クロの戦記another1-2「諧謔」
本エピソードは第4部第15話『Attack on Myra』後編と第5部第1話『代官』の間、クロの戦記another1「雑煮」直後の出来事になります。
帝国暦四三二年一月一日朝――侯爵邸の庭園は静寂に包まれていた。
普段はゴルディの工房から槌を打つ音が響き、紙の工房からは湯気が立ち上っている。
だが、今日はどちらもない。
お正月なので休んでもらったのだ。
もちろん、有給扱いで。
有給? とクロノは首を傾げた。
この世界に来た時、黒野久光は中学三年生だった。
当然というべきか、それとも幸運にもというべきかアルバイト経験はない。
だから、有給に関する知識はすごくぼんやりとしている。
このぼんやりした知識によれば有給――有給休暇とは年に一度支給される、休んでも給料をもらえる日のことだ。
さらにいえば有給は労働者の裁量で使えたはず。
祭日はさておき、お盆や年末年始には会社休日なるものが設けられていたはずだ。
とすると――。
「僕がやったのは会社休日を作ったようなものか。やっぱり、会社休日とは別に有給休暇を作った方がいいのかな? でも、国にとって特別な日や収穫祭みたいなのはあってもそれで休みになる訳じゃないし……」
むしろ、軍人であるクロノは特別な日こそ仕事をすることになる。
幸い、帝都とは離れているし、そもそもこういうことは近衛騎士団の仕事と相場が――。
「――ッ!」
クロノは息を呑んだ。
「そうだ。僕は近衛騎士団の団長だった」
迂闊ッ! と呻く。
だが、まあ、よくよく考えてみれば自覚に乏しいのも仕方がないかなと思う。
恩恵を受けていないのだ。
軍費は据え置きだし、アルフォートに口頭で言われただけで書面での通知もない。
ああ、いや、軍服はもらった。
近衛騎士団の証である白い軍服ではなく、黒い軍服だったが――。
「何かお役所仕事って感じだよな~」
クロノは空を見上げてぼやいた。
要するにアルフォートに第十三近衛騎士団の団長に任命されたけど、今までと扱いは変わらないからね? 分かってるよね? と黒い軍服を送って暗に示したのだ。
黒い軍服で暗に示すと呟き――。
「――ッ!」
クロノは再び息を呑んだ。
まさか、あれは『黒』と『暗』を掛けたジョークだったのだろうか。
ほ~ん、と声を上げる。
まさか異世界でお役所ジョークに遭遇することになるとは思わなかった。
それにしても――。
「分かりにくすぎる。分かりにくすぎて年を越してるし。まあ、でも、よくよく考えてみれば中央の役人って旧貴族ばかりだもんな~」
相手が貴族となると分かりにくいジョークも当然という気がしてくる。
それと同時に旧貴族と新貴族が相容れない理由が分かるような気がした。
どう考えても養父と今一つ分かりにくいジョークや皮肉を言う旧貴族は相性が悪い。
もちろん、それだけで養父達を分かった気になるのはマズいが、女将やカナンを見ているとあながち間違っていないんじゃないかなと思う。
そんなことを考えていると――。
「クロノ、こんな所でどうしたんだ?」
ティリアに声を掛けられた。
ティリアはクロノの前までやって来て立ち止まった。
じっとこちらを見ている。
これは私が座るから退けという意味だろう。
クロノは立ち上がり、手の平で木箱を指し示した。
「どうぞ」
「違う! そうじゃないッ!」
ティリアは声を荒らげた。
「もしかして、一緒に座りたかったの?」
「『もしかして』は余計だ」
クロノが問いかけると、ティリアはムッとしたように言って、顔を背けた。
恥じらっているのか、頬が朱に染まっている。
「じゃあ、改めてどうぞ」
「そ、そうか」
手の平で木箱を指し示す。
すると、ティリアは照れ臭そうな表情を浮かべ――どっかりと木箱に腰を下ろした。
一緒に座りたいという気持ちは分かった。
だが、それならば何故もう少しスペースを空けてくれないのだろう。
