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第3話『騎士達の宴』修正版


 降って湧いたような幸せを享受できるのは何の疑いもなく神を信じられるような人間だけだ、とリオは思う。

 普通は疑う。

 本物なのか、偽物なのか、すぐに消えてしまうものなのか、ずっと続くものなのかを疑う。

 それから受け容れるのが普通だ。

 だが、一部の人間はそれを執拗に疑う。

 結果、幸せだったものは残骸になる。

 幸せの残骸を見下ろし、自分の愚かさを呪い、後悔しながら、それでいて深い安堵を抱く。

 救いようがない。

 信じられないのだ。

 幸せのイメージはあっても、自分が幸せになれるなんて信じられない。

 幸せは自分とは無縁の物だ。

 そんなものが簡単に手に入れられるのなら、今までの人生は何だったのか。

 きっと、都合の良い夢を見ているだけだ。

 本当の不幸は持たざる者が何かの間違いで得てしまうことだ。

 少なくともリオ・ケイロンはそう思う。


「まあ、幸せな悩みと言うんだろうけどね」


 リオが長々とした考察を終えると、副官はタイミングを見計らっていたかのように箱馬車の扉を開けた。

 副官とは長い付き合いだ。

 元々、彼はケイロン伯爵家に仕えていた。

 それ以前の経歴は知らないし、興味もないが、士爵位を持っている点を鑑みるに騎士として戦場に立っていたことは間違いない。

 古いタイプの騎士であるが故に融通が利かず、リオの父親とは折り合いが悪かった。

 ただ、リオは彼の融通の利かない性格を好んでいた。

 リオは騎士団長になると、彼を副官として迎えた。

 彼がいなければリオはとっくに騎士団長を罷免されていただろう。

 リオは箱馬車から降り、全身の凝りを解すために背伸びする。


「……坊ちゃま、宜しかったのですか?」

「去年と違って着飾る必要がないからね」


 リオは欠伸を噛み殺しつつ、副官に答えた。


「それにしても、アルデミラン宮殿に来るのも久しぶりなような気がするね」


 帝都アルフィルクの郊外にあるアルデラミン宮殿は病的なまでに対称性を追求した建物である。

 最後に来たのはラマル五世の葬儀の時だっただろうか。

 どちらかと言えば舞踏会の方が記憶に残っているし、近衛騎士団長であるリオにとっては年に一、二回行われる宴の会場という印象が強い。

 適当な口実を設けてサボりたかったんだけどね、とリオは旧城館に向かう。


「やあ、開けてくれないかな?」

「「ハッ、リオ・ケイロン伯爵!」」


 練習でもしたのか、扉の両脇に立つ近衛騎士は全く同じタイミングで返事をし、一糸乱れぬ動きで扉を開けた。

 旧城館を抜け、宴の会場となっている東館の扉を開けると、深い哀愁を帯びた音色がリオを迎えた。

 立食形式で料理を食べ、醜態を晒さない程度に酒を飲み、歓談に耽るというのがこの宴のあるべき姿だ。

 残念ながら現実は違う。

 近衛騎士団長は歴史ある名家の出身者が多く、その分、しがらみも多い。

 子どもの結婚相手を探すのはあからさますぎるにしても孤立しない程度に付き合いを維持しなければならない。

 そして、この宴は近衛騎士団長に同行する騎士にとって別の意味を持つ。

 家格の低い近衛騎士にとって名家出身の貴族に自分を売り込む絶好の機会なのだ。

 そんな状況でもリオに近づく近衛騎士は少ない。

 同僚を刻み殺した件が尾を引いているのは間違いないが、クロノと付き合っていることも少なからず影響しているはずだ。

 自分を売り込むためでもホられたくないと言うことである。

 もっとも、特殊な嗜好の持ち主がリオに近づく前に副官に撃沈されるのがオチだったりするのだが。

 この鉄壁の防御を擦り抜けられるのは限られた人間……リオと同格である近衛騎士団長だけになる。

 まず、第一近衛騎士団のレオンハルトだ。

 彼はリオと目が合うなり、一直線に近づいて来た。

 最短距離を移動できるのは近衛騎士がレオンハルトを避けるからだ。

 心情としてはパラティウム家と懇意にしておきたいが、『聖騎士』と呼ばれるレオンハルトに自分を売り込むのは気後れすると言った所か。


「……今日はドレスを着てこなかったのかね?」


 去年、リオはドレス姿で宴に参加したのだが、レオンハルトはそのことを言っているのだろう。

 今、リオが着ているのは白の軍礼服だ。


「これでも、ボクは身持ちが堅い方なのさ」


 うん? とレオンハルトは怪訝そうに片眉を上げる。


「恋人がいるのに他の男に色目を使う訳にはいかないじゃないか」

「それは何よりだ。近衛騎士団長同士の修羅場など見たくないのでね」


 レオンハルトは一瞬だけ目を泳がせ、取り繕うように言った。


「クロノが来るのなら着飾ってエスコートしたんだけどね」

「残念だが、彼には休息が必要だ。神聖アルゴ王国、南辺境と帝国のために働きづめなのでね」


 確かに休息が必要だ。

 クロノは弱いくせに無謀すぎる。

 今回も危うく死ぬ所だった。

 クロノの気持ちは分からないでもない。

 けれど、もう少し自分の命を大切にして欲しい、とリオは思う。


「やあ、二人とも何を話しているんだい?」

「友人の話題で盛り上がっていた所さ、ハマル子爵」


 どうして、彼が話し掛けてくるんだろう? とリオはハマル子爵に答えた。

 第五近衛騎士団団長ブラッド・ハマル子爵……その血生臭い名前に反して柔和な顔立ちの青年だ。

 気性も穏やかで、戦う姿がイメージしにくい人物でもある。

 第五近衛騎士団は騎兵を主として構築された大隊だ。

 戦時は重装騎兵としての活躍を期待されているが、平時は軽騎兵として機動力を活かし、帝都アリフィルクと自由都市国家群を繋ぐ街道の警備を務めている。

 ブラッドは剣術を得意としないが、騎兵としての技量はケフェウス帝国一である。

 人馬一体という言葉は彼のためにあるのではないかと思うほどだ。


「子爵は止めて欲しいな。家督を継いだばかりだし、近衛騎士の仕事を優先しているせいで領地に戻れていないんだ。実際、領地運営は父に任せきりになっているから、名ばかりの子爵だよ」


