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第15話『Attack on Myra』前編 修正版


 マイラはクロードの背を見つめた。

 マイラに気づいているはずだが、クロードは崖の近くにある切り株に腰を下ろし、飽きもせずに自分の領地を見つめている。

 そこに殺戮者スローターと恐れられた傭兵の姿はない。

 いつの頃からか、クロードは穏やかな目をするようになった。

 動乱期を共に駆け抜けた仲間達も、マイラもそうだ。

 今のマイラはクロフォード男爵家のメイドであって、無音殺人術サイレント・キリングのマイラではない。

 かつての仲間達、その多くは家庭を持っている。

 結婚して、子どもができて、孫までいる始末だ。

 ……孫、とマイラは俯いた。

 いつの間にやら仲間に孫がいるのだ。

 幸せそうに孫を抱いてやがるのである。

 貴方達はアレとか、コレとか、あんなコトしていましたが……え? という感じだ。

 色恋とは縁のない人生でしたが、マイラは夕陽を眺めた。

 エルフの寿命は長い。

 寿命の長さを考えれば子どもがいなくても不思議ではない。

 そのはずなのにマイラくらいの年齢で一度も結婚していないエルフは少数派なのだ。

 高望みはしなかったはず。

 年収金貨二千五百枚というのもあれば良いな、と思っていただけなのに。

 いや、よ~く考えてみれば、ちょっと、ほんの少し危機感が薄かったかも知れない。

 仕事が忙しかったことも無関係じゃないだろう。

 危機感を持たずに南辺境の開拓に全力を傾けた挙げ句、この有様……二十年に及ぶ男日照りだ。

 いえいえ、クロノ様としました。

 まだまだ、私は若い、とマイラはクロノとした時の記憶を反芻する。

 クロノ様が動けなかったのは残念……いえいえいえ、アレはアレで良いモノです。

 くふふ、クロノ様の潤んだ瞳は実に素晴らしい。

 ついつい攻め立ててしまいましたが、クロノ様が本調子であれば攻めさせるのもありでしょう。

 もちろん、主導権は私が握らせて頂きますが、とマイラは頭を振った。

 そういうことをしたいのではなく、私が求めているのは愛のはず。

 優しい旦那様、子ども……慎ましくも温かな家庭が欲しいのです。

 しかし、子どもができるまでの過程も楽しむべきでは? 求めて頂けるのであれば、幾らでも応じる覚悟が。

 いえいえ! そうではなく! とマイラは髪を振り乱して頭を振った。

 少し冷静になって自分の武器を考えるべきではないかと。

 マイラは冷静に考え、武器の少なさに愕然とした。

 どう考えても実年齢六十近いエルフ、おまけに無音殺人術サイレント・キリングと恐れられた元傭兵に需要はない。

 もう笑うしかない。


「うははッ!」

「び、びっくりするじゃねーか」


 マイラが自棄になって笑うと、クロードは驚いたように振り向いた。

 考えてみればクロードも結婚して、血が繋がっていないとは言え、子どもがいるのである。

 最も結婚しそうになかった男が結婚しているのである。


「……はぁ」

「疲れてるんじゃねーのか?」

「そう、かも知れません」


 今まで働き詰めだったのだ。

 疲れていない方がおかしい。

 幸い、今は農閑期だ。

 少しくらいのんびりしてもバチは当たらないだろう。


「お言葉に甘えて……二ヶ月半ほど休暇を頂き、クロノ様に会いに行こうかと」

「いや、良いけどよ」


 チラリと盗み見ると、クロードは微妙な表情を浮かべていた。


「旦那様は私がクロノ様に会いに行くことに不満でも?」

「不満はねーが、親として少しな」


 今更、とマイラはクロードを見つめた。

 マイラとクロードは一時期男女の関係にあったが、あくまで体だけの関係である。


「ジョニーも連れて行ってやれ」

「アレを連れて行けと?」


 ジョニーはエクロン男爵領の元自警団員、今はクロフォード男爵家の使用人である。

 クロノの弟分を気取っていて、ちょっとバカだ。

 兄貴に恩返しするために強くなるッス。鍛えて欲しいッス、と頼まれたので、訓練を施した所、ジョニーはゲロを鼻から噴いて倒れた。

 訓練を続けているが、今一つ効果は出ていない。


「御者としちゃ、十分だろ?」

「それ以外の役に立ちそうにありませんが?」


 馬に乗って一人旅をした方が楽そうな気がするのだが、クロードの気遣いを無下にするべきではないだろう。


「……早々に準備を整えて、出発します」



 厄介事は急いでいる時に限って舞い込むものである。

 外出用の服は何処に保管したでしょうか? と考えながら、マイラが屋敷を徘徊していると、エルナト伯爵の息子……ガウルが訪ねてきたのである。

 南辺境に来た頃のガウルはバカだった。

 腕は立つが、功を焦った挙げ句に戦場で突出しすぎて孤立して死ぬか、足下を疎かにして部隊運営に行き詰まるタイプだった。

 雰囲気が変わったようですが、とマイラは応接室にガウルを案内し、そんな感想を抱いた。

 部下を侍り、どっしりと構える姿は頼もしく感じられる。

 少なくとも以前のようにピリピリした雰囲気はない。


