第5話『簒奪』修正版
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ラマル五世の崩御から二日後、遺言により葬儀はアルデミラン宮殿の旧城館でひっそりと行われた。
三十年前の内乱を収束させ、傾いた帝国を立て直したという功績を考えれば、国を挙げての盛大な葬儀となっても不思議ではなかったのだが、静かに逝きたいと言う故人の遺志が尊重された形だ。
ラマル五世の遺体はアルデミラン宮殿の旧城館……大広間に安置されていた。
『純白神殿』の形式による儀式は滞りなく終了し、参列した貴族による献花が済めば、葬送、埋葬となる。
もっとも、多くの貴族がラマル五世の崩御を知るのは埋葬されてからになるだろうが。
ラマル五世が崩御したのは舞踏会の四日後、その夜の出来事である。
現在、領地経営に勤しんでいる貴族の多くは領地に帰る途にあり、早馬を走らせているが、戻ってくるのに六日は掛かるだろう。
そのため、葬儀に参列した貴族は宮廷貴族か、何らかの理由があって帝都に滞在していた貴族だけである。
らしい死に方よね。せめて、息子のアルフォートに領地を授けてから死んで欲しかったんだけど、最期の言葉が謝罪だったから言いそびれちゃったのよね、とファーナは特注の棺で眠るラマル五世を見つめた。
ラマル五世の死に顔は弟の幻影に怯え続けていたとは思えないほどに穏やかだった。
それなりに情はあったと思うし、公妾という立場を考えれば泣くフリくらいはすべきなのだろうが、そんな気持ちにはなれなかった。
今までのことは水に流してあげるし、これからする苦労についても恨み言を控えてあげるわ、とファーナは踵を返した。
不意に視界が陰り、気がついた頃には逞しい胸板が目の前に迫っていた。
「おっと、危ねえぜ」
ぶつかる寸前、その大男は節くれ立った両手でファーナの肩を掴んだ。
年齢は五十代半ば、多くても六十に手が届かないくらいだろうか。
「ごめんなさいね」
「おお、気にすんな」
大男は棺を覗き込み、驚いたように目を見開いた。
「激太りしてるじゃねえかっ!」
「……っ!」
大男の不遜な……いや、常軌を逸した発言に今度は弔問に訪れていた貴族達が目を見開いた。
「そんだけ激太りすりゃ、早死にするに決まってるじゃねえか。ああ、情けねえ。クソを漏らしそうになりながら、味方になってくれと頼んできた時も情けねえと思ったし、弟の処刑を止められなかった時も情けねえと思ったけどな」
捲し立てるように言い、大男は棺に背を向けて歩き出した。
成り上がり者め、新貴族の分際で、なんと不遜な、不敬に値する……と周囲にいた貴族達が口々に言ったが、大男は悠々と大広間から退出した。
居心地の悪さを感じて大広間から退出すると、アルコル宰相が大男に声を掛ける所だった。
アルコル宰相は今年で七十になる小柄な老人である。
背中こそ曲がっていないが、禿頭と表現しても差し支えないほど髪が薄く、残った髪も長年の苦労を物語るように真っ白である。
頭髪が薄くなった分をカバーしているわけではないだろうが、たっぷりと髭を蓄えている。
アルコル宰相もまた三十年前の動乱期に成り上がった一人だ。
元々、彼は木っ端役人に過ぎなかったのだが、軍に出向した際の仕事ぶりを高く評価され、内戦終結から十年で宰相にまで上り詰めた。
彼の最大の功績はそれまで明確に区分されていなかった行政機構を整備……軍務を司る軍務局、直轄地の運営と財政を司る財務局、法律を起草・発布する尚書局、皇族の生活を取り仕切る宮内局を立ち上げ……し、各局の権限や責任の所在を明確にしたことだ。
権力の私的運用を大幅に制限し、トラブルが発生した際に素早く対応できるようにしたと言い換えても良いだろう。
つまり、現在の帝国を造ったのはアルコル宰相なのである。
まあ、有能な部下に全てを任せたという意味ではラマル五世の手柄かも知れない。
「……ハゲたな」
「クロード殿は変わらんな」
大男……恐らく、ラマル五世が最期に呼んだ相手が彼なのだろう。
陛下の言葉を伝えるべきかしら?
