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第8話『黒』修正版


 帝都アルフィルク……その中央にアルフィルク城は聳え立つ。

 リオは第九近衛騎士団に与えられた部屋で頬杖を突いていた。

 第九近衛騎士団の役割は城の警備だ。

 適度に暇で、適度に刺激のある役割をリオは好んでいた。

 城内を適当にほっつき歩いてファーナやピスケ伯爵と話していれば仕事をしていると判断して貰えるし、傍観者という立場であれば宮廷貴族のいざこざは楽しい娯楽だ。

 特に痴話喧嘩は最高だ。

 つい最近まで恋人同士だった二人が恥も外聞もなく罵り合う様は人間臭くて素敵だ。

 けれど、最近は警備の仕事を煩わしく感じるようになった。

 切っ掛けはアルデミラン宮殿の一件だ。

 あれ以来、下級貴族達が登城するようになったのだ。

 問題は彼らの中に正規の手続きを踏まない輩がいることだ。

 多分、一秒でも早くアルフォートに謁見しなければ他の貴族に先を越されると考えているのだろう。

 正規の手続きを踏まなければ追い返さざるを得ないのだが、そういうヤツに限ってリオを悪し様に罵り、アルコル宰相派だと声高に叫ぶのである。

 かと言って放置すればアルフォート派と思われる。


「派閥ごっこはボクと関係のない所でして欲しいね」


 思わず、愚痴が出る。

 次期皇帝アルフォートとアルコル宰相の派閥争いはちっとも面白くない。

 あの時、命令さえしてくれればアルフォートの首を掻き切ってやれたのに、とリオはクロノを少しだけ恨めしく思う。


「ぼ……リオ様、口を慎み下さい」

「本当のことさ」


 副官に窘められ、リオは肩を竦めた。

 会議に口出ししているというから笑えない。

 アルフォートの指摘で上手くいったという話も聞いているが、彼が建てようとしている物とその目的を考えると、今一つ信憑性に欠ける。

 リオは溜息を吐き、足を組んだ。


「霊廟だったかな? そんな物をアルデミラン宮殿に造ってどうするんだろうね」

「皇帝陛下を奉り、旧貴族と新貴族の意思を束ねる、と聞いております」

「こういうのは何て言うんだったかな?」

「私は学がないもので」


 嘘を吐くな、と言いたかったが、リオは自重した。


「旧貴族と新貴族の意思を束ねるなんて、一朝一夕にできるものじゃないさ」

「……」


 副官は答えない。

 彼は三十一年前の内乱を知っている。

 あの内乱で皇兄派の貴族は危機的状況下にも関わらず、一枚岩に成り切れなかった。

 旧貴族同士ですらそうだったのだ。

 霊廟を造ったくらいで旧貴族と新貴族が意思を一つにできるのなら苦労はない。


「新貴族を味方に付けるアイディアはあるけれど、聞くかい?」

「参考までに」

「旧貴族が独占している帝国の役職を新貴族に解放してやれば良いのさ。もしくは誰でも真っ当に評価される仕組みを作るか、だね」


 どっちも似たような意味だけどね、とリオは心の中で付け加えた。


「それでエラキス侯爵の依頼に応じた、と」

「ああ、士爵位のことかい?」


 部下に士爵位を与えたいので、推薦状を書いて欲しいとクロノに頼まれ、リオは推薦状を書いたのだ。もっとも、リオだけではなく、レオンハルトとエルナト伯爵も推薦状を書いていたが。

