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クロの戦記 異世界転移した僕が最強なのはベッドの上だけのようです  作者: サイトウアユム
第5部:神聖アルゴ王国編(仮)

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第1話『代官』


 帝国暦四百三十二年三月……この時期になると、農民は畑を耕し始める。

 まあ、ケインの記憶が確かならば。

 ケインが農民だったのは二十年以上前だ。

 その頃の記憶はかなり薄れていて、今では鍬の握り方も思い出せない。

 鍬を握れば記憶が鮮明さを取り戻すのではないかという期待はあるが、今更という気分の方が強い。

 仕事を放り出す訳にゃいかねーからな、とケインは髪を掻き上げた。

 今年は農業改革の成果が問われる重要な年だ。

 ケインが知る農法は三圃式……要するに三年に一度は畑を休ませるというものだ。

 休ませている畑は放牧地として利用するので、作物を作らないという意味合いだ。

 そうしないと、土地が荒れ果てて作物を作れなくなるのだ。

 クロノの農業改革は本来ならば休ませなければならない畑でクローバーを栽培するというものだ。

 理屈はよく分からないが、クローバーを栽培することで畑の地力が回復するらしい。

 元々、このアイディアは黄土神殿の神官シオンの父親が提唱したものだが、農民は彼の言葉に耳を貸そうとしなかった。

 そりゃあ、まあ、そうなるよな、とケインは思う。

 農民は失敗できない。

 それが天災であれ、人災であれ、たった一度の失敗で農民は全てを失うのだ。

 ケインの両親は不作の年に税の軽減を領主に直訴しようとして殺された。

 それを思えば農民を非難することはできない。

 失敗した時にクローバーの耕作地分の税を免除するとクロノが約束して、ようやくシオンの父親のアイディアは実現した。

 今は試験的に導入されているだけだが、成功すればエラキス侯爵領全域に、いや、ケフェウス帝国全土に広がるかも知れない。

 農業改革の影響は現れ始めている。

 休耕地でクローバーを栽培している村……かつて、ケインが盗賊をやっていた時に厄介になった村だが……では牛がよく乳を出すようになったらしい。

 前年よりも多くのチーズを生産できたため、村は潤っているそうだ。

 まあ、ハシェルで簡単に露店を出せるのも理由の一つだが。

 牛が乳を良く出すようになったからと、農業改革の成功を確信するのは早計に過ぎるだろう。

 農業改革は成功するんじゃないか? とケインは笑みを消すことができない。

 かつてないほどケインは充実している。

 今までの自分が生きていなかったんじゃないかと思うほどに。

 そんなことを考えつつ、ケインは侯爵邸の執務室でクロノと向き合っていた。

 相変わらず、クロノは忙しいようだ。

 何しろ、エラキス侯爵領とカド伯爵領の領主なのだ。

 あと少しでカド伯爵領とエラキス侯爵領を繋ぐ通信用マジック・アイテムが完成するので、少しは視察の回数を減らせるだろう。


「何か良いことでもあったの?」

「気にすんな。で、話ってのは何だ?」

「まあ、こっちに」


 手招きされ、ケインはクロノに歩み寄った。


「本日よりケインをカド伯爵領の代官に任命します。ちなみにケインはケフェウス帝国軍を退役になってます」


 ケインは笑みを消した。

 寸前まで感じていた充実感が何処かに消え失せた。

 自分が生きているのか自信がなかった。


「どうして、俺なんだ? ミノやレイラ……フェイを選ぶのもなくはねーだろ?」

「ミノさんがいなくなったら大隊を維持できなくなるし、レイラとフェイは……年功序列的な意味合いもあって」


 ケインは無精ヒゲを撫でた。

 ミノは仕方ないとしても、レイラはかなり有能だし、家柄を考えればフェイが選ばれても不思議ではない。

 むしろ、ケインを代官に任命する理由が分からない。


