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第2話『今、在るモノ』修正版


 最近、クロノは忙しそうだ。

 港の様子を見に行ったり、商人達に港の使用許可を与えたり、一段落したのかな? と思ったら、ハシェルの街に出向いたり、行商人が結成した組織の代表に港の使用許可を与えたりと精力的に働いている。

 ハシェルの街は賑わっている。

 服や香辛料などの値段が下がり、領民の消費活動が活発になっているのだ。

 港のお陰であることは間違いない。

 何しろ、港の使用料は行商人達が慌てて作った組織にも支払えるくらい安いのだ。

 一ヶ月金貨二百枚……兵士の月給が金貨二枚であることを思えば高く感じられるが、何度入港しても使用料は変わらないので、破格の安さである。

 もっとも、商人達の本音は『シナー貿易組合』のせいで値下げに踏み切らざるを得なかったかも知れないが。

 ちょっとした不満があるにせよ、ハシェルの街……クロノの領地は良い方向に変わっている。

 エルフの双子も服が安くなったことを喜んでいた。

 あまり理屈が分かっていないようだったので、説明した所、魚が食べられるようになるだけじゃないんだ、と目を丸くしていた。

 反面、露店……特に食料品関係は全く金額が変わっていない。

 港の恩恵を受けられないので、仕方がないと言えば仕方がない。

 そんなことを考えつつ、


「……参考にならないな」


 ティリアは本を閉じ、本棚に戻した。

 ティリアが読んでいたのは六柱神について書かれた本である。

 雨が降っている訳ではないが、ティリアはクロノが士官教育のために開放している部屋で本を読んでいた。

 教養を高めるためではなく、強くなるために。

 ふと脳裏を過ぎるのはリオ・ケイロン伯爵との戦いだ。

 あの戦いではピスケ伯爵に不意を突かれて敗北を喫した。

 苦い、あまりにも苦い記憶だ。

 負けた上に頭を踏まれたのだ。

 しかし、戦いを続けていてもリオ・ケイロン伯爵には勝てなかったとも思う。

 光の奔流……リオ・ケイロン伯爵が召喚した『神器』の一撃を耐えるだけで精一杯だったのだ。

 自分も同じように『神器』を召喚できれば、互角の戦いに持ち込めるだろう。

 そう考えたのだが、どうすれば神威術『神器召喚』に至れるのかが分からない。

 ティリアだって本を読んだくらいで身に付けられると思っていない。

 それでも、手掛かりはないものかと探していたのだが、やはりと言うべきか、手掛かりになるような記述はなかった。

 エラキス侯爵邸の蔵書はそれなり……自分の感覚でそれなりだから、一般的な貴族の感覚だと、かなりになるんだろう、とティリアは評価を上方修正する。

 よくよく思い出してみれば前エラキス侯爵は数多くの美術品を所有していた。

 その大半はクロノが盛大に売り払ってしまったが、これらの蔵書も美術品を集めるような感覚で購入したのだろう。

 そのような感覚で集められたからか、前エラキス侯爵と趣味が合わないからか、ティリアが楽しめる本は……あった。

 非常に薄っぺらい、クロノがいた世界の話だ。

 モモタロウは立場によって善悪が変わることを、カチカチ山は法の大切さを説いているに違いない、とクロノに尋ねたら、微妙な顔をされた。

 ガチャと扉が開く、


「ぎゃひぃぃぃぃぃっ!」

「どうして、あたしらの非番の時ばっかり!」


 双子のエルフが背を向けて逃げ出したので、取り敢えず、ティリアは追い掛けた。


「な、なんでっ?」

「一、二の三で二手に分かれるし!」


 通路が左右に分かれる。

 どうやら、双子のエルフは一人が犠牲になっても、もう一人が生き延びる道を選んだらしい。


「「一、二の、三っ!」」

「……」


 ティリアは無言で二人を追い掛ける。

 通路が左右に分かれているのに二人を追い続けられる理由は単純明快だ。


「な、なんで、同じ方向に逃げてる訳! 左だし、左! デネブは左!」

「アリデッドこそ、左に行けば良かったのに!」


 二人とも通路を右に進んだのだ。

 ティリアが二人の襟首を掴むと、双子のエルフは手足をばたつかせた。

 抵抗と言うよりも子どもが駄々をこねているように見える。

 しばらくすると双子のエルフは観念したように大人しくなった。


「うへへ、姫様。何の用?」

「あ、あたしら、服を買ったばかりで懐具合が寂しいみたいな」


 双子のエルフは追従の笑みを浮かべた。


「特に用事はなかったんだが……お前達が逃げたから、何となく追い掛けてみたんだ」

「「あんたは熊か!」」


 どうやら、熊は逃げる相手を追い掛ける習性を持っているらしい。


「あんた?」

「いや、うへへ、言葉の綾みたいな?」

「そ、そうそう、あたしら、姫様のことを、す、崇拝してるし」


 双子のエルフは信憑性の欠片もない口調で言った。

 どう取り繕って逃げるか画策している目である。

 ティリアが手を離すと、双子のエルフは安堵したように胸を撫で下ろした。


「「じゃ、あたしらはこれで」」


 うへへへ、と奇妙な笑みを浮かべる双子のエルフをティリアは黙って見送った。


「……うん、考えてみれば適役がいるじゃないか」



 カーン、カーンと今日も今日とてエラキス侯爵邸の庭に鎚を打つ音が響き渡る。

 いつもの場所でフェイは弟子に剣術を教えていた。

 いつもと違うのはフェイの弟子が新しい服を着ている点だ。

 うん、『シナー貿易組合』で買ったんだろうな、とティリアはフェイを見た。


「ティリア皇女、何か用でありますか?」

「……実は」


 ティリアは相談すべきか少し迷った。

 ティリアが知る限り、フェイは極めて優秀な剣士であり、神威術の使い手だ。

 剣術ではレオンハルトに、神威術ではリオ・ケイロン伯爵に一歩譲るが。

 う~ん、フェイだって『神器召喚』に至っていないだろうし、至っていない者同士が相談しても仕方がないんじゃないだろうか。

 いや、何か手掛かりになればと思って本を読み漁った訳だし、ダメな時はダメで諦めれば良いじゃないか。


「実は聞きたいことがあったんだ。どうすれば神威術『神器召喚』に至れるだろうか?」

「むむ、難しい質問でありますね」


 思った通り、フェイは難しそうに眉根を寄せて唸った。


「……まず、こうして腰を落とすであります」

「うん?」


 フェイは腰を落とし、柄の上で拳を形作る。

 何かを握り締めるような仕草だが、そこには何もない。


「神器召喚、抜剣ッ!」


 闇が炸裂し、フェイの剣を抜き払う動作に会わせるように漆黒の剣が生まれる。

 精緻極まりない細工の成されたそれが顕現したのは一瞬……剣を鞘から抜き放ち、振り切るまでの瞬きの間だ。

 すぐに漆黒の剣は存在感を失い、空気に溶けるように消え去った。


「……っ!」


 ティリアは驚きに極限まで目を見開いた。

 まさか、フェイが自分を超えているとは夢にも思わなかったのだ。


「い、いつの間に?」

「南辺境で決闘をした時に開眼したであります。父上の剣が折れて、こう、どうすればロバート殿の攻撃を凌げるか、どうすれば良いのか考えて……グルグル回っている所にストーンと落ちて来たであります」


