第7話『諸部族連合』
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ふぅ、とシフは天井に向かって溜息を吐いた。
そのまま目を閉じ、瞼の上から眼球をマッサージする。
シフがいるのはシルバニアの中心から離れた傭兵ギルドの拠点……その執務室だ。
拠点となっている建物は質実剛健という言葉を体現したかのような外観だ。
それは執務室も変わらない。
あの女、良い仕事をするな、とシフは頬に刻まれた魔除けの刺青をなぞる。
拠点の建設はエレインに任せた。
いや、頼らざるを得なかった。
拠点を借りたり、建てたりするツテがなかったからだ。
建物を建てるにしても、借りるにしても金が動く。
金は命だ。
ギルドに所属する傭兵が命を危険に晒して得たものだ。
だから、真鍮貨一枚でも無駄にできない。
信用できない相手と取引すべきではない。
今までもそうしてきたし、これからもそうしていくつもりだ。
エレイン・シナーは約束事を守るという点において信用できる相手だ。
きっと、それは自由都市国家群のギルドマスター達に扱き使われてきた反発心からだろう。
自分はお前らと違う。
下らない感情だ。
「……嫌いではないが、な」
「何が嫌いじゃないんだ?」
シフは問い掛けられ、正面を見た。
不意に声を掛けられて驚いたが、剣の柄を握り締めている。
「驚かせるな、ベア」
シフは男の名を呼んだ。
ベアはドワーフを縦に引き延ばしたような風貌の持ち主で、護衛部隊の一つを任せている。
シフは諸部族連合の中で最も発言力を持つユー族出身、ベアはユー族に次いで発言力を持つムー族出身だ。
長い付き合いだが、副官として連れてきた訳ではない。
いつの間にか、シルバニアにおけるシフの副官的ポジションを確立させていたのだ。
いや、護衛部隊の纏め役になっていたと言うべきだろうか。
厳つい容貌だが、笑うと愛嬌がある。
面倒見も良く、周囲に対する気配りも忘れない。
美点を数え上げてみて、なるべくして今の地位にいると気付く。
「蛮刀狼の件はどうなっている?」
「三、四匹、ぶち殺してから開拓村には出てないな。ヤツらを追っ払うのはそれほど難しくないが、狩り出すのはどうにもならない」
ベアは投げやりとも取れる口調で言った。
「そうか。エラキス侯爵の兵士とは上手くやっているか?」
「真面目な連中ばかりで仲良くなる取っ掛かりが掴めてない」
ベアは肩を竦めた。
「今は顔合わせ程度で十分だ」
「今は、か」
ああ、とシフは頷いた。
「……移住の件なんだが」
ベアは言葉を句切り、チラリと部屋の隅を見た。
そこには呪具が置かれている。
建物の各所に置かれた呪具は精霊の侵入を妨げる結界の役目を果たしている。
力任せに越えることもできるが、越えられればすぐに判る。
「よく話を纏められたな?」
「ああ、交渉材料があったからな」
シフは机に肘を突き、口元を隠すように手を組んだ。
まず、神聖アルゴ王国との交易を本格的に始めた今、護衛のために傭兵は欠かせない。
次にシルバニアが合議制による自治を行うようになった時の備え。
そして、最後に……。
「流石、大シフの曾孫だな」
「その末は代官所でメイドをしているがな」
シフが切り返すと、ベアは苦り切った笑みを浮かべた。
大シフはシフの曾祖父に当たる人物だ。
曾祖父が傭兵ギルドの前身を作り、祖父がベテル山脈の傭兵は死を恐れず、雇い主を裏切らないという評価を定着させた。
「親父は馬鹿なことを言っている」
「ああ、長老会か」
ベアは頭痛を堪えるようにこめかみを押さえた。
長老会はベアにとっても頭の痛い問題なのだろう。
長老会はベテル山脈の諸部族……四つの部族の長老によって構成されている。
シフの父親は曾祖父と祖父の力で長老になり、シルバニアを足がかりに土地を取り戻せ、部族の誇りを取り戻せと妄言を吐いている。
もっとも、それ以上のことはできない。
諸部族連合の代表はシフであり、傭兵ギルドは諸部族連合の所有物ではない。
現在の長老会は実権のない名誉職に過ぎないのだ。
「あの連中を見ていると、蛮族と呼ばれても仕方がない気さえしてくる」
「辛辣だな」
そう言いながら、ベアは否定しない。
ケフェウス帝国の黎明期、十の部族がベテル山脈に追いやられた。
家畜を育てようにも放牧に適した土地は少なく、耕作に適した土地はもっと少ない。
十の部族はわずかな土地を巡り、凄惨な殺し合いを繰り広げた。
三つの部族が争いの末に滅び、生き残った七つの部族は不戦協定を結んだ。
長い時が流れ、三つの部族は混乱に乗じて帝国に侵入し、四つの部族はベテル山脈に留まり、傭兵として生きる道を選んだ。
