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第6話『糧秣』修正版


 ノウジ皇帝直轄領は昏き森の東端と自由都市国家群の勢力圏に隣接し、武力衝突が幾度となく繰り返されてきた地である。

 この地を守る第二近衛騎士団は神聖アルゴ王国の侵攻を食い止め、団長であるエルナト伯爵はその堅実な用兵から『鉄壁』の二つ名を冠している。

 だが、彼らは名声が高まるほどに忸怩たるものを感じていたに違いない。

 敵を退ける力を有しながら防衛に徹しなければならなかったのだから。

 それは近衛騎士団が共有する感覚だったのかも知れない。

 故に、第一、第二、第十二近衛騎士団の士気はクロノが危ういと感じるほどに高い。

 もっとも、一度しか戦場に立ったことがないので、感覚自体が間違っている可能性はあるのだが。

 現在、ノウジ直轄領には大規模な前線基地が造られ、各地から招集された一万二千五百の兵士が戦闘に向けて演習を繰り返している。

 空を覆う土煙、剣戟の音、日毎に増していく緊迫感に戦場を強く意識させられ、クロノは下痢と頻尿、不眠に悩まされている。

 もしかしたら、腰から提げた長剣と短剣にストレスを感じているのかも知れない。


「えっと、小麦、干し肉……葡萄酒と大麦酒ビール……薬草が……以上で」

「確かに納めさせて頂きました」


 クロノは納品書にサインし、山のように積まれた糧秣を見上げた。


『大将、いつもの場所に運べば宜しいんで?』(ぶもぶも)

「よろしく」

『よし、野郎ども! さっさと運んじまうぞ!』(ぶも~!)

『分かっただ!』


 副官が命令すると、ホルス率いるミノタウルス隊が麦の袋や干し肉の入った木箱、酒樽を担ぎ上げて倉庫に運んでいく。


「あ~、数字ばっかり見てるよ」

『そんなに大変なんですかい?』(ぶもぶも?)


 クロノがクリップボード代わりの板を見せると、副官は紙を捲って溜息を吐いた。

 紙には今まで納品された物資、消費量、在庫を書き記してある。


『一日の消費量ってのは馬鹿になりやせんね』(ぶも~)

「麦二百袋なんて一日でなくなっちゃうし、糧秣を盗もうとするヤツもいるしね。しっかり在庫管理をしてなかったらヤバかったよ」

『兵士なんて、そんなもんでさ』(ぶもぶも)


 クロノがモラルの低さを嘆くと、副官は古参兵らしい答えを返した。


「ようやく糧秣も確保できたし、年が明けたら進軍かな」


 戦術会議で受けた説明によれば、まずは昏き森を抜けた先にある東西に走る街道を目指し、街道に到達したら東にある国境の砦から挟撃されるのを防ぐため第二近衛騎士団と一個大隊が街道を封鎖、本隊が街道を西に進み、街を攻略する予定らしい。

 前線基地から神聖アルゴ王国の街まで徒歩で四日、順調に進めるとは限らないので、七日分の糧秣を確保したい所だ。

 となれば兵士だけで荷車百三十台分、馬の分も含めれば荷車二百台分の糧秣が必要となる。

 幸い、神聖アルゴ王国は湿地が多いので、水の確保にそれほど苦労しなくて済みそうなのだが、病原菌や寄生虫のことを考えると、煮沸消毒は欠かせない。

 葡萄酒と大麦酒ビールは飲み水を確保できなかった時の備え、薬草は病気が蔓延した時の備えである。

 万が一とか、備えとか、そんな理由で物資を運び込ませているので、財務局から派遣されてきた役人が嫌みを言ってくるのだが、それくらいで済むのなら安いものだと割り切るようにしている。


「僕らは本隊と一緒に行軍して糧秣を運ぶ運搬役なんだけど、リザドやホルスの部隊が荷車を引いて、デネブとアリデッド、レオの部隊が護衛役だね。街の近くに陣地を構築した後は他の部隊が糧秣を運ぶ手はずになってる」

『誰が基地から陣地まで糧秣を運ぶんで?』(ぶもぶも)

