第1話『賭け』修正版
※
「「うはっ!」」
デネブとアリデッドは叫び声を上げながら自分の部屋に駆け込んだ。
「新しい家具!」
「真新しいシーツ!」
デネブは部屋の中央に立って新しい家具……ベッドと机一式、ベッドを見つめ、アリデッドは真新しいシーツに頬ずりした。
喜んでいるのは自分達だけではない。
ガウガウだの、ブモ~ブモ~だの、シャシャ~だの、歓喜に彩られた声が新兵舎に響き渡っている。
喜んで当然だ。
旧兵舎では副官が個室、百人隊長が二人部屋、一般兵士は六人部屋だったのに、新兵舎では百人隊長以上は個室を、一般兵士でさえ二人部屋を与えられているのだから。
一ヶ月前の撤退戦以降、クロノの部下になった五百人の兵士は旧兵舎で寝泊まりをしているが、部屋は二人部屋で、新しい家具も設置されているので、表だって文句を言うヤツはいない。
「こ、こんな贅沢が許されるなんて!」
「クロノ様、最高っ!」
公共事業を兼ねてみたいなことをクロノは言っていたが、その辺を差し引いても『クロノ様、最高っ!』なのだ。
「こんな贅沢を味わったら」
「もう元の生活に戻れないよね」
五年前、エラキス侯爵領に赴任した当時は酷かった。
多段ベッドは寝返りを打つと、ドキッとするような音を立てたし、シーツはボロボロで虫だらけ、一日二回の食事は固いパンと水みたいに薄いスープだけだったのだ。
それも待遇が改善された今だから酷いと思えるのであって、当時は衣食住が保証されていることに満足していたのだ。
まあ、浮浪者をしたり、救貧院の世話になるよりもマシ程度の満足感に過ぎなかったが。
「そういえばクロノ様って何処に行ったの?」
「ん? カドの視察に行ったみたいだけど」
「え~、あそこって利用価値なさそうじゃん」
カド伯爵領はエラキス侯爵領の西隣にある、一ヶ月前の戦争で戦功を上げたクロノに与えられた領地だ。
ピクス商会のニコラや顔馴染みの行商人によれば漁村が点在しているだけでハシェルのような城塞都市はないらしい。
「利用価値って言ったら?」
デネブとアリデッドは顔を見合わせ、
「「毎日、魚が食べられる!」」
メニューが追加される、とデネブとアリデッドは諸手を挙げて喜んだ。
※
幌馬車は海沿いの道を北へ、北へと突き進む。
幌が海から吹き寄せる風を防いでくれるが、箱馬車のように快適な旅は望むべくない。
磯の臭いが気になるのか、ティリアとレイラは不愉快そうに顔を顰めている。
それはシルバや馬に乗って周囲を警戒するフェイも同様だ。
例外は黙々と本を読み耽っているエリル・サルドメリク子爵くらいなのだが、彼女の場合は本に没頭することで外部情報を遮断しているようにも見える。
「ここがカド伯爵領か。呆れるほど何もない所だな」
「海があるだけで十分じゃない? 海があれば魚が捕れるし、塩田だって作れる。もちろん、港もね。ゆくゆくは真珠の養殖もやってみたいな~」
ティリアが指摘するようにカド伯爵領は何もない所だが、他所の領地を経由しなくて済むので、魚や塩が安く手に入るはずである。
「……待て、クロノ。真珠は養殖できるものなのか?」
「向こうの世界で見た本によれば貝の中に不純物が紛れ込むと、コーティングされて作られるとか」
ほぅ、とティリアは感心したように頷き、
「いや、その話はおかしいぞ。不純物が紛れ込んだくらいで真珠ができるのなら養殖なんてする必要ないじゃないか。仮に、その理屈が正しいとしても養殖方法を確立するまでに何十年も掛かるんじゃないのか?」
と思い直したように言った。
「う~ん、一朝一夕にはいかないか。貝の養殖方法も確立しなきゃならないし、実現するまでの道のりは険しそうだね」