悩んでいると、クロードはファーナに手招きをした。
「何かしら?」
「用事があるのはそっちだろ? 念のために言っておくが、俺を口説くのは勘弁してくれよ。これでも俺は死んだ女房に操を立ててるんでね」
クロードが虐殺者の二つ名に相応しくない笑みを浮かべたので、ファーナは笑ってしまった。
「残念だけど、私が貴方を見ていたのは陛下の最期の言葉を伝えるか悩んでいたからよ」
「あいつのことだから、詫びの言葉なんだろ?」
「『すまない。苦労を掛けてばかりだった』が最期の言葉よ」
そうか、とクロードは気まずそうに頭を掻いた。
「クロード殿」
「少しくらい感傷的な気分に浸らせてくれてもバチは当たらねえだろ?」
「すまんな」
アルコル宰相が謝罪すると、クロードは芝居じみた仕草で肩を竦めた。
「……麦を売る時期についてだが」
「その辺はマイラに任せて……」
「値崩れを防ぐために……」
「……それだと値上がっちまうだろ?」
二人の会話を聞きながら、ファーナはアルコル宰相の知られざる一面を知ったような気がした。
どうやら、アルコル宰相はクロードに意見することで南辺境で収穫された農作物を売る時期や量を調整できるようだ。
「……こっちの嬢ちゃんに話を聞かれてるけど、大丈夫なのか?」
「構わんよ」
アルコル宰相は髭を撫で、好々爺のように笑った。
「別件なんだが……ラマルが死んじまったけど、俺らと倅の領地は大丈夫なのか? 接収なんてしねえよな?」
「エラキス侯爵領を与えたのはティリア皇女の判断だが、陛下も追認しているのでな。接収なんぞしたら、新貴族だけでなく、旧貴族からも不興を買ってしまう」
「まあ、接収されるくらいなら穀物庫に火を付けてやるがな」
「そんな真似をされたら、麦の価格が暴騰してしまうな」
クロードが肉食獣のような獰猛な笑みを浮かべると、アルコル宰相は蛇のような……蛇が笑うことができたら、こんな風に笑うであろう……笑みを浮かべた。
「そんな事態は避けてえもんだ」
「もちろん、誰が皇帝になろうとも領地の接収などさせんよ」
二人は笑みを深め、交渉を再開した。
※
夕刻……アルフィルク城にある円卓の間にファーナは息子アルフォートと共に呼び出されていた。
もっとも、呼び出しを受けたのは二人だけではなく、各局のトップである皇軍長、財務長、尚書長、宮内長も同様である。
何故か、第九近衛騎士団のケイロン伯爵と第十二近衛騎士団のピスケ伯爵も呼び出されている。
「……母上、私は殺されてしまうのでしょうか?」
「考え過ぎよ」
その可能性は高いわね、と感じながらファーナはアルフォートを安心させるために微笑んだ。
息子のアルフォートは十五歳、貴族の平均的な特徴である金髪、碧眼の持ち主で、ちょっとばかり抜けた顔立ちをしている。
学問と剣術をそれなりのレベルで身に付けているが、闘争心や覇気はなく、あっさりと人の言葉を信じてしまう。
ファーナが溜息を吐いたその時、黒いドレスに身を包んだティリア皇女とアルコル宰相が円卓の間に入室する。
ティリア皇女は憔悴した様子でイスに腰を下ろし、忌々しそうにファーナとアルフォートを睨んだ。
ファーナは適当に視線を背けたが、アルフォートは顔面蒼白になって座っているにも関わらず、がくがくと膝を震わせている。
「ご苦労。今日、ここに集まってもらったのは今後の方針を決めるためだ」
ティリア皇女は円卓の間にいる面々を見渡し、溜息を吐くように言った。
「慣例に従い、私が次の皇帝になることに異存はないと思う。もちろん、私は父であるラマル五世が築き上げた今の帝国を蔑ろにするつもりはない」
