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クロの戦記 異世界転移した僕が最強なのはベッドの上だけのようです  作者: サイトウアユム
第5部:神聖アルゴ王国編(仮)

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第8話『帝都』


 レオンハルトは軍服の袖に腕を通す。

 白を基調とした軍服は近衛騎士の証だ。

 新設された第十三近衛騎士団の制服は黒だったりするのだが、それはともかく、レオンハルトは近衛騎士に相応しい人物であろうと努めてきた。

 いや、部下を動かす方法を身に付けるために苦心してきたと言うべきだろうか。

 レオンハルトは他人の気持ちが分からない。

 どんな感情を抱いているのか、状況から察することはできるし、空気を読むこともできる。

 リーラに言わせると、レオンハルトの言葉は白々しいらしい。

 特に慰めや同情の言葉で顕著だとも。

 思い当たる節はあった。

 レオンハルトは家柄と才能に恵まれ、大きな失敗や挫折を経験したことがないために他者に共感する能力が低いのだ。

 レオンハルトが単なる騎士であれば、共感能力の低さは問題にならなかっただろう。

 だが、騎士団長にとっては致命的な欠点だ。

 部下の能力を引き出すためには理解という要素が欠かせない。

 まあ、レオンハルトの予想が正しければだが。

 レオンハルトは部下を注意深く観察し、話を聞くことで共感能力の低さを補った。

 今の所、問題は起きていない。

 精々、レオンハルトのジョークは面白くないと、揶揄されるくらいか。

 クロノ殿は……あれはあれで得難い資質だ、とレオンハルトは苦笑した。

 クロノを見ていると、指揮官が部下に支えられても良いという気になる。

 レオンハルトは剣を帯び、自室から出た。

 これから登城し、アルコル宰相と会わなければならない。

 近衛騎士団の配置転換やピスケ伯爵のやつれ具合を考えると、あまり良い予感がしない。

 レオンハルトが屋敷から出ると、リーラが駆け寄って来た。

 リーラは相変わらず、ぽっちゃりとしている。


「レオンハルト様! オラ、田舎に帰りてぇだ!」

「リーラ、私はこれから仕事なのだが?」


 今朝、リーラは新市街で息抜きをしてくると言っていたが、外出は息抜きにならなかったようだ。


「騎士の仕事は弱者を守ることだ!」

「否定はしないがね」


 弱者が帝国の民という意味であれば、レオンハルトは自分の権限と能力の範囲内で守らなければならない。


「リーラ、何があったのかね」

「オラ、新市街に買い物に行っただよ。したら、酔っ払いに絡まれただよ! 喧嘩してる連中もいるし、安心して買い物できねぇだ!」


 ふむ、とレオンハルトは顎を撫でた。

 恐らく、リーラに絡んだ酔っ払いは霊廟の建設に携わっている石工だろう。

 霊廟の建設は信頼できる者に任せるべき事業だ。

 予算を確保し、信頼できる者達に仕事を任せる。

 至極単純な理屈だ。

 だが、現実は理屈通りに進まない。

 ボウティーズ男爵が石切場で働いていたミノタウルスを売ったため、霊廟の建材となる大理石の価格は高騰していたのだ。

 この状況で必要量の大理石を確保しつつ、信頼できる者に霊廟の建設を任せるのは不可能だった。

