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第11話『産声』


 イグニスは丘に累々と横たわる帝国兵の屍を眺め、安堵に近い感情を抱いた。

 それはマルカブの街を守れたことに対する安堵であり、兵士の死に意味と価値を与えられたことに対する安堵だった。

 彼らは役割を果たした。

 彼らの死を賭した行為によりイグニスの部下四千は帝国軍に先んじてマルカブの街に辿り着けたのだ。

 彼らは英雄だった。

 彼らは英雄として称えられるべきだ。

 たとえ英雄としての死が残された者にとって何の慰めにならないとしても。

 これでしばらくは時間を稼げるはずだ。

 これだけの損害を出した以上、帝国軍は大人しく自国に戻るしかないのだから。


「……しかし、解せん」


 何故、帝国軍はこれほどの被害を出したのか? とイグニスは幾ら考えても分からなかった。

 元々、篝火は自分が生きて戻れなかった時の備えだった。

 有能な指揮官ならば篝火を見て行軍を躊躇う。

 半日でも構わない。

 部下がマルカブに辿り着くまでの時間を稼ぎたかったのだ。

 昨夜、篝火を焚いたのは警戒心を抱かせるためだった。

 警戒心を抱けば、慎重になる。

 こちらの意図を読もうと、想像を巡らせる。

 そこを突くつもりだったのだが、帝国軍は布陣さえ済ませていなかった。


「……罠か?」


 あの狂人……クロノであれば、いや、とイグニスは否定した。

 あの男は狂っているが、平然と部下を見殺しにできるような人間ではない。


「……だとすれば」


 呟きかけたその時、部下によって一人の男がイグニスの前に引き立てられた。

 片腕を吊った男だ。


「その男は?」

「はっ、茂みに隠れている所を引っ捕らえました」


 ふむ、とイグニスは男を見下ろした。

 服から察するに男は貴族のようだ。


「貴様に聞きたいことがある」

「……」


 男は黙り込んでいたが、イグニスは無視して続けることにした。


「何故、帝国軍は布陣していなかった?」

「……アルフォート様が篝火を見て撤退を決意された」


 アルフォート? とイグニスは聞き覚えのある名を心の中で繰り返した。


「あ、アルフォートだと!」


 神祇官は男に走り寄って胸ぐらを掴んだ。


「ラマル五世の庶子、アルフォートが来ているのか?」

「そ、そうだ!」


 神祇官は男から手を離し、悪意に満ちた笑みを浮かべた。


「こいつを拷問しろ! もっと、情報を引き出せ!」

「お待ち下さい、神祇官殿」

「心配いらん。『純白神殿』の神官は優秀だ」


 果たして拷問されては傷を癒されるという無間地獄に耐えきれるだろうか? とイグニスは兵士に引きずられていく男を見送った。


「これぞ、神の御意志」

「神祇官殿は兵を失ったはずでは?」


 イグニスが問い掛けると、神祇官はマルカブの街がある方向を見つめた。


「部下の到着を待っていたのが、自分だけと思っていたのか?」

「……」


 イグニスが振り返ると、二列縦隊で隊列を組んだ兵士達が丘を登ってくる所だった。

 歩兵のみで構成されているものの、数は……三千近い。

 装備から察するに正規兵は二千、農兵が千くらいか。


「イグニス将軍の兵と合わせれば七千……これならばアルフォートを捕らえることなど容易い」


 神祇官は瞳を輝かせて言った。



 重装歩兵四百六十、歩兵七百十、弓兵三百三十、合わせて千五百人がクロノに与えられた全兵力だ。

 装備はまちまちだ。

 古参の部下は同じデザインの防具を装備しているが、部下になったばかりの亜人が装備しているのは死体から剥ぎ取ったり、少しでも早く逃げるために打ち捨てられたりしたものなので統一感がない。

 古参の部下はさておき、部下になったばかりの亜人は練度の高さを期待できない。

 まともな武防具が支給されていなかったのに訓練内容が充実していたとは考えられないからだ。

 要するに烏合の衆である。

 そのくせ、期待されている役割は本隊が帝国領に辿り着くまでの時間稼ぎなのだから笑えない。

 いや、むしろ、笑うしかない。

 という訳でクロノは笑ってみた。


『大将、気でも触れたんで?』(ぶも?)

「残念ながら正気だよ」


 右目を撫でるのを止め、クロノは立ち上がった。

 クロノと副官がいるのは隘路の入口から数百メートルの地点だ。


『また、去年みたいに一発逆転を狙いやすか?』(ぶも?)

「今回は殿下が出張って来ないだろうから、一発逆転は難しいんじゃないかな。やるにしても敵を奥に引き込んでからだね。取り敢えず、今は勢いが欲しいな」

『へい』(ぶも)

「という訳で兵を伏せ、敵兵を魔術で吹き飛ばす! デネブ、アリデッド、準備はできたか!」

「「そんなことできないし」」


 は? とクロノは声を裏返らせた。


「去年、火柱がドッカンドッカン上がってたじゃん? アレだよ、アレ、アレをやってくれれば良いんだよ」

「爆炎舞のことでしょ? やったのレイラだし」

「つか、火の上級魔術を使えるのってレイラだけなんだよね」


 クロノが食い下がると、デネブとアリデッドは当然のように言った。


「エルフは全系統の魔術が使えるんじゃないの?」

「火、水、土、風の属性がまんべんなく使えるだけだし」

「それも中級くらいまでだし」


 あ、そうだったの? とクロノは乾いた声で笑った。

 こんな状況で中級までしか使えないと言われても困る。


「じゃあ、どうするのさ?」

「「さあ?」」


 ハハハッとクロノ、デネブ、アリデッドは三人して笑った。


「……って、笑ってる場合じゃない」


 今、手元にあるのは金貨が五千枚、荷車三十台、製粉した麦が十袋だ。

 どうする?

 金貨をばらまいて足止めでもするか?

 いや、それじゃ弱い。

 士気を高めるためにも勝たなきゃならない。

 相手から見れば大した損害じゃなくても勝利を重ねなきゃ。


「あのさ、あたしらが残ろうか?」

「ほら、あたしら女だから、時間稼ぎくらいできるし」


 溜息を吐き、クロノはデネブとアリデッドを見つめた。


「……デネブ、アリデッド、そんな台詞を二度と吐くな」

「「でも」」

「そんなことをしたら士気が下がるし、領地に戻ったらベッドに連れ込もうと思ってたのに死なれちゃ困るんだよ」

「「ま、マジで!」」


 デネブとアリデッドをベッドに連れ込む予定は全くなかったが、二人に悲壮な決意を固めさせるくらいなら、嘘の一つや二つ吐いた方がマシだ。


「ああ、でも、あの爆発が再現できれば」


 クロノは髪を掻き……ふと手を止めた。


「できる! ミノさん、僕の箱を取って! ホルス、こっちに!」

『こんな重くて、よく底が抜けやせんね』(ぶもぶも)


 クロノは箱から荷物を取り出し、底板を外した。

 そこにあるのは大量の金貨だ。

 クロノは金貨を掴み、地面にばらまいた。


「「うはっ!」」

「拾ってどうすんのっ?」


 折角、ばらまいた金貨をデネブとアリデッドが拾おうとしたので、クロノは全力で突っ込んだ。


「これは罠なんだよ、罠! ホルス、金貨の上に麦の粉を撒いて! デネブとアリデッドは旋舞つむじまいを使えるエルフを選んで高台で待機! 逐一状況を報告!」

『麦を撒くなんてもったいねぇでよ』(ぶも~)

「麦よりも命の方が大事!」


 クロノが金貨を撒いた場所にホルスが麦の粉を被せる。

 最後に敵兵が見つけやすいように金貨を上にばらまいて仕込みは終了だ。

 突然の奇行に新しい部下ばかりではなく、古参の兵士もクロノを憐れむような目で見ている。

 それでも、批判してこない辺り軍隊は素晴らしい。

 素晴らしすぎて馬鹿になりそうだ。


『大将、金貨が余りやしたが?』(ぶも?)

