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第5話『士官教育』


 アーサー・ワイズマンは軍学校の教師補だった。

 主な仕事は落ち零れた学生の面倒を見ることで、それなりに忙しい仕事ではあったものの、休憩する暇もないほど忙しくはなかった。

 教師補だったのも、忙しくなかったのも過去の話である。

 今のアーサーはクロノの領地において教師を生業とする唯一の人間であり、朝から晩まで勉強を教え、深夜まで授業の準備をこなす日々が続いている。

 雇用主であるクロノの要望は人材の育成なのだが、どのような人材が領地経営に求められていて、どのように育成するのかさえ分からない手探りの状態だ。

 悩んだ末にアーサーは戦術教育を通して士官を育成するという方針を固め、副官、レイラ、デネブ、アリデッド、シロ、ハイイロ、騎兵隊長のケイン、騎兵隊員のフェイに士官教育を施し、彼らよりも遅れて昇進したタイガとナスルに読み書きや算術を教えるつもりだった。

 ちなみにドワーフの百人隊長であるゴルディは修業時代に最低限の学力を身に付けており、工房の仕事と部下を職人として鍛えている最中だったので、士官教育の対象から外している。

 八人に対する士官教育は順調に進んでいるのだが、このままでは休日を返上して働くことになるだろう。

 理由は忙しいからだ。

 予想通りの結果である。

 一人で五百二十人の兵士に勉強を教えようとすれば、こうなることくらいバカでも分かる。

 もちろん、アーサーにだって分かっていたのだが、分かっていてもやらなければならないことはあるのだ。

 そもそも、ことの始まりは一人の獣人に勉強を教えて欲しいと頼まれたことだった。

 その獣人は去年の五月……神聖アルゴ王国が昏き森を越えて侵攻した頃にクロノの部下となった古参兵だった。

 アーサーは彼の向学心に感心するよりも驚いた。

 いや、驚いたと言うよりも戸惑ったの方が正しいだろう。

 アーサーが戸惑いながら指示を仰ぐと、あっさりとクロノは勉強を教えることを許可した。

 友達も一緒で良いか? と尋ねられたので、アーサーは深く考えずに頷いた。

 それがマズかった。

 友達が友達を呼び、いつの間にか、人数が五百十人にまで膨れ上がっていたのである。

 彼らは以前から教育を受ける機会を窺っていたらしいのだが、クロノに勉強を教えて欲しいと頼むのは立場的に難しく、黄土神殿の神官にお願いするのも気が引けたと言う。

 断ることもできたのだが、キュ~ンと力なく尻尾を垂れる獣人の姿に罪悪感を刺激された。

 そして、先生、先生と嬉しそうにアーサーを呼ぶ彼らを見て、このままの流れに沿って死ぬ決意をした。

 その後、アーサーは方々に頭を下げて授業の準備を整えた。

 兵士として働いている彼らが勉強できるのは非番の日だけなので、前日に夜勤を担当していた者でも授業を受けられるように午前と午後に授業を行うことにした。

 彼らから見れば週に一度、半日のみの授業である。

 次に事務見習いのウェスタに協力して貰って教科書を刷った。

 人数分刷るのは難しかったので、一度に授業を受ける人数分と予備を含めて四十五冊ずつ刷って使い回すことにした。

 教科書は版があったので作りやすかった。

 モモタロウ、花咲か爺さん、カチカチ山、猿蟹合戦……版を保管していたゴルディによればクロノの創作らしいが、登場人物が妙に悲惨な目に遭うのは何故だろうか。

 文字を練習するための砂箱や数字を覚えるために石を用意し……やっとこさ、体裁を整えたのである。

 そんな激動の二週間を振り返りつつ、アーサーは教室……侯爵邸にある部屋の一つに入った。

 そこはクロノが教室として開放している部屋で中央には長机が横に二列、縦に三列で並べられ、イス、本棚が置かれている。

 八人の士官候補生は無償で羽ペンとインクを支給され、本の持ち出しも可能となっている。


「……先生、遅~い」

「待ちくたびれたし」

「少し準備に手間取ってしまってね」


 ブーブーと文句を垂れる双子のエルフにアーサーは頭を掻きながら答えた。

 彼女達の席は横に廊下側の二列目だ。


「手が足りないのであれば手伝いますが?」

「そうであります」


 優等生的発言をしたのは廊下側の最前列に座るレイラとフェイだ。


「いや、君達も疲れているだろうしね」


 事実である。

 兵士である彼らは朝から夕方まで訓練や演習、新兵の指導までこなし、夜は士官教育を受けているのだ。


「昨日は何処まで話したかな?」

『三十年前、動乱が収束した』(ガウガウ!)

