表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
34/202

第3話『教師』


 アーサー・ワイズマンは軍学校の教師補だった。

 その役割は教師の補助ではなく、軍学校で落ち零れた学生の面倒を見ることである。

 補講をしたり、剣術や馬術の稽古に付き合ったり、相談に乗ったり、時々は昔の武勇伝を聞かせたりと仕事は多岐に渡る。

 そんな風に二十五年を過ごし、気が付けば五十五歳だ。

 もちろん、自分の仕事に誇りを持っているし、教師としての技量と実績にそれなりの自負も抱いているが、周囲から向けられる視線は冷ややかな物だった。

 恐らく、アーサーが下級貴族の出身であり、負傷によって今の職場に異動となったことも影響しているのだろう。

 士爵位の意味と価値が変化したのも理由の一つか、と苦笑した。

 アーサーが騎士であると胸を張っても、軍学校の学生と卒業生にとって士爵位は軍学校に通った記念くらいの価値しかないのだ。

 アーサーは杖を突きながら軍学校の敷地を横切り、門の所で大きな溜息を吐いた。

 振り返ると、軍学校の校舎がアーサーを見下すように聳え立っていた。

 軍学校は帝都アルフィルクに四つしか街区がなかった頃に建てられた古い城塞を改築した物で、第三、第九、第十街区と接している。

 アーサー・ワイズマンは軍学校の教師補だった。

 そう過去形である。

 一日の仕事を終えると、校長室に呼び出されて解雇を言い渡された。

 校長は色々と言っていたが、要するに他人はアーサーを評価していなかったと言うことだ。

 さて、どうするか? とアーサーは無様に膨れ上がった鞄を地面に置いた。

 家庭教師として雇ってくれる貴族がいれば良いのだが、そんなコネは持ち合わせていない。

 私塾を開こうにも先立つものがない。

 不意に視界が陰る。

 不思議に思って見上げると、リザードマンやミノタウルスに匹敵する体躯の持ち主がアーサーの前に立ち塞がっていた。


「……タウルっ!」

「アーサー、久しぶりだな」


 タウル・エルナト伯爵は野太い笑みを浮かべた。


「ノウジ直轄領にいるとばかり」

「アルフィルクに用があってな。ついでにお前の職場に寄らせて貰った」


 ああ、とアーサーは力なく頭を垂れた。


「もう職場じゃない。解雇されたばかりなんだ」

「……そうか、お前のような教師を解雇するとは見る目がないのだな」


 少し歩くか、とタウルは鞄をさりげなく担ぎ上げ、足の不自由なアーサーの歩調に合わせるようにゆっくりと歩き出した。

 随分と変わったものだ、とアーサーはタウルと肩を並べながら思う。

 アーサーとタウルの付き合いは三十年前……帝国の動乱期にまで遡る。

 その頃のタウルはカッとなれば味方にも暴力を振るう男だった。

 彼にとって転機となったのは傭兵クロード・クロフォードとの邂逅だった。

 ある戦闘でアーサーとタウルの所属している大隊はクロード・クロフォード率いる傭兵団に救われた。

 もっとも、その時は六柱神の加護が失われ、魔物の軍団が押し寄せてきたとしか思えなかった。

 そんな馬鹿げた妄想を抱いてしまうほど当時のクロード・クロフォードは人間離れしていたのだ。

 悪鬼のような男であったにも関わらず、クロード・クロフォードの周囲には彼を慕う者がいた。

 タウルの傍には誰もいなかった。

 巨躯と怪力を活かして仲間の窮地を幾度となく救いながら、その粗暴さ故にタウルは孤独だった。

 タウルが何を思ったのかは分からない。

 ただ、クロード・クロフォードとの邂逅がタウルに影響を与えたのは確かだった。

 その日を境にタウルは味方に暴力を振るわなくなった。

 数え切れないほどの失敗と見ていて歯がゆくなるような小さな変化を積み重ね、五年が経つ頃、タウルは孤独ではなくなっていた。

 この足を失ったのは無駄ではなかった、と今もアーサーは信じている。