 ブラッドは溜息混じりに言った。


「私は領地で馬の世話をして過ごしたいんだけどね」


 領主として働きたい、と言わない所にブラッドの性格が表れている。

 彼は馬が好きなのだ。

 ハマル子爵家の人間は馬に魅せられる者が多く、ハマル子爵領は良馬の産地として有名である。


「お父上が健在なのは良いことさ」

「そ、そうかい?」


 ブラッドは微妙な表情で答えた。

 リオと両親の関係が悪いと知っているからこその表情である。


「え、えっと、二人の友人はエラキス侯爵のことかい?」

「ボクの恋人でもあるね」


 リオが即答すると、ブラッドは盛大に目を泳がせた。

 どうやら、レオンハルトに比べて機転が利かないようだ。

 変だな、とリオは思う。リオがクロノと付き合っていることも、レオンハルトがクロノと親しいことも有名な話で、ブラッドが知らないはずないのだが。


「その、あまり気にすることじゃないんだけれど……最近、ああ、本当に最近のことなんだけれど、うちの領地を通る商人が減っているんだ」


 何か、知らないかい? とでも言うようにブラッドは伏せ目がちにリオとレオンハルトを見つめた。

 ああ、なるほどね、とリオはブラッドが話し掛けてきた理由をようやく理解した。

 ハマル子爵領はクロノの領地の東に位置している。

 ブラッドはクロノのせいで自分の領地を通る商人が減ったと考え、探りを入れに来たのだ。

 具体的な人数こそ告げていないが、わざわざ探りを入れに来るくらいだから、かなり減っているのだろう。


「そう言えば……港を造っていると聞いた記憶があるね」

「それは知っているけど」


 ブラッドの言い分は分かる。

 港が出来たくらいで領地を通る商人の数が目に見えて減ると思えないのだろう。


「……他にも何か言ってたような気がするんだけれど」

「思い出してくれないかな?」

「確か、商売を始めたとか、出資して組合を作ったみたいなことを言ってたかな」


 この世界初のカブシキガイシャだとか、公共事業をガンガンするとか、領民が通える学校を作るとか、他にも色々言っていたような気もする。


「クロノ殿のことだから、誰でも港を使えるようにしたのではないかね?」

「そりゃあ、商人達が飛び付くはずさ」


 誰でも港が使えるのなら、利に聡い商人がわざわざ通行税を払ってハマル子爵領を通るはずない。

 顔色を窺うと、ブラッドの顔は目に見えて青ざめていた。

 これから領地の税収が激減すると聞かされれば誰でも、もとい、真面目に領地のことを考えている貴族はこうなる。


「税収の低下が避けられないとしても次善の策を取ることは出来るだろう」

「どうすれば?」

「簡単さ。通行税を廃止すれば良いのさ」


 リオが言うと、レオンハルトはその通りと言わんばかりに頷き、ブラッドは目眩でも起こしたように後退った。


「けれど、エラキス侯爵領から出る時に税金を掛けられたら意味がないじゃないか」

「クロノ殿は律儀な男なのでね。互いの領地を通る荷に税金を掛けないと約束すれば可能な限り守るだろう」


 自由都市国家群からハマル子爵領の間にある領地を治める貴族全員と足並みを揃えることは難しい。

 通行税を取らなかったり、減らしたりすることが巡り巡って自分の利益を守ることに繋がると理屈で分かっていたとしても一人が裏切ればそれでお終いだ。

 それに比べればクロノ一人と約束をして新しい交易路を開拓する方が現実的だ。


「……少し考えてみるよ」


 贈り物なら馬だな、とブラッドは呟き、バルコニーの方へ向かった。