「けどよ、年功序列で他のヤツは納得するのか?」

「年功序列で足りなければ実績評価かな? 僕が留守の間にケインは領主代行を務めてくれたし」

「あれは事務方が優秀だったからで、俺の力じゃねーよ」


 二度、領主代行を務めたが、一度目は何でも自分でやろうとして失敗した。

 二度目は手を抜ける所は手を抜いて、結果的に大きな問題が起きなかっただけだ。


「本当の理由は何なんだ?」

「……愛人を代官にするのは、ちょっと」


 クロノは気まずそうに視線を泳がせた。


「俺が断ったら?」

「無職の三十代が誕生します」

「そいつは、ヤバイな」


 ケインは顎を撫でた。

 何と言うか、無職という言葉に不安を覚える。

 働いていない自分をイメージできない。


「適任者がいないってのは分かった。断ったら、俺が無職になるってのもな。けど、アイツらは納得するかな?」

「アイツら?」


 ケインが呟くと、クロノは不思議そうに首を傾げた。


「俺の部下に決まってるだろ?」

「ケインの幸せを願っている、って部下の人達は言っていたよ」

「根回し済みかよ」


 アイツらなら言いそうだ。

 つか、手際が良すぎねーか? とケインは頭を抱えた。


「ところで、俺は何をすりゃ良いんだ?」

「主な仕事は契約の立ち会いだね」


 やっぱり、俺を代官にする一番の理由はそれだよな、とケインは首筋を掻いた。

 傭兵だった頃、ケインはギルドで問題を起こした。

 奴隷商人から奴隷を奪ったのだ。

 本来ならば粛正の対象になってもおかしくないが、ギルドマスターであるシフは利があるのならば見逃すと言った。


「代官の件は分かった。で、どれくらい部下を付けてくれるんだ?」

「……」


 ケインが尋ねると、クロノは申し訳なさそうに俯いた。


「おいおい、一人でどうしろってんだよ?」

「そこはケインの器量で」

「幸せを願ってる連中は俺の器量で集めたんだがな」

「もちろん、お金は常識的な範囲で出すし、一人、二人なら事務員を引き抜いて良いから」


 常識的な範囲ってのはいくらだよ、とケインは突っ込みそうになったが、止めた。

 元はと言えば自分で蒔いた種なのだ。


「いつまでに人を集めりゃ良いんだ?」

「代官所は四月一日からスタート予定だよ」


 二週間しかねーのか、とケインは溜息を吐いた。



「何をしに来たのよ」


 ケインが侯爵邸の一階にある執務室を訪ねると、部屋の主であるエレナは開口一番そう言った。

 エレナは積み重なった書類の間からケインを睨む。

 エレナの態度は刺々しいが、ケインは当然だと受け止める。

 自由都市国家群の傭兵ギルドに所属するまでケインは盗賊紛いの傭兵団に所属していた。

 生きるために仕方がなかったとは言えない。

 生きるだけなら物乞いでもすれば良かったのだ。

 ケインは奪う側に立つ人生を選んだ。

 そんな人生を自分で選んだ以上、自分には言い返す資格がない。少なくともケインはそう思う。

 ケインは窓際に移動し、そこに置かれている花瓶を手に取った。


「……良い花び」

「それはピクス商会で買った安物よ。花が枯れたけど、片付けるのも面倒臭いから、そこに置いてあるだけだし」


 盗賊のくせにそんなことも分からないの? と言わんばかりの口調だ。

 世間話から入ろうと思っていたのだが、よくよく考えてみればケインはエレナと世間話をするような関係ではない。

 ケインは花瓶を元の位置に戻し、エレナを見つめた。


「頼み事があるんだけどよ」

「嫌よ、時間が減るから」

「カド伯爵領の代官になってな。引き抜けそうな事務員を知らねーか?」


 ケインが無視して言うと、エレナは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。

 もしかしたら、クロノから協力するように指示があったのかも知れない。


「今、引き抜けるのはウェスタくらいね」

「ウェスタ?」


 ケインは名前を聞き返した。

