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第4話『理性と本能の狭間』修正版



 円卓の間……そもそも円卓の起源は何処かの国で序列に関係なく、自由闊達な議論をするために上座、下座を廃止しようみたいな所から始まったらしい。

 上っ面ばかり整えても中身が伴わないじゃ意味がないんじゃないの? と思わなくはないけれど、形式は割と大事。

 そんなことを考えつつ、あたし……エレナ・グラフィアスは円卓に頬杖を突き、欠伸を噛み殺していた。

 あいつに買われたのは去年の六月頃だから、もう十ヶ月が過ぎている計算だ。

 経理の仕事にはすっかり慣れたし、夜伽の方は……精神的にはともかく、体の方は、畜生、あたしの気持ちを裏切ってる。

 あいつのことは嫌いじゃない。

 一度ならずも二度までも命を救われてる訳だし、仕事だって世話して貰ってる。

 そりゃ、あたしが留学して培った学力があるからこそ、経理を任せて貰ってる訳で、仕事の世話はして貰ったけど、成果を出したのはあたしの実力だ。

 まあ、その点を差し引いても嫌う要素はあまりない。

 ぶっちゃけ、物語だったら、ハッピーエンドを迎えててもおかしくない。

 奴隷商人に売られた準貴族の娘がいて、成り上がり者の新貴族が助ける。

 そのまま、仇なんか討っちゃったりして、普通はそこで終わり。

 あいつは仇を討つのに手なんて貸してくれなくて、無償で仇を討ってくれないならと誘惑したけど、やっぱりダメで……でも、ヤられた。

 あたしが夜伽の件を思い出して身悶えしていると、


「異議ありだ! ハーフエルフ!」

「何がでしょう、ティリア皇女?」


 タユンと言うか、ブルンと言うか、ティリア皇女は胸が揺れる勢いで立ち上がり、レイラを指差した。

 いつも通り、レイラは無表情……な~んとなく、ムスッとしているような気がしなくもない……でティリア皇女と真っ向から対峙した。

 ま、レイラの気持ちは理解できなくもない。

 愛人がレイラと女将、あたしの三人しかいなかった頃はレイラがあいつを独占していたからだ。

 女将はアレで夜伽に関しては一歩か、二歩か、とにかく退いた態度を取ってるし、あたしも……そうそう頻繁に枕を取りに行ってる訳じゃない。

 精々、月一、いや、半月に一度だったか、いやいや、週一か、週二くらいだったかも。


「回数だ! どうして、私が一回なのにお前が四回も入っているんだ? 順番も気に入らないぞ! 何故、私が最後なんだ!」

「ティリア様とされると、クロノ様が疲れ果てて翌日の仕事に支障を来すからです」


 レイラは事実を述べているかのように建前を口にした。

 仕事に支障を来すってのは嘘じゃないけれど、形式と同じくらい建前も大事だ。


「お~、レイラってば一歩も退かないね」

「譲ったら最後、地の果てまで後退るみたいな」

「……アンタ達は回数増やさなくても良いの?」


 あたしは隣でドライフルーツを囓っている双子のエルフに尋ねた。

 こいつら……デネブとアリデッドは愛人になったばかりだ。

 こいつらはこいつらで週に一度あるかないかの夜伽で満足している節がある。


「あたしらは愛に生きてるから」

「腕枕して貰えるだけで幸せみたいな」


 二人一組で夜伽を務めるヤツが愛とか終わってる。


「く、クロノを疲れ果てさせてしまったのは最初の一回だけだ! に、二回目からは控えてるぞ」


 後半部分は声がトーンダウンして、特に『控えてるぞ』の部分が微妙に自信がなさそうだった。


「……なるほど」

「そ、その微妙に勝ち誇った笑みはなんだ!」


 あたしは目を細めてレイラの口元を見つめたけれど、勝ち誇った笑みらしきものは浮かんでいない。


「勝ち誇っておりませんが?」

「いいや、お前は勝ち誇っている。こ、こう、クロノに女を教えたのは自分的な、私が教えたテクニックで……みたいな優越感に浸っているんだろ!」