当面は現状維持ってことね、とファーナは何の感慨もなくティリア皇女の言葉に耳を傾けた。
「だが、エラキス侯爵の件を見ても分かるように現場レベルで軍事費の横領があったことは無視できない」
綱紀粛正でもして自分の家臣を重要な役職に就けるつもりかしら? とファーナはティリア皇女を眺めた。
「……ティリア皇女、宜しいですかな?」
「何だ?」
ティリア皇女が不機嫌そうに睨み付けると、アルコル宰相はゆっくりと立ち上がった。
「実は……亡くなられた陛下より遺言を預かっておりまして」
「……」
アルコル宰相は懐から輸入品の紙を取り出し、ティリア皇女に差し出した。
「……っ!」
「陛下の遺言には、国をアルフォート殿に譲ると書かれております」
アルコル宰相は驚きに目を見開くティリア皇女を無視して告げた。
本当に死んだ弟に国を譲るとか書いちゃったのね、とファーナは呆れながらも事態の推移を見守ることにした。
「これは、確かに……父の文字だ」
ティリアが認めると、ファーナとアルコル宰相を除いた全員がアルフォートに視線を向けた。
もっとも、アルフォートは自分が殺されなくて済むと分かり、胸を撫で下ろしている所だったが。
「どうするつもりだ?」
「私としましては遺言に従って頂きたく」
「ふざけるな!」
叫び、ティリア皇女は遺言書を机に叩きつけた。
「ならば、今は亡きアルフォート殿のように反乱を起こすつもりですかな?」
「……それは」
アルコル宰相の言葉にティリア皇女は口籠もった。
ティリア皇女が異を唱えれば、呼応する貴族も少なからず現れるだろう。
だが、兵士まで応じるかと言えば、難しいと言わざるを得ない。
仮に領主が指揮官を務めていても、兵士は帝国の正規兵なのだ。
命令の優先順位は皇軍長にあり、大きな利を示さない限りティリア皇女には従わないだろう。
「お分かり頂けたかな? ケイロン伯爵、ピスケ伯爵……ティリア皇女を主塔にお連れしなさい」
ケイロン伯爵とピスケ伯爵が戸惑うように視線を向けると、皇軍長はしばらく沈黙を保ち、静かに頷いた。
「悪く思わないで欲しいね」
「命令なので」
ケイロン伯爵とピスケ伯爵が立ち上がり、ティリア皇女と距離を詰める。
「……で、あれば仕方がないな」
ティリア皇女は溜息を吐き、ピスケ伯爵に向かって跳んだ。
一気に距離を詰めると、ティリア皇女はピスケ伯爵の鼻っ柱に肘を叩き込み、彼の剣を奪い取った。
更に華麗な横蹴りをピスケ伯爵に見舞い、壁まで吹き飛ばした。
ティリア皇女は壁に叩きつけられたピスケ伯爵が動かないのを確認し、ケイロン伯爵と対峙した。
「皇女のやることじゃないね」
「お前達だって」
「ティリア皇女は騎士に夢を見すぎだよ。ボクらは帝国に忠誠を誓っているだけで貴方に忠誠を誓っている訳じゃない」
ケイロン伯爵は大仰に肩を竦め、剣を抜いた。
「そうか」
「そうさ」
ティリア皇女の体から白い光が立ち上り、それに応じるようにケイロン伯爵も緑の光を立ち上らせる。
やはり、最初に動いたのはティリア皇女だ。
ティリア皇女は一気に距離を詰めて突きを放つが、これをケイロン伯爵は涼しげな笑みを浮かべて躱した。
するするとケイロン伯爵は突きを放った直後で動けないティリア皇女の背後に回り、剣を振り下ろした。
甲高い音が響き、火花が散る。
ティリア皇女がケイロン伯爵の振り下ろした剣を剣で払い除けたのだ。
「ふん、動けない相手の背後を取ってどうする?」
「不覚傷ってヤツをプレゼントしようと思ったのさ」
ケイロン伯爵の姿が消失し、緑の軌跡がティリア皇女を取り囲むように走る。
平面から立体へ、緑の光がティリア皇女を閉じ込める檻を形成する。