「そちらの方は?」

「こいつは新しい副官のニアだ」


 ニアと呼ばれた少年は上目遣いに会釈をした。

 年齢は十代半ばくらいだろうか。

 体つきは華奢で、身長も平均的より低い。

 幼い顔立ちで、人見知りする質なのか、その瞳には怯えにも似た光が宿っている。


「ニアは商家の三男でな。兵士としては役立たずで、騎兵がいた頃は馬の世話係をやらせていたんだが、今は騎兵がいないからな」


 マイラの心中を察したのか、ガウルはニアを副官に据えた理由を語り始めた。

 アレオス山地に砦を築くに当たり、ガウルは部隊を再編成した。

 と言うよりも部下の騎兵を引き抜かれたりして再編成せざるを得なくなった。

 砦に騎兵は不要というのが理由だ。


「商家の三男だからか、ニアは数字に強い。俺のバカさ加減を補ってくれる頼りになる副官という訳だ」

「そ、そんなガウル様は」


 ガウルは腰を浮かせて反論しようとするニアを視線のみで制する。


「交渉の場で俺は睨みを利かせるだけで良い」

「適材適所かと」

「そうだろう? ニアのお陰で部下に飯を腹一杯食わせてやれるようになった」


 マイラが言うと、ガウルは男臭い笑みを浮かべた。

 ガウル様はバカじゃないです、とニアだけは不満そうだが。


「本日はどのような用件で?」

「実は……ベイリー商会との取引を止めようと考えている」


 マイラが尋ねると、ガウルは身を乗り出して答えた。


「部下の方々に食事をお腹一杯食べさせられるようになったのでは?」

「その通りだが、輸送費を取られるのがな」


 本当にそれだけなのだろうか? とマイラはガウルを見つめた。

 すると、ガウルは降参だと言わんばかりに諸手を挙げた。


「正直に言えばベイリー商会の連中を信用できん。まあ、俺のバカさ加減が部下を飢えさせた原因だと分かっているんだが」


 ガウルは自身の過去を恥じるように自嘲的な笑みを浮かべた。

 チッ、面倒臭い成長の仕方を、とマイラは心の中で吐き捨てる。

 ガウルがバカのままであれば上手く利用してやろうと考えていたのに、これでは利用できそうにない。

 いえ、バカでなくなったのであれば利用するのではなく、恩を売って協力的な人間関係を築くべきでしょう、とマイラは考え直す。


「分かりました。早速、旦那様に紹介状を書いて頂きます」

「ああ、助かる」

「しばらく、お待ちを」


 マイラは応接室を出て、立ち止まる。

 さて、旦那様は何処にいるのやら、とマイラは腕を組んだ。

 夕方であればクロフォード男爵領を一望できる崖、執務室や自室は見に行かなくても大丈夫だろう。

 お前が代筆しておけ、とクロードは言いそうだが、こういうのは許可を貰うことが大事なのだ。

 そう言えば、とマイラは外に出る。

 血の匂いが届く。

 まあ、扉を開けた瞬間に地面に転がっているジョニーが見えたのだが。


「旦那様?」

「俺のせいか?」


 クロードは血の付着した木剣を握り締めて言った。

 どう見ても犯人はクロードで、凶器は握り締めた木剣だ。


「俺の息子は意味もなく逃げ回るのに、こいつは意味もなく突っ込んで来やがる」

「クロノ様が逃げ回っているのは過去の経験に学んでいるからでは?」


 クロノが臆病なのか、ジョニーが無謀なのか。

 多分、どちらも正しいのだろうが、クロードには手加減を学んで欲しい所だ。

 クロードはバツが悪そうに頭を掻き、木剣を担いだ。

 その拍子に血飛沫がマイラのエプロンドレスを汚した。


「で、どうした?」

「エプロンに血飛沫を飛ばして、その台詞はないと思いますが?」

わりぃ」


 マイラは深々と溜息を吐いた。


「で、何の用か?」

「ガウル様が商家の方々に紹介状を書いて欲しいと」

「おう、分かった」


 予想外の台詞にマイラは軽く目を見開いた。


「驚くことねーだろ?」

「確かにエルナト伯爵との関係を思えば驚く必要はないと思いますが」


 そうだろ? とクロードは獰猛な笑みを浮かべてマイラの脇を通り過ぎた。

 マイラは動かないジョニーを見下ろし……見なかったことにして屋敷に戻った。



 ガウルにクロードが書いた紹介状を手渡し、マイラは再び旅の準備に取りかかった。

 しかし、厄介事というのは忙しい時に限って舞い込むらしい。


『ナンダ、ソノ顔ハ?』

「寒くないのかと」


 マイラが言うと、ルー族の族長は豊かな胸を強調するように腕を組んだ。

 胸を覆うのは毛皮の帯であり、下半身を覆うのはスカートのように長い毛皮だ。


『オレ達、精霊ノ加護、アル』


 ララが慎ましい胸を張って答えた。

 単にやせ我慢しているだけではないか? と思ったが、マイラは口にしなかった。

 巨乳のリリから仕入れた情報によればララはガウルと模擬戦闘を行っているらしい。

 その後でララとガウルが何をしているのかマイラは教わっているが、指摘せず、表情にも出さない。


『約束ノ塩ト薬草ダ』

「分かっております。応接室に」

『不要ダ』


 馴れ合うつもりはないということだろう。

