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第3話『舞踏会』修正版


 一日の訓練を終え、一般兵が兵舎に戻っても、副官および百人隊長には仕事が残っている。

 いや、仕事と呼ぶのは語弊がある。

 誰にも命じられることなく、彼らは自分達のために勉強をしに来ているのだから。


『な、何故だ、モモタロウ! わ、我々は穏やかな暮らしを望んでいただけなのに! グワァァァッ!』(ブモブモ)

「はい、次はレオさん」


 ミノが教科書の一文を読み上げると、シオンはレオを指名した。

 レオは金色の鬣を揺らして立ち上がり、


『鬼を斬り殺したモモタロウは財宝を略奪すると、意気揚々とお爺さんとお婆さんの待つ家に戻りました』(ガウガウ)

「はい、ホルスさん」

『モモタロウはお爺さんとお婆さんを略奪した財宝で幸せにしましたが、彼は死ぬまで自分が鬼のように殺されるのではないかと怯え続けました。めでたし、めでたし』

「キリが良いので、今日はここまでにしましょう」


 シオンが授業の終了を宣言すると、副官および八人の百人隊長は力尽きたように机に突っ伏した。

 幾人かは濡れた鼻を教科書に押しつけているが、シオンは怒らなかった。

 この教科書は容易に直せるからだ。

 本は紙に糸を通して纏めているだけなので簡単に汚れたページを抜き取れるし、その部分を版画という手法で複製し、すぐに差し替えることができるのである。

 版画の存在を知った時、シオンは驚きのあまり言葉を失ったが、クロノの故郷では一般的な手法らしい。


「「う~、疲れた」」

『訓練を終えた後に、勉強をするのはちぃとばかり堪えやすぜ』(ぶもぶも)

『同意』


 副官の呟きにリザドが無感情に同意する。


「で、でも、これくらいやらないと、レイラに追いつけないし!」

「そうだよ! かけ算を早く覚えないと!」


 デネブとアリデッドは立ち上がり、副官と他の百人隊長を鼓舞した。

 どうやら、二人はレイラの成長に危機感を抱いているようだ。


『でも、勉強って役に立つのか?』(ガウガウ)

『オラ達は幾ら頑張っても大隊長になれねーでよ』(ブモブモ)

「ピクス商会のおっちゃんが学を身に付ければ雇ってくれるって言ったし」

「私塾を開いて、大儲けもできるし」


 やや懐疑的なレオとホルスに双子のエルフは小振りな胸を張って答えた。


『『俺は子どもが好きだから、私塾を開く』』(がうがう)

「「グハッ、商売敵が!」」


 シロとハイイロが言うと、双子のエルフは机に突っ伏した。

 しばらくして、双子のエルフは同時に体を起こし、


「……まあ、役に立つ、立たないは別としてさ」

「クロノ様が来てから、あたしらも変わったよね」


 しみじみと呟いた。


『……ちげえねえ』(ぶも)

「もし、もしもの話なんだけど、クロノ様が出世したら、セカイジンケンセンゲンってヤツをしてくれるのかな?」

『そりゃあ、難しいですぜ』(ぶもぶも)

「分かってる。あれはレイラを引き留めるための与太話だし……でも、ちょっとは変えてくれるかもしれないじゃん」


 その言葉に九人の亜人は考え込むように押し黙った。



 アルデラミン宮殿……帝都アルフィルクの郊外にある宮殿は前皇帝が建てた城館の一つを増築したものである。

 宮殿の核となる旧城館は窓枠に切石を使っているが、基本的には煉瓦造りの質素な建物だ。

 旧城館の東西に建てられた新城館は鏡で映したような外観であり、それが宮殿の在り方を端的に示している。


 対称性シンメトリー


 アルデミラン宮殿は旧城館を中心に全てが左右対称に作られているのである。

 石畳で覆われた前庭も、宮殿の門と旧城館の半ばに存在する厩舎も、あらゆる物が対称的に創られている。

 これはアルデミラン宮殿が改築された時期……ラマル五世が幕下にいた傭兵に爵位を与えたことに起因する。

 伝統と格式を誇る旧貴族から見れば新貴族は粗野な成り上がり者に過ぎず、新貴族から見れば旧貴族は血統だけが取り柄の無能に過ぎなかった。

 つまり、軽蔑し合っている新旧貴族が顔を突き合わせたら流血沙汰になりかねないという理由でアルデミラン宮殿はシンメトリックな構造になり、東館に旧貴族、西館に新貴族が集まるようになったのである。