『蛮族を追い払う』(ガウ!)


 窓際の最前列に座っていたシロとハイイロが机を見ながら吠える。

 机の上には本が開いた状態で置かれている。

 この本も支給品だ。ノートと名付けられた本は何も書かれておらず、候補生はアーサーの用意した資料や授業の内容を書き込むのだ。

 軍学校では授業の内容を暗記するしかなかったが、紙を特産品とするクロノの領地ならではの発想だ。


「ああ、蛮族、蛮族ね。動乱期に帝国に侵入した蛮族は母系社会で、帝国とは異なる文化を持っているんだ」

「六柱神を信仰していないでありますか?」

「連中は六色の精霊を信仰してるんだとよ」


 フェイの質問に答えたのは窓際の最後尾に座っているケインだった。


「連中は……そこら辺に転がってる石ころにも精霊が宿ってると考えてるみたいだぜ」

「よく知っているね。他にも彼らは刻印術という特殊な魔術を使うんだ」

『刻印術ってのは、どんな魔術なんで?』(ぶもぶも?)


 廊下側の最後尾で副官……ミノが言った。


「刺青に近いかな? 普段は見えないんだけど、刻印術を使うと、光り輝く模様が浮かび上がるんだ」


 光り輝く刻印……背から伸びる光は二の腕、太股に絡み付き、蛮族が駆け抜けると、六色の光が戦場を彩った。

 まるで空間そのものを切り裂いたような、まるで命を世界に刻みつけているような光景だった。

 美しいと思った。

 それが自分に死を与える光であると知りながら、それでも、アーサーはその光景に胸を打たれた。


「刻印術の色によって異なる属性を操ることができる。例えば、赤なら火、緑なら風、黒は身体能力の大幅な強化という具合にね」

「蛮族って、クロノ様の父親がアレオス山地に追っ払ったんでしょ?」

「んなヤツらをよく追い出せたよね」

「確かに、彼らは帝国とは異なる魔術を使っていたけれど、数が多くなかったからね。もちろん、兵力の差だけじゃなく、狩猟と略奪でしか糧食を確保できなかったのも理由の一つだね」


 ケフェウス帝国軍では兵士一人が一日に必要とする食糧を麦千グラム、肉百五十グラム、塩十二グラム、馬一頭が一日に必要とする秣を大麦五千グラム、干し草四千グラム、藁四千グラムとしている。

 ケフェウス帝国は何十年も他国に侵攻するような戦争を経験していないので、補給が軽んじられる傾向にあるのだが、アーサーは自分の経験から補給の重要性を言い聞かせていた。


『戦わなくても飯は食いやすからね』(ぶも~)

「あ~、帝国に戻るまで腹ペコで死ぬかと思ったし」

「腹ペコだと、気力も萎えるし……つか、クロノ様って弱っちいくせに何気に最後までみんなを励ましてたよね」


 ミノ、デネブ、アリデッドはしみじみと言った。


「丘陵地帯で重装騎兵に回り込まれた時も酷かったよね」

「侮れないよね、馬」

「……侮れないのは馬だけじゃないであります」


 フェイは不満そうに唇を尖らせた。


「実際、馬の機動力は侮れねーからな」

「おおっ! つまり、あたしら弓兵が馬に乗れば!」

「馬の機動力を活かしつつ、遠距離攻撃で、超無敵じゃん!」


 子どもみたいな発想だ、とアーサーはデネブとアリデッドを見つめた。

 だが、騎兵の機動力を備えた弓兵という発想は面白い。


「ですが、亜人が馬に乗って良いものなのでしょうか?」

「クロノ様なら軽く許してくれそうじゃん?」

「馬も余ってることだし」


 侯爵邸の厩舎にいる馬の数は三十頭、二十一頭は騎兵隊所属だが、残る九頭は宙に浮いた状態だ。


「そりゃあ、良いな。正直、領地が増えてから見回りがキツくてよ。馬に乗れるヤツが増えてくれりゃ、万々歳だ」


 デネブとアリデッドの提案にケインが同意した。


「アーサー先生、クロノ様に具申よろしく!」

『アーサー先生、あっしはアルコールってヤツを作ってみたいんで』


 ついでとばかりにミノもアーサーに言った。


「「アルコール?」」

『クロノ様が作った燃える水でさ』(ぶも~)