 リオは足を組み替え、副官を見上げた。


「ボクはクロノの恋人だからね。恋人の頼みは無碍にできないさ。まあ、それに……一緒に戦った仲だからね」

「……リオ様」


 副官は感極まったように瞳を潤ませた。

 クロノに言い寄る女は嫌いだし、他の愛人だって好きじゃない。

 だが、彼女達に共感することはあるし、一緒に戦った亜人に対しては好意に近い感情を抱いてもいる。

 まあ、断る理由がなかったというのが最大の理由だ。

 コンコンと扉がノックされ、リオは顔を上げた。


「入れ!」

「……はっ!」


 副官が許可すると、若い騎士は扉を開け、心臓の位置で拳を握り締める。

 若い騎士はキビキビとした動作で部屋の中央に立ち、背筋を伸ばした。


「ブルクマイヤー伯爵がアルフォート殿下にお目通りを願いたい、と!」

「で、正規の手続きは踏んでいるのかい?」


 は? と若い騎士……見覚えがないから、新しく第九近衛騎士団に入団したばかりなのだろう。


「ブルクマイヤー伯爵は南辺境が……」


 若い騎士は聞いてもいないのにベラベラと理由めいたものを話した。

 大半は聞き流したが、ブルクマイヤー伯爵は歴史ある家柄の貴族なので、無碍には追い払えないと言いたいらしい。


「……君は、バカなのかい?」

「仰る意味がよく分かりません」


 はぁぁぁ、とリオは盛大に溜息を吐いた。


「正規の手続きを踏んでいない以上、城に入れる訳にはいかないじゃないか。ボクに命令されているからと、追い返せ!」

「はっ!」


 リオが叫ぶと、若い騎士はキビキビとした動作で部屋を出て行った。


「アレはアレかい?」

「アレとは何でしょう?」

「質問を質問で返さないでおくれよ。アレはバカなのかい? それとも、断ると角が立つから言質を取りに来たのかい?」


 前者であれば救い難い、後者であれば小賢しい。


「恐らく、前者でしょう」

「うちの団員はもう少しまともだと思っていたのだけれどね」

「まだ、アレには教育を施していないので」


 そう言って、副官は拳を握り締めた。

 何と言うか、痛そうだ。


「死ぬんじゃないかな?」

「それで死ぬのならば、それまででしょう」


 ここが戦場であれば教育する手間が省けるのですが、とでも言い出しそうな雰囲気である。


「頭痛がしてきたよ。任せても良いかい?」

「はっ、リオ様!」


 副官は若い騎士とは比べものにならないほど迫力に満ちた敬礼をする。


「君が団長をやった方が良いんじゃないのかな?」

「人には分というものがございます。あくまで私はリオ様の副官として憎まれ役を全うしたく」


 ボクの方こそ騎士団長に向いていないと思うのだけれどね、とリオは肩を竦めた。



「ピスケ伯爵、暇かい?」

「これが暇そうに見えるかね?」

「い~や、全く見えないさ。それにしても、どうして、ボクの周囲にいる人は質問に質問で返すのだろうね」


 第十二近衛騎士団の執務室でピスケ伯爵は書簡の山に埋もれようとしていた。

 書簡はピスケ伯爵経由でアルフォートに謁見しようとする貴族達が送ったものだろう。


「派閥ごっこは楽しいかい? ああ、返事は要らないよ。その苦り切った顔を見れば楽しくなさそうだと推測できるからね」

「……これでも、私は身の程を弁えている」


 ピスケ伯爵は机に両肘を突き、まるで祈るように手を組んだ。


「それは殊勝な心掛けだね」

「アルフォート殿下を擁立し、アルコル宰相から帝国の実権を奪い返すなど私の分を遙かに超えている」

「アルフォート派の中核を担う人物の発言とは思えないね」


 ピスケ伯爵に血走った目で睨まれ、リオは軽く肩を竦めた。


「霊廟の建設はアルフォート殿下の発案かい?」

「知らんよ、そんなこと」


 自棄になっているのか、密告をしないと思われる程度に信頼されているのか、ピスケ伯爵は吐き捨てるように言った。


「アルフォート殿下とアルコル宰相の関係を修繕することはできそうかい?」

「改善も何も……そのような事実はない」


 ああ、とリオは頷いた。

 どうやら、ピスケ伯爵はアルデミラン宮殿での一件を『なかった』ことにするつもりらしい。

 いや、『アルフォートとアルコル宰相の仲が悪い』という事実を『なかった』ことにするつもりなのか。

 あまりにも勝手な理屈だ。

 それでアルコル宰相が納得するのかな? とリオは考え、その答えが出ていることに気づく。

 アルコル宰相は既に納得しているのだ。

 だから、ピスケ伯爵は『そのような事実はない』と断言できる。


 では……何故、ピスケ伯爵がアルコル宰相が納得していることを知っているのか?


