第14話『炊き出し』
※
シオンはにっこりと微笑み、男にスープとパンを手渡した。
男は浮浪者だった。
もう何日も食事を摂っていないのだろう。
男の喉が上下に動く。
早く食べたい。
そんな気持ちが伝わってくるようだった。
シオンは男がその場で食事を始めても責めるつもりはなかった。
人間は余裕があって始めて礼節を弁えることができるのだ。
だが、シオンの予想は裏切られた。
男は飢えを満たすことよりも礼を優先した。
男は深々と頭を垂れたのだ。
「神官様、ありがとうございます」
「いえ、私は『黄土にして豊穣を司る母神』様の教えに従っているだけですから」
男は不思議そうにシオンを見つめていたが、すぐにシオンから離れていった。
シオンは不意にハシェルで炊き出しを行っていた頃のことを思い出した。
ハシェルの浮浪者は薄汚れた格好をしていたが、神聖アルゴ王国の浮浪者はくたびれた服こそ着ているものの、臭いはそれほどでもない。
少し汗臭い程度だ。
シオンは疑問に思ったが、謎はすぐに解けた。
神聖アルゴ王国は水が豊富だ。
このカリナの街には井戸が幾つもあるし、少し歩けば湖もある。
体と服を清潔に保つのは難しくないのだ。
それでも、薄汚れた格好をしているとすれば、他人を遠ざけたい理由があるからだろう。
疑問は他にもあった。
浮浪者達はシオンを神官『様』と呼び、シオンが『黄土にして豊穣を司る母神』の教えに従っていると言うと、不思議そうな顔をするのだ。
『黄土神殿』の神官は農耕の知識と技術の伝播を使命とする。
それは大地の恵みをより多くの人と分かち合うという目的を果たすためだ。
その一環として『黄土神殿』の炊き出しを行っているのだ。
浮浪者の列が途切れ、シオンは隣を見た。
すると、ブルーナイト……もとい、アクア将軍と目が合った。
アクア将軍は柔らかな笑みを浮かべた。
周囲が急に明るくなったような気がする。
そんな笑みだった。
「お疲れ様」
「いえ、これが私の仕事ですから」
アクアの存在はシオンの劣等感を刺激した。
アクア将軍は国のために働いているが、シオンは金のために働いているのだ。
クロノはシオンが協力しなくても寄付金や救貧院の予算を減らさないと約束してくれた。
だが、シオンは不安だった。
寄付金を減らされたら、グラネットとプラムが別の任地に異動させられてしまう。
救貧院の予算を削減されたら、職員を解雇することになる。
救貧院の利用者を路頭に迷わせてしまう。
皆から失望される。
それだけは避けなければならなかった。
シオンはアクア将軍をチラチラと盗み見た。
綺麗な人だと思う。
将軍を務めているのだから、凄く有能な人なんだろうとも。
どうして、軍人になったのか。
軍人になって後悔していないのか。
自分が正しい選択をしたと感じているのか。
そんな言葉が喉元まで迫り上がる。
「イグニス、貴方も手伝ってよ」
「俺の仕事は炊き出しの監督だ」
アクア将軍が不満そうに唇を尖らせると、イグニス将軍はムスッとした表情で答えた。
「そ、その、イグニス将軍には手伝って貰いましたし」
「薪に火を点けてくれたわね?」
アクア将軍は茶化すように言った。
シオンは炊き出しの準備を行っている時、火打ち石がないことに気付いた。
何度もチェックしたのだが、入れ忘れてしまったらしい。
シオンが涙目で火打ち石を探していると、イグニス将軍は何も言わずに薪に火を点けてくれたのだ。
「神威術で薪に火を点けるなんて。また、『神殿』の連中に文句を言われるわよ? 神の力を何と考えているのか、って」
「言いたいヤツには言わせておけ」
アクア将軍が『また』の部分を強調して言っても、イグニス将軍は何処吹く風だ。
