぇ。
「ほれっ、このままやられっぱなしかい?」
吹っ飛ぶ先の方から、既に先回りしたお袋の声がする。
あんな蹴り二度も食らったら、正真正銘に腹が抉れる。
でも、この状況じゃ防御も回避もできやしねぇ。
――なら、俺の行動は決まってる。
俺は左手の薬指だけを折り曲げ、左腕に施された仕掛けを発動する。
それは左腕の脱装備。
お袋に接触する前に呆気なく外れたそれは、砂埃が舞う地面に落ちると同時に俺の体のバランスを崩す。
バランスが崩れた飛行物体はその軌道を急激に変化させる。
お袋が予想しない方向へと……迎う途中で右足が吹っ飛んだ。
「ァグッ!?」
また吹っ飛ぶ感覚が体を襲ったが、お袋はまだ腕がある右腕を足蹴で地面に埋め込んで、俺の動きを止める。
バキリッとお手本通りの音が、腕から脳髄に直接響き渡る。
痛覚は遮断されてるが、異常を知らせる体のサイレンが意識を切り裂こうとする。
「ったく、甘いねぇ。私はプロサッカー選手じゃないけど主婦なんだよ。その程度の変化球を蹴り逃すわけないね」
お袋は俺の右足を踏んだまま、結い上げられた黒髪を梳いて、そのついでのように俺の事を見下ろしている。
有り難いことに右足の感覚が残ってる……だが、今は神経が骨と一緒に粉砕してるらしく、まったくといって力は入らない。
……パンが無いならお菓子を食べればいい――右足を使えないなら左足を使えばいい。
俺は左足の爪先をお袋の脇腹に叩きこむ。
しかし、お袋の体は揺らがない。
むしろ、お袋は俺の腕を踏む力を一層強める。
「蹴りは斬撃と一緒で、軌道がしっかりしてないと真の威力は発揮できない……そんぐらい三歳児でも分かるよ」
分からねぇよ。
冷静に内心でツッコんでる間に、お袋に上がったままの左足を捕まれた。
その黒炎に包まれた鋼鉄やワイヤーで形作られてる足は……いとも簡単に膝上から捻切られ、投げ捨てられた。
こうして、俺の左手足はなくなった。
「……なんだか、つまらないねぇ」
「なにがだ?」
「いや、私としては痛めつけてるのに反応が薄いのは面白みに欠けるんだよ」
「このドSが。痛みを感じねぇんだから痛がる必要ねぇだろうが」
「連れないねぇ……なら、こいつはどうだい?」
妙な微笑みを浮かべたお袋は、俺の腕を踏んだままその場にしゃがみ、俺の胸部にゆっくりと左手を乗せる。
なにを――
「主婦流無打奥義……歓喜、赫怒、哀切、楽天」
「――――ァ!?」
右肺、左肺、気管、横隔膜――すべての呼吸器官を潰さ――殺された。
たとえ痛覚はなくても息ができなきゃ苦しいに決まってる。
体中が脈打つ。
視界が白黒。
体の異常に思考さえ危険信号を放ち始める。
「――ッ――ィ?――!!」
「やっぱ、反応がいいとやりがいがあるねぇ。……あぁ、心配いらないよ。『ちょっと押しただけ』だからすぐに戻る」
けどねぇ……と、お袋は含みのある言い方をしたのち、俺の左胸に手を乗せる。
「――躾のために右肺ぐらい壊しとこうか」
クソがッ!!
待てッ!!!
躾だぁ!? ふざけんじゃねぇ!!
俺が負けたみたいじゃねぇかッ!!
――勝手に勝敗決めんじゃねぇッッ!!
