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クロの戦記 異世界転移した僕が最強なのはベッドの上だけのようです  作者: サイトウアユム
第5部:神聖アルゴ王国編(仮)

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第7話『流民』後編


 あ~、眠い、とクロノは目を閉じ、瞼を揉んだ。

 昨夜は深夜まで書類の処理をしていたので、眠いのだ。

 少し夜更かししただけなんだけど、とクロノは溜息を吐いた。

 この世界に来てから比較的規則正しい生活を送っているせいか、夜更かしをした翌日が妙にしんどい。

 単調な仕事が眠気を増幅させている可能性も否定できない。


「一枚、二枚、署名するのは大して苦じゃないんだけど、量があるとな~。って、印鑑を作れば良いじゃん!」


 どうして、こんなことに気付かなかったんだろう! とクロノは自分の思いつきに小躍りしたい気分だった。

 そもそも、書類は何処かに提出するためのものではない。

 クロノが印鑑を使ったからと言って、誰が文句を言うだろうか。


「あ、でも、漢字じゃないと、横長になるか。とすると家紋? いやいや、別にイニシャルをベースにしても……ま、漢字で良いや」


 一段落したら、ゴルディに頼みに行こう、とクロノは頬を叩いた。

 扉を叩く音がしたのはそんな時だ。

 しばらくすると、アリッサが執務室の扉を開けた。

 アリッサは寝不足気味のクロノと違い、平常運転のようだ。


「クロノ様、失礼致します。香茶と名簿をお持ちしました」


 アリッサはクロノの机に香茶と紙の束を置いた。


「名簿?」

「シッター様から流民の名簿を渡して欲しいと頼まれました」

「気が利くな~」


 クロノが感心すると、アリッサは小さく微笑んだ。


「何が楽しいの?」

「時々、クロノ様は子どものような顔をされるので」

「例えば?」

「今のように何かに感心されている時、食事をされている時もそうですね。特に食事をされている時はとても幸せそうな顔をされています」


 アリッサは僕を子どもと思っているのか、とクロノは複雑な気分だった。

 これでも、領主として経験を積み、軍人として何度も死線を潜り抜けてきているのだが。

 クロノは背もたれに寄り掛かり、名簿に目を通す。

 アリッサは足を組むクロノを見ながら、微笑んでいる。

 まるで子どもを見守る母親のようだ。


「やたらとキリの良い年齢が多いのは自分の年齢を把握してないから、だろうね」

「人間でも教養のある方は少ないですから」

「学校を早く作りたいな~」

「学校はもう作られているのでは?」

「作ってるけど、もう少し時間が掛かりそうなんだよね」


 クロノは机に突っ伏して呻いた。

 先月、クロノはケインに部下を対象とした学校を始めると伝えたが、計画通りに進んでいない。


「教師として雇った方に問題でも?」

「僕の判断ミス。教え方を教えるって意外に大変で。ま、そっちは何とかするとして、僕が作りたいのは領民を対象にした学校のこと」


 クロノは背もたれに寄り掛かり、天井を見上げた。


「クロノ様、香茶は?」

「うん、お願い」


 アリッサは空になったカップに香茶を注いだ。

 クロノはカップを手に取り、半分ほど香茶を飲み、息を吐いた。


「ま、焦っても仕方がないよね。一つずつ問題を片付けよう」


 アリッサは静かに頷いた。


 槌を打つ音が今日も今日とて侯爵邸の庭に響き渡る。

 食事を終えたクロノは工房を覗いたが、そこにゴルディの姿はなかった。


「ゴルディ百人隊長なら、食事に行ってるよ」

「え?」


 クロノが声のした方を見ると、ドワーフの女性が木箱に座り、足をぶらぶらさせていた。

 ドワーフの女性……ポーラはクロノに顔を覚えて貰うためにカド伯爵領の港建設に参加したちゃっかり者で、クロノに領地の利益になりそうな職人へ出資することを約束させたしっかり者でもある。