「ふむ、ブラッド殿の選ぶ馬ならばクロノ殿も満足するだろう」

「乗馬が苦手な人間が馬を贈られても困ると思うけれどね」


 レオンハルトは驚いたように目を見開き、リオを見つめた。


「……クロノ殿は」

「クロノは乗馬が苦手なのさ」


 ブラッドは馬の扱いだけではなく、馬の目利きも帝国一である。

 彼が最高の馬を贈るのは間違いないが、クロノが馬の価値を理解できない可能性がある。


「私がブラッド殿に伝えよう」

「そこまでする必要はないと思うけれどね」

「性分だよ、これは」


 レオンハルトがバルコニーに向かって歩き始めた途端、一人の少女が猛烈な勢いでタックルを見舞う。


「レオンハルト様♪」

「ふむ、アイナ殿か」


 レオンハルトは少女……アイナを受け止め、ワシワシと頭を撫でた。

 不意打ちではない。

 レオンハルトに不意打ちできるのは全盛期の無音殺人術サイレント・キリングマイラくらいなものだ。

 つまり、レオンハルトはその少女が近づいているのを承知の上で避けなかったのだ。


「あらあら、アイナ。レオンハルト様にご迷惑ですよ」


 ゆっくりとしたペースで柔和な笑みを浮かべた女性がレオンハルトに歩み寄る。


「ナム・コルヌ女男爵。お久しぶりです」

「ええ、久しぶりですね」


 第十近衛騎士団団長、ナム・コルヌ女男爵は軽く首を傾げて笑みを深める。

 腰まである長い金髪は緩やかにウェーブし、内側に跳ねた横髪が細い輪郭を縁取っている。

 瞳は黒に近い青だ。

 色気のない神官服に包まれた肢体は肉感的、顔立ちはどちらかと言えば幼く、垂れ目がちである。

 年齢は三十代後半のはずだが、どう見ても二十代にしか見えない。

 彼女が若々しさを保っているのは神と深く交感しすぎてしまったために『老化』を剥ぎ取られたからだと噂されているが、真偽は定かではない。

 ナム・コルヌ女男爵は『蒼にして生命を司る女神』の神官であり、帝都アルフィルクの西にあるカイ皇帝直轄領の守護を務めている。

 カイ皇帝直轄領は『蒼にして生命を司る女神』の信仰が盛んな土地であり、それも彼女の任地として選ばれた理由だろう。

 帝国は神殿が政治に介入することを認めていないが、政治に利用することまでは禁止していないのだ。

 アイナは十五歳、本当にナムの娘か疑うほど痩せぎすな体格をしている。

 金髪を肩の辺りで切り揃えていて、母親と同じ色の瞳は無邪気な光を宿している。

 彼女は近衛騎士ではないのだが、レオンハルトに片想いしていて、宴に頻繁に顔を出している。

 まあ、アイナをレオンハルトに嫁がせたいという母親ナムの思惑もあるのだろうが。


「レオンハルト様♪ 今度、レオンハルト様のお屋敷に遊びに行きたいです♪」

「それは嬉しい申し出なのだが、宴が終われば任地に戻らなければならないのでね」


 え~、とアイナは不満そうに唇を尖らせる。

 ちなみにレオンハルトの任地は帝都から馬車で半日ほどの距離にあるユスティア城とその周辺である。


「アイナ、無茶を言ってはいけませんよ」

「じゃあ、いつ頃なら会って頂けます?」


 娘を窘めているようで、その実、ナムは娘の味方だ。

 レオンハルトが女性を邪険に扱えないと知っての小芝居である。

 そろそろかな、とリオは歩み出る。


「ブラッド殿に大切な話があったんじゃないかな?」

「レオンハルト様、本当ですか?」


 リオが言うと、アイナは今にも泣き出しそうな表情を浮かべた。


「大切な話があるのならば仕方がありませんね」


 だが、ナムは潔く退くことを選んだようだ。