 どちらかと言えば、ティリア皇女が劣等感に苛まれているだけのような気がする。

 あいつの、キスとか、愛撫とかにレイラの影を見るなんてティリア皇女は意識しすぎじゃないだろうか。


「ティリア皇女にしてみればレイラは恋敵みたいなものだし」

「ティリア皇女の凋落はクロノ様を寝取られてから始まったような気が」


 頼んでもいないのにデネブとアリデッドが解説する。


「だ、大体、仕事に支障を来すと言うのなら、お前が回数を減らせば良いじゃないか」

「……私はティリア皇女と違い、自制できますので」


 間が開いたのは何故だろう。


「むむ、女の戦いでありますね」


 ガリガリと炒り豆を食べながら、フェイが言った。


「どうして、ここにいるのよ?」

「後学のために会議を見学しているのであります」


 あたしはフェイが抱えている袋から炒り豆を手の平に収まる分だけ貰った。


「そう言えば、順番をティリア皇女に譲ったって聞いたけど?」

「申し訳ないであります」

「折角、あたしがお膳立てしてやったんだから、もう少し考えなさいよ。アンタ、没落した家を再興するのが夢なんでしょ?」


 あたしが炒り豆を一粒食べると、フェイは口を上に向けて炒り豆を頬張った。


「……考えたでありますよ」

「まあ、それなら良いんだけど」


 あいつは変な所で真面目だから、愛人って理由で領地を譲ったりしないだろう。

 けど、支援くらいはしてくれるはず。


「……レオさんも、ホルスさんも、リザドさんも死んでしまったであります」


 ポツリとフェイは呟いた。


「それが理由?」

「心が完全にクロノ様の方を向いていない状態で夜伽を務めるのは不誠実だと思ったのであります」

「……そう」


 アンタの場合、家を再興するのが目的なんだから、あいつのことは二の次にすべきなんじゃない? と思ったけれど、あたしは気のない返事をした。

 その、一歩間違えればバカにしか見えない彼女の愚直さをあたしは好ましいと感じているからだ。


「クロノ様の部下である限り、機会は巡ってくるであります」

「アンタ、待機組だったじゃない」


 フェイが待機組になった理由は治安を維持するのに騎兵が必要だからだ。

 何気にエラキス侯爵領は広い。

 これだけの広範囲をカバーするためには騎兵の機動力が不可欠だ。


「……馬は十頭余ってるんだけど、領地が増えちゃったし、焼け石に水ね」

「領地が増えるのは良いことであります」

「程度の問題よ、程度の」


 今のエラキス侯爵領とカド伯爵領は人手不足に陥っている。

 そりゃ、まあ、あいつの部下は増えたけど、騎兵の数は増えてないし、役人も不足している。

 そんな状態で戸籍造りとか、制度について教えに行くとか、無理……無理だけど、そこを無理に回しているのが現状だ。

 せめて、書類を書く手間が省ければ楽になるのに。

 ふと視線を傾けると、ティリア皇女とレイラが無言で睨み合っていた。

 パンパンと手を叩く音が響いたのはその時だ。

 ちなみに手を叩いたのは女将だ。


「もう夜更けなんだから、さっさと決めちまいなよ」

「……分かりました。順番を変更し、明日はティリア皇女に夜伽を努めて頂きます」

「ぐぬぬ、回数を譲るつもりはないのか?」

「ティリア皇女が自制できる方と判断すれば回数を増やしますが?」

「見てろ、ハーフエルフ! 私は立派に夜伽を務めてみせる!」


 ビシッ! とレイラを指差し、ティリア皇女は宣言した。



 翌日、あたしは眠い目を擦りつつ、書類の作成に勤しんでいた。

 奴隷売買と娼館営業の許可証を更新しているのだ。

 許可証の有効期限は三ヶ月……短すぎる気もするけれど、口実としては有用だ。

 あいつの施策……適切に奴隷を管理している商人にのみ奴隷売買を許可する……は購入者の権利を守るための施策だった訳だけど、これって購入者だけじゃなくて奴隷商人も守ってるのよね。