 さっぱり分からん。

 だが、決闘と言うからには真剣だったはずだ。

 決闘の最中に剣が折れる。

 うん、最悪と言っても良い状況だ。

 恐らく、極限の状況がフェイを高みに押し上げたのだ、とティリアは結論づけた。


「つまり、集中力だな」


 危機的状況下において人間は恐るべき力を発揮する。

 先程のフェイの動作……剣を鞘から抜き放ち、振り切る……は意識を研ぎ澄まし、一撃に賭けるという意味でティリアの推論を裏付けているような気がした。


「……こう、だな」


 ティリアはフェイを真似て腰を落とし、軽く拳を握る。


「神器召喚、抜剣ッ!」


 ティリアは想像上の剣を抜き払うが、光は炸裂しなかった。

 ピュ~ルリと凍てついた風が吹き抜けたような気がした。

 頬が熱い。

 思いっきり叫んだ。

 けど、何も起きなかった。

 これは恥ずかしい。

 とてつもなく恥ずかしい。

 チラリと横目で様子を窺うと、フェイの弟子は気まずそうに顔を背け、フェイは何処か呆れたような表情を浮かべていた。

 は、恥ずかしいが……ここで何も出来ないと、もっと恥ずかしい。

 集中だ。

 極限の状況を想定するんだ。

 息を吐き、ティリアは極限の状況……リオ・ケイロン伯爵との戦いを思い浮かべる。

 目の前にリオ・ケイロン伯爵がいる。

 最初はイメージのみ、イメージは影を得て……あの時、リオ・ケイロン伯爵はクロノに愛撫されて達してしまいそうになったとか言っていたな。

 いや、ダメだぞ、私。

 今は集中すべきなんだ。

 ああ、極限状況と言えば……あれはクロノが南辺境に出立する何日か前だったな。

 その晩、ティリアはクロノの寝室を訪れた。

 クロノは部屋で事務処理をしていて、ティリアはベッドでゴロゴロしていた。

 まあ、ジュースでも飲んで……と言われたか、多分、言われただろう。

 言われるがままにティリアはジュースを飲んだ。

 美味しかったし、クロノに勧められたので、つい調子に乗って飲んだ。

 そして、クロノに縛られた。

 もう、仕方のないヤツだな、と諦め半分、愛情半分……大失敗だった。

 飲んだ物は出さなければならない。

 自然の法則だ。

 だが、出したいのに身動きが取れない時はどうすべきか。

 自然の法則に逆らい、我慢するのだ。

 ティリアは我慢した。

 我慢できなくなりそうになって……頼んだ。

 頼んでダメだったので、怒った。

 怒ってダメだったので、黙った。

 極限、正にアレは極限だった。

 我慢したが、ダメだった。

 自然の法則に逆らうなど出来ようはずがない。


「ッ!」


 その時のことを思い出してしまい、ティリアは膝を屈した。


「どうしたでありますか?」

「……壺」

「壺、でありますか?」


 頭を抱え、ティリアは呻いた。


「師匠、どういう意味だろ?」

「……大人には大人の事情があるのであります」

「師匠、訳が分からないからってはぐらかすのは良くないぜ」


 いかん。

 集中しなければ『神器召喚』に至れない。

 頭を踏まれた屈辱を、惚れた男をよりにもよって男に奪われた敗北感を払拭するにはリオ・ケイロン伯爵にあらゆる面で勝利しなければならない。

 ティリアは立ち上がり、先程と同じように腰を落とした。


「……集中だ、ティリア」


 再びリオ・ケイロン伯爵の姿を幻視する。

 ぐぬぬぬ、男に勝っても仕方がないが、む、む、む胸の大きさなら私は一番だ。

 女将は……私の方が少し勝ってるはずだ。

 サイズで負けていたとしても私の方が肌に張りがある。

 そう言えば……クロノにお願いされたことがあったな。

 あの時は縛られなかったな。

 うん、頑張った。

 私は初めてだったが、頑張ったんだ。

 なのに、残念そうな顔をされた。

 しかも、普段より優しかった。

 ティリアは腰を下ろし、膝を抱え込んだ。

 ちょっと泣きそうだった。

 その日ばかりは胸を差した言葉責めを控えられたのも今となっては切ない記憶だ。


「膝を抱えて座り込んだぜ」

「むむむ、心の闇を直視したでありますね」

「神威術は才能に左右される。高位の術を習得できる者は習得できるし、習得できない者は習得できない」