「クロノ様、塩田とはなんでしょうか?」
「塩の作り方みたいな物かな。小さい頃に読んだ本によれば……まず、海の水を桶に入れて、砂地にぶち撒ける。それを何度か繰り返して砂を回収する。回収した砂に海水を注いで、鍋で煮詰めると、塩が取れます」
「……クロノ様が仰った方法だと、海水が砂に染み込むだけでは?」
クロノが漫画日本の歴史の内容を思い出しながら説明すると、レイラは首を傾げながら言った。
「クロノ、お前の知識は肝心な所が抜けてるな」
「う、申し訳ない」
「それなら海水が染み込まないようにすりゃ問題ないじゃないか」
そう言ったのは御者席で海を眺めていたシルバだった。
彼はゴルディの弟で建築の専門家……建築家としては駆け出しも良い所だが、石工としては十数年のキャリアを持つベテランだ。
「……具体的にどうするんだ?」
「コンクリートの枠を作ればそれで解決だ」
う~ん、とティリアは唸った。
そんな簡単な方法で良いのだろうか? とでも言いたげである。
「シルバ、良さそうな地形はあった?」
「さっぱりだ。入り江や河口があれば良かったんだが、精々、あるのは緩やかなカーブくらいだ。こうなると、地形を造り替えるしかないな」
シルバによれば港を作るためには三方を囲まれた凹みたいな地形が望ましいらしい。
「お金が掛かりそうだね」
「いや、それほど金は掛からないはずだ」
シルバは荷台に移ると、和紙を取り出して図を描き始めた。
「まず、海岸線に沿って間が開かないように木の杭を打つ。水を抜いて地盤を固めて埋め立てりゃ岸壁の完成だ。んで、次々と石を投げ込んで防波堤を造れば形になるだろ?」
「どうやって水を抜くんだ? 桶か?」
「ポンプを使うのさ。イメージ的には細長い塔と螺旋階段みたいな感じだな。別に固定されている訳じゃないぞ。螺旋階段の部分が回転するようにできてるんだ。こうグリグリ回すと、水が掻き出されるって寸法だ」
ティリアが尋ねると、シルバはジェスチャーを交えながら答えた。
「丸太は昏き森の木を伐採すれば良いし、石も……黄土神殿の近くにあった岩山を切り崩せば何とかなりそうだね」
「ただ、人手が足りないんだよな」
あ~、とクロノは呻いた。
今は二月……三月に入ると、畑を耕したり、種を蒔いたりしなければならないので、新兵舎を造った時のように農民を人夫として雇う訳にもいかない。
「う~ん、部下に作業をお願いできないかな?」
「それは難しいのではないでしょうか?」
ミノさんに相談してみよう、クロノは副官の顔を思い浮かべた。
※
夜……クロノはエラキス侯爵領に戻り、シオンの授業を終えたばかりの副官に声を掛けた。
『大将、それは無理ですぜ』(ぶも~)
「そう、だよね」
クロノが相談すると、副官はにべもなく答えた。
現在、エラキス侯爵領の兵士は千三百七十人強……内五百人は撤退戦を共に戦った新しい部下で、残る八百七十人中、三百五十人は配属されてから半年も経っていない新兵である。
古参兵と呼べるのはケインの部下を含めても四割に満たない。
もちろん、クロノも港を造るよりも訓練を優先すべきだと分かってはいるのだが。
「ミノさん、無職の知り合いとかいない?」
『……心当たりはありやすが、素直に話を聞いてくれるかは』(ぶも~)
「それは会ってから考えよう」
※
ボウティーズ男爵領はエラキス侯爵領から馬車で南下すること三日の距離にある。
副官の知り合いが住む集落はボウティーズ男爵領の東……山の麓にある森林に半ば埋もれるように存在していた。
集落の規模は多く見積もっても五十戸くらい。
井戸はないが、近くに小川が流れているので、水の心配はせずに済みそうだ。
