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第10話『死の試練』


 自分にとってクロノとは何か? とマイラは考えることがある。

 正直に言えば、マイラはクロノが好きではなかった。

 四年前、クロノはクロフォード邸に現れた。

 足を挫いたクロードを奇怪な乗り物に乗せてだ。

 戦友であり、同僚であるオルトはクロードを救ったことに感謝していたし、マイラも少しくらいなら感謝してやっても良いと思った。

 謝辞を述べ、数枚の金貨を渡す。

 マイラの考えた感謝はそのようなものであったが、オルトはクロノに興味を持ったようだった。

 マイラと違い、オルトは傭兵という明日をも知れぬ職業に就きながら知識を身に付けることに力を注ぐ、そんな男である。

 器用に立ち回ればそれなりの地位に就けた逸材、そんな彼が南辺境に留まった理由は自分の知識を実践できる場だからだ。

 実際、彼の知識は南辺境の開拓に大きく貢献していたので、クロードでも彼の意見を無視することはできなかった。

 結論から言えばオルトの予感は的中した。

 クロノは別の世界から来た人間であり、それを彼の所持品が事実であると証明していた。

 だが、クロードの恩人で、異世界から来た点を除けばクロノは凡庸な……いや、ダメ人間だった。

 剣術も、魔術も使えず、小太りで、役に立つかどうかも分からない知識はあるくせに帝国の言葉も話せず、文字も書けない穀潰しだった。

 おまけにクロノはよく泣いた。クロードに剣の稽古を付けられて泣き、夜中にめそめそ泣き、朝になって起こしに行くと、枕を濡らしていた。

 畑の真ん中で木の棒を空に突き出すという訳の分からない奇癖もあった。

 評価できるのは好き嫌いを言わずに出された物を何でも食べる所くらいだった。

 放り出したら一ヶ月後には死んでそうだ、とクロード、マイラ、オルトの意見は一致した。

 開拓期ならばいざ知らず、余裕のある状態で放り出すのは後味が悪い、とクロードとオルトの意見が一致し、マイラがクロノを育てる羽目になった。

 そして、かつてのダメ人間は四年の歳月を経て立派な雄へと成長した。

 あの若さは二十年も男っ気がないマイラにとって毒である。

 そう言えば……何故、空に向けて棒を突き出していたのでしょうか? とマイラは扉を開けた。

 入室すると、四対……クロード、レイラ、フェイ、ガウルの視線が向けられる。


「俺の息子は無事だったか?」


 はい、とマイラは短く答えた。

 下着を履かなくて大丈夫なのかな? とクロノが呟いていたことは伏せておく。


「クロノ様によれば蛮族の文明レベルはジョウモンジダイのそれであると。また、何らかの原因で男がいなくなったためクロノ様を攫ったようです」

「ジョウモンジダイとは何だ?」


 そう問いを発したのはガウルである。

 マイラが目配せすると、レイラは静かに立ち上がった。


「ジョウモンジダイとは歴史の区分で、人類が木の枝を組み合わせた家で暮らし、石を加工した武器で狩猟をしていた時代のことです」

「想像できんな。一体、どれくらい昔だ?」

「クロノ様は一万年前と仰っていました」

「それほど劣った文明と言うことだな」


 ガウルの表情は冴えない。

 これまで幾度となく煮え湯を飲まされ、クロノを攫われているのだから思う所があるのだろう。


「少数精鋭の救出隊を組織するのはどうだろうか?」

「おいおい、蛮族どもはアレオス山地を知り尽くしてやがるんだぜ。全盛期の俺でもそこまでの無茶はできねぇよ」


 全盛期のクロード様と自分ならばクロノを助けられるだろう、とマイラは確信にも似た思いを抱く。

 だが、今の自分達では無理だ。

 歳を取ったからではない。

 あの頃、情を交わしている時でさえも熾火のように燃えていた憎悪が今はない。

 クロードの強さも、マイラの強さも持たざるが故の強さだった。

 だからこそ、戦場の狂気に身を委ねられた。

 けれど、原生林を切り開き、大地を耕し、作物を育てる真っ当な日々がクロードとマイラから憎悪と狂気を奪った。

 領民から頼られて、愛されて、守るべきものがあるのに、どうして、憎悪と狂気に身を委ねることができるだろう。


「ならば南辺境にいる全軍を動員してクロノを救出するしかないな」

「それしかねぇな」


 ガウルの提案にクロードは頷いた。

 だが、


「恐れながら、クロノ様は蛮族を恭順させる策があると」


 マイラは偽りを口にした。


「どのような策だ?」

「……分かりかねます」


 南辺境にいる軍を動員すればクロノの救出は成るだろう。

 だが、交渉の余地があるかも知れないとクロノは言ったのだ。

 クロノが交渉を望んでいるのであればメイドとして、彼の教育係だった者としてサポートするだけだ。

 沈黙が舞い降りる。


わりぃが、今の俺は賭けをする気になれねぇ。マイラ、息子に伝えておけ。蛮族どもを恭順させたけりゃ、こっちの準備が整うまでに何とかしやがれってな」

「かしこまりました、旦那様」


 ガウルが独断で南辺境にいる全軍を動かすことはできないので、帝都に許可を求めなければならない。

 すぐに許可が下りるとして、クロノに与えられる時間は二週間くらいだろう。

 帝都にいるオルトが力を貸してくれればもう少し時間を稼げるのだが、彼は次期当主の命を危険に晒すようなマネをしない。


「では、すぐにでも帝都に使いを出そう」


 ガウルは立ち上がり、部屋を出て行った。


「申し訳ありません、大旦那様」

「申し訳ないであります」


 レイラとフェイは悲壮感を漂わせながら俯いた。

 クロノが助けを求めていたら、二人きりで蛮族に戦いを挑みかねない。


「まあ、気にすんな。つーか、どうして、俺の息子を狙ったんだか。今までも男を攫う機会はあったのによ」

「クロノ様が弱そうだったからでは?」


 マイラが答えると、クロード、レイラ、フェイは納得したと言わんばかりに頷いた。



 スーの住居に戻り、クロノは鎧を脱いだ。

 衝撃を和らげるために布を詰め込んだ上着を脱ぎ、肌着の上にマントを羽織る。


『……呪具、意思、通ジル』

「ありがとう」


 クロノは粘土板を首から提げた。


「取り敢えず、何かすることない?」

『オマエ、ソレバカリ……水、汲ム』

「了解、了解。土器で水を汲んで」

『ココ』


 スーは切り株を削って作った樽を叩いた。

 やたらと年季の入っているそれは衛生的に大丈夫かな? と思わせる。


「水は何処?」

『オマエ、子ドモ』


 子どもみたいに何もできない、と言いたいのだろうか。


「まあ、最初はこんなもんだよ」

『……』


 スーは不満そうに唇を尖らせ、クロノを水場に案内した。

 水場は集落の背を守る崖にあった。

 岩に大きな亀裂があり、そこからチョロチョロと水が流れているのである。

 そこで水を汲んでいたルー族の女はクロノの姿を見るなり、ギョッとした顔で後退った。


『オマエ、水、汲ム。オレ、帰ル』