 適切な管理をしてるとお墨付きが出てて、エラキス侯爵領にある病院で健康診断まで受けさせている訳だから、購入者が手荒に扱って死んでも、難癖を付けにくい。

 実際、それだけの手間を掛けてる訳だから、まともな商売をしていると奴隷商人だって胸を張って言える。


「……それにしても奴隷商人の数が増えたわね。五十人もいるのに週一回の奴隷市で利益を上げられるのかしら?」


 五十人分の許可証を作成しなきゃいけないなんてゾッととする。


「自分が奴隷として売られたのに、奴隷商人の片棒を担ぐとかマジで最悪」

「エレナ殿、食事を持って来たであります」


 フェイはノックもせずに部屋に入り、あたしのテーブルに皿を二つ置いた。


「何、これ?」

「女将の創作料理であります」


 皿の上には紡錘状のパンが置かれている。

 これだけなら単なる嫌がらせなんだけど、パンの中心には切れ込みがあり、そこにソーセージが挟まれているのだ。

 上に乗っているのはマスタードだろう。


「ちなみにテーマは『手軽』であります」

「『手抜き』の間違いじゃない?」


 フォークとナイフがないんだけど、とあたしが困惑していると、フェイは創作料理を手で掴んでかぶりついた。

 そういう風に食べるのか、とあたしは恐る恐るそれを掴んで口に運んだ。

 ソーセージを噛み切ると、熱々の肉汁が……熱っ、熱っ!