「よう! エルナト、ワイズマン!」


 不意に呼びかけられ、振り向くと、食堂の近くに大男……クロード・クロフォードが立っていた。


「こっちに来て、一緒に茶でも飲まねえか? 荷造りの邪魔だからって屋敷を追い出されてやることがなくてよ」

「……アーサー?」

「急ぐ用事はないよ」


 食堂に入ると、クロードは奥にある席にドッカリと腰を下ろした。

 アーサーはタウルの隣に座ったが、タウルに追いやられ、体が半分ほどテーブルからはみ出る。

 もっとも、クロードの隣に座っても似たような状況になっていただろうが。


「不景気な顔をしてやがるな、ワイズマン先生よ」

「クロード殿はアーサーをご存じなのですか?」

「そりゃあ、息子の先生だからな」

「……クロノ君は」


 アーサーは二十五年の教師生活でクロノほどの落ち零れを見たことがなかった。

 なまじ本人が真面目な性格をしているだけに不憫で仕方がなかった。


「クロノ殿のことだから、優秀な成績を収めていたのだろうな」

「……それは」

「はははっ、俺の息子だぜ? 軍学校の歴史に残るような勢いで落ち零れたに決まってるじゃねえか」


 笑い話にしてくれるのはありがたい。


「学校じゃ落ち零れちまったが、軍功を立てて、二つの領地を抱えてやがるからな。おまけに愛人もこさえて……早く孫の顔が見てえぞ、俺は」


 軍学校を卒業して一年で大隊長に出世し、二つの領地を与えられる。

 自分の教え子が出世するのは喜ばしいが、同時にアーサーは教師としての未熟さを指摘されたような気分だった。


「ま、息子の心配よりも自分の心配をしなきゃならねえんだがな。四月になったら蛮族どもが山から下りて来やがるし、おまけに新しい大隊長と顔合わせもしなきゃならねえ。クソッ、さっさと息子に家督を譲って隠居でもしちまうか」


 帝国は各地に軍を派遣することで各領主が治安維持のために負担しなければならない費用を肩代わりしている。

 これは領主に独自の軍事力を持たせず、反乱を起こそうとした時、あるいは起こした時に迅速に鎮圧するためなのだが、当然、領主は喉元に短剣を突き付けられているような状況に不満を抱く。

 その不満を少しでも解消するために領主の近縁者が大隊長として派遣されることになっているのだ。

 もっとも、それは旧貴族に限った話で、一代で成り上がった新貴族は軍属の近縁者が少ないため、縁もゆかりもない軍人が大隊長として派遣される。

 帝国はそれだけ新貴族を警戒しているのだ。

 三十年前の動乱で皇兄派を勝利に導き、蛮族をアレオス山地に追いやり、たった二十年で南辺境を穀倉地帯に変えた新貴族を恐れている。

 その恐れはクロード・クロフォードの息子……クロノが頭角を現したことで具体性を帯び始めている。

 ふと気づく、校長もまた恐れていたのではないかと。

 クロノは無能を演じながら牙を研ぎ澄ませていたのではないか。

 虎視眈々とチャンスを窺っていたのではないか。

 それを知りながらアーサーは黙っていたのではないか。


「そのことなのだが、クロード殿」

「分かってるぜ、新しい大隊長ってのがお前の息子ってことくらい」


 タウルが申し訳なさそうに切り出すと、クロードは歯を剥き出して笑った。


「息子のガウルは……若い頃のワシに似たのかバカでな」


 タウルは溜息混じりに言ったが、彼の息子であるガウルは優秀な学生だった。

 少なくともアーサーの記憶では。


「自警団の連中には揉め事を起こさないように言い聞かせちゃいるが、あまり度が過ぎると、俺でも抑えきれねえよ」

「いや、そこまでバカではないと信じたいが」


 若い頃の自分を思い出したのか、タウルは自信がなさそうだった。


「どっちにしても、今のやり方は長く続けられねえな。俺の家はともかく、他の連中は孫が軍学校を卒業して何年も経ってるんだ。お前の息子が下手を打ちゃ、それを理由に騒ぎ出しかねねえぞ」