家は掘っ立て小屋同然なのだが、そのサイズは妙に大きい。
ついでに言うと、窓の位置も高めだ。
副官の知り合いが住んでいる集落なのだから、住民はミノタウルスの可能性が高い。
そう考えると、扉の大きさや窓の高さも不自然ではないような気がする。
集落の東には幾つもの山……高さはそれほどでもないが、白い山肌が剥き出して怖いくらい傾斜が急だ……がある。
『大将、着きやしたぜ』(ぶも)
「毎度のことながら馬車での移動は疲れるね」
副官の手を借りて幌馬車から降り、クロノは全身の凝りを解すために背伸びした。
「宿はどうするでありますか?」
「保存食もたっぷり積んできたし、野宿で十分だよ」
既に夕刻、わざわざ街に戻ったら日が沈んでしまう。
固パンと干し肉、樽一杯の葡萄酒があれば問題ない、とクロノはフェイに答えた。
「不寝番をするので、安心して欲しいであります」
馬から下り、フェイは胸を張って言った。
「……寂しい村だね」
『亜人の、獣人の集落ってのはこんなものですぜ』(ぶも~)
副官は溜息でも吐くように言って集落を見つめた。
黄昏に染まる集落は何処か物憂げだった。
『代々、あっしの一族は石切場で働いてやして……働くと言っても、朝から夕方まで石を切り出して運ぶだけの、それだけの仕事でさ』(ぶも~)
それだけの仕事と言うが、それだけで済まない何かが副官の言葉には含まれているような気がした。
『……そんな生活が嫌であっしは軍に入ったんで』(ぶも~)
分かると言うのは彼に対する侮辱だろうか。
岩山を切り崩して、岩を運ぶ。
下手をすれば死者が出かねない危険な仕事だ。
朝から夕方まで働き、ふとした瞬間に事故で死ぬ。
働いて、働いて、働き続けて、死ぬ。
父が、祖父が、代々繰り返してきた営みに嫌気が差した。
何を言うべきか迷っていると、カタンと何かが倒れる音が響いた。
音のした方を見ると、一人のミノタウルスが小屋の出入り口の近くに立っていた。
足下には桶が倒れている。
『兄さん!』(ぷも~!)
『アリア』(ぶも~!)
副官が駆け出すと、やや遅れてアリアと呼ばれたミノタウルスの女性が駆け出した。
『……兄さん! どうして、どうして、家を出て行ったの?』(ぷも~)
『すまない、アリア。あっしは……いや、俺は』(ぶも~)
副官はアリアを抱き締め、途切れ途切れの謝罪を口にする。
「感動の再会でありますね」
「……うん、感動的だ」
『母さん! ミノ兄さんが帰って来たわ!』(ぷも~!)
『み、ミノ!』(ぷも~)
アリアが叫ぶと、小屋から年老いた……外見からではよく分からないが……ミノタウルスの女性が現れる。
『母ちゃん!』(ぶも~!)
『心配したんだよ、ミノ』(ぷも)
副官は年老いた母親を抱き締め、ポロポロと円らな瞳から涙を零した。
「感動の再会でありますね」
「……」
そっと顔色を窺うと、フェイは瞳を潤ませていた。
『ミノだって!』(ぶも)
『ミノ?』(も~)
ブモブモと声を上げながらミノタウルス達が小屋から飛び出す。
石切場での仕事が終わったのか、しばらくすると、山の方からゾロゾロとミノタウルスの群れが現れ、集落の一角はミノタウルスで埋まった。
「ミノ殿は故郷に錦を飾ったでありますね」
「そうだね」
『ミノ!』(ぶも~!)
『父ちゃん!』(ぶも~!)
隻眼のミノタウルスは他のミノタウルスを掻き分けて歩み寄ると、副官の横面に拳を叩き込んだ。
グラリと副官の体が揺らぐ。
『父ちゃん、兄貴は?』(ぶも?)
『死んじまったよ。お前が家を出てしばらくして……落石に巻き込まれたんだ』(ぶも)
そ、そんな、と副官は蹌踉めいた。
『一体、今まで何処をほっつき歩いていやがった?』(ぶも?)