 あれがしたい、これがしたい、と話が逸れていくが、アーサーは口を挟まなかった。

 雑談に興じているのならばともかく、彼らは真面目に考えているのだ。

 むしろ、彼らの発想を活かすことこそ、自分の役割ではないだろうか。



 翌日、アーサーが早めに昼食を切り上げて執務室を訪れると、クロノは難しそうな顔で報告書らしき紙を睨んでいた。


「クロノ君、何を読んでいるんだい?」

「……シルバの報告書です。どうも、シルバ式立体塩田を設置するのに領民から良い返事が貰えなかったらしくて」


 そういうこともあるだろう、とアーサーは頷いた。

 シルバ式立体塩田は素晴らしい発明だが、発想が新しすぎてカド伯爵領の領民には受け容れにくいのだろう。


「失敗した時は補償を……と思うんですけど、今までカド伯爵領では塩を作っていなかったらしくて、何処までが成功で、何処までが失敗なのか線引きが難しいんですよ」

「ああ、それは難しい問題だね」


 アーサーから見てもクロノは甘い性格をしているが、成功、失敗を判断する数字がないのに補償を約束するほど甘くないようだ。


「だったら、まずは港造りに従事しているリザードマンやミノタウルス達に任せたら、どうかな。シルバ式立体塩田で塩を作っている所を見せて……こういう言い方は好きじゃないんだが、儲かると分かれば領民も自分から協力すると言い出すんじゃないかな?」