帝国に侵入した三つの部族はアレオス山地に追いやられ、今はルー族しか残っていない。
またしても殺し合ったのだ。
まるで呪いだ。
骨肉相食む呪い。
この呪いはシフをも蝕んでいる。
長老会を実権のない名誉職に貶めるために策を巡らせ、ギルドの掟を口実に長老どもに感化された者達を殺めてきたのだから。
土地だ。土地が欲しい、とシフは拳を握り締めた。
父の言う方法ではダメだ。
誰もが納得する形で土地を手に入れなければ、この呪いから逃れられない。
「ところで、何を交渉材料にして移住を認めさせたんだ?」
「……俺達の命だ」
ベアは驚いたかのように軽く目を見開いた。
「そいつは高く売りつけたな」
ああ、とシフは短く答えた。
最後の交渉材料は自分達の命だ。
シルバニアのために命を懸ける。
その代わりに移住と開拓の許可を得た。
開拓の費用は自分達で負担しなければならず、貨幣か、作物のどちらかで税を納めなければならないが、どれも妥当な要求……いや、自由都市国家群のギルドマスター達に何度も煮え湯を飲まされたことを思えば破格の条件だ。
まあ、あの男は高く買ったと思っていないだろうがな、とシフは苦笑した。
「何を笑っているんだ?」
「いや、俺も歳を取ったと思ってな」
自分がどれほど汚れてしまったのか、クロノを見ていると思い知らされる。
そんなことを考えている自分が妙におかしい。
「まずは蛮刀狼の件を片付けなければな」
「うん? ああ、そうだな」
ベアはワンテンポ遅れて返事をした。
※
何とか年内に間に合ったな、とシフは船から降りてくる傭兵達を見つめた。
新たにやってきた傭兵は五十人……ユー族が二十人、ムー族が十五人、フー族が十人、ヌー族が五人という構成だ。
この比率は諸部族連合における序列をそのまま表している。
序列は諸部族連合への貢献度によって決まるが、部族の人口と密接に関わっている。
部族の人口が多ければ輩出する傭兵の人数が増え、傭兵の人数が増えれば諸部族連合に対する貢献度が上がるという寸法だ。
ユー族が他の部族を殺し、豊かな土地を独占してきたということでもあるのだが。
傭兵達は桟橋の先にある受付で所定の手続きを終え、ベアとその部下の誘導に従って傭兵ギルドに向かう。
ウェスタとロナはスムーズに名簿を照会し、許可証を渡している。
シフがシルバニアに来た時に比べ、見物人の数は少ない。
ケインとエレインはいない。
二人とも仕事が忙しいのだろう。
傭兵に続き、狩人達が船から降りてきた。
狩人の地位は傭兵に比べると低い。
傭兵の収入が人々の生活を支えているという意識が強いからだ。
それだけではないか、とシフは昔の自分を思い出して苦笑した。
祖父や曾祖父の武勇伝を聞かされて育ったせいだろう。
傭兵を格好良いと思っていたのだ。
そういう憧れが部族内で傭兵の地位を押し上げている。
狩人が一人、二人と船から降り、十人目でシフは我が目を疑った。
十人目の狩人は老犬を連れた少女だった。
少女はフードの付いたマントを羽織っていた。
背は低く、マントの上からでも分かるほど痩せている。
フードを目深に被っているため、歳はよく分からないが、自分の娘より年上ということはないだろう。
「……待て」
「……っ!」
シフが呼び止めると、少女はピンッと背筋を伸ばして立ち止まった。
「フードを外せ」
少女は小さく頷くと、フードを外した。
一度も梳ったことがないようなボサボサの髪が露わになる。
顔立ちは整っているとは言い難い。
ギョロギョロと忙しなく動く大きな目ばかりが目に付く。
「名前は?」
「……ヌ、ヌー族のロロ、です」
少女……ロロは少し間を開けて名乗った。
まるで久しく話していないかのような辿々しい口調だ。
「お前を送り込んだ者は何と言った?」
「む、村の、役に立て、と言われました」
口減らしか、とシフは溜息を吐いた。
通常、猛獣を狩る時はチームを組む。
わざわざ一人で来させるということは死ねと言っているようなものだ。
ヌー族の序列が最下位……最も貧しい部族であることを考えると否定しきれない。
「行って、良いですか?」
ああ、とシフは頷いた。
※
どの部族出身でも平等に扱う。
それがシフの信条だ。
傭兵ギルドのギルドマスター、諸部族連合の代表という立場上、あからさまに自分の部族を贔屓する訳にはいかない。
シフは代官所の二階でケインと向かい合っていた。
ウェスタとロナはいない。
通信用マジック・アイテムも厚手の布で覆っている。
「人払いをしろって言うから、何を言うかと思えば」
ケインは深々と溜息を吐いた。
「クアントの時、焼くなり、煮るなり、皮を剥ぐなり好きにしろって言わなかったか?」
「勘当したのだから当然だ」