 クロノ達を乗せた箱馬車は旧城館入口前で停止した。


「クロノ様、到着したであります」

「ありがとう、フェイ」


 フェイが馬車の扉を開け、クロノはゆっくりと外に出た。

 舞踏会に参加するためクロノが着ているのは黒を基調とした軍礼服、フェイが着ているのは白を基調とした軍礼服である。

 ちなみに四人の騎兵が着ているのは軍礼服を模したデザインの服だ。


「月が綺麗だね」

「いつもと一緒であります」


 クロノが天頂付近に浮かぶ月を見上げて言うと、フェイはきっぱりと言い切った。


「いや、良いんだけどね」

「?」


 不思議そうに首を傾げるフェイから馬車に視線を移すと、軍礼服を模した衣装に身を包んだ養父と黒のドレスに身を包んだマイラが降りる所だった。

 マイラが着ているのは肩紐のあるビスチェにひらひらしたスカートを足したような、イブニングドレスに近い形状のものだ。


「ホント、久しぶりに昔の自分に戻った気分だわ」


 次いで降りてきたエレナはワンピース型のドレスを着ていた。

 ドレスの各所にはフリルが施され、スカート部分は骨組みによって広がっている。


「だ、旦那様……おかしくないでしょうか?」


 最後に降りてきたのはドレスに身を包んだレイラだ。

 マイラと似たようなデザインのドレスだが、肩紐はなく、生地の色は白だ。

 レイラは恥ずかしそうに胸の辺りを手で隠そうとしている。


「あの、私のようなハーフエルフが御一緒して宜しかったのでしょうか?」

「いざとなったら、父さんが何とかしてくれるよ」


 もの凄く他力本願だが、こういう時にクロード・クロフォードは強い。


「……さて」


 クロノはレイラの肩を抱き、エレナを抱き寄せて歩き出した。

 近衛騎士の証である白い軍服を着た兵士が旧城館の扉を守るように立っていた。

 クロノとレイラが扉に近づくと、二人の兵士は無言で頷き合った。


「待て、ここは卑しいハーフエル……っ!」


 二人の兵士が槍を交差させて行く手を阻むと、養父は二人の頭を掴み、扉に叩きつけた。

 扉が開くと同時に養父は二人の兵士を投げ捨てる。

 二人の兵士は床を転がり、すぐに立ち上がって槍を構えた。


「き、貴様!」

「この無礼者が! ここをラマル五世の城館と知っての狼藉か!」

「バカヤロウ! 息子の愛人を捕まえて卑しいだのホザく輩が無礼だの、狼藉とか、口にするんじゃねえ!」


 養父が一喝すると、二人の兵士は悔しそうに歯噛みした。

 城館のホールで歓談していた貴族は会話を止め、嫌悪感も露わに養父を睨む。

 だが、養父はそんな状況すらも楽しいと言うように獰猛な笑みを浮かべた。


「待ってくれんか、クロフォード男爵」

「あ?」


 騒ぎを聞きつけたのか、白い軍服に身を包んだ大男が割って入る。

 養父も背が高い方だが、その男は大型亜人に匹敵する体躯の持ち主だった。

 年齢は五十くらいだろうか。

 短く刈り込んだ髪は白髪交じりのブラウン、胸板は装甲板のように厚く、腕は牛を縊り殺せそうなほど太い。

 戦歴を物語るように無数の傷が顔に刻まれているが、瞳は円らで、弱り切ったように頭を掻く姿は不思議と愛嬌がある。


「おお、エルナトじゃねえか」

「クロード殿は幾つになってもクロード殿ですな」


 エルナト……多分、第二近衛騎士団を預かるエルナト伯爵だろう……は呆れ果てたように溜息を吐いた。


「部下の非礼に関してはお詫び申し上げる。こちらの……お嬢さんに関しては部下に客人として扱うように通達しておくので、ワシの顔を立てると思って、怒りを収めて下さらんか?」