「そんな意外そうな声を出さなくても。ゴルディ百人隊長だって食事くらいするよ」

「そうなんだけど、どうもね」


 ゴルディと言えば、働き詰めのイメージがあるのだ。

 その原因が自分にある、とクロノも自覚しているのだが。


「用があるなら、私が聞くけど?」

「いや、それは」


 工房の責任者はゴルディだから、頭越しに命令するのは、とクロノは口籠もった。

 すると、ポーラはクロノの考えを読んだようにシニカルな笑みを浮かべた。


「私がするのは用を聞いて、ゴルディ百人隊長に伝えるだけ。伝言板みたいなもんね」

「じゃあ、これを作って欲しい、とゴルディに」


 クロノはポーラに紙を渡した。

 紙はクロノが仕事の合間に二、三分で描いた印鑑のイメージ図だ。

 クロノの絵が雑すぎたせいか、ポーラは不思議そうに首を傾げている。


「印璽?」

「それに近いけど、これは書類に押すヤツ」


 あ~、あ~、とポーラはようやく理解できたと言わんばかりに頷いた。


「なるほど、この模様は?」

「それは漢字……遙か東の国で使われてるのか、使われてないのか、使われてたら、嬉しいなという文字」


 漢字みたいな複雑な文字が偶発的に発生するはずないけど、漢字が発生しても不思議じゃないんだよね、とクロノは考えた。


「他には?」

「材質や装飾はお任せで」

「最後の仕事だから、きちんと伝えておく」

「寂しくなるよ」

「寂しがられるほど接点なかったし、私達が行くのはカド伯爵領だから」


 ポーラは否定するように手を左右に振った。


「これで私達も一国一城の主か。長かった、凄く長かった」


 ポーラは仲間と組んで窯を立ち上げる。出資者はクロノだ。

 ちなみに選考のポイントはポーラ達が実用品を作ったこと、チームで仕事をしていることの二点だ。


「絵皿を沢山作ったのに」

「それはそれでお金になったでしょ」

「絵皿を買ってくれた商人はいたけど、出資してくれた商人はいなかったし」


 ポーラは不満そうに唇を尖らせた。

 どうやら、ポーラは実用本位の陶器ではなく、絵皿で出資を勝ち取りたかったようだ。


「ポーラ達の皿は侯爵邸のメイド達からも好評です」

「……どうも」


 皿洗いが楽になったとも言ってます、とクロノは言いそうになったが、ポーラの反応が今一つなので、止めた。


「じゃあ、僕は救貧院に行くから」

「ちゃんと伝えておく」


 ポーラは苦笑いを浮かべた。



 クロノは露店の並ぶエリアで歩調を落とした。

 このエリアは活気に包まれている。

 エレナは騒がしくて嫌と言うが、クロノはお祭りのような雰囲気が気に入っている。

 直接、領民の声を聞けるのも良い所だ。


「……という訳なんだ。私は愛されているのだろうか?」

「うむ、お主は愛されておるぞ。押して、押して、押しまくるんじゃ!」


 う~ん、お悩み相談か、とクロノは露店の一角に視線を向けた。


「って、ティリア!」

「く、クロノ! な、な、何をしてるんだ、こんな所で!」


 クロノが名前を呼ぶと、ティリアは慌てふためいた様子で振り返った。

 ティリアは怪しげな……と言うよりも机とイス代わりの木箱が並んだだけの露店にいた。


「おお、エラキス侯爵か。意外な所で会うの?」

「神官さん、何やってんの?」

「人生相談じゃ。看板にも書いてあるじゃろ?」


 神官さんは胸を張って答えた。

 確かに木の棒に板を打ち付けた粗末な看板には『人生相談』と書かれていた。

 まあ、その横に『漆黒神殿・エラキス侯爵領出張所』と小さく書かれていたりするのだが。


「へぇ、ティリアは何を相談してたの?」

「ん、それは」


 クロノが尋ねると、ティリアは恥ずかしそうに俯き、もじもじと太股を摺り合わせた。


「うむ、この娘はお主に愛されているのか不安に感じているようでな」

「だ、誰にも言わない約束だったぞ!」

「そうだったかの?」


 神官さんはティリアに怒鳴られても全く悪びれた様子がなかった。


「うん、実はそうなんだ。クロノ、お前は私を愛しているのか?」

「愛してるよ」


 え? とティリアは鳩が豆鉄砲でも食らったような表情を浮かべた。


「そ、そ、そうなのか?」

「僕は僕なりにティリアのことを愛してるよ」


 ティリアは腕を組み、不思議そうに首を傾げた。


「そ、そうか」


 ティリアは満更でもなさそうだ。


「じゃあ、次は優しくしてくれるか?」


 ティリアは恥ずかしいらしく耳まで真っ赤だ。

 恐らく、『次』とは『次の夜伽』という意味に違いない。


「断る」

「ぬあっ! どうしてだ? お前は私を愛しているんだろう?」


 クロノが拒否すると、ティリアはクロノに詰め寄った。


「……ティリア。黙っていたけれど、僕はサドっ気があるらしい」

「今更だ! 大体、お前は……」

「待って、ティリア」


 クロノは不満をぶちまけようとするティリアを手で制した。


「サディストには三つの嗜好があると思うんだ。一つ目は暴力を振るうのが好き、二つ目は相手の反応を愉しむタイプ」


 うん? とティリアは不思議そうに首を傾げた。


「そして、最後に相手の気持ちを想像するタイプ」

「それがどうしたんだ?」

「ティリアはケフェウス帝国で最も高貴な血を受け継いでいる。きっと、お姫様として大切に育てられたんだと思う。おまけに文武両道で美人だ。ティリアの努力を蔑ろにするようで悪いけれど、勉強や剣術で苦労したことも少なかったと思うんだ」