「……この埋め合わせは、いずれ」


 黙って立ち去ればいいのに、とリオは苦笑いを浮かべてレオンハルトを見送った。



 レオンハルトと別れると、いよいよ本格的に独りぼっちである。

 以前はドレスを着たり、奇矯な振る舞いを愉しんでいたものだが……、


「まあ、これも贅沢な悩みなんだろうね」


 人の温もりを知ってしまうと独りぼっちの辛さもひとしおだ。

 リオは壁際でワインを傾けつつ、宴の様子を眺める。


「……坊ちゃま」

「何か用かい?」


 いつからいたのか、それとも、最初からリオの近くにいたのか、副官は囁くような声音で告げる。


「第八近衛騎士団のフィリップなる者が挨拶にいらっしゃいましたが」

「当然、断ったんだろうね?」

「もちろんですとも」


 リオは壁に背を預け、会場の中央……第八近衛騎士団の団長であるルーカス・レサト伯爵に視線を向ける。

 そこにあるのは巨大な肉塊だ。

 これが筋肉であれば見栄えがするのだが、贅肉の塊なのである。

 近くにいると臭いし、話せばプピ~と変な音がする。

 髪は薄く、いつも濡れたように光っている。

 年齢は五十を数えたばかりだが、近い将来、健康を害して死にそうな感じがする。

 見た目ばかりではなく、中身も救いようがない。

 ルーカス・レサト伯爵は公然と賄賂を受け取るのだ。

 だから、ルーカス・レサト伯爵が率いる第八近衛騎士団は弱い上に規律を守らないと評価されている。

 何故、そんな人物が騎士団長を務めているかと言えば賄賂とそれで培った人脈のお陰である。

 帝都アルフィルクの南西にある鉱山都市キンザの守護を長く務めているのに不祥事を起こしていないのが不思議と言えば不思議だ。


「おお、リオ殿」

「エルナト伯爵、久しぶりだね」


 ワイングラスを片手に近づいてきたのはミノタウルスもかくやと言う大男……エルナト伯爵である。

 エルナト伯爵は神聖アルゴ王国と講和条約を締結した今もノウジ皇帝直轄領の守護を務めている。


「フォフォフォ、儂には挨拶がないんかの?」

「やあ、爺さん。まだ、生きてたのかい?」


 呵々と笑い、爺さんことラルフ・リブラ伯爵は白い髭をしごいた。

 痩身矮躯、頭は禿げ上がっていてその分を補おうとするかのように眉と髭が長い。

 ラルフ・リブラ伯爵は内戦期に帝国軍の軍師を務めていた人物で、今は第七近衛騎士団の団長を務めている。

 軍師としての評価は芳しくないが、当時の帝国軍を瓦解させなかったのだから、決して無能ではない。

 今は帝都アルフィルク周辺の警備を担当している。

 実力はあるものの、世間的に評価の低い人物を厚遇する訳にもいかず、さりとて蔑ろにする訳にもいかないという微妙な立ち位置である。


「リオ殿には迷惑を掛けてしまいましたな」

「これでも、ボクは尽くすタイプだからね。礼は要らないさ」


 エルナト伯爵が言っているのは蛮族……ルー族を恭順させた後、根回しにリオが協力した件だ。

 レオンハルトとエルナト伯爵だけでも十分だったと思うのだが、リオもそれとなく協力したのである。


「陛下が亡くなられてから宮中は騒がしいと聞くでな」

「おや、爺さんの耳は歳を取っても遠くならないんだね」


 あの根回しは爺さんの入れ知恵かな。

 大した戦力じゃなかったけど、内戦で痛い目に遭っているエルナト伯爵と爺さんは不安要素を摘んでおきたかったんだろうね。

 いや、宮中が騒がしいとか聞いてもいないことを言ってたから、本格的にゴタゴタが始まる前に一つでも問題を片付けようとしたのかな、とリオは目を細めた。


