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クロの戦記 異世界転移した僕が最強なのはベッドの上だけのようです  作者: サイトウアユム
第6部

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第9話『荒廃』


「旦那、銀貨一枚でどうだい?」


 ジーナは暗がりから男に声を掛けた。

 薄汚れた格好の男だった。

 服は垢と土で汚れ、袖と裾が擦り切れている。

 もう何日も体と服を洗っていないのだろう。

 饐えた臭いが漂ってくる。

 容貌は判然としない。

 伸びた髪と髭が顔のパーツを埋没させているのだ。

 そんな中で金壺眼だけがギラギラと輝いている。

 霊廟建設に関わった労働者……その成れの果てだろう。

 二ヶ月くらい前だろうか。

 ラマル五世と六柱神を祀る霊廟が完成したという話を聞いた。

 霊廟を見た者によればこの世の物と思えないほどの美しさだったらしい。

 その話を聞いた時、ジーナは鼻で笑った。

 いくら外見を取り繕っても糞溜の上に建てられた物は糞同然と思ったのだ。

 霊廟を建設するために集められた労働者は街でたびたびトラブルを起こした。

 安酒を飲んで騒ぐのは当たり前、殴り合いに発展することも珍しくなかった。

 建設中の事故が原因で働けなくなり、物乞いになる者もいたし、そのまま死ぬ者もいた。

 霊廟が完成した今、労働者は職を失い、街のあちこちに悪臭とトラブルを撒き散らしている。

 霊廟の建設は厄介事を生み出しただけだ。

 そんな物をありがたがっているヤツの気が知れない。

 男は立ち止まり、値踏みするような視線でジーナを見ていた。

 いや、実際に値踏みしているのだ。

 ジーナの格好は男に比べればマシだった。

 多少の染みや解れはあるが、洗濯をしているし、髪と体も洗っている。


「これでも、昔は十二街区の娼館で働いてたんだ。あの大きな看板の店さ。見たことくらいはあるだろ?」


 ジーナは堂々と言った。

 大きな看板の店の件は嘘だったが、十二街区の娼館で働いていたのは本当のことだ。

 ジーナはスラムで育った。

 小さい頃は同じような境遇の仲間とゴミ拾いや物乞いをしていた。

 仲間と一緒だったのは安全のためだ。

 ゴミ拾いにも、物乞いにも縄張りがある。

 他のグループに対抗するために自然と群れるようになったそれだけの話だ。

 いつの頃から体を売るようになったのか覚えていない。

 ただ、娼婦になった日は覚えている。

 スラム出身の娼婦に声を掛けられたのだ。

 仲間を誘ってみたが、軍に行くと断られた。

 彼女とはそれっきりだ。

 何処に行ったかも分からない。


「手持ちが少ないってんなら、少しくらい割り引いてやっても良いよ」


 銀貨一枚の価値がないと判断したのか、単に持ち合わせがないのか、男はジーナから顔を背け、のろのろと歩き始めた。


「折角、あたしが……痛っ!」


 ジーナはその場に蹲った。

 鈍痛が下腹部から這い上がり、粘性を帯びた何かが太股を伝う。

 それは血膿だった。

 そのせいで全てを失った。

 あの医者がしくじらなきゃこんなことにならなかったんだ、と歯を食い縛って痛みに耐える。


「……ちく、しょう、畜生っ!」


 涙がぼろぼろと零れ落ちた。

 ほんの数ヶ月前まで人生の絶頂にいたのに今は暗がりに身を潜めている。

 数ヶ月前、ある貴族から求婚された。

 軍学校に通っていると言っていた。

 珍しいことではない。

 年に何度か、軍学校の生徒が連れ立ってやってくることがあった。

 多分、ジーナが務めていた店は貴族の坊ちゃんが悪い遊びを覚えるのに適当だったのだろう。

 その中の一人に気に入られた。

 彼が通い詰めるようになると、ジーナは彼の専属になった。

 これは店の指示だった。

 他の客を取らせるより彼の支払う金額の方が多かったからだろう。

 そう悪くない生活だった。

 彼はねだれば大抵の物を買ってくれたし、ねだらなくても物を買ってくれた。

 複数の客を相手にしている時に比べて肉体的負担が少なくて済むのも悪くないと思う理由の一つだった。