「分かった。けど、同じことを繰り返したら……分かってるよな?」

「かたじけない。二人とも持ち場に戻れ!」


 エルナト伯爵の面子を潰せないと考えたのか、二人の兵士の顔は無表情を取り繕って元の位置に戻った。


「クロード殿、そちらが?」

「ああ、俺のだ」

「初めまして、エルナト伯爵」


 レイラとエレナから離れ、クロノはエルナト伯爵に敬礼した。

 ケフェウス帝国軍におけるスタンダードな敬礼は右拳で左胸を抑えるというもので、格下の者が先に敬礼することが慣習となっている。


「気遣い痛み入る、クロノ殿」


 軍においてクロノとエルナト伯爵は同格の大隊長なのだが、クロノは自分をエルナト伯爵よりも格下と判断して、先に敬礼したのである。

 軍学校時代を含めても軍人歴三年未満のクロノと歴戦の猛者であるエルナト伯爵が同格なのは軍の編制によるものである。

 ケフェウス帝国軍は大隊を編制の最小単位として拠点に配している。

 兵員と兵種の割合の目安は存在しているのだが、クロノが預かる大隊のように兵員は千人強いるのに騎兵は二十人しかいないという偏った編制になっている所も少なくない。

 戦時は状況に応じて各地から大隊を招集、あるいは中抜きして一万以上の兵を擁する軍団を編制、軍のトップである皇軍長が軍団長を指名し、皇帝陛下が任命するという段階を踏むことになる。