 フェイと弟子の少年が驚いたように見つめても、エリル・サルドメリク子爵は本から視線を動かさない。


「私は決闘の真っ最中に使えるようになったでありますよ?」

「それはそういう才能の持ち主だったから」

「……むぅ、残酷な言葉でありますね」

「才能とはそういう物。持てる者も、持たざる者も積み重ねた努力を才能の一言で片付けられる。断絶と言っても良い」


 膝を抱えたまま、ティリアはエリル・サルドメリク子爵を睨んだ。


「……才能か」


 呟いてみて、ティリアは初めて才能という言葉の恐ろしさを実感した。

 今までティリアは挫折したことがない。

 努力すれば大概のことを出来るようになった。

 だから、クロノのように努力しても出来ない人間がいることの方が不思議だった。

 断絶……正に断絶だ。

 出来る、出来ないの一点においてティリアとクロノは共感を抱けない。


「いや、この考えは危険だ。まだまだ、努力の余地が残されているのに諦めるのは負け犬の思考だ!」

「ティリア皇女、旦那様がお呼びです」

「すぐに行く!」


 振り返り、ティリアはいつの間にか来ていたアリッサに元気よく答えた。



「……ティリアに言わなければならないことがあります」


 執務室に入ると、クロノは気まずそうに沈黙した後、意を決したように口を開いた。

 どうして、ですます調なんだろう? とティリアは首を傾げる。


「実は……苦情が来ています」

「誰からだ?」

「経理……エレナからだよ」


 あの奴隷か、そう言えば経理を担当させるために買ったんだったな、とティリアは腕を組んだ。


「今までティリアがデネブとアリデッドに奢らせた分は交際費の名目で精算していたんだけど、大した額でもないのに面倒臭い手続きを踏ませるな、と」

「無礼な口を利く奴隷だな。折檻してしまえ」


 はぁ~、とクロノは盛大に溜息を吐いた。


「僕の領地は人手が足りないんだよ。まあ、版画機で書類を作るようになってから少し楽になったけどね」

「確かにあれは凄い発明だな」


 何しろ、元になる版を作れば何度でも同じ物が刷れるのだ。

 手書きするより楽だし、必要な項目が版に彫られているのでミスも少なくて済む。


「と言う訳で、お小遣い制度を導入します。これなら一回の手続きで済むし」

「……嫌だ」

「どうして?」


 ティリアは不思議そうな顔をするクロノを睨む。


「言わなければ分からないか?」

「言ってくれないと分からないよ」


 む、むぅ~、とティリアは唸った。


「私は……一応、お前の正妻のつもりだ」

「あ、そういうことになるよね」

「そういうことだと? 私の純潔を奪ったくせに!」


 歩み寄り、ティリアは机を叩いた。


「……力ずくで犯された記憶があるんだけど?」

「安心しろ。私にも若さと激情に任せてクロノと一夜を共にした記憶がある」


 ティリアは口元を覆い、


「私は第一皇位継承権を失い……クロノに蔑ろにされると立つ瀬がないかな、と思うこともしばしばだ」

「割と繊細なんだね」

「他の女が腕枕されたとか、優しくして貰ったとか聞かされると、居たたまれなくなったりもするんだ」


 うんうん、とクロノは全く分かっていない様子で頷いた。


「自分でも矛盾していると思うんだが、そんな状況だから、クロノと対等の立場でいたいんだ。お前からお小遣いを貰ったら、対等じゃなくなるじゃないか」

「お小遣いはダメで、衣食住を世話して貰うのは構わないの?」

「妻を養うのは男の甲斐性だ」


 それに妻として働いているじゃないか、とティリアは小さく呟いた。


「じゃ、第二案として、僕がティリアの自由に使えるお金を用立てるから、月末締めで使った分だけ交際費として精算するのはどう?」

「却下だ!」


 ええ~、とクロノは不満そうだ。


「分かった。自分で金を用立てるから、そこから先はクロノの言う通りで構わない」

「借金はダメだよ? 侯爵邸の備品を売るのも禁止ね」

「分かっている」


 執務室から出て、ティリアは途方に暮れた。

 そんな簡単にお金を稼げるのなら、苦労はないのだ。

 どうしたものか? と侯爵邸をうろついていると、