 財務局の役人が粘り強く交渉していれば話は別だったかも知れない。

 だが、財務局の役人は霊廟の建設費……人件費を削ることで問題を解決した。

 端金で雇える人夫の質など高が知れている。

 そのツケが治安の悪化という形で現れているのだ。


「ふむ、治安の悪化に関しては担当部署に相談しておこう」

「ホントか? 嘘吐いたら、オラは田舎に帰るだよ? オラが田舎さ、帰ったら、レオンハルト様は安眠できねぇだよ?」


 ふむ、とレオンハルトは頷いた。

 正直な話、レオンハルトはリーラがいなくても安眠できる。

 性欲の解消に関してもリーラが絶対に必要という訳ではない。

 そもそも、レオンハルトは性欲が強い方ではないのだ。

 だが、ここでレオンハルトが『田舎に帰っても構わない』と言えば、リーラは気分を害するだろう。

 嘘は円滑な人間関係のために必要なのだ。


「リーラは私の安眠のために必要だ」

「レオンハルト様、そっただ嘘は吐かなくても良いだ」


 む、とレオンハルトは呻いた。


「冗談だ、冗談。田舎に帰りてぇと言ったのも、帰ると言ったのも冗談だ。どうせ、オラには帰る所なんてねぇだ」

「……」


 レオンハルトは何も言えなかった。

 リーラは貧農の娘だ。

 父が奉公人としてリーラを引き取った。

 表向きの話だ。

 父は奉公人として引き取ったリーラを弄び、飽きると、レオンハルトに与えた。

 レオンハルトは父が何を考えてリーラを自分に与えたのか分からない。

 いつまでも女に興味を示さない息子を心配したのか、質の悪い女に入れ込まないように先手を打ったつもりなのか、その両方なのか。

 いずれにせよ、ろくでもない話だ。

 ろくでもないのは私か、とレオンハルトは自嘲した。

 どんな言葉を掛けてやれば良いのかさえ分からないのだ。


「冗談だ。レオンハルト様をちぃと困らせてやりたかっただけだ」

「質の悪い、冗談だ」

「そだな。オラも反省してる。もう二度と言わねぇだ」


 そうか、とレオンハルトはリーラの頭を撫でた。



 やはり、リオ殿の不在は大きいか、とレオンハルトはアルコル宰相の執務室に向かいながら、そんな感慨を抱いた。

 第九近衛騎士団は城の警備を担当している。

 騎士団長であるリオは登城予定のない貴族がやって来ても城に入れなかった。

 それは城内で働く貴族や女官、皇族の安全を確保するためだ。

 だが、今は登城の手続きを済ませていない貴族でも多少の労苦を惜しまなければ入れてしまう。

 第九近衛騎士団が規律を遵守しても、城内で働く全ての貴族が規律を重んじるとは限らない。

 アルコル宰相の執務室は二人の近衛騎士に守られていた。


「第一近衛騎士団団長のレオンハルトだ。アルコル宰相に呼ばれてきた」

「はっ、お入り下さい!」


 レオンハルトはアルコル宰相の執務室に入り、軽く目を見開いた。

 アルコル宰相の執務室に先客がいたからだ。

 ピスケ伯爵だ。

 心労によるものだろう。

 ピスケ伯爵の表情は冴えない。

 レオンハルトが部屋の中央に立つと、アルコル宰相は書類を読むのを中断し、顔を上げた。


「今日は、神聖アルゴ王国の件で相談があってな」


 ぐっ、とピスケ伯爵は腹を押さえた。


「昨年、我が国は神聖アルゴ王国と講和条約を締結した」

「存じております」


