クロの戦記another5「What makes the rabbit jump?」
帝国暦四三✕年九月中旬昼すぎ――クロノは書類を手に取った。
露店の営業許可に関する書類だ。
そこに書かれた文字を目で追い、ミスがないか確認する。
といってもフォーマットが定まっているし、ここに来るまでに何人もの事務官が目を通している。
クロノにできるのは注意して書類を見る程度のことだ。
「問題なし」
クロノは小さく呟き、書類に判子を押した。
書類を押印済みの書類の束に重ね、イスの背もたれに寄り掛かる。
書類のフォーマットを定め、判子を導入したことで作業効率は格段に上がった。
領主になった頃とは雲泥の差だ。
だが、仕事量が増えたこともあって楽になった気がしない。
さらにいえば――。
「作業効率が上がっても疲れるものは疲れるんだよね」
クロノはぼやき、肘掛けを支えに頬杖を突いた。
その時、トントンという音が響いた。
扉を叩く音だ。
居住まいを正し――。
「どうぞ!」
「ちょっくら邪魔するよ」
声を張り上げる。
すると、扉が開いた。
扉を開けたのは女将だ。
ティーセットと小皿の載ったトレイを持っている。
歩み寄り、机にトレイを置く。
「これは……」
クロノは小皿を見て、目を見開いた。
小皿にはカットされたフルーツが盛られていた。
だが、それ以上に目を引いたのは白い何か――白玉の存在だ。
視線を向けると、女将はふふんと鼻を鳴らした。
「そいつはモチだよ。ゾーニを作った時にエリルちゃんが謎の食感って言ってただろ?」
「言われてみればそんなことを言ってたような気が……」
「言ってたんだよ」
クロノが小首を傾げると、女将はちょっとだけムッとしたように言った。
「まあ、それで何かに使えるんじゃないかと研究してたんだよ」
「食べてもいい?」
「……召し上がれ」
女将は間を置いて答えた。
笑みを浮かべているので怒ってはいない。
多分、子どもっぽい所があるんだなと思っているのだろう。
クロノはスプーンを手に取り、白玉――女将曰くモチ――を掬った。
口の中に入れると、酸味の効いた甘みが広がり、白玉がぷるぷると舌先を刺激する。
「どうだい?」
「モチモチしてます」
「そうかい」
「あと、シロップが絡んでいい感じ」
「そうかいそうかい。そいつはフルーツシロップだよ。当たり前だけど、フルーツと相性がいいし、モチとも相性は悪くない」
「うん……、うん……、美味い……」
クロノは相槌を打ちながらフルーツ白玉を頬張った。
半分ほど食べた所で手を止める。
「どうしたんだい?」
「あ、いや、何でもないんだけど……」
クロノは口籠もり、中秋の名月の中秋っていつ頃なんだろう? と窓に視線を向けた。
※
夕方――クロノが侯爵邸を出ると、二つの工房では職人達が片付けを始めていた。
庭園の一角を見る。
フェイがトニーに稽古を付けている場所だ。
二人の姿はない。
甘い物を食べたので手合わせをしたかったのだが、いないのなら仕方がない。
正門から出て、道なりに進む。
程なく商業区に入る。
時間が時間だけに通りに面した店は営業を終えているか、店じまいの準備をしている。
通りを一本入った所にある飲み屋などは開店の準備を始めているが、侯爵邸に戻ったら夕食なので真っ直ぐに進む。
しばらくして広場が見えてきた。
そういえばティリアは何をしているのだろう。
昼食で顔を合わせたきりだが、まだ広場で露店巡りをしているのだろうか。
そんなことを考えていると、ティリアがこちらにやって来た。
立ち止まり、しげしげとクロノを見る。
「こんな時間に出歩くなんて珍しいな。どういう風の吹き回しだ?」
「どういう風の吹き回しも何もただの視察だよ、視察」
「そうか」
「そうです」
ティリアが頷き、クロノは頷き返した。
だが、嘘を吐いているからか居心地が悪い。
話題を変えなければ。そう考えて視線を巡らせる。
「な、何だ?」
「いや、別に……」
嫌な予感でもしたのか、ティリアが後退り、クロノは小さく頭を振った。
そこでどんな話を振るのか思い付く。
「そういえばアリデッドとデネブは?」
「クロノ、私はあの二人と四六時中一緒にいる訳じゃないぞ」
「そうだね。ティリアは無職だもんね」
「無職と言うな」
ティリアはムッとしたように言って、手の甲でクロノの肩を叩いた。
ティリアらしくないマイルドな突っ込みだ。
その時、うげッ! という声が響いた。
ティリアが振り返り、クロノは声のした方を見る。
すると、そこにはアリデッドとデネブが『うげッ!』という表情で立っていた。
その表情に捕食者の本能を刺激されたのか、ティリアが足を踏み出す。
次の瞬間、アリデッドとデネブが待てというようにこちら――正確にはティリアに手の平を向けた。
「「ちょっと待って欲しいし」」
「まあ、少しくらいなら待ってやらんでもないが……」
「「……」」
ティリアが立ち止まると、アリデッドとデネブは視線のみを動かして目配せした。
そして――。
「「はッ!」」
裂帛の気合いと共にバッタをモチーフにしたヒーローを思わせるポーズを取る。
もちろん、二人は変身できない。
その代わりに光が蛮族の戦化粧のように二人を彩った。
刻印術――ルー族と諸部族連合に伝わる精霊と一体化するために呪法だ。
これを使うことで身体能力を爆発的に高め、神威術に似た能力を発揮できるようになる。
もしや戦うつもりだろうか。
心配していると、二人はとぅッ! と跳んだ。
反射的に空を見上げるが、そこに二人の姿はない。
まさか、あの一瞬で見えなくなるほどの距離まで移動するとは。
これだから才能のあるヤツは……、と視線を落とす。
すると、そこにはぴょんぴょん跳ねるアリデッドとデネブの姿があった。
どうやら、まだ刻印術を上手く使えないようだ。