「ピスケ伯爵、アルコル宰相に弱みでも握られているのかい?」

「疑問を口にせずにいられないのか」


 うんうん、とリオは自分の推測が正しさに何度も頷いた。

 ピスケ伯爵はアルコル宰相とも繋がっているのだ。

 恐らく、ピスケ伯爵が二つの派閥に属するようになったのはアルデミラン宮殿でアルフォートに忠誠を誓った後だろう。


「と言うことは、アルフォート殿下が会議を引っ掻き回すのも、霊廟の建設も織り込み済みということなのかな?」

「知らんよ」


 アルフォートに会議で成功を経験をさせてやり、霊廟の建設で失敗を経験させる。

 失敗を経験すればアルフォートも多少は大人しくなるかも知れない。

 問題はアルフォートにも権力があると周囲に錯覚させてしまう点だろうか。


「……別にボクは派閥争いに興味がないから良いのだけれどね」

「ティリア皇女と戦っておきながら、何をぬけぬけと」

「陛下の遺言に従ったまでさ。ティリア皇女が個人的に……あの時は今ほど嫌っていなかったような気もするけれど……あまり好きじゃなかったのも大きいんじゃないかな」


 ピスケ伯爵は呆れ果てたと言わんばかりに溜息を吐いた。

 自分だってティリア皇女と戦ったじゃないか、とリオは苦笑いを浮かべた。


「好き嫌いで物事を判断しているのか?」

「ボクの天秤を傾けるのは感情なのさ」


 あの時、アルコル宰相の手にはラマル五世の遺言があり、ティリア皇女には皇位を継ぐ正統性があった。


「と言う訳で、帝都を離れる口実を設けて貰えないかな?」

「何故、わた……いや」


 ピスケ伯爵は途中で台詞を中断する。

 リオはピスケ伯爵がアルコル宰相と繋がっていることに気づいているのだ。

 天秤を傾けるのは感情……リオのために骨を折ってくれるのならピスケ伯爵に不利になるような行動を取らないという意味である。


「クロノの部下に士爵位を授けたことを示す証書を渡しに行くのはどうかな?」

「……亜人に士爵位か」

「それだけの働きはしていたさ」


 ピスケ伯爵は仏頂面で頬杖を突いた。


「そこまで否定はせんよ。前例がないことをするのは居心地が悪いと思っただけだ」

「きっと、古い騎士達もそういうことを考えていたんだろうね」


 リオは腕を組んで、何度も頷いた。



 鎧を脱ぎ、軍服に着替えて城を出る。

 近衛騎士の証である白い軍服は旧市街ならば少しだけ、新市街だとかなり注目される。

 第二街区にある家まで馬車を使わなかったのは気紛れ、新市街に足を運んだのも同じ理由からだ。

 人垣のある方に向かったのは好奇心からだった。

 野次馬の漏らす断片的な情報を継ぎ合わせると、スリが警備の兵士に捕まり、暴行を受けている真っ最中であるらしい。

 この時点でリオは興味を失った。

 割と洒落にならない打撃音が響いても、血の匂いが空気に混じっても、おいおい、あんまり顔を殴るんじゃねーよ、取り調べをしなきゃならねーんだからよ、と兵士達がゲラゲラ笑っても、だ。