「あ、それね」


 クロノは少しだけ考え、


「全員に渡してあげて。もし、はぐれても帝国領まで落ち延びられれば、家に帰れるでしょ」

『金貨を渡したら、逃げちまうんじゃ? いや、あっしらは最後までクロノ様と運命を共にしやすが』(ぶも? も~)

「領民の血税だし、公私混同と思われるかも知れないけど、これくらいは……せめて、希望を持てるくらいに部下に報いてやりたいんだよ。さあ、奥に行くよ。上手くいけば神聖アルゴ王国のヤツらの度肝を抜いてやれる」


 クロノは笑みを浮かべ、隘路の奥に進んだ。



 ある日、村に兵隊がやって来た。

 何でも兵士を募集しているらしい。

 彼らは兵士になれば今年の税を大幅に軽減し、給金として銀貨十枚を支払うと約束してくれた。

 更に敵を討ち取れば給金を上乗せし、働き次第では正規兵として道が開けるとも。

 ケイは仲間を誘って兵士に志願した。

 銀貨十枚あれば家族がひもじい想いをしなくて済むし、腕っ節一つで成り上がれるという話に魅力を感じたのだ。

 今、ケイは錆の浮いた槍とボロボロの皮鎧を着て、注意深く隘路を進んでいた。

 少なくともケイは注意深く進んでいると思い込んでいた。

 しばらく歩くと、白い粉が地面を覆っていた。

 すぐにケイは粉の上に金貨が置かれていることに気づいた。


「き、金貨だ!」


 そう叫んだのはケイではなかった。

 馬鹿が叫んでいる間にケイは金貨を懐に収め、粉の下に隠れていた金貨を握り締めている。


「ほ、本当か!」

「おい、き、金貨だ!」

「くそ、それを寄越せ!」

「ふざけんな、俺の金貨だ!」


 隘路は瞬く間に兵士で溢れかえった。

 怒鳴り合い、喚き合い、金貨を奪い合う。

 騒ぎを聞きつけた兵士も参加し、混乱に拍車が掛かった。


「へっ、バ~カ」


 いち早く離れたケイは金貨を親指で弾きながら馬鹿騒ぎを見物していた。

 おい、おい、俺って凄いぜ。

 半日も経ってないのに大金を手に入れちまった。

 これだけありゃ、何だってできる。

 もう一度、ケイは金貨を指で弾き、斜面に人が立っていることに気づいた。

 綺麗な女だった。

 あれがエルフか、とケイが呟いた次の瞬間、


「旋舞!」


 突風が押し寄せ、地面を覆っていた粉を巻き上げた。

 まるで霧の中にいるように視界が閉ざされ、紅蓮の炎がケイの視界を塗り潰した。




 意識を失っていたのはどれくらいか、ケイの白濁した視界に映し出されるのは地獄のような光景だった。

 人が、仲間が地面に倒れていた。

 いや、立ち上がっているヤツもいるが、全身が膨れ上がったり、皮膚が崩れ落ちたりしていた。

 その光景に現実味を感じられなかったのは音が水の中にいるようにくぐもっていたからだ。

 ケイは地獄から逃れるために立ち上がろうとしたが、手足が引き攣って立ち上がれなかった。

 ま、まさか、俺も……ケイは叫ぼうとしたが、声の代わりにひゅーひゅーと息が漏れるだけだった。



 炎が吹き上がり、その後を土煙が追う。

 土煙は上昇するにつれて密度を薄め、その分だけ体積を増した。

 まるでキノコのような土煙を眺め、


『野郎ども! 大将が敵の度肝を抜いたぞ!』(ぶも~!)


 クロノは副官に遅れて走り出した。


『大将、どんな魔術を使ったんで?』(ぶも?)

「あれは魔術じゃなくて科学……粉塵爆発と言って、可燃性の粉が一定密度で空間に漂っている状態で火を付けると、こんな風になる」


 呻き声が隘路の一角を満たしていた。

 声は爆発に巻き込まれて見るも無惨な姿に成り果てた敵兵のものだ。

 ヒューヒュー、ゼイゼイという音は気道まで焼かれた敵兵が発しているのだろう。

 神聖アルゴ王国の本隊は焼け焦げた街道の向こうにいた。

 彼らは動けない。

 もしかしたら、カイルと同じように村から連れてこられたのかも知れないが、残念ながら武器を手にした時点で彼らは無力な平民という立場を捨ててしまった。


「突撃!」


 クロノが叫ぶと、ホルスとリザドが率いる大型亜人は地面に倒れる敵兵を容赦なく踏み潰しながら、敵本隊に突進した。

 敵兵は踏み殺される仲間の姿を見て我に返ったように武器を構えたが、彼らを襲ったのは雷だった。

 リザドの大槌から放たれた雷に触れ、敵兵がバタバタと倒れる。

 リザド達は倒れた敵兵を踏み潰し、敵兵に大槌を振り下ろした。

 桁外れの膂力で振り下ろされた大槌によって敵兵は頭蓋骨を粉砕され、人形のように崩れ落ちた。

 仲間が真横で撲殺されて恐ろしくなったのか、最前列に立っていた若者……多分、歳は十代半ば……は錆の浮いた槍を投げ捨てて逃げようとしたが、二列目の若者に突き飛ばされた。

 突き飛ばされた若者は大槌で頭蓋骨を粉砕された。

 勢いよく眼球が飛び出し、鼻血が噴出する。

 二列目の若者はチャンスと判断したらしく自分を鼓舞するように奇声を上げてリザドに槍を突き出した。

 あっさりとリザドは槍を掴み取り、片手で引き寄せる。

 若者は槍を手放して難を逃れたが、次の瞬間、槍の石突きが若者の喉を貫いた。

 若者は石突きが金属で覆われている理由を理解したはずだ。

 もっとも、その経験を活かす機会は二度と巡ってこないが。

 リザドの隣ではホルスが敵兵に槍を突き出していた。

 ホルスは軽く槍を突き出しただけなのだが、敵兵は顔を庇うように両腕を上げる。

 ホルスは敵兵の腹を槍で突き、次の相手にも同じことを繰り返した。

 訓練を受けた兵士ならば攻撃を避けるか、受けるかするはずだが、素人に近い状態の敵兵は反射的に顔を庇おうとする。

 その反射的な行動をホルスは逆手に取ったのだ。

 最初は真っ当に戦っていた部下もホルスの戦い方をマネる。

 手数が増えた分だけ疲れるように思えるが、軽く武器を振り上げて相手の動きを封じられるなら、安全策を取った方が良い。

 さて、敵の指揮官は? と視線を巡らせ、すぐにクロノはやや離れた場所で兵士を鼓舞する男を見つけた。


「デネブ、アリデッド、敵の指揮官を射貫け。ナスル、敵の指揮官が死んだら、炎をお見舞いしてやれ」

『『了解!』』


 二本の矢が敵指揮官の頭を左右から射貫き、炎が敵に降り注いだ。

 悲鳴が上がる。

 人間キャンドルと化した敵兵は自身を包む炎から逃れようと地面を転がったが、逃げ切れるものではない。

 仲間の焼ける臭いを吸い込んで幾人かの敵兵が嘔吐していた。

 そんな状況にも関わらず、敵兵は逃げなかった。

 逃げるな! 戦え! と別の男が叫んでいたからだ。

 タン! と矢が叫んでいた男の眼球に突き立つ。


「敵の指揮官を殺したぞ! 押し切れ!」


 リザド隊、ホルス隊の面々がクロノに応じるように雄叫びを上げた。

 今度こそ、敵兵の戦意は挫けた。


「追撃しろ!」


 普段ならば……こんな状況でなければ見逃してやりたいが、今は勝利を重ねなければならない時だ。

 もっとも、深追いするつもりはない。

 そのために比較的足の遅いリザードマンとミノタウルスを選んだのだ。

 エルフの弓兵が敵兵の無防備な背に向けて矢を放ち、リザードマンとミノタウルスが仲間の背に阻まれて逃げられない敵兵を次々と薙ぎ払う。

 殺戮劇が小一時間ほど続き、隘路には悪臭……血や糞尿、焼けた肉の臭いが立ち込めていた。

 敵の姿は見えない。

 指揮官がいなくなったため一時的に撤退し、隊の再編成を行っているのだろう。

 敵に与えた損害は二百人強という所か。


「クロノ様! さっきの見たっ?」

「あんなの見たことないし!」


 デネブとアリデッドは斜面を駆け下りるなり爆発を表現するように両腕を広げる。

 二人の子どものようなはしゃぎぶりにクロノは微かな後悔を覚えたが、すぐに口の端を吊り上げた。

 クロノはデネブとアリデッドの耳を撫で、後方に待機していた部下に向き直った。


「度肝を抜いてやった!」

『うおぉぉぉぉっ! クロノ様、万歳!』(ぶも~!)

「「クロノ様!」」

『クロノ様!』(シャー!)


