第3話『エラキス侯爵領』修正版
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エラキス邸の最上階にある執務室でティリアは不機嫌そうにクロノを待っていた。
「で、何の用?」
「……貴様、随分と図太くなったな。これが貴様でなければ、不敬罪で死刑にしている所だ。わ、私に、あんなものを見せて」
頬を朱に染め、ティリアは咳払いをした。
「……エラキス侯爵の後任が決まった」
にやりとティリアは皇族にあるまじき邪悪そうな笑みを浮かべた。
「お前だ、クロノ」
「クロフォード男爵領は?」
「問題ない。クロフォード男爵はしばらく現役を続けられるだろうし、いざという時は代理官を立てれば良い」
派閥でも作っておきたいのかな? とクロノは満足そうに頷くティリアを見つめた。
ケフェウス帝国の現皇帝は正妻との間に二人の姉妹を、妾との間に一人の男子をもうけている。
正統な皇位継承者はティリアなのだが、妾腹の皇子を推す一派もあるらしい。
反ティリア派と呼ぶべき派閥がどれほどの力を有しているかは分からないが、ティリアは一人でも多くの味方を作っておきたいと考えているのだろう。
迷惑な話だ。
ますます自分の思い描いていた辺境貴族としての平穏な人生から遠ざかっていくような気がする。
だが、間に合わなかったとは言え、ティリアは援軍を率いて助けに来てくれたし、部下の件でも世話になっている。
「どうだ、クロノ?」
「分かったよ。で、どれくらい予算をもらえるの?」
「ないぞ」
きっぱりとティリアは言い切った。
「……聞き方が悪かったかな? 皇女様……エラキス侯爵領を引き継ぐに当たり、当面の資金を融通していただきたいのですが?」
「だから、ないんだ。何せ、私の独断でクロノに侯爵領を与えたわけだからな。今から特別予算なんて組めないし、国庫からの貸し付けも無理だ。だが、軍を維持する資金は月々支払われるから、その点は安心してくれ」
「ということは……エラキス侯爵の金庫を当てにするしかないか」
「大量解雇した使用人に退職金を支払ったから、金庫には銅貨一枚残ってないぞ」
がん! と鈍器で殴られたような衝撃をクロノは受けた。
「どうやって、お金もないのに領地運営をしろってのさ」
「帝国の貴族が金の心配ばかりして情けない。もう少し、お前は貴族としての誇りを持つべきだ」
「霞を食べて生きていけるのなら、是非、誇り高く生きたいね。取り敢えず、予算は自分で都合するよ」
クロノは溜め息を吐き、執務室を後にした。
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『大将、この像は何処に置けば良いんで?』
「見やすいように、適当に並べてくれれば良いよ」
へ~い、と副官は間延びした返事をして、ホールの床に像を置いた。
「これで最後かな?」
『へい、この像で宝物庫にあったのは最後でさ』
「それにしても、随分と溜め込んでるものだね」
言って、クロノはホールを埋め尽くす美術品やマジックアイテムを眺めた。
副官が運んだ等身大の裸婦像、高そうな壺と絵画、魔力を秘めていたり、由緒が正しそうだったりする武器の数々、マジックアイテムっぽいもの。
「みんな、すまないね」
クロノは部下の亜人に声を掛けた。
部下の亜人は副官を含めて八名……白い毛と灰色の毛を持つ人狼が二人、金色の鬣を持つ人獅子が一人、リザードマンとミノタウルスが一人ずつ、ドワーフが一人、最後にレイラだ。
全員が百人の部下を統率する百人隊長……レイラは生き残った五十人のエルフを纏める五十人隊長(仮)……である。
『大将、これをどうするんで?』
「正式に発表するまで黙っていて欲しいんだけど、僕がエラキス侯爵領を統治することになってね」
お~、と八人の部下は声を上げた。
「それは良いんだけど、活動資金が全くなくて……エラキス侯爵の財産を売り払うことにしたんだ」
おぅ~、と八人の部下は落胆したように声を上げた。
『……大将』
「言われなくても分かってる。そりゃね、僕だって、みんなが自慢できるように貴族らしく振る舞いたいよ。けど、お金がないと、エラキス侯爵が着服した分の給料も払えないんだよ」
ぽんぽんと副官が慰めるようにクロノの肩を叩いた。