『神殿』は神威術を軽はずみに使わないように戒めている。
この戒めは寄付金を積まれると容易く緩んでしまうのだが、軽はずみに神威術を使うことは畏敬の念を欠くと見なされるのだ。
「俺は恥ずべきことをしていない。飢えた民のために神威術を使うことを非難する方が間違っている」
イグニス将軍は微動だにせずに言った。
そんなイグニス将軍がシオンには一回りも、二回りも大きく見えた。
いや、自分の矮小さを思い知らされたと言うべきかも知れない。
シオンは幼い頃から神官にならなければならないと感じていた。
母が生きていれば相談することもできたのかも知れないが、シオンが物心付く前に大地に還っていた。
流行病だったらしい。
シオンが神威術を使えると知った時、神官になると決めた時、父は喜んでくれた。
そして、父は快くシオンを帝都に送り出してくれた。
シオンは帝都の神殿で農耕と神学を学んだ。
そこで違和感を覚えた。
神官見習いの少年少女は普通の子どものようだった。
特に少女達は神のことを考えるよりも仲間同士で話すことを好んでいたように思う。
シオンはそんな少女達とできるだけ関わらないようにして勉強に励んだが、そういう少女達の方がシオンよりも人生を楽しんでいるような気がした。
その想いは神威術を失った今、ますます強くなっている。
私は進むべき道を間違えたのかも知れません、とシオンは小さく溜息を吐いた。
自分は父を失望させたくなくて神官になろうと考えたのではないか。
神官以外の生き方を望めば父と衝突するかも知れない。
その可能性を恐れて、楽な方に流れてしまっただけではないか。
自分の意志など何処にもない。
あるとすれば『痛み』を避けようとする弱さだけだ。
だから、『黄土にして豊穣を司る母神』はそんなシオンに愛想を尽かし、力を貸してくれなくなったのではないだろうか。
神官以外の生き方を考える時期なのかも知れない。
けれど、シオンは信仰を捨てる『強さ』を持ち合わせていない自分に気付き、大きな溜息を吐いた。
※
シオンさんは今日もお悩みモードだね、とクロノは宿の二階からシオンを眺めた。
シオンは暗い表情で溜息を吐いている。
火打ち石が見つからないというアクシデントがあったが、炊き出しは成功だった。
欲を言えば、もう少し大きな街で炊き出しをしたかった。
クロノ達がいるのはカリナという街だ。
カリナの街はイグニスの領地の北にある、そこそこ大きな街だ。
そこそこと言っても、イグニスの屋敷がある街より大きく、発展している。
イグニスの屋敷がある街は宿が一つもないが、カリナの街には宿が二つもあるのだ。
炊き出しにやってきた浮浪者の人数は十人余り。
クロノの予想より少ない人数だが、地道に活動を続ければ人数は増えるはずだ。
貧困層も取り込めるかも知れない。
「クロノ、ボク達に情報収集を任せて、自分は高みの見物かい?」
「それじゃ、僕がサボっているみたいだよ」
クロノは振り返り、部屋の入り口を見た。
すると、リオが壁に寄り掛かっていた。
今日のリオは軍服ではなく、麻のズボンとゆったりとした上着を着ている。
上着の襟口は大きく開き、鎖骨が露わになっている。
「クロノは何をしていたんだい?」
「版を彫ってたんだよ」
クロノは机に置いた木製の版を手に取り、リオに突き出した。
版の片側にはポージングしたナイトレンジャー、もう片方には王様っぽい人に座る神官の姿が彫ってある。
「ナイトレンジャーは○で囲まれて、もう片方は×が書かれているね」
「これなら、文字が読めなくても理解できるでしょ? あとは刷って、色を塗って、ばら撒くだけだよ。いや~、○と×を彫るのに苦労したな~」