 副官が吠えると、古参の部下が武器を高々と掲げた。

 それに釣られるように新しい部下も興奮に目を輝かせて吠えた。



 斜面に座り込み、クロノは早めの食事を取っていた。

 大きな石があちこちに転がっているせいで街道に座るのを諦めなければならなかったのである。

 地味な嫌がらせをするよな、とクロノは近くにあった石を撫でた。

 この地味な嫌がらせと伏兵のせいで帝国軍は大損害を被ったのだから侮れない。

 いっそのこと荷車を捨ててしまいたいが、予備の武器を運ばなければならないし、いざという時にバリケードとして使いたいのでそれもできない。

 こういう地味な嫌がらせの積み重ねが勝利に繋がるんだろうな、とクロノは固パンを握り締めたまま動きを止めた。


「……?」


 何となく違和感を覚えたのだが、その理由が分からない。


『大将、どうしたんで?』(ぶも?)

「いや、何でもないよ」


 クロノは頭を振った。

 違和感というのなら異世界でエルフやドワーフ、獣人と肩を並べて戦っている今の状況そのものがおかしいのだ。


「さっきのあれって、演出過剰じゃない?」

『こんな状況なんで、その場の雰囲気や自分に酔わないと士気を保てやせん』(ぶも)


 クロノが固パンを噛み締めながら尋ねると、副官はバキバキと固パンを噛み砕きながら答えた。


「自分で作らせてなんだけど、あまり美味しくないよね」

『あっしは香ばしい味がして気に入りやしたが?』(も~?)

『噛応えがあって、くせになりそうでござる』(がうがう)


 バッキンバッキンと固パンを噛み砕きながらタイガは嬉しそうに尻尾を振っていた。

 どうやら、獣人の方々に固パンは好評のようだ。


『で、デネブとアリデッドをどうするつもりなんで?』(ぶも?)

「あ~、二人に言っちゃったからね」

『大将はハーレムでも作る気なんですかい?』(ぶも?)


 ハーレムという言葉の響きにクロノは頬を緩ませた。


「それも良いけど、まずは生き延びないとね」

『大将は長生きしやすぜ、きっと』(ぶも)


 クロノはポーチに手を伸ばしたが、顎が痺れているので止めた。


『飴を舐めないんで?』(ぶも?)

「貴重品だからね。みんなは?」

『支給された時に一つだけ舐めやした。まあ、少し惜しい気もしやしたが、キチッと再配分したんで、その辺は安心して下せえ』(ぶも)


 どうやら、飴は新しい部下にも分配されているらしい。


「……再分配か」


 クロノは石を拾い上げ、


「この石を投げつけてみたら如何なものか?」

『大将、いつもながら唐突すぎですぜ』(ぶも)

「ごめんごめん。今までみたいに矢を撃ってたら、すぐになくなると思って。石だったら手頃な大きさのが転がってるから。最前列の重装歩兵は武器を持って屈み、二列目の重装歩兵が石を投げる。三列目以降が石を拾い集めるみたいな感じで」

『日が経つにつれて、大将は貴族らしさがなくなっていきやすね』(ぶも)


 クロノがジェスチャーを交えて説明すると、副官は諦めの境地に至ったような口調で言った。


「貴族らしく戦う貴族の実物を見たことがないから、期待されても困るよ」

『レオンハルト様なんて貴族らしい感じがしやすが?』(も~?)

「マネしたら、十中八九死ぬと思う」


 レオンハルトのマネをしたら命が幾つあっても足りない。


『野郎ども! 大将の命令だ! 石を拾い集めろ!』(ぶも! ぶも! も~!)

「斜面の枯れ草を刈って、荷車に積ませて」

『大将の命令だ! 斜面の枯れ草を刈れ!』(ぶも~!)


 副官が命令すると、部下達は食事を切り上げて石を集め、枯れ草を刈り取って荷車に積み始める。

 有能な副官と真面目な部下ばかりだとクロノがやるべきことはない。

 精々、これからのことを考えるくらいである。


「……三日、いや、二日稼げば」


 本隊は帝国領に辿り着けるだろう。

 そのためには強行軍……行軍時間を増やさなければならないが、アルフォートは脱糞するほど怯えていたのだから、往路と同じペースで進軍することはないはずだ。


『クロノ様、敵襲!』

「リザド、最前列は任せた! ホルス、荷車を後方に待機させろ! デネブ、アリデッドは斜面で待機、タイガ、ナスルは石を集めろ!」


 リザド隊は素早く壁を構築し、最前列の重装歩兵は武器を軽く握り腰を下ろした。

 二列目の兵士が石……下手をすれば赤ん坊の頭くらいある……を握る。


「投げろ!」


 クロノが命じると、二列目の兵士は五列縦隊で近づいてくる敵兵に石を投げた。

 ただし、石は山なりの軌道を描いた。

 石は敵兵の間に落下……どよめきと失笑が敵兵の間から漏れる。


「いや、そんな投げ方じゃなくて!」


 クロノは近くにあった小石を握り、ピッチャーっぽいフォームで石を投げた。

 全く届かず、敵兵が爆笑した。

 腹を抱えて笑い転げるヤツまでいる始末だ。

 クロノの前を砲弾……そうとしか言いようのないスピードで石が通り過ぎた。

 石は最前列で腹を抱えて笑っていた敵兵の顔面を直撃。

 敵兵は後頭部から倒れ、そのまま動かなくなった。

 沈黙、誰も動けない。

 クロノが養父の教えに従って微笑むと、敵兵は動揺したように後退った。


「投げまくれ!」


 命令に従い、リザードマンが投擲を再開した。

 地形に助けられた部分も大きいが、投石は予想以上の効果を発揮した。

 投石が敵兵の頭を割り、肋骨を粉砕し、内臓を破裂させる。

 機転の利く一部の敵兵は斜面に身を寄せたが、エルフの弓兵に魔術を浴びせられ、斜面から離れた所を投石の餌食になった。


「……このまま」


 いけるか? とクロノは拳を握りしめた。



 イグニスは神祇官の傍らに立ち、前線から送られてくる報告を聞いていた。

 金貨を使った罠と待ち伏せ、イグニスが帝国軍の進軍を遅らせるためにばら撒いた石を亜人に投げさせる。

 よくも次から次へと、とイグニスは素直に感心していた。

 もっとも、拷問によってクロノの素性を聞き出していなければ今も狂人と罵っていただろうが。


「どうされますか、神祇官殿」

「……方針は変わらん」


 イグニスが問うと、神祇官は苛立ちを押し殺したような声音で応えた。


「敵の指揮官……クロノと言ったか? 確かにあれは厄介な相手だが、この状況でどれだけの策を練られる? 十か、二十か、百か、万か? いや、多く見積もっても十に満たないだろう」

 ならば、と神祇官は言葉を句切った。

「我々は正面からヤツの策を突破すれば良いのだ」

「……」


 神祇官の辿り着いた結論は去年、そして、現在のイグニスと同じものだった。


「一日半もあればヤツを蹴散らし、アルフォートを捕らえられるだろう」


 決して勝てない相手ではないはずだが、どうしてもイグニスは自分の勝利に確信を抱けなかった。



 また、このパターンだ、とクロノは押し寄せる敵兵を睨んだ。

 投石は敵兵が死傷者を避けながら行軍するほどの戦果を生み出していたが、敵兵は次から次へと押し寄せてくるのだ。

 去年もそうだった。

 敵は損害を出すと、こちらの策を数を頼りに突破しようとするのである。

 どれだけ策を練っても数を頼りに攻められたらいつかは押し切られる。

 これが戦術と戦略の違いってヤツか? とクロノは部下を鼓舞しながら歯噛みした。


『クロノ様、石が尽きたでござる』(がう)

「……今ある石を投げ尽くしたら、荷車まで退け! 弓兵は援護しながら後退! 待避が済んだら荷車に積んだ草に火を付けろ!」


 石を投げ尽くすと、敵兵は奇声を上げて突進してきた。

 もちろん、指揮官……人間であるクロノに向かってだ。

 だが、敵兵はそのまま前のめりに倒れた。

 盆の窪辺りに矢が突き刺さっている。

 斜面から狙い撃たれたのだ。


「弓兵! 矢を無駄遣いするな! 敵の視界を塞げ!」

『な、なんたる言い草!』

『けど、了解!』


 デネブとアリデッドが叫び、炎が敵兵に降り注ぎ、突風が砂を巻き上げる。


「走れ、走れ! とにかく走れ!」

『クロノ様が走って!』

『クロノ様が最後尾だし!』


 殺せ、殺せ、あいつが指揮官だ!