 他の連中……南辺境の開拓で中心的な役割を果たした新貴族は八家あり、クロフォード家は纏め役を務めている。

 だが、クロフォード家が他の七家を抑えるにも限度がある。

 元々、八家は自警団を組織するほど帝国に不信感を抱いているのだ。


「クソッ、剣一本で何でも解決できた傭兵時代が懐かしいぜ」


 クロードは吐き捨て、一気に香茶を飲み干した。


「ああ、隠居してえ」


 隠居したくても隠居できない者がいる一方で、自分のように職を追われる者もいる。

 カップを見つめながら、アーサーは溜息を吐いた。


「おいおい、どうしたんだよ?」

「実は教師の仕事をクビになってしまって」

「よし、俺に任せろ! 次の職場を世話してやるからよ」


 そう言って、クロード・クロフォードは獰猛な笑みを浮かべた。



 クロード・クロフォードの行動は早かった。

 早々と馬車の手配を済ませ、手紙を持たせると、アーサーをエラキス侯爵領に送り出したのである。

 帝都アルフィルクを出発して十日余り、ハシェルの街に辿り着いたアーサーは情報収集を兼ねて食堂を訪れた。

 その食堂を選んだ理由は薄汚れていて料金が安そうだったからだが、別の店にしておけば良かった、とアーサーはすぐに後悔した。

 食堂にいたのが亜人だけだったのだ。

 アーサーが亜人に対して特別な感情を抱いていなくても、その逆はあり得るのだ。


「……失礼しました」

「「痛っ!」」


 回れ右で方向転換すると、二人のエルフにぶつかった。


「ああ、申し訳ない」

「ちょっと、ぶつかったくせに一言で済ませる気?」

「謝罪と賠償は別問題みたいな」

「……治安を守らなければならない私達が問題を起こしてどうするんですか」


 二人のエルフ……鏡に映したようにそっくりな外見をしているので双子だろう……が不満そうに唇を尖らせてアーサーに詰め寄ると、褐色のハーフエルフが冷ややかな口調で言った。


「じょ、冗談だってば」

「そ、そうそう」


 えへへ、と双子のエルフは取り繕うように笑った。


「では、謝罪を」

「「ごめんなさ~い」」


 ハーフエルフに促され、双子のエルフは謝罪の言葉を……反省の念は欠片も感じられなかったが……口にした。


「……私も不注意だったので。どうでしょう、お詫びの意味を兼ねて私に食事を奢らせて貰えませんか?」

「「うはっ! おっちゃん、超良い人!」」


 わざわざ別の食堂を探して情報収集するよりも食事をしながら話を聞き出した方が手間が掛からないと判断しただけなのだが、双子のエルフは嬉しそうに目を輝かせた。

 空いている席に座り、簡単に自己紹介を済ませる。

 双子のエルフはデネブとアリデッド、褐色のハーフエルフはレイラと名乗った。

 三人とも六年前にエラキス侯爵領に配属されたそうで、エルフの双子はアルフォート殿下の親征にも参加したらしい。


「おっちゃん、貴族なんだ」

「全然、偉ぶってないから平民かと思ったし」

「偉ぶれるような家柄ではありませんから」


 実際、大した家柄ではない。


「どのような御用件でエラキス侯爵領にいらっしゃったのですか?」

「……実は務めていた職場を解雇され、古い友人に新しい仕事を紹介して貰ったのです」

「つまり、大旦那様の知り合いであると?」


 アーサーは大旦那様が誰のことなのか理解できなかった。


「クロード様の知り合いなのでしょう?」

「ええ、まあ」


 アーサーは頷いた。


「もっとも、クロノ君に会わなければ雇って貰えるか分からないのですが」

「……クロノ君?」

「ああ、私は軍学校の教師補でして、クロノ君の……いえ、クロノ君に勉強を教えていました」


 レイラが不審そうに目を細めたので、アーサーは慌てて付け加えた。


「「お~、クロノ様の先生」」

「事情は分かりましたが、クロノ様はカド伯爵領の視察に向かわれたので、すぐにはお会いできないと思います」

「これでも多少は手持ちがあるので、何処か適当な……安い宿に泊まってクロノ君の帰りを待ちたいと思うのですが」

「ハシェルで一番安い宿はここだけど」

「でも、連れ込み宿も兼ねてるから」


 あ~、とアーサーは声を漏らした。

 食堂が宿を兼ねているのはよくある話で、連れ込み宿や売春宿を兼ねているのも割とある話だ。


「うへへ、うるさくて眠れないかも」

「ここでレイラって寝泊まりしてたけど、気にならなかったの?」

「……いえ、あまり」


 わずかに顔を赤らめているので、口で言うほど気にならなかった訳ではないらしい。


「その後、すぐにクロノ様の部屋に入り浸ってたもんね」

「クロノ様の愛が分からないって泣きべそかいてたよね」

「あ、あの、その、人前で、そういうことは」


 レイラはしどろもどろになり、恥ずかしそうに俯いた。

 どうやら、レイラはクロノの愛人らしい。

 あの生真面目なクロノのことだから遊び半分で手を出したということはなさそうだが。


「おうおう、初々しいね」

「でも、そういうの少し憧れるかな?」


 双子のエルフは顔を見合わせ、


「うへへ、抜け駆けしたいって意味?」

「たま~にクロノ様を独り占めしたくなる時があるみたいな?」


 ふへへ、ふへへへと双子のエルフは不気味な笑い声を漏らした。


「止めておこう」

「今のままで十分……むしろ、クロノ様と二人っきりになったら間が持たないし」


 どうやら、デネブとアリデッドの二人もクロノの愛人らしい。

 あの生真面目なクロノのことだから……この一年で何があったんだ?