 つまり、帝国軍における最上級の階級は大隊長なのである。


「クロノ殿の武勲は聞き及んでいる。正直に言えば、領主に任命されたことも、大隊指揮官となったことも、快く思っていなかったが、クロード殿の息子とあらば納得できる」

「いえ、私が過分な名誉を賜ったのは部下のお陰です。あの時、部下が命を賭して戦ってくれたからこそ、こうして私は生きていられるのです」


 エルナト伯爵は養父に向き直り、野太い笑みを浮かべた。


「……クロード殿は親としても一流ですな」

「ガハハッ! そうだろう、そうだろう!」


 高笑いしながら、養父は西館に向かって歩き出した。


「アンタにも年上を敬う気持ちがあったのね」

「僕は常に礼儀を弁えてるよ」

「目を開けたまま、寝言を言えるなんて感心するわ」


 憎まれ口を叩き、エレナはクロノの腕に自身のそれを絡めた。


「あたし、あまりダンスが得意じゃないのよね」

「旦那様、私は踊れないのですが?」


 レイラが遠慮がちにクロノの手を握り締める。


「ダンスの心配はしなくて大丈夫だと思うよ」


 長い廊下を突き進むと、重厚な扉が見えた。

 扉の脇に控えていた女官が扉を開けると、舞踏会場で飲んだくれる老人達の姿が飛び込んできた。


「あ~、そういうこと」


 舞踏会場の床に敷かれた高そうな絨毯と酒樽、料理を見つめ、エレナは呆れたように言った。


「野郎ども、飲んでるか!」

「「「「「「「「おおっ!」」」」」」」


 クロードが呼びかけると、老人達はワイングラスや木樽ジョッキを高々と掲げた。

 奥様方はきちんとイスに腰掛け、ワイングラスを傾けながら歓談に耽っている。


「これじゃ飲み会ね」

「みんな、踊れないから」


 クロノは老人の一人から大麦酒ビールが注がれた木樽ジョッキを受け取り、一気に仰いだ。


「良い飲みっぷりだ!」

「流石、団長の息子だ!」

「そうだろ!」


 養父に背中を叩かれながら、クロノは苦笑いを浮かべた。

 老人達はクロノがクロードの息子でないと知っているが、まるで本当の息子のように扱ってくれる。

 そのことが嬉しくもあり、元の世界で自分のことを心配している家族に申し訳なくもある。


「ねえ、少し席を外して良い?」

「構わないけど、すぐに戻るんだよ」


 ええ、とエレナは満面の笑みを浮かべて頷いた。

 舞踏会場から出て行くエレナを見送り、


「……フェイ」


 クロノは手招きすると、フェイは無言で……ハムスターのように料理を口一杯に頬張った状態で片膝を突いた。

 もぎゅ、もぎゅ……ごくん、とフェイは料理を飲み下し、満足そうに微笑んだ。


「……君、貴族じゃなかったけ?」

「爵位と食欲は別物であります」


 他の人に頼みたい所だが、旧貴族のいる東館に行って怪しまれそうにないのはフェイだけである。


「フェイ、エレナの護衛を頼む」

「……了解したであります」


 フェイは名残惜しそうに料理を眺め、


「フェイの分は取っておくから」

「分かったであります!」


 フェイはクロノに敬礼し、舞踏会場から飛び出した。



 チェンバロの音色が流れる。淡々と、一定のリズムで刻まれる音色は機械的だが、そこに笛と打楽器の音が加わることでチェンバロの音色は深い哀愁を帯びる。

 そんな音に満たされた舞踏会場で旧貴族は緩やかなステップを踏み、体を揺らし、わずかに手が触れ合った瞬間、はにかむような笑みを浮かべる。

 まるで、そこに愛が存在すると信じているかのように。

 あたしもあんな感じだったのね、とエレナはワイングラスを手に舞踏会の様子を眺めていた。


「……フィリップ」


 自分を裏切った婚約者の名を呟き、エレナは静かに目を閉じた。

 クセのある金髪、浅く焼けた肌、優しげな瞳。

 エレナが本で得た知識を披露すると、フィリップは決まって困ったように微笑んだ。

 目を開くと、彼は見知らぬ女と踊っていた。

 彼は近衛騎士の証である白い軍服に身を包み、朗らかに笑っていた。

 近衛騎士は軍のエリートだ。

 格式ある貴族か、卓越した実力の持ち主か……何らかの手段で上役に気に入られなければ入団試験さえ受けられない。

 多分、フィリップは叔父と共謀してグラフィアス家の財産を奪い、上役に賄賂でも渡したのだろう。

 エレナはワイングラスを胸の高さまで持ち上げ、手を離した。

 ワイングラスが砕ける音が響き、フィリップは反射的にエレナを見つめ……まるで亡霊でも見たように顔を強ばらせた。