「もうボクの姿を追えていないだろう?」
「試してみるか?」
突然、緑の檻が消え、ティリア皇女は舞うように反転して剣を振るう。
鉄と鉄がぶつかり合う甲高い音が響き、ケイロン伯爵の剣が壁に叩きつけられた。
そう、剣だけだ。
「上か!」
「正解! だけど、遅い!」
ティリア皇女が天井を見上げると、そこには天井に膝を突き、緑の弓を構えるケイロン伯爵の姿があった。
「神よ!」
ティリア皇女が光の盾を掲げると同時にケイロン伯爵は矢を放った。
緑の光……目を開けているのも難しい光の奔流がティリア皇女に押し寄せる。
ピシ、ピシッとティリア皇女の足下の床に細かな亀裂が走る。
五秒か、十秒か、ティリア皇女はケイロン伯爵の攻撃に耐えきり、
「……っ!」
声もなく仰け反り、床に倒れ伏した。
「油断大敵さ」
「私に対する嫌みかね?」
ケイロン伯爵が床に舞い降りると、ピスケ伯爵は不機嫌そうに呟き、血で塗れた唇を手の甲で乱暴に拭った。
「私とてティリア皇女が相手でなければ」
「そこは言い訳しないで、計算通りと言うべきさ」
ケイロン伯爵の手柄を横取りしたようで面白くないのか、ピスケ伯爵は憮然とした表情を浮かべた。
「……おのれ、不意打ちとは卑怯な」
ティリア皇女はピスケ伯爵を見上げ、忌々しそうに呟いた。
まあ、ティリア皇女はケイロン伯爵の攻撃に耐えきった直後、ピスケ侯爵の魔術……極小の電撃を発生させ、相手の自由を奪う……を受けたのだから、卑怯と感じるのも無理からぬ話である。
「負けるヤツが悪いのさ。そう言えば、ティリア皇女は軍学校の演習でクロノに負けてたよね? あれも卑怯なのかい?」
「ぐ……っ!」
歯を食い縛り、ティリア皇女は体を起こそうとする。
動けるはずないが、ティリア皇女もまた神威術の使い手である。
ケイロン伯爵が死の淵にあったラマル五世の意識を取り戻させたように、動かないはずの体を動かす術を心得ているのだろう。
「ダメだよ、動いちゃ」
「……ぐっ!」
ケイロン伯爵は狂的な笑みを浮かべてティリア皇女の鳩尾を蹴り上げ、蹴り上げ、頭を踏みつけた。
「ああ、ティリア皇女に言っておくことがあったんだ。実は……クロノの愛人にしてもらうことになってね」
その場にいる誰もがケイロン伯爵の発言に驚いて目を見開いた。
「クロノ……クロフォード男爵の息子で、エラキス侯爵領の領主だな」
「そうさ、彼は素敵だよ」
アルコル宰相が恐る恐る問い掛けると、ケイロン伯爵は両手で自分の体を抱き締め、恋する乙女のような口調で言った。
「キスしているだけで何度も達しそうになったものさ」
「……そ、それが、どうした?」
わずかにティリア皇女が体を起こすと、ケイロン伯爵は足に力を込めて再び床に口づけをさせる。
「そりゃ、力ずくで犯されそうになった時は肝を冷やしたけどね。でも、それは最初だけさ。ちゃんと段階を踏んでくれるように頼んだら、了承してくれたよ」
「……ぐ、ぬ」
ケイロン伯爵は勝ち誇った笑みを浮かべた。
「あれ~? ティリア皇女ったら、ダメージ見え見え? はははっ!」
ばんっ! とティリア皇女は一気に立ち上がり、潤んだ瞳でケイロン伯爵を睨んだ。
そこには国を奪われつつある皇女の悲哀はなく、男を寝取られた女の情念だけがあった。
「……クロノは、そんなこと」
「ふふふ、ティリア皇女は彼のことを分かっていないんだね? 彼にとってはボクも、ハーフエルフも、亜人も、奴隷も、平民も、貴族も、皇女も同じなのさ。だから、彼はボクを抱こうとしてくれた。いや、単に、彼は寂しがりやなだけかも知れないけどね」
ティリア皇女は拳を振り上げ……その場に崩れ落ちた。