 アーサーは心の中でクロノの評価を大幅に下方修正した。


「……クロノ様の恩師を放って置く訳にもいきませんね」

「じゃ、アリッサさんに頼めば良いんじゃない?」

「メイド長なんだし、それくらいの権限は認められてるっしょ」


 そうですね、とレイラは透明な球体……通信用のマジック・アイテムを取り出し、用件を告げた。


『……かしこまりました。客室の準備を整えておきますので、念のために書簡などの確認をお願い致します』

「分かりました」


 レイラに視線を向けられ、アーサーは鞄からクロードに渡された手紙を取り出した。


「おおっ! 紙だし!」

「むむっ、この手触りはエラキス侯爵領製の紙!」


 双子のエルフはアーサーから手紙を奪うと、演技がかった口調で言った。

 クロードの手紙は紙を筒状に丸め、紐を巻いた上で封蝋がされている。


「この紙はエラキス侯爵領で?」

「クロノ様が作り方をご存じで……雇用を確保するために工房を建てられたと記憶しています」


 何故、それだけの知識があって落ち零れたのか、とアーサーは心の中で嘆息した。


「大旦那様からの手紙で間違いないようです」

「「どうして、分かるの?」」


 レイラが言うと、双子のエルフは不思議そうに首を傾げた。


「メイド修行をした際、教官からクロフォード家の家紋と印爾を見せて頂きましたから」

「んな物、見せて貰ったっけ?」

「怒られてばかりだったような気が?」


 レイラが封蝋に押された模様を指で指し示すと、またもや双子のエルフは不思議そうに首を傾げた。


「二人ともメイド修行をしたのでは?」

「したけど、掃除とか、料理とか、買い物とか、それくらい」

「メイドの嗜みとしてクロノ様のベッドに潜り込もうとして、見つかって追いかけられたり」


 ふぅ、とレイラは溜息を吐き、手紙をアーサーに返した。



 アーサーがレイラ、デネブ、アリデッドの三人に案内されてエラキス侯爵邸に辿り着くと、そこから先は人間のメイドが客室まで案内してくれた。

 人間のメイドはアリッサと言い、体調を崩して困窮している所をクロノに保護され、回復した今はメイド長として働いているそうだ。

 客室は帝都でアーサーが借りていた部屋よりも広く、設置されている家具も上等な物ばかりだった。

 このレベルの宿に泊まったら幾ら掛かるだろう、とアーサーは財布の重さが頼りなく感じられた。


「……就職が決まれば家を借りなければならないな」


 その後、アーサーは浴室で旅の垢を落とし、自室に戻って本を開いた。

 過去の戦術について書かれた本でアーサーはそこに自分の経験や知識に基づいて文章を書き加える。

 それからしばらくしてドワーフのメイドに食事の準備が整ったと告げられ、アーサーは席を立った。

 食堂に足を踏み入れた瞬間、アーサーは自分の目を疑った。

 その人物の正体を確信するなり、アーサーは杖を投げ捨て、スープを口に運ぶティリア皇女に跪いていた。

 騎士の……臣下の礼だった。


「……ティリア皇女」

「誰だ、お前は?」


 ティリア皇女の言葉にアーサーは脱力感を覚えた。


「私は……軍学校で教師補を勤めておりましたアーサー・ワイズマンと申します」


 む、とティリア皇女は考え込むように眉根を寄せた。


「ティリア皇女は覚えていないでありますか?」

「ああ、君はフェイ、フェイ・ムリファイン君だったね?」


 うぐっ! とフェイは言葉に詰まった。


「お前だって覚えていないじゃないか」

「も、申し訳ないであります」


 フェイは申し訳なさそうに頭を垂れた。


「ラマル五世陛下が崩御されて以来、体調が思わしくないと聞き及んでおりましたが、何故、エラキス侯爵領に?」

「……何故と言われても」

「ティリア皇女は第一皇位継承権を奪われ、エラキス侯爵領に流された」


 声のした方を見ると、少女が小さく千切ったパンを口に運んでいた。


「……エリル・サルドメリク子爵?」

「私のことを知ってる?」


 エリルが驚いたように目を見開いたので、アーサーは頷いた。

 所謂、エリル・サルドメリク子爵は神童である。

 平民の子として生まれた彼女は宮廷学者であるサルドメリク子爵にその才能を見出され、養女として迎えられた。

 エリルは彼の元で学問を学び、その興味は魔術に向けられることになった。

 魔術は神威術の粗雑な模倣……人間に理解できない神の業を人間に理解、制御可能なレベルにまで貶めたのが始まり……とされる。

 彼女は今まで存在しなかった幾つかの魔術、本来ならば命に関わる魔術の多重起動を比較的安全に用いる技術を開発した。

 しかし、これだけの実績を彼女が積み上げられたのは前皇帝ラマル五世のお気に入りだったからと陰口を叩く者は多い。

 通常であれば根拠のない噂話と一笑に付して終わりだが、彼女の場合は否定しきれない部分がある。

 彼女は第十一騎士団の団長であるにも関わらず、実戦経験はおろか、軍学校に在籍したことさえないのだ。


「何故、エリル様までエラキス侯爵領に?」

「……私はティリア皇女の監視役として派遣されている」


 アーサーはエリルが監視役として選ばれた理由を理解できなかった。

 精々、本物の監視役から目を逸らさせるための囮か、後ろ盾を失った彼女の処遇に困って適当な役目を押しつけたと言った所ではないだろうか。

 アーサーが黙っていると、興味を失ったのか、エリルは食事を再開した。


「まあ、そう言う訳でクロノの世話になっているんだ」

「……近衛騎士は誰も?」


 ティリア皇女は弱々しく頭を振った。

 何故? とそんな言葉が喉元まで迫り上がる。

 何故、簒奪を見過ごしたのか?

 士爵位の意味と価値が変わり、騎士の意味と価値も変わったと言うのか?


「アーサー教師補、いや、騎士アーサー。気持ちは嬉しいが、皇位継承権を失ったのは私の自業自得だ。私は皇女であれば忠誠を誓って貰えるとばかり思っていた」

「……傲慢」


 エリルがぼやくように言うと、ティリア皇女は痛い所を突かれたとでも言うように苦笑いを浮かべた。


「そうだ、私は傲慢だった」


 ティリア皇女は席を立ち、アーサーと視線を合わせるようにその場に跪いた。


「それほどの傷を負ってまで帝国に忠誠を尽くしてくれたお前を労うよりも先に名前を問う。そんな私に皇帝になる資格など初めからなかったんだ。それでも、ラマル五世の娘として言わせて貰えるのならば……騎士アーサー、お前の忠誠を嬉しく思う」