「ま、まあ、そうだな」


 ティリアは曖昧に頷いた。


「ティリア、耳を貸して」

「分かった」


 ティリアはクロノに右耳を向けた。


「きっと、ティリアは……」


 クロノはティリアの耳元で囁いた。

 ティリアの頬が朱に染まる。

 頬だけではなく、耳まで赤い。


「ぎゃあああああっ!」

「うわっ!」


 ティリアは絶叫し、凄まじい勢いで跳び退った。


「お、おま、お前は、そ、そそ、そんなことを考えてたのか!」


 ティリアは片耳を抑え、わなわなと身を震わせた。


「この、外道!」

「ありがとう」

「誉めてない!」

「まあ、それはそれとして」


 クロノは木箱に腰を下ろした。


「露店を出店するお金はどうしたの?」

「ほれ、フェイとか言ったかの? あやつに寄付して貰ってな」

「フェイって、あまり信心深そうに見えないけど」


 でも、そういうこともあるかな、とクロノは思った。

 フェイは神威術の使い手だし、自分に力を貸してくれる神に感謝の念を抱いていても不思議ではない。

 と言うか、神の力を借りるだけ借りて、信心深くないとか、とんだ恩知らずだ。


「ククク、寄付をしなければ不幸になると言えば一発じゃ」

「人の部下に何をしてるのさ!」


 クロノは邪悪な笑みを浮かべる神官さんに向かって叫んだ。


「騙されるヤツが悪いんじゃよ」

「それは詐欺師の台詞だよ!」

「そんなに怒らんでも良いではないか。分かった。この仕事で金を稼いだら、きちんとフェイに金を返す」

「まあ、それなら」


 クロノは割り切れないものを感じながらも矛を収めた。


「でも、この仕事って儲かるの?」

「失礼なヤツじゃな。これでも、何度も声を掛けられてるんじゃぞ?」


 神官さんは心外だと言わんばかりの態度だ。


「意外に需要があるんだ。どんな相談を受けたの?」

「『姉ちゃん、幾ら?』と相談を」

「それは相談じゃない!」

「エラキス侯爵、ワシに声を掛けてきた連中は女を抱くことで心の欠落を埋めようとしているんじゃ。心の欠落を埋める。それも神官の仕事ではないか?」

「一理あると思うけど、僕の領地は街娼行為禁止だよ」


 クロノが睨み付けると、神官さんは戯けるように肩を竦めた。


「そんな怖い顔で睨むな。お主が想像したようなことは起こっとらん。何と言うか、値段交渉で折り合わなくな」

「僕が想像していたことが起ころうとしていたんですけど!」

「そういきり立つな。値段交渉で折り合わなかったと言ったじゃろ」


 神官さんは立ち上がろうとしたクロノを手で制した。


「ワシは神殿を寄贈してくれたら、身を任せても良いと伝えたんじゃ。ところが!」

「全体的に突っ込み所が満載なんだけど、続きは?」


 クロノが先を促すと、神官さんは鷹揚に頷いた。


「イカレてるのか? と言われ、地面に唾を吐かれた」


 神官さんは両手で顔を覆い、項垂れた。


「イカレてるとか、あんまりじゃないかの! ワシ、何気に傷ついたんじゃけど!」


 神官さんは涙目で喚いた。


「いや、初対面で神殿を建ててくれとか言われたらさ。大体、物事には相場という物があって」

「相場? お主なら、ワシに幾ら出す?」

「領主が法を破るのはどうだろう?」