 レオンハルトは淡々と答えた。

 アルコル宰相が親征の前から講和のために動いていたことも、親征が交渉の手段に過ぎなかったことも今は知っている。

 講和条約によって予想される被害を減らせたと言うのならば、それは帝国にとって正しい選択だったのだろう。


「神聖アルゴ王国のマグナス国王とは個人的に連絡を取っておってな。何でも、マグナス国王は『神殿』との関係に悩んでおられるそうな」


 アルコル宰相はわざとらしく溜息を吐いた。

 今更、説明されなくても、神聖アルゴ王国の王室と『神殿』が権力闘争を繰り広げていることくらい知っている。


「ワシはマグナス国王の悩みを解決してやりたいと考えておる」


 レオンハルトはアルコル宰相の露骨さに苦笑したい気分だった。

 我々やケフェウス帝国という言葉を使わない。

 つまり、マグナス国王に非公式な立場から協力しろと言っているのだ。


「何故、私に?」

「レオンハルト殿が近衛騎士の中で最も戦闘能力が高く、帝国に対する忠誠心が篤いと考えておるからだ」

「過分な評価を頂き、光栄に存じます」


 アルコル宰相の指摘は前者に関して言えば事実だ。

 だが、後者に関して言えばやや外れている。

 ケフェウス帝国はレオンハルトの中で優先順位が高い。

 ただし、それは愛国心や忠誠心によって生じているのではなく、自分の立場によるものだ。

 レオンハルトはパラティウム家の次期当主だ。

 自分の一族や領地を守るためにはケフェウス帝国の安定が欠かせない。

 だからこそ、レオンハルトはティリア皇女が皇位継承権を奪われたと知っても動かなかった。

 あの時、レオンハルトがティリア皇女に与すれば、国が割れていた。

 内戦になればティリア皇女が勝っても、アルコル宰相が勝っても、国土は荒れ果て、数多の死者が出ていただろう。

 アルコル宰相がそれを踏まえてレオンハルトの忠誠心を評価してるのならば正しい評価と言えるかも知れない。


「しかし、私一人では……」

「人選は済ませておる」


 なるほど、使い潰しても問題ない人材をすでに確保していると言うことか、とレオンハルトは頷いた。


「……」

「レオンハルト殿?」


 レオンハルトが黙っていると、アルコル宰相は怪訝そうに問い掛けてきた。


「指揮官が私一人では期待に応えることは難しいでしょう。幾人か、信頼できる人材をサポートに付けて頂ければ」

「ふむ、レオンハルト殿の希望に応じるのは吝かではない」

「まず、エラキス侯爵領にいるリオ・ケイロン伯爵を」


 アルコル宰相はリオの名を聞いて苦笑いを浮かべた。


「良かろう。今回の任務終了後、帝都に帰還するように伝えて欲しい」

「次に第十三近衛騎士団を」

「それは人材とは言わんな」

「必要な人材です」


 アルコル宰相は思案するように机の角を指で叩いた。

 コンコンと机を叩く音が執務室に響く。


「……良かろう」

「お心遣い感謝します。これで宰相の真の目的を達成できることでしょう」

「真の目的とな?」


 アルコル宰相の片眉が上がる。


「神聖アルゴ王国の問題が解決しても我が国の利にはならないでしょう」


『神殿』の問題が解決すれば、神聖アルゴ王国は講和条約を破棄し、ケフェウス帝国と再び敵対するだろう。敵対しない可能性もあるが、楽観的な判断に基づいて行動すべきではない。