「了解、了解」


 クロノはルー族の女達の視線を受け流し、土器に水を汲んで、スーの住居に戻る。

 それを何度か繰り返すと、樽が一杯になった。


「他にすることはないかな?」

『ナイ』


 スーは草を束ね、竪穴式住居の内側に吊している。


「スーは一人で住んでるの?」

『オレ、子ドモ、違ウ。一人、当然』


 よく分からないが、スーは部族的に大人と見なされているらしい。


『オレ、女、ナッタ。儀式、受ケタ。戦ウ、当然』

「儀式って?」

『コレ』


 輝く漆黒の文様……刻印が浮かび上がる。

 漆黒の光は背骨に沿うように走り、胸、肩、上腕、太股に絡み付くように伸びていた。

 どのような原理か、強烈な光ではないにも関わらず、革を透過している。


「成人の儀式ってことは痛いんだよね?」

『時間、掛ケナイ、死ヌ』


 どうやら、刻印術には死の危険が伴うようだが、その危険を冒す価値は十分にある。

 少なくともクロノにとっては。

 理由は簡単だ。

 クロノは自分が凡人であると知っている。

 そして、どれほど努力を重ねても天才や英雄……ティリアやレオンハルト、リオ、フェイ、養父、マイラの領域に辿り着けないと気づいている。

 だが、刻印術があれば天才や英雄の領域に踏み込めるかも知れない。

 浅ましく、卑しい考えだ。

 強くなるための努力を放棄し、一族の将来を憂う少女を利用してまで力を得ようとしているのだから。

 きっと、そこまでして力を手に入れても自分は後悔するのだ。


『消ス』


 スーが宣言すると、漆黒の輝きが薄れる。

 クロノはスーの背中に顔を近づけ、指で撫でた。


『……っ!』


 ビクンとスーが仰け反る。


「全然、見分けが付かないね」


 触ったくらいで分かるはずないか、とクロノは適当な場所に寝転び、スーの作業を眺めた。


「戦うのが当然って言ってたけど……どうして、家畜を盗むの?」

『盗ム、違ウ。戦イ。牛、馬、死ヌ。オマエ達、困ル。オレ達、オ腹、一杯』


 確かに牛や馬が殺されると、畑を耕したり、荷物を運ぶのに支障を来すが、開拓に成功し、帝国によって被害を補償されている今は本当に『困る』程度だ。

 わざと年老いた牛や馬を殺させて金を請求している可能性だって否定できない。

 蛮族の敗因が兵力と補給能力の差とするワイズマン先生の意見にクロノは大いに賛同する。

 戦争は数だ。

 質も大切だとは思うが、結局、投入できる兵力や物資、金の多い方が勝つのだ。

 ルー族に勝機はない。

 戦闘でなら勝てるかも知れないが、戦争になったら絶対に勝てない。


「ちょっと外に出てくるよ」


 クロノは頭を掻きながら、先程の水場に向かった。

 水場では何処かで見たことのある二人の女が水を汲んでいた。

 一人は髪が短い。

 年齢は二十歳前くらいだろうか。

 肌はスーと同じように浅黒いが目を凝らしてみると、薄い傷跡が幾筋も走っている。

 刻印術による防御も完璧ではないのだろう。

 ボディーラインはスマート、筋肉質で腹筋が割れている。

 目付きは鋭いを通り越して藪睨み気味だ。

 もう一人は髪が長い。

 年齢は二十代半ば。

 目元が優しげで、落ち着いた雰囲気を漂わせているので実年齢よりも年上に見えるのかも知れない。

 かなり豊満な体つきで、胸を隠している革の帯がちょっと食い込んでいる。


『何ダ?』

『……』


 二人は粘土板を身に付けていないが、言葉が通じているので、スーから借りた呪具は問題なく機能しているようだ。


「何処かで会ったことない?」

『オレ、見テイタ。オマエ、攫ワレル所。スー、半人前。オマエ、弱イ』

『……私、見タ』

「あ~、そう言えば会ってたね」


 髪の短い方はフェイとレイラにやられていた赤の刻印術士で、髪の長い方はタイガと獣人に襲われていた翠の刻印術士だ。


『何ダ?』

「特に用って訳じゃないんだけど、少し話でもできればと思って」

『オレ、弱イヤツ、興味ナイ』

『……』


 翠の刻印術士は無言だが、何となく興味がありそうな感じがする。


「そりゃあ、僕は弱いよ。部下に命令できるのも軍学校を卒業できたからだしね」

『……グン、ガッコウ?』


 食い付いてきた、とクロノは不思議そうに首を傾げる翠の刻印術士を見つめた。


「そう、軍学校。帝国の貴族は年頃になると、帝都にある学校で戦うための知識を学ぶんだよ」

『戦イ、戦士、鍛エル。意味、ナイ』

「本当にそうかな?」


 クロノは身を乗り出して赤の刻印術士に言った。


「ああ、いや、戦いが戦士を鍛えるのを否定するつもりはないんだよ? でも、血を流さずに戦う術を学べたら、それはそれで素晴らしいと思わない?」

『……』


 赤の刻印術士は答えない。


「君達だって親から知識を学ぶでしょ? まあ、学んだ知識は試行錯誤を繰り返して自分の血肉になっていくものだけどさ。それでも、知ってるのと、知らないのとじゃ大違いだよ」


 知識を得ればそれだけ選択肢の幅が広がる。

 それはクロノが領主となってから、思い知ったことだ。


『キゾク?』

「貴族って言うのは……うん、族長みたいなものかな。帝国で一番偉いのは皇帝なんだけれど、その一番偉い人から土地と貴族の立場を貰うんだよ。その土地と立場は親から子ども、更に子どもの子どもに受け継がれるんだ」


 クロノが地面に図を書きながら説明すると、翠の刻印術士は身を乗り出して、赤の刻印術士は顔を背けながらも、チラチラと視線を向けてくる。


「と言っても、貴族だからって好き勝手できる訳じゃないんだけどね」


 クロノが大きく肩を竦めて戯けて見せると、翠の刻印術士はクスリと笑う。


「自分の土地に住んでいる人達のために色々と考えなきゃならないんだ。例えば森を切り開いて畑を作ったり、他の土地の人達と交流して商業を活性化したりね」

『ハタケ? ショウギョウ?』


 翠の刻印術士は不思議そうに……やはり、帝国のマジック・アイテムと同様に語彙にない単語は通訳されないらしい……首を傾げた。


「畑って言うのは食べられる植物を自分達で育てる場所で、商業って言うのは物々交換の発展版みたいな感じかな?」

『育テル?』

「うん、育てるんだ。色々な条件が絡むからいつも同じように収穫できるとは限らないけど、比較的安定して食べられるようになる」


 商業はね、とクロノが口を開こうとした瞬間、ズドン! と爆音が轟いた。

 赤の刻印術士が刻印を起動させ、地面を踏み締めたのだ。

 踏み締めると言っても踝まで地面にめり込むほどの威力だ。

 赤の刻印術士の攻撃を受けたら、クロノは死んでしまうだろう。


『……オマエ、精霊、否定シテイル!』

「別に否定している訳じゃないよ」


 クロノは恐怖でフリーになりそうになる肛門を引き締めながら答えた。


「精霊ってのが何か実感できないけど、色々な物に支えられて生かされているのは分かるよ。でも、今までそうしてきたからって、これからもそうしなきゃいけないなんて道理はないはずだよ」