「というわけで、最初に目録を作ります。レイラ!」
「はい、クロノ様」
クロノはレイラに紙の貼られた板とインク壺、羽ペンを渡した。
「僕が適当に名前を付けるから、その名前を書いて」
「は……あの、クロノ様?」
レイラは困惑した様子でクロノを呼んだ。
「どうしたの?」
『大将、レイラは文字を書けませんぜ』
クロノが副官に視線を移すと、彼は気まずそうに横を向いた。
「お役に立てず、申し訳ありません」
クロノはレイラから筆記用具を受け取り、一番端にある像の所へ。
「一番、裸婦像……二番、壺」
壺、壺、壺、絵画、壺……そんなに壺ばかり集めて、どうするんだよ! と言いたくなるくらい壺ばかりだ。
「……二十番、あ~、ポールアクス?」
「クロノ様、これは魔力が付与されているようです」
クロノが首を傾げながら言うと、レイラが少しだけ自慢げに言った。
「どんな効果が?」
「申し訳ありませんが、そこまでは」
ん~、とクロノはポールアクスを見つめた。
ポールアクスの長さは三メートル弱といったところだろうか。
柄の部分も金属で、中学校の修学旅行で行った清水寺の錫杖を思わせる。
「ミノさん、持てる?」
『そりゃ、これくらい』
言って、副官は軽々とポールアクスを持ち上げた。
「じゃ、これはミノさんの」
『大将、正気ですかい?』
「武器として使えるんなら、有効活用すべきでしょ」
売ろうとしても、すぐに足が付くからね……とクロノは感激のあまり身を震わせる副官を冷ややかな目で眺める。
「次……ガラス? いや、水晶?」
「それは遠く離れた相手と会話できるアイテムです」
クロノが木箱に収められた透明な球体を手に取ると、レイラがすぐに答えた。
木箱の中には透明な球体が二十あまり。
「有効な距離は?」
「確か……ハシェルの中でなら、何処にいても使えたはずです」
部下と遣り取りするのに使えるな、とクロノは球体を部下に手渡した。
「連絡手段として渡しておくよ……次は弓か」
クロノは弓を手に取り、注意深く見つめた。
どうやら、この弓は複数の材料を組み合わせて作られたようだ。
「それは……合成弓ですな。かなりの飛距離を持つ弓ですが、製造方法が秘匿されておりまして」
答えたのはドワーフの百人隊長だった。
ケフェウス帝国に住むドワーフは一通り職人としての技術を身につけてから軍に入隊するのが定番のコースらしい。
「量産はできる?」
「……工房さえあれば」
「工房を作る資金は僕の方で工面するから、量産体制を確立して」
取り敢えず、クロノはドワーフに合成弓を手渡した。
「あ~、壺、壺、絵画、絵画、手の平サイズの裸婦像……五十番、剣」
「魔力は込められていないようです」
「技術的に見ても、大したことなさそうですな」
「で、幾らで売れそう?」
う~ん、とクロノはレイラとドワーフと一緒になって唸った。
「クロノ様、私達は商人ではないので」
「適正価格が分からないと、二束三文で買い叩かれるだろうし。売値については後で考えるとして、まずは目録を完成させよう」
壺、壺、壺、皿、皿、絵画、絵画……魔力の秘められた大槌はリザードマンの百人隊長に……魔力の込められた大剣は人獅子に……彫刻、彫刻……魔力の込められた剣×2は人狼に……皇室の紋章が刻まれた剣は自分の腰に……宝石の類は宝物庫に戻し、使うかも知れない鎧と剣も宝物庫に……、
「壺二百個、皿三百枚、絵画五十枚、彫刻大が十、彫刻小が五十、計六百十……随分、溜め込んだんだなぁ」
クロノが目録を作り終えた頃、太陽は一日の役目を終えて、沈もうとしていた。
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ピクス商会はケフェウス帝国全土に支店を構える大規模な商会である。
エラキス侯爵領の支店を預かるニコラは古参の商会員だが、商人としての才覚は乏しかった。
人の倍以上の時間を掛け、今の地位に上り詰めたものの、これ以上の出世は見込めないだろう、とニコラ自身は考えていた。
要するに、エラキス侯爵領支店はニコラのような人材の流刑地みたいなものなのだ。
それでも、ニコラは腐らずに真面目に商会の仕事をこなした。
どんな相手も差別せず、きちんと見習い商会員の面倒も見てきた。
そんなニコラの元に貴族風の青年とハーフエルフの女性がやって来たのは、夕刻になろうかという時間だった。