 畜生、よくも弟を!

 八つ裂きにしろ!

 敵兵の罵声を浴びながらクロノは走った。


『失礼するでござる!』(がう!)


 いつの間にか併走していたタイガと別の獣人がクロノのベルトとズボンを掴んで担ぎ上げる。

 二人で一人を抱えている訳だが、クロノが一人で走っている時よりも早い。


「いや、うん、僕もそれなりに鍛えているんだけどね」

『舌を噛むでござるよ!』(がう!)

「どひぃぃぃっ!」


 タイガ達に投げられ、クロノは宙を舞った。

 荷車を飛び越し、誰も抱き留めてくれなかったので、ごろごろと地面を転がる。


『炎でござる!』(がう!)

焔舞ほむらまい!」

「炎弾乱舞!」


 タイガは大剣で、二人のエルフは魔術で火を放つと、隘路を塞ぐ十台の荷車は瞬く間に炎に包まれた。


「次に石が散らばっている地点は?」

『かなり先ですぜ。この調子で後退を続けていたら殿としての役割を果たせやせん』(ぶも)


 それはそうだ。

 少なくとも二日間は隘路で敵を足止めしなければならないのだ。


「小さな勝利を重ねて士気を維持するってレベルじゃなくなってきた」

『どうするんで?』(ぶも?)


 クロノは腕を組み、


「……隊を二つに分ける。ミノさん、ホルス、リザド、ナスル隊は荷車を使って、防御陣地を設営、デネブ、アリデッド、タイガは僕と一緒に側面から攻撃。弓兵百人、歩兵二百人を選んで」


 敵が数を頼りに攻めるつもりなら、それができないようにするだけだ。


「ミノさん、荷車を立ててバリケード! 距離を置いて再びバリケード! その間に枯れ草を積んで……ついでだから斜面の上の方に生えてる木を切り倒して敵兵に落としてやれ!」

『木を切り倒すのは時間が掛かりやすぜ?』(ぶも?)

「木を切り倒すのは後回し!」


 クロノは両腕を交差させ、斜面を登り始めたリザドを止めた。

 多少の迷走はあったものの、動き始めると、準備が整うまで時間は掛からなかった。

 まず、バリケードの構築……横に並べた荷車を立て、少しくらい押されても倒れないように杭で固定する。

 次に離れた位置に同じようにバリケードを構築し、その間に枯れ草を積み上げる。


「最初のバリケードを第一次防衛ライン、次のバリケードを第二次防衛ラインと呼ぶことにする……荷車は残り二十台、最初から荷車でバリケードを造っておけば良かったよ。そうすれば粉塵爆発を温存できたのに」

『あれはあれで使い所を選ぶと思いやすぜ。仲間を殺されて頭に血を上らせている連中が金貨に気づくと思えやせんし』(ぶも)

「まあ、そうなんだけどね」


 クロノは溜息を吐き、デネブとアリデッド、タイガの三人に視線を向けた。

 三人はすでに部下を選び終え、クロノの命令を待っている。


「じゃ、行ってくるよ」

『大将、御武運を』(ぶも)

「そっちもね」


 気の利いた台詞の一つも吐きたかったが、それができるんなら女将に『腰が抜けるまでヤろう』みたいな台詞は吐かなかっただろう。


「行くよ、デネブ、アリデッド、タイガ!」

「「あたしらはクロノ様を待ってたんだけど」」


 デネブとアリデッドの突っ込みを無視してクロノは斜面に登った。

 途中で何度も転がり落ちそうになり、獣人のサポートを受けながら、斜面を登り切ると、敵兵が炭になった荷車を乗り越えようとしていた。


「「も、もの凄い敵がいるんだけど?」」

「大丈夫、去年より兵力差は少ないよ」


 クロノは怯えたように言うデネブとアリデッドに軽く応えた。


「「……クロノ様、足が震えてるし」」

「武者震いだよ」

 がに股でクロノは先頭を進んだ。デネブとアリデッドは失笑していたが、しばらくすると静かになった。

「ここにしよう」


 クロノは数十メートル進んで地面に伏せて敵の状況を確認、何度か繰り返した末に宣言した。

 その場所を選んだのはクロノが登り切れそうなくらい傾斜が緩かったからだ。


「ここでデネブ、アリデッド隊は待機、撤退する時に援護をよろしく。タイガ隊は僕に付いてこい!」


 クロノは長剣を抜き放ち、斜面を駆け下りた。

 が、途中で転んだ。

 理由は分からない。

 クロノは斜面を転がり、敵兵の只中に投げ出された。


「き、キハーッ!」


 不幸な敵兵をクッション代わりにして重傷を免れたクロノは立ち上がるなり、奇声を上げて敵兵に斬りかかった。

 え? と呆気に取られたような表情を浮かべたまま敵兵はクロノの攻撃を受け、白目を剥いて崩れ落ちた。


「キィィィィッ!」


 クロノが無茶苦茶に長剣を振り回すと、三人が無抵抗で斬り殺され、四人目が長剣を受け止めた。

 槍を捨て、鞘に収めたままの剣でクロノの攻撃を受け止めた判断能力は男が古参兵であることを物語っていたが、


「悪いね」

「何? グワァァァァッ!」


 獣人に背中を斬りつけられ、男は野太い悲鳴を上げて仰け反った。

 その隙を突いてクロノは短剣を引き抜き、男の首筋に突き立てた。


「こ、この……っ!」


 短剣を手前に引くと、血が噴き出した。

 男が掴みかかってきたが、クロノは難なく躱した。


『肝を冷やしたでござる』(がう)


 タイガは瞬く間に三人の敵兵を血祭りに上げ、クロノを庇うように剣を構えた。

 いつの間にか、クロノを中心とした円陣ができあがっていた。

 最初は小さな円だったが、新たに獣人が駆け下りてくるたびに円の直径が広がる。


「デネブ、アリデッド! 弓兵を十人、円陣の内側に寄越して!」

『『了解!』』

「円陣の直径を……線だ! 敵に対して横列!」


 クロノが命令すると、獣人達は陣形を円から二本の線に切り替えた。

 そこにエルフの弓兵が到着し、獣人の後ろに立つ。


「歩兵は前面の敵に集中! 弓兵は魔術で援護! 待機組は石でも何でも投げつけろ!」

『人使いが荒いし!』

『何でもって何を?』


 通信用のマジック・アイテムから困惑したような声が響くが、丁寧に答えている暇はない。

 今まで敵の攻撃を凌ぐことばかり考えていたけど、これだけ戦えるのなら遊撃戦闘を繰り返した方が時間を稼げるかも知れない、とクロノは敵兵と斬り結ぶ部下を見つめた。

 魔術の援護を受けながら獣人は次々と敵を斬り倒していく。

 デネブとアリデッド隊も上から物を投げて援護していた。

 石や土の塊、倒木や動物の死体まで降ってきた。

 石と土塊に当たった敵兵は憎悪と共に斜面を見上げ、倒木の直撃を受けた敵兵は動かなくなった。

 動物の死体に当たった敵兵は周囲から嘲笑され、恥ずかしそうに俯いた。

 隘路の一角を再び死体で埋めるほどの戦果を上げながら、クロノ達は徐々に防戦に追い込まれた。

 理由は数の差だった。

 幾ら獣人が人間より優れた身体能力を誇っていても戦い続けていれば疲労が蓄積する。


「一旦、退く! デネブ、アリデッド、援護!」

『『了解!』』


 斜面から矢が放たれ、それに合わせるように獣人の背後に控えていたエルフの弓兵が焔舞を放った。

 派手な炎と爆音に敵兵が怯んでいる隙にエルフの弓兵、クロノは斜面の中腹まで待避できたが、最後まで敵を引きつけていた数人の獣人はそうもいかなかった。

 敵兵に取り囲まれ、獣人の喉に槍が突き刺さる。

 クロノが声を漏らすよりも早く致命傷を負った獣人は敵兵に飛び掛かり、腕を、足を振り回した。

 悲鳴が上がり、敵兵が致命傷を負った獣人に殺到する。

 すぐに獣人は敵兵に飲み込まれて見えなくなったが、彼が死に際に取った行動は他の獣人が待避する時間を生み出していた。

 クロノは軋むほどの力で奥歯を噛み締めた。


「……撤退する」


 それから日が暮れるまでクロノは三度の奇襲を敢行した。

 こちらの死者は二十名、敵に対して五倍以上の損害を与えていたが、何の慰めにもならなかった。

 クロノは木の根元に座り込んで通信用のマジック・アイテムを取り出した。


「ミノさん、そっちはどう?」

『……大将?』(ぶも?)