「ふふふ、それはボクが担当するよ」


 聞き覚えのある声に振り向くと、無骨な板金鎧プレートメイルに身を包んだリオが立っていた。


「一ヶ月ぶり、かな?」

「クロノに会いたくて、会いたくて、気が触れてしまいそうだったよ」


 リオは色っぽい声で囁き、クロノの腕に抱きついた。


「これから、どうだい?」

「今は仕事中……香水を変えたんだ」

「いや、付け方を変えたのさ」


 クロノが耳元に鼻を寄せて言うと、リオは心地よさそうに目を細めた。


「でも、リオは第九近衛騎士団の団長だから、部下のためにも最前線で活躍しなきゃならないんじゃない?」

「クロノと一緒にいたかったから……冗談さ、冗談、そんなに怖い顔をしなくても、そこまでボクはクロノに狂っていないよ」


 リオはクロノから離れ、降参するように諸手を挙げた。


「今までボクらは守る戦いはしてきたけれど、今回みたいに攻め込む戦いはしてこなかったからね。そりゃ、歴史書を紐解けば幾らでも例はあるけど、忘れちゃいけない部分を忘れているかも知れないじゃないか。だから、用心のために後方支援に志願したのさ」

「確かに補給部隊なんて真っ先に狙われるだろうし、敵陣で補給を断たれるとか洒落にならないね」


 あっちの世界で軍事について勉強しておけば、いや、架空戦記くらい読んでおけば、とクロノは後悔した。

 ぱっと思いつく本と言えば北方版『三国志』、映画は日本兵がガダルカナル島で死にそうなめにあったり、狙撃兵が撃ち合ったり、補給と関係なさそうなものばかりである。

 そんな乏しい知識でも補給の大切さは分かるので、リオの申し出はありがたい。


「……打てる手は打ってるけど」

『大将、心配しすぎですぜ』(ぶもぶも)

「少し心配だから、みんなの様子を見てくるよ」


 リオと副官を残し、クロノはその場を後にした。



「他にも仕事があるんだから、ちゃっちゃと昼飯を作っちまうよ!」


 威勢の良い声が二十近い鍋が並べられた厨房に響き渡り、五十人近い女性達は作業スピードを早めた。

 彼女達の年齢は二十代半ばから三十代前半。

 大隊の料理人として働いているため、調理の手際が良い。


「クロノ様、何の用だい?」

「視察……かな?」

「クロノ様は侯爵領を離れてもクロノ様なんだね。もう少し隊長らしく、どっしり構えてりゃ良いじゃないか」


 クロノが言うと、女将は呆れたように肩を竦めた。

 ちなみに女将は胸の大きく開いたメイド服を着ておらず、髪も紐で適当に纏めているだけだ。

 戦場で女を感じさせすぎると馬鹿どもに襲われかねないから、らしい。

 この言葉は戦場における兵士の精神状態を示すと同時に女将を含めた女性達が雑用係として従軍することを意味する。

 最初こそクロノは驚いたが、女性兵士がいることを思えば不自然ではない。

 もし、撤退するような事態になったら彼女達を優先して逃がすつもりだが。


「頼んでいた物は?」

「仕事の合間に作っちゃいるけど、味の方はあんまり期待しないでおくれよ」


 クロノは女将に手渡された棒状の物体を手に取って囓った。

 バキバキと棒状の物体を噛み砕き、何度も噛み締める。


「自分で作っといてなんだけど、何を作らせたんだい?」

「乾パン、かな」


 少量の水で小麦をこねて棒状に焼き上げた代物なので、棒パン、もしくは固パンと呼ぶべきだろうか。


「本当は缶詰が欲しいんだけどね」


 うろ覚えの知識によれば缶詰が普及する以前はガラス瓶を使っていたらしいのだが、この世界では鉄も、ガラス瓶も貴重品である。

 缶詰、もしくは瓶詰めを実用化させるためには少なくとも鉄とガラスの大量生産を実現しなければならない。

 その点で乾パンは妥協案として悪くないように思えたのだが、あっちの世界で売られている乾パンはクッキーのようなもので、そのクッキーを作るためにはバターと砂糖が必要になるのである。

