4・悩める王子
麗しの王子ローゼルは深く悩んでいた。
最近執心している学者の下へ機嫌よく出かけたはずの王子が、ひどく難しい顔をして戻ってきた姿に、使用人一同は遠巻きに彼の様子をうかがっていた。よもや王子の悩みの根源が限りなくくだらないことだとも知らないままに。
周囲が誉めそやす王子としてのローゼルは、子供の頃より全く手がかからず、非常によくできた「王子」であった。立場を理解し、求められるままに振舞うその姿を尊敬しながらも、近しい人間たちは心の中で漠然とした不安を覚えていた。
全てを易々とこなし、それを奢らず、涼しげな顔で過ごす彼をみて、すばらしい王子だと褒め称える一方、あまりにも人間味が薄いのではないかと。
それは、言葉にすれば妬みともとられかねないものではあるが、それでもローゼルの本質を突く評価ではあるのだ。
ローゼルは人間に対する興味が低い。
周囲の人間を全て格下だとみなし、見下し驕る、といったものとは違う。
根本的に関心すらないのだ。
それは上から見下ろした視線よりもさらに冷淡なものである、ということを知るのは彼と近しいものたちだけである。
彼にとっては表面的な友人も知り合いも、さらには恋人さえいたローゼルは、快活で聡明な王子「さま」だ。民の声をよく聞き、議会との調整も達者な彼は、仕事だとて順調にこなしている。
誰が、彼にそのような曖昧な不安感からくる何かに苦言を呈するだろうか。
だが、ここ最近の彼の様子は、どこまでも人間くさいそれであり、周囲のもの、特に幼少から彼を知る教育係などは、その傾向を喜ばしいものとして観察しているありさまだ。
「王子、どうされましたか?」
僅かに寄った眉間の皺から、かつての教育係、現在の側近は彼の機嫌を推察した。
おそらく、悩みがあるのだろう、と。
常ならば、表面的な笑顔で交わされてしまうそれに、王子は動きを止め、ため息をついた。
「おまえなら、どれぐらいの歳の差ならいけると思うか?」
「歳の差、でございますか?」
王子の様子と、齎された言葉のあまりの乖離ぶりに、側近は数拍思考を止めた。さすがにローゼルの側近を長い間勤めている彼は、俄かに気持ちを立て直しながら頭を回転させ、一つの答えを導き出した。
ヴァイシイラの歳若い学者の存在。
高名なヴァイシイラの、無名な学者。それが側近にとってのセリの全てだ。王子が接触するにあたり全てを把握したはずの彼は、もちろんセリの経歴を承知している。
ローゼルは才あるものを尊ぶ傾向にある。
それがどの分野にむかっていたのだとしても、彼にとって能力があると認められたものは、手ずから優遇することが多い。
若い学者であるセリも、経歴だけをみれば十分にそれに値する存在であり、才に惚れるローゼルが彼女のもとへ足繁く通ったところでおかしな点はない。
彼がどういうことで悩んでいるかはわからないものの、その歳若い学者が今現在彼の心痛の原因なのだと察する。
「あまり離れておりますと、話題にも困ることがありましょうが」
「いや、それについては問題がない」
即答したローゼルに、元教育係は言葉につまる。
確かに学者としての彼女を扱っているのなら、好奇心があり頭脳明晰なローゼルと話が合わないはずはない。最近彼が持ち出したあれこれを考えれば、話題がつきることはないだろう。
本筋が全くみえない中、年の差という言葉から、妹の子におじさんと呼ばれたときの衝撃を思い出す。その姪っ子も現在はすでにセリの歳を越えている。改めてセリがあまりにも若くして今の地位についたことに感嘆しつつも、あちこちへと糸口を探しながら思考を拡散していく。
側近にとって雲を掴むような会話がなされるなか、いつのまにか核心をつくような思考に至ったことなど気がつきもせず当たり障りのない会話をひねり出す。
「セリさまの歳でしたら、まあお若いですが」
「そうなのだ、まさかあれほど若いとは」
有名なヴァイシイラ家においても、セリはその存在が上下の派手な姉妹において埋没している。
調べ上げた側近ならいざしらず、極端に言えば最初は能力にしか興味のなかったローゼルが、セリの正確な歳を知らなかったとしても無理はないだろう。
側近としてはただの気に入りの学者、という意識しかないため、会話が成立するものの、全くお互いの認識が異なっているというおもしろい状況だ。
年齢を知る側近が、ローゼルの正確な狙いに辿りつくことなどないのだが。
「経歴を見ればセリ殿は優秀な人材。王子の側におかれましてもおかしくはないのではありませんか?まあ、確かに随分とお若くはありますが」
あの分野には疎い側近は、彼女の書類上の経歴だけで判断はしているものの、彼女が非常に優秀だと判定している。周囲への聞き込みにおいてもそうではあるが、セリの学者内での評判は非常に高いものだ。
優秀な人間、おまけに後ろ盾は一流の商家であるヴァイシイラとあっては、彼女と交流をもつことに異議を唱えるものなどいないだろう。
その交流の仕方が、側近が思っているものとはだいぶ異なるものの。
「そうか?おかしくはないか?確かに私のセリは大変優秀でかわいらしいが」
「はい、おかしくはございません。」
何かおかしな単語が口から飛び出したような気もするが、気心が知れた側近はその部分を綺麗に排除しながら肯定する。
優秀な人材といえども、人間自体に興味の薄いローゼルが好奇心を抱く相手など初めてのことであり、漠然とした彼の精神への不安感から、側近はそれはもう後ろから蹴飛ばす勢いで後押しをする。
歳の差がある「友人」同士でもいいのではないか、と。真の友人がいない王子に少しでもそれに近づける人材がいるのなら、邪魔をする必要性は全くないのだと。
だが、そんなことを考えているわけではない王子は、都合のいいように解釈し、そして会心の笑顔を浮かべた。
側近は王子の笑顔に安堵する。
その後は、二人の思惑はどうあれ、非常に和やかな会話が進んでいった。
王子の本当の思惑を知った彼が、僅かに頭を抱えるのは少し先のこととなる。