「……畜生、あたしに……あたしは、エラキス侯爵の、身内だぞ」


 その台詞に興味を取り戻し、リオは人垣の最後尾にいる男の肩を叩いた。

 男は不愉快そうに振り向き、ギョッとした顔で後退る。

 連鎖的に人々がリオに道を譲り、道が生まれる。

 その先では薄汚れた身なりの少女が二人の兵士に蹴られていた。

 少女は十五歳くらいだろうか。

 ダークブラウンの髪は短く、肌は浅黒い。

 目付きは藪睨み気味で……全く憐憫の情が湧き上がってこない。


「やあ、真面目に仕事をしている最中に申し訳ないんだけれど、そのを引き取らせてくれないかな?」

「……り、リオ、ケイロン伯爵」


 気さくに声を掛けると、二人の兵士は背筋を伸ばした。


「おや、動かないよ?」

「そ、それは」


 少女は俯せになって動かない。

 爪先で頭を小突いているが、返事がない。


「まあ、良いんだけどね。『翠にして流転を司る神』よ」


 リオが跪き、手を翳すと、翠の光が少女を包んだ。

 神威術『治癒』だ。

 光が収まると、少女は小さく呻いて顔を上げた。


「やあ、クロノの身内なんだって?」

「そ、そうだ。あたしはエラキス侯爵の身内だぞ」


 思いっきり目が泳いでいたので嘘だと分かるが、口実としては十分だろう。


「おやおや、そうなのかい? ボクはクロノの恋人でね。恋人の身内が殴られているようだから、助けに来たんだよ」

「……その女は、ヴェルナというスリです!」


 もう少し空気を読んで欲しいね、とリオは立ち上がり、剣の柄を握り締めた。


「けれど、クロノの身内だと名乗っているんだよ? もし、本当だったら、問題があるんじゃないのかな?」

「で……っ!」


 兵士がなおも言い募ろうとしたので、リオは一気に剣を抜いた。

 兵士は反応できない。

 リオは兵士の首筋に刃を宛がい、距離を詰める。


「聞き分けのない子は嫌いさ。不満があるのなら君達が真面目に仕事をしていたのか調べても良いんだよ?」

「……分かり、ました」


 後ろ暗い所があるのか、兵士はリオから視線を逸らした。


「立てるかい?」

「……ああ」


 リオが剣を鞘に収めながら言うと、ヴェルナは短く答えた。

 目が忙しなく動いているので、隙を見て逃げるつもりなのだろう。

 リオはヴェルナが立ち上がると同時に彼女の肩を叩いた。


「逃げたら殺すよ?」

「に、逃げねーよ!」


 リオが歩き出すと、ヴェルナは少し間を開けて付いて来た。

 しばらく歩き、


「何処まで付いて行けば良いんだよ」

「旧市街にあるクロノの家さ。正しくはクロフォード男爵の別宅と言うべきなのだろうけどね」


 リオは足を止め、ヴェルナを見つめた。


「……クロノの身内なんだろう?」

「お、おう!」


 ヴェルナはダラダラと滝のような汗を掻いていた。

 まあ、クロノに出会えば一発で嘘がばれてしまうのだから当然だ。


「あのよ。も、もしだぜ。もし、あたしが嘘を吐いていたら?」

「嘘を吐いたのかい?」

「『もし』の話だって言っただろーが! も、もし、あたしが嘘を吐いていたら、どうするんだ?」


 う~ん、とリオは唸る。


「多分、酷い死に方をすると思うよ。この世界に生まれたことを後悔するくらい。君が嘘を吐いていればの話だけどね」

「……じゃ、じゃあ、心配いらねーな」


 ヴェルナは引き攣った笑みを浮かべた。

 進むも地獄、退くも地獄だ。