 妥協に妥協を重ねた結果が固パンである。

 ちなみに五十キロの砂糖は全て飴にしてクロノが管理している。

 飴くらいで士気が上がると思えないが、固パンと一緒に部下に支給するつもりだ。

 バキバキと残った麦棒を噛み砕き、顎が痛くなるくらい繰り返して噛み……途中で嫌になってきたので、クロノはそのまま飲み込んだ。


「……四日分の非常食として一人三十本、五百人分だと一万五千本か」

「い、一万五千本? こんな味を素っ気もない物をそんなに作って、どうするんだい?」


 女将が素っ頓狂な声を上げたので、にっこりとクロノは微笑んだ。

 身の危険を感じたのか、女将は後退るようにクロノから離れた。


「女将、頑張って」

「あたしだって期待に応えてやりたいけど、ない袖は振れないんだよ」

「体で支払います」

「……勘弁しとくれよ。一万五千本も固パンを焼き上げた上に、そんな真似をしたら、死んじまうよ」


 クロノの提案に女将は心の底から嫌そうな顔をした。


「まあ、体で支払うのは冗談にしても臨時のボーナスを出すようにするよ。手伝ってくれた人の分もね」

「幾らだい? 後払いや出世払いはなしだよ」


 女将はがめつい商人のようにクロノを横目で見た。


「金貨十枚……銀貨二百枚までなら出せるよ」

「悪かないね。もう少し上乗せしてくれてもバチは当たらないと思うけど、何とかしておくよ」

「ありがとう、女将」

「真顔で礼を言われると照れちまうね」


 女将は頬を赤らめ、照れ隠しするように頭を掻いた。

 クロノがキスしようとすると、女将はすっと体を退いた。


「……残念」

「そりゃ、あたしも残念だけどね。さっきから怖~い騎士様がこっちを睨んでるんだよ」


 振り向くと、リオが木の陰からクロノと女将を睨んでいた。



 他に適当な土地がないと言う理由から練兵場は前線基地に隣接するように設けられていた。

 エラキス侯爵領と同様に練兵場とは名ばかりの更地なのは帝国軍の見栄、もしくは伝統のようなものなのかも知れない。

 練兵場では白銀の鎧を身に纏った騎士が盾を構える大型亜人に騎乗突撃ランスチャージを仕掛けていた。

 大型亜人……冬場にも関わらず、薄着を強いられているリザードマンは吹き飛ばされて地面を転がった。

 カッと頭に血が上るが、クロノは辛うじて自制した。

 もちろん、吹き飛ばされたリザードマンが自分の部下ならば自制などしないが、別の大隊に所属しているのならば自制するしかない。

 仲間を的にして何がしたいんだよ、とクロノは演習場を眺めながら思う。

 近衛騎士団が作戦を主導しているのは分かるし、騎兵を揃えているのが連中だけなのも分かるが、これで仲間意識が芽生えるはずがない。


「ふふふ、ボクはクロノが相手をしてくれないから拗ねていた訳じゃないんだよ。軍における立場も分かってるからね」

「……」


 カチャカチャと板金鎧プレートメイルを鳴らし、リオは頼んでもいないのにべらべらとしゃべり始めた。


「僕の部下は……あそこか」

「よく分かるね?」


 ドッカン、ドッカン吹き飛ばされる亜人や一般兵の後方で部下達はしゃがみ込んで何かをしているようだった。


「筋肉の付き具合や毛並みが違うからね」


 今までは体が大きくなったとか、毛艶が良くなったとか、レイラのおっぱいやお尻がボリュームアップしたくらいにしか感じていなかったのだが、他の大隊に所属している亜人に比べてクロノの部下はマッチョで、実に健康そうである。

 装備品も胸部甲冑ブレストアーマーと鎖帷子、その下には衝撃を和らげるために各所に布を押し込んだ専用の衣類を着ている。

 エルフの弓兵には動きやすさを優先して金属板で補強した皮鎧を支給している。

 武器も合わせれば近衛騎士団に匹敵、いや、性能面を含めれば上回っているかも知れない。


「「クロノ様!」」


 デネブとアリデッドは駆け寄るなり、クロノに抱きついた。


「クロノ様がいないせいで、あたしら仕事干されてるし!」

「糧秣だけじゃなくて、あたしらも構ってよ!」

「あ~、ごめん」


 二人ともちょっぴり涙目である。


「ふふふ、この二人は何者だい?」

「部下だよ、部下」

「ボクはクロノの愛人だと思ったよ。ふふふ、ボク以外に愛人が三人もいるなんて想像もしていなかったからね。いやいや、責めているんぢゃないんだよ? ちょっとばかり自分の独占欲の強さに目眩を覚えていた所さ」