「レオンハルト殿はどう考える?」

「神聖アルゴ王国で内戦を引き起こす。それが帝国にとって最大の利となるかと」

「その通り、よく分かっておる」


 アルコル宰相は愉快そうに笑った。

 もっとも、アルコル宰相はレオンハルトが帝国にとって最大の利となる選択に辿り付くと考えていたのだろうが。


「だがな、レオンハルト殿。マグナス国王とてワシが善意で協力を申し出ているとは考えておらん。非公式な立場からなら協力を受け入れると言っておるのでな」


 私を選んだのは容易に切り捨てさせないためか、とレオンハルトは頷いた。


「作戦の概要はピスケ伯爵が説明する」

「はっ、ご期待に添えるよう力を尽くします!」


 レオンハルトは背筋を伸ばした。



 作戦の説明はピスケ伯爵の執務室で行われることになった。

 レオンハルトは腹を押さえるピスケ伯爵に先導され、ピスケ伯爵の執務室に向かった。

 ピスケ伯爵は執務室に着くと、崩れ落ちるように自分の席に腰を下ろした。

 レオンハルトは近くにあったイスに座り、資料に目を通す。

 もっとも、資料の半分は作戦に参加する騎士の来歴だったが。

 作戦は神聖アルゴ王国の国力を低下させることに重点を置いている。

 神聖アルゴ王国の王室と『神殿』の勢力を拮抗させる。

 そのために盗賊に扮した騎士に神聖アルゴ王国の東西街道を通る商人を襲撃させるのだ。


「やはり、こうなるか」

「念のために言っておくが、彼らは志願者だ」


 ピスケ伯爵は言い訳がましい口調で言った。

 レオンハルトが指摘したのは今回の任務に携わる騎士についてだ。

 人数は三十人、全員が下級貴族の三男以下……死んでも問題がない人選のつもりなのだろう。


「ピスケ伯爵、私は彼らを死なせるつもりなどないよ」

「私とて彼らを死なせようとは考えていない」


 ピスケ伯爵は不機嫌そうに言った。


「何故、彼らは志願を?」

「家督も継げず、近衛騎士にもなれん連中だ。領地を伴わない爵位でも叙爵を約束すれば喜んで志願するだろうよ」


 ピスケ伯爵は分かり切ったことを聞くなと言わんばかりの口調で言った。


「彼らが志願した理由は分かった。ならば、彼らが生還できるように訓練を施さねばなるまい」

「……私は訓練以外の部分か」


 ピスケ伯爵は溜息交じりに言った。


「ところで、何故、レオンハルト殿はエラキス侯爵を?」

「私は彼を買っているのでね」

「まあ、見るべき所はあると思うが」


 レオンハルトが答えると、ピスケ伯爵は微妙な表情を浮かべた。


「もちろん、それだけが理由ではないがね。作戦を補強するためにクロノ殿の力が必要なのだよ。マグナス国王も東西街道を通る商人を襲撃するだけでは納得しないだろう。納得させるためには新たな交易路を確保しなければ」