「ま、まま、またしても!」

「本日のあたしら運気絶不調!」


 またしてもエルフの双子が逃げ出したので、ティリアは有無を言わさずに捕まえた。


「お前達に相談がある」

「うへへ、べ、別にあたしらクロノ様にチクってないし」

「そ、そう、非番のたびに経理から嫌みを言われてるとか言ってないし」


 お前達のせいか! とは思ったものの、気軽に相談できる相手が双子のエルフ以外にいないのも事実である。


「私の部屋に行くぞ」

「ああ、あたしらの休日が失われていく」

「何も悪いことをしてないのに」


 ティリアは双子のエルフを自室に連行し、ベッドの上に投げる。

 ぐえっ! とか蛙のような声を上げたが、無視して扉を閉める。


「おお~、クロノ様の部屋より豪華だし」

「うひぃぃぃ、良い匂いがするし」


 双子のエルフはベッドの上で感極まったように声を上げた。


「そうか? 調度品一つとっても今一つだと思うんだが」

「……別に羨ましくないし」

「今の部屋で満足してるし」


 双子のエルフはベッドから下りると、拗ねたように唇を尖らせた。


「「で、何の用?」」

「借金や侯爵邸の調度品を売らずに金を稼がなければならなくなった。アイディアを出してくれ」

「出せと言われて、ポンとアイディアを出せたら」

「あたしら兵隊なんてやってないし」


 ね~、と双子のエルフは顔を見合わせて頷いた。


「役に立たんな。うん、あの蛮族の娘も呼んでみるか?」

「あ~、スーは昏き森に薬草取りに行って、薬を作って売ってるから」

「あれだよね。手に職を持ってると、何処でも生きて行けるんだね」


 ティリアは少しだけ凹んだ。

 まさか、蛮族の小娘が自分より生活力があるとは予想もしていなかった。


「……こういうアイディアはどうだろう? カド伯爵領の港に紐で正方形を作る」

「「その心は?」」


 エルフの双子の反応にティリアは頷いた。


「ここは自分の土地だと言い張り、商人に土地を貸す」

「「カド伯爵領の土地はクロノ様の物だから無理だし」」


 クロノは折れるような気もするが、やはり、自分の土地と言い張るのは難しいかも知れない。


「……盗賊を退治するのはどうだろう?」

「「無理だし!」」


 ちょっと控えめにティリアが言うと、双子のエルフは身を乗り出して叫んだ。


「去年、姫様はケインを捕まえられなかったし!」

「そんな姫様がケインから逃げ切ってるような盗賊を退治するとか不可能だし!」


 双子のエルフの剣幕にティリアは鼻白んだ。

 言い返したかったが、ケインを捕らえられなかったのは事実である。


「つーか、姫様は無理しなくて良いじゃん」

「悠々自適の生活だし、クロノ様は優しいし」


 双子のエルフは頭を支えるように手を組み、面倒臭そうに言った。


「これはプライドの問題なんだ」

「うぅぅ、姫様って面倒臭い」

「あたしらにしてみれば、何それ、美味しいの? くらい縁がない話だし」


 これも断絶なのだろうか? とティリアはやる気の感じられない双子のエルフを眺めた。

 エルフの……と言うか、亜人の生活は厳しいらしいからプライドは優先事項ではないのだろう。


「あ~、じゃあ、カド伯爵領の開拓地で、熊だか何だかが出て困ってるらしいから、退治して毛皮とか肉とか売るのは?」

「何だかとは何だ?」

「知らな~い。副官がボヤいてたのを小耳に挟んだだけだし」


 双子のエルフの片割れが面倒臭そうに言った。

 う~ん、とティリアは唸った。

 何が出没しているかは分からないが、クロノの正妻として領民が困っているのを見過ごす訳にはいかないし、金を稼げるんならとも思う。

 相手が動物でも実戦経験を積めば『神器召喚』に至る手掛かりを掴めるかも知れない。


「そのアイディアを採用しよう。行くぞ!」

「あたしら無理」

「もう昼過ぎだし、明日は仕事だし」


 ダル~とそんな音が今にも聞こえそうなほど双子のエルフはやる気がない。


「ぐぬぬ、モモタロウでさえ三人のお供がいたのに」

「あたしら団子で命を売るつもりないし」

「あ~、アレね。モモタロウって奴隷商人より阿漕だよね」


 どうやら、双子のエルフはティリアのために働くつもりがないようだ。