 艶やかな笑みを浮かべながら、リオの瞳は全く笑っていなかった。


「「ちょっと、クロノ様」」


 デネブとアリデッドはクロノの腕を引き、リオから十メートルくらい離れた所でしゃがみ込んだ。


「アレ、男だよね? チ×コあるんだよね?」

「どうして、あたしらに手を出さないくせに男に手を出してんの?」

「色々あったんだよ」

「「男に手を出すんだから、色々ないとダメじゃん!」」


 色々あったとしか言いようがないんだよなぁ、とクロノは天を仰いだ。


「男ならホモになる時期もあるよ、異世界だし」

「そっか、異世界だもんね」

「あるある」


 デネブとアリデッドは俯き、


「「って、あるわけないし!」」


 二人は顔を上げ、クロノに突っ込んだ。


「で、何してんの?」

「「仕事を干されてるから、勉強中……っ!」」


 二人が顔を上げると、再び騎乗突撃を受けてリザードマンが吹き飛ばされた。


『行くぞ』(ガアッ!)


 レオが駆け出すと、一人の人虎ワータイガーが後に続く。

 二人は吹き飛ばされたリザードマンの腕を掴み、大型亜人を抱えているとは思えないスピードで後方に待避する。


『軍医殿!』(ガアアッ!)

「はいはい!」


 部下達に紛れていた軍医……クロノがエラキス侯爵領から連れてきた十人の医者の一人だ……がリザードマンの隣に滑り込む。


「え~、このようなケガをした時は」


 軍医は腰に付けたポーチから布を取り出し、リザードマンの傷に押し当てた。


「まず、傷を押さえて下さい。腕や足をケガした時は紐で縛って止血することも有効ですが、下手に素人がやると、壊死してしまうことがあるので、最初に圧迫止血を試して下さい」


 部下達は真剣に軍医の話を聞いていた。


「クロノ様と初めて一緒に戦った時、医者の手が足りなかったじゃん」

「だから、応急処置の仕方くらい勉強しておこうと思って」


 デネブとアリデッドは腰に付けたポーチを叩いた。

 多分、医薬品が納められているのだろう。

 見れば、全員がポーチを付けている。


「もしかして、自腹を切らせちゃった?」

「「ゴルディの工房で作らせただけだし」」

「……いや、まあ、良いけどさ」


 工房の経営はゴルディに一任しているし、費用が足らない時は申請あれば可能な限り便宜を図るようにしている。もちろん、これだけ大きな裁量を与えているのはそれだけの実績をゴルディが積んでいるからだ。


「けれど、次からは僕に報告して欲しいな。きちんと話してくれれば改めるべき所は改めるようにするからさ」

「「は~い」」


 デネブとアリデッドは適当に返事をして勉強に戻った。


「良いのかい?」

「僕の失敗を部下がカバーしてくれたんだよ」


 面白くないと言えば面白くないが、責められるべきは自分だろう。


「これからは定期的に部下と話し合う機会を設けるよ。視察だけじゃ足りなかったみたいだしね」

「確かに……部下の意見を聞くのは重要だ」


 突然、声を掛けられ、クロノはぎくりと体を強張らせた。

 ゆっくりと振り返ると、板金鎧に身を包んだレオンハルトが立っていた。

 演習に参加していたのだろう。

 巻き毛は汗に濡れ、顔も土で汚れている。


「やあ、レオもイジメに参加していたのかい?」

「……いや、私が参加していたのは第一、第二近衛騎士団の模擬戦だよ」


 言葉の意味が分からなかったのか、レオンハルトは周囲に視線を巡らせて言った。


「古巣の様子はどうだったんだい?」

「私がいた時よりも練度に磨きが掛かっているように感じられた。もちろん、私が預かる第一近衛騎士団も精強さでは負けていないつもりだが、やはり、エルナト伯爵の存在は大きい」


 クロノはレオンハルトの言葉に感心した。

 舞踏会の時から思っていたことだが、彼は自分が間違っていると分かれば素直に非を認め、相手の優れた部分を受け入れられるタイプの人間らしい。


「どうしたのかね、クロノ殿?」

「何というか、敵わないなと思って」

「私は君が思っているような人間ではないよ。侍女のリーラにはいけずと言われるし、普段から努力しなければ部下の言葉すら満足に聞いてやれない男だ。もっとも、私とクロノ殿は四つも歳が離れているのだから、敵わないと思ってくれなければ立つ瀬がないがね」