ダンッ!! と、とてつもない衝撃に視界からお袋が消える。
そう、俺が目を閉じたわけじゃない……視界からお袋が『吹き飛んで』消えた。
その代わり、俺の視界に割り込んできた黒い影。
俺はその影を見て……鼻で笑う。
「ハッ……おせーんだよ。あやうく死にかけたじゃねぇか」
「無理を言わないでほしいな。最初はこの状態に持っていくのに約五十八分かかったんだ。左腕を媒介にして、三十分以内に形成できるようになっただけでも誉めてほしいよ」
「お袋に対して二十分以上無傷だった俺に賞賛はないのか?」
「今はボロボロだけどね。でも、それだけ喋れるんならケガは大丈夫みたいだし、僕から賞賛されるほどのことじゃなかったようだ」
「……ウッセー」
お袋似の黒髪か戦場の風に揺れる。
四肢はいつも俺が装着してるのと同型の義肢。
そして、その四肢に蛇の如く絡みつく黒き獄炎。
そして……俺の生き写しのような姿。
「…あぁ…アンタは……」
影を目にしたお袋は、珍しく困惑した声を漏らす。
それもそのはず、その影は一生見ることのないだろう姿だから。
そして、その影はお袋に対して笑いかける。
「お久しぶりですね、母さん。因みに、さっきのキックは再開の印だったんですけどどうでしたか?」
その名は須千家真壱。
世界最強の主婦とバカ親父の息子の一人。
そして、長い間俺の存在を支えてくれていた兄貴。
俺の魂の中で生き続けるはずの人間は、その存在をこの空間の中で確立していた。
「さて、前哨戦は終わりだ。ここから一気に決着つけるぞ」
俺は困惑の色を隠せないお袋の前で立ち上がる。
『圧し折られた右腕』と『砕かれた右足』は、元通りに復元され、『外した左腕』と『捻切られた左足』は、義肢ではない生きた脚腕に変化していた。
これが『終結乃戦場』の力。
「っーわけで、こっからは二対一でボコらせてもらうぞ」
「母さんは世界最強。これぐらいのハンディはあっても許されるよね」
俺が兄貴の横に並び、二人揃ってお袋に対して拳を向ける。
この拳が示すのは、闘争の意志。
二つの拳を向けられたお袋は、その表情を見慣れたものへと変化させる。
それは世界最強の主婦らしい、ふてぶてしい笑み。
「……いいねぇ。こんな嬉しいのは久しぶりだよ」
お袋はゆっくりと両腕の袖を捲り上げ、エプロンの紐を締め直し、後ろに纏めた髪の位置を確かめる。
これは術とか解放とかじゃない、お袋が本気で家事をする前にする癖。
そして、世界最強の主婦としての力を最大限発揮する時を意味する癖。
「死にたくなけりゃ二人纏めてかかってきな。母親の偉大さをその魂に刻んであげる」
――瞬間で空気が変わった。
お袋の覇気によって俺達の勝利ムードが霧散させられる。
……やっぱり、このお袋だけは敵に回したくねぇ。
「……今、僕はここに来なければいけなかった理由を過去の自分と今の君に小一時間拝聴したい気分だよ」
「言うな、俺だって後悔してるところだ。でも、今の俺達は小一時間どころか一分一秒で勝ち負けが決まっちまう状況なんだぜ?」
「分かってるよ。僕は気分と言っただろう? ……母さんを蹴った時点で覚悟は出来てるよ」
「俺はこのお袋から生まれた時点で出来てたな」
俺達は口では色々言いながらも、お袋に対して臆することはない。
なぜなら、既に覚悟があるから。
越えられない壁をブチ破って、先に進む覚悟が。
世界最強の主婦をブッ倒して、先に進む覚悟が。
「……それじゃあ、ちゃんと有言実行するとしようか」
「あぁ、二人で盛大にボコってやろうじゃねぇかッ!!」
――この最終決戦は、まだ始まったばかり。
今回は黒ヘルが頑張った気がする夷神酒です。
作者として、この物語はあと二、三話でエンディングとなる予定です。
最近はどうも執筆のてが止まってしまいがちですが、極力努力いたしますので残り少ない物語をどうぞお楽しみください。