 赤の刻印術士の表情が険しさを増すが、クロノはその場に踏み留まった。正直、逃げ出したい。


「……全てをあるがままに受け容れるだけじゃなくて変わらなきゃ」

『オマエ、黙レ!』


 赤の刻印術士は子どものように地団駄を踏みながら叫んだ。

 刻印が一際強く輝き、熱風がクロノに押し寄せる。

 あ、ヤバい。説得するつもりで怒らせちゃった、とクロノは今更のように後悔した。

 赤の刻印術士が手を伸ばすが、その手はクロノに届かなかった。

 何者かによって投擲された槍がクロノと赤の刻印術士の間に突き刺さったのだ。


『……ッ!』


 赤の刻印術士は我に返ったように刻印を消し、その場に跪いた。

 翠の刻印術士も赤の刻印術士に倣う。


『……騒グナ』


 族長は悠然と歩み寄り、槍を引き抜いた。

 どうやら、族長が槍を投擲したらしい。


『ソノ男ハオマエノ獲物デハナイ』

『コイツ、精霊、否定シタ!』


 ややイントネーションに癖があるが、族長の言葉は比較的流暢だ。


『ソレデモ、掟ハ掟ダ。我ラニ害ヲ及ボサヌ限リ、生キタ獲物ハ捕ラエタ者ノ物ダ』


 族長はクロノを見つめ、口の端を吊り上げた。


『良イナ、スー』

『オレ、掟、守ル』


 族長の影からスーが姿を現す。

 剣呑な雰囲気を察して族長を呼びに行ってくれたのだろう。

 族長の手腕は見事なものだ。

 スーの願いを聞き入れつつ、釘を刺すことを怠らないのだから。


『……帰ル』

「分かった」


 住居に戻ると、スーは地面に座り、薬草を磨り潰し始めた。

 石が擦れ合う音が不機嫌そうに聞こえるのは気のせいじゃないだろう。


『……オマエ、バカ』

「次は上手くやるよ」


 クロノが寝転びながら答えると、スーは不満そうに唇を尖らせた。


『オマエ、仲良クスル、言ッタ。嘘ツキ。ララ、怒ラセタ』

「赤の刻印術士はララって言うんだ。もう一人は?」

『……リリ』


 何故だか、スーの機嫌が加速度的に悪化していく。


『ララ、強イ。オマエ、死ヌ』

「もう少し上手く立ち回るように努力するよ」


 今回は怒らせてしまったが、興味を持って貰えないよりマシだろう。


『オマエ、オカシイ』

「今まで殺し合ってた分、少しくらい無茶をしないと友好的な関係なんて築けないよ」

『……』


 スーは手を休め、クロノを見つめた。


「食事は僕が作るよ」

『……』


 クロノは昨日の記憶を漁り、土器から木の実の粉末を取り出して水を注いだ。


「ちょっと、水っぽいかな?」

『……オマエ、子ドモ』


 スーは不機嫌そうに言って木の実の粉末を加えた。


『水、少シズツ、入レル』

「なるほど」


 水を少しずつ加えて生地の硬さを調節する訳か、とクロノは頷いた。

 無造作にビスケットの生地を囲炉裏に投げ込んだ。

 しばらくして出来上がったのは、


「う~ん、見事に焦げたね」

『オマエ、子ドモ』

「まあ、最初はこんなもんだよ」


 クロノは焦げたビスケットを噛み砕き、水で流し込む。

 スーも同じように水で流し込んでいる。


『オマエ、ソレバカリ』

「二度目じゃなかったっけ?」


 クロノは干し肉を囓りながらスーに答えた。


「まだ、二日目の朝だし……少しは大目に見て欲しいな」

『……分カッタ』


 沈黙の後でスーは頷いた。



 あっちの世界で読んだサバイバル系漫画や映画の主人公は食料を確保するのに苦労していた。

 と言うのも、そういう物語の主人公は得てしてサバイバルの知識や経験がないからである。

 そうしないと、物語として面白みに欠けるんだろうけど、二人以上で、片方しかサバイバルの知識と経験を持っていないってのはなかったような気がする、とクロノはスーを眺めた。