 返事があるとは思っていなかったが、それは副官も同じだったのかも知れない。


『へい、こっちは一つ目のバリケードで凌いでやすが、重装歩兵二十人、歩兵十人が殺されやした。敵の圧力が弱まらなければ、もっと殺されていたと思いやす』(ぶもぶも)

「こっちは二十人殺られたよ」


 クロノと副官は沈黙した。


「敵は?」

『攻められてたら、こんなにのんびり話せやせん。夜襲がないとは限らないんで警戒を怠るつもりはありやせんが』(ぶもぶも)

「こっちは……交代で一休みしたら、夜襲を仕掛けてみる」


 通信用マジック・アイテムをポーチに収め、クロノはデネブとアリデッド、タイガに手招きした。


「という訳で交代で仮眠を取ってから夜襲を仕掛けるよ」

「じゃ、あたしが先に寝る」

「ズルい! あたしら二人で一人じゃん!」


 デネブとアリデッド……一方がクロノの隣に座ると、もう一方が不満そうに唇を尖らせた。

 クロノは隣に座るエルフの頭を撫で、それから耳を撫でた。


「えへへ」

「アリデッドか」


 耳を撫でると笑うのがアリデッド、泣きそうな顔をするのがデネブだ。


「う~、次はあたしだからね」


 そう言い残してデネブはタイガと茂みに隠れるように座り込む部下の元に向かった。

 クロノが地面に横になると、アリデッドも横になった。

 ただし、クロノと向き合う形でだ。


「うへへ、ようやく二人きりだし」

「悪いけど、部下に見られながらするのは無理」

「腕枕で良いし」


 クロノが腕を差し出すと、アリデッドは嬉しそうに頭を乗せた。


「うはっ! これが伝説の……!」

「伝説でも、何でもないよ」


 目を閉じると、睡魔は間もなく訪れた。



 マルカブの街を見下ろす丘……隘路の近くに張られた天幕で神祇官は憮然とした表情を浮かべていた。

 一日半もあればアルフォートを捕らえられると断言していたのに、被害報告ばかりが届くのだから無理もない。


「何故、何故、亜人どもを圧倒できんのだ!」


 神祇官は葡萄酒を飲み干すと、苛立たしげに杯を机に叩きつけた。

 今日の戦闘で神聖アルゴ王国軍は農兵、正規兵合わせて三百人以上の死傷者を出している。

 アルフォートを捕らえることができれば名誉回復も可能だが、それができなければ失脚は免れない。

 いや、失脚で済めば良い方だろう。

 あらゆる名誉を剥奪され、敗軍の将として極刑に処される可能性が高い。

 少なくとも神殿勢力の拡大を快く思っていない国王はイグニスの時のように庇い立てしないだろうし、神祇官が所属する『純白神殿』も庇えないだろう。


「く、何故、敵の指揮官は……頭がおかしいんじゃないか?」

「……」


 恐らく、神祇官は三度に渡る奇襲のことを言っているのだろうが、イグニスは答えなかった。

 この奇襲によって神祇官の目論見は頓挫した。

 数の利を活かして攻め続けて押し切るつもりが、奇襲を受けたことにより攻撃が断続的になってしまったからだ。


「く、こ、アルフォートを捕らえねば」


 神祇官は髪を掻き毟った。

 このままでは名誉回復どころか、命を含めた全てを失ってしまうと実感したのだろう。


「伝令! 神祇官様!」

「何だ!」


 伝令の兵士が天幕に飛び込んでくると、神祇官は声を荒げた。


「や、夜襲です!」

「馬鹿な! 篝火を焚くように指示を出したはずだ!」

「敵は魔術によって篝火を消し、暗闇に乗じて……少なくとも五十人以上の死者が出ております!」

「で、伝令!」

「こ、今度は何だ?」

「撤退した敵を追撃した部隊が壊滅しました!」

「伝令!」

「う、うああああああああああっ!」


 三人目の伝令が天幕に飛び込んできた瞬間、神祇官は狂ったように叫び、頭を机に叩きつけた。

 奇声を上げ、涎を撒き散らす様は狂人のそれだが、残念ながら神祇官は軍の司令官であり、その精神は意外に強靱だった。


「……悪魔だ、あの男は私を破滅させるために煉獄から遣わされた悪魔に違いない! 隻眼の悪魔! 悪魔め!」


 神祇官は顔を上げ、正気と狂気が入り交じったような目でイグニスを睨んだ。


「決めたぞ。あの悪魔を倒さねば、私に、王国に未来はない。明日、総攻撃を行う! イグニス将軍、貴様も、貴様の部下も共に戦え!」

「……」


 イグニスは黙って頷いた。

 余計な欲を出さなければここまで追い詰められずに済んだのだが、不幸な男……いや、こんな男に従わざるを得ない兵は更に不幸か、とイグニスは小さく息を吐いた。



 三度に渡る奇襲は一定の戦果……敵兵を百人以上殺傷……をもたらしたが、獣人とエルフが十人死んだ。

 闇に閉ざされた森を進みながら、クロノは強く奥歯を噛み締める。


「「……クロノ様?」」


 デネブとアリデッドに呼ばれるが、クロノは無視して暗闇を突き進み、


「「そっち、段差」」

「ひぃぃぃっ!」


 一メートルほどの段差から落ちて尻餅を突いた。


『大丈夫でござるか?』(が~う?)

「クロノ様はあたしらが何とかするから」

「タイガは先に戻ってて」


 がう? とタイガは困惑したように唸り、部下……獣人とエルフを率いてクロノ達から離れた。

 ガサガサという音が聞こえなくなり、デネブとアリデッドはクロノに寄り添うように腰を下ろした。


「……クロノ様、無理してる?」

「してない」


 ここで弱音を吐き出せたら、と思う。

 ああ、でも、ダメだ。

 ここで弱音は吐けない。


「……弱音を吐くのは愛人限定?」

「まあ、そんな感じ」


 クロノはデネブとアリデッドの頭を撫で、ゆっくりと立ち上がった。

 防御陣地に辿り着くと、部下が忙しく動き回っていた。


「おおっ!」


 クロノは驚きの声を上げた。

 第一次防衛ラインは荷車を立てたままだったが、第二次防衛ラインはそれらしくなっていたからだ。

 第二次防衛ラインの荷車は半ば土に埋まり、正面側に先の尖った無数の杭が突き刺さっていた。

 裏側には段差があり、近くに石が山のように積まれている。

 バリケードに身を隠しながら投石するためだろう。

 ふと見上げれば斜面には足場が幾つも造られ、現在は横穴が掘られている真っ最中だった。


『大将!』(ぶも!)

「ミノさん」


 副官は申し訳なさそうに頭を掻いた。


『差し出がましいとは思ったんでやすが、陣地らしく手を加えさせて頂やした』(ぶも)

「ナイスアイディアだよ!」


 クロノは親指を立てて副官を賞賛した。


「……付け加えて欲しい物があるんだけど」

『大将、とことん付き合わせて頂きやす』(ぶも)


 クロノは副官を見上げて笑った。

 その後、ローテーションを組んで第二次防衛ラインの補強作業を行った。

 穴を掘り、土を盛り、木を切り倒し……周囲が白む頃、第二次防衛ラインの補強は終わった。

 クロノは第二次防衛ラインの内側に幾つも掘られた穴……神威術による爆撃から身を守るための壕……を一瞥し、クロノは斜面を歩いて第一次防衛ラインに移動した。

 副官は全く補強されていない第一次防衛ラインの前で敵を待ち構えるように立っていた。


『……大将』(ぶも)

「敵は?」

『タイガを斥候に出してやすが、動きはないみたいですぜ』(ぶも)


 言って、副官は黙り込んだ。


『大将……どうして、今回も留まったんで?』(ぶも?)

「僕は、君達の上官だからね」

『本当のことを話して貰えやせんか?』(も~?)