○と×は刷った後で書き足せば良いんじゃ? とクロノは彫っている最中に気付いたが、それも完成した今は良い思い出だ。
「ここで彫る必要があったのかい? それに版画は領地から持ってきていたじゃないか」
「領地から持ってきたのは第一弾で、こっちの版画は第二弾だよ」
第一弾の版画はドワーフの職人の作品なので、非常に出来が良い。
神官が四つん這いになった王様に座るものと巨大な神官がスプーンで平民を食べているものの二つのパターンがある。
「時々、思うんだけれど、クロノは何気に多才だね」
「まあ、これくらいは」
一応、クロノは義務教育課程をほぼ終えているのだ。
初歩的な工作や料理、裁縫くらいできる。
とは言え、誉められて悪い気はしない。
「リオの方はどうだった?」
「ナイトレンジャーはそれなりに話題になっていたよ。イグニス将軍が顔を隠して亜人と戦っているみたいな噂だけどね」
リオは軽く肩を竦めた。
イグニスには気の毒だが、民衆がレッドナイトの正体に気付いてくれないと困るのだ。
「どうやら、私が集めた情報はリオ殿と大差ないようだね」
そう言って、レオンハルトは部屋に入ってきた。
ドタドタという音が階下から響き、レオンハルトはやれやれとでも言うように小さく息を吐いた。
そして、道を譲るように扉から離れた。
「クロノ様! 大変であります!」
フェイは横滑りし、扉の前を通り過ぎた。
「大変でありますよ! クロノ様!」
フェイは今度も横滑りしそうになったが、扉の縦枠を掴んで踏み止まった。
今日のフェイは武装していない。
着ているのも軍服ではなく、スカートだ。
「フェイのスカート姿は新鮮だな~」
「そ、そうでありますか?」
フェイは照れ臭そうに頭を掻いた。
ちょっと嬉しそうだ。
「スースーして落ち着かないであります」
フェイはスカートを摘まみ、体を捻った。
「いや、似合ってるよ。フェイのドレス姿も見てみたいな~」
「むむむ、私は一人の騎士としてクロノ様のお役に立ちたいのであります」
フェイは言葉と裏腹に満更でもなさそうである。
クロノは舞踏会に参加する機会があればフェイ用のドレスを仕立てようと固く誓った。
「報告は良いのかい?」
「そうであります! クロノ様、大変であります!」
フェイはリオの突っ込みで用件を思い出したらしく、部屋に入ってきた時と同じ台詞を口にした。
「え、何が?」
「偽物であります!」
クロノはフェイの端的すぎる報告を理解できず、問い返した。
「何の?」
「ナイトレンジャーの偽物であります!」
「展開早っ!」
クロノは思わず、叫んだ。
レオンハルト、リオ、フェイの三人はクロノが叫んだ理由を理解できなかったようだ。
偽物の登場は戦隊物に限らず、特撮やアニメで割と見るネタだが、番組の中盤で放送されるべきエピソードだ。
ナイトレンジャーはようやくメンバーが揃ったばかりなのに偽物の登場とは。
「どうするでありますか?」
「もちろん、ぶっ潰すよ!」
顔を隠しているのが裏目に出たか、とクロノは歯噛みした。
ナイトレンジャーのふりをして好き放題されたら、作戦が頓挫しかねない。
「フェイ、案内して!」
「分かったであります!」
「レオンハルト殿も準備準備!」
クロノは思案するように顎を撫でるレオンハルトに突っ込んだ。
「ふむ、私は次の展開が読めたような気がするがね」
レオンハルトは嘆息するように息を吐いた。
※
「クロノ様、偽物であります!」
「……」
クロノはフェイに案内された街の広場でポカンとていた。
リオとレオンハルトは苦笑している。
木製の舞台が街の広場に設けられていた。