 翌日、


「あれ? 何で、あたしらってば姫様と一緒な訳?」

「今日は……仕事だったような気が?」


 ティリアが乗る荷馬車の両隣で双子のエルフは今更のように呟いた。


「ティリア皇女がエラキス侯爵に頼んでいたから」


 荷馬車の片隅で本を読んでいたエリル・サルドメリク子爵は顔を上げ、独り言でも呟くように言った。


「貴方達はエラキス侯爵にティリア皇女と仲が良いと思われている」

「え? あたしら非番の時に連れ回される程度の仲だし」

「知人以上、友達未満みたいな」


 エリル・サルドメリク子爵は考え込むように目を細め、


「休みの日に一緒に出歩くのは仲が良い証拠と見なされる」

『拙者は護衛として選ばれたでござる』(がうがう)


 獣人は大剣を抱え、荷台で呟く。


「取り敢えず、モモタロウには勝ったな」


 ティリアは馬に乗ったエルフの双子、荷台にいるエリル・サルドメリク子爵と大剣を抱えた獣人を見ながら呟いた。


『何か用でござるか?』(がう?)

「剣を見せて欲しい」


 エリル・サルドメリク子爵は本をズタ袋にしまい、獣人の返事を待たずに近づく。


「……カヌチの作品と判断する」

『誰でござるか?』(が~う?)


 エリル・サルドメリク子爵は不機嫌そうに目を細め、仕方がないとでも言うように小さな溜息を吐いた。


「カヌチは家名。初代皇帝のために剣を打った時にその名で呼ばれるようになったと言われている。最初は武器だけを作っていたが、その内にマジック・アイテムを作るようになった」


 エリル・サルドメリク子爵は何事かを呟き、コンコンと鞘を指で叩いた。すると、大剣を取り巻くように青白く光る数式のような物が浮かび上がった。


『魔術式でござるか?』(がう?)

「付与魔術によって剣そのものに刻まれた魔術式」


 エリル・サルドメリク子爵が鞘を叩くと、数式……魔術式が消える。

 いや、もしかしたら、魔術式は恒常的に展開されていて、エリル・サルドメリク子爵が何らかの方法で視覚化したのかも知れない。

 どういう原理なのか聞いてみたかったが、エリル・サルドメリク子爵は元の位置で読書を再開している。


「……モモタロウよりも孤独だ」


 ティリアは荷馬車の縁に肘を突き、完成したばかりの港を眺めた。

 とは言うものの、現在のシルバ港は建築ラッシュの真っ最中だ。

 煉瓦で作っているのは倉庫、木材で作っているのは商会の店か、商会の人間が寝泊まりするための家だろう。

 『シナー貿易組合』を除き、必要な建物を建てている真っ最中なのだが、それでも、商人達は馬車を用意し、足りない分は買い取ったり、借りたりしてシルバ港とハシェルの街を往復させている。

 ティリア達が乗る荷馬車とボロボロの馬車が擦れ違う。

 車軸が折れるんじゃないかと思うほど荷物を満載した馬車を目で追い、それから港に視線を戻す。

 港では大勢の人間が働いている。

 もちろん、ミノタウルスやリザードマンなどの亜人もだ。

 目を凝らしてみると、亜人も二種類いると分かる。

 比較的小綺麗な格好をしている亜人と汚い格好をした亜人である。

 前者はクロノの関係者、後者はそれ以外だろう。


「……クロノが見たら、顔を顰めそうだな」


 クロノは奴隷……と言うよりも奴隷制度を好ましく思っていないらしい。

 そのくせ、二人も性奴隷を所有しているのだから、言行不一致も良い所だが。

 クロノの領地では奴隷売買は許可制になっているし、所有者は奴隷に過酷な罰を与えてはならないことになっている。

 奴隷制度を許可制にしているのは取引後のトラブル防止のため、過酷な罰を与えてはならないのは奴隷がケガをしたり、死んだりすると、生産性が下がり、領地の経済に悪影響を与えるからという理屈だ。

 そこまでしても劇的な待遇改善に繋がっていないのが現状だ。

 社会の仕組みとして組み込まれているから、こればかりは努力を続けるしかない。

 港から更に北へ進むと、ミノタウルス達が切り株を引き抜いたり、地面を掘り返したりしていた。

 数は四十人くらいだろうか。

 いずれも見事な体躯の持ち主ばかりだ。


『お前さん達、何のようだ』(ぶも~)