「このまま往生したかったんじゃが、帝国が騒がしいとなればそうもいかん」

「へぇ、爺さんは自分の死期を調整できるのかい?」

「儂くらいになれば朝飯前よ」


 リオが軽口を叩くと、ラルフは歯を剥き出して笑った。


「それにしてもエリル嬢ちゃんは来ておらんのかの? 第三のアルヘナや第四のロイ、第六のネージュも来てないようじゃが?」

「エリルはクロノの所だよ。アルヘナとロイは知らないけど、ネージュは気分が滅入っているんじゃないかな?」


 面倒臭いヤツらだからいなくても良いさ、とリオが心の中で付け足した瞬間、ワイングラスの砕ける音が響いた。


「……俺に喧嘩を売ってやがるのか?」

「さて、私には貴方が喧嘩を売ってきたように見えましたが?」


 赤髪を逆立てた青年……第四近衛騎士団団長のロイが言うと、眼鏡を掛けた青年……第三近衛騎士団団長のアルヘナは穏やかとも取れる笑みを浮かべていった。

 二人とも背が高く、筋肉質でありながら細身だ。

 似通った体格ながら分が悪いのは第四近衛騎士団団長のロイだ。

 ロイは槍での戦いを得意としている。

 もちろん、素手でも強いが、素手ならばアルヘナの方が強い。

 リオが面倒臭いと思うのは二人とも会えば喧嘩をするくせにすぐに仲直りして酒を酌み交わし、仲良くしたかと思えば再び殴り合いを始める所である。


「二人とも今日は親睦を深めるための宴なのだがね」


 ブラッドに忠告を終えたのか、レオンハルトが二人の間に割って入る。

 一対一ではレオンハルト、二対一ならばロイとアルヘナに軍配が上がる。


「じゃれ合いにまで口を挟むんだから、ホントにお人好しだね」

「あれがレオンハルト殿のありようなんじゃろ、儂はマネしたいとは思わんが。もう一人お人好しが参加すれば何とかなるじゃろ」


 もう一人のお人好しと揶揄されたエルナト伯爵はロイとアルヘナの襟を掴み、軽々と持ち上げた。


「気持ちは分からんでもない。ワシも若い頃は血気盛んだった。だが、将たる者が軽々に拳を振るうなどあってはならん」


 エルナト伯爵が笑みを浮かべると、流石のロイとアルヘナも毒気を抜かれたのか、大人しくなる。

 レオンハルトは無言でエルナト伯爵に敬礼する。

 良くできた芝居のようだ、と思う。


「これで近衛騎士団長は勢揃いって感じだね」

「エリル・サルドメリク子爵とネージュ・ヒアデス伯爵を除けばな。ピスケ伯爵もおらんかったな。もう以前の面子で顔を合わせる機会は巡ってこないかも知れんな」

「エリルは難しいだろうね」


 元々、エリルは平民出身だ。

 家督を継いだと言ってもサルドメリク子爵家は宮廷学者の家系で大した財産もない。

 そもそも、軍学校に在籍していたことさえないのに第十一近衛騎士団を率いていた方が無茶である。

 その無茶を通していたのはラマル五世であり、ラマル五世が崩御した今となっては騎士団長を罷免されるのも時間の問題だ。


「……才能を見出されて養女になった。それが本当なら大した話さ」


 少し調べればエリルの素性は見えてくる、それも残酷なほどに。

 エリルは養女として迎えられた。

 だが、養女として迎えられ、家督を継いだのならば、家族を引き取ることも可能なはずである。

 何故、それをしないのか。

 答えは簡単だ。

 エリルは家族に売られたのだ。

 新しい魔術を試す実験動物として。


「少し気になって調べたんだよ。魔術制御の仮想人格に、人為的な属性の付加……酷い話さ。更に救いようがないのはそこまでした当人が実験動物の才能に嫉妬して命を断っているんだから、目も当てられないね」