『エラキス侯爵領で軍人として働いているんだ』(ぶも)
軍人、軍人……ブモブモとミノタウルス達が繰り返した。
「フェイ、幌馬車に積んである荷物を持ってきて。食料はそのままで良いからね」
クロノはミノタウルスを掻き分けて副官の隣に立った。
『何だ、お前さんは』(ぶも)
「私はミノさんの上司で、エラキス侯爵領の領主でクロノと申します。いつも副官のミノさんには世話になりっぱなしで」
副官? 副官だって……ブモブモブモとミノタウルス達がざわめく。
『俺の息子は……人間じゃない』(ぶもぶも)
「ええ、でも、彼は私の副官として……ずっと、私を支え続けてくれました」
「通して欲しいであります」
フェイはミノタウルス達の間を擦り抜けると、ドンと地面に山のような荷物を置いた。
「……ミノさんが私にしてくれたことを思えば大した物ではありませんが。フェイ」
「分かったであります」
フェイが包みを開くと、ミノタウルス達が息を漏らした。そこにあったのは反物や照明用のマジックアイテム、女性用の髪飾りなどだ。
「……ミノさん、積もる話もあるだろうし、今日は家族とゆっくりしなよ」
『宜しいんで?』(ぶも?)
「うん、気を遣わせるのも悪いから僕らは馬車で寝泊まりするね」
フェイを伴って幌馬車に戻ると、副官はミノタウルス達から囲まれて質問攻めに会っていた。
「贈り物まで用意するなんて、クロノ様はミノ殿のことを気遣っているのでありますね」
「あれは勧誘が失敗した時のために用意したんだよ」
あまり良い生活をしていないだろうから物で釣ろうとしたのだ。
「……クロノ様は微妙にアレであります」
「僕だって言葉だけで済むならそうしたいけどさ。手土産もなしに今の生活を捨ててくれなんて切り出せないよ」
利益を約束できる訳じゃないしね、とクロノは肩を竦めた。
「クロノ様はミノ殿の知り合いに何をさせるつもりでありますか?」
「港造り……港が完成したら、積み荷を船から倉庫に移したり、輸送を任せたり、そんな感じかな」
それから塩田の方も任せたいんだけど、とクロノは言葉を濁した。
やはり、利益を約束できないのがネックだ。
塩田を造るにしてもクロノの知識が何処まで通用するか分からないのだから。
「クロノ様は一人で考えすぎであります」
「他人の人生が掛かっているのに何も考えなかったら、その方が無責任だよ」
「一人で考えすぎだ、と言ったのであります」
フェイは言葉を句切った。
「クロノ様は弱いであります」
「そりゃ、弱いよ」
クロノの実力はフェイの足下にも及ばない。ドワーフやエルフの新兵には何とか勝てるのだが、獣人の新兵だと体力差がありすぎて勝てない。
「クロノ様は一人で何でも出来る訳じゃないであります」
「まあ、ね」
ケインが街道を見回っているから領内の治安は保たれているようなものだし、ハシェルの治安もシロとハイイロのお陰で保たれている。
エレナがいなければ経理はザルになっていただろうし、役人がいなければ奴隷や娼館の許可制にできなかった。
女将がいなければ、アリッサがいなければ、シオンがいなければ、ゴルディがいなければ……と考えれば考えるほど一人じゃ何も出来ないと思い知らされる。
「切っ掛けはクロノ様でありますが、その話を聞かされた時にミノ殿だって色々と考えたでありますよ。自分の一族にとって何が大切かを考えてエラキス侯爵領に来させたいと判断したのであります」
「そっか……そうだよね」
クロノは目を細め、知り合いに囲まれる副官を見つめた。
※
すぅ~、すぅ~と安らかな寝息が幌馬車の中に響く。
不寝番をすると宣言したフェイは固パンを貪り、葡萄酒で水分補給すると、眠りの世界に旅立った。
眠ってしまうだけならまだしも護衛対象の太股を枕にするのはどうだろう? と言いながらクロノの視線はフェイの胸元に釘付けだ。
戦争中はフェイに手を出しておけば良かったとか後悔してたよな。
気の迷いだったと言うことで、とクロノが屁理屈を捻り出したその時、フェイが身を起こした。
「フェイ?」
「人の気配がするであります」
フェイは剣に手を伸ばした。
『……起きていらっしゃいますか?』(ぷも?)