「やっぱり、普及させるには時間が掛かるものですね」


 クロノは溜息を吐くように言って、報告書からアーサーに視線を移した。


「所で……何の用でしょう?」

「実は領地の治安維持を兼ねて新しい兵種を創設しようと思ってね」

「新しい兵種ですか?」


 クロノは驚いたように目を見開いた。

 これまでも細々とした提案はしてきたのだが、新しい兵種は想像の埒外だったようだ。


「デネブ君とアリデッド君の発案でね。馬の機動力を持つ弓兵……弓騎兵と呼ぼうと思うんだけど、どうだろう?」


 アーサーが言うと、クロノは考え込むように腕を組んだ。


「ケインは?」

「ケイン君の賛同なら得ているよ」

「彼が了承しているなら、僕が反対する理由はないですね」


 こんな簡単に決めてしまって良いのだろうか? とアーサーはクロノの決断の早さに戸惑いを隠せなかった。


「……それから、ミノ君がアルコールを作りたいと」

「アルコールを? まあ、ワインやビールを蒸留器で煮詰めれば比較的簡単に作れますけど……武器として使うつもりかな?」


 思い当たる節があるのか、クロノは途中で考え込むように言葉を句切った。


「ええ、それも問題ありません」


 やけにあっさりと新兵種の創設とアルコールの精製が認められ、正直、アーサーは拍子抜けした。


「蒸留器はゴルディの工房にあるんで、使用上の注意を守って使って下さい」

「気をつけるよ」


 執務室から退室すると、アーサーは侯爵邸の庭にある工房に向かった。

 カーン、カーンという鎚を打つ音。


「ワイズマン殿。何か、ご用ですかな?」

「アルコールを作るために蒸留器を貸して貰おうと」

「おおっ、蒸留器ですな! すぐに持ってきますぞ!」


 ゴルディは工房に入ると、すぐに金属器を抱えて戻ってきた。


「これが蒸留器?」

「そうですぞ」


 アーサーはゴルディから受け取った蒸留器を掲げた。

 涙滴型の蒸留器には先端部に箱のような部品が取り付けられ、そこから管が下に向かって伸びていた。


「これは、どのように使えば?」

「この中に酒を入れて熱すればアルコールが管の先端から出てきますぞ」


 熱する……つまり、屋内では使えないのか。

 かと言って、侯爵邸内で焚き火をするのは遠慮したい。


「携帯用竃ですぞ」

「はあ、これはどうも」


 続いて渡されたのは筒状の金属器だ。

 ただし、側面の一部がカットされているため、完全な筒になっていない。


「枠ですぞ」

「これは何から何まで」


 最後に渡されたのは蒸留器を支えるための金属の枠だ。


「元は石鹸の香り付けに使う精油を抽出するためのものですぞ」

「はあ」


 武器と防具、農具に、紙に、版画機と何でも作っているのだな、とアーサーは工房を後にした。



 午後の授業を終えたアーサーは侯爵邸の庭で携帯用竃を使って火を焚いていた。

 蒸留器に厨房で分けて貰った酒を注ぎ、携帯用竃に向かって風を送る。


「この携帯用竃を使えば野営陣地を構築するのが楽になるな」

「「うはっ! 先生、今日は早すぎるし!」」


 最初にやって来たのはデネブとアリデッドの姉妹だった。

 二人とも土埃に塗れ、やや汗臭い。


「宜しければ代わりますが?」

「ああ、頼むよ」


 土埃に塗れたレイラと代わり、アーサーが立ち上がって軽く腰を捻った。


「先生ってば何してんの?」

「月見酒?」

「アルコールを作っていたんだよ」


 管の先端から滴が垂れそうになっているのを見て、アーサーは慌ててカップで受け止めた。


「おおっ! それがアルコール!」

「燃えるんでしょ! 火、火を持ってくるし!」


 デネブとアリデッドはカップを奪い取ると、火の付いた細い木の枝を近づけた。

 ボッと青い光が灯り、すぐに消えた。


「うはっ! 超キレイ!」

「つか、水が燃えるって凄いし!」


 デネブとアリデッドを横目に見ながら、アーサーは代わりのカップで管から滴るアルコールを受け止める。


『遅れて、申し訳ありやせん』(ぶも~)


 副官であるミノ、シロ、ハイイロ、フェイ、ケインと続く。


「むぅ、遅れてしまったでありますよ」

「仕方がねーだろ。士官教育も大事だけど、それで本職を疎かにしたら本末転倒だろ。つーか、お前は軍学校を卒業して士爵位まで貰ってるくせに勉強がしたりねーのかよ?」

「こんなに軍学校の授業は楽しくなかったであります」


 ケインが頭を掻きながら反論すると、フェイは拗ねたように唇を尖らせた。


「軍学校で士官教育を受けたんだろ?」

「こことは授業内容が違うであります。身に付けていた剣術や馬術の復習みたいなものでありますね。糧秣の消費量についても習ったような気がするでありますが、主に学んだのは貴族の心得についてであります」


 フェイは誇らしげに胸を張った。


「貴族の心得ってのは何だよ?」

「戦場で貴族は勇猛果敢に戦い、名誉のために最後まで戦場に踏み留まらなければならないのであります!」

「「嘘だし! 超嘘だし!」」


 フェイが言うと、デネブとアリデッドが身を乗り出して叫んだ。


「う、嘘じゃないであります!」

「去年の戦いじゃ、ソッコーで見捨てられたし!」

「つーか、この前の戦場でも殿を押しつけられたし!」


 むぅぅぅ、とフェイは二人の剣幕に押されて黙り込んだ。


「く、クロノ様は残ったでありますよ」

「いや、クロノ様は……ね?」

「うん、例外と言うことで」


 デネブとアリデッドは何かを横に移動させるようなジェスチャーをする。


「アルコールができたよ」

「「火、火、火を点けるし!」」


 アルコールを半分に分け、片方を地面に置き、もう片方を双子のエルフの片割れ……デネブなのか、アリデッドなのか見分けが付かない……に渡す。

 火を近づけると、ボッと青い炎が灯る。

 おお~っ! と全員が感嘆の声を上げた。


「どう武器に転用するでありますか?」

『そりゃあ、ぶち撒けた後に魔術で火を点けりゃ良いんでさ』

「それならばアルコールを作らなくても魔術を使えば良いのでは?」


 う~ん、と真面目な三人は青白い炎を見下ろしながら唸った。


「ランプの油代わりに使えるんじゃねーのか、これ?」

「アルコールで満たした壺に灯芯を差して投げれば良いのではないでしょうか?」

『そう上手く壺が割れやすかね?』(ぶもぶも?)

「けれど、ガラス瓶は高いであります」

『三人とも武器にすることしか考えてない』(ガウガウ)