 毎回、同じような遣り取りをしているが、断られると分かっていても勧めるのが礼儀である。

 族長は地面を見つめ、


『……アソコノ男ハ放ッテ置イテ良イノカ?』

「私は何も見ていませんが、欲しいのならば連れ去って頂いても結構です」

『要ラン』

「残念です」


 塩と薬草の対価は食料、布、針と糸だ。

 ガウルにしたように付き合いのある商人を紹介しても良いのだが、安く買い叩かれる恐れがあるので、クロフォード家が塩と薬草を売り捌くことにしている。

 その労力を考えると、仲介料を貰ってもバチは当たらないと思うのだが、マイラは断腸の思いで仲介料を諦めた。

 将来の主人であるクロノが命懸けでルー族と友好関係を築いたのだ。

 将来もマイラが今の地位を維持するためにはクロノに対する配慮が必要だ。

 もう少し交流が進んだら、ルー族の戦士をクロフォード家とエクロン家で雇い入れ、それから他の六家にも理解を深めて貰う予定だ。

 多少の根回しは行っているが、焦らずに進めるべきだろう。

 マイラは他の使用人を動員し、荷を庭に積み上げる。

 族長が目配せすると、控えていた戦士達が荷を担ぎ上げた。



 族長がアレオス山地に戻った後も次々と厄介事が舞い込んだ。

 その全てを解決し、マイラは外出用の服を探すことを諦めた。

 よくよく考えてみれば外出用の服を買った覚えがない。

 働き詰めでしたから、とマイラは旅行鞄に下着や予備のメイド服などを詰め込んだ。

 旅の準備を整えてみると、旅行鞄が二つという有様だ。

 どれくらい女としての自分を蔑ろにしてきたか気づかされる荷物の少なさだ。

 自分の部屋を見渡してみれば最小限の家具しかない。

 いえいえ、女の部屋とはこういうものでしょう、とマイラは手入れを終えたダガーを鞘に収めた。


「……我ながら、恐ろしいほどのメイドぶりではないかと」


 朝から晩まで、年中無休でメイドをしていたのだから、完璧なメイドぶりだ。

 まあ、それ以外がないという意味だが。

 無理に欠点を上げるとすれば子育ての経験がないことくらいか。


「引き継ぎをして……あまり長く放置すると、御者がいなくなってしまいますね」


 マイラが外に出ると、ジョニーは上半身を起こして不思議そうに血で汚れた自分の手を見下ろしていた。


「何か、あったんスか?」

「何もありませんでしたが?」

「血塗れなんスけど?」

「不思議なこともあるものですね」

「そうッスね」


 ジョニーは立ち上がると、短剣を抜いて素振りを始めた。

 何と言うか、何を想定しているのか見当も付かない素振りの仕方だ。


「木剣で素振りをしろと言った記憶があるのですが?」

「してるッスよ。けど、エクロン男爵領一の短剣使いを名乗ってたんス。やっぱ、短剣で一番になりたいんスよ。だから……」


 ジョニーは素振りを止め、見せびらかすように短剣をマイラに突き出した。

 切っ先は上を向いているが、あまり気分は良くない。


「給料で買ったッスよ! カヌチの作ッスよ、カヌチの!」

「……はぁ」


 子どものように目を輝かせるジョニーにマイラは何と言って良いのか分からずに溜息を吐いた。


「マイラさんはカヌチを知らないんスか?」

「名前くらいなら知ってますが、あまり武器に拘らない質ですから」


 これは本当だ。

 傭兵時代は各地を転々とすることが多かったので、マイラは武器を作る工房に拘らない。


「この短剣で兄貴の役に立てるように強くなって見せるッスよ」


 高い武器を手に入れて調子に乗っているようにしか見えませんが、とマイラは深々と溜息を吐いた。


「一つ教訓を与えるので、掛かってきなさい。武器はそのままで構いません」

「良いんスか? 刺さったら、痛いッスよ?」


 マイラが手招きをすると、ジョニーはその気になったらしく短剣を腰溜めに構え、突っ込んできた。

 ふらりとマイラはジョニーの攻撃を躱す。

 ジョニーは驚いたような表情を浮かべ、短剣を振り回した。

 マイラが攻撃を躱し続けると、ジョニーの動きはすぐに鈍った。

 ジョニーは自棄になったように短剣をマイラに向けて突き出す。

 マイラは短剣を握るジョニーの手首を掴み、彼の手を引きながら、肘を叩き込む。

 ジョニーの腕を捻り上げながら、マイラは彼の背後に回り、手を離して距離を取る。

 ケハッ、ケヒュケヒュ、とジョニーは地面をのたうった。


「……教訓一です。武器の手入れを疎かにするのは三流ですが、高価な武器を持って強くなったと錯覚するのは素人です。時に拾った石が勝利の決め手になる。実戦とはそういうものです」


 マイラはジョニーの短剣を拾い上げ、


「これは私が没収します。さっさと旅の準備を整えて下さい」



 微妙な表情を浮かべるクロードに見送られ、クロフォード男爵領を出発して一ヶ月が経過した。

 平穏な旅だった。

 エルフは獣人に比べると、宿泊拒否をされることが少ないので、簡単に宿が取れたことも理由の一つだろう。

 マイラは下着の洗濯さえできれば野宿でも構わなかったのだが、ジョニーは断固として野宿を拒んだ。野犬に取り囲まれたり、盗賊に追い掛けられたりしたのがいけなかったらしい。