貴族風の青年は二十歳に届かないくらいだろうか。
引き締まった体つきをしていて、戦争によるものか、右の額から頬にかけて大きな傷があった。
目蓋を閉じているので、どうやら、右目の視力を失っているようだ。
ハーフエルフの女性は二十歳を超えたくらいか。
もっとも、人間の二倍から五倍近い歳月を生きるとされるエルフの血を引いているのだから、年齢を外見だけで判断するのは危険である。
こちらはスマートな体型……少し栄養が足りていない感じで、みすぼらしい服を着ている。
貴族とその情婦、あるいは戯れに買った売春婦といった所か。
「どのような用件でしょうか?」
「この娘に服を見繕って欲しい」
ニコラが営業スマイルを浮かべて応対すると、貴族風の青年はぶっきらぼうに言い放った。
「では、こちらの服など如何でしょう?」
ニコラは黒と見紛うような深い藍色のスカートとベージュのチュニック、スカートと同色のベストを差し出した。
「試着させて貰っても良いだろうか?」
「ええ、こちらが試着室になります。ヴェル、こちらのお客様を案内しなさい」
ニコラは見習い商会員のヴェルを呼びつけ、ハーフエルフの女性を案内させる。
「幾らになる?」
「はい、金貨五枚になります」
値切られると思ったが、青年はニコラに代金を手渡した。
ぶっきらぼうな態度の割に礼儀正しい青年だ。
「……店主、折り入って相談があるのだが?」
「何でしょう?」
「実は……さる高貴な方から美術品の売却を命じられてな。相場が分からなくて難儀しているんだ」
ははぁ、とニコラは青年の金払いが良い理由の一端に触れたような気がした。
恐らく、青年はエラキス侯爵子飼いの部下なのだろう。
「私で宜しければ、相談に乗りますが?」
「そうか!」
一時間と経たない内にニコラは青年の相談に乗ったことを後悔した。
鑑定させられた品の数は六百を超え、実際の売却は翌日なのだから。
※
翌日、ニコラは支店を信用できる部下に任せ、見習い商会員のヴェルとエラキス侯爵邸に赴いた。
突然、ヴェルが喋り始めたのはエラキス侯爵邸の敷地に馬車を入れてからだった。
「支店長、支店長!」
「何ですか?」
「あたしら、殺されないですよね?」
は? とニコラはヴェルの言葉に素っ頓狂な声を上げた。
「相場は分かったのだから、もう用はないみたいな!」
「それはないでしょう」
部下と手分けして金貨の詰まった箱を抱き上げて、ホールに入ると、大勢の亜人と人間がいた。
亜人はホールを取り囲むように立ち、人間……エラキス侯爵領の有力な商人達だ。
「な、なんか、あるんすかね? つーか、あの台に処刑人が立つんですかね」
「少し黙りなさい」
しばらくすると、昨日の青年が台の上に立った。
「諸君、私はクロノ・クロフォード。故あって、エラキス侯爵領の統治を任された」
青年……クロノ氏は言葉を区切り、
「今後の活動資金をえるためにエラキス侯爵が残された財産を売却しようと思う。その方法は諸君らにも馴染み深い……競りだ!」
とんでもない貴族だ、とニコラは呆れ半分感心半分でクロノ氏を見つめた。
恐らく、クロノ氏はニコラ以外にも声を掛けていたのだろう。
最も高い値段を付けた商人に売れば良さそうなものだが、クロノ氏は競りの方式を採ることで更なる値段の吊り上げを狙っているのだ。
仮に売れなくても、クロノ氏が相場を理解した以上、二束三文で巻き上げることは不可能だ。
「まずは、北にある自由都市国家群の彫刻家が作った裸婦像だ! 金貨四百枚からスタートだ!」
「四百十!」
「四百三十!」
「五百!」
「はい、落札!」
「次は、百年前に作られたサダル焼の壺だ!」
最初は冷静に遣り取りをしていたが、熱気に当てられたのか、クロノ氏の煽りが上手いのか、新しい統治者に顔を売りたいという心理が働いているのか、ニコラの予想を上回る金額で落札されていく。
競りは二日間に及び、ニコラ達は侯爵邸で寝泊まりを余儀なくされた。
外出は許可されたが、商人同士の会話……談合の可能性がある……は禁止された。
「あんまり、買えなかったすね」
「まあ、仕方がありません」
ヴェルの言葉にニコラは力なく答えた。
金は余ったが、それはニコラが強気で攻められなかったためだ。
ニコラが買えたのは壺や皿など小物を六十点ばかり。