「ワシを買えとは言っとらん! 自分の女としての価値を知りたいんじゃ!」


 まあ、そういうことなら、とクロノは神官さんを見つめた。

 神官さんの胸はティリアより小振りだが、露出度は女将以上だ。

 胸だけではなく、脚まで晒している所が特にポイントが高い。


「あまり必要じゃないかな~」

「必要ない? ワシは要らない子か?」


 神官さんは驚いたように目を見開いた。


「ぶっちゃけ、女の人に不自由してないんだよね」

「ほれほれ、ワシは胸がでかいし、歳を取らんぞ!」


 神官さんは胸を強調するように腕を組み、クロノに女としての価値をアピールした。


「神官さんが不老不死でも、僕は不老不死じゃないし」

「ククク、望むのならばワシがお主に不老不死を与えてやろう。どうじゃ?」


 神官さんはクロノに意味深な視線を向けた。


「要らない。そういうのって、落とし穴がありそうだし」

「欲がないの」


 神官さんは寂しそうに微笑んだ。


「まあ、冗談じゃ、冗談。ワシは不老不死なんぞ与えられん」

「ふ~ん」


 不老不死は無理でも、それに近いことはできるんじゃないか、とクロノは思ったが、口にしなかった。


「少し長居し過ぎたみたい」

「ディノの所に行くなら、ワシも一緒に行くぞ」


 クロノが立ち上がると、神官さんも立ち上がった。



 クロノが神官さんと一緒に救貧院に入ると、救貧院は昨日と同じような静けさに包まれていた。

 五十人以上の利用者がいることを考えれば、不自然な静けさだ。

 そういうものだろう、とクロノは思う。

 エルフ達は神聖アルゴ王国から逃げてきたのだ。

 疲労は相当なものだろうし、人間に対する不信感もあるだろう。

 そんな状況で騒げるはずがない。

 シオンさんは? とクロノは周囲を見渡した。

 救貧院の内部はプライバシーを守るために板で仕切られている。

 マンガ喫茶のブース程度だが、見通しは悪い。


「クロノ様?」


 シオンがクロノを見つける方が早かった。


「シオンさん、ディノは?」

「昨日より回復していると思いますが、あまり長く話さない方が」


 クロノが尋ねると、シオンは申し訳なさそうに答えた。


「長居をするつもりはないよ」

「こちらへ」


 シオンはクロノを先導し、ディノの元へ案内した。

 ディノのベッドは一番奥だ。

 ディノはクロノを見るなり、体を起こそうとした。


「いや、そのままで良いよ」


 クロノはベッドの近くにあったイスに腰を下ろした。


「たった一度しか会ったことのない俺達に、何と礼を言えば良いのか」

「下心があるから、恐縮しなくても良いよ」

「……そうか」


 陰鬱な光がディノの瞳に宿る。


「女を差し出せって意味じゃないよ」

「ああ、そうか」


 ディノは明らかにホッとした様子だった。


「男を差し出せって意味でもないからね」

「あ、ああ」


 クロノが念を押すと、ディノは明らかに困惑した様子だった。

 どうやら、クロノは墓穴を掘ってしまったらしい。


「エラキス侯爵、俺達に何を期待している?」

「労働力かな? そろそろ、紙工房の事業を拡大しようと思ってた所だから。当然、給料は支払うよ」

「素晴らしい提案だと思う。だが、少し仲間と相談させて欲しい」

「……分かった」


 ディノの表情は冴えない。