「……なるほど」


 ピスケ伯爵も作戦の穴に気付いていたらしく素直に頷いた。

 本当の着地点が何処にあるのか教えて欲しい所だが、とレオンハルトは心の中で付け加えた。



「旦那、起きて下さいよ。旦那ってば」

「アンジェ、もう少し眠らせてくれよ」


 そう言って、デュランは寝返りを打った。

 古いベッドが抗議するように軋む。

 この古いベッドは寝返りだけではなく、座っただけでガタガタと音を立てる。

 デュランは南辺境の北に領地を持つランドエッジ男爵家の四男として生を受けた。

 生まれた時点でデュランが家督を継げる可能性は殆どなかった。

 戦乱の時代ではないし、三人の兄は健康そのものだったからだ。

 デュランは三人の兄と同様に帝都の軍学校に入学した。

 子どもを軍学校に入学させるのは貴族の慣例に近い。

 ただ、父は慣例を守ったというよりも手に職を付けさせるためにデュランを軍学校に入学させたように思う。

 デュランは軍学校を卒業した後、帝都の警備兵になった。

 帝都の警備は危険が少ない代わりに評価されにくい職場だ。

 デュランは足掻いた。

 これが自分の人生だ、と十八歳で受け容れられるはずがなかった。

 剣の腕には自信があった。

 剣術の成績は軍学校で常に上位をキープしていたから、剣の腕で自分の人生を切り開けると信じた。

 いや、切り開けると夢想していた。

 デュランは根拠のない自信を抱き、近衛騎士団の入団試験を受けた。

 結果は不採用だったが、デュランはへこたれなかった。

 一年目は悔しさを糧にできた。

 二年目は次こそと思えた。

 三年目で心が折れた。

 デュランがアンジェに出会ったのはそんな時だった。

 いや、出会いなんて上等なものではなかった。

 デュランは浴びるほど酒を飲み、下らない理由で喧嘩し、袋叩きに遭って地面に座り込んでいた所をアンジェに拾われたのだ。

 アンジェはそれなりに整った顔立ちをしていた。

 あくまでそれなり、ちょっと良いなと思えるくらいの美人だ。

 ただ、貧乏臭さは拭いがたい。

 肩まであるブラウンの髪は見るからに傷んでいたし、手も水仕事もしているせいで荒れていた。

 アンジェの仕事は十二街区にある酒場兼宿屋の給仕だった。

 十二街区は歓楽街だ。

 アンジェが働いていた店はそういう店ではなかったが、店主は給仕がそういうことをしても責めたりしなかった。

 給仕の給料は安い。

 店主だって空き部屋をそのままにしたくない。

 つまりはそういうことだ。

 いつだったか、デュランは娼婦をやった方が実入りが良かったんじゃないか? と聞いたことがある。

 アンジェの答えは『あたしゃ好きで体を売ってたんじゃないんですよ』だった。

 デュランは新市街に部屋を借り、アンジェと暮らし始めた。

 何の変哲もない日々だ。

 デュランは警備の仕事に専念し、アンジェは家事に専念する。

 デュランがクロノの名を耳にしたのはアンジェと同棲を始めて数ヶ月が過ぎた頃だった。

 アンジェによれば去年くらいから酒場でも話題になっていたらしい。

 デュランはクロノの活躍を聞いても、祝福できるような気分になれなかった。

 デュランはクロノと話したことさえなかったが、クロノが落ち零れであることは知っていた。

 逆に言えば、接点のないデュランでも知っているくらいクロノは有名な落ち零れだったのだ。

 デュランは話したことさえない後輩クロノを憐れに思った。

 クロノはどんなに努力しても成果が伴わないと評判だったから、誰だって憐れに思うだろう。

 かつて、憐れんだ男が自分の遙か先を行っている。

 その事実にデュランは打ちのめされた。

 自分が惨めに思えて仕方がなかった。

 だから、今回の話……非公式な作戦に志願した。

 死ぬかも知れない。

 だが、今の状況を抜け出せる可能性だってある。


「あたしゃ、それで構わないんですけどね。旦那は遅刻しちまうんじゃないですかね?」

「……っ!」


 そうだ。

 今日は訓練の日だ。

 デュランは飛び起き、服を着替える。

 ズボンを履き、上着を羽織る。


「どうして、起こしてくれなかったんだ!」

「何度も起こしましたよ」


 デュランが責めると、アンジェは拗ねたように唇を尖らせた。


「……旦那」

「あ?」


 デュランはブーツを履きながら、アンジェに答えた。


「あたしゃ今の生活で十分なんですけどね」


 デュランが顔を上げると、アンジェは所在なさげに髪を指に巻き付けていた。