 レオンハルトはおどけるように肩を竦めた。

 その仕草がえらく様になっているのだが、クロノは出会った時のような敵愾心を抱かなかった。

 少なくともレオンハルトはクロノに対して友好的に接してくれているし、腹を割って話してくれているように見えるからだ。


「所で、糧秣の準備は順調だろうか?」

「七日間の行軍に耐えられるだけの物資は集まってるけど、問題は現地で水を確保できるかだね」

「ふむ、軍務局の情報が誤っている可能性は否定できん。それに対する備えは?」

葡萄酒ワイン大麦酒ビールを準備してあるけど、一日もあればなくなっちゃう量だよ」


 レオンハルトは考え込むように腕を組んだ。


「ならば、軍務局の情報が誤っていた時は伝令を送り、第九近衛騎士団に飲料水の輸送を頼むとしよう。頼めるか?」

「もちろんさ」


 レオンハルトが目配せすると、リオは気安く請け負った。


「それから、友軍を的にするような演習は辞めさせるよう通達しておこう。士気に関わるのでね。他にも気づいた点があれば、私に教えて欲しい。可能な限り、意見を聞くと約束しよう」


 レオンハルトはクロノの肩に手を置き、力強い笑みを浮かべた。



「……俺は傭兵で、領主様でも、文官でもねーんだよ」

「盗賊でしょ、盗賊」

「元盗賊だ!」


 積まれた書類を選り分け、ケインは自分に与えられた権限で処理できそうな案件を次々と処理していく。その殆どは奴隷商人や娼館、露店の営業許可に関するもので、街の警備を担当するケインにしてみれば判断を下しやすい。


「クソッ、街道と街の警備もしなきゃならねーのに」

「だったら、仕事を割り振れば良いじゃない」


 ケインが睨み付けると、エレナは挑むような目付きで睨み返してきた。


「街の警備はシロとハイイロに任せてるし、居残り組の面倒はレイラが見てるし、街道の警備もフェイに任せてあるんだが、落ち着かねーんだよ」


 大きなトラブルが起きていないので、それなりに仕事をこなせているのだろうが、どうも落ち着かないのだ。

 ケインが今まで負っていたのは自分の部下二十人に対する責任だけなので、そのせいもあるのだろう。

 おまけに経理担当であるエレナの口の悪さに辟易する。

 こんな口の悪い娘によくもまあ手を出したもんだと感心する。

 フェイから聞いた話によれば、クロノは虐殺者スロータークロフォードの息子で、無音暗殺術サイレント・キリングのマイラと関わりまであるのだから、懐の広さにも納得してしまいそうだ。

 懐が広いからかもな、とケインは腑に落ちたような気がした。

 ケインは部下を全面的に信用していない。

 だから、報告を受けていても不安になって落ち着かないのだ。

 逆にクロノは部下を信用しているから、短期間でエラキス侯爵領は領地としての体裁を整えられたのだろう。


「けど、やっぱり落ち着かねーんだよな」


 ケインは髪を掻き、書類にサインを続けた。



 ケフェウス帝国に不穏な動きがある、とイグニスが報告を受けたのは今から半月前のことになる。

 イグニスを含めた六人の将軍、ババアを除いた五人の大神官が招集され、対応策が協議された。

 イグニスは軍の派遣を訴え、二人の将軍も同意したが、残る三人の将軍と五人の大神官は時期尚早とした。

 三人の将軍が五人の大神官と同じ意見だったのは彼らが『神殿』と繋がりを持っているからだ。

 ケフェウス帝国軍が示したように寡兵であっても地形を上手く利用して陣を敷けば敵を撃退できるというのが彼らの論拠だった。

 もちろん、そんなはずない。

 ケフェウス帝国軍が持ち堪えられたのは彼らが人間を上回る能力を備えた亜人だったからだし、地形を上手く利用しても十倍の兵力を押し返すのは不可能に近い。

 だが、敗軍の将であるイグニスに抗弁する機会は与えられず、ようやく軍の派遣が決定したのは帝国軍の数が一万二千に膨れ上がり、糧秣を搬入するペースが鈍り切ってからだった。