 酸味がほどよく効いてて美味しい。


「……うん、こういう食事も偶には良いわね」

「もう少し量があれば言うことなしであります」


 日常的に体を動かしているフェイには物足りなかったみたい。


「そう言えば聞きたいことがあるんだけど?」

「何でありますか?」

「奴隷商人が五十人もいるんだけど、こんなにいて商売って成り立つの?」

「全員が全員、奴隷市に参加している訳じゃないであります」


 フェイは皿を重ねながら言った。


「どういうこと?」

「ハシェルを本拠地とする奴隷商人は少ないであります。けれど、仕入れで何日もハシェルを離れると、その分、儲けが少なくなるであります」


 まあ、一ヶ月で金貨一万枚分も奴隷を売り捌くようなヤツらだもんね。


「なので、留守中の代役を立てたり、他の奴隷商人から奴隷を購入して転売しているのであります」

「つまり、そいつらの許可証も含まれてるのね」


 自分で仕入れて自分で売るんじゃなくて、他所から仕入れて売る。

 他の商人も似たようなことをやっているはずなんだけど、釈然としない。


「ああ、もう! 面倒臭いわね!」

「どうしたのでありますか?」


 あたしが叫ぶと、フェイは不思議そうに首を傾げた。


「書類を書くのが面倒臭いのよ! 同じ文面を何枚も何枚も……書類を書く手間が省ければ少しは楽になるのに」

「省けるでありますよ」


 え? とあたしはフェイを見つめた。


「どうやって?」

「版画機を使えば簡単であります」

「ちょ、それ、何処にあるのよ!」

「案内するであります」


 フェイに案内されて辿り着いたのは……やっぱりと言うべきか、エラキス侯爵邸内にあるドワーフの工房だった。

 カーン! カーン! と鎚を打つ響きが鬱陶しい。


「これであります」

「これが版画機?」


 誤解を恐れずに言うのなら版画機はテーブルに似ていた。

 いや、机と本棚を組み合わせて、スライドする板を付け足したと言うべきだろうか。

 本棚と言っても仕切りはなく、斜めに溝の彫られた鉄棒が中心を貫いている。

 ついでに言うと溝の彫られた鉄棒の真ん中からは木の棒が真横に伸びていて、先端部は木の板のようなものが付属している。


「どうやって使うのよ、これ?」

「まず、スライドする板の上に金属製の版を置き、紙を重ねるであります。次に板を押し込んで、木の棒を動かすであります」


 フェイが木の棒を引くと、少しだけ溝の彫られた鉄棒と板が下に降りる。

 多分、半円を描くように木の棒を動かすと、溝の彫られた鉄棒に付属する板が紙と金属製の版に押しつけられるのだろう。


「……凄い、凄い発明よ、これ! どうして、教えてくれなかったのよ!」

「聞かれなかったであります」


 そうなんだけど、あたしは興奮を抑えきれなかった。

 許可証を書く手間が省けるし、奴隷商人や娼館経営者が申請する時も、戸籍造りも必要な項目が記入してある紙を用意しておけば大幅に手間が省ける。


「版画機に何か用ですかな?」

「これを使わせて欲しいのよ」


 工房のドワーフ……ゴルディに声を掛けられ、あたしは版画機を指差しながら言った。


「自由に使って貰って構いませんぞ。もちろん、原画を持ってきて下されば版を彫らせますぞ」


 あたしはグッと拳を握り締めた。


「あとは、クロノ様にお願いしないと」

「クロノ様は奴隷市の視察に行っているであります」


 わざわざ奴隷市に出向かなくても、戻ってくるまで待てば良いんじゃないかと思ったけど、あれであいつは忙しいのだ。

 奴隷市の視察を終えた直後に、カド伯爵領の視察に行かれたら目も当てられない。

 ただ、正直に言えば奴隷市になんて行きたくない。

 あの時の、糞尿で汚れた体や腫れ上がった顔を思い出すと、気が狂いそうになる。


「……フェイ、付き合ってくれる?」

「構わないでありますよ」



 奴隷市が開催されるのは商業区の一角にあるマイルズの娼館だ。

 紳士の社交場と嘯いているだけあり、マイルズの娼館は他よりも小綺麗で、それっぽさを隠しているような感じがする。


「……失礼」


 あたしがフェイと一緒に娼館に入ろうとすると、門番が槍を交差させて行く手を阻む。


「クロノ様に用があって来たであります」


 フェイがあたしを庇うように歩み出ると、彼女の顔を覚えていたのか、門番はゆっくりと槍を引いた。


「どうぞ、お入り下さい」


 これも形式ってやつかしらね? とあたしはロビーを通り抜け、ホールの扉を開けた。

 扉を開けた途端、熱気が押し寄せる。