「おいおい、俺が出世すればもっと良い所に住めるし、お前にもっと良い服を買ってやれるんだぜ?」


 デュランは立ち上がり、部屋を見渡した。

 家具はベッドに限らず、古びている。

 安普請の部屋は冬は隙間風が吹き込んで来るし、ドアは立て付けが悪い。


「家も、服も命を賭けるほどのもんじゃありませんよ」


 以前、アンジェは大貴族に見初められた娼婦の話……与太話の類いだと思うが……をしてくれたので、そういう生活に憧れていると思っていたのだが、女心は複雑らしい。

 もしかしたら、とデュランはアンジェが応援してくれない理由に気付き、笑みを浮かべた。


「どうしたんです、旦那?」

「はは~ん。アンジェ、俺がお前を捨てて出て行くと思ってるんだな?」


 可愛いヤツだ、とデュランは顎を撫でた。


「そんなんじゃありませんよ。あたしゃ旦那に死んで欲しくないだけです。嫌ですよ。死体になった旦那と再会するのは」


 アンジェは悲しげに呟いた。


「俺は上手くやる。必ず、生きて戻ってくる」

「旦那、死神はそういう言葉が好きなんですよ?」


 デュランは舌打ちし、部屋から飛び出した。



 デュランが帝都の外縁部にある練兵場に行くと、そこに一人の男が立っていた。

 白い軍服を着た男だ。

 優男と言っても良い顔立ちをしているが、その足下には二十人以上の男が倒れている。

 地面に倒れる男達の中には見知った顔もあった。

 その一人がブルーノだ。

 ブルーノは大型亜人並の巨漢だ。

 横幅も広いため、動きは鈍重だが、とにかく打たれ強い。

 腕力もかなりのものだ。

 白い軍服の男が二十人以上の男を叩き伏せた。

 いくら男が近衛騎士でも、俄には信じられない話だ。

 だが、白い軍服を着た男はレオンハルト……帝国最強と謳われる騎士だ。

 帝国最強の騎士ならば可能かも知れない。


「……名前は?」

「え?」


 デュランはレオンハルトの質問に答えられなかった。


「あ、でゅ、デュラン。俺の名前はデュランだ」

「……デュラン? ランドエッジ男爵家の四男だな」

「俺の名前を?」

「知っているとも。短い間とは言え、共に戦う部下だ。名前くらい覚えている」


 レオンハルトは人差し指でこめかみを指し示した。


「本来ならば遅刻は罰則の対象なのだが、今日は不問にしよう。さあ、剣を構えろ」

「どうして?」

「ふむ、他の者にも聞かれたのだがね。君達は非公式の任務に携わるには頼りなさ過ぎるのだよ。幸い、作戦開始まで時間がある。それまでに少しでも強くなって欲しくてね」


 デュランはレオンハルトの言葉に怒りを覚えた。

 ここまでコケにされてへらへら笑っていられるほどデュランは人間が出来ていない。

 やってやる、と落ちていた木剣を拾い上げた。

 デュランは木剣を構え、レオンハルトに突進した。

 ふと視界が翳り、気が付くとレオンハルトが目の前にいた。


「旦那、死神はそういう言葉が好きなんですよ?」


 デュランは何をされたのか分からないまま、意識を失った。



 レオンハルトの特訓は一ヶ月続いた。

 特訓は厳しかったが、レオンハルトは有能な教師だった。

 何しろ、物事を理論的に教えてくれる。

 レオンハルトのお陰でデュランは一ヶ月前より強くなった。

 そう思う。

 デュランはイスに座り、アンジェの手当を受けていた。


「旦那、ニヤニヤするの止めてくれませんかね?」

「ああ、悪い悪い」


 そう答えたものの、デュランは笑みを消すことができなかった。

 特訓はきついが、強くなっている実感がある。


「生傷だらけになって、何がそんなに嬉しいんです?」

「今日もレオンハルト様の一撃を防げたんだ。それだけじゃない。一撃を防いだ後、反撃できたんだ。二撃目は防げなかったけどな」


 強くなっている。

 それが堪らなく嬉しいのだ。

 デュランは近衛騎士を目指し、努力を惜しまなかった。

 努力は報われず、一度は心が折れた。

 それは自分の限界を悟ってしまったからだ。


「明日も訓練ですか?」

「ああ、いや、明日は……休みなんだ」


 デュランが口籠もると、アンジェは事情を察したらしくデュランの正面に移動し、跪いた。


「旦那?」

「明日の夜、帝都を発つ」

「そんな!」


 アンジェは悲鳴じみた声を上げた。

 大切な人と別れを済ませておけ……つまり、そういうことだった。



 翌日の夜……デュランは人気のない道を選んで練兵場に向かった。

 その途中でデュランは右の手首を見た。