 街道の警備の他に徴税官も兼任しているので、そこそこ事務方とは親しいのだが、ウェスタの顔を思い出せなかった。


「胸がデカくて、いつも猫背で歩いているよ」

「ああ、あの鈍臭そうなヤツか」

「その鈍臭そうなヤツよ」


 胸がデカいだけで分かったことが面白くなかったのか、エレナは吐き捨てるように言った。


「使えるヤツなのか?」

「実務経験が少ない上、要領も悪いから、雑用係みたいなもんね」

「一から育てるよりはマシか」


 ケインは顎を撫でた。

 実務経験はこれから積めば良い。

 要領が悪いのなら他人より数をこなせば良いのだ。


「話してみるか」

「クロノ様から引き抜きの許可は貰ってるんでしょ?」

「一応な。けど、本人に話しておかねーと、良くないもんを残すだろ?」

「勤勉なだけじゃなくて、律儀でもある訳ね」


 ケインが言うと、エレナは皮肉げな笑みを浮かべた。


「ウェスタはクロノ様の奴隷よ? まあ、あたしもそうだけど」

「俺の奴隷じゃねーからな。じゃあな」

 そう言って、ケインはエレナの執務室を後にした。



 雑用係……つまり、事務に関する細々とした仕事をしているということだ。

 雑用の中には書類の運搬も含まれる。

 事務室で行き先を聞き、ケインはクロノの執務室の前でウェスタと出くわした。

 確かに胸がデカくて、猫背だな、とケインはウェスタを見下ろしながら思う。

 ウェスタは不安そうにケインを見上げている。

 年齢は二十歳前だろう。

 胸はデカい。

 その胸を隠すように書類を抱き、少しでも小さく見せようとするかのように猫背だ。

 どちらかと言えば童顔で、緩い印象を受ける。

 髪は明るいブラウン、仕事の邪魔になるからか、いかにも適当な感じで一つに束ねている。

 ケインを見上げる瞳もブラウンだ。

 そこに宿る感情は怯え、もしくは不安だろうか。

 ケインは怯えられるような格好をしているつもりはないが、クロノに指摘されないことを良いことにヒゲを剃っていなかったので、不安は覚えるかも知れない。

 代官になったんだから、今までより見栄えを気にしなきゃならねーのか、とケインは顎を撫でた。


「……よお」

「何で、しょうか?」


 怖がらせてしまったのか、ウェスタは書類を抱える腕に力を込める。


「俺はケイン。今回、カド伯爵領の……実際はシルバニアで傭兵ギルドと商人の契約の立ち会いなんだが、とにかく代官をすることになった」

「ケイン、さんのことは聞いてます。エレナちゃんから」

「ロクなもんじゃないだろ?」


 ウェスタは顔を横に振って否定した。


「真面目な人と聞いてます」

「そうか?」


 はい、とウェスタは頷いた。

 エレナが自分を評価している所など想像もできない。

 ウェスタの主観を通すと、陰口が誉め言葉になるのかも知れない。


「他の人達も、クロノ様もそう言ってます」

「そ、そうか」


 他人の口から誉め言葉を聞くってのは照れ臭いもんだな、とケインは首筋を掻いた。

 わざわざ本人に言うのもどうかと思うが。


「その、私に何の用でしょうか?」

「悪い。話が逸れたな。代官をすることになったんだが、仕事をサポートしてくれるヤツが必要になってな」


 分かっていないのか、ウェスタは不思議そうに首を傾げた。


「で、お前にサポートをして欲しくて声を掛けたんだよ」

「私はエレナちゃんみたいに仕事できませんよ? それにクロノ様が何と言うか」

「クロノ様は大丈夫だろ。仕事は……手探りの状態でのスタートだから気にすんな。正直に言うと、俺もきちんと仕事をこなせるか自信がねえ」


 ケインが笑うと、ウェスタは釣られるようにぎこちなく笑った。


「少し、意外です」

「そう思われてる方が俺には意外だけどな。とにかく俺は自信がねえ。今までと全く違う仕事をするんだから、不安に拍車が掛かるってもんだ。けどよ、事務に明るいヤツがいれば多少なりとも不安を払拭できるだろ? だから、声を掛けたんだ」