ケインは理解できないと言わんばかりに天を仰いだ。
「で、ロロってガキには便宜を図れって?」
「便宜を図れとは言っていない。この街の流儀を教えてやって欲しい」
「訳が分からねぇ」
そう言って、ケインは頭を掻いた。
「俺には立場がある」
「奇遇だな。俺にもあるぜ」
ケインは揶揄するように言った。
「傭兵ギルドのギルドマスターとして、諸部族連合の代表として一個人を優遇するのはマズい」
「だったら、勉強会でも開けよ」
「それは既にやっている」
船の中ではそれくらいしかやることがないからな、とシフは心の中で付け加えた。
「ヌー族の連中が面倒を見てくれるのが一番だが……」
「だが、何だよ?」
「ロロは孤立しそうな気がしてな。狩りに失敗して死んだのならば諦めもつくが、野垂れ死なれるのは寝覚めが悪い」
ケインは渋い顔をした。
「お前、計算してるだろ?」
「いや、本心だが?」
シフは問い返した。
もちろん、ケインの経歴を理解した上での発言だ。
「分かった、分かった。俺も野垂れ死にするガキなんて見たくねーからな。一応、ロナに言っておく。だから、そっちも対応しろよ」
「ああ、それは大丈夫だ」
ベアには根回し済みだ。
※
結論から言えばシフの心配は杞憂に終わった。
ロロは優秀な狩人だった。
チームを組んでいる他の狩人に比べれば獲物の数で劣るが、自分と老犬が食べるのに困らない程度の稼ぎはあるようだ。
年の瀬ということもあってか、『シナー貿易組合』の酒場は誰もいなかった。
シフは隅の席に座り、ワイングラスを眺めていた。
視界が不意に翳る。
わざわざ見上げなくても誰が来たのか香水の匂いで判る。
「あら、飲まないの?」
「仕事の話をしに来たのにか?」
「それもそうね」
そう言って、エレインは対面の席に座った。
露出度の高いドレスを着ている。
温かな店内だから着られるドレス……この女なら外でも着そうだな、とそんな益体もないことを考える。
「まずは、おめでとうと言うべきかしら?」
「ああ、お陰様でな。感謝する」
何に対してなのか尋ねない。
エレインならばシフが移住と開拓の許可を得たことを知っていても不思議ではない。
傭兵ギルドの仕事を増やし、職人の経歴を持った傭兵は元の仕事に戻れた。
諸部族連合は移住先を確保できた。
「良いのよ、仕事だもの」
「それでも、だ」
シフはこれからのことを考える。
移住を希望する者を募り、開拓に着手しなければならない。
開拓を成功させるために『黄土神殿』の力を借りなければならないだろう。
住居も何とかしなければならない。
融和を図るという意味でベテル山脈で使っているテントをそのまま使う訳にはいかない。
「これからも力を貸して欲しい」
「もちろんよ」
エレインは艶然と微笑んだ。
「……それにしても」
エレインは優雅に脚を組んだ。
「どうして、あの子は移住を認めたのかしら?」
「俺達がいなければ交易が成り立たないからだろう」
ふ~ん、とエレインはこちらの心を見透かそうとするように目を細めた。
「少し考えたのよね」
「……」
シフは答えない。
「確かに護衛がいなければ交易が成り立たないわよね。けれど、貴方達だって仕事がなくなるのは嫌よね。だから、別の理由もあるんじゃないかって思ったのよ」
エレインは太股に肘を乗せ、頬杖を突いた。
「たとえば、シルバニアが合議制になった時の備え。これも弱い気がするのよね」
「……」
シフは答えない。
ただ、舌打ちをしたい気分だった。
できるものなら、年の瀬だから誰もいないと考えていた自分を張り倒してやりたい。
「シルバニアを守るため、これもしっくりこないのよね。神聖アルゴ王国……イグニス将軍と交易をしているんだもの、二年前みたいなことは起きにくいわよね?」
エレインはそこで言葉を句切った。
「……あの子、帝国が敵になった時に備えているんじゃないかしら? そう考えると、つじつまが合うような気がするのよ。行商人組合を組織させたことや周辺領主と経済同盟を結ぼうとしていることも含めてね」
「そんなことを聞かされてもな」
シフは肩を竦めた。
エレインの推測は大したものだが、一点だけ間違えている。
クロノは帝国が敵になった時ではなく、その前段階の準備を整えているのだ。
高い練度の兵士と勇猛果敢なベテル山脈の傭兵、経済同盟の力を背景に敵に回ろうという気を削ごうとしているのだ。
シフはワイングラスを手に取り、一口だけワインを飲んだ。
「仕事の話は次の機会だな」
ふぅ、とエレインは息を吐き、軽く肩を落とした。
「お代は結構よ」
「……ああ」
シフは短く答え、『シナー貿易組合』を後にした。
空は雲で覆われ、今にも雪が降ってきそうだった。