「久しぶりね、フィリップ」


 エレナは笑みを深め、踵を返した。

 さあ、追ってきなさい。

 あたしはアンタを殺すために来たんだから。



 扉が開いた瞬間、喧噪が止んだ。

 ティリア皇女の美しさに言葉を失ったからではなく、ティリアが吹き飛ばさんばかりの勢いで扉を開けたせいで、びっくりして会話を中断したのだ。

 ティリアは純白のドレスに身を包んでいた。

 ドレスのデザインはマイラとエレナが着ていたドレスを足して二で割ったような感じ。

 ただし、ネックライン……これでもか! これでもかっ! とビスチェは胸の部分が大きく開き、骨組みによって広がったスカートはフリルで装飾されている。


「……クロノ!」


 ティリアは床を踏み抜かんばかりの勢いでクロノに歩み寄り、傲然と胸を張った。

 もはや、けしからんとしか言いようのない胸である。

 ホントにけしからん。


「どうして、こんな所で……床に座って、大麦酒ビールを飲んでいるんだ?」


 烈火の如く罵声を浴びせ掛けられるかと思いきや、ティリアの口調は尻すぼみに小さくなり、最後は純粋な疑問系になっていた。

 クロノは立ち上がり、


「……新貴族だし」

「何故、私の胸を見ている」

「ティリアの本体は胸だと思うんだ」

「もう酔ったのか?」


 クロノが真剣に言うと、ティリアは呆れたように肩を竦めた。


「おい、息子」

「何?」


 養父はクロノの首を脇に抱え、ティリアから十メートルほど離れた場所でしゃがみ込んだ。


「あのオッパイは何者だ?」

「ティリアだよ、第一皇位継承者のティリア皇女」

「……あの女は止めておけ」

「どうして?」


 クロノが言い返すと、養父は呻くように口元を押さえた。


「あの女は手にあまる」

「あまるね、僕の手に」


 わきわきとクロノは手を閉じたり、広げたりした。


「良いか? お前はそれなりに女を知って、自信を付けたかも知れねえが、そういう時が一番やべえ」


 養父は新兵を窘める古参兵のような口調で言った。


「例えるなら、お前は狼の皮を被った羊、あのオッパイは生まれながらの獅子だ。力ずくで犯される可能性も否定できねえ」

「まさか、相手は皇女だよ」

「強姦されたくなけりゃ、油断だけはするな」


 養父の忠告を軽く流し、クロノはティリアに歩み寄った。


「話は済んだのか?」

「まあね」


 頷くと、ティリアはクロノの手を掴んだ。


「行くぞ」

「ちょ、ちょっと」


 ティリアは抗議を無視して西館の廊下、旧城館のホール、東館の廊下を抜け、旧貴族が集う舞踏会場にクロノを引き摺っていく。

 ティリアが吹き飛ばさんばかりの勢いで扉を開くと、舞踏会場にいた旧貴族の視線がティリアとクロノに集中する。

 好奇心、敵愾心、侮蔑……そんな視線をものともせず、ティリアは胸を張り続ける。

 そんなティリアに気圧されたように旧貴族達は一人、また、一人と視線を背け、数分も経たない内に舞踏会場は舞踏会場らしさを取り戻した。

 確かにティリアは生まれながらの獅子だ、とクロノは苦笑した。


「堂々としていれば、大丈夫じゃないか」

「それが難しいんだよ」

「やあ、君が今のエラキス侯爵だね?」


 声のした方を見ると、一人の女性がクロノに歩み寄った。

 年齢は二十歳くらいだろうか。

 身長はクロノよりも頭半分高く、女性にしては筋肉質な体つきをしている。

 マイラが着ていたようなビスチェタイプのドレスを着ているが、残念ながら胸は真っ平らに近い。

 顔立ちは中性的、優しげな目付きをしているが、皮肉げに口の端を吊り上げているためか、無理して悪ぶっているような印象を受ける。


「彼にボクを紹介してくれないかな、ティリア皇女」

「……はリオ・ケイロン伯爵、第九近衛騎士団の団長を務めている」


 挑発的なリオの言葉にティリアは苦り切った口調で応じた。


「フフッ、初めましてクロノ・エラキス侯爵」

「初めまして、リオ・ケイロン伯爵」


 ケイロン伯爵がクロノの腕に胸を押しつける。

 微妙に、柔らかいような気もする。


「これから、ボクの屋敷に行かないか?」

「男が男を誘ってどうする!」

「どうだい、忘れられない夜にしてあげるよ?」


 ティリアを無視して、ケイロン伯爵はクロノの首に手を回した。

 べっとりと口紅を塗り、鼻が痛くなるほど香水の匂いがキツい。


「ティリア皇女は男と言うけれど、心は女のつもりさ」