「……おおっ、ティリア皇女」


 アーサーは声を上げて泣いた。

 その言葉で今までの人生が報われたような気がした。


「水を差すようで悪いけど、早く食べてくれないかね? 折角、作った飯が冷めちまうよ」

「すまなかったな、女将」


 いつの間にか背後に立っていた女性に謝罪すると、ティリア皇女は元の席に腰を下ろした。


「女将の料理はなかなか美味いぞ」

「なかなかね。皇女様にしてみりゃ、褒め言葉なんだろうけど、褒められているような気がしないのはあたしの気のせいかね」


 ティリア皇女は上品に鶏肉を切り分け、口に運んだ。


「大丈夫、女将の料理はとても美味しい」

「嬉しいことを言ってくれるじゃないか」


 サービスだよ、サービス、と女将は鶏肉をエリルの皿に追加した。



 翌日、アーサーはティリア皇女に伴われ、カド伯爵領に出掛けた。

 ティリア皇女とフェイは馬で、アーサーとエリルは幌馬車での移動だ。

 侯爵邸を出た時は肌寒く感じられたが、しばらくするとそれも気にならなくなった。

 ツンと鼻腔を刺激する冬の凍てついた空気も嫌いではないが、浮き足立つような春の温かさも嫌いではない。


「私のような者のために馬車を出して下さるなんて」

「ティリア皇女はクロノ殿に会いたいだけ」


 ゴホンとアーサーは咳払いをした。

 言われてみれば就職も決まっていないのに浮かれ過ぎたような気がする。


「サルドメリク子爵、近衛騎士団長の貴方にはティリア皇女がどのように見えるのでしょう?」

「エリルで良い。それと敬語も必要ない」


 エリルは本から視線を動かさずに答えた。


「ティリア皇女は、とても残念な人」

「……」


 もう少し言葉を選んだ方が良いんじゃないか、とアーサーは思った。


「仕事もせずに街をぶらぶら歩き、気が向いたら剣術の修行に励み、エラキス侯爵と同衾した翌日は頭を抱えて身悶えしている」

「ティリア皇女はクロノ君と?」

「五日目に押し倒された」

「ティリア皇女が?」

「違う。エラキス侯爵がティリア皇女に押し倒された」


 クロノがティリア皇女に襲い掛かる姿はイメージできないのに、その逆は比較的容易だった。


「……夜伽を決める話し合いでは奴隷や平民、亜人と同レベルで言い争い、夜伽の回数で一喜一憂している。とても、とても、とても、残念」


 エリルが長い溜息を吐いたので、アーサーも危うく溜息を吐く所だった。

 落ち込まれたり、生きる気力を失ったりするよりマシな気もするのだが、第一皇位継承権を奪われ、辺境に流された皇女にしては突き抜けすぎじゃないだろうか。

 いや、ティリア皇女は学び直しているのだ。

 皇帝にとって、上に立つ者にとって何が大切なのかを模索している最中なのだ。


「……前向きなのは」

「向く方向を間違えている」


 とりつく島もなかった。

 コーン、コーンという音が聞こえたのはアーサーがティリア皇女を庇おうと口を開きかけたその時だった。

 荷台から御者席に移り、アーサーは驚きのあまり目を見開いた。

 百人以上の亜人……その多くはリザードマンやミノタウルスだが、ちらほらとドワーフ混じっている……が工事を行っていたからだ。

 リザードマンが数人掛かりで丸太を運び、ドワーフがそれを削って十メートルはある木の杭に仕立てる。

 木の杭は所定の位置に運ばれ、やや小柄なミノタウルスが海岸に運ぶ。

 コーン、コーンという音は海岸から十数メートルほど離れた海の上から響いていた。

 そこには真ん中に穴がある巨大な足場……樽と小舟、板を組み合わせたものを海岸から伸ばした丸太で支えている……が築かれていた。

 海に浮かぶ足場の上にはミノタウルスが四人、一人が杭を支え、一人が大槌を振るうという役割分担だ。

 残る二名は脚立を抱えて暇そうにしている。

 木の杭を打ち終え、大槌を振るっていたミノタウルスがその場に座り込むと、海岸で待機していたミノタウルスが丸太を押して足場を移動させる。

 木の杭は人間……恐らく、漁村の人間を雇ったのだろう……が足場まで運び、それをミノタウルスが受け取る。

 ミノタウルスは先に打ち込んだ木の杭と隙間が開かないように新しい木の杭を足場の真ん中にある穴に通した。

 どうするつもりだろう? とアーサーが海面から五メートル以上も突き出している木の杭を眺めていると、暇そうにしていた二人のミノタウルスは穴を跨ぐように脚立を置いて左右から支えた。