 不覚にも足が震えた。


「私が付いているであります」

「……そう、ね」


 あたしはフェイに手を引かれ、あいつの姿を探した。

 ホールの中央にある舞台……そこを歩く奴隷から意図的に視線を逸らし、あたしはあいつを見つけた。

 あいつは舞台の正面……特等席に腰を下ろし、髪の長い娼婦らしき女を隣に侍らせていた。

 あたしは歩み寄り、


「おや、貴方は」

「邪魔するわよ」


 マイルズを睨み付け、あいつの隣に腰を下ろした。


「どうしたの?」

「……アンタにお願いがあってきたのよ。真っ昼間からお酒?」

「ん、水だよ」


 あたしが言うと、クロノ様はカップを軽く掲げた。


「……嫌がらせでも受けてるの?」

「私どもが最高のおもてなしをしようとしても、クロノ様は受け取って下さらないのですよ」


 マイルズは心外だと言わんばかりに反論した。


「娼館に来て、女も抱かずに帰るなんてお堅すぎるんじゃないかしら?」

「一応、視察だからね」


 七人……一人は男で不在だけど……も愛人がいるんだから、娼婦に手を出してる暇がないだけじゃない? と思ったけれど、あたしは沈黙を守った。


「で、何のお願いに来たの?」

「許可証や申請書を作るのにドワーフの工房にあった版画機を使わせて欲しいのよ」

「版画機?」


 身を乗り出したのはクロノ様じゃなくて、隣に座っていた娼婦だった。


「アンタに言ったつもりじゃないんだけど?」

「別に良いじゃない」


 気分を害した様子もなく、娼婦はあたしに向かって微笑んだ。


「版画機は……版画を刷るための道具だよ」

「道具で刷る意味があるの?」

「まあ、いつか役に立つんじゃないかな」


 娼婦が上目遣いに問い掛けると、クロノ様は自信なさそうに言った。


「ちょっと、あたしの質問に答えなさいよ」

「せっかちな娘ね」


 ぐるる、とあたしは犬のように唸って娼婦を睨み付けた。


「娼婦のくせに気安いわよ。せめて、名前くらい名乗りなさいよ」

「エレイン、エレイン・シナーよ」


 何処かで聞いたような名前ね、とあたしは彼女の名前を口の中で繰り返した。


「……娼婦ギルドのギルドマスター?」

「よく知っているわね」

「自由都市国家群に留学していた時に、バカな男どもが騒いでたから覚えてただけよ」


 あたしが娼婦ギルドのギルドマスターの名前を知っていたからって、どうにかなるわけじゃない。

 この女の言う通り、『よく知っているわね』程度の知識でしかないのだ。


「留学の経験があるのね。けれど、奴隷のくせに少し気安いんじゃないかしら?」

「そんなのお互い様よ」

「娼婦と性奴隷……どちらも大した違いはないかも知れないわね。でも、私達には大きな違いがある。そうじゃないかしら、エレナ・グラフィアスさん?」


 エレインの声は優しかった。


「私は自分で娼婦になることを選んだけれど、貴方は自分で奴隷になることを選んだ訳じゃない。私は娼婦であることに誇りを持っているけれど、貴方はどうかしら?」

「……」


 それはアンタが成功しているからでしょ、とあたしは言い返したかった。

 けれど、エレインは自信に満ちていた。

 例え、成功していなくても彼女は変わらないんじゃないかと思うほどに。


「クロノ様の隣に座った時、自分がどんな顔をしていたのか分からないの? ああ、『女も抱かずに』と私が言った時も、よ」


 クスリと笑い、エレインは見下すような視線を向けた。


「安堵の笑みよ。奴隷だもの、仕方がないわ」

「……あたしは、自分の力で」


 畜生、自分に何の力もないって奴隷市ここで思い知らされたじゃない。

 意地を張って、見せしめのために殴られて、ボロボロになった。

 あの時、最期まで意地を張り通せば言い返せたかも知れない。

 けど、あたしは折れたのだ。

 水浴びをさせて、と奴隷商人に懇願さえした。


「今も貴方は奴隷なのよ。舞台を歩いている彼女のようにね」

「……っ!」


 舞台の方を見つめ、あたしは身を強張らせた。

 それは相手も同じだった。

 あたし達は目があった瞬間に体を強張らせ、どちらからともなく目を伏せた。


「……名前はウェスタ、年齢は十八、破産した商家の娘です」


 頼んでもいないのにマイルズが素性を説明する。

 知ってる。

 ウェスタはあたしより指一本分くらい背が高かった。

 いつも眠そうな目をしていて、のんびりした性格だった。

 けど、無神経って訳じゃなかった。

 胸が大きいのに悩んでいて、いつも猫背気味に歩いていた。

 どうして?