 第四街区にあるクロノの屋敷に着くと、オルトと門の前で鉢合わせした。


「ケイロン伯爵ではありませんか」

「久しぶりだね。今日は……何か用事でも?」


 はい、とオルトは頷いた。


「クロノ様の領地経営も軌道に乗ってきたようなので、人を集めていたのですよ」

「クロノは……喜ぶだろうね」

「そうだと良いのですが、クロノ様の自負心を傷つけてしまわないかと」


 声も、表情も冷淡そのものだが、オルトなりにクロノを心配しているのだろう。


「ケイロン伯爵は、どのようなご用件で?」

「クロノの身内を連れてきたんだよ」


 ほぅ、とオルトはヴェルナを見つめ、目を細める。


「ヴェルナだったかな? オルトは彼女のことを知っているかい?」

「私はクロノ様の交友関係を全て把握しておりませんので」

「それは残念だね。実を言うと、ボクは仕事でエラキス侯爵領に行くことになるんだ。厚かましいお願いなんだけれど」

「分かりました。その時まで、このオルトが責任を以てヴェルナ様を預かりましょう」


 打てば響くとはこのことか。オルトは全てを察してくれたらしく恭しく一礼した。


「代わりと言っては何ですが、クロノ様の元に使用人を送る際に護衛を務めて頂きたいのですが?」

「タイミングが合えば喜んで」

「ええ、それで構いませんとも」


 リオはオルトと握手を交わした。



「……」

「おはよう、リオ殿」


 翌朝、屋敷の応接室に行くと、ブラッド・ハマル子爵が爽やかな笑みを浮かべて待っていた。

 実に、爽やかな笑みである。

 リオが準備を整えるまでに一時間近く待たされていたとは思えないほどに。


「何か用なのかい?」

「ピスケ伯爵からリオ殿と一緒にエラキス侯爵へ届け物をするように頼まれたんだよ」


 リオは腕を組み、ブラッドの顔を見つめた。

 当然のことだが、近衛騎士団長が士爵であることを示す証書を送り届けるのに出張る必要はない。


「それだけかい?」

「どうも、妹が失敗したみたいで」


 失敗? とリオは眉根を顰めた。

 お隣同士なんだから仲良くしましょう、と挨拶するだけで何を失敗するのだろう。


「大切な話をするのだから、私が出向くべきだったと思うんだよ。近衛騎士団長の立場を利用するようで申し訳ないと思うけれど」


 言葉から察するに、ブラッドはピスケ伯爵にエラキス侯爵領に行きたいと頼んだのだろう。


「ボクは構わないさ。出発は何日後にするんだい?」

明後日あさってはどうだろう?」


 荷造りだけならすぐに終わるけど、とリオは腕を組んだ。


「それで良いさ。他に誰かを連れて行く予定は?」

「私一人だよ」


 クロノと逢瀬を愉しむつもりだったので、リオも部下を連れて行くつもりはなかったのだが、護衛をしながらとなると、戦力に不安を覚える。

 気にしても仕方がないね、とリオは肩を竦めた。



「私の淑女よ、あれがハシェルだ」

「……ふぅ」


 愛おしそうに馬の首筋を撫でるブラッドを横目にリオは小さく溜息を吐いた。

 帝都アルフィルクを出発してから十日余り。

 途中でヴェルナが何度も逃げだそうとしたが、それ以外は大きなトラブルもなく順調な旅だった。

 公務なので、軍の施設を利用できたのも幸いした。

 もっとも、オルトが集めた使用人達まで軍の施設を利用できたのはリオとブラッドが近衛騎士団長だったからだが。

 オルトが集めた使用人は女ばかり五人……生まれは貧民、平民、没落貴族と異なっているが、全員が何らかの罪を犯していた。