 ケインの提案を無視して議論を進める三人にシロが突っ込みを入れた。


「……グッ!」


 苦悶の声が聞こえたのはその直後だった。

 振り向くと、双子のエルフの片割れが地面に倒れる所だった。


「……ぐ、け、ケハッ……の、喉が、焼けるぅ!」

「な、何をしているんですか!」


 喉を押さえてのたうち回る双子のエルフの片割れにレイラが走り寄る。


「あ、アルコールを飲んだら、急に苦しみだして!」

「の、飲んだ?」

「フェイ、神威術だ!」

「神様、解毒の奇蹟をお願いするであります!」


 ケインが叫ぶと、フェイは喉を抑えるエルフに手を翳した。

 ゴポ、ゴポとフェイの手の平から黒い泡が零れ、弾ける。


「な、何か、そっちの方が毒っぽいし!」

「し、失礼でありますね!」

「……何か、胃が熱い、頬も熱いし」


 ぐったりと双子のエルフの片割れは地面に横たわった。


「おい、効いてねーぞ!」

「こ、これは新手の毒でありますか!」

「……あたし、死んじゃうんだ。折角、生き延びたのに」

「しっかり、あたしら二人で一人じゃん!」


 双子のエルフはしっかりと手を握り合った。


「……ロクでもない人生だったけど、クロノ様に会えて、ちょっと救われたみたいな?」


 透明感のある笑みを浮かべ、


「心残りはクロノ様とレイラの子どもの名付け親になれなかったことかな。二人の子どもだから、クロレラなんて、どう?」

「どう? と聞かれても……もう少し、ちゃんとした名前を名付けて欲しいのですが」

「どうして、健康そうじゃん! こう緑っぽい感じで!」


 無事だった方のエルフが涙混じりにレイラを睨んだ。


「……あたしが死んだら、あたしが書いてるクロノ様の観察日記を完成させて……あたしの生きた証」

「アレ、表紙のタイトルが誤字だし! 後世にバカだって名前が残るし!」

「ひょ、表紙は差し替えで!」


 オ~ン、オ~ンとシロとハイイロが天に向かって吠えた。


「……みんな、何をしてるの? 春と言っても夜は流石に冷えるね。あ~、温かい」

「な、なんたるマイペース!」


 クロノは侯爵邸から出るなり、携帯用竃で暖を取った。


「く、クロノ様! 暖を取っている場合ではありません!」

『デネブが、アリデッドでやすかね? とにかく、アルコールを飲んじまったんで!』(ぶも!)

「苦しんでいるであります! なかなか死なないようなのでクロノ様に介錯をお願いするであります!」

「クロノ様の腕じゃ、苦しみが長引くだけだろうが!」


 四人から総攻撃を受け、クロノは驚いたように目を丸くした。


「え? そんなに飲んだの?」

「カップ半分だよ、クロノ君」

「それなら死なないよ」

「「気休めは間に合ってるし」」


 気休めじゃなくて、とクロノは否定するように手を左右に振った。


「アルコールって要するに……お酒の酔っ払う成分だよ? そりゃ、飲み過ぎたら死ぬけど、カップ半分じゃ死なないよ」

『大将、死なないんで?』(ぶも?)

「死なないよ。何なら僕が飲んでみるけど?」


 クロノの言葉に安心したのか、一気に空気が緩んだ。


「ま、マジ、ホントに死なない? 明日の朝になったらポックリ逝ってるとか嫌だし!」

「だから、死なないって」


 ただ、飲んだ本人は不安らしくクロノに詰め寄っていた。


「アリデッドは心配性だね」

「見分けられたし!」

「クロノ様、侮りがたし!」


 双子のエルフは熱い物に触れたように後退った。


『見分けるポイントは何処なんで?』(ぶも?)

「すぐに調子に乗るのがアリデッドで、少しだけ思慮深いのがデネブ。アルコールを飲むのはアリデッドかな? ってカマ掛けただけ」


 ミノが尋ねると、クロノは肩を竦めて言った。



 翌日から弓騎兵の育成が始まった。

 弓騎兵として選ばれたのはレイラ、デネブ、アリデッド、ナスル……他四名のエルフとハーフエルフである。

 弓騎兵の育成はケインが担当し、彼が不在の間はフェイが騎兵隊を率いる。

 これは今からフェイに経験を積ませ、騎兵の増員に備えるためだ。

 初日の訓練を終え、レイラ、デネブ、アリデッドは昨日よりも汚れた姿だった。


「せ、背中が痛い」

「ふ、太股が」

「……」


 デネブとアリデッドは机に突っ伏して痛みを訴え、レイラも何処となく憔悴した面持ちである。


「アルコールの方はどうかな?」

『……レイラの意見を元に武器を作ったんでやすが』(ぶも)

『壺が割れない』(ク~ン)

『俺達、火達磨』(キュ~ン)