 見上げると、副官はいつになく真剣な面持ちで……そんな感じがする表情でクロノを見つめていた。


「信じられない?」

『そりゃあ、大将は良くできた人でさ。あっしが今まで見てきた人間の中じゃ聖人と言っても良いくらいに。だからこそ、分からなくなるんで』(ぶもぶも)


 副官はクロノを見つめながら言った。


『そんな聖人みたいな人にしちゃ、大将は人を殺しすぎでさ』(ぶもぶも、ぶも)

「まあ、そうだよね」


 クロノは自分の手の平を見つめ、拳を形作った。


「……義務感みたいなものはあると思う」

『義務感? 馬鹿を言っちゃいけやせん。大将は成り上がり者とは言え、領地を持ちの貴族でさ。三人も愛人がいて、その気になりゃハーレムだって作れる恵まれた人間でさ。そんな人間が義務感なんて言葉で二度も死地に踏み留まるなんざ、学のないあっしにも嘘だと分かりやすぜ』(ぶもぶも)


 クロノは苦笑するしかなかった。

 見透かされているとばかり思っていたが、今まで隠し通せていたようだった。


「……去年の、僕の初陣を覚えてる?」

『へい。右目を失っちまいやしたが、それは名誉の負傷でさ。おまけに涙を流してレイラを労うなんて……正直、信じられやせんでした』(ぶもぶも)


 クロノは右目を撫でた。

 ああ、クソッ。

 ホントのことを言うには勇気が必要だ。


「あの時、血塗れのレイラを見るまで僕はこう考えたんだ。エルフがグズだったから百人以上も部下を死なせる羽目になったんだ。僕は悪くないって」

『……』


 副官は答えなかった。


「僕は……あの時の僕は恥知らずで、卑怯で、最低のクズだった。だからだよ。誰かに後ろ指を指されるのは良い。卑怯者と呼ばれるのも構わない。けれど、自分から最低のクズになるのは死んでも嫌だ」


 クロノは俯いて一息で言い切った。


『……大将、大将は恥じることを何一つしちゃいません。それはあっしが、いえ、あっしらがよく知ってまさ』(ぶもぶも)

『敵が動き始めたでござる!』(がう!)


 通信用のマジック・アイテムからタイガの声が響いた。



 ザッ、ザッと整然とした足並みで兵士は隘路を進み、やや敵陣から離れた位置で動きを止めた。

 兵数はイグニスと神祇官の隊を合わせて六千五百余り……弓兵五百、歩兵五千百、騎兵九百……だ。

 隘路という地理的要因に加えて、敵がバリケードを築いている現状では騎兵は下馬しなければならないので、弓兵五百、歩兵六千と換算すべきだろう。

 彼我兵力差は一対三以上、まともに戦えば勝てるはずだが、戦場は兵力差を活かしきれない隘路であり、指揮官である神祇官は正気を半ば手放したような有様であり、敵の指揮官はクロノだ。

 つまり、まともな戦ではなかった。

 そもそも予想される損害と得られる利益のバランスが破綻している。

 剣の柄に触れながら、イグニスは神祇官を見つめた。


「弓兵、構え!」


 弓兵が構える。

 隘路は十人が並べるくらいの幅しかないため、弓兵は斜面を利用して蹄鉄のような隊列を組んでいる。


「こ、殺せ! 隻眼の悪魔を射殺せ!」


 イグニスはバリケードの前に立ち、腕を組むクロノを見つめた。

 太陽の下で見るクロノは頼りなく感じられた。

 少なくとも隻眼の悪魔と呼ばれるような悪辣さは感じられない。

 そんなイグニスの感想は一分も経たずに打ち砕かれた。

 十数本の丸太が斜面を転がり、次々と弓兵をなぎ倒したからだ。

 運の悪い者はそのまま天に召されたが、それ以外の者は立ち上がり、果敢にも弓を構えようとした。

 その忠勇が徒となった。


「突撃ぃ!」


 剣を抜き放ち、クロノが走り出すと、バリケードの間から獣人が飛び出した。

 更に獣人が斜面を駆け下りてきたのだ。

 獣人の総数は弓兵を上回る程度だが、出鼻を挫かれ、大きなダメージを受けていた弓兵は乱戦に持ち込まれ、あっという間に数を減らした。

 もちろん、王国軍は反撃に転じようとしたが、弓兵が壁になってスムーズな援護ができなかった。

 それでも、弓兵は奮闘し、五十人以上の獣人を道連れにしていた。

 弓兵が壊滅し、歩兵が獣人に槍を繰り出す。

 弓兵の死体に足を取られた獣人の胴を槍の穂先が掠めるが、獣人が纏う鎧はあまりにも強固だった。

 獣人は牙を剥き出して笑うと、兵士の首筋を剣で切り裂いた。

 その光景は戦場のあちこちで見られた。

 見れば死んだ獣人の多くは継ぎ接ぎされた鎧や皮鎧を重ね着した者が多数を占めていた。


「撤退!」


 クロノが命令すると、獣人は乱戦状態から隘路を塞ぐように隊列を組み、他の獣人は整然と撤退を開始した。

 これを好機と捉えたのか、王国軍の勢いが増す。

 だが、斜め上から降り注いだ矢に気勢を削がれた。

 どうやら、クロノは撤退に備えて斜面に弓兵を伏せていたらしい。


「イグニス将軍! 何とかしろ!」

「……神よ!」


 イグニスの手の中に赤い光が生まれ、瞬く間に膨れ上がる。

 イグニスが放った炎は着弾と同時に爆発し、斜面に潜んでいたエルフの弓兵を多量の土砂ごと吹き飛ばした。

 転がり落ちたエルフを歩兵が槍で突き殺す。

 殺せる内に殺しておかなければ魔術で手痛い反撃を喰らう羽目になる。

 エルフは戦場で最も警戒すべき敵なのだ。


「神よ!」


 神威術『神衣』……真紅の光がイグニスを包んだ次の瞬間、無数の矢が飛来した。

 無数の矢は真紅の光に触れ、まるで蒸発するように消える。

 グラリと視界が揺れる。

 神威術で傷こそ塞いだものの、蓄積された疲労が限界に達しているのだ。


「神よ!」


 イグニスは大地を踏み締め、撤退する獣人に向けて炎を放った。

 土砂を巻き上げ、火柱が屹立するたびに獣人が吹き飛んだ。

 上半身と下半身を分断され、足を吹き飛ばされ、獣人は数を減らしていく。

 勘を頼りに炎を放つと、斜面でも火柱が屹立、炎の中で人影が舞う。

 イグニスは炎を放ち、一つ目のバリケードを焼き払った。

 このまま防御陣地を焼き尽くす! とイグニスは踏み出し、そのまま膝を屈した。

 何物かに思考を犯されているかのような不快感と全てを捨ててしまいかねないほど圧倒的な愉悦が交互に襲ってくる。

 神威術の副作用だ。

 全てを委ねてしまいたいという欲求に逆らい、イグニスは神との交感を打ち切った。


「突撃!」


 槍を構えた歩兵が我先にと突っ込んでいく。

 だが、不意に歩兵の姿が消える。

 後続の兵士も同様だ。

 落とし穴だ。

 ケフェウス帝国軍は街道に落とし穴を掘っていたのだ。


「……隻眼の、悪魔か」


 小さく、イグニスは呟いた。



 第一、第二防衛ラインの間に設けられた落とし穴はクロノ達が撤退するのに十分な時間を生み出した。

 もっとも、爆撃に追い立てられながら命からがら第二防衛ラインに逃げ込んだクロノと獣人に落とし穴に感謝する余裕はなかった。

 何だよ、あんなの反則だろ? とクロノは今まで自分のことを棚に上げてイグニスを罵倒した。

 轟音が響くたびに部下がいなくなった。

 すぐ隣を走っていた部下が肉塊に変わり、後ろを走っていた部下が半分になってクロノを追い越した。

 このまま頭を抱えて戦闘が終わるのを待ちたかったが、周囲の喧噪がクロノに逃避を許さなかった。


「……クソッ」


 吐き捨て、クロノは鼻水を服の袖で拭った。


『もう少し休んで構いやせんぜ』(ぶも)

「十分、休んだよ」


 クロノが頭を抱えている間に戦闘は次の局面に移っていた。

 敵兵が第二防衛ラインを突破しようと押し寄せているのだ。

 その多くは投石の餌食となり、第二防衛ラインに到達した者も大型亜人によって撲殺されているが。


「タイガ、デネブ、アリデッド、上の調子は?」

『敵兵が近づいてきているでござる』(がうがう)

『……神威術で五人殺られた』

『こっちは無事だけど、矢の余裕がなくなってきたし』


 どうやら、王国軍はバリケードを迂回するつもりらしい。


「ミノさん、歩兵を半分、上に行かせよう」

『へい、分かりやした』(ぶも)