「ああ、あれがハシェルですね」

「……ようやく着いたッス」


 ハシェルを取り囲む壁が見えているだろう。

 ジョニーは御者席で溜息を吐くように言った。

 マイラの服はほつれ一つないが、ジョニーの服はボロボロで、上着が肩からずり落ちそうになっている。

 門の所で手続きを済ませ、馬車を進める。

 壁の内側は賑わっていた。

 特に賑わっているのは露店や商店の並ぶ区画だ。

 マイラの経験上、賑わっている街は貧富の差や役人の腐敗が激しいものだ。

 そういうものは上手く表面を取り繕っても誤魔化しきれない。

 マイラの目に見える範囲では大丈夫そうなので、クロノは為政者としてそれなりに上手くやっているようだ。

 思わず、笑みが零れる。

 たった一年の師弟関係だったが、それでも、教え子の成長は嬉しいものだ。


「……弟子と言えば」


 ふと視線が合った。

 相手もマイラの存在に気づいたらしく体を硬直させる。

 十数メートル先にいる相手……双子のエルフはマイラを見つめ、凍り付いたように動かない。

 双子のエルフ……デネブとアリデッドを侍らせているのは白い軍服に身を包んだティリア皇女だ。

 ティリア皇女はマイラに気づいていないらしく足を止め、不思議そうにデネブとアリデッドに視線を向けていた。

 一秒、二秒、三秒……、


「「ぎゃひぃぃぃぃぃぃぃっ!」」


 奇声を上げ、デネブとアリデッドはマイラに背を向けて逃げ出した。

 人混みを擦り抜ける見事な逃げっぷりだ。

 マイラは馬車から降り、近くに転がっていた石を投げた。

 ほれぼれするような放物線を描き、石は細い路地に逃げ込もうとした双子の片方に命中した。

 石が後頭部に命中し、双子の片方は倒れた。

 ティリア皇女は倒れた方のエルフに駆け寄り、手を翳した。

 ティリア皇女の手から白く輝く粒子が放たれる。

 恐らく、ティリア皇女は神威術『治癒』を使っているのだろう。

 マイラはジョニーに先に行くよう指示を出す。

 マイラがティリア皇女の背後に立つと、倒れたエルフは目を覚ました。


「あ、あたし、死んだみたいな?」

「生きているぞ」

「嘘だし、悪魔が見えるし」

「悪魔とは私のことですか?」


 マイラが尋ねると、ガバッと倒れていたエルフは体を起こした。


「再会したばかりで殺そうとするとか信じられないし!」

「そうだし! あたしらが何をしたみたいな!」


 ギャーギャー、と双子のエルフ……駄メイドは喚いた。


「買い物の時に釣り銭を誤魔化し、私をババアと罵りましたが?」

「釣り銭は返したし!」

「心に傷を負うような折檻を受けたし!」

「なるほど、言いたいことはそれだけですか?」


 マイラが薄く微笑むと、双子のエルフは怯えたように体を竦ませた。


「よ、よくよく考えてみれば、あたしらにも非はあったかもみたいな?」

「釣り銭を誤魔化すとか、年齢を指摘するとか、マジで有り得ないみたいな?」

「理解が早くて助かります。石を投げた件はなかったことにして頂ければ」

「「……はい」」


 マイラが優しく肩を叩くと、双子のエルフは素直に頷いた。


「お久しぶりです、ティリア皇女」

「ああ、クロフォード男爵のメイドだな。一年ぶりくらいか?」