「……殺しはしないよ、クロノを悲しませたくないからね」
ケイロン伯爵は微笑み、ティリア皇女を担ぎ上げた。
「ボクとピスケ伯爵は皇女を城の主塔に押し込んでおくよ」
そう言って、ケイロン伯爵とピスケ伯爵は円卓の間から退室した。
「では、会議を再開しよう」
アルコル宰相は何事もなかったように言い切った。
「アルフォート殿が皇位を継がれるに当たり、新たな方針を打ち出すべきだと思うのだが?」
ちらりとアルコル宰相が視線を向けると、皇軍長は静かに頷いた。
どうやら、すでに根回しは済んでいたようだ。
「……私は対外戦略の見直しを要求します。三十年前の動乱により我が国の領土は三分の二にまで縮小しましたが、陛下は領土回復のための戦争さえ認められませんでした」
「だが、自由都市国家群の勢力圏を削るとなれば相応の調略が必要となろう」
「自由都市国家群の主戦力はベテル山脈の傭兵です。ご存じの通り、ベテル山脈は耕作に不向きな土地柄で、そこに住む人々は古くから傭兵として生活の糧を得ております」
ベテル山脈の傭兵は逃げたり、依頼主を裏切ったりしないとされている。
「しかし、ベテル山脈の傭兵を切り崩すとなれば莫大な金が掛かろう? 加えて、自由都市国家群が交易路を押さえている以上、民の生活に影響が出るのは必然」
ベテル山脈の傭兵と交易路の占有……これが自由都市国家群に戦争を仕掛けにくい最大の要因である。
香辛料、紙、綿、ガラスは自由都市国家群を通さなければ帝国に入ってこないのだ。
「もちろん、私も自由都市国家群と構えるつもりはありません。ただ、今まで神聖アルゴ王国に攻められても不快感を示すことさえできなかったことを憂慮しています」
「ふむ、民を守るために剣を取ることも必要か」
「その通りです」
重苦しい沈黙が円卓の間を支配し、
「……アルフォート殿はどのようにお考えか?」
「え?」
唐突にアルコル宰相に問い掛けられ、アルフォートは驚いたように声を裏返らせた。
「え、あ、その……帝国は神聖アルゴ王国に何度も攻められて、攻められっぱなしな訳だし、不快感を示した方が良いと思うんですけど」
アルフォートの言葉にファーナは頭を抱えたくなった。
「おおっ! アルフォート殿がそこまで決意されているのであれば話は早い!」
「え? ええ?」
困惑するアルフォートを無視して会議は開戦へと傾いていった。
※
会議を終え、誰もいなくなった円卓の間でファーナはアルコル宰相と向かい合っていた。
「……意外ね」
「何がだ」
「貴方なら、ティリア皇女を上手く扱うと思っていたし、権勢欲も強い方じゃないと思っていたんだけど」
ファーナが見る限り、アルコル宰相は良くも悪くも帝国の忠臣である。
「今更、アストレア皇后の影響力を強めたくないのでな」
「ティリア皇女が皇位を継いだ時のためにアルフォートを生ませたんでしょ?」
ふぅぅ、とアルコル宰相は長い溜息を吐いた。
ティリア皇女が皇位を継げば局長の首がすげ替えられる可能性は高く、独裁的な政治を行う可能性も否定できない。
もちろん、そうならない可能性もあるが、常に最悪の可能性を考慮し、可能な限り手を打っておくのがアルコル宰相のやり方である。
「あの女の影響力を廃するためならワシは何でもやる。今回は偶然にも陛下の遺言書があったから利用したに過ぎん」
「酔っ払って正気を失った陛下が書いた戯れ言を利用しただけでしょ」
「お主は知らんだろうが……三十年前の動乱を引き起こしたのはアストレア皇后だ」
え? とファーナは驚きのあまり目を見開いた。
「陛下は……アルフォート殿に皇位を譲るつもりでいたのだ。実際にワシらはそのように動いていた」