 急かすのも悪いし、とクロノは立ち上がった。

 クロノがシオンに見送られ、救貧院の外に出ると、神官さんは意地の悪い笑みを浮かべていた。


「言いたいことがあるのなら、言って欲しいな」

「振られたの」


 クロノは神官を無視して歩き出した。


「地味に傷つくんじゃけど!」

「他に言いたいことでも?」

「エラキス侯爵はディノが何を考えていると思う?」


 神官さんは相変わらず、意地の悪い笑みを浮かべている。

 自分は答えを知っていると言わんばかりの笑みだ。


「……不安か、恐怖」

「うむ、間違ってはおらん」


 神官さんは偉そうに腕を組んだ。


「ディノはお主の提案を受けることに不安を感じてるんじゃよ」


 クロノは神官さんが何を言いたいのか理解できずに首を傾げた。


「ディノは纏め役じゃから、お主の好意に甘えた時のメリットとデメリットを考えたんじゃろ」


 神官さんは分かっとらんと言わんばかりに天を仰いだ。


「好意によって与えられた物は好意を失うと同時になくなってしまう。お主が手の平を返す人間に見えると言っている訳ではないぞ。普通はそう考えるという話じゃ。他にも元からいる連中との兼ね合いもある」

「兼ね合いは、まあ、あるかな」

「余所者が受け容れて貰うためには通過儀礼……お主の役に立っていると周囲に示す必要があるんじゃよ」


 ミノさんの家族やトニー達のことを考えると、神官さんの意見は正しいような気がする。


「納得したかの?」

「そういう視点が欠けてたと思う程度に」

「伊達に長生きしとらんからな」


 神官さんは胸を反らし、得意げに鼻の穴を膨らませた。


「逆に言うと、バカでも長生きすれば賢くなるってこと?」

「どうして、逆に言うんじゃ! ここは素直に感心する所じゃろ!」


 神官さんはクロノに突っ込んだ。


「揚げ足を取っておいた方が良いような気がして」

「必要ないわい!」

「いや、必要だよ。ここで取らずに何処で取るってくらい大事だよ。今、この時を逃したら、揚げ足を取れないよ」

「いやいや、やはり、ここは感心すべきじゃろ? 今、この時を逃したら、感心できなくなるじゃろ?」

「神官さんが凄い人なら、何度でも機会が巡ってくるよ。だから、ここは揚げ足を取るべきだと思う」

「そ、そうかの? じゃが、長生きしているとは言え、ワシも神そのものではない。お主を感心させられる回数には限りがあるはずじゃ。だから、ここは素直に感心せい」

「それって、感心する機会が多くないってこと? チッ、マジ使えねーな」

「マジ使えないとか、傷つくんじゃけど!」

「だって、長生きして身に付けたのが突っ込み程度なんだもん」

「ワシが孤独と共に歩んだ人生全否定! 全否定する前にワシの良い所を探してくれんかの! ほれ、あるじゃろ? ワシにも良い所が沢山あるじゃろ?」

「神官さんはノリが良いよね」

「伊達に長生き……はっ!」

「逆に言うと、ノリが悪くても長生きすると」

「エンドレスか! ワシらの会話に終わりはないのかっ?」

「ああ、もう終わりだよ」

「んあ?」


 神官さんは視線を巡らせた。

 そこは露店の立ち並ぶエリア……神官さんの店がある場所だ。


「でも、神官さんは必要ないかも」

『俺、クロノ様の役、立ってない』(きゅ~ん)