 第二防衛ラインの内側にいる歩兵は四百に満たない。

 その半分を振り分けても左右の斜面……正しくは斜面の頂上……に歩兵二百ずつ、弓兵五十ずつの編成は心許ないが、頑張ってもらうしかない。


「……マズいね」

『まあ、今更って感じもしやすが』(ぶも)


 違いない、とクロノは苦笑した。

 クロノの予想通り、戦況は徐々に悪化した。

 まず、石を投げ尽くした。最初こそ斜面の石を拾ったり、荷車で石を輸送したりして凌いでいたが、それもすぐに限界に達し、バリケードを守る大型亜人の負担が大幅に増加した。

 次に矢を撃ち尽くす弓兵が出てきた。

 矢の消費を避けるように命令していたが、どうしてもバリケードに到達する敵の数を減らすために必要だったのだ。

 再分配したものの、一人当たり五本では援護もままならない。

 悪化する戦況を支えるためにタイガ率いる獣人は奮闘したが、そのために多数の死傷者を出していた。

 そして、夕刻までに戦死者は三百人を超えた。

 もちろん、神聖アルゴ王国軍も多くの戦死者を出している。

 いや、無謀な突撃を繰り返したため、千に迫る、あるいはそれ以上の戦死者を出していた。

 それでも、神聖アルゴ王国軍の勢いは衰えず、無謀な突撃を繰り返している。

 もう二日目の夕方だ。

 どんなに急いでも帝国軍本隊に追いつき、アルフォートを捕らえることは困難なはずだ。

 逆転は難しいか? とクロノは汗を拭いながらイグニスとその隣にいる神官風の衣装に身を包んだ男を見つめた。

 イグニスが無謀な突撃を繰り返させるとは思えないから、恐らく、神官風の男が指揮官だろう。

 この男を倒せれば……、とクロノは一発逆転の策を練るが、あまりにも味方の消耗が激しすぎた。


『大将!』(ぶも~!)


 副官の逼迫した声が響き、クロノはバリケードによじ登った。


「は、破城鎚っ?」


 間近に迫る破城鎚を見て、クロノは目を見開いた。

 破城鎚と言っても数台の荷車に先端を尖らせた丸太を積んだだけの代物だ。


「クソッ! 弓兵! 誰でも良いから止めろ!」


 弓兵が矢を放ち、破城鎚を支えていた敵兵が倒れる。

 だが、犠牲など織り込み済みだとばかりに敵兵は突っ込んできた。

 リザードマンの一人……リザドが持ち場を離れ、破城鎚の前に立ちはだかる。

 真正面から受け止めるが、リザードマンの膂力を以てしても勢いの付いた破城鎚を押し返すことはできなかった。

 破城鎚はリザドごと突っ込み、バリケードの一角を破壊した。

 血塗れになって倒れるリザドに駆け寄りたかったが、


「バリケードを突破されたぞ!」

『く、クロノ様! こっちも突破されたし!』

『こ、こっちも!』


 通信用のマジック・アイテムからデネブとアリデッドの泣きそうな声が響く。

 一瞬、柄を握り締める手から力が抜ける。


「泣くな、馬鹿! こっちで何とかする! 絶対に何とかするから、もう敵を突破させるな! ミノさんはバリケード! ホルスは僕と一緒に第二防衛ラインの内側に入り込んだ敵を始末するよ!」

『わ、分かったでよ!』(ぶも!)


 数十の敵兵が斜面を駆け下りてくる。


「天枢神楽!」


 クロノは敵兵が斜面を駆け下りると同時に魔術で頭を消し飛ばし、その後ろにいた敵兵の喉に長剣を突き刺す。

 クソッ、限界か? もう終わりなのか? とクロノは剣の柄を握り締め、斜面を駆け下りてくる敵に斬りかかった。

 一度、押し切られると、後はなし崩し的だった。

 矢を撃ち尽くし、再分配もままならない状況でデネブとアリデッドが率いるエルフは剣で敵兵を押し止めようとしたが、筋力で劣るエルフは死者を増やしていく。

 クロノは長剣と短剣を駆使して第二防衛ラインに侵入した敵兵をホルスと共に迎え撃ったが、これも敵の数が増えるに従って味方の死者が増えていった。

 クロノは部下を鼓舞し、地面を転がり、奇声を上げて何人も敵兵を斬り殺した。

 敵兵の腹に蹴りを叩き込み、クロノは剣を振り上げた。


「……母ちゃ、ん」


 敵兵の呟きを聞き、一瞬だけ罪悪感が甦った。

 そして、敵兵はクロノの隙を見逃さなかった。

 敵兵がクロノに体当たりを仕掛ける。


「……っ!」


 脇腹が灼熱する。

 短剣で刺されたのだ。


「く、クソッ!」


 クロノは自分の馬鹿さ加減を罵倒し、敵兵の首筋に短剣を差し込んだ。

 ぐったりと動かなくなった敵兵を蹴り飛ばし、クロノはその場に尻餅を突いた。


『大将!』(ぶも~!)

「構うな! バリケードを死守しろ!」


 クロノは視線を巡らせ、自分と同じように座り込むホルスを見つけた。


「ホルス? 動ける?」

『……』


 クロノはホルスの肩を揺すったが、彼は答えなかった。

 ホルスは目を見開いたまま死んでいた。


『大将、破城鎚がっ!』(ぶもーっ!)


 副官の叫びにクロノは走った。


「天枢、神楽……天枢神楽……天枢……」


 たった一つしか習得できなかった魔術『天枢神楽』を起動、起動、起動、起動、重なり合う文字で視界が狭まり、限界を超えた演算に脳が悲鳴を上げる。

 目から、鼻から血を溢れさせながらクロノはバリケードから飛び出した。

 敵兵の槍を、剣を紙一重で躱せず、それでも、クロノは走り、破城鎚の直前で大地を蹴った。

 クロノは破城鎚に飛び乗り、二十を超える漆黒の球体を同時に消滅させた。

 『天枢神楽』は車輪を含む破城鎚の各所を消滅させ、それを支える敵兵に悲鳴さえ上げさせずに死に至らしめる。

 破城鎚が横倒しになり、クロノは地面に投げ出された。

 痛いのか、熱いのか、どちらともつかない感覚に全身を苛まれながら、クロノは体を起こした。

 敵の指揮官……神官風の男が何かを喚き散らしていた。

 悪魔だの、殺せだの、言いたい放題だ。

 数十メートル進めれば、この無意味な戦いを終わらせられるかも知れないのに、敵兵で埋め尽くされた数十メートルは絶望的に遠かった。

 クロノは間近に迫る敵兵を呆然と眺めていた。


「敵の指揮官がすぐそこにいるのに」

『大将!』(ぶもー!)


 ぶもぶも、と雄叫びを上げながら副官が走る。

 ポールアクスで敵を薙ぎ払い、クロノを救うために必死で走る。


「……ハーレムは夢のまた夢か」


 槍がクロノを貫く寸前、何かがクロノの頭上を通り過ぎた。

 それは大槌だった。

 大槌が敵兵を吹き飛ばし、雷が敵兵の間を走り抜ける。


「……リザド」


 横を見ると、そこにはリザドがいた。

 気絶していたのか、今まで戦っていたのか、リザドの全身は血に塗れ、顔の左半分はズタズタになっていた。

 ぷらぷらと揺れる牙を引き千切ると、リザドはそれをクロノに手渡した。


「リザド?」

『……形見』(シャー)