 自分が必要とされる状況に慣れていないのか、ウェスタは意外そうに目を瞬かせた。


「私が断ったら、どうするんですか?」

「どうもしねーよ。お前はここで事務の仕事を続けりゃ良いし、俺は俺で何とかするさ」

「大丈夫なんですか?」


 やけに食い下がってくるな、とケインは天を仰いだ。

 と言っても、見えるのは天井だけだが。


「大丈夫かって聞かれたら大丈夫じゃねーな。けど、最初からそこまで期待してる訳じゃないからな」

「私が、必要なんじゃないんですか?」


 ケインが軽く肩を竦めると、ウェスタは少しだけ拗ねたような口調で言った。


「多少なりとも、って言っただろ? けど、そうだな。丸腰で戦場に放り出されるか、ナイフ一本持たされて放り出されるか、その程度の差はあるんじゃねーかと思ってる」

「よく、分かりません」

「じゃあ、イメージしてみろ。ここは戦場で持っているのはナイフ一本だ。周りを見れば剣や槍で武装した連中がわんさかいやがる」

「ナイフは役に立たないと思います」

「そうだな。けど、ナイフ一本で命を拾うかも知れないだろ」


 ケインは剣帯を引き上げる。

 そこにあるのは皇室の紋章が刻印された剣とゴルディの工房で鍛えられた短剣だ。


「二、三日中に返事を聞かせてくれ」


 ウェスタの肩を軽く叩き、ケインはその場を後にした。



 少し格好を付けすぎちまったか、と遅めの昼食を摂るためにケインは食堂……侯爵邸や兵舎の食堂ではなく、エルフの元兵士が経営している食堂だ……に向かう。

 足取りは重い。

 ウェスタと別れた後、ワイズマン教師や事務の責任者、女将、ゴルディにまで声を掛けたのだが、成果は今一つだ。

 特に意外だったのが事務の責任者だ。

 ウェスタを引き抜かれるだけでも、と泣きそうな顔をされたのだ。


「あら、今から食事?」

「お前かよ」


 ケインが顔を顰めると、エレインは艶然と微笑んだ。

 ふと見上げれば『シナー貿易組合』の看板……普段は避けて通っているのだが、考え事に没頭しすぎたようだ。


「変装が趣味なのか?」

「使い分けてるだけよ」


 ケインはエレインを見つめた。

 ヴァイオレットと名乗っていた時と違い、露出度が減っている。

 髪型も、服装も清潔感こそあるが地味だ。


「私もこれから休憩なのよ。良ければ一緒に食事でも」

わりぃが……」


 グゥゥゥと胃が空腹を訴え、ケインは頬を引き攣らせた。


「決まりね」

「おい」


 パンッ! とエレインは手を打ち合わせ、ケインの腕を引いた。

 振り払うこともできたのだが、人の目がありすぎた。

 ケインは抵抗らしい抵抗もできないまま、店の二階へと連れて行かれた。

 『シナー貿易組合』……正しくはその二号店は商品の陳列や接客こそ目新しいが、建物そのものは普通だ。

 ケインが連れて行かれた部屋は休憩所として使われているのか、大きなテーブルを取り囲むようにイスが配置されていた。

 この時間帯は『シナー貿易組合』二号店で働く店員にとっても遅い時間帯らしく、休憩している店員はいなかった。


「すぐに食事を取ってくるわ。けど、味の方はあまり期待しないでね」

「おう」


 グイッとエレインは袖をたくし上げて休憩所を出て行った。

 ポケ~ッとケインは漫然とエレインの帰りを待つ。

 エレインが戻ってきたのはケインが仕事について考えようと頬杖を突いたその時だった。

 メニューはスープとパンだけだ。

 当然、二人分用意されているが、量はケインに差し出された方が多い。

 こういう気遣ってる演出で男は騙されるんだな、とケインはスープを口に運んだ。


「どう?」

「悪くねーよ」

「そう? 安心したわ」


 この後の展開が容易に想像できたので、ケインは黙ってスープを掻き込み、パンを頬張った。

 ケインと違い、エレインは静かに食事を続けている。

 まるで貴族のような上品な食べ方だ。

 一瞬、もきゅもきゅと口一杯に料理を詰め込むフェイと露店で買い食いをしているティリア皇女の姿が脳裏を過ぎり、貴族以上に品のある食べ方だと心の中で訂正する。


「上品な食べ方だな」