 一人のミノタウルスが手を休め、ティリアを睨みながら言った。

 軍隊にいた経験でもあるのか、隻眼で、見るからに迫力がある。

 御者に指示を出して荷馬車を止め、ティリアは立ち上がって胸を張った。


「獣が出没して困っていると聞いて助けに来たんだ。もちろん、きちんとクロノには断ってきたぞ」


 だが、とティリアは腕を組む。


「……私達は必要なさそうな気がするな」

「姫様、この人達は非戦闘員だから」

「あたしらみたいに戦闘訓練を受けてないから戦えないって」


 双子のエルフは馬から下りると、パタパタと手を左右に振った。


「牛や馬を絞め殺せそうなほど腕が太いのにか?」

『訓練を受けていないと、反射的に顔を庇ったりするでござる』(がうがう)

「撤退戦の時はそういう敵が多かったよね」

「だね。今にして思えば神聖アルゴ王国の連中もギリギリだったのかも」


 獣人と双子のエルフは神妙な面持ちで頷いた。


「ティリア皇女、作戦を練るべき」

「相手は獣だぞ。出てきた所を叩けば良いじゃないか」


 ティリアは神威術を使えるし、エリル・サルドメリク子爵だって魔術を使える。

 双子のエルフと獣人は歴戦の猛者だ。

 ミノタウルスの助力が得られなかったのは惜しいが、獣如きに後れを取る面子だと思わない。


「そんなだから、エラキス侯爵に演習で負ける」

「ぐぬぬ、傷口を抉るようなマネを」


 ギロリとエリル・サルドメリク子爵を睨み、ティリアは深呼吸を繰り返した。


「……ま、まあ、一理あるな。まずは情報収集だ!」

「「うぇ~い」」

『分かったでござる』(がう)


 双子のエルフは面倒臭そうに、獣人はそれなりに、エリル・サルドメリク子爵は近くの切り株に座り、本を読み始めた。


「お前は行かないのか?」

「……人には得手、不得手がある」


 どうして、こんなのが近衛騎士団の団長を務めていたんだ? とティリアはエリル・サルドメリク子爵を眺めた。

 話すこともないしな、とティリアは開拓の様子を眺める。

 本当に眺めるだけだ。

 農業に関する知識は乏しいし、ここで必要とされるのは実践的な知識とそれを応用するセンスだろう。

 しばらくすると、エルフの双子と獣人が戻ってきた。

 もっとも、得られた情報は無に等しい。

 精々、早朝や夕方に大きな影が昏き森の近くで目撃されている程度だ。


「……ミノタウルスが大きいと表現するくらいだから、熊だろうな。縄張りを荒らされたのか、新しい餌場にでもするつもりか。うん、考えても埒が明かないな」

「その当たって砕けろ的なノリは止めて欲しいかな?」

「あたしらの命を預かってるんだから、もう少し考えて欲しいし」


 双子のエルフの意見を聞き流し、ティリアは昏き森の端に移動する。

 もちろん、先頭に立ってだ。

 昏き森は昼なお暗い。

 木々の枝が天蓋のように陽光を遮っているからだ。

 それだけではない。

 濃密に繁茂する植物が音を吸収するため恐ろしいほど静寂に支配されている。

 ピョコンと茂みから獣人……人狼が顔を覗かせる。


「開拓に従事しているのはミノタウルスだけじゃなかったのか?」


 ティリアが首を傾げていると、人狼はゆっくりと立ち上がった。

 大きい、とティリアは人狼を見上げた。

 身長はリザードマンやミノタウルスを頭一つ分は上回っているだろう。

 それが背を丸めている状態なのだから、実際の身長はどれほどのものか。

 何よりも特徴的なのが腕の長さだ。

 地面に触れそうなほど腕は長く、その先端にはナイフのような爪が生えている。


「「ぎゃひぃぃぃぃっ!」」

「……あれは蛮刀狼バンデッド・ウルフ。古い博物誌の本に描かれている。目撃例がないため、想像上の怪物だと思われていた」

「そうか、弱点と攻撃方法は?」


 ティリアは剣を抜き、中段に構える。


「想像上の怪物と思われていた、と言った」

「つまり、分からないのか」


 瞬間、蛮刀狼バンデッド・ウルフの腕が霞んだ。

 狙いはティリアだ。

 ティリアは屈んで横薙ぎの一撃を躱し、一気に距離を詰める。

 切っ先を突き出すが、蛮刀狼バンデッド・ウルフの体毛は固く、容易に突き刺さらない。

 その隙を突き、蛮刀狼バンデッド・ウルフがティリアに牙を突き立てようと口を開く。

 ガチッ! と目の前で蛮刀狼バンデッド・ウルフの口が閉じる。

 ティリアは飛び退り、ゾッとするような風切り音と共に放たれた一撃を躱す。


「どうやら、蛮刀狼バンデッド・ウルフは長い腕をブンブン振り回して戦うみたいだぞ」

「つか、あんなのと神威術を使わずにやり合うとか信じられないし」

「ぶっちゃけ、姫様が死ぬと思ったし」


 失礼な双子だ、とティリアは蛮刀狼バンデッド・ウルフの攻撃を躱して距離を詰める。


「神よ、我が刃に祝福を!」


 斬っ!