「今、開けるよ」
幌馬車の幕を開けると、そこに立っていたのは鍋を抱えたアリアだ。
『あの、兄さんから保存食しか持ってきていないと聞いて……貴族様の口には、合わないと、思うんですが』(ぷも)
「いや、嬉しいよ」
クロノが鍋を受け取ると、アリアは嬉しそうに家に戻っていった。
鍋の中身は……女将が食堂兼宿屋を経営していた時に出された煮崩れた野菜の……スープのようなものが入っていた。
クロノは鍋を抱えるように胡座を掻いて手づかみでスープを食べた、
「クロノ様、行儀が悪いであります」
「……スプーンがなくて」
どうやら、アリアはおっちょこちょいらしい。
※
翌日、クロノは喧噪で目を覚ました。
眠い目を擦りながら幌馬車から這い出すと、副官が父親に殴られて吹き飛ばされる所だった。
『……父ちゃん、俺の話を聞いてくれ!』(ぶも~!)
『ふざけるな! 久しぶりに戻ってきたかと思えば俺達を……家族を売り飛ばすつもりか!』(ぶも~!)
ビリビリと怒声が大気を震わせる。
何事か、とミノタウルス達が窓から身を乗り出す。
『そうじゃない! 俺は……俺はみんなのことを考えて!』(ぶも!)
『お前が考えているのは出世のことじゃないのか!』(ぶも!)
『父ちゃん!』(ぶも!)
副官は叫んだが、隻眼のミノタウルスは聞く耳持たんと言わんばかりに山に向かって歩き出した。
『……もう二度と顔を見せるな』(ぶも)
ぞろぞろと小屋から出たミノタウルスが副官の父親に続く。
「ミノさん」
『大将、申し訳ありやせん。説得に失敗しちまいやした』(ぶも)
「僕が気にしてるのはケガの方なんだけど?」
クロノが指摘すると、副官は手の甲で鼻血を拭った。
『これくらいケガの内に入りやせん』(ぶも)
「ごめん。故郷に錦を飾れたのに……僕のせいで」
『いえ、大将のせいじゃありやせん』(ぶも)
副官は立ち上がり、山を睨むように見つめた。
『大将、説得はあっしに任せちゃくれやせんか?』
「……分かった」
副官を矢面に立たせて良いのか、クロノは迷い、彼の決意を尊重することにした。
※
当然と言うべきか、副官の説得は一筋縄でいかなかった。
何度も殴られ、罵倒され、出直すの繰り返しだ。
当初は好意的だった村人も父親の剣幕に引きずられるように副官に悪意を向け始めていた。
そんな中でも好意的な態度を崩さない、あるいは副官の話に興味を持つ者が少なからずいた。
それはアリアだったり、母親だったり、比較的若いミノタウルスだった。
もっとも、彼らは表だって副官を支持できないようだったが。
五日目の昼……食料が心許なくなってきたので、クロノはフェイを護衛に付けて幌馬車を街に送り出した。
「ミノさん、大丈夫?」
『これくらい屁でもありやせん』(ぶも)
殴られすぎて顔が変形しているにも関わらず、副官はいつもと変わらぬ口調で答えた。
「……ミノさん、もう諦めよう」
『大将、それだけは……あっしが必ず説得してみせやす! だから、もう少しだけ時間を下せえ!』(ぶも! ぶも!)