 糧秣がマルカブの街に運び込まれる光景を眺めながら、イグニスは暗澹たる気分を押さえきれなかった。

 期待していたよりも早く糧秣が集まるのは喜ばしいが、その速度を考えれば強制に近い形で集めていると容易に想像できる。

 恐らく、街道を進んでマルカブの街を目指すはずだ。

 糧秣と援軍の保証があれば籠城できるが……とイグニスは頭を振った。


「まだ、貴殿の部下は招集できないのか?」

「早馬を走らせているが、私の部下が到着するのは十日後と思って頂きたい」


 イグニスは今にも喚き出しそうな神祇官に答えた。

 神祇官は将軍職に就いているのだが、将軍と呼ばれることを好まず、神祇官と呼ばれることを好んだ。

 王国に欠片も忠誠心を持ち合わせていない彼がイグニスの上役となる。


「何故、そんなに遅いのだ!」

「……神祇官殿の部下三千と私の部下千で対応しなければなりません」


 お前らが邪魔をしなければ同数の兵で戦えたんだ! とイグニスは迫り上がる言葉を飲み込み、事実だけを告げた。


「神祇官殿はどのような作戦をお考えか?」

「フン、マルカブと国境砦の中間にある丘陵地帯でケフェウス帝国軍を迎え撃つ。国境砦を守る警備隊と連携して挟撃すれば帝国など恐るるに足りん」


 悪くない考えである、挟撃が成功すると思い込んでいる以外は。

 ケフェウス帝国軍にも馬鹿はいるだろうが、敵の無能を期待するくらいならば丘陵地帯で迎え撃つのを諦め、その先にある峡谷に誘い込むべきだ。

 こちらの考えを見透かした訳でもないだろうが、神祇官は不敵な笑みを浮かべた。


「むろん、足りない兵を補うために周囲の村々から農民を集めている。二千程度しか集められんだろうが、壁くらいにはなれるだろう。」


 訓練も積んでいない農民が壁になどなれるか! とイグニスは心中で吐き捨て、その場を後にした。

 イグニスはマルカブの街を歩きながら勝つ方法を考えたが、思いついたのは敵の無能に期待するものばかりだ。


「いや、相手の有能さに賭けるのも悪くない」

「ほぅ、良い考えでも浮かんだか?」


 舌打ちして振り返ると、ババアが昼間から酒場で飲んだくれていた。


「ババア、会議に出席せずに何をしていた」

「……ワシは呼ばれておらんぞ」


 ババアは寂しそうに呟き、大麦酒ビールを煽った。


「ちょいと昏き森にあるエルフの集落に遊びに行ってな」

「偵察でもしてきたのか?」

「んにゃ、この近くをケフェウス帝国のヤツらが通るから避難するように忠告してきたんじゃが」


 ババアは憂鬱そうに溜息を吐いた。


「……無駄なことを」

「こだわりみたいなもんでな。あの辺りにも十年前はエルフの集落が二つ、三つはあったんじゃがなぁ。王国の兵士に焼かれて、散り散りになってしもうてな」

「初耳だ」

「そりゃ、お前さんは性根が歪んでおらんからな」


 ババアの口ぶりから察するに王国軍の人間がエルフの集落を襲撃したようだ。多分、男は斬り殺され、女は強姦されて殺されたか、強姦された挙げ句に奴隷商人にでも売られたのだろう。

 帝国軍のエルフは弓と魔術を使いこなす恐るべき敵だが、それ以外のエルフは脅威たり得ない。

 だから、イグニスは自分の領地……その片隅にエルフが住んでいると知っても無視していた。いや、単にババアから軽蔑されるような人間になりたくなかっただけなのかも知れないが。


「で、ババアは従軍するつもりなのか?」

「従軍しても良いが、ワシは敵味方分け隔てなく助けるぞ」

「敵を助けてどうする!」

「こだわりの外にいる連中の命なんぞ等しく価値があるか、等しく価値がないかの二択じゃい」


 ババアが当然のように言い放ったので、イグニスは寒気を覚えた。


「それは『漆黒にして混沌を司る女神』の教義か?」

「ワシがそういう風に命を見ているだけの話じゃ」


 言い返そうと思ったが、イグニスは何も言えなかった。

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