 罪……まあ、罪なのだろう。

 誰かに陥れられたり、身を守るために上官を刺したり、誰かを庇ったりした結果だったとしてもだ。

 犯罪者の烙印を押された女を雇う職場などない。

 必然、彼女達は陽の当たらない世界に落ちていく。

 そこで手を差し伸べたら恩義に報いようとするだろう。

 新たな職場でまともに評価されれば命を賭して仕事を全うしようとするだろう。

 そこまで見越して選んだ人材なんだろうけど、とリオは彼女達の会話を思い出して苦笑いを浮かべた。

 時折、彼女達は一様に黙り込んで悲壮な表情を浮かべた。

 それは決まって話がクロノに及んだ時だ。

 クロノの評判は悪い。

 毎晩のように女をベッドに連れ込むだの、上官を陥れて領主に成り代わっただの、何処から漏れたのか神聖アルゴ王国との戦いで殺戮を行っただの、酷い言われようである。

 それにしても、他人の意外な一面が見られる物だね、とリオはもう一度だけ小さく溜息を吐いた。

 ブラッドは馬好きである。

 まあ、それは知っていたのだが……『私の淑女』と囁いた時にはドン引きした。

 恋する乙女のような目で甲斐甲斐しく馬糞を掃除する姿には戦慄さえ覚えた。

 思い返してみると、道中、ブラッドは馬の話ばかりしていたような気がする。

 半分以上聞き流して適当な返事をしていたのだが。

 ハシェルの門で簡単な手続きをして中に入ると、街は記憶にあるそれよりも賑わっていた。

 露店の数が目に見えて増えたし、心なしか、領民の着ている服も小綺麗になったような気がする。

 馬を進ませると、カーン、カーンという音が微かに聞こえた。

 徐々に大きくなり、ついでに甘ったるい匂いまで漂い始めた。

 侯爵邸の門を通り、リオは庭の半ばで馬から下りた。

 しばらく待っていると、侯爵邸の扉が開いた。


「リオ、どうしたの?」

「……クロノに帝都から届け物さ」


 馬車が止まるのと、ヴェルナが外に飛び出すのは同時だった。

 リオはヴェルナの首根っこを引っ掴み、クロノに突き出した。


「えっと、好きにしちゃって良いの?」

「クロノの身内と名乗っていたんだけれど、見覚えはないのかい? 見覚えがないのならボクが始末しておくよ」


 クロノは困惑したようにヴェルナを見つめた。


「いや、見覚えが」

「おーい!」


 ヴェルナはリオの手から逃れ、ダン! と地面を踏み締める。


「ば、馬鹿野郎! あたしの命が掛かってるんだから、しっかりと思い出せよ!」

「え?」

「不思議そうにするなよ! ほら、路地裏で会っただろ? ほらほら、お前のために泣いてやったじゃん?」


 ヴェルナは自分を指差し、必死にアピールする。


「……あ~、あの時の」

「そうだよ、そう!」

「倒れている僕から財布を盗もうとした!」

「あたしの涙を返せ!」


 諦めたのか、ヴェルナは力なく肩を落とした。


「結局、身内なのかい?」

「……身内じゃないけど、始末されちゃうのも」

「分かったよ。正直、ボク自身は口実の一つになれば良いと考えていただけだから、後始末はクロノに任せるさ」


 リオは優しくヴェルナの肩を叩いた。


「……エラキス侯爵」


 ブラッドは馬から下り、クロノに静かに歩み寄る。


「リオ、誰?」

「第五近衛騎士団団長のブラッド・ハマル子爵さ」


 クロノは頷き、ブラッドと握手を交わした。


「先日は馬をありがとうございます」