「勉強したのよ」


 ケインが食べ終わるタイミングを見計らって言うと、エレインは汚れてもいない口元をナプキンで拭った。

 どうして、俺はこいつと食事なんかしたんだ? とケインは溜息を吐いた。


「溜息ばかり吐いていると、幸せが逃げるわよ。出世したばかりなんでしょ?」

「なんで、知ってるんだ?」

「クロノ様に聞いたからよ」


 あの野郎、とケインは拳を握り締めた。


「怒らなくても良いじゃない。あの子はあの子なりに貴方のことを考えてるのよ」

「んなこと分かってんだよ」


 ケインを代官に任命したのも、エレインに情報を漏らしたのも、シフを牽制するためだろう。


「出来の良い弟分を持つと、お兄さんは大変ね」

「あいつは上司だ」

「でも、気分的にはお兄さんのつもりなんでしょ? お兄さんにしては少しワイルドだけれど」

「見透かしたようなことを言いやがるな。ああ、その通りだよ。ったく、年下のくせに出来が良すぎるってのは考えもんだ」


 ケインが素直に認めると、エレインはさもおかしいと言うように忍び笑う。


「そのお兄さんは困っているんじゃないかしら? 例えば人手が足りないとか、そんな理由で」


 エレインはしなを作り、ケインを流し見る。

 ゾクッとするような色っぽい仕草だが、ケインの勘は警鐘を鳴らしている。


「読み書き、計算ができる人材なら紹介できるわよ」

「お代は代官所で扱う情報か?」


 エレインは情報屋の顔も持っている。

 紹介された人材がエレインに情報を流す可能性は高い。


「信用されてないわね」

「疑ってくれと言ってるようにしか聞こえねーんだよ」


 俺の反応を確かめてるようにも見えるけどな、とケインは心の中で付け加えた。

 そんなことを考えている時点でエレインの術中に嵌っているのかも知れないが。


「じゃあ、どうするの?」

「奴隷を買うのも手だな。だからって、自分の部下を紛れ込ませるようなマネはするなよ?」

「そんなことしないわよ。大体、貴方が紛れ込ませた部下を買うとは限らないじゃない」

「奴隷商人に根回ししそうなんだよな、お前って」

「そこまで暇じゃないわ。それに代官所で扱う情報なんて港に部下を立たせればすぐに集まるもの」


 失礼しちゃうわ、とエレインは子どものように頬を膨らませた。


「言われてみればそうだな。傭兵を雇う金額だって調べようと思えば調べられるしな。いっそのこと、情報を公開しちまうか」


 傭兵ギルドの役割はギルドに所属する傭兵に仕事を斡旋することだが、その中には依頼主との報酬額の交渉やトラブルの対応も含まれる。


「傭兵ギルドに睨まれない?」

「シフの身内なら問題ないだろ」


 シフの身内……傭兵ギルドの母体となったベテル山脈の蛮族はケインが戦慄するほど精強で規律正しい。

 シフが彼らを連れて来るのならば情報を公開しても問題ない。

 仮に問題が起きてもシフが対応するだろう。


「問題があるとすれば」

「何?」


 ケインが言うと、エレインは少しだけ身を乗り出した。

 エレインの瞳に宿るのはケインを値踏みするような冷めた光だ。


「シフの目的がよく分からない所だな。新しい市場の開拓ってのは分かるんだが、それ以外にも目的があるような気がしてな」


 ふ~ん、とエレインは興味なさそうに頷いた。

 エレインのことだから、その辺りの情報は掴んでいるだろう。


「一応、シフにはそれとなく伝えてくれねーか?」

「情報公開の件ね。分かったと言いたいけれど、それって私がシフと連絡を取りあってる前提のお願いよね?」

「違うのか?」

「違わないわよ」


 ケインが問い返すと、エレインは苦笑した。


「それで、私の部下を雇ってくれるのかしら?」

「取り敢えず、二人くらいだな」

「貴方、適当に言ってるでしょ?」

「仕方がねーだろ。何人、必要になるかなんて分からねーんだから」

「ま、良いけど」


 だったら、言うなよ、とケインはエレインを睨んだ。


「取り敢えず、私の部下の再就職先が決まって嬉しいわ」

「そーかよ」


 ケインは立ち上がり、


「飯、ありがとよ」