 そんなある日、ジーナは妊娠した。

 失敗したと思ったが、彼は意外にも求婚を申し出てきた。

 当然、二つ返事で頷いた。

 結婚はできなくても彼の入れ込み様を考えれば貴族の愛人として安泰な生活が待っていると思ったのだ。

 自分の子なのか分からないのに彼はバカで善人だった。

 ただ、彼の家族と使用人は違った。

 彼らは迅速に行動した。

 交渉をすっ飛ばしてジーナを拉致すると、胎から子どもを掻き出した。

 その処置のせいだろう。

 体調を崩しがちになった。

 店の対応は冷淡だった。

 血膿が出始めると、ジーナを店から放り出した。

 今は多少の手持ちがある。

 彼から贈られた物を売り払って得た金だ。

 それもすぐに底を突くだろう。


「……ちくしょう、畜生」


 ジーナは下腹部を押さえながら立ち上がった。

 一体、何を罵倒しているのか自分でも分からないまま。



 どっこらしょ、とファルノスはイスに腰を下ろした。

 イスが抗議をするようにギシギシと軋むが、こいつは誰が座っても同じ反応をする。

 詰め所の備品はどれも似たような状態だった。

 何度も軍務局に陳情したが、新しいイスは届いていない。

 その一方で新しい武器や防具はすぐに届けられた。

 どうやら、新しいイスの優先順位は武器や防具のそれに比べて格段に低いようだ。

 仕方がないので、自分で作ったり、修理したりするようになった。

 三十年以上連れ添った妻は喜んでくれているし、部下からも頼りにされているが、帝都の第七街区警備兵長としては甚だ不本意だった。

 剣の腕を求められていないことなんて分かっているんだが、とファルノスは軽く剣に触れた。

 軍の再編制によって警備兵になり、剣を振る機会はめっきり減った。

 警備兵長になってからは剣を振る機会そのものがなくなった。

 それでも、剣に対する未練のようなものが残ってる。

 ファルノスは苦笑した。

 先日、自宅の階段で転んだばかりだった。

 考え事をしながら階段を登り、最後の一段を踏み外して臑を打った。

 血が滲む程度の傷だったが、老いを実感した。

 そんな自分が剣に対して未練を持っている。

 それがおかしかった。

 剣と言えば、とファルノスは部下デュランのことを思い出した。

 近衛騎士を諦めたと聞かされた時も驚いたが、エラキス侯爵領で事務仕事をすると聞かされた時はもっと驚いた。

 正気を疑ったほどだ。

 だが、デュランは晴れ晴れとした顔をしていた。

 近衛騎士になることよりも大切なことを見つけた。

 そんな表情だ。

 近衛騎士を目指していた頃よりもずっと良い。

 今のデュランならば近衛騎士になれただろうにままならないものだ。

 いや、帝都を離れたのは正解だったかも知れないな、とファルノスは目を細めた。

 帝都の治安は悪化し続けている。

 最初は仕事の量が増えたとしか感じなかった。

 次に職場の空気が悪くなった。

 仕事自体は対処できるレベルだったが、問題は数をこなさなければならないことだった。

 最後に街を歩いている時に言い様の知れない不安を覚えた。

 閉塞感に似ているが、もっと不穏な感覚……戦況が膠着した時の感覚に似ていた。

 そんなある日、警備兵長同士の会合が行われた。

 誰もが口を閉ざしていたが、いくらかの収穫はあった。

 治安悪化の原因は霊廟を建設するために集められた労働者だった。

 誰も口にしなかったが、霊廟の建設は失敗だったと思っているようだった。



「……治安が悪化している」


 リオが入室してしばらくすると、ピスケ伯爵は沈痛な面持ちで言った。

 何を今更という気がしなくもない。


「食い詰め者が何百人も帝都に入って来たんだから悪化もするさ」

「そんなことは分かっている! ケイロン伯爵、自分の仕事はどうした?」


 ピスケ伯爵はヒステリックに喚いた。


「無理だよ。ボクだって真面目に仕事をこなしたいけどね。アルフォート次期皇帝陛下が通せと言っているんだよ?」


 ピスケ伯爵は頭を掻き毟った。

 アルフォートは積極的に旧貴族と会い、会議に参加している。

 アルコル宰相はそれを止められない。

 止める権限がない。

 アルコル宰相はラマル五世のお陰で絶対的な権力を振るえたのだ。