 大槌を持ったミノタウルスは慣れた動作で脚立に登り、天板部分に腰を下ろすと、大槌を振り下ろした。

 コーン! コーン! と杭を打つ音が海岸に響き渡る。

 どうやら、一カ所ではなく、二カ所で同じ作業をしているようだ。

 直角のラインが木の杭で海上に描かれ、今は全体で五十メートルくらいだ。

 更に離れた場所ではミノタウルスが次々と海に岩を投げ込んでいた。

 クロノ君は? とアーサーは周囲を見渡し、家の骨組みらしき物の近くにクロノらしき人物が立っていることに気づいた。

 それはティリア皇女も同じだったらしく、彼女は少しだけ馬の歩調を早めてクロノに近づいていく。

 幌馬車がクロノに近づくにつれて家の骨組みらしき物の全容が明らかになる。

 それは家の骨組みではなかったが……何かと問われれば首を傾げざるを得ない。

 木を組んで作った立方体の内側に格子が地面と平行になるように設けられている。

 それだけで家ではないと推測できるが、藁の束が格子に結びつけられ、その下にコンクリート製の貯水槽がある理由は理解の範疇を超えている。

 謎の建物の外側……そこには海に対して垂直に階段らしき物が造られていた。

 階段らしき物と表現したのは階段状になっているのは半分だけで、もう半分は水槽になっていたからだ。

 理由は分からないが、水槽と階段の数は一致していない。

 傾斜のきつい階段を十段上がると、次の水槽と言った具合だ。

 貯水槽と各水槽を繋げるように丸太らしき物が置かれていて、これもアーサーの理解を超えていた。


「クロノ、何を作ったんだ?」

「ああ、来たんだ」


 クロノが振り返ると、ティリア皇女は華麗に馬から下り、フェイも彼女に倣う。


「来たぞ」


 えへんとティリア皇女は子どものように胸を張った。

 一瞬、クロノの表情が緩むが、アーサーは見なかったことにした。


「エラキス侯爵はティリア皇女の胸に執着している。単なる脂肪の塊にあれほど執着する理由が分からない」


 エリルは不機嫌そうに目を細めた。単に視力が落ちていて目を細めているのかも知れないが、とにかく不機嫌そうだった。


「で、これは何だ?」

「……試作塩田二号だ」


 答えたのはクロノではなく、階段の影から現れたドワーフだった。


「シルバさん、やつれたでありますね?」

「いや、俺は元気だ」


 微妙に噛み合わない答えを返し、ドワーフは笑った。

 外部からの刺激によって生じた笑いではなく、水も、食料も、援軍も望めない戦場で戦い続けた兵士が漏らす笑いに似ていた。


「試作塩田一号を作っていた俺は効率の悪さに悩み苦しんだ。悩み、悩み、悩み抜いた末に……屋根に使う藁束を見たんだ。そして、この、立体式塩田の、着想を、得た!」


 ドワーフ……シルバは狂気に駆られたように駆け出すと貯水槽に立てかけられた丸太に手を伸ばした。

 丸太の先端にあるレバーを回すと、水が溢れ、階段状の水槽に水が溜まる。

 シルバは水槽から水槽へ水……塩田と呼ぶからには海水なのだろう……を移動させ、階段の最上段に移動して桶で海水を試作塩田二号にぶち撒けた。


「海水は! 藁を伝って滴り落ち! 海風が水分を蒸発させ、海水は濃度を増して下の貯水槽にぃぃぃ! 溜まる! これを繰り返して、繰り返して、作られた濃い海水を煮詰めれば、効率的に、効率的に、製塩できるんだ!」