かなりの人数が広場に集まっている。
どうやら、旅芸人の興業のようだ。
「クロノ様、ぶっ潰すでありますか?」
「いや、それは、ちょっと」
フェイは拳を構えた。
内なる闘志をアピールしているのか、フェイは下げた左腕を振り子のように振っている。
「偽物でありますよ?」
「もう少し様子を見てからにしよう」
「分かったであります」
フェイは渋々と言った感じで拳を下ろした。
クロノが舞台を見ると、六人の役者が舞台に立っていた。
「私は炎の騎士! レッドナイト!」
レッドナイトが舞台の中央で高らかに名乗りを上げ、拳を振り上げた。
「水の騎士、ブルーナイト!」
「光の騎士! ホワイトナイト!」
「闇の騎士! ダークナイト!」
「風の騎士! グリーンナイト!」
「大地の神官! イエロープリースト!」
他の五人がレッドナイトの次々と名乗りを上げ、レッドナイトとブルーナイトを中心にポーズジング。
おおおおおおおっ! と大きいお友達が歓喜の声を上げた。
分かり易い反応である。
舞台の上にいるナイトレンジャーは全員、女なのだ。
しかも、肌色率が高い。
胸は細長い布で、下半身はパレオで覆っている。
分かっていらっしゃる! とクロノは戦慄した。
細長い布が胸に食い込んでいた。
食い込んでいたのだ。
「やっちまいな! お前達!」
「あ、悪の女幹部!」
クロノはあまりの衝撃に震えた。
敵役の女性は牛の角を彷彿とさせる冠を被っていた。
だが、注目すべきは冠ではない。
敵役の女性はビキニアーマーだった。
おまけに爆乳の持ち主だ。
胸が揺れた。
激しい立ち回りをすると、胸が揺れるのだ。
「文句を言ってくるであります!」
「ま、待った、フェ~イ!」
クロノはフェイの手首を掴んで引き留めようとしたが、ズルズルとフェイに引き摺られた。
フェイは数メートルほど進んだ所で足を止めた。
「あれは偽物でありますよ?」
「最後まで見させて下さい」
クロノはフェイに懇願した。
「おや、クロノは大きい胸がお好みかい?」
「小さい胸も好きだよ、好きなんだけど」
好きなんだけど? とリオは優しげな笑みを浮かべた。
唇は笑みを形作っているが、目は笑っていない。
「レオンハルト殿! レオンハルト殿なら、僕の気持ちが分かるよね?」
「彼は宿に戻ったよ」
クロノは周囲を見回したが、リオの一言で希望を断たれた。
レオンハルトの勘は恐ろしいほど冴えているようだ。
やはり、持っている男は違うと言うことか。
「ナイトブレード!」
レッドナイトが剣を抜き、悪の女幹部に斬りかかった。
ハッ、と悪の女幹部は獰猛な笑みを浮かべ、レッドナイトを迎え撃つ。
「へぇ、魅せるね」
リオが感心したように呟いた。
レッドナイトと悪の女幹部が舞台の上で派手な殺陣を演じていた。
「僕らの方が偽物っぽいね」
クロノは本家ナイトレンジャーの敗北を認めるしかなかった。
偽ナイトレンジャーがエンターテイメントなら、本家ナイトレンジャーは学芸会だ。
勝っているのは敵役のリアルさと特殊効果だけだ。
でも、どうして、ナイトレンジャーなんだろう? とクロノは首を傾げた。
ナイトレンジャーは活動を始めたばかりで知名度は低い。
これだけ魅せる殺陣を演じられる旅芸人がナイトレンジャーを選ぶ理由が分からない。
今後、クロノ達が安心して行動するために相手の意図……誰の命令で動いているか確認すべきだろう。
「リオ、フェイ、少し場所を移動しよう」
クロノは広場の隅に移動し、適当な場所で屈んだ。
リオとフェイもクロノに倣う。
「どうしたんだい?」
「夜襲をしようと思うんだ」
クロノが答えると、リオとフェイは黙り込んだ。