「いえ、私の方こそ……妹が無礼を働かなかったでしょうか?」


 クロノは爽やかな笑みを浮かべた。

 それが答えだった。


「挨拶はそれくらいにして、彼女達を放っておく訳にもいかないだろ?」


 肩越しに見ると、女達が馬車から降りる所だった。


「彼女達も?」

「彼女達はオルトから預かったんだよ。領地経営が大変だろうから、と言われてね」


 そっか、とクロノは感極まったように瞳を潤ませた。

 どうやら、オルトの心配は杞憂に過ぎなかったようだ。



 侯爵邸の客室に案内された後、リオは湯浴みを希望した。

 軍の施設を利用できたとは言え、自分の特殊性……それを上手く隠してくれる副官の不在を考えると、部屋で体を拭くのが精々だったのだ。

 リオは執務室の机に士爵位を授けられたことを示す証書を並べた。

 去年の五月に神聖アルゴ王国が侵攻してきた分を含めて八枚ある。

 こんな羊皮紙一枚で騎士として扱われる。

 帝国において騎士は書面で成立してしまう薄っぺらい存在なのだ。

 クロノは慎重に羊皮紙を箱に収める。

 自分で用意したのだろう。

 証書の十倍は手間が掛かっていそうな箱だ。


「クロノには新しい軍服が支給されているよ」

「そう言えば騎士団長になったんだよね」


 リオが服の入った箱を置くと、クロノは期待に瞳を輝かせながら箱を開き、すぐに閉じた。

 もう一度、箱を開き、クロノは軍服を手に取る。

 色は黒だ。

 今までクロノが着ていた軍服よりも生地は上等になっているし、細かな意匠も異なっているが、前から見ても、後ろから見ても、横から見ても色は黒だった。


「こ、これは何かの嫌がらせ?」

「ボクに聞かれても困るさ」


 本当に困るのだ。

 理由はアルフォートが勝手に決めたからだとか、新貴族だからとか幾らでも付けられそうだが。


「クロノは近衛騎士に憧れてたのかい?」

「そうじゃないけど、そうじゃないけどさ」


 あんまりと言えばあんまりな仕打ちである。


「『漆黒にして混沌を司る女神』の色と思えば良いんじゃないかな。あの女神様は娼婦や亜人まで手広く守護しているからね」

「僕は六柱神を信仰してないんだけど?」

「そういう伝承に乗っかるのも『手』ということさ」


 第十三近衛騎士団の団長でありながら漆黒の軍服に身を包む。

 出自を問わず、重用するとなれば有能な人材が集まるだろう。


「その『手』を使ったら、神殿を建てたり、寄付をしなきゃならないし」

「必要経費さ」


 う~ん、とクロノは唸る。

 どうやら、クロノは風評に説得力を持たせるために寄付金を出したくないようだ。


「……考えておくよ」


 クロノは新しい軍服を収め、箱を閉じた。


「これでボクの用は終わりさ。これから、どうだい?」

「まだ、お天道様が高い位置にあるんだけど?」

「健康的で良いじゃないか」


 何気にクロノも質問を質問で返すね。

 まあ、確かに昼間からそういうことをするのは健康的じゃないね、とリオは自分の台詞を心の中で否定する。


「それにティリアが」

「うん?」


 クロノが視線を向けた方を見ると、扉の隙間からティリア皇女がリオを見ていた。

 ドカン! と扉が荒々しく開いた。


「リオ・ケイロン伯爵、勝負だ! お前に勝つために私は耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、剣術と神威術の腕を磨いてきた!」