 スーの狩りの腕は見事なものだった。

 刻印術で身体能力が強化されているとは言え、凄まじい勢いで槍を投擲、一発で鹿を仕留めたのだ。

 弓矢がないのは如何なものか? と思っていたが、刻印術の力があれば槍で十分だ。

 スーは石のナイフで鹿の喉を掻き切って血抜きをすると、慣れた動作で腹を切り裂き、内臓を引きずり出す。


『オマエ、子ドモ』

「うん、子どもみたいに何もできないね」


 クロノは何もしていない。

 唯一の攻撃魔術である天枢神楽も、身に付けたばかりの姿を隠す魔術……開陽廻廊も出番がなかった。

 片方だけがサバイバルの知識と経験を持っていると、こうなる訳か、とクロノは納得した。

 スーが肉を切り分けるまで時間が掛かりそうだった。


「ルー族って、あれしかいないの?」


 クロノが見た限り、ルー族の総人口は百人ちょっとだ。

 スーが最年少、最年長でも三十代半ばである。


『昔、モット、イタ』

「どれくらい昔?」

『土地、奪ワレタ時……ルー族、大勢、イタ。山、住ンダ。沢山、村、デキタ。寒イ春、夏、来タ。獲物、奪イ合ッタ』


 どうやら、ルー族は身内同士でも争っていたらしい。

 村同士の抗争ではないにしろ、過酷な生存競争に晒されたのは間違いない。

 それにしても、こんな山奥に住んでいたルー族が帝国にとって最悪のタイミングで攻め込めたのは何故なんだろう。

 昔は他の部族とも交流があったらしいから、その部族経由で帝国が内乱している情報を得ていたのかも知れないが。

 黒幕がいるにせよ、いないにせよ、クロノの目的は大きく変わらない。

 ルー族に戦いを止めさせることである。

 それができないのなら、一部の者だけでも離反させて交渉の余地を作り出す。

 スーのためにではなく、自分の身を守るためと言うのが情けないが。

 自分の身を守るために利用しようとしてるんだよな、とクロノはスーの背中を見つめた。


「もう二、三匹取れないかな?」

『食ウ分、取ル』

「いやさ、お裾分けみたいな感じで会話の切っ掛けになるかも知れないし」


 スーは鹿を解体する手を止め、


『ダメ。オレ、掟、守ル』

「食べる分だけ取るのが掟なんだ」


 言われてみればルー族は全員が刻印術士だ。

 そんな彼女達が必要以上に獲物を狩れば獲物になる動物の数は激減してしまう。

 ルー族の文明が縄文時代レベルなのも刻印術という便利な術のせいなのだろう。

 刻印術が文明の発達する余地を奪ったと言い換えられるかも知れない。


「……ハードル高い」


 言葉だけで説得する。

 一瞬、ナンパという単語が脳裏を過ぎり、クロノは急激に自信が失われるのを感じた。


「自分に好意を持っていない相手をどうやって口説けと」


 どうして、今朝の自分はあんなにも自信満々だったのか、小一時間ほど問い詰めてやりたい気分だった。


『オマエ、肉、運ブ』

「それくらいはね」


 クロノは肉の塊を背負い、スーの後を追った。


「刻印術を使えば楽なんじゃない?」

まじなイ、頼リスギ、良クナイ』


 掟なのか、スーだけのルールなのか、判断に迷う所だが、それなりの根拠はあるのだろう。

 集落……スーの住居に戻ったのは昼過ぎ、午後からは干し肉造りだ。

 肉を切り分け、たっぷりと塩を塗し、二週間ほど陰干しすれば、干し肉の完成だ。

 口で言うのは容易く、実際にやるのはそれなりに大変だった。

 皮を剥いだりするのはスーがやってくれたのだが、肉の切り分け以降はクロノ一人で作業していたので、余計に時間が掛かった。

 切り分けた肉を日陰に吊し終えると、太陽が沈もうとしていた。


「ちょっと外に出てくるよ」


 スーの住居から外に出て、適当に歩き回っていると、赤の刻印術士……ララと鉢合わせした。

 どうやら、彼女も狩りの帰りらしく大きな肉の塊を背負っている。


『退ケ』

「……少し話をしない?」

『断ル』


 クロノが迂回して進もうとするララの行く手を遮ると、彼女は不愉快そうに眉根を寄せた。

 ララの手が閃き、クロノの喉元に石のナイフが突き付けられる。

 冷たい汗が背筋を伝うのを感じながらクロノは諸手を挙げた。


「ナイフを突き付けなくても良いんじゃないかな?」

『オレ、オマエ、嫌イ。イヤラシイ、目、リリ、見タ』


 いや、うん、いやらしい目で見ましたよ。だって、胸が、オッパイがさ、こう、ギュッて革の帯が食い込んでるんだもん、とクロノは心の中で自己弁護。


「僕は君にも興味があるな」

『……っ!』


 クロノが手を握ろうとすると、ララは弾けるように後退った。


『オレ、オマエ、興味ナイ!』


 ララは怒鳴りつけ、地面を踏み抜かんばかりの足取りでクロノの脇を通り過ぎる。

 いやいや、ここで通り過ぎられたら困るんだよ、僕の計画的に! とクロノはララの後を追った。


「ララは幾つ?」

『……』

「好きな食べ物は?」

『……』

「赤い刻印は綺麗だね」

『……ウルサイ、寄ルナ』


 めげずにクロノが話し掛け続けると、ララは石のナイフを振り回した。

 集落の女性達が何事かと視線を向ける。

 クロノが話し掛け、ララが怒ってナイフを振り回す。

 そんなことを繰り返しながらクロノは集落の端にあるララの住居に辿り着いた。


「夕日が綺麗だね」

『……』


 ララは答えない。

 ナイフを振り回してもクロノを一時的に追い払えるだけと気づいたのか、黙々と肉を切り分けている。


「この山の麓に父さんの領地があるんだ」

『……』

「怖いくらい広い麦畑があって、風が吹くと、ザーッて潮騒みたいな音を立てて麦の穂が揺れるんだ」


 一年前は平凡な領主として一生を終えるとか考えてたんだよね、とクロノは夕日を眺める。


「うわっ!」


 ララに話し掛けようとしてクロノは反射的に仰け反った。

 何かが目の前を通り過ぎたのだ。

 クロノの目の前を通り過ぎたのは木の枝だった。

 木の枝と反対の方向を見ると、スーが不機嫌そうにクロノを睨んでいた。


『飯、作ル』


 スーは拗ねたように唇を尖らせ、クロノの手を引いた。

 刻印術によって強化されていない腕力はそれだけでクロノを動かせるほどではない。


「じゃあね」

『うぅぅぅぅっ!』


 ララに手を振ると、スーは不機嫌そうに唸り、グイグイとクロノの腕を引っ張った。

 住居に戻ると、スーは手を離してクロノに背を向けて座った。

 ララと仲良くしようとしたのが原因なんだろうけど、とクロノは木の実の粉末を少量の水で練る。

 あれだけあからさまな態度を取られれば原因の特定は容易いのだが、スーがクロノを男として見ているからなのか、自分の獲物が他人と接しているのが許せないからなのかまでは判らない。

 二人分のビスケットを焼き上げ、土器から干し肉を取り出す。


「スー、できたよ」

『……オレ、要ラナイ』


 上手く作れたんだけど、と思いながらクロノは無理強いしない。

 一人で食事を終え、マントを寝床代わりに寝転んだ。

 養父から貰ったマントは意外なほど役に立っている。

 まあ、役に立つからこそ養父はマントを愛用していたのだろうが。

 早起きしたせいか、眠りは速やかに訪れた。

 夢を見ているのか、目を覚ましているのか曖昧な、浅い眠りだ。

 何かが動いていることに気づいてクロノが体を強張らせると、何か……スーは驚いたように動きを止めた。

 スーはクロノの隣に毛皮を敷き、その上に横たわった。



 三日目、前日と同じように夜が白んできた頃、クロノはスーに叩き起こされた。

 土器を持って水場に行くと、ララとリリが水を汲んでいた。


「やあ、おはよう」

『……』

『オハヨウ』


 ララはクロノを思いっきり無視し、リリはぎこちなく微笑む。


「今日も良い天気だね」

『良イ、天気』


 ララは答えなかったが、リリは答えてくれた。

 単に社交的なのか、別の狙いがあるのか判断に悩む所だが。


「二人とも今日は何をするの?」

『オマエ、半人前、オ守リ』

「?」


 何のことか分からないまま振り向くと、スーが竪穴式住居の影から恨めしそうにクロノを睨んでいた。


「……き、君達と話をしたいな」


 ベシッと何かがクロノの後頭部に当たり、地面に落ちる。

 振り向くと、スーが木の枝を握り締めてクロノを睨んでいた。


『フフン』


 ララは腕を組み、勝ち誇るように笑った。

 クロノに話し掛けられるのは嫌だが、スーが独占欲を剥き出しにするのは悪い気がしないらしい。

 石を投げつけられかねないね、とクロノは水汲みに専念した。

 住居に戻ると、スーはクロノに背を向けて草を磨り潰していた。


「どうして、木の枝を投げたの?」

『……』


 スーは答えない。


「帝国と仲良くしないと、ルー族は滅びちゃうんだよ?」

『オマエ、ヤッテルコト、仲良ク、違ウ』

「……」


 クロノは反論できなかった。

 友好的な関係を築くと言いながら、ルー族を切り崩そうとしているのだから、言い返せるはずがない。

 そもそも、内部から切り崩そうとする発想自体が友好的とは言い難い。

 選択の余地を奪ってから交渉しても、根本的な解決にはならない。


『オマエ、話、シナイ』

「だって、それは」


 確かにクロノはスーと話していない。

 ルー族が滅亡の瀬戸際にあり、部族の未来のためにスーは協力せざるを得ないと知っているからだ。

 ここに至り、クロノは自分の過ちを悟った。

 スーは部族の将来を憂いながら、そこで思考停止していないのだ。


「僕は……嘘を吐いてるね」

『オレ、分カラナイ』


 スーは草を磨り潰す手を休め、打ちのめされたように肩の力を落とした。


『……子ドモ、生マレナイ。戦ウ力、ナクナル。オレ達、滅ブ』

「悪いけど、ルー族に戦う力は残ってないよ」


 クロノが冷酷に言い放つと、スーは驚いたように目を見開いた。


「君達は家畜を襲って満足していたけど、僕達にとっては少し困るくらいの被害でしかないんだ」

『オマエ、嘘、吐イテル!』


 立ち上がり、スーは叫んだ。

 クロノの言葉を否定しなければ自分達の戦いが茶番だと認めることになるからだ。


「まあ、父さんの世代は必死に戦ったと思うよ。今でも父さんはルー族を脅威に思っているし、僕もルー族の力は侮れないと思ってる。だけど、勝てない相手じゃない」

『……オマエ』

「取り敢えず、練度の高い兵士を一万用意する。僕の部下は六十人弱、これだけでルー族の刻印術士を二人追い詰められたんだから、兵力差が百対一になったら圧勝できるよ、きっと」