 実験動物で済んでいたのか、済んでいなかったから、家族の元に戻れなかったのか、とにかくエリルは帰る場所を失った。


「……人の不幸を楽しそうに語るの、お主は」

「いやいや、それなりに同情はしているさ」


 ラマル五世はエリルを守ろうとしたのだろう。

 皇帝陛下のお気に入りともなれば余計な詮索はされない。

 だが、


「本当はどうなのかな? もしかしたら、陛下が望んだのかも知れないね。あるいはそうと知らずに認めてしまったか」


 自分の想像は大きく外れていないだろう、とリオは思う。

 何もかも奪われて、その代償に得た第十一近衛騎士団団長の地位さえ近い将来に失う。

 残るのは、ボロボロの袋と貴族の地位だけだ。


「……利用されるばかりの人生か。吐き気がするね」

「そうと決まった訳じゃなかろう」

「今のままなら利用されて終わりさ」


 クロノの所にいれば最悪の事態だけは回避できるだろうけど、とリオはワイングラスを傾ける。

 だが、リオが興味を持っているのはその先だ。

 降って湧いた幸運を受け容れるのか、否定して壊してしまうのか、それとも、自分の意思で幸せになろうとするのか、興味は尽きない。


「でも、まあ、祈ってあげても良いかな? どうか、あの娘に六柱神の加護がありますように」


 リオは軽くワイングラスを掲げ、空になったそれをテーブルに置いた。

 まるでそれを合図としたかのように静寂が舞い降りる。

 演奏が止まったのだ。

 わずかな……明らかに意図的な静寂の後、奏でられるのは勇壮な調べだ。

 強く、強く、士気を鼓舞するように強い音。

 その中を次期皇帝アルフォートは胸を張って歩む。

 母親であるファーナ、ピスケ伯爵が続き、皇軍長、財務長、尚書長、宮内長が続く。

 だが、アルコル宰相の姿はない。

 最悪に近い悪手だね、とリオは笑いを堪えるのに必死だった。

 アルフォートにしてみれば仲間外れにした程度の気持ちなのだろうが、アルコル宰相と折り合いが悪いと喧伝しているようなものだ。

 近衛騎士は当然、他の貴族もアルフォートに取り入ろうとするだろう。

 その後は権力争いが待っている。

 本当にラマル五世は名君だったのかも知れない。

 ラマル五世はアルコル宰相に全権を委ねることで派閥抗争を抑制していた。

 行政機構が外からの影響を受けるようになれば今の機能を維持しにくくなる。

 アルフォートは豪奢なマントを引きずるように近衛騎士団の前に立つと、引き攣った笑みを浮かべた。


「……よ、余にちゅ、忠誠を捧げる近衛騎士と出会えたこと嬉しく思う」


 誓ってないけどね、とリオは心の中で突っ込んだ。

 リオが忠誠を誓っているのはあくまで帝国に対してだ。

 ティリア皇女やアルフォートに忠誠を誓うつもりはない。


「先日、よ、余は、第十三近衛騎士団を設立した。団長に任命した、エラキス侯爵は領地で療養中だが」


 ざわめきが起きる。

 クロノは新貴族だ。

 爵位こそ高いが、貴族としては格が低い方である。

 アルフォートが格に関係なく能力のある者を重用すると取るか、独断で決めてしまう暗君と取るかは判断が分かれる。


「ぴ、ピスケ伯爵?」

「ハッ、我が剣、我が鎧は殿下の御為に!」


 私に振るな! とそんな心の声が聞こえそうなほど自棄っぱち気味にピスケ伯爵は叫んだ。

 ピスケ伯爵は弱所を見つける能力に長けている。