 ティリア皇女は剣を抜き、切っ先をリオに向けた。


「どうして、ボクはティリア皇女に恨まれているんだろうね?」

「踏んづけたからじゃない?」


 目配せすると、クロノは真顔で答えた。


「残念だけれど、ボクには戦う理由がないさ」

「……お前はクロノと逢瀬を愉しむつもりだろうが、残念ながら今夜の夜伽は私だ!」


 ティリア皇女は意味もなく胸を張った。


「じゃあ、ボクは明日で良いさ」

「それは不可能だ」

「不可能なのかい?」


 自信満々でティリア皇女が言い放ったので、リオはクロノを見つめた。


「今日の夜、ティリアを凌げるかによるかな?」


 口調から察するに凌げると、凌げないが半々と言った所か。


「ボクとしては争いを避けたかったのだけれど、順番を奪われて歯噛みするティリア皇女の姿を思い浮かべながらするのも悪くないね」

「ふふふ、私を今までの私と思うな」


 流石に執務室では戦えないので、練兵場に移動する。

 何故か、ティリア皇女が先頭、次にリオ、最後尾にクロノという順番だ。


「エリルはどうしたんだい?」

「最近は部屋に引き籠もって本を読んでるよ」


 ティリア皇女の監視役なんてのはエリルを近衛騎士団から追い出す口実のようなものだし、問題はないだろう。

 クロノが指示……両手を合わせると、練兵場にいた兵士達が端の方に移動する。


「さあ、尋常に勝負だ!」

「ボクは弓の方が得意なんだけれどね」


 リオは剣を抜き、十メートルほどの距離を置いてティリア皇女と対峙する。

 ティリア皇女は刺突、リオは無形……自然体で立つ。

 多少は腕を上げたようだ、とリオはティリア皇女を見据えた。

 白い光がティリア皇女の体を包む。

 神威術『神衣』。

 恐らく、『活性』も利用している。

 リオも神威術『神衣』を発動させる。


「始め!」


 クロノが開始を宣言すると同時にティリア皇女が地面を蹴った。

 土埃が舞い上がり、瞬時にトップスピードまで加速する。

 リオは重心を移動させ、倒れる要領でティリア皇女の刺突を躱し、風の刃を放つ。

 しかし、加減していたこともあり、風の刃はティリア皇女の体を包む白い光に阻まれて霧散した。

 もう少し距離を取れれば神器を召喚できるんだけどね、とリオは刺突を放ち終えて無防備な背中を晒すティリア皇女に剣を突き出す。

 だが、リオの剣は空を切った。

 ティリア皇女は地面を蹴り、前方に跳躍することでリオの攻撃を躱したのだ。

 跳躍する余力は残していた訳か。

 いや、次を考えるようになったのかな? とリオが思考している間に、ティリア皇女は反転して間合いを詰める。

 神威術『神衣』、『活性』……風景が溶ける。

 自分自身でさえ周囲の状況を視認できなくなるような超スピード。

 視認できないだけだ。

 聴覚で、嗅覚で、触覚で、交感する『翠にして流転を司る神』によって視覚以外の全てをリオは認識している。

 ティリア皇女の背後に回り、再び剣を突き出す。

 だが、これは読まれていたのか、ティリア皇女は流れるような動作で反転、ギィィン! という耳障りな音と共に互いの剣が弾かれる。

 リオは距離を取るために跳躍しようと体を沈ませるのと、ティリア皇女が踏み出すのは同時。

 一瞬、本当に一瞬だ。

 リオは呆気に取られた。

 こともあろうにティリア皇女は拳を振り下ろしたのだ。

 チッ! とティリア皇女の拳がリオの軍服を掠める。

 それだけだ。

 リオは飛び退り、ティリア皇女から十分な距離を取る。


「……鈍ったんじゃないのか?」

「そういう台詞は不思議そうに拳を見ながら言うもんじゃないよ」


 ティリア皇女はリオを捉えたと確信していたに違いない。

 だが、ティリア皇女の拳はリオの軍服を掠めただけだ。

 だから、ティリア皇女は不思議そうに拳を見つめた。

 どうやら、小細工はバレていないらしい。


「多少は、成長しているね」

「ふん、当然だ」


 ティリア皇女は偉そうに胸を張った。


「あの時、足蹴にされた恨みを今こそ晴らしてみせる」

「クロノを寝取られた恨みじゃないのかな?」


 ティリア皇女は答えず、地面を蹴った。

 一瞬で間合いを詰め、反撃の糸口さえ掴ませないとばかりに斬撃を繰り出す。

 どれほどの研鑽をエラキス侯爵領に来てから積んだのかを示すかのような攻撃だ。

 根っこにあるのが、足蹴にされ、片想いの相手を寝取られた恨みというのが情けないが。

 ティリア皇女の攻撃が鈍る。

 これだけ攻撃させてやっているのだ。

 小細工の正体にまで気づかずとも違和感は覚えているはずだ。

 リオが大きく後方に跳躍すると、ティリア皇女はその場に留まり、


「伸びろ!」


 突きを放つ。

 あの時、フェイがしたように剣から光が伸びる。

 神威術『祝聖刃』にはこういう使い方もある。

 だが、光の刃は空を切った。

 いや、ティリア皇女の突きは確かにリオを貫いた。

 ただし、それはリオが神威術で生み出した虚像に過ぎない。


「な、なん……っ!」

「驚いちゃダメさ」


 リオは弓を構え、弦を引く。

 実際は弓など存在しない。

 リオが弦を引く動作に合わせるように弓……神器が顕現する。


「神器……召喚!」


 矢を解き放つ。

 翠の光がティリア皇女に押し寄せる。


「ぐ、ぐ……神よ!」


 ティリア皇女は神威術『聖盾せいじゅん』を展開するが、光の奔流に押し流されないようにするだけで精一杯だ。


「悪いけど、手加減はなしさ!」


 第二矢を放つ。

聖盾せいじゅん』が砕け散り、ティリア皇女が吹き飛ぶ。

 そのまま、ティリア皇女は背中から地面に叩きつけられ、二転三転……ズザーッと一筋の線を地面に残して止まった。


「ぐぬぬぬ、一度ならず、二度までも」

「信じられない頑丈さだね」


 リオは悔しそうに歯噛みするティリア皇女を遠慮なく嘲笑した。

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