 アレオス山地に火を付けるとか、軍団を二つに分けて朝も夜もなく攻め続けるとか、すぐに思いつくのはそれくらいだ。


「自己保身はあったけど、僕がやろうとしていたことはそれなりにルー族のためになったと思うよ。少なくとも味方になってくれたルー族は助かるしね」

『オマエ……酷イ奴』

「嘘を吐くよりマシだと思うけど。で、どうするの?」


 スーは言葉に詰まった。クロノが提示したのは滅亡するか、一部のルー族だけが助かるかの二択だ。


『……ララ、嫌ナ奴』

「うん?」


 スーは俯き、血を吐くような声音で言った。


『ララ、半人前、言ウ』


 スーは拳を握り締めた。


『オレ、ララ、死ンデ欲シイ、思ワナイ』

「それがスーの選択?」


 スーは刻印を起動させ、クロノを引きずり倒すと、首筋に石のナイフを突き付けた。


『ルー族、生キル方法、探ス! オマエ、考エル!』

「……僕が考えるの?」


 石のナイフが皮膚に食い込み、クロノは諸手を挙げて降参した。


「受け入れてくれるかは別として、ドラド王国に逃げるのも手だと思うよ」

『オレ達、南、行ケナカッタ』


 もう試したと言うことだろうか。


「じゃあ、スーがルー族を説得するしかないんじゃないかな? スーが説得してくれれば僕も庇ってあげられると思うし」

『本当カ?』

「この状況で嘘を吐く根性はないよ。僕の領地に引き取っても良いんだけど、まずは歩み寄ってくれないとね」

『オマエ、酷イ奴』

「スーのことは可哀想だと思うし、ルー族の境遇にも同情してるよ。でも、僕は君達のために命を張るつもりはないんだよ」


 スーやルー族に同情しているのは本心だ。

 けれど、スーやルー族のために命を張れないのも本当の気持ちだ。

 部下と領民のためになら命を賭けられる。

 多分、その時は怯えて、後悔して、泣き喚きながら覚悟を決める羽目になるのだろうけど。


『オレ、説得スル』

「頑張って」

『オマエ、来ル!』


 マントを引っ張られたので、クロノは仕方がなくスーに従った。

 当然と言うべきか、スーが真っ先に向かったのは族長の所だった。


『オマエ、待ッテル!』

「家に帰っても良い?」


 クロノが尋ねると、ガルル! とスーは犬のように唸った。


『半人前、オ守リ、似合ッテル』

「お守りって訳じゃないよ」


 スーが族長のテントにはいると、タイミングを見計らっていたのか、ララが嘲るように言った。


『スー、何、シテル?』


 リリが不思議そうに首を傾げる。


「ルー族のために族長と交渉中」

『……オマエ、少シ、違ウ。話、掛ケナイノカ?』


 ララは少し不満そうに言った。


『……っ! ……っ!』

『っ! ……っ!』


 背後からスーと族長の声が響いた。


『半人前、何、シテル?』

「戦いを止めて、帝国と仲良くしようみたいな話」


 ララは何処からともなく石のナイフを取り出すと、その先端をクロノに向けた。


『オマエ、何、シタ?』

「何も」


 クロノは肩を竦めた。


「ちょっとした情報は伝えたかな?」

『何ヲ?』

「もうルー族には帝国に抵抗する力がないって情報」


 ララはクロノの胸ぐらを掴むと、怒りに耐えるように歯を食い縛った。

 リリは悲しそうに目を伏せた。


『オレ達、戦ッタ! 全部、勝ッタ!』

「知ってる」


 ガウルが率いる大隊は三人のルー族に圧倒された。

 だが、それはガウルが陣を組み、正面から迎え撃とうとしたからだ。

 ついでに言えばガウルの目的は蛮族の討伐で、ルー族の目的は家畜を奪うことだ。

 そこだけ見ると、ガウルは盛大に空回っていたとしか言い様がない。


「リリは気づいてたのかな?」

『ワタシ達、全部、勝ッタ。アナタ達、ズット、豊カ』


 南辺境の領地を見る機会でもあったのか、リリは打ちのめされたように小さな声音で言った。


「ララは気づかなかったの?」

『……ぐ、ぬ』


 薄々気づいていたのか、ララの手から力が抜ける。


『アナタ、ドウスル?』

「君達を利用してルー族を切り崩そうと思ったんだけど、バレたからね。まあ、後はスーの頑張りに期待かな?」


 パクパクとララは陸に打ち上げられた魚のように口を動かした。


『オマエ、最低! クズ!』

「いやいや、上手く利用できればと思ってただけで、全く興味がなかった訳じゃないんだよ」


 我ながら最低の台詞だ、とクロノは心の中でララの罵倒に同意する。


『……ドウシテ?』

「ちょっとした心変わり、かな? あ、いや、それも違うかな。元々、僕は戦いが得意な方じゃなくてね」


 クロノは考えを纏めながら答える。


「蛮族だからって皆殺しにするのは気が引けるし、戦わずに済むのならそれが一番だって思ってたんだよ」


 ララとリリは驚いたように目を見開いた。


『……アナタ、変』

『オマエ、オカシイ』


 誉め言葉として受け取っておくよ、とクロノが口を開きかけたその時、スーがテントから飛び出した。

 いや、それは飛び出したなんて生易しいものではなく、あたかも砲弾のように水平に発射されたのだ。

 スーは背中から叩きつけられ、獣のように四つん這いになって勢いを殺した。

 石畳で舗装された道ほどではないが、踏み固められた地面もそれなりに固い。

 背中や太股に痛々しい傷が刻まれ、血が滲む。

 悠然と族長はテントから歩み出て、クロノを一瞥したが、すぐに興味を失ったのか、スーを見下ろした。


『……族長、オレ達、戦ウ力、ナイ』

『ダカラ、降伏シロト?』


 違ウ、とスーは小さく呟く。


『戦ウ力ヲ失イ、子ヲ育ム力サエ失ッタ我ラト、誰ガ友好ヲ求メルト言ウノカ。オ前ノ言葉ノ先ニアルノハ隷属ダ』

『……っ!』

『我々ハ土地ヲ奪ワレタガ、戦ッタカラコソ、隷属セズニ済ンダノダ』


 族長の言葉にも一理ある、とクロノは思う。


『理解シタノナラバ薬草デモ取リニ行クガ良イ』


 族長はスーに背を向け、テントに戻っていった。


『……オレ、諦メナイ』


 スーは零れ落ちそうになる涙を乱暴に拭った。



 族長の言葉にも理はあるんだよね、とクロノは木に背を預ける。

 動乱期以降、帝国が本格的に討伐を行わなかったのはルー族が強かったからだ。

 今のルー族が友好関係を築きたいと申し出たとして帝国が応じるか甚だ疑問である。

 戦力が落ちたのを幸いとばかりに攻め込んだり、ひたすら不利な条件を呑ませて隷属させたりしそうだ。

 僕の領地に引き取るのは不可能じゃないと思うけど、族長が信じてくれないことにはどうにもならない訳で、とクロノは薬草を集めるスーを見つめた。