高値で売れる彫刻や絵画は別の商会に買い占められてしまった。
「ピクス商会の方!」
「何でしょうか?」
声を掛けられたのはニコラが馬車に乗ろうとしたその時だった。
「クロノ様がお呼びです」
「何の用でしょう?」
「私に、クロノ様の考えは分かりません」
ハーフエルフの女性は困惑したように答えた。
ニコラはハーフエルフの女性に案内され、エラキス侯爵邸の三階にある応接室に足を踏み入れた。
「やあ、ピクス商会の」
「ニコラと申します」
「ニコラさん、楽にして」
ニコラは上等なソファーに腰を下ろし、クロノ氏と対峙した。
何というか、何処にでもいそうな青年である。
強いて言えば、お人好しそうな感じがする。
「競りの結果は?」
「結果はクロノ様の方がご存知でしょう」
ええ、とクロノ氏は満面の笑みを浮かべた。
たった二日で金貨三万枚以上を稼いだのだから、笑いも込み上げるというものだ。
ニコラの見立てでは金貨二万という所だったのだが。
こんな若造にしてやられるなんて、とニコラは心の中で悪態を吐いた。
「私に何の用でしょうか?」
「それなんだけど、ピクス商会……というよりも、ニコラさんに御用商人になって貰おうかと思って」
え! とニコラは思わずソファーから腰を浮かした。
「何故、私なのですか?」
「接客が良かったから」
クロノ氏は微笑みを浮かべ、ちらりとハーフエルフの女性に視線を向けた。
ハーフエルフの女性が恥ずかしそうに頬を染めた点を鑑みるに、情婦という見立ては間違っていなかったようだ。
「手始めに兵士の食糧かな? ざっと六百五十人の部下がいて、どれくらいの金額かな?」
「ああ、それでしたら」
ニコラが小麦の価格について説明しながら金額を提示すると、クロノ氏は満足そうに頷いた。
「その金額だったら、五年契約なんてどう? 部下が増えた時はその金額をベースに増やしていく感じで」
「それなら……凶作の時は私が損をするのでは?」
ニコラは頷きそうになったが、すぐに思い止まった。
危ない、危ない。
お人好しそうな雰囲気を漂わせているが、この青年は強かだ。
「でも、豊作の時は利益が出るでしょ?」
「今の相場は……平均的と言えば平均的か」
豊作の時に麦を備蓄すればリスクを抑えられる、とニコラは素早く計算し直した。
すると、
「量と一定以上の品質さえ保てれば五月蠅いことなんて言わないから」
クロノ氏はニコラの考えを見透かしたように付け足した。
「分かりました。それにしても、クロノ様は本当に貴族なのですか?」
「ふんぞり返って領地を経営できるんなら、是非、そうしたいね」
この人は普通じゃない、とニコラは改めて印象を訂正した。
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「オークションの売り上げが金貨三万とんで五百枚、未払い分給与が金貨六千枚だったから、残り二万四千五百枚か。税が納められるのは十月だから余裕かな? でも、工房も造らなきゃならないんだよね」
使用人も集めなきゃならないし、何から何まで自分でやるのは辛いなぁ、とクロノは机に突っ伏した。
「……お役に立てず、申し訳ありません」
「ん~、まあ、こればっかりはね」
仕方がないよ、とクロノは可哀想なくらい力なく項垂れるレイラに答えた。
将来、勉強が何の役に立つのか?
現代日本に住む誰もが一度は考えた疑問、その答えがレイラや亜人を取り巻く境遇なのだ。
一日、一日を生きるだけなら勉強は必要ないだろう。
けれど、五年後、十年後を見据えたら最低限の学問は必要になる。
すぐにクロノは決意を固め、アルファベットに似た二十六の文字を紙に書いた。
ケフェウス帝国で使われる言語の文法は英語そのまま、違うのは発音がそのまま綴りとなっている点だけだ。
「……クロノ様、今夜は愛して下さらないのですか?」
「レイラ、座って」
立ち上がり、クロノは困惑するレイラを椅子に座らせた。
「あの、これは」
「今夜から君に文字と算術を教えようと思う。今は何のために勉強が必要なのか分からないと思う。けれど、五年後、十年後のレイラのために……百年後の君達のために文字と算術を覚えて欲しい」
レイラが求めてくれるのなら、それに応じることも愛なのだろう。
けれど、レイラの将来を慮ることだって愛だと思うのだ。