その反応は逆なんじゃないかな? とクロノは懇願する副官を見つめた。
「ミノさんが必死になってくれるのは嬉しいんだけど、そこまでして貰うのは辛いかな」
『あっしは……大将のためだけに説得してるんじゃありやせん。大将、この村を見て下せえ』(ぶも)
クロノは集落を眺めた。
『……この村は見ての通り貧しいんでさ。朝から必死に働いても、食べるのもままならない生活なんで』(ぶも)
「でも、石切の仕事があるんでしょ?」
『そりゃあ、山で取れる石は建材として使われてやすが、領主の誰もがクロノ様やクロード様みたいな人間じゃないんで』(ぶも~)
どれだけ利益を上げてもミノタウルスに還元されないと言うことだろうか。
いや、安全に働けるように配慮さえしていないのかも知れない。
『子どもは四人に一人は大人になる前に病気で死にやす。奴隷として売られたり、ケガで死んじまったり』(ぶも~)
「利益は約束できないよ」
『あっしは利益を約束して欲しいんじゃありやせん。父ちゃん達に夢を見させて欲しいんでさ。明日は良い日かも知れない、その程度の夢で構わないんで』(ぶも~、ぶも、ぶも)
明日は良い日かも知れない。
それは夢と言うよりも期待だ。
けれど、そんな期待さえ抱けないのだ。
「それなら約束できるよ」
『そりゃ……っ!』(ぶもっ!)
山の方を見ると、一人のミノタウルスが集落に駆け込んでくる所だった。
彼は必死に家々を回り、声を掛けていた。
「何があったんだろう?」
『落石でさっ!』(ぶも~!)
クロノは副官と一緒に走り出した。
※
クロノと副官が辿り着いた時、石切場は戦場に劣らない地獄と化していた。
屈強なミノタウルスが地面に横たわり、ぶも~、ぶも~と助けを求めるような悲鳴が石切場に響き渡る。
板状の巨大な岩を目にした瞬間、クロノは石切場で何が起きたのか容易に想像することができた。
多分、上方の岩を切り出そうとして失敗したのだ。
板状の岩は地面に落下し、砕け散った石片が散弾のように作業途中のミノタウルスを襲った。
その結果、悪夢のように事故が連鎖した。
「落ち着け! 無事だった者は重傷者を搬送しろ! 軽傷者は自力で安全な場所まで待避するんだ!」
原因を探るよりも今は救助を優先すべきだ、とクロノはミノタウルス達に向かって叫んだ。
ミノタウルス達は動きを止め……クロノの指示に従って動き出した。
本来ならばクロノに従う理由などないのだが、パニックに陥っているミノタウルス達にそこまで考える余裕はない。
「ミノさん?」
『……父ちゃん! 父ちゃん!』(ぶも!)
「ミノさん、落ち着いて!」
クロノは吹き飛ばされそうになりながら副官に声を掛けた。
『……た、大将』(ぶも)
「落ち着いて。ミノさんがパニックに陥ったら助けられるものも助けられなくなる。分かってると思うけど、僕の指揮能力は穴だらけだよ」
副官は深呼吸を繰り返して改めて周囲を見渡した。
『大将、もう大丈夫でさ』(ぶも)
「助けるよ」
へい、と副官は力強く頷いた。
副官が冷静さを取り戻したことで救助作業は秩序だったものに変わった。
多少の擦れ違いはあったが、副官は集落の人々から信頼されていると言うことだろう。
「……フェイを買い出しに行かせるべきじゃなかったね」
『今更ですぜ、大将』(ぶも)
クロノがぼやくと、副官は慰めるように言った。
岩山から離れた場所に重傷を負ったミノタウルス達が横たわっている。
重傷者の家族と思しきミノタウルスが看護をしているが、目に見える傷を抑えることしかできない。
「あらかた、救助は終わったかな」
『ミノ! 親父さんが!』(ぶも!)
声のする方に行くと、副官の父親……隻眼のミノタウルスが巨大な岩に下半身を挟まれていた。
岩……板状に切り出された岩の一部だ。
多分、直撃したのではなく、落下した岩に巻き込まれたのだろう。
ミノタウルスの膂力を以てしても微動だにしない。
『早く逃げやがれ。まだ、落石は続いてるんだぞ』(ぶも)
ふと見上げると、パラパラと小石が落下する。
『……大将、お願いしやす』(ぶも)
「ミノさんの父親を見殺しにするなんてできないからね。みんな、退いて!」
天枢神楽、とクロノは小さく呟いた。
あの戦争で破城鎚を破壊した時のように魔術を多重起動させる。
瞬く間に視界が文字で埋め尽くされ、限界以上の演算を要求された脳が悲鳴を上げる。
視界が赤く染まり、どろりと鼻血が溢れる。
命を危険に晒している自覚はある。
頭痛だけではなく、出血まで伴っているのだ。
これで何もないと考えていたら真性の馬鹿か、楽観主義者だ。
「……天枢神楽!」
クロノが叫ぶと、漆黒の球体は岩に移動。
シャボン玉が弾けるように消えると、そこにあったはずの岩も消えている。
『大将、ありがとうございやす!』
「お礼は良いから、さっさと避難して」
クロノは足を踏み出し、膝を屈した。
あれ? と間の抜けた声が漏れる。
『大将!』(ぶも~!)