「クロノ、さっきと言ってることが違うよ?」
「夜襲と言われると、ドン引きでありますね」
フェイの言葉は辛辣だ。
「ナイトレンジャーをパクった理由を確認したいんだよ。地道に情報収集するのもありだと思うけど……」
「けど?」
リオは不思議そうに首を傾げた。
「情報が正しいとは限らない」
クロノが断言すると、リオは愉快そうに笑った。
リオ・ケイロンは人間の負の側面をどうしようもなく好むのだ。
「素直に質問して答えてくれるとも思えないんだよね。だから、夜襲を仕掛けて、圧倒的に優位な状況で詰問したいんだ」
「クロノ様、裏が取れなかった場合はどうするでありますか?」
「どうもしないけど?」
む~、とフェイは半眼でクロノを見つめた。
「クロノ様、どうもしないじゃ済まないであります。裏が取れなかったら、クロノ様は旅芸人の寝込みを襲った犯罪者でありますよ?」
「フェイ、さりげない自己保身の台詞をありがとう。できれば、騎士らしい言葉を聞きたかったよ」
クロノが皮肉を口にすると、フェイは考え込むように虚空を見上げた。
「クロノ様、それは犯罪であります! 騎士として、クロノ様が道を踏み外そうとするのを見過ごせないであります!」
「諫言が耳に痛い!」
クロノは騎士らしい正論に耳を押さえた。
「じゃあ、どうするのさ?」
「そこはクロノ様お得意の根回しでありますよ。先に根回しをしておけば、うっかり善良な旅芸人を襲っても、問題なしであります」
「黒っ! しかも、騎士らしくない!」
お咎めはないかも知れないが、フェイの発言は大問題だった。
「正真正銘、クロノ様の騎士でありますよ?」
「畜生、仰る通りだよ」
フェイはクロノのやり方を熟知しているという意味でクロノの騎士だった。
※
クロノは宿に戻ると、根回しをした。
ナイトレンジャーをパクった理由を知るために旅芸人の一座を襲撃したいので、領主にお話を通して下さい、とイグニスに平身低頭でお願いしたのだ。
案の定、イグニスは嫌な顔をした。
舌打ちまでした。
だが、クロノの一時間に及ぶ説得が功を奏し、イグニスは重い腰を上げた。
期待するなよ、とイグニスは言い残して領主の館に向かった。
しばらくして、領主の館から戻ってきたイグニスは渋い顔をしていた。
交渉が失敗して、嫌みでも言われたのかな? とクロノは思ったが、違った。
交渉は成功し、イグニスは旅芸人の情報を手土産に戻ってきた。
イグニス曰く、領主は協力の要請に快く応じてくれたそうだ。
それだけではなく、旅芸人の情報を教えてくれたらしい。
クロノはシオンとアクアを宿に残し、夜の街に飛び出した。
クロノ達は夜陰に紛れ、旅芸人の一座が泊まる宿に向かう。
「そろそろ、機嫌を直しなよ」
「俺は怒ってなどいない」
イグニスは苛立った口調で答えた。
多分、イグニスは領主に協力を拒まれると考えていたのだろう。
ところが、領主は快く協力してくれた。
もちろん、善意からイグニスに協力しようと考えた訳ではない。
領主の目的は交易路の維持だ。
イグニスの領地を経由すれば、東西街道を経由していた時よりも遙かに安く塩や香辛料を手に入れることができるのだ。
多少の便宜くらい払うだろう。
まあ、そこがイグニスには面白くないのかも知れないが。
「……ここか」
クロノは建物を見上げ、看板を確認した。
「おい、作戦はどうする?」
「ここは人目に付くから、隠れよう」
クロノは宿と隣の建物の間にある路地に足を踏み入れ、適当な場所で立ち止まった。
「じゃあ、作戦を説明します」
クロノは全員の顔を見渡し、小さな声で言った。