 そう言い残してリザドは大地を蹴った。


「み、みんな、リザドを援護しろ!」


 クロノは叫んだ。



 リザドは大槌を手に走った。

 リザードマンの痛覚は鈍く、どれほどの傷を自分が負っているのか分からない。

 一歩、また、一歩と踏み出すたびに体から生きるために必要な力が流れ出していくのが分かった。

 自分は死ぬのだ、とリザドは理解した。

 このまま足を止めれば、今しばらくは生きていられるかも知れない。

 そう理解してもリザドは懸命に足を動かし続けた。

 敵兵が槍を突き出すが、リザドは避けない。

 腕に、足に、首筋に槍が突き刺さる。

 何故だろう? と思う。

 リザードマンとして生まれた自分には帝国のために戦う理由がない。

 兵士として十分に戦ったはずだ。

 少なくとも自分を捨て駒にするような軍のために戦う義理はない。

 仲間のため、クロノのため、いや、自分は期待しているのだ。

 『セカイジンケンセンゲン』……クロノならば亜人も、奴隷も、平民も、貴族も等しく価値を持つ世界に変えてくれるはずだ。

 理想、とそんな言葉が脳裏を過ぎる。

 理想、理想のためだ。

 授業を終え、仲間と語り合った夢のためだ。

 理想を抱けたのだ。

 夢を見ることができたのだ。

 明日に期待を持てるようになったのだ。

 それだけで十分だ、とリザドは敵兵を振り切り、片腕で大槌を振り上げた。

 敵の指揮官は目の前だった。

 そして、次の瞬間、リザドの視界は炎に埋め尽くされた。



「……敵ながら見事だ」


 イグニスは白煙を上げて倒れ伏すリザードマンに賞賛の言葉を贈った。

 リザードマンは槍で貫かれ、片腕を失いながら、敵陣を突破したのだ。

 ここにイグニスがいなければ、リザードマンは目的を達成していただろう。


「……神祇官殿」

「こ、この、卑しい、トカゲが! こ、この私を、神祇官である私を殺そうとするなど身の程を知れ!」


 イグニスが呼びかけると、神祇官は喚きながら動かないリザードマンを何度も踏みつけた。


「神祇官殿っ!」

「貴様は神聖アルゴ王国の将軍でありながら、亜人を庇い立てするのか?」


 神祇官は血走った目でイグニスに詰め寄った。

 イグニスが言い返そうと口を開いた瞬間、


「はひぃっ!」


 神祇官は間の抜けた声を漏らした。

 瀕死のリザードマンが神祇官の首筋に噛み付いたのだ。


「こ、このリザードマンは生きて、生きて!」


 神祇官は小便を漏らしながらリザードマンの鼻先を殴りつけるが、リザードマンの力が緩む気配はない。

 リザードマンの牙が皮膚を食い破り、深々と肉に突き刺さる。

 ギチギチと神祇官の首筋から異音が響き、ブツンという音と共に肉が千切れた。

 今度こそ力尽きたのか、リザードマンはそのまま倒れて動かなくなった。


「ヒギィィィッ!」


 ぽっかりと首筋に空いた傷の断面から多量の血が吹き出した。


「……いぐ、イグニス将軍、癒しを」

「申し訳ありませんが、御自分で神威術を使ったら宜しいのではありませんか?」

「わ、私は、神威術を使えない」


 そうだろう、とイグニスは縋り付く神祇官を見下ろしながら思う。

 そうでなければここまで誘導した甲斐がない。


「い、イグニス、き、貴様、まさか?」

「これ以上、貴様に付き合って兵を無駄死にさせるつもりはない」


 神祇官は目を見開き、そのまま崩れ落ちた。


「神祇官殿が身罷られた! マルカブの街まで撤退! そこで陣を敷き、帝国軍の襲撃に備える!」


 イグニスは敵に聞こえるように大声で叫んだ。

 兵に動揺が広がるが、イグニスに逆らう者はいない。

 二日間に渡る戦いで神祇官の部下は壊滅状態にあり、大半をイグニスの部下が占めていたからだ。



 クロノは呆然と潮が引くように撤退する敵兵を眺めていた。

 追撃の命令は下さない。


『大将、リザドが、リザドがやりましたぜ!』(ぶもぶも!)

「本当に……リザドのお陰だ」


 クロノはリザドの牙を握り締め、震える足で立ち上がった。


「撤退! マルカブの街まで撤退! そこで陣を敷き、帝国軍の再襲撃に備える!」

「……罠かな?」

『罠を仕掛ける意味がありやせん』(ぶもぶも)


 イグニスは一人きりになっても叫んでいた、まるでクロノ達に戦いは終わったと宣言するように。


「……デネブ、アリデッド、タイガ、生きてる?」

『大勢、死んじゃったよ』

『こっちも』

『こちらもでござる』(がうがう)

「……帰ろう」


 クロノは拳を胸に押し当て、小さく呟いた。

 帰ろうと言ったものの、それから五日に渡る逃避行は生き残った九百人の兵士にとって過酷なものとなった。

 誰もが傷を負い、疲労の極みにあり、傷が悪化して死ぬ部下も少なくなかった。

 クロノは必死に部下を鼓舞した。

 ギリギリの所で満身創痍の体を支えているのが気力だけだと分かっていたからだ。

 自分でも面白くないと思うジョークも言った。

 美味しい料理を御馳走すると約束もした。


「あたし、もうダメみたい」

「僕もそろそろヤバいかな」


 アリデッドに肩を貸しながら、クロノは引き攣った笑みを浮かべた。

 刺された脇腹が痛い。

 固パンも食べ尽くした。

 飴もだ。

 木の皮を囓って飢えを凌いだが、それも限界に近づいている。


「つか、国境の兵隊とかち合ったら死んじゃうし」

「ああ、死んじゃうね。クソッ、こんなことならマジでティリアの胸を揉んどきゃ良かった」

「こんな時に……クロノ様の未練って、それだけ?」

「今、考えられるのはそれだけ」


 アリデッドは少しだけ気力を取り戻したようだった。


「……国境の兵士とかち合う心配はないみたいだし」

『デネブ?』(ぶも?)


 副官に背負われたデネブが指で示したその先には白銀の……第二近衛騎士団の姿があった。


『あっしらのために撤退を遅らせてくれたのかも知れやせんね』(ぶも)


 第二近衛騎士団と合流を果たしたクロノ達はノウジ帝国直轄領の前線基地に帰還した。



 ノウジ帝国直轄領の前線基地は殿を務めた英雄の帰還に沸き返らなかった。

 千五百人いた亜人は過酷な戦闘と逃避行によって八百五十まで数を減らし、前線基地に辿り着いた彼らの姿は敗残兵のそれだったからだ。

 恐らく、エルナト伯爵が撤退せずに国境の兵士を抑えていなければ彼らは途中で全滅していたに違いない。

 深夜……基地にあるクロノの部屋を訪れたリオは気配を感じて扉の前で足を止めた。

 耳を澄ませて二人の会話に集中する。


「……酷い格好になっちまったね」

「激戦だったから、腰が抜けるまでスる約束は傷が治るまでお預けだね」

「そ、そんな約束、あたしゃしてないよ!」


 笑い声が響き、その後に訪れたのは気まずい沈黙だった。


「……レオが死んだよ」

「ああ、あの双子に聞いたよ」

「ホルスも、リザドも……他にも大勢、大勢っ!」


 嗚咽が漏れる。

 君のせいじゃないさ、と言ってやりたかった。

 けれど、そんな気休めをクロノは望んでいないだろう。


「……盗み聞きとは感心しないな」

「ボクもそう思うさ」


 リオが見上げると、レオンハルトは踵を返した。

 多分、レオンハルトもクロノの様子を見に来たのだろう。

 この場にいてもできることはなさそうなのでリオはレオンハルトを追いかけた。

 薄暗い基地の廊下を進む。


「亜人達の様子はどうだい?」


 アルフォートの、とは問わない。

 軍団の総司令官であるアルフォートが真っ先に帝都アルフィルクに逃げ帰ったことを既に知っているからだ。


「ピスケ伯爵が手配した医師のお陰で治療は済んでいる。もっとも、彼らは彼らでクロノ殿のことが心配のようだがね」

「……少し羨ましいね」


 リオは剣の柄に指を這わせて呟いた。


「近衛騎士のボクらには剣を捧げるべき相手がいないのに、彼らには命を賭して仕える相手がいるんだからね」


 レオンハルトは歩調を緩め、これは独り言なのだが、と前置きをした。


「ケフェウス帝国の初代皇帝は異なる世界からやって来た黒髪の男だったそうだ」

「ああ、なるほどね」


 亜人に王はいない。

 かつては王と呼ばれる人物が存在していたのかも知れないが、独自の文化と歴史を失った亜人には縋るべき伝説さえない。

 だが、彼らは王を戴いた。ケフェウス帝国の礎を築き上げた初代皇帝と同じ黒髪を持つ男を。


「王様にしては冴えないけどね」


 彼らが戴いた王は素人に毛が生えた程度の剣の腕で、一つしか魔術を使えなくて、神の加護さえ受けていない。

 けれど、優しい王だ。

 臣下を、臣民を気遣い、その身一つで強大な敵に立ち向かう勇敢な王だ。

 きっと、あの嗚咽は産声だ。

 今日は亜人の王が……あるいは帝国で虐げられる全ての者にとっての王が生まれた日なのだ。

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