「陛下は無能だから反乱を起こされたんじゃなかったの?」
アルコル宰相は静かに首を振った。
「陛下は自分が無能であると自覚しておられた。臣下のために、臣民のためにも無能な自分が皇帝になるよりも、アルフォート殿が皇位を継いだ方が良いと判断されたのだ」
アルコル宰相は過去を悔いるように強く拳を握り締めた。
「だが、アストレア皇后は不和の種を撒いた。いや、一枚板になりきれていなかったワシらにも責任はあったのかも知れん。アストレア皇后の思惑通り、反乱が起き、アルフォート殿は処刑された」
「彼女は何をしたかったのかしら?」
「知らんよ。だが、少なくともワシは……あの女に帝国を好きにさせるつもりはない。そのためならばワシは何でもする。例え、それが陛下の遺志に反していたとしても」
ファーナが問い掛けると、アルコル宰相は吐き捨てるように言った。
「戦争も『何でも』の一つなのかしら?」
「敵に勝つためという大義名分があれば、アルフォート殿を中心とした国家体制に移行させるのも難しくなかろう。もちろん、帝国が防備を固めているだけではないと周囲に示す意図もあるが」
「ティリア皇女をどうするつもりなの?」
「心配しなくても殺したりせんよ。本音を言えば他国の王族にでも嫁がせてしまいたい所だが」
アルコル宰相は腕を組み、考え込むように唸った。
「あの気性なら大人しくしていないでしょうね」
「無欲かつ優れた自制心を持つ貴族がいれば適当な理由を付けて任せよう」
多分、ティリア皇女を殺さないのはアルフォートが暴走した時の備えとして必要だからだろう。
「……そんな人がいるとは思えないけど」
※
帝都からクロノに手紙が届いたのは十二月初旬……舞踏会が終わってから一ヶ月が過ぎた頃である。
皇帝が崩御したり、ティリアが病気で倒れたり、頻繁にリオから手紙が届くようになったり、養父から手紙が届いたりと嫌な予感はしていたのだが。
『……大将、何のようで?』(ぶもぶも)
「うん、副官のミノさんには真っ先に連絡しようと思ってね」
クロノは執務室のイスに腰を下ろしたまま、副官に羊皮紙を差し出した。
副官は見つめ、
『招集? 補給、担当?』(も~)
「要するに召集令状だよ。神聖アルゴ王国と戦争をするから、兵士を五百人率いて補給を担当しろって」
召集令状によれば、第一、第二、第九、第十二近衛騎士団、他の領地から招集された八つの大隊、補給部隊としてクロノ達が加わることになっている。
数字だけ見れば一万二千五百の軍になるのだが、ティリアの異母兄弟であるアルフォートが総司令官になっている点に不安を覚える。
『で、あっしは何をすれば宜しいんで?』(ぶも、ぶも)
「ミノさんから見て……ってのは卑怯か。僕が部隊編成をするから、ミノさんの意見を聞かせて欲しいんだ」
エラキス侯爵領は神聖アルゴ王国に攻め込まれたばかりである。
百人隊長を全員率いて行きたい所だが、万が一のことを考えて防衛戦力を残しておかなければならない。
「ピクス商会のニコラさんと連絡を取らなきゃならないし、病院から医者を引き抜かなきゃならないし、やることが沢山あって嫌になるね」
神聖アルゴ王国がそうであるように帝国軍の補給能力は非常にお粗末である。
平時は大隊指揮官の個人的な人脈によって商会から兵士の糧食を買い入れているのだが、それは戦時においても変わらない。
つまり、補給というシステムが軍に組み込まれていない状況なのである。
これからするべきことを考えただけで頭痛がするほどだが、嫌がってばかりはいられない。
こうして、クロノは二度目の戦場に赴くことになった。




