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求婚する王子  作者: 神崎みこ
本編
8/14

7・戦略的求婚

 気がつけば日も照らぬ時間となり、常なら微かに聞こえる事務員の声すらしない深夜となっていた。

疲れた目をこすり軽く体をほぐしたセリは、資料を鍵のかかる引き出しへとしまう。もう一度伸びをしてのんびりと立ち上がった。

帰り支度をしていた彼女の耳に、扉を叩く音が聞こえ、返事もしないうちに誰か、が、入り込んできた。

そんなことをする人間は決まっていて、彼女は呆れたように該当者の名前を口にする。


「王子、ですから返事を聞いてからにしてくださいと」


その肩書きや過剰な容姿を除けば、非常に接しやすいローゼルに気安い口を聞く。人見知りする気質であり、さらには年齢差も合わせて当初は躊躇っていたセリも、どういうわけかこれが常態となってしまった。王子がもつやや強引ともいえる巧みな話術と、人との距離感を違和感なく縮められる能力は、一種の才能と呼ぶべきだろう。


「体に毒だぞ。飯は食べたのか?」

「え?いえ、はい」


歯切れの悪い答えを返し、セリは視線をそらした。仕事に没頭するあまり寝食を忘れてしまうのは彼女の悪い癖だ。それを知っている家族は適度にセリを部屋からひっぱりだし、無理やりにでも休憩をさせる。だが、生憎とここは職場だ。彼女のことを個人的にそこまで面倒を見る職員もいなければ、それを許すセリでもない。したがって、このように気がつけば深夜まで飲まず食わず、という状況を簡単に作り出してしまうのだ。


「どうせ食べてないだろう。まあいい、軽食をもってきたから馬車の中で食べるといい」


頭ごなしに彼女を叱ったところで、言うことをきかないことを知っているローゼルは、大分彼女の扱いが上達したといえる。最初の頃は、あまりの生活態度に思わず叱りつけ、それにひそかに反発したセリが必要最低限以下の会話しか交わさなかったことさえあるほどだ。


「あの、別に」

「言い訳をするな。もう待たせてある。まさか無駄手間にさせるつもりじゃないだろうな」


高圧的な、だが、好意をにじませたそれを、セリが断れないことを知った上での物言いをする。案の定セリは、不承不承頷き、促されるまま王子の背中についていく。

ヴァイシイラが使用する馬車よりも装飾が過多で、内装がそれよりもやや質素な馬車に乗り込みセリは手渡された食事を口にする。

職場と実家はさほど離れてはいない。

日ごろは歩いて行く彼女は、天気が悪い、時間が遅い、などという理由でこうやってたびたび王子自らが送り迎えをしている。それを甘んじて受け入れているつもりは彼女にはないのだが、どういうわけだかそういうものだとされてしまっている。

日中の暖かな空気はすっかり消え去り、僅かに明けた窓からは夜の匂いがする冷たい空気が馬車の中に入り込んでくる。

漆黒の空は、幾つもの星が輝き、建国史に登場する一際大きい王子の星が道々を照らしていた。

僅かな咀嚼音しかしないにもかかわらず、セリは居心地の悪さを全く感じていなかった。

それは、ローゼルと知り合った頃から感じたことではあり、それをさほど深くは考えずに受け入れていた。


「考えて、くれたか?」

「何をですか?」


渡された携帯用の茶を飲み干した後、答える。

それは単純、かつ王子をがっかりさせるには十分な返事であった。


「私はセリに求婚したのだが?」

「冗談でしょ?あれ」


まだどこかに子供の部分が残るセリは、言葉の意味はわかるものの、理解している、とは言いがたい。

彼女と過度に接触しようとしてくる人間は、男女問わず似たような事を口にするのだから、聞き流すことに慣れたともいえる。

だが、王子はその中でも一際執念深く、諦めない性格をもっていただけだ。


「冗談で求婚してまわるほど、私は軽くないつもりだが」


いつもの調子ではない、真剣な面持ちに、思わずセリも襟を正す。


「そういう、つもりではないのですが」


逃げる事を許さない迫力が、セリを追い詰める。

いつもなら軽やかに交わすローゼルが、一言一言を重く丁寧に口にするさまを見て、まさか冗談でしょう、と一笑に付すわけにはいかなくなってしまった。


「セリは、私のことは嫌いか?」

「いえ、そんなことはない、ですが」


好きか嫌いかのどちらかを選べ、といわれれば、それは好きだと答えるだろう。

だが、それはローゼルの望む答えではないことは、さすがのセリにも理解できる。


「男としてはみれないと?」


首をかしげ、考えながら、セリは言葉を捜す。

言語の専門家なくせに、こういう部分の語彙が著しく少ないことを悔やみながら。


「そうでは、ない、と思います」


探りながら、セリは自分の気持ちに正直に答える。

ローゼルをどう捉えているのか。

自分自身の立ち位置を。


「私は、こうですし」


短く切りそろえられた茶色の髪が頬にそって揺れる。

短髪の女性はこの国では珍しく、職業的にそれが必要な女性以外は長く伸ばすのが習慣だ。上の三人の姉たちも、それに習い髪は長く、そしてそれぞれ似合った髪色が彼女たちの美貌をさらに引き立てている。

それに引き換え、セリは必要もないのに短髪にし、その髪色は暗い茶色だ。よく見れば艶のある美しい髪質も、姉たちの華やかなそれに比較され、必要以上に地味な印象を与える。

そして、セリは、質素な衣類しか身につけない。

今日も生成りのシャツに灰色のズボンだ。どれほど金がない家の娘であっても、これよりは随分と華やかな格好を身にまとっているだろう。

だが、セリはどれ程家族が口をそろえて言ったところで、このような外着しか身につけることはない。


「だから?」

「姉、たちならわかるのですが」


セリは、三者三様の姉たちを思い浮かべる。 彼女たちはそれぞれに異性に注目され、甘い言葉を囁かれて当然の人間だ。周囲はそれを是として受け止め、非難する人間はいない。嫉妬に混じった同性の言葉すら、彼女たちなら賞賛の言葉に聞こえるだろう。


「私を外見しかみない愚か者と一緒にするつもりか?」


ここで、セリの容姿がいくら好みだと説いたところで、彼女は頷かないだろう。それをわかっている王子は、敢て、彼女の今の態度が彼に対して不快なものである、という論法で攻め立てる。


「ですが」


幼少時から聞かされた様々な雑音を思い出す。

彼女の人格形成の大部分を決定付けたそれらはとても大きく、姉たちの甘言が小さく消えていく。王子の一言二言で修復される程度のものではない。


「私は一人の男として、一人の女であるセリを求めている。それだけでは不十分か?」


だが、王子の言葉にセリの中に何かが変化した、本人はそうとは気がつかないほど僅かな傷口のように。

馬車は静かに停止し、王子は何事もなかったかのようにセリを家へと送り届けた。

彼女の耳元で囁かなければ、セリはいつもの癖でなかったことにしようとするほどに。


「私は、おまえを愛している」


その囁きは、いつまでもセリの耳に残り、結局彼女は次の日唐突な発熱により職場を欠勤することになってしまった。

久しぶりに病気になったセリに、アゼリアは王子の存在を感知し、笑顔で歯軋りをする、という不可思議な特技を披露することとなった。

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