目だけを動かして上を見上げると、岩がクロノに向かって落下していた。
岩の大きさはそれほどでもないが、直撃すれば死ぬ。
戦場で殺されたり、腹上死は覚悟してたけど、潰されて死ぬ覚悟はしてなかったな。
「神よ、我が刃に祝福を!」
漆黒の刃がクロノを押し潰そうとしていた岩を切断した。
岩は左右に分かれ、クロノを避けて斜面を転がり落ちた。
「助かったよ、フェイ」
「嫌な予感がして戻って来たであります」
クロノはフェイに肩を借りて立ち上がった。
※
死者五名、重傷者十名、軽傷者二十名……重傷者は神威術を施されたが、昏睡状態が続いている。
『漆黒にして混沌を司る女神』の神威術は治癒に向いていないとされているので、本人の気力に頼るしかないというのが現状だ。
死体や重傷者の搬送が終わる頃、日は西に大きく傾いていた。
ミノタウルス達は示し合わせた訳でもないのに集落の中央にある広場に集まっていた。
『みんな、俺の話を聞いてくれ』
口火を切ったのは副官だった。
『今、俺は……ここにいるクロノ様の元で副官として働いている。俺が集落に戻ってきたのはクロノ様が港を造るために人手が必要だったからだ』(ぶもぶも)
ミノタウルス達の視線が向けられると、フェイはクロノを庇うように歩み出た。
もっとも、フェイは限界まで神威術を使った反動で今にも倒れそうな有様だったが。
『もちろん、それだけじゃない。ここにいたら先がない』(ぶも~)
『その人の所に行けば今よりもマシな生活が送れるのか?』(も~?)
『そうよ、今より惨めな生活が待っているだけじゃないの?』(ぷも~?)
副官は異を唱えたミノタウルス達の視線を正面から受け止めた。
『利益は保証できない。港を造った後は賭けだ。そりゃあ、クロノ様は力を尽くしてくれると思う。けれど、力が及ばない可能性はある』(ぶも、ぶも)
賭けだって、無責任な、とミノタウルスがざわめく。
『逆に聞きたい。今の状況を何も賭けずに抜け出せると思うのか? 生まれた子どもは四人に一人が死ぬ。奴隷として売られることもある。今日みたいな落石事故で死ぬことだってある』(ぶも、ぶも~!)
いつしか副官の声は熱を帯びていた。
『俺達が今の生活から抜け出すためには賭けなきゃダメだ』(ぶもぶも)
クロノの脳裏を高笑いするマイラの姿が過ぎった。
帝都のクロフォード邸でマイラに人生観を語られたのかも知れない。
『俺はクロノ様に賭けた。その上でクロノ様を全力で支えていきたいと思っている』(ぶも)
沈黙が舞い降りた。
ここに残っても先はない。
ぎりぎりの生活を強いられて労働力として使い潰されるだけだと分かっているのに決断ができない。
『……俺は賭けても良いと思う』(ぶも~)
『父ちゃん!』(ぶも!)
副官が呼ぶと、隻眼のミノタウルスは照れ臭そうに顔を背けた。
『下心があるにせよ、そこの……クロノ様は逃げずに俺達を助けようとしてくれた。それだけでも賭ける価値はあるんじゃないのか?』(ぶも、ぶも?)