 ラマル五世はアルコル宰相に国政を委ねていたが、アルフォートは自分で権力を振るいたがっている。

 積極的に旧貴族と会っているのも、会議に参加しているのもその表れだろう。


「……どうすれば治安を回復できる。どうすれば」


 ピスケ伯爵は机に肘を突き、頭を抱えた。

 ピスケ伯爵こそ、自分が第十二近衛騎士団の団長であることを忘れてるんじゃないかな? という軽口をリオは辛うじて呑み込んだ。

 どうやら、ピスケ伯爵はアルコル宰相とアルフォートの間を行ったり来たりしている内に愛国心に目覚めたようだ。

 何度も派閥を乗り換えて第十二近衛騎士団の団長にまで上り詰めた男が、である。

 もちろん、皮肉だ。

 ピスケ伯爵は疲れて正常な判断力を失っているだけだろう。

 蝙蝠には蝙蝠の気苦労があると言うことか。


「ピスケ伯爵、どうすれば治安を回復できるかじゃなくて、何を間違ったかを先に考えるべきじゃないかな?」

「……ケイロン伯爵」


 ピスケ伯爵は縋るような目でリオを見上げた。


「まず、霊廟建設が原因だね。クロノの領地を例にするけど、クロノは自分の部下に全てを任せていたよ」

「それは何処でも変わらないのではないか?」

「そうかい? 自分の部下に設計させ、信頼できる商会から資材を購入し、自分達で作れる物は自分で作る。その上で労働者を直接雇っていたんだ。もちろん、クロノは作業の進行状況以外に労働者と金の流れを把握していたよ」

「……」


 ピスケ伯爵は無言だ。

 恐らく、ピスケ伯爵とアルフォートはクロノが当たり前のようにしていたことをしていなかったのだろう。

 だが、二人を責めるのは酷だ。

 帝国とクロノの領地では規模が違い過ぎる。


「そんなに気落ちする必要はないと思うけどね」

「どういう意味だ?」

「そもそも、霊廟は新貴族と旧貴族の意思を束ねるために造ったものじゃないか。クロノの領地みたいに税金を領民に還元するためのものじゃない」


 少なくともリオはそう聞いている。

 霊廟建設の関係者が予算の一部を自分の懐に収めたとしても、労働者を低賃金で扱き使ったとしても文句は言えない。

 彼らは見事な霊廟を作り上げたのだから。


「元労働者が食うに困って犯罪に走っているんだから、炊き出しでもやれば良いんじゃないかな?」


 リオは嗤った。

 副官や部下の情報から推測する限り、炊き出しで治安回復できる時期はとうに過ぎている。

 ある者は一人で、ある者は徒党を組んで、ある者は組織に身を寄せて犯罪を繰り返している。

 それでも、ある程度の歯止めにはなるだろう。

 帝国の国庫に炊き出しを行うための十分な蓄えがあればの話だが。



 クロノが執務室で初仕事をしていると、扉が控え目にノックされた。

 しばらくするとアリッサが執務室に入ってきた。

 筒状に丸めた羊皮紙を持っている。

 頭を抱えたい気分だった。

 正式な文書が送られてくるといつも死にそうな目に遭う。


「旦那様、失礼致します。て……」

「分かってる、アリッサ」


 クロノはアリッサの言葉を遮った、


「帝都から僕宛に書簡が届いたんでしょ?」

「仰る通りです」

「読んで」

「宜しいのですか?」


 アリッサは戸惑っているかのように眉根を寄せた。


「予想は付くけどね」

「……では」


 アリッサは紐を解き、羊皮紙を広げた。


「旦那様に帝都の治安回復任務に就くように、と書かれています」

「え? ちょっと、持ってきて」


 クロノはアリッサから羊皮紙を受け取り、そこに書かれている文章を読んだ。

 確かに帝都の治安回復任務に就くようにと記されている。


「どういうこと?」

「そのままの意味だと思いますが?」


 クロノは息を吐き、そのまま机に突っ伏した。


「旦那様、お気を確かに」

「いや、しっかりしてるよ。それにしても、治安回復の仕事か。今回は楽そうな仕事だね」

「そうでしょうか?」


 アリッサは不安そうにクロノを見つめている。


「ああ、そうだね。油断は禁物だ」


 クロノは居住まいを正し、誰を連れて行くべきか考え始めた。

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