 マイラがスカートを掴んで一礼すると、ティリア皇女は鷹揚な態度で答えた。


「この度、休暇を頂きまして」

「なるほど、それでクロノに会いに来たんだな。積もる話もあるだろうから、侯爵邸に移動しよう」


 ティリア皇女は話が早くて助かります、とマイラは頷いた。


「あの、姫様? あ、あたしらは」

「ここで、お暇したいみたいな?」


 ティリア皇女が不思議そうに首を傾げると、双子のエルフは愛想笑いを浮かべた。


「構わないぞ」

「姫様、この恩は忘れないみたいな!」

「出涸らしの香茶なら奢っちゃうみたいな!」


 デネブとアリデッドは逃げ出した。

 感謝の気持ちが出涸らしの香茶とは安すぎるような気もするが、ティリア皇女は仕方がないとでも言うように苦笑いを浮かべていた。


「道すがら、クロノ様の様子を教えて頂ければ」

「侯爵邸までだと時間が足りなすぎるな」


 何から話したものか、とティリア皇女は思案するように腕を組んで歩き出した。

 ティリア皇女が嬉しそうなのは自分の男を自慢できるからだろう。


「クロノとは軍学校で知り合ったんだ」


 はい、とマイラは頷いた。

 ティリア皇女が演習でクロノに逆落としを敢行したことも知っているが、マイラは指摘しなかった。


「いつ、マイラはクロノと会ったんだ?」

「クロノ様が生まれた頃から」


 マイラが赤ん坊を抱くような仕草をすると、ティリア皇女は不審そうに目を細めた。

 すぐにマイラはティリア皇女が目を細めている理由に気づく。

 ティリア皇女はクロノが異なる世界から来たと知っているのだ。


「失礼しました。クロノ様と出会ったのは五年前になります」

「……そうか」


 ティリア皇女は少しだけ悔しそうに言った。


「昔から、あんな感じだったのか?」

「いえ、やや内向的な感じでしたが?」


 むぅ、とティリア皇女は怪訝そうに口元を手で覆った。


「私が厳しく躾けた結果、クロノ様は今のように逞しく……」

「なんてことをしたんだ!」


 は? とマイラはティリア皇女を見つめた。


「クロノがあんなになったのはお前のせいか!」

「あんな、と言われましても」


 あの甘ったれた性格を矯正したからこそ、今もクロノは生きていられるのだ。

 あの性格のままであれば初陣で戦死していただろう。


「す、すまない」

「いえ、構いませんが」


 予想できるものの、マイラは顔色を変えずに答えた。

 単に性格のことならば非難される謂われはないので、それ以外の部分だろう。

 つくづく惜しい。

 あの時、クロノが万全であれば別の愉しみ方ができたのに。


「軍学校で色々あって、私達は友になったんだ。それから、エラキス侯爵領で再会して……」


 マイラはティリア皇女の話を聞きながら、適当に相槌を打つ。

 ティリア皇女の個人的なエピソードはさておき、クロノは自領を豊かにすることを念頭に領地運営を行っているようだ。

 工房の設立、大幅な減税、奴隷に対する暴力の制限、奴隷商人と売春宿の許可制度、救貧院の再開、雇用確保のための紙工房の設立と公共事業の実施、農業改革、新しい概念の組合の発足、港の建設、塩田、開拓等々……ティリア皇女が把握していなかったり、言い漏らしたこともあるだろうが、それらの改革が相乗的な効果を発したのだろう。