 転がり落ちるように階段を駆け下り、目を血走らせて叫ぶ姿は狂気じみていた。


「……シルバさんは残念なことになってしまったであります。けれど、シルバ式立体塩田として歴史に名前が残るのなら、シルバさんは本望に違いないであります」

「単なる寝不足だから寝れば元に戻ると思うよ」

「次は各漁村にシルバ式立体塩田を設置! 港の建設も監督して、寝てる暇なんてないぞ!」


 シルバは叫ぶと、海岸に向かって走り出した。


「眠れるのか、あのドワーフは?」

「倒れられると効率が悪くなるとか、そんな感じで説得しようと思う」


 ティリア皇女に指摘され、クロノは溜息混じりに答えた。


「クロノ、お前に客が来ているぞ?」

「……奴隷商人? それとも、娼館経営者のマイルズ?」


 ふとクロノと目が合った。


「わ、ワイズマン先生!」

「やあ、久しぶりだね。クロノ……君」


 迷った末、アーサーはクロノ君と呼んだ。


「本当に、お久しぶりです!」

「……」


 クロノは幌馬車に駆け寄ると、感極まったようにアーサーの手を両手で握り締めた。

 じ~んと胸が熱くなる。

 彼のようにアーサーを先生と呼んでくれる人間が軍学校の卒業生に何人いることか。


「クロノ君、その傷は?」

「初陣で、ちょっと」


 クロノは照れ臭そうに右目の傷を手で覆った。


「色々ありましたけど、こうして生きていられるのはワイズマン先生のお陰です」

「クロノ、騎士アーサーは落ち零れの補習を行っていただけなのだろう? 何処が騎士アーサーのお陰なんだ?」


 クロノは不機嫌そうにティリア皇女を見つめた。


「ティリア、お仕置き」

「ふっ、望む所だ!」


 ボソリとクロノが呟くと、ティリア皇女は傲然と胸を張った。


「やっぱ、お仕置きはなしで」

「な、何だと!」

「……どうして、ワイズマン先生がここに?」


 声を荒げるティリア皇女を無視してクロノは言った。


「これを見て貰うのが早いと思う」

「ああ、父さんの」


 アーサーが手紙を渡すと、クロノは紐を解いて手紙に視線を落とした。


「……ワイズマン先生に教わった方が早いと思います」


 そう言って、クロノは手紙をアーサーに向けた。

 そこには一言、『雇え!』とだけ書かれていた。



 気を遣ってくれたのだろう。

 クロノはドワーフに幾つか指示を出し、アーサーと幌馬車でエラキス侯爵領に帰還することになった。

 軍学校を解雇されてエラキス侯爵領に辿り着くまでの経緯を説明すると、クロノはすぐに教師としてアーサーを雇うと言った。

 月給は軍学校で教師補として働いていた頃より金貨一枚増え、金貨三枚と銀貨十枚になった。


「宜しければ侯爵邸に部屋を用意しますけど?」

「いやいや、そこまで世話にはなれないよ」


 軍学校よりも高い給料で雇って貰えただけで望むべくもない破格の待遇なのだ。

 これ以上、世話になる訳にはいかない。


「……港造りは順調かい?」

「試行錯誤の連続です。海に浮かぶ足場を作るのも試行錯誤してそれらしい物をでっち上げた感じで……この調子だと木の杭を打ち終えるのに、あと二ヶ月くらい掛かると思います。まあ、試作塩田二号の方がようやくあの形に落ち着いたんで、少しはシルバの負担も減ると思うんですけどね」


 シルバ式立体塩田がカド伯爵領の漁村に普及すれば領民は安定した収入を得られるようになるはずだ。