「突入するのは僕とイグニス将軍、レオンハルト殿。三数えたら、僕がこれを投げ込むから、リオとフェイはバックアップをお願い」
「それは何だ?」
クロノが腰のポーチから親指の爪くらいの宝石を取り出すと、イグニスは訝しげな表情を浮かべた。
宝石と言っても、大した価値はない。
「閃光と爆音を発生させるマジック・アイテム『スタングレネード』です。敵の視覚と聴覚を一時的に奪い、無力化します」
そのはず、とクロノは心の中で付け加えた。
スタングレネードは試作品で、どれくらいの効果があるか分かっていないのだ。
「一、二、三で投げるから、リオは部屋から音が漏れないように、フェイは光が漏れないようにして」
「なかなかタイミングが難しそうだね」
「分かったであります!」
二人とも頼もしいな~、とクロノが頷いたその時、カチャという音が上から聞こえてきた。
クロノは反射的に顔を上げ、悪の女幹部と目が合った。
悪の女幹部が鎧戸を開けたのだ。
「三!」
「クロノ!」
「一、二が抜けてるでありますよ!」
クロノがスタングレネードを窓に向かって投げると、悪の女幹部が身を翻した。
直後、スタングレネードが部屋の中に飛び込んだ。
「「神よ!」」
リオとフェイの声が重なる。
スタングレネードは効果を発揮しているはずだが、光と爆音はない。
「突入!」
クロノは刻印を発動させた。
漆黒の光が蛮族の戦化粧のようにクロノの体を彩る。
刻印がクロノの身体能力を限界まで引き出す。
クロノは仮初めの万能感に口角を吊り上げたが、すぐに仮初めの万能感は消え失せてしまった。
体が壊れるから短時間しか使えないし、それだけのリスクを支払っても、フェイのような本物に及ばないのだ。
クロノは宿と隣接する建物の壁を交互に蹴り、窓まで駆け上がった。
最後に壁を強く蹴り、開いた窓から部屋に飛び込む。
威力が高すぎたかな、とクロノは部屋を見渡して、冷や汗を流した。
偽ナイトレンジャーと悪の女幹部は倒れていた。
全員、ピクリとも動かない。
どうしよう、とクロノが途方に暮れ、天井を見上げた。
その時、悪の女幹部がバネ仕掛けのおもちゃのように起き上がり、腕を一閃させた。
銀光がクロノの眼前を通り過ぎる。
銀光の正体は悪の女幹部が手にした短剣だ。
短剣を躱せたのは訓練の賜物ではなく、偽ナイトレンジャー達と距離を置いていたからだ。
上手く無力化できるかな? とクロノは体の内側から響くギチ、ギチッという音を聞きながら、拳を構えた。
「クロノ殿、待ち給え」
クロノはレオンハルトの声に安堵して構えを解いた。
悪の女幹部が攻撃をしてこなかったのはレオンハルトとイグニスの存在が大きいだろう。
クロノは悪の女幹部に警戒しつつ、レオンハルトとイグニスに視線を向けた。
「……君達は帝国の人間だね?」
レオンハルトが指摘すると、悪の女幹部は跪いた。
※
そんなに睨まなくても、とクロノは壁に寄り掛かり、偽ナイトレンジャーと悪の女幹部から視線を逸らした。
全員、親の仇を見るような目でクロノを睨んでいる。
レオンハルト殿も人が悪いよ。
知ってたんなら、教えてくれればよかったのに、とクロノは腕を組んだ。
レオンハルトが指摘した通り、偽ナイトレンジャーと悪の女幹部……関係者全員、ケフェウス帝国の人間だった。
ただし、帝国の機関に所属している訳ではなく、貴族をパトロンに持つ旅芸人の一座だ。
彼女達は貴族から資金提供を受け、その貴族が要求したテーマに添った劇を演じ、旅先で聞いた話を聞かせる。
要するに情報収集と操作の一翼を担っているのだ。
どう考えても、パトロンの貴族は軍務局か、それに類する部署の人間だが、その辺は彼女達も理解しているらしい。