『役立っている、思わせたい』(きゅ、きゅ~ん)

「そんなことはないぞ、二人とも。お前達は役に立っている。自信を持て」


 そこではティリアがシロとハイイロの相談に乗っていた。

 ティリアの人生相談は好評らしく、シロとハイイロの後ろに何人か客が並んでいる。


「目を離した隙に店が乗っ取られとるんじゃけど!」


 神官さんの悲痛な叫びが響き渡った。



 月明かりの下、神官さんは地面に敷いた布の上でワインを飲んでいる。

 白い喉が上下に動く。

 それだけのことが奇妙に艶めかしく感じられる。

 当たり前のことだが、グラスが空になれば、喉の動きは止まる。

 グラスが唇から離れた。

 濡れた唇はゾクリとするほどの色香を感じさせる。

 チロリと舌を出し、唇を舐める。恐らく、

 神官さんにとっては大して意味のある行為ではなかったはずだが、クロノは……、


「んはーっ! 良いワインじゃ!」

「台無しだ」


 クロノは口元を拭う神官さんを横目に呟いた。

 艶めかしさや色香は神官さんが息を吐いた瞬間に消えた。

 今、クロノの目の前にいるのは陽気な酔っ払いである。


「お主も一緒に飲まんか?」

「明日も仕事があるので、飲みません。ところで、そのワインは何処から?」

「ここの地下じゃ」


 クロノは溜息を吐いた。


「神官さん、酔えるの?」

「酔えるぞ。まあ、泥酔はできんし、気を張っていると酔えんがな」

「泥酔は飲み過ぎだよ」


 神官さんはワインをグラスに注いだ。


「そう言えば……どうして、お主は不老不死を要らないと言ったんじゃ?」

「う~ん、まあ、色々と理由はあるんだけど、不老不死を楽しめるほどポジティブな性格をしてないし……」


 最初の百年くらいはどうにかなりそうな気がするのだが、クロノは次の百年を楽しむ自信がない。


「ないし?」

「神官さんが楽しそうに見えないから」


 クロノが指摘した次の瞬間、神官さんは無表情になった。

 だが、神官さんはすぐに笑顔を浮かべ、ワインを煽った。


「まあ、あまり楽しくはないの。仲良くなった連中はワシより早く死ぬしの。昔は……良かったの」


 神官さんはグラスを両手で支え、ポツリと呟いた。


「しんどいことばかりだったような気もするが、神官兵士として戦っていた頃が一番充実してたの」


 悪いことばかりでもなかったのかな? とクロノは神官さんを見つめた。

 すると、神官さんはクロノの胸中を見透かしたように弱々しく頭を振った。


「ワシは英雄と呼ばれたこともあるが、いつの間にか、ワシが守りたかったものは見えなくなってしもうた」


 折角、英雄と呼ばれるだけの力があるのに、とクロノが考えてしまうのは凡人だからだろう。

 神官さんは力なく頭を垂れた。

 小さく震えているのは涙を堪えているからだろうか。


「……神官さん」


 クロノが呼びかけても神官さんは俯いたままだ。

 神官さん、とクロノはもう一度、呼びかけた。


「神官さんがグラスで僕の様子を確認しているのは分かってるから」

「チッ、こういう時は情に流されるべきじゃろ」

「情に流されたら、神官さんエンド確定だよ」


 地雷女だ、とクロノは神官さんから少し離れた。

 しかも、神官さんは対人・対戦車地雷ではなく、核地雷だ。


「何処かにワシと運命を共にしてくれる男はおらんかの」

「その運命は重すぎるよ」


 クロノは肩を落とした。



 翌日、クロノは執務室で書類の処理に勤しんでいた。


「ああ、仕事が捗る」


 クロノは印鑑を即席のスタンプ台に押し付け、書類に印を押した。