 その後はクロノが塩を買い取って販売しても良いし、信頼できる商人に取引を任せて税を徴収しても良いだろう。

 詐取でも、慈善でもない。

 利益を軸にした考え方は貴族らしくないが、それ故に成功するのではないかと予感させる。


「クロノ君、私は何を教えれば良いのだろう?」

「そう、ですね。今は黄土神殿の神官さんに基礎……読み書き、算術をお願いしているんですが、本職がかなり忙しいらしいんですよ」

「ああ、なるほど」


 そろそろ農作業が本格化する時期だから、『黄土にして豊穣を司る母神』に仕える神官の仕事が増えるのは道理だ。


「領地の農業改革や救貧院の運営、本部との折衝も任せきりなので」

「……クロノ君、働かせすぎじゃないかな?」

「人材不足なんです」


 ああ、とアーサーは頷いた。

 領地を運営するには人手がいる。

 旧貴族であれば親類縁者を頼ることもできるだろうが、成り上がり者の新貴族であるクロノは頼るべき親類縁者がいないのだ。


「人材の育成も兼ねてワイズマン先生に部下の教育をお願いしようかなと思いまして」

「つまり、基礎的な教養を身に付けさせ、士官を育成しなければならないんだね」

「まあ、そんな感じでお願いします」


 クロノの返事が曖昧なのは彼自身も明確な答えを見出していないからだろう。どちらにしても基礎的な教養を身に付けた人材を確保、育成しなければ領地運営は上手くいかないのだ。



 就職が決まり安堵したのも束の間、アーサーは寝る暇を惜しんで働かなければならなかった。

 まず、生活の拠点を確保しなければならなかった。

 住む場所まで世話になる訳にはいかないと見栄を張ったものの、見ず知らずの土地で住居を見つけるのは難しく、クロノを頼る羽目になった。

 次にカリキュラムの作成……文字の読み書きや算術のカリキュラム作成は比較的容易だった。

 と言うのもクロノと黄土神殿の神官シオンが作成したカリキュラムを参考にできたからだ。

 あくまで全体の流れが把握できただけで、どのように教えるかは自分で考えなければならなかったが。

 最後までアーサーを悩ませたのが士官教育についてだ。

 クロノの目的は領地運営をするための人材を確保することにあるのだから、軍学校式の士官教育を行っても意味がないような気がしたのだ。

 悩んだ末、アーサーは戦術教育を通して人材を育成する方針を固めた。

 兵士である彼らにとって戦術教育は無駄にならないだろう。

 将来的には士官教育を施した兵士の中から適任者を選び、教師を増やしたい、とそんなことを考えてアーサーは苦笑した。


「……さて、明日に備えて眠ろう」


 アーサーは机の上を片付け、ベッドに潜り込んだ。

 疲れが溜まっていたのか、アーサーはすぐに眠りに落ちた。


 帝国歴四百三十一年四月、クロノの領地は平和だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

9月26日「クロの戦記Ⅱ」コミック第5巻発売‼


同時連載中の作品もよろしくお願いします。

コミック1&2巻大好評発売中

アラフォーおっさんはスローライフの夢を見るか?

↑クリックすると作品ページに飛べます。


小説家になろう 勝手にランキング
cont_access.php?citi_cont_id=373187524&size=300
ツギクルバナー
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