 輝く刃が蛮刀狼バンデッド・ウルフの胴を両断する。

 にも関わらず、蛮刀狼バンデッド・ウルフは腕を振り回した。

 蛮刀狼バンデッド・ウルフの上半身が反転し、グチュと音を立てて地面に落ちる。


「所詮、獣だな」

「じゃ、あれも何とかして欲しいし!」

「姫様、頑張れ!」


 ふと顔を上げると、蛮刀狼バンデッド・ウルフが茂みから頭を突き出していた。

 数は二十か、三十か……とにかく沢山だ。


「あ、相手にとって不足はない!」


 ティリアは神威術『神衣』、『活性』を行使、白い輝きが全身を包む。


「仮想人格起動、術式目録展開、術式選択『雷霆乱舞』、範囲変更……起動!」


 青い閃光が森を走り抜ける。

 放射状に放たれた雷撃はその範囲内に潜む蛮刀狼バンデッド・ウルフを何らかの作用により直立させ、内側から破裂させた。

 次々と倒れる蛮刀狼バンデッド・ウルフを茫洋と眺めながら、エリル・サルドメリク子爵は次の魔術を起動させる。


「術式選択『爆炎舞』、範囲、威力、弾数変更……起動!」


 炎の柱が屹立する。

 まるで火山が噴火するように炎の柱が次々と屹立し、すでに壊滅状態だった蛮刀狼バンデッド・ウルフの群れを蹂躙する。

 ある者は吹き飛ばされ、ある者は体を焼かれる。

 クロノの副官が脅威と言っていた理由が分かる光景だ。


「術式選択『炎弾乱舞』、範囲、威力、弾数変更……起動!」


 更に巨大な炎の塊が降り注ぐ。

 炎の塊は地面に触れた瞬間、液体のように広がり、握手するかのように結びつき、炎の絨毯となる。


「術式選択『氷舞つららまい』、範囲、威力、弾数変更……起動!」


 氷雪が吹き荒れ、炎を呑み込んでいく。

 良い畑になりそうだな、とティリアはあちこちに散らばる蛮刀狼バンデッド・ウルフの亡骸を見つめた。



「う~ん、あまり金にならなかったな」

「「姫様、金貨十枚は大金だから」」


 カーン、カーンと鎚打つ音が響き渡る。

 侯爵邸の一角、ティリアが稼いだ金額を思い出しながら呟くと、双子のエルフがすかさず突っ込みを入れた。

 結果的に言えば蛮刀狼バンデッド・ウルフの死体は金貨十枚で売れた。

 もう少し値段を吊り上げたかったのだが、蛮刀狼バンデッド・ウルフの金銭的価値が分からない以上、値段を吊り上げられなかったのだ。


「目的は果たしたが、『神器召喚』の手掛かりも掴めないとは」

「三人揃って何をしてるの?」


 う~ん、クロノに相談しても、とティリアはクロノを見つめた。

 いや、これでも、クロノは歴戦の強者なのだ。


「神威術『神器召喚』に至るにはどうすれば良いか考えているんだ」

「……何で?」


 ティリアが言うと、クロノは不思議そうに首を傾げた。


「リオ・ケイロン伯爵に勝つためだ! あらゆる面でヤツを超えなければ頭を踏みつけられた屈辱は晴らせん!」

「……二人とも仲が悪いよね」


 お前が元凶だろうが! とティリアは喉元まで出掛かった言葉を呑み込んだ。


「悔しいが、リオ・ケイロン伯爵は恐るべき神威術の使い手だ」

「新しい神威術を身に付けてもリオには勝てないんじゃないかな?」

「何だと? 私の何処がリオ・ケイロン伯爵に劣っていると言うんだ?」


 睨み付けると、クロノは軽く諸手を挙げた。


「前言撤回、今のティリアなら僕も勝てるかも」


 クロノが挑発的な笑みを浮かべたので、一気に頭に血が上った。

 確かにクロノは歴戦の強者だが、剣の腕ではティリアに一歩も、二歩も劣っている。


「ぐぬぬ、刻印術を使えるようになって調子に乗っているんじゃないか?」

「ん、試してみる?」

「受けて立つぞ! デネブ、アリデッド、審判を務めろ! 一本勝負だ!」


 一本勝負……要は一対一で戦い、綺麗な一撃を入れられた方が勝者だ。


「クロノ様、止めるんなら今の内だと思うけど?」

「クロノ様にケガされると、困るし」


 そんなことを言いながら、双子のエルフがクロノに木剣を手渡した。


「まあ、大丈夫なんじゃないかな?」

「くふふ、刻印術を使っても私に勝てないと思い知らせてやる」


 ティリアは双子のエルフから木剣を受け取り、細工がないか、切っ先を地面に打ち付けて確認する。


「ああ、刻印術を使っても良いんだ? ティリアも神威術を使って良いよ」

「ぐぬぬぬ、構えろ!」


 クロノは怠そうにティリアと距離を取り、木剣を下段に構える。

 刻印……漆黒の光がクロノの体に浮かび上がる。


「大分、刻印を使いこなせるようになったんだよね。ティリアの剣くらいなら『場』で受け止められると思うよ」

「「始め!」」