 どうやら、クロノ様は人の縁に恵まれたようですね、とマイラは胸を撫で下ろした。

 マイラが役立たずと判断したクロノの知識を補完した上で制度化し、なおかつ正しく運営できる人材が揃っていたのは幸運としか言いようがない。


「……もう少し話したいことがあったんだが」

「二週間ほど滞在する予定ですから」


 ティリア皇女の視線の先には高い塀で囲まれた建物があった。

 四本の塔、その中央に建つのは城館……軍事拠点としての城ではなく、居住のための建物だ。


「少しうるさいかも知れないが、すぐに慣れると思う」

「いえ、これくらいならば気にする必要もないかと」


 カーン、カーンと鎚を打つ音が響いている。

 門を通り抜けると、クロノがいた。

 他にミノタウルスとドワーフ、白い軍服を着た少女もいる。

 クロノは工房らしき所で弓を手にしていた。


「あれは?」

「新しい機工弓だと思うが。ようやく新しい武器を開発したみたいだな。版画機だの、蒸留器だの、千歯扱きだの……いや、クロノは技術開発のために予算を組んでいるから、構わないのか?」


 先程の会話では出て来なかった単語だ。

 その間にクロノは弦を引き絞り……全く弦を動かせずにミノタウルスに手渡した。

 弓を渡されたミノタウルスは難なく弦を引き絞ることに成功する。

 クロノが弦を全く動かせないなんて、どれほどの強さで弦は張られているのか。


「どうした、失敗か?」

「いや、失敗じゃないよ……ま、マイラ」


 ティリア皇女が声を掛けると、クロノは振り返り……双子のエルフと同じように体を硬直させた。

 実に失礼な反応である。

 あんなにも南辺境で愛し合ったのに。


()()()()……()()()()は逃げませんよね?」

「まあ、に、逃げないけど」


 ブモ~と息を吐き、ミノタウルスはゆっくりと弦を元の位置に戻した。


『大将、どちらさんで?』(ぶも?)

「父さんの所で働いているメイドのマイラだよ。あ、彼は僕の副官でミノさん」

『お初にお目に掛かりやす』(ぶも、ぶも)

「ご丁寧にありがとうございます」


 マイラとミノが簡単に挨拶を交わすと、クロノはドワーフと白い軍服を着た少女を手で示した。


「こっちが工房の責任者のゴルディ、彼女が第十一近衛騎士団長のエリル・サルドメリク子爵」

「クロノ様にはいつもお世話になっておりますぞ」

「……」


 ドンとゴルディは胸板を叩き、エリル・サルドメリク子爵は目を合わせただけだ。


「所で、その弓がどうかされたのですか?」

「どれくらい強い弓を作れるか試してみたんだけど、見ての通り、マトモに引けないんだよね。かと言って、ミノタウルスやリザードマンの弓兵部隊を組織するのも」

『大将、一から弓兵を育てるのは手間ですぜ。それにあっしらはエルフみたいに風を読める訳じゃないんで、弓の射程を上手く活かせやせん』(ぶも、ぶも~)

「精度は数で補えば良い」

「しかし、数のみを頼りにした戦術は危険ですぞ」

「補給の心配がいらない戦場なんて限られるだろうしね。かと言って、そんな限定的な状況のために大規模なミノタウルスやリザードマンの弓兵部隊を揃えるのも、現実的じゃないよね」


 クロノ、ミノ、ゴルディ、エリルの四人は円陣を組み、その場に座り込んだ。

 色々と意見を交わした末、


「弓の強化は良いアイディアが浮かぶまで棚上げ! 続いて、アルコールを使った武器の開発について」


 ペシッとティリア皇女がクロノの後頭部を叩いた。

 すると、クロノは振り向き、不満そうに唇を尖らせる。


「折角、マイラが南辺境から来たんだから、きちんと出迎えてやれ。お前の……育ての親というか、先生みたいなものなんだろう?」

「構いません。ティリア皇女のお心遣いは嬉しいのですが、今や()()()()は二つの領地を持つ貴族。クロフォード家に仕えるメイドとしてお仕事の邪魔をする訳には参りません」