クロノが黙って見ていると、ティリアは不思議そうに首を傾げた。
「どうした? 座らないのか?」
「どう座れと?」
「座れるだろ?」
「無理」
ティリアが問い返してくるが、クロノは首を横に振った。
「木箱の隅で太股を擦る未来しか見えないよ」
「仕方のないヤツだな」
ティリアは溜息交じりに言って横に移動した。
しげしげと木箱を眺める。
十分なスペースが確保できたとは言えないが、これならば座れるはずだ。
「それじゃ失礼して……」
一応、断りを入れてから木箱に座る。
「私の隣に座った感想はどうだ?」
「……狭いよ」
「そういうことじゃない」
クロノがやや間を置いて答えると、ティリアはムッとしたように言った。
「あと、いい匂いがする」
「変態か!」
ティリアが声を荒らげる。
顔が真っ赤だ。
きっと、恥ずかしがっているのだろう。
そう思うことにする。
ややあって、ティリアは顔を背けた。
ただし、ちょっとだけだ。
そして、いい匂いかと満更でもなさそうに呟いた。
視線を空に向ける。
ゆっくりと雲が流れている。
先程の――私の隣に座った感想はどうだ? という問い掛けを思い出す。
本当は尻に敷かれる未来を暗示しているようだと思った。
だが、結婚を切り出されたらとも思い、口にはしなかった。
結婚をするつもりがない訳ではない。
きちんとけじめを付けなければならないと考えている。
そうしなければ粛清されてしまう。
若くして死にたくはない。
だから、ティリアとの結婚は運命のようなものだ。
運命ならば受け入れなければならない。
だが、だがしかし、そうだとしても先延ばしにしたかった。
気ままな――領主と大隊長を兼任しているので気ままというほど気ままではないし、これまで二度も死にそうな目に遭ったことを考えると家督相続のこととかきちんと考えておいた方がいいんじゃないかな~、むしろもっと頑張って子作りすべきと思わないでもないが、とにかく気ままな独身生活をエンジョイしたかった。
自分は駄目なヤツだとつくづく思う。
しかし、それが自分だ。
運命と同じく受け入れるしかない。
自分からは逃げられないが、運命は先延ばしにできる。
クロノは運命を先延ばしにすべく口を開く。
「そういえば結構前に黒い軍服をもらったじゃない?」
「……」
話し掛けるが、ティリアは答えない。
不審に思って隣を見る。
すると、ティリアはだらしなく相好を崩していた。
いい匂いと言われて満更でもなかったらしい。
正直、セクハラ発言だと思うのだが――。
誰が言ったかにもよるんだろうな~、とぼんやりと空を見上げる。
いや、ぼんやりと空を見上げている場合じゃない。
運命に抗わなければ。
それに、自分の気付きを誰かに聞いて欲しいという思いもあった。
「ティリア……」
「――ッ!」
手の甲で二の腕を叩く。
すると、ティリアはハッとしたような表情を浮かべてこちらに視線を向けた。
取り繕うように咳払いをする。
「な、何だ?」
「結構前に黒い軍服をもらったじゃない?」
「そういえばそんなこともあったな」
そう言って、ティリアはじろじろとクロノを見た。
「折角、新しい軍服をもらったのに着てないんだな?」
「同じ黒だし、わざわざ着替える必要はないかなって」
ふ~ん、とティリアは相槌を打った。
「それで、どうして黒い軍服だったのか考えてたんだ」
「暇なヤツだな」
「休暇中だからね」
ティリアが呆れたように言い、クロノはふふんと鼻を鳴らした。
「それで、理由は分かったのか?」
「それは――」
クロノは経緯を簡単に説明して『黒』と『暗』を引っ掛けたお役所ジョークなのではないかという自身の見解を述べた。
「どう思う?」
「考えすぎじゃないか?」
「考えすぎですか、そうですか」
クロノがドヤ顔で言うと、ティリアは困ったように眉根を寄せて言った。
期待していた反応が得られずしょんぼりと肩を落とした。