 双子のエルフが開始を宣言すると同時にティリアは飛び出した。

 一気に距離を詰め、上段から木剣を振り下ろす。

 途中、木剣が何かに押し返されるような感覚があったが、


「小賢しい!」


 ティリアは構わずに木剣を振り下ろした。

 『場』に自信があったのか、クロノが驚いたように目を見開く。

 木剣がクロノを打ち据える。

 残念ながら頭部ではなく肩だ。

 運か、それとも、実力によるものか、クロノはわずかに首を傾げて敗北を免れたのだ。


「痛っ! 『場』を貫くとか!」

「くふふふ、後悔は先に立たないぞ!」


 正直、勝敗は一撃入れた時点で着いた。

 少なくともティリアはそう判断する。

 ティリアの一撃でクロノは両腕で木剣を構えられなくなっている。

 しかし、ティリアは手加減しない。

 クロノの体力を奪うために猛烈な打ち込みを仕掛ける。

 すぐに勝てると踏んでいたのだが、クロノも成長しているらしく、なかなか有効打にならない。


「どうした! 私に勝つんじゃなかったのか!」

「……っ!」


 クロノは無様に地面を転がり、ティリアの攻撃を躱す。

 動作そのものは驚異的なスピードを備えているが、残念ながら無駄が多すぎる。

 クロノはひたすら逃げ回り、漆黒の刻印が明滅を始める。

 よく分からないが、刻印術にも時間的な制約があるようだ。

 クロノは地面を転げ回り、ティリアから距離を取る。

 荒い呼吸がクロノの限界を示している。

 クロノが最初と同じように木剣を下段に構え、ティリアは迎え撃つように木剣を上段に構える。

 クロノが地面を蹴った。

 地面が爆ぜ、解き放たれた矢のように加速する。

 だが、刻印術の能力に頼り切った戦法は読みやすい。

 動きに合わせて木剣を振り下ろせるくらい簡単にできるほど。

 ティリアは容赦なく木剣を振り下ろした。

 わずかな抵抗を感じるが、何度も繰り返したように木剣に力を込める。

 だが、木剣は動かない。

 いや、滑るようにクロノのいない空間へとずれていく。

 全てを理解した時には手遅れだった。

 衝撃が脇腹で生じた。

 戸惑った一瞬の隙を突き、クロノがティリアの脇腹に木剣を叩きつけたのだ。


「……もう限界」


 派手に地面を転がり、クロノは動きを止めた。


「今のはなしだ!」

「え~、一本取ったじゃん」


 クロノは生まれたばかりの子鹿のように震える足で立ち上がる。

 戦意はないらしく、刻印は消えている。


「卑怯だぞ、クロノ!」

「作戦だよ、作戦」


 ニヤリとクロノは笑みを浮かべた。

 クロノは『場』で木剣を防げたのだ。

 しかし、あえて防がないことでティリアに刻印術を使いこなせていないと思い込ませた。


「なら、もう一回だ! 次は勝つ!」

「嫌だ」


 クロノは満面の笑みを浮かべて答えた。


「このまま勝ち逃げするから」

「ぬぁっ!」


 小さい、なんて小さい男だろう、とティリアは愕然とした。

 もしかしたら、たった一回の勝利を収めるために画策していたのかも知れない。


「……何と言うか、あれがあれば勝てるとか、これがあれば勝てるとか、あまり意味がないんだよね」


 クロノは双子のエルフに木剣を返し、気怠そうに言った。


「実際はあれもない、これもないばかりな訳だしさ。だから、ある物を総動員するしかない訳で」


 あるものを活かすか、とティリアは妙に納得した気分だった。

 今あるものを活かしきってこそ、高みに上れるのではないかとも。



「……つ、つまり、あるものを活かすとは、ああいうことをさせる布石だったのか?」

「布石と言えなくもないね」

「お前は、こういうことしか考えていないのか? ここは……こういうことに使うものじゃない」


 ティリアは濡れた布を桶に投げ入れ、クロノを睨んだ。


「……ぐぬぬ、やはり、もう一勝負だ」

「今日は打ち止めでござる」

「そっちじゃない!」


 負けた。

 クロノに負けたのだ。


「僕は……この勝利を守り通すよ、死ぬまで」

「ぬがぁぁぁぁっ!」


 ティリアは頭を抱えてベッドの上で転げ回った。

 小さい、なんて小さい男だろう。

 だが、この男に負けたのは事実なのだ。


「もう寝る!」

「僕も寝たいんだけど、もう少し横に寄ってくれない?」


 言われるがままに移動し、ティリアはぎりぎりと歯軋りする。


「ティリア、怖いから歯軋り止めて」


 クロノに背を向け、ティリアは歯軋りを止めた。

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