「そ、そうか? じゃあ、アリッサに客室まで案内させよう」

「ありがとうございます、ティリア皇女。しばらく滞在する予定なので、()()()()と話す機会は幾らでもあるかと、そう幾らでも」


 マイラは微笑んだ。



 アリッサはメイド長とティリア皇女付きのメイドを兼任しているらしい。

 年齢は三十に届かないくらいだろうか。

 娘が一人いるらしいが、娘の父親については話さなかったので、色々と訳ありのようだ。

 そのような事情からか、アリッサは仕草一つとっても控えめだ。

 女性らしさを隠そうとしているようにも見える。

 その点は好感が持てる。

 互いの立場を尊重し合えば良い関係を築けるでしょう。

 できれば彼女が自然に私を立てるようにしたい所ですが、とマイラは荷物を片付ける。


「……そう言えばジョニーは何処に?」


 窓の外を見ると、到着はしているらしく馬車が庭の一角に止まっていた。


「ジョニーの性格を考えると」


 腕試しにクロノ様の部下に挑み、ボコボコにされている頃でしょうか? とマイラはボコボコにされたジョニーを思い浮かべて溜息を吐いた。

 ジョニーはそこそこ強い。

 圧倒的な体格差や人数の不利がなければそこそこやれるのである。

 道中、酒場で乱闘に巻き込まれた時は上手く切り抜けている。

 ただし、その強さは一般人の区分に限った話である。

 クロノ様とは別の意味で世話が掛かる、とマイラは部屋から出た。

 記憶を頼りに外に出ると、ジョニーが獣人……確かタイガと言ったはずだ……に背負われて運ばれてくる所だった。

 ハーフエルフの少女……スノウが心配そうに付き添っている。

 多分、スノウがジョニーを叩きのめしたのだろう。

 庭にいるのはクロノとドワーフのゴルディだけだ。


『訓練に参加させたら、こうなったでござる』(……がう)

「本気で、って言われたんだもん」


 申し訳なさそうに言って、タイガはスノウの手を借りてジョニーを地面に横たえた。

 ジョニーは白目を剥いて気絶していた。


「随分、早く戻ってきたね」

「クロノ様、私は仕事に戻りますぞ」


 マイラは溜息を吐き、庭にある井戸で水を汲んだ。


「ま、マイラ、それはあんまりじゃないかな?」

「クロノ様が気絶した時も同じようにしましたが、何か?」


 マイラが桶の水をぶっ掛けると、ジョニーは四肢を痙攣させた。

 う~ん、と唸ってジョニーは体を起こした。


「あ、兄貴……みっともない所を見せたッス」

「いや、ケガがなくて何よりだよ」

「本気で、って言ったのに」


 蚊の鳴くような声で言って、スノウは俯いた。

 不満ではなく、ジョニーに傷を負わせたことでクロノに嫌われることを心配しているのだろう。

 レイラから聞いた話によればスノウはレイラを母親のように慕っているらしい。

 自分のせいでレイラがクロノに嫌われることを恐れているのかも知れない。

 歪んでいると言えば歪んでいるのでしょうが、とマイラはスノウに優しく触れた。

 驚いたようにスノウはマイラを見上げる。


「気にする必要はありません。アレはアホなので、少しくらい痛い目に遭わないと、学習しません」

「……で、でも、泣いちゃったよ」


 は? とジョニーを見ると、彼は泣いていた。


「俺、情けないッス。あんなに頑張ったのに、全然、強くなってないッスよ」

「ボ、ボクのせいだよね。謝らないと」

『止めた方が良いでござる。謝られたら、余計に惨めでござる』(がう、がう)


 修羅場である。

 そんな中、クロノはジョニーの両肩を優しく叩き、気遣うように微笑んだ。


「……ジョニー」

「兄貴、俺、俺……!」


 ジョニーを見つめたまま、クロノの形相が鬼のそれに変わる。


「そんな簡単に強くなれたら、苦労しないんだよっ!」


 クロノは叫んだ。

 ジョニー、スノウ、タイガの気持ちを無視した絶叫だった。

 空気を読まないにも程がある。


「大体、ここまで僕が強くなるのに、どれだけ、どれだけ酷い目に遭ったと! 初めて木剣を持った時は父さんに腕の骨を折られたし、マイラの訓練でゲロ吐いたし、そこまでやったのに軍学校で落ち零れたし、初陣で右目を失明だよ、失明!」