 族長の命令なんて無視してしまえば良さそうなものだが、スーは真面目に薬草を集めている。


「……何だかな」

「クロノ様、進捗状況は如何でしょう?」


 マイラが木の陰で囁く。


「内部から切り崩す案は没、あっさりバレた」

「旦那様はクロノ様を救出するためにガウル大隊長に協力すると仰っています。二週間足らずで蛮族は滅びるでしょう。坊ちゃま!」


 突然、マイラに肩を掴まれ、クロノはわずかに首を傾けた。何事かと思う暇もなく、クロノが背を預けていた木に槍が突き刺さった。


『ソコマデダ! 侵略者ノ手先!』


 族長の声が響き渡り、ルー族の戦士達が地面に降り立つ。

 それぞれが刻印を輝かせ、武器を構えている。


「どうやら、泳がされていたみたいだね」

「やはり、全盛期に比べて能力が落ちているようです」


 シリーズ物のRPGにありがちな、戦っていなかったせいで主人公のレベルが落ちるようなものだろうか。


「マイラ、逃げられる?」

「逃げるよりも覚悟を決める場面ではないかと」


 そっか、とクロノは立ち上がった。

 ルー族の戦士は五十人足らず。

 ここで躊躇えばその分だけマイラの死ぬ確率が高まる。


「……ここは僕に任せろ」

「それは坊ちゃまに教えて頂いた『死亡ふらぐ』ではないかと」

「いやいや、死ぬつもりなんて欠片もないから!」


 天枢神楽を起動、術式が高速でスクロールし、漆黒の球体がクロノの手から少し離れた場所に浮き上がる。


「坊ちゃま、坊ちゃまが命を賭ける必要はございません」

「こんな時じゃないと、恩返しできないでしょ?」


 クロノは泣きそうになりながら笑った。


「では、約束を……無事に屋敷に戻ることができたならば、木の棒で天を突く、奇妙なダンスの由来を教えて頂きたく」

「死ぬつもりはないって言ってるのに、どうして、死亡フラグを立てるかな!」


 マイラが駆けると同時にリリが飛翔する。


「させるか!」


 漆黒の球体は解き放たれた矢のように突き進み、リリは体を捻ってそれを躱す。


「甘い!」


 クロノは球体を操作、リリを追跡する。

 漆黒の球体がリリの髪に触れた瞬間、クロノは拳を握り締めた。

 ボッ! とそんな音が聞こえてきそうだった。

 漆黒の球体はリリの長い髪……その一部を何処かへ転移させる。


『……っ!』


 風に舞う髪を眺め、リリは虚空に留まる。


『オマエ、何、シタ!』

「空間転移だよ。僕が使える唯一の……攻撃魔術だ。刻印術の性能がどんなものか分からないけど、頭や心臓を消されて生きていられる人間なんていない」


 かなり離れた場所で叫ぶスーにクロノは答えた。


『アレハ、ソレホド数ヲ放テン!』

「……普通ならね」


 チラリと背後を確認。

 マイラの姿は見えないが、クロノは天枢神楽を多重起動、大量の術式が視界を埋め尽くし、脳に腕を突っ込まれたような激しい頭痛と嘔吐感、ついでに鼻血も滴り落ちる。

 魔術は術者の意思で威力を増大させたりできない。

 それは術者に過度の負担が掛からないように設計されているからだ。

 あるいは術式そのものを変えることができれば安全に魔術の多重起動をこなせるのかも知れないが。


「天枢……神楽!」


 漆黒の球体がクロノの周囲に浮かび上がる。

 その数は優に二十を超える。

 クロノはルー族の戦士達と対峙する。

 正直に言えば、この時点でクロノは詰んでいる。

 ルー族の戦士達が一斉に襲い掛かってきたら、クロノは狙いをつける間もなく殺されるだろう。

 だが、ルー族にはそれが分からない。

 分からないが故にその場から動けず、分からないが故に不安と恐怖を増大させる。

 族長もまた魔術の多重起動に恐怖と不安を抱いているようだった。

 戦士達を突撃させるのは容易いが、族長は戦士達が死ぬことを恐れている。

 睨み合いが続く。

 五分か、十分か、薄氷を踏み抜いたのはスーだった。

 スーは槍を構えてクロノを睨んだ。


「止めろ、スー。僕は君を殺したくない」

『オマエ、嘘、吐イタ。戦ウ力、隠シテタ』


 スーを殺したくないのは本心だった。

 けれど、スーは聞く耳を持たず、槍を構えてクロノに突進した。

 畜生、と何かを罵りながらクロノは漆黒の球体を操作する。

 間合いは十メートル以上ある。

 漆黒の球体はピラニアの如くスーに殺到し、彼女の体を擦り抜ける。

 人を殺した。

 初陣で、盗賊の討伐で、神聖アルゴ王国との戦いで敵も、味方も殺しながら……たった数日、一緒に過ごした蛮族の少女を殺す決断ができなかった。

 ドン! と衝撃が全身を貫く。

 スーの槍が貫いたのはクロノの右肩だ。

 理由は分からないが、スーもクロノと同じように躊躇ったのかも知れない。


『……オマエ』


 クロノは激痛に耐えながら漆黒の球体を消滅させる。

 周囲の木々が次々と倒れる。

 スーも、ルー族の戦士達も無事だ。


『ドウシテ?』


 何故と問われてもクロノには答える術がない。

 激痛のあまり脂汗を流しながら、クロノは必死に考えた。

 スーの頬を、髪を撫でる。


「……分からないよ」


 意地の張り時を間違えるな、と養父の忠告を思い出す。


「でも、きっと、これが僕だから」


 矛盾……誰もが平等に扱われる世界を目指しながら貴族の特権を貪り、命の大切さを語りながら敵を殺し、奴隷制度を忌避しながら性奴隷を犯し、奴隷売買で利潤を得る。

 魔術の多重起動の反作用とスーに肩を貫かれた痛みで、あっさりとクロノの意識は暗転した。



 風が鳴いている。

 クロノが朧気ながら意識を取り戻すと、そこは石で覆われた部屋だった。

 いや、巨大な岩の塊で造られた部屋と言うべきだろうか。

 石室と言う言葉がクロノの脳裏を掠めるが、それが正しい知識であるかは確証を持てない。

 クロノは上半身裸で、腕を拘束されていた。

 両手首から伸びる革はクロノの両脇に打ち込まれた二本の丸太に繋がっていて、動けそうにない。

 顔を上げると、族長がクロノを見下ろしていた。


『オマエハ何ヲ考エテイル?』


 クロノは思考する。

 もっとも、その思考は魔術の多重起動の影響で酒に酔ったように胡乱なものであったが。


「……ルー族が未来を得る方法を」

『ソノタメニ、スーヲ誑カシタノカ?』


 族長の顔が嫌悪に歪む。


「ルー族は……詰んでる。今なら、今なら間近に迫った滅びを回避できる」

『ソノタメニ、誇リヲ捨テロト? 元ハト言エバ、オマエ達ガ我ラノ土地ヲ奪ッタコトガ原因デハナイカ! オマエ達ハ我ラノ土地ヲ奪イ、禽獣ノヨウナ生活ヲ強イタ! オマエ達ト、ドウシテ、共ニ歩むムコトガデキルっ?』