ゆっくりと隻眼のミノタウルスは集落の住人に話し掛けた。
再び沈黙が舞い降り、
『そうだ、賭けよう』(ぶも)
一人のミノタウルスが声を上げると、それは全体に広がっていった。
※
翌日、三人の重傷者は目覚めることなく息を引き取り、七人は目を覚ました。
集落に領主が護衛を引き連れてやって来たのは三人の埋葬を終えた直後だった。
領主……ボウティーズ男爵はフリルで飾り立てられた服に身を包んでいた。
年齢は四十代半ば、カイゼル髭が貴族らしいと言えば貴族らしい。
「落石事故があったと聞いて視察に来たのだが、その分ならば問題ないな。すぐに仕事に戻れ」
ミノタウルス達を馬上から見下ろしたまま、ボウティーズ男爵は言い放った。
「……お待ち下さい」
「誰だ?」
「私はエラキス侯爵領とカド伯爵領を治めるクロノという者です」
クロノが片膝を突いて頭を垂れると、ボウティーズ男爵は満足そうに目を細めた。
「して、そのエラキス侯爵が私に何のようか?」
「実は閣下にお願いがございまして」
クロノはジェスチャーを交えながら領地の窮状を語った。
労働力が慢性的に不足していて開拓が進まないと嘘を吐き、自分のような成り上がり者は旧貴族の力を借りなければとへりくだることも忘れない。
「ほぅ、新貴族の割に身の程を弁えているようだ。よかろう、可能な限り力を貸すと約束しようではないか」
「ありがとうございます。では、お言葉を頂いたばかりで恐縮なのですが、この地のミノタウルスを私に譲って頂きたいのです」
ふむ、とボウティーズ男爵は考え込むように目を細めた。
「ただでとは申しません。フェイ」
「分かったであります」
フェイが幌馬車から取り出した箱を地面に置くと、ガシャン! と音が響いた。
クロノは箱を開くと、その中に収められた金貨がボウティーズ男爵に見えるように箱を傾けた。
「……些少ですが、四千枚あります」
「ほぅ、ほぅ」
ボウティーズ男爵は目を輝かせた。
「よかろう、金貨四千枚でミノタウルスを譲ろうではないか」
「ありがとうございます」
この集落に住むミノタウルスは二百人弱、奴隷の価格は一人二十枚前後が相場、労働力として期待できるのは五、六十人だから十分な金額を支払っている計算だ。
もっとも、付加価値を考えれば安いくらいなのだが、あえてクロノは指摘しなかった。
※
二百人弱のミノタウルスをつれての旅路は七日間に及んだ。
重傷を負っていたミノタウルスはフェイの神威術で順調に回復していたが、それでも、歩かせるようなマネはできなかった。
ようやくエラキス侯爵領に辿り着いてハシェルの門を潜ると、奴隷商人がクロノに走り寄った。
「おおっ! クロノ様、お待ちしておりました!」
「あ~、久しぶり」
「クロノ様が労働力を求められていると聞き、奴隷を集めたのです」
何処から話が漏れたんだろう、とクロノは首を傾げた。
「ご覧下さい」
「いや、見てるけど」
奴隷商人が部下に命じて箱馬車……旅客用の箱馬車ではなく、小さな窓があるだけの奴隷輸送用の馬車だ……の板を外すと、リザードマンがクロノを見つめていた。
「急なことでしたが、リザードマンを五十人ほど集めさせて頂きました。もちろん、暴行は加えておりませんし、ハシェルの病院で診断書も書いて頂いております」
「……僕が買わなかったら?」
「鉱山奴隷として売ることになりますな」
クロノが尋ねると、奴隷商人は満面の笑みを浮かべたまま答えた。
「幾ら?」
「一人頭金貨三十枚……と言いたい所ですが、クロノ様に断りもなく集めて参りましたので、迷惑料を差し引いて金貨二十五枚では如何でしょうか?」
う~ん、とクロノは呻いた。労働力が必要だったので渡りに船と言えばそうなのかも知れないが、どうも押し売りをされているようで気に入らない。買わなければ後味が悪いことになりそうだし……、
「分かった買うよ。ただし、次からは勝手なマネをしないように」
「もちろんでございます」
何処まで分かっているのか、奴隷商人は即答した。