 エレインはあたしとウェスタが友達だった、と知っているんだろう。

 いや、知っていたとしても、ここにあたしが来るまでは予想できなかったはず。


「器量はそこそこ、教養もあります。要領は悪そうですが、処女ですので」


 舞台を回り終えたのか、ウェスタの声が響く。


「ウェスタ、です。自由都市国家群出身で、あまり算術は得意じゃなくて、でも、それなりに学はあるつもりです」


 今にも消え入りそうな声。


「……話題についていけないんだけど?」

「質問してくれれば答えたわよ」

「エレナが喧嘩を売ったのに、口出しするのもアレかなと思って」


 クロノ様は緊張感の欠片も感じられない声で言った。


「では、金貨二十枚からスタートです!」

「金貨二十一枚!」

「二十三だ!」


 小刻みに金額が上昇する。

 金貨二十枚を超えた時点……つまり、金貨二十一枚の値段が付けられた瞬間にウェスタを助ける機会は失われた。

 あたしは自分を買い戻すために節約している。

 この十ヶ月で貯めたお金が金貨二十枚だったのだ。


「三十!」

「三十一!」


 何が楽しいのか、ドッと会場が盛り上がる。


「……金貨百枚」


 その一声で会場は静まりかえった。


「……アンタ、何のつもり?」

「う~ん、娼館の人手が足りないから補充しておこうかと思って」

「ふ、ふざけんじゃないわよ」


 ウェスタに娼婦なんてできるわけがない。


「本気よ。私は娼婦であることに誇りを持っているけれど、侮蔑されて笑顔で許してやるほど寛大な性格じゃないの」


 畜生、この女は最低だ。

 きっと、この女はあたしを苦しめるためなら何でもやる。


「……クロノ様、お金を貸して欲しいであります」

「何で?」

「あの奴隷が欲しくなったので、金貨百枚貸して欲しいであります」


 反射的にフェイの方を振り向き、あたしは不覚にも泣きそうになった。


「もちろん、ただでとは言わないであります」


 フェイは剣帯から剣を外した。


「父の形見であります」

「引き取り価格は金貨一枚程度でしょう」


 フェイが剣の柄を差し出すと、マイルズは笑いを堪えるように肩を震わせた。


「いつでも、クロノ様の求めに応じるでありますよ?」

「ちなみに、私は金貨千枚まで出す用意があるわよ」


 フェイはエレインを睨み付け、


「上限なしでお願いするであります」

「じゃ、金貨百一枚で」


 クロノ様は遠慮がちに手を挙げた。


「なら、私は……金貨百ごじゅ」

「……エレインさん」

「何かしら?」


 クロノ様が呼ぶと、エレインは穏やかな笑みを浮かべて答えた。


「う~ん、僕はエレインさんと仲良くしたいんだけど?」

「あら、私もよ。でも、さっきも言ったけど、私は侮蔑されて笑顔で許してやるほど寛大な性格じゃないの」

「気持ちは……理解できると言ったら、怒られそうだから言わないけど、ここは分水嶺だと思うんだよね」

「どういう意味かしら?」


 エレインは優雅に足を組み、クロノ様の真意を窺うように目を細めた。


「仲良くできるか、できないか」

「仲良くできなかったら?」

「……残念なことになるよ。ああ、脅しとかじゃなくて、ここで退いてくれる柔軟な人じゃないと、仲良くするのは難しいかなって」


 クロノ様は身を乗り出してエレインを見つめた。


「仲良くできたら?」

「今、港を造っているんだけど」


 クロノ様はソファーに体を沈め、世間話を切り出すように言った。


「ええ、知ってるわ」

「月か、一年単位で港の使用権を売ろうと思ってるんだけど、自分でも貿易をやってみたいな~、と」

「それで?」


 エレインは身を乗り出し、クロノ様と見つめ合った。


「雇われ店長と言うか、カブシキガイシャで良いのかな?」

「カブシキ、ガイ、シャ……何処の言葉よ、それ」

「まず、エレインさんが商売を始めるとします。でも、お金がありません。そこで出資者を募ります」


 エレインも、マイルズも不思議そうに首を傾げている。


「結局、それって借金じゃない。前提条件がよく分からないけど、担保もないのにお金が借りられる訳ないでしょ」

「なので、商売の権利を担保にお金を貸します。利益が出たら分け前を貰うし、色々と経営に口を出したりするけど、基本的に利益を出してくれれば文句を言いません」


 う~ん、とエレインは唸った。


「つまり、ガブシキガイシャと言うのは……私は経営を任されているだけと考えれば良いのね? 君は私をクビにする権利を持っているし、君が権利を手放すか、私が権利を買い戻すまで、分け前を支払わなければならない」


 興味を引かれたのか、エレインはクロノ様に視線を向ける。


「取り分は?」

「……利益の半分、じゃなくて、三割くらい?」

「私の取り分が減ってるじゃない!」

「僕の取り分を減らしたんだけど」

「ああ、君の取り分が三割なのね」


 エレインは身を乗り出して叫んだが、自分の取り分が七割であることに旨味を感じたらしくソファーに浅く腰を掛け直した。


「面白い話ではあるけれど、君の真意が見えないわね。だって、それだけのお金を用立てられるのなら、自分で商売を始めた方が早いもの」

「確かにお金はあるけど、コネも、経験もないから。まあ、出資者と雇われ経営者って意味じゃ上下関係はあるけど、互いにない物を補い合うって意味じゃ、対等な関係じゃないかな」

「娼婦と貴族が対等ですって?」

「そう、対等な関係」


 エレインとクロノ様は笑みを浮かべたまま見つめ合った。


「……分かったわ。そこの奴隷に侮蔑されたことを許すつもりはないけれど、君と仲良くしたいから、我慢してあげる。さて、ここからは商売の話よ。カブシキガイシャの件だけど、今すぐにでも動きたいのよ」

「話が早くて助かるよ」

「金貨百一枚で落札です!」


 クロノ様とエレインの駆け引きが終わると、司会の男が落札を宣言した。



 あたし……あたしとフェイ、クロノ様、ウェスタが侯爵邸に戻ったのは陽が暮れてからだった。

 あれからクロノ様はカブシキガイシャ方式でエレインに出資することを決め、その話し合いで時間が掛かったのだ。

 版の元になる許可証を手に取り、ドワーフ工房に行くと、エレインがクロノ様から大きな箱を受け取っていた。

 クロノ様がエレインに出資する金額は金貨一万枚……侯爵邸の金庫には用途の定まってない金貨が五万枚以上残っていると分かっているけど、その光景があたしは堪らなく悔しかった。