 クロノは族長の言葉に目眩にも似た絶望感を抱いた。

 滅亡が間近に迫っていても、族長は帝国に恭順することを由としない。

 だが、同時に共感もしていた。

 理性で恭順することが滅亡を免れる唯一の手段だと知っていても、メリットとデメリットを秤に掛けて、メリットの方が大きいと判じても、感情はそれを許さない。

 最初から落とし所が定められていた戦争……そんなもののために部下は死に、そうと知らずにクロノは一人でも多くの部下を救うために足掻いた。

 次期皇帝アルフォートにクロノは憎悪を抱いた。

 あの時は……エルナト伯爵がクロノを抑えてくれた。

 つまり、そういうことだ。

 理不尽なんてものは生きていれば雲霞のように押し寄せてきて、今を手放すかの選択を迫られる。

 当事者であっても、まるで第三者のような冷徹な視点を求められるのだ。

 だからこそ、クロノは族長に憎悪を抱く。

 自分が部下のため、領民のために憎悪を呑み込んだのに、貴方は何をしているのかと。


「族長ならば、怒りを呑み込むべきだ」


 クロノはそれこそ血を吐くような想いで族長に告げた。

 自分でさえもエルナト伯爵に押さえつけて貰わなければ制御しきれなかった憎悪……それを理解しながらスーのため、ルー族のために言葉を紡いだ。


「貴方が、ルー族を説得してくれれば全てが丸く収まるんだ! スーは未来が欲しいと言った! リリだって、ルー族と帝国の力の差を理解していた!」

『黙レ!』


 族長の反応は苛烈だった。

 視界がハレーションを起こす威力の平手がクロノの頬を殴打する。

 二度、三度、血の味が口の中に充満する頃、族長はクロノを叩くのを止めた。


『……オマエニハ分カルマイ。同族同士デ食物ヲ奪イ合ウ惨メサヲ、生マレタバカリノ子ヲ殺サネバナラナカッタ苦シミモ……っ!』


 族長は叫んだ。


『今マデ我ラヲ支エタノハ誇リト憎悪ダ!』


 分かり合えるはずがない。

 理解し合えるはずがない、とクロノは自分の心が折れそうになるのをはっきりと自覚した。

 あまりにも遅すぎた。

 ルー族は帝国を憎んでいる。

 ありとあらゆる苦しみの原因が帝国にあるとし、それを頼りに今まで生き延びてきたのだ。


「……帝国が憎いのは分かる! それでも、より多くを生かすために堪えなきゃならないんだ!」


 無理だ、と思う。

 クロノだって憎しみを抑えることなんてできやしなかったのだ。

 それでも、当事者じゃないからこそ言えることもある。


「貴方は、スーから未来を奪うつもりか!」

『黙レ!』


 意識が断絶しそうになるほど強烈な平手がクロノの頬を捉えた。

 グラグラと揺れる視界の中で族長は荒い呼吸を繰り返していた。


「今なら、僕の力で何とかできるんだ」

『……信ジラレン』


 そう言いながら、族長は考え込むように腕を組んだ。

 どれくらい考え込んでいただろうか。


『ダガ、一族ヲ滅亡ニ導クノハ本意デハナイ。故ニ……オマエニハ『死ノ試練』ヲ受ケテ貰ウ。オマエガ生キ延ビタナラバ、オマエヲ同胞ト見ナシ、信ジヨウ』

「それが……妥協点?」

『ソウダ』


 族長はクロノに背を向けて石室から出て行った。

 族長が戻ってきたのは一時間くらいしてからだ。

 族長はスーを伴っていた。


『コレヨリ『死ノ試練』ヲ行ウ』


 族長は手にしていた筒状に丸めた革を広げた。

 その内側に納められていたのは先端の尖った骨っぽい何かや石っぽい何かだ。


「……『死の試練』って何?」

『一晩デ刻印ヲ施ス』

「生存率は?」

『タッタ一晩デ刻印ヲ施シタ場合、十人中九人ガ痛ミニ耐エカネテ死ヌ』


 死ねと言ってるようなものじゃないか、とクロノは族長を睨んだ。


『ドウセ、死ヌ。ナラバ賭ケロ』

「『死の試練』を受けなければ処刑するって意味?」


 クロノが問うと、族長はサディスティックな笑みを浮かべた。


「……この、生き延びたら指の跡が付くぐらい乱暴に胸を揉んでやる」

『フン、頼モシイゾ』


 族長は骨のような何かを握り締め、その先端をクロノに突き刺した。

 痛くないとクロノが考えた瞬間、


「……っっ!」


 激痛がクロノを襲った。

 意識が遠退くが激痛のあまり気絶することも、絶叫することもできない。


『好キナダケ叫ブガ良イ』


 族長は心地良いとでも言うように笑みを崩さなかった。



 鞭打ちは痛い、と漫画で読んだ記憶がある。

 激痛のあまり横になることも、眠ることもできないとも。

 動画サイトで鞭打ちの映像を見たことがあるが、鞭が振るわれるたびに赤黒い線が走る光景はあまりにも痛々しかった。

 多分、今のクロノは鞭打ちされた罪人に共感できる唯一の日本人だろう。


『フン、耐エタカ』


 クロノは浅い呼吸を繰り返した。

 族長の言葉から察するに『死の試練』はこれで終わりじゃないんだろう。

 クロノは浅い呼吸を繰り返す。

 わずかに身動ぎしただけで、大きく呼吸しただけで気が狂わんばかりの激痛がクロノを苛むのだ。

 いっそのこと、舌を噛み切って自殺してやろうとも考えたが、クロノは刻印を施す痛みに耐えきった。


『スー、世話ヲシテヤレ。タダシ、水ト食事ダケダ。痛ミヲ和ラゲルヨウナマネハ許サン』

『……』


 スーを残し、族長は石室から出て行った。


『……』


 スーは話さない。クロノにも話し掛ける余裕はなかった。



 『死の試練』の激痛に耐えるためにクロノは楽しいことを考えようと思った。

 人間はポジティブな感情を維持することで免疫力や回復力が高まると聞いたからだが、一時間も経たない内に挫折した。

 こんな極限状況で楽しいことを考えるなんて無理だった。

 その代わりにクロノの心を支配したのは怒りと憎悪だった。

 最初はルー族に対して、次に族長、ララとリリ、スー……そして、クロノの身を案じているはずの養父やマイラ、タイガ、フェイ、スノウ、レイラまで憎んだ。

 全てに憤り、全てを憎悪した。

 何故、こんな目に遭っているのに助けてくれないのか。

 大切にしてやったのに助けに来てもくれないのか、と。

 逆恨みだ。

 恥ずべき考えだとクロノは思えなかった。

 クロノにとっては助けてくれないことが全てで、自分を助けてくれない全ては怒りと憎悪の対象だった。

 クロノは呪詛を紡ぎ続けた。

 ようやく正常な認識が戻ってきたのは激痛が和らぎ、浅いながらも眠れるようになってからだった。

 頭痛がするほど惰眠を貪り、クロノは後悔に苛まれた。

 それは甲斐甲斐しく世話をしてくれるスーに暴言を吐いた後悔であり、今も心配しているはずの人々に呪詛を紡いだ後悔だった。

 余裕がなくなった途端、愛人達にまで呪詛を紡ぐ自分の浅ましさにクロノは打ちのめされた。


『……六日目』

「何かあるの?」


 痛いが、今は何とか冷静に話せる。


『『死ノ試練』、半分、六日、生キル。七日目、刻印、浸食、始マル』