 体毛を焦がしたミノ、シロ、ハイイロは力なく頭を垂れた。


「馬に乗って戦えるようになるまで何年も掛かりそうだし」

「でも、レイラは乗れてたよね? クロノ様から個人的に馬術を教わってたとか?」

「クロノ様はあまり馬術が得意ではないそうなので」


 馬術だけではなく、剣術も、魔術も得意ではなかったのだが、アーサーはクロノの面子を考えて沈黙を守った。


「じっくりと腰を据えてやるしかないんじゃねーか?」

「それまでに弓騎兵の戦術を考えるでありますよ」

「「それなら考えてるし」」


 痛いのか、デネブとアリデッドはプルプルと震えながら立ち上がった。


「クロノ様と一緒に遊撃戦闘を繰り返して開眼した秘技!」

「つか、クロノ様が考えた策だけど」


 多分、テンションが高いのがアリデッドで、突っ込んだのがデネブだろう。


「「秘技! 逃げたフリ!」」

「「「「「「「……」」」」」」」


 屋内にも関わらず、凍てついた風が通り過ぎた。

 何と言うか、非常にクロノらしい策である。


「まず、敵を襲撃します! すると、敵はあたしらを追ってきます!」

「適当に戦闘して、逃げます!」

「逃げて、逃げて……待ち伏せポイントまで誘導!」

「全員で襲い掛かります!」

「途中で敵が引き返したら、どうするんだよ?」

「「あたしらも引き返して、無防備な背中に矢を撃ち込むに決まってるじゃん!」」


 ケインが突っ込むと、デネブとアリデッドは当たり前のように言い放った。

 進むも地獄、戻るも地獄。

 やはり、クロノらしい策である。


「これを馬でやれば!」

「敵軍に損害を与えつつ、陣形も掻き乱せるみたいな!」

「……何だか、卑怯な戦い方でありますね」


 フェイが呟くと、デネブとアリデッドは顔を見合わせた。


「卑怯とか、生き残るために言ってられないし!」

「あたしらが死んでもクロノ様は喜んでくれないし!」


 バシバシ! とデネブとアリデッドは机を叩いた。


「クロノ様のために死んでも良いと覚悟を決めて!」

「それはそれで生き残る算段をする! これがあたしらの忠誠心!」


 おお~っ! とデネブとアリデッドを除く全員が感嘆の声を上げ、手を叩いた。


「いや、クロノ様のためになら死ねるとか言ったら」

「ショックを受けたクロノ様に逃げられたみたいな」


 クロノらしいと言えば、らしい反応である。



 その日の授業を終え、教室から出ると、エリルが立っていた。


「何か用かな?」

「……エラキス侯爵から伝言を頼まれた。アーサー・ワイズマン教師は授業後、執務室に出頭するように」


 言い終えると、エリルは用は済んだとばかりにアーサーに背を向けた。

 この時間に執務室に呼ぶのだから急ぎの用があるのだろう、とアーサーは杖を突きながら執務室に急いだ。

 ノックをして執務室に入ると、クロノは大きく息を吐いてアーサーを見つめた。


「お疲れの所、申し訳ありません」

「私は構わないよ」


 ふと沈黙が舞い降りる。

 言いにくいのならば私の方から切り出すか、とそんなことを考えていると、クロノは机の引き出しから手紙を取り出した。


「実は……南辺境の蛮族討伐に参加して欲しいと命令と言うか、依頼がありまして」

「おかしな話だね」


 クロノのような軍人を招集する際に用いられるのは命令であって、自発的行動を促す勧告ではない。


「エルナト伯爵からも手紙が来てまして……これは蛮族討伐に僕を推薦したみたいな内容で」


 なるほど、とアーサーは納得した。

 順序としてはエルナト伯爵……タウルが蛮族討伐にクロノを推薦し、皇軍長は無碍に断ることもできず、勧告という形式にしたのだろう。

 まあ、一月の戦争で大損害を被ったクロノに命令して新貴族の反発を招きたくないという心理が働いているのかも知れないが。


「嫌なら断れば良いんじゃないかな?」

「それも考えはしたんですけど、南辺境には父の領地がありますし、エルナト伯爵には大きな借りが二つありますから」


 どうやら、クロノは訓告に従うつもりのようだ。


「何人くらい兵士を連れて行くつもりだい?」

「う~ん、それが何人で来いって書いてないんですよ。向こうの大隊長……エルナト伯爵の息子らしいんですけど、あまり大勢で押しかけても良い気分がしないと思うので、ここは少数精鋭でいきたいと思います」


 帝国暦四百三十一年四月下旬……クロノは再び戦場に赴くことになった。

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