 スタンプ台は小皿の上に置いた布にインクを垂らしたものである。


「ドワーフの職人さんは良い仕事をするな~」


 クロノはうっとりと印鑑を見つめた。

 印鑑の素材は木だ。

 装飾は少なく、チェスの駒のように見える。

 クロノは印鑑の完成度に満足している。

 異世界で自分の名前……『黒野久光』を使えることがちょっと嬉しかったりする。


「クロノ様、失礼致します」


 扉を叩く音が響き、アリッサが入室する。

 クロノはアリッサが香茶を持って来てくれることを期待していたのだが、アリッサは手ぶらだった。


「クロノ様、シオン様がいらっしゃいました」

「何か約束してたっけ?」

「クロノ様が保護されたエルフの方と御一緒ですが、断りますか?」

「いや、行くよ」


 クロノは印鑑を箱に収め、立ち上がった。


「シオンさん達は?」

「応接室でお待ち頂いております」

「アリッサは気が利くね」


 クロノは執務室を後にした。



 クロノが応接室に入ると、シオンはソファーから立ち上がろうと腰を浮かせた。


「ああ、そのままで良いよ」


 クロノはソファーに座り、ディノを見つめた。

 十分な休養を取ったお陰か、ディノの顔色は昨日よりマシになっている。


「身の振り方は決まった?」

「……ああ」


 シオンは心配そうにディノを見つめている。

 表情を見る限り、シオンはディノ達の決定に肯定的でないようだ。


「昏き森を開拓している、とシオン様から聞いた」

「うん、それで?」


 クロノは目を細め、低い声で尋ねた。

 威圧するための演技だ。

 これでディノが気圧されるのであれば、覚悟が足りない。


「森の開拓に協力させて欲しい」

「人手はそれなりに足りてる。開拓は重労働だよ。それに効率の点でエルフはミノタウルスやリザードマンに劣ると思う」


 ディノは怒りを堪えるように拳を握り締めた。


「効率で劣るのなら、長く働いて補う。それでも足りないのならば狩りをして、食い扶持を稼ぐ。これ以上、迷惑は掛けない」

「長時間労働で病人や死人が続出したら、それだけで迷惑なんだけどね。ディノ、僕が提示した条件はそう悪くなかったはずだよ。何が不満なの?」

「不満はない」


 ディノはクロノを見据えて言った。


「劣悪な条件で働きたい理由は?」

「俺達は自分達の力で自分の居場所を手に入れたいんだ。ただ、耐えるだけじゃない。与えられるだけでもない。次の世代に誇れる何かが欲しいんだ。その何かを勝ち取ったという事実が欲しい」


 これも通過儀礼なのかな、とクロノは溜息を吐いた。


「分かった。ディノ達の決意を尊重するよ」

「……礼を言う」


 ディノは深々と頭を垂れた。


「あと一つ、頼みたいことがある」

「まあ、言ってみて」


 ディノは居住まいを正した。


「十人ほど若いエルフがいる。この十人を兵士として使って欲しい」

「私兵を雇うのは無理だよ」

「分かっている。この国の制度についても聞いている」


 帝国軍の兵士になった後で引き抜けってことか、とクロノは苦笑した。

 領主になった頃のクロノならば兵士の人事に介入することなんてできなかった。

 今は違う。

 まあ、クロノが軍務局に影響力を持っている訳ではなく、何とかしてくれそうな人達に心当たりがあるというレベルなのだが。


「じゃあ、まあ、よろしく」

「ああ」


 クロノはディノと握手を交わした。

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