 礼を言って、その場を後にした。



 一応、報告に戻るか、とケインは侯爵邸に向かった。

 侯爵邸の門で女と擦れ違い、ケインは足を止めた。

 女……二人組の女だ。

 服装は地味、化粧が濃いような気もする。

 武器を隠し持っているようには見えないが、緊張しているのか、やや歩き方はぎこちない。

 声を掛けるべきか悩んだ末、ケインは二人を黙って見送ることにした。

 もちろん、クロノに報告する際、二人組の女について質問するつもりだが。

 階段を上り、執務室の扉を開けると、クロノとワイズマン教師が何かを話している最中だった。


「出直した方が良いか?」

「すぐに終わるから、待ってて」


 ああ、とケインは軽く頷き、扉の傍に立つ。

 クロノとワイズマン教師は教育について話し合っているようだ。

 それ以上、仕事を押しつけたら、流石に死ぬぞ、とケインは半分くらい二人の会話を聞き流す。

 ワイズマン教師……アーサー・ワイズマンはクロノの領地で唯一の教師だ。

 お人好しすぎるのが欠点で、そのせいでクロノの部下……五百人以上の亜人に勉強を教える羽目になっている。

 ワイズマン教師は真面目に働いている。

 獅子奮迅の大活躍と評しても良いだろう。

しかし、どうにもこうにも人手が足りず、文字を読めるようになりたい、計算ができるようになりたいという声は高まるばかりである。

 まあ、その原因の一端を担っているのが双子のエルフだ。

 あの二人はそれはもう嬉しそうに教養を身に付けたことを自慢するのである。


「じゃあ、お願いします」

「今週末くらいまでには形にするよ」


 ケインは驚きのあまり目を見開いた。

 クロノがワイズマン教師に手渡した紙の束は一抱えもあったのだ。

 あ、死んだ、とケインはワイズマン教師の死を予感した。

 今でも死にそうな顔で仕事をしているのだ。

 これ以上、働いたら死ぬ。

 人間はドワーフのように頑強ではないのだ。

 だが、本人を目の前にしてクロノに意見するのはマズイだろう。

 特にワイズマン教師は古いタイプの騎士だ。

 ケインは文句を言いたいのを堪え、ワイズマン教師が執務室を出て行くと同時にクロノに詰め寄った。


「おいおい、あんな量の仕事をさせたら、ワイズマン先生は死んじまうぜ? アレか、恩師を過労死させる趣味でもあるのか?」

「まあ、落ち着いて」


 あ~、言い過ぎたか? とケインは反省する。

 クロノの手は小刻みに震えている。

 要するにビビっているのだ。


「悪ぃ、言い過ぎた。けどよ、ワイズマン先生は働き過ぎだぜ? 今以上に働いたら確実に死ぬぜ」

「……そのことなんだけど、新たに先生を雇うことにしました」

「敬語を使う必要はねーんだが……って、ホントか?」

「はい、本当です。先生の経験はないそうなので、ワイズマン先生には二週間ほど休講して頂き、彼女達に教育を施して頂くことになりました」

「ああ、擦れ違ったのはそいつらか。けど、そんな人材が良く見つかったな?」


 ケインが尋ねると、クロノは俯いた。

 嫌な予感……何故か、脳裏を過ぎったのは高笑いするエレインの姿だった。


「エレインの部下か?」

「はい、その通りでございます。いえいえ、僕も色々と考えたのですが、日に日に高まっていく部下の要求と憔悴していくワイズマン先生の姿に耐えかねまして」

「情報とか、大丈夫なのか?」

「ああ、それは問題なし。主塔の一つを改造して学校にするし、念のため事務の人達には書き損じた書類をすぐに工房に運ぶように指示してるから」


 物理的に遠ざけるって手もあったな、とケインは自分の想像力のなさに苦笑した。


「人集めの方は?」

「すぐに結果は出ねーよ。まあ、ウェスタからは良い返事が期待できそうだな。それ以外は奴隷と……エレインの部下を雇うことにした。おいおい、そんな目で見るなよ」

「見てないデス」


 クロノが目を背け、ケインも堪らずに目を背けた。

 エレインの掌で転がされているような奇妙な敗北感があった。

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