 浸食? とクロノは自分の体に彫られているはずの刻印を見つめる。

 目を凝らすと、薄く線が走っているような気がしなくもない。


『飲メ』

「鎮痛剤?」

『毒。死ヌ、苦シマナイ』


 スーが地面に置いたのは黒い丸薬だ。


「いや、だって、十人中一人は生き延びられるんでしょ?」

『言葉、理性、失ウ。生テルダケ。人間、言ワナイ』


 クロノはゾッとした。

 族長はクロノを助けるつもりなどなかったのだ。

 人格が消し飛ぶほどの激痛、そんなものに自分が耐えられると思わなかった。


『始マッタ。オレ、残念』

「ちょっと、まだ、死にたくないんだよ! やりたいことが、やりたいことなんてなくても、生きて……っ!」


 刻印が漆黒の輝きを放った。

 刻印は瞬く間に太く成長し、クロノから冷静な思考を奪った。

 麻酔が切れた時に似ているだろうか。

 麻酔が効いている時は痛みなんて感じなかったのに切れた途端、神経を、脳を直撃するような痛みが走るのだ。

 クロノは肉が抉れ、腕の骨が折れるのも構わずに自分を拘束する紐を引き千切り、毒薬に手を伸ばした。

 死にたくないなんて想いは何処かに吹っ飛んでいた。

 ただ、この痛みから逃れられるのならば何でも良いと考えていたのだ。

 クロノは折れた腕で毒薬を掴み、噛み砕いた。

 死ねる。

 早く、早く、一分でも早く、一秒でも早く死にたい。

 ふとスーと目が合った。

 一瞬だけ冷静な思考が戻る。

 その一瞬にクロノの脳裏を過ぎったのは今まで出会った人々の姿だった。

 クロノは砕けた毒薬を吐き出し、喉の奥に指を突っ込んで嘔吐した。

 激痛、激痛、自分から死を望むほどの激痛に苛まれながらクロノは石室の床に頭を叩きつける。


『オマエ、毒、飲ム!』


 スーが刻印を輝かせ、新しい毒を押しつけるが、今度こそクロノは抵抗した。


「嫌だ、嫌だ、嫌だ! 死ぬのは嫌だ!」


 小便を垂れ流しながら、クロノは叫んだ。

 どんなに無様でも、どんなに汚れても、生きたかった。

 死にたくなかった。


「レオ、ホルス! 僕は!」


 クロノは石室の床に頭を叩きつけながら叫んだ。


「リザド!」


 漆黒の刻印が強く輝き、クロノは反射的に首飾りを掴んだ。



 その日の空は忌々しいほど澄んでいた。

 クロノの犠牲により、生還したマイラをクロードは叱責しなかった。

 ただ、恐ろしいほどの手際の良さで戦う準備を整えた。

 たった八日で南辺境の……新貴族が擁する兵力の半数を集めた。

 ガウルもまた越権行為と承知の上で南辺境の帝国軍……半数を超える四千を掻き集めた。

 ガウルの顔を彩っていたのは自責の念だ。

 自分が功績を立てるために無駄な戦いを繰り返し、クロノの命を危険に晒してしまった。

 クロノの部下は恐ろしいほど静かだった。

 それは怯えているからでも、不安だからでもない。

 彼らは死ぬ覚悟をしたのだ。

 兵力は四千五百弱、勝てるかも知れないが、救出は難しいだろう。


「……」


 全盛期の装備に身を固めたクロードは寒気がするほどの殺気を身に纏っていた。


「蛮族が、来ました!」


 最初に叫んだのは誰だったのか。兵士達が一斉に動き、蛮族に備える。


「クロノ様を運んでいます!」


 森を抜けたのは四人の蛮族だった。

 二人は木と革を組み合わせた物でクロノを運んでいた。

 残る二人……一人はスカートのように長い革で下半身を覆った女、もう一人はクロノと一緒にいた少女だった。

 蛮族は軍から離れた場所にクロノを置いた。


「クロノ様!」


 真っ先に駆け出したのはレイラ、次にクロードだった。

 フェイ、スノウと続き、マイラは警戒しながらクロノに走り寄った。

 クロノは薄汚れていた。

 饐えたような汗の臭い、ズボンには染みがあり、額は割れて枯葉色の血痕が顔を汚していた。


「お、おおおおっ!」


 クロードはクロノを抱き締め、慟哭した。

 もはや、それは殺戮者スローターと呼ばれた男の姿ではない。

 年老い、たった一人の息子を失った父親の姿だった。


「俺の、俺の息子を、よくも!」


 クロードが剣を抜くと同時に、レイラが、フェイが、スノウが武器を構える。

 静かにマイラは短剣を抜き、クロードが斬りかかる瞬間を待った。


「……ちょっと、待って」


 背後から聞こえた声に、もう二度と聞くことがないと思っていた声にクロードは剣を落として振り返った。


「生きて、生きていやがったのか」


 クロードは涙を流してクロノを抱き締めた。


「父さん、立たせてくれない?」


 クロノはクロードの肩を借りて立ち上がると、蛮族に向かって手招きした。

 手招きに応じたのはクロノを運んでいなかった二人の蛮族だ。


「武器を収めて」

「……分かりました」


 クロノに命じられてレイラは弓を下ろした。もっとも、いつでも引き絞れるようにしていたが。


「族長、約束だよ」

『フン、指ノ跡ガ付クホド胸ヲ揉ムダッタカ?』

「もちろん、そっちも守らせるけど、もう一つの方」


 渋々と言った感じで、蛮族……族長と呼ばれた女は兵士を見つめた。


『聞ケ! 侵略者ノ末裔ドモ!』


 シーンと辺りが静まり返る。


『我々、ルー族ハ同胞クロノノ言葉ヲ受ケ入レ、帝国ト共ニ歩ム道ヲ選ンダ! コレハ敗北デハナイ! 恭順モ、隷属モシナイ! 共ニ生キル道ヲ模索スルダケノ話ダ!』


 フン、と不機嫌そうに鼻を鳴らし、族長はクロノを睨んだ。


『コレデ良イノダロウ? 我ガ同胞ヨ』

「無駄に喧嘩を売ったような気もするし、問題も山積みだけど……取り敢えず、戦いは終わりだね」


 族長は踵を返し、ふと足を止めた。


『スー、クロノノ元ニ行ケ』

『……』


 スーと呼ばれた少女は無言でクロノに歩み寄り、臭いのか、ちょっと離れた位置で立ち止まった。


「その心は?」

『スーヲ嫁ニヤル。イズレ、スーガ子ヲ孕ミ、部族ノ知恵ヲ受ケ継ガセルダロウ。近イ将来、純粋ナルー族ガイナクナッテモ……我々ハ残ルノダ。ソノ時、オマエ達ハ敗北スル』


 遠大な侵略計画だ。


「嫁って言うけど、愛人がね」

『第一夫人ニシロトハ言ワン。シッカリ孕マセロ。私ノ娘ヲ頼ンダゾ』

「サラッと凄いことを言った!」


 フフン、と楽しそうに鼻を鳴らし、族長は森に戻っていった。


「今度こそ、終わりだね」


 クロノは溜息を吐き、そのまま気絶した。


「……これで帝国から金をふんだくれなくなっちまったな」

「ええ、クロノ様のお陰で」


 マイラは力なく頭を垂れるクロノを見つめながら微笑んだ。

 四年前、マイラの前に現れたダメ人間は誰にもできなかったことをやり遂げた。

 マイラは空を見上げた。

 空は忌々しいほど澄み渡り、新しい時代の到来を予感させた。

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