 畜生、と馬車に乗って去っていくエレインを睨み付けていると、クロノ様に手招きをされた。


「エレナ、明日からウェスタをサポートに付けるから」

「……面倒を見ろってこと?」

「そうなるね。部屋はエレナの隣にしておいたから」

「あの……エレナちゃん、よろしくね」


 ウェスタはクロノ様のマントを羽織り、胸を隠すように両腕を交差していた。


「……部屋に案内するから付いてきなさい」


 あたしは仕事場や浴室、トイレの場所を教え、ウェスタを部屋に案内した。

 掃除は行き届いているけど、部屋には最低限の家具しか置かれていない。


「取り敢えず、着替えなさいよ」

「……うん、ごめんね」


 警戒心が欠如しているのか、ウェスタは苛々するほど鈍い動きで用意されていたワンピースに着替えた。


「でも、良かった。エレナちゃんが一緒で」

「よく、ないわよ」


 あたしは俯き、拳を震わせた。


「奴隷よ、奴隷! あたしも、ウェスタも、クロノ様の所有物なの!」


 畜生、とあたしは髪を掻き毟った。

 あの女のせいで、自分が奴隷なんだって思い知らされた。


「あの、エレナちゃんは酷いこと……ごめんなさい」


 あたしが睨み付けると、ウェスタは怯えたように俯いた。


「されたわよ、色々と。最初は殴られるんじゃないって怖くて仕方がなくて、惨めったらしい気分で、ムカムカして……それだけじゃなかったわよ」


 あたしは自分が被虐嗜好マゾなんだとばかり思っていたけど、本当にそれだけだったんだろうか。

 あたしが本当に恐れていたのは捨てられることだったんじゃないだろうか。

 だから、口では嫌だと言いながら、自分に女としての価値があることに安堵していたんじゃないだろうか。

 あたしは自分の力で居場所を手に入れたつもりだったけど、出会った時からクロノ様の庇護下にあっただけなんじゃないだろうか。


「……あたしの部屋は隣だから」

「エレナちゃん!」


 ウェスタの声を無視して、あたしは自分の部屋に戻った。

 それから、ボーッと時間を過ごした。

 使用人用の食堂で食事を取り、何となく部屋に戻りづらくて侯爵邸をブラブラしていると、


「……~♪」


 ティリア皇女が軽やかな足取りであたしの前を通り過ぎた。

 ふわりと石鹸の匂いが鼻腔をくすぐる。

 どうして、こんなに楽しそうなんだろう? と後ろ姿を見つめていると、ティリアは皇女はピタリと足を止め、あたしの前に戻ってきた。


「私に何か用か?」

「……別に用ってわけじゃ。ただ、楽しそうだなって」

「うむ、楽しいぞ」


 ティリア皇女は大きさを誇示するように胸を反らした。


「お前は楽しくなさそうだな。私で良ければ……済まん。知っての通り、私は今から夜伽を務めなければならないのだ。だが、お前が夜伽の順番を譲ってくれるのなら、相談に乗っても良いぞ」


 う~ん、とあたしは唸った。

 この人に相談をしても共感を得られそうにない。

 相談というのは慰めて欲しかったり、自分を肯定して欲しいからするもので、慰めてくれなかったり、肯定してくれなかったら、余計にダメージを負うような気がする。


「ええ、相談に乗ってくれないかしら?」

「うむ、任せろ」


 多分、ティリア皇女に相談しようと思ったのは自暴自棄になってたからだ。

 落ち着いて話せる場所……そう考えて思いついたのは自分の仕事部屋だった。

 あたしはティリア皇女を仕事部屋に案内し、向かい合うようにイスを並べた。


「一体、何に悩んでるんだ?」

「今日、嫌な女と喧嘩して自分の立場を思い知らされたのよ。あたしは奴隷でクロノ様に守られてて、友達を守ることも、意地を張ることもできないくらい無力なんだって」


 む、とティリア皇女は難しそうな顔をした。


「……むぅ、自分の無力さに気づいて何が悪いんだ?」

「あたしは奴隷よ。あたしはクロノ様の所有物で、守られてて、そんなことにも気づかずに自分の力で居場所を手に入れたと思ってたの」


 むむ、とティリア皇女は眉根を寄せた。

 相談する相手を間違えた、とあたしは心の底から後悔した。


「……お前はクロノの奴隷で、クロノの領地の経理を担当しているのだろう? 奴隷としてのお前はクロノの財産で、経理担当としてのお前は領地運営に欠かせない人間なのだから、クロノがお前を守るのは当然じゃないか」

「あたしはクロノ様に苛められると捨てられるような気がして怖くて、でも、抱かれると安心するの」

「そんなの当たり前じゃないか」


 え? とあたしは目を見開いた。


「クロノに部屋から閉め出された時、私は怖くて仕方がなかったぞ。縛られたり、目隠しをされたりするのも怖いし、他の女と比べられるのだって怖い。でも、抱かれると安心するんだ。それは普通のことじゃないのか?」