 右の手首でリングが揺れていた。

 アンジェの髪で編まれたリングだった。

 これが今生の別れになるかも知れない。

 そんな想いに突き動かされ、デュランはアンジェを抱いた。

 あんなに励んだのは初めてだった。

 アンジェはデュランが部屋を出る時にリングを手首に付けてくれた。

 デュランが練兵場に着くと、十人ばかりの仲間がすでに集まっていた。

 当然、レオンハルトもいる。


「ふむ、今日は時間通りだ」

「レオンハルト様?」

「何かね?」


 レオンハルトはデュランに問い返してきた。

 レオンハルトは白い軍服ではなく、古びた旅装束だった。


「いえ、何でもありません」

「そうかね」


 デュランはレオンハルトの心遣いが嬉しかった。

 自分達の上司であると身を以て示してくれていると感じたのだ。


「デュラン、愛しい人と別れを済ませたかね?」

「ええ、まあ」


 もう汁も出ません、とデュランは言えず、言葉を濁した。


「レオンハルト様は?」

「生憎、そういう相手はいなくてね。普段通り、メイドと過ごしていたよ」

「綺麗な方なのでしょうね」


 パラティウム公爵家のメイドだ。

 貴族の令嬢が行儀見習いとしてメイドをしていても不思議ではない。

 そうデュランは考えたのだが、レオンハルトは思案するように顎を撫でた。


「醜くはないが、美人ではないよ。言葉遣いも洗練されているとは言い難いし、教養もない。それと、少し肥えているな」


 レオンハルトは両手でメイドのボディーラインを虚空に描いた。

 この人もこういうことをするのか、とデュランは嬉しくなった。


「さて、全員集まったようだ。これから、我々はエラキス侯爵領を目指す。そこでクロノ殿と打ち合わせを行い、任務を遂行する」

「……」


 デュランはクロノの名を聞き、身を強張らせた。

 自分が劣等感にも似た想いを抱いていることも、これがクロノにしてみれば逆恨みにも等しい感情であることも理解しているつもりだ。


「そう身構える必要はないよ。クロノ殿は信頼に値する男だ」


 レオンハルトの言葉は的外れだったが、デュランは口にしなかった。

 自分でも恥ずべき感情だと分かっていたし、レオンハルトに軽蔑されたくないと思ったのだ。



 帝都を発って十日余り、デュラン達は一人も欠けることなく、エラキス侯爵領……城塞都市ハシェルに到着した。

 きちんと手入れがされているな、とデュランは城塞を見た時に考えた。

 デュランは馬を進ませ、しばらく進んだ頃、キョロキョロと視線を彷徨わせた。

 他の連中も似たようなものだった。

 ブルーノなど阿呆のように口を開けている。

 エラキス侯爵領は田舎だ。

 いや、田舎だと思っていたため、あまりの賑わいに驚いてしまった。

 街の中心部に近づくにつれ、人が増えていく。

 最も賑わっていたのは露店の建ち並ぶ区画だ。

 そこを過ぎると、人気はやや少なくなる。

 それでも、商店は大勢の客で賑わっていたし、荷馬車の往来もそれなりにあった。

 それだけではない。

 嫌な臭いが漂っていない。

 ゴミや糞尿の処理が上手くいっている証拠だ。

 これだけ街が賑わっているにも関わらず、街娼の姿も、浮浪者の姿もない。

 浮浪者はともかく、賑わっている街には街娼がいるものだ。

 少なくともデュランの常識ではそうだ。

 巡回する兵士の装備にも驚かされた。

 帝都の警備兵よりも良い装備だ。

 それを亜人が身に付けているのだ。

 しかも、亜人の兵士全員が同レベルの装備を身に付けている。

 信じられないような光景だ。

 落ち零れって噂は嘘だったんじゃないのか? とデュランは疑念を抱いた。

 これほどの街を維持しているのだ。

 クロノは何らかの事情で正しい評価を受けられなかったと考えた方が納得できる。

 街の中心部には四つの塔を備えた屋敷があった。

 レオンハルトを先頭にデュラン達は屋敷の門を通る。

 四つの塔の一つは鍛冶場、もう一つは亜人達が集まって何かをしていた。

 他にも人間が働く建物が屋敷の庭にはあった。

 屋敷の入り口に男が立っていた。

 黒い軍服に身を包んだ男だ。

 恐らく、この男がクロノだ。

 レオンハルトは馬から下りると、クロノに歩み寄った。


「久しぶりだな、クロノ殿」

「そうだね」


 そう言って、レオンハルトはクロノと握手を交わした。

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