彼女達に言わせてみれば、裏があっても、貴族の後ろ盾はありがたいそうだ。
「でも、どうして、ナイトレンジャーなのさ?」
「……」
クロノが問い掛けると、偽ナイトレンジャーと悪の女幹部はプイッと顔を背けた。
どうやら、クロノがスタングレネードを投げ込んだことを根に持っているらしい。
「答えてくれないかね?」
「はい、レオンハルト様」
悪の女幹部……役者だけではなく、座長も兼任しているらしい……は猫撫で声で返事をした。
「あたし達も情報収集くらいしてるってこと、分かった?」
「分からないよ! と言いたい所だけど、『神殿』に目を付けられたくないから、言い逃れできそうな題材を選んだ感じ?」
へぇ、と悪の女幹部改め座長は感心したようにクロノを見つめた。
こいつ、馬鹿じゃないんだとでも言いたげな表情である。
「イグニス将軍、どうする?」
「どうして、俺に聞く?」
「いや、まあ、何となく」
クロノはイグニスに問い返され、曖昧に答えた。
イグニスも今までの遣り取りから彼女達が工作員だと分かっているはずだが、始末するつもりはないようだ。
まあ、自分達のことをペラペラと話してしまう工作員だ。
実は優秀な工作員という可能性もあるが、イグニスは殺すよりも利用するべきと考えたのかも知れない。
「お前はどう考えている?」
「どのくらい効果があるか分からないけど、ナイトレンジャーの知名度を上げる助けになるかも知れないし、興業を続けて貰おうかなと」
イグニスは偽ナイトレンジャーと悪の女幹部を睨んだ。
偽ナイトレンジャーと悪の女幹部はイグニスの迫力に気圧されたように体を震わせた。
「お前の意見を尊重しよう」
「良いの?」
「お前が言ったことだろう?」
そうなんだけど、とクロノは口籠もった。
「まあ、良いか。こっちの活動とリンクさせたいから、脚本を渡しておくよ。それから脚本担当と話しておきたいな」
※
翌日、クロノは遠くから舞台を見つめ、歯軋りした。
昨日と同じように舞台は盛況だった。
いや、観客の数は昨日より多い。
コメディ要素が加わったことで新たな客層を掴んだのだ。
コメディ要素はサポートキャラだ。
外見はイラストを忠実に再現し、手足の生えた樽と言った風情だ。
可愛いと言えなくもない顔が樽に描かれているのだが、どういう訳か、右目が×なのだ。
このサポートキャラはコミカルな外見の割に性格がゲスい。
悪の女幹部をストーキングし、寝込みを襲おうとするゲスさ加減だ。
「このマジック・アイテムがあればイチコロでゲス」
樽が腕を振りかぶる。
だが、樽はバランスを崩して倒れ、ゴロゴロと転がり始めた。
そのまま、樽は舞台から退場した。
「で、でゲス~!」
憐れみを誘う声が聞こえた直後、轟音が鳴り響いた。
何故か、観客に馬鹿ウケだ。
「……こん畜生」
「クロノ様、あれはお芝居でありますよ?」
「そうだよ、クロノ」
フェイとリオがクロノの肩を叩いた。
言葉は気遣わしげだが、二人とも必死に笑いを堪えている。
「芝居だけど、もの凄い悪意を感じるんだけど! あのゲスなサポートキャラに僕の名前使うなんて、べそかいちゃうレベルの嫌がらせなんですけど!」
そう、サポートキャラの名前は『クロノ』なのだ。
クロノは歯軋りした。
著作権料を要求せず、脚本を提供した恩を仇で返されたのだ。
罵倒の言葉の二つや三つ出るというものだ。
「芝居さ、芝居」
「こっちはこっちで忙しいでありますよ」
「リオ、フェイ、離せ! 僕はあの女どもに一言、言ってやらないと気が済まない!」
リオとフェイはクロノの腕を取り、歩き始めた。
クロノは全力で抵抗したが、リオとフェイのスピードは全く変わらなかった。