「縛られたり、目隠しは普通じゃないと思うけど」


 うんうん、とティリア皇女は何度も頷いた。


「怖いと思うのは真剣だからだ。夜伽を務める時は血統とか、勉強や剣が得意とか、神威術を使えるとか……今まで私が頼りにしていた物が使えないんだ。夜伽の時はベッドの上で身一つで勝負だ。奴隷も、ハーフエルフも、平民も関係ない。だから、楽しくて、怖いんだ」

「……」


 この人はあたしが思っていた以上に真剣なんだ。

 真剣にクロノ様を愛していて、本気であたし達と競おうとしている。

 エレインは自分が娼婦であることに誇りを持っていると言った。

 あたしは奴隷であることに誇りなんて持ってない。

 でも、あたしは真剣だ。

 きっと、あの女は今の地位まで上り詰めるまでに辛酸を舐めたんだろう。

 けど、あたしだって地獄を見た。

 意地を張れないほどの挫折を味わった。

 あたしは奴隷だけど、本気で生きてる。

 それだけは否定させない。


「あとはアレだ。フェイはお前を友達だと思っているみたいだぞ。お前の置かれた状況で慕ってくれる人がいるのは救われる話じゃないか。じゃ、私は行くぞ。クロノが待っているんだ。それから夜伽の順番を譲る約束は守るんだぞ」


 ティリア皇女は捲し立てるように言って部屋から出て行った。



 翌日、版画機を使って許可証を刷り上げた。

 実際に刷ったのはウェスタだけど、何と言うか、版画機なんて作る必要あったのかな~ってレベルの便利さだった。

 版画機なんてなくても手刷りで十分って感じ。

 まあ、仕事を始めたばかりのウェスタに複雑なことはやらせられないし、雑用をこなしながら仕事の流れを覚えて貰うのが一番だ。

 あたしは刷り上がった許可証を抱えて、クロノ様の執務室に向かった。

 上の階にはクロノ様の寝室もある訳で……何となく内股気味で歩くティリア皇女と鉢合わせした。


「……ああ、何か用か?」

「えっと、楽しくなさそうだなって」


 フッとティリア皇女は笑みを浮かべ、


「クロノは楽しそうだったぞ」

「ティリア皇女は?」

「ふふふ、ま、まさか、猿轡まで噛まされるとはっ!」


 ティリア皇女はその場に崩れ落ち、頭を抱えた。

 オロロ~ン、オロロ~ン、とそんな感じの嘆きが聞こえてきそうな感じだった。


「わ、私が言い返せないのを良いことに卑猥な、卑猥な言葉を! ぐぬぬっ! 牛、よりにもよって牛!」


 ティリア皇女は身一つで立ち向かい、無惨に敗北したようだ。

 多分、牛のような胸とか、この駄乳とか、ミルクを出すだけ牛の方がマシみたいなことを言われたんだろう。

 オロロ~ン、オロロ~ン、と身悶えするティリア皇女を放置してあたしはクロノ様の執務室に向かった。


「入るわよ」

「……どうぞ」


 執務室に入ると、クロノ様は真面目に仕事をしていた。


「許可証にサインして」

「分かった」


 あたしが机の上に紙の束を置くと、クロノ様は読んでいた紙の束を脇に置き、サインを始めた。


「何、それ?」

「ん~、アーサー先生が士官教育を始めたでしょ? それで授業中に出てきたアイディアを報告書にして提出してくれたんだよ」


 へ~、とあたしは適当に返事をした。


「まあ、面白いアイディアはあるよ」

「ふ~ん。さっき、ティリア皇女に会ったんだけど……アンタ、ティリア皇女に恨みでもあるの?」

「軍学校の演習で完全武装したティリアに馬で追いかけられたよ。こっちがロクな武装もさせて貰えなかったのに逆落としとか、アレは絶対に殺す気だったね」

「……そう」


 昨夜、相談相手になってくれたから庇おうと思ったんだけど、恨まれてるんじゃフォローのしようがない。


「ウェスタの様子は?」

「即戦力になると思わない方が良いわ」

「まあ、気長に待つよ」


 カリカリと文字を書く音が響く。

 お礼を言うべきか迷ったけれど、あたしは何も言わなかった。

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