 つまり、それは彼我の能力を正確に計れるということである。

 アルフォートに与すればそれなりに美味い汁を吸えるだろうが、厄介な状況に追い込まれるのは確実だ。

 その厄介な状況を自分で何とかできるとピスケ伯爵は思っていない。

 かと言って、アルフォートから離れることもできない。

 裏切られたと判断されれば何をされるか分からないからだ。


「よ、余は……帝国を素晴らしい国にしたい。皆の者、きょ、協力してくれるか?」


 真っ平御免♪ と思いながらも、リオは片膝を突いた。

 クロノのために破滅するのは良いが、子どもの癇癪に巻き込まれて部下共々死ぬのは嫌だ。

 クロノの方が馬鹿っぽいけれど、説得力があるよね、とリオは笑いを噛み殺す。

 港を造って収入を増やすよ、それを元手に学校を作るよ、公共事業をガンガンやるよ、亜人の地位を向上させるよ、と。



 殿下、殿下、とアルフォートは近衛騎士に囲まれていた。

 そんな連中にちやほやされて嬉しいのかと思ったが、アルフォートは嬉しそうだ。


「……あんなのにちやほやされて嬉しいのかしら?」

「そういう質問をボクに振らないで欲しいね」


 ファーナに問い掛けられ、リオは軽く肩を竦めた。


「何だか、面倒臭そうなことになっているね」

「面倒臭そうじゃなくて、面倒臭いのよ」


 ファーナは今の状況を好ましいと思っていないらしく吐き捨てるように言った。


「あの子は調子に乗っているし、誰も窘めてくれないんだもの」

「そういうのは母親の仕事じゃないかな?」

「ちゃんと窘めてるわよ」


 ファーナは少しだけ不満そうに言った。


「貴方はどう思う?」

「アルコル宰相とは仲良くするべきだったと思うけれどね」

「そうよね」


 アルフォートは最悪に近い悪手を打ったが、アルコル宰相には手が残されている。

 ティリア皇女を返り咲かせるのだ。

 ほぼ確実に処罰されるだろうが、政治力を駆使して生き延び、影響力を残しつつ、勇退というのがアルコル宰相にとって理想的な流れだ。


「少しでも余地があるのなら努力すべきさ」

「もちろん、その努力はしているわ。ピスケ伯爵もね」


 どうやら、ピスケ伯爵はアルフォートとアルコル宰相の関係を修繕しようと考えているようだ。

 無理だろうけど、とリオは即座に判断する。

 あれだけの失態を親征で演じているのにアルフォートは失敗を恐れている様子がない。

 恐らく、アルフォートにとって死んだ兵士は数字でしかないのだ。

 だから、自分が五千人以上の将兵を死に追いやった実感がない。

 実感がない以上、自分の失敗を反省することもない。


「エラキス侯爵は……きっと、殿にされたことを恨んでいるでしょうね」

「……」


 多分、ファーナも理解していない。

 結末の用意された戦争、そんなもののために部下の命を使い潰した連中をクロノは憎んでいるのだ。

 いや、とリオは心の中で否定する。

 クロノはアルコル宰相やアルフォートの中にかつての自分を見ているのかも知れない。

 だからこそ、クロノの憎悪は苛烈なのだ。


「何だか、無性に会いたい気分だよ」

「……」


 今度はファーナが黙る番だった。

 まだ、宴は終わりそうにない。

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