 失明の部分を強調し、クロノはジョニーを揺さぶった。

 これでもか、これでもか、と揺さぶった。

 叫び終えると、クロノはジョニーから手を離した。


「そりゃあ、泣きたくもなるだろうけど、自分で決めたことなんだからさ」

「自分で、決めたこと」


 ジョニーはクロノを見上げ、小さく呟いた。


「違うの?」

「そうッスね、自分で決めたことッスもんね。俺、頑張るッスよ。兄貴の役に立てるように頑張るッス! もう一回、行ってくるッス!」


 ジョニーは元気よく立ち上がり、侯爵邸を飛び出した。

 慌ててタイガとスノウもジョニーの後を追う。


「見事な激励でした。兄弟子の面目躍如かと」

「あれで止めたらそれまでだと思ってたから、激励したつもりはないんだけどね」


 クロノは照れ臭そうに頭を掻いた。


「マイラ、ジョニーのことを頼んだよ」

「かしこまりました」


 マイラは頷いた。



 退屈など自分には無縁の悩みかと思っていましたが、とマイラはベッドに座り、深々と溜息を吐いた。

 マイラは客であり、客は働かないものである。

 クロノに申し出ればメイドとして働けるだろうが、アリッサの性格を把握していない今は避けるべきだろう。

 マイラだって自分よりキャリアの長いメイドが現れれば戸惑うし、そんなよく分からないメイドに我が物顔で仕事をされたら不愉快に思う。

 今は大人しくしておくべきだ。

 もちろん、クロノの相手は意地でも務めるが。

 本でも借りようとマイラが腰を浮かせた時、ドンドンと扉が叩かれた。

 マイラは扉の影に隠れるようにして扉を開ける。

 入ってきたのは浅黒い肌のメイドとセシリーだ。

 は? とマイラの目が点になる。

 一時期、セシリーは南辺境でガウルの副官を務めていた。

 第五近衛騎士団団長の妹であり、エラキス侯爵領の東にあるハマル子爵家の令嬢だったはず……そこまで考え、マイラは納得した。

 クロノが何らかの取引を行った結果、人質として差し出されたのだろう。


「うおっ! どうして、そんな所にいるんだ!」

「ただの習慣です」

「そ、そーか? まあ、そういう習慣があっても不思議じゃねーよな。あたしはヴェルナだ。クロノ様から、あんたの面倒を見るように言われてる」


 自分に親指を向け、ヴェルナは言った。

 メイドとしては落第点だが、今のマイラは客である。

 ダメなメイドを笑ったり、泣いたりできなくなるように痛めつけるのが仕事ではないのだ。


「……セシリー・ハマルですわ」


 セシリーは溜息を吐くように言った。

 セシリーの出自を考えれば不満に思っても仕方がない。


「何か?」

「エルフって、スゲェな」


 ヴェルナは感心したように言った。


「どう見ても六十歳に見えねーもん。アレだろ、クロノ様の父親と同じくらいの年なんだろ? なのに三十路前って感じ?」

「ヴェルナさん!」


 ポカンとセシリーがヴェルナの頭を軽く叩いた。


「何だよ?」

「女性に年齢を尋ねるのは失礼ですわ!」


 それを目の前で指摘する貴方も十分に失礼ですが、とマイラは頬を引き攣らせた。


「そーだな、興奮しちまってさ」

「どうして、ヴェルナさんが興奮しますの?」

「スラムじゃ、クロード・クロフォードって言えば伝説なんだよ、伝説。戦災孤児から剣一本で成り上がって、貴族だぜ、貴族!」


 ヴェルナは感極まったように言った。


「……伝説」


 たかだか三十年……いや、もう三十年以上も昔だ。

 そんな三十年以上も昔の出来事が伝説として語られていることに奇妙なおかしさを覚える。

 ふとマイラは帝都にいるはずの同僚を思い出す。

 オルトならばクロード・クロフォードを伝説として語り継がせることくらいできるだろう。

 オルトが知識を実践した結果、クロード・クロフォードがスラムの伝説になったのではないだろうか。


「その伝説を教えて頂ければ」

「これも仕事だよな?」

「知りませんわ」


 ヴェルナをイスに座らせ、マイラは伝説を聞いた。

 その間、セシリーはヴェルナの隣で立ったままだ。

 ヴェルナとセシリーをベッドに座らせようとしたのだが、セシリーが嫌がったのだ。


「所で、()()()()は上手くやっているでしょうか?」


 ヴェルナの話が一段落した頃、マイラは切り出した。


「良く分からねーけど、何で?」

「いえ、()()()()はクロード様に似ていらっしゃるので、女性関係が心配で」

「それなら、セシリーが詳しいと思うぜ。何か、今日も当番っぽいから」

「ど、どうして、ヴェルナさんが知ってますの!」


 セシリーが叫ぶと、ヴェルナは勝ち誇るように胸を張った。


「いや、セシリーって夜伽の当番の日って朝から無口になるじゃん。だから、今日は当番なんだろうな~って」

「べ、別に好きでしている訳じゃありませんわ」


 おや? とマイラは思う。

 セシリーが本気で嫌がっているように見えたのだ。


「その辺りを詳しく伺いたいのですが?」

「嫌ですわ!」


 仕方がありませんね、とマイラは夜伽について尋ねるのを諦めた。

 今日がセシリーの番と分かっていれば十分なのだ。

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