 心は女……つまり、性同一性障害ということだろうか。

 リオ・ケイロン伯爵が六柱神の誰を信仰しているかは分からないが、セクシャルな問題に寛容なのは『漆黒にして混沌を司る女神』くらいなものである。

 彼は自分の有り様を受け入れるのに苦労したんだろう、と思う。

 もっとも、クロノはリオ・ケイロン伯爵の苦労を想像することしかできないし、彼の誘惑に乗る覚悟もないのだけど。


「……友達からじゃダメ?」

「クロノ! そいつは男だぞ!」

「いやいや、男同士だから友達から始めようって言ったんだよ」


 リオ・ケイロン伯爵は不思議そうに目を瞬かせた。


「構わないさ、友達からで」

「友達として言いたいことがあるんだけど、もう少し自然なメイクを心掛けた方が良いんじゃない?」

「やれやれ、口紅が取れてしまったじゃないか」


 クロノが指で口紅を拭うと、リオ・ケイロン伯爵は芝居がかった仕草で肩を竦めた。


「それから、香水の匂いがキツい」

「君は容赦がないね。香水は無理だけど、化粧はすぐに直すよ」

「化粧が済んだら、西館で飲まない?」

「フフフ、今夜は美味しいお酒が飲めそうだよ。じゃあ、ボクは舞踏会場の入口で待っているからね」


 妖艶な笑みを浮かべ、リオ・ケイロン伯爵はクロノに背を向けた。


「クロノ、歩くぞ」


 ティリアは豊かな胸をクロノの腕に押しつけ、舞踏会場を歩き始めた。

 旧貴族達が成り上がり者が調子に乗って的な視線をクロノに向ける。


「実は……この舞踏会は私と有力貴族の見合いを兼ねているんだ」

「僕は場違いなんじゃない?」

「今は私の婚約者として相応しくないが」

「だから、ティリアが落ちぶれてくれないと」

「そうそう、私が落ちぶれないとな……お前は馬鹿か!」


 意外にノリが良いなあ、とクロノはノリツッコミするティリアに感心した。

 ティリアは恥ずかしそうに頬を朱に染め、コホンと咳払いをした。


「どうして、私が落ちぶれなければならないんだ! お前が武勲を立てるなりして出世しろ!」

「戦いは苦手なんだよ」

「覇気のないヤツめ。少しはレオンハルト殿を見習え!」

「レオンハルト?」

「あそこで女に囲まれているだろう」


 ティリアが顎をしゃくって示した方を見ると、一人の男が女性達に囲まれていた。

 男……レオンハルトは二十歳くらいの美丈夫だった。

 身長はクロノよりも頭一つ分高く、白い軍服の上からでも分かるほど肉体は鍛え上げられ、その姿はクロノに鞘に収められた刀をイメージさせた。

 髪は金髪、気障ったらしい巻き毛が悔しいくらい似合っている。真冬の空を連想させる蒼い瞳は怜悧を通り越して酷薄ですらある。


「レオンハルト・パラティウム……パラティウム公爵家の嫡男で、軍学校を首席で卒業後に第一近衛騎士団に配属され、神聖アルゴ王国が中立地帯を越えて侵攻してきた時は初陣にも関わらず、敵の将軍を討ち取った猛者だ。神威術の使い手でもあり、『聖騎士』と呼ばれている」

「チート加減が酷すぎる」


 クロノがありったけの憎悪を視線に込めて睨み付けると、レオンハルトと目が合ってしまった。

 目を逸らすまいと努力したが、クロノはあっさりとレオンハルトに気圧されて視線を逸らした。


「情けない」

「……僕もそう思う」


 とはいうものの、纏っている空気が違うのだ。

 まるでレオンハルト自身が光を放っているかのように眩く、本能的な部分で負けを認めてしまった。


「パラティウム公爵とは友達にならないのか?」

「あんなチート野郎と一緒にいたら、劣等感で心を病むと思う。でも、そんな相手に群がれるんだから女の人って凄いよね」


 クロノはレオンハルトを取り巻く女性達に目を向け、そこに見知った顔を見つけて溜息を吐いた。


「……フェイ」

「クロノ様!」


 呼んだつもりはないのだが、フェイはクロノに歩み寄り、背筋を伸ばした。


「……フェイ、仕事は?」

「エレナ殿なら、バルコニーの方に行ったであります」


 その言葉を聞いて、血の気が引いた。


「ティリア、待ってて! フェイ、相手をするんだ!」


 ティリアをフェイに押しつけ、クロノはバルコニーに走った。



 エレナはバルコニーの手すりに体重を預け、フィリップを見つめた。

 フィリップは額に脂汗を浮かべ、何も話そうとしない。


「し、心配していたんだ、エレナ。今までどうしていたんだい?」


 エレナはあまりの馬鹿さ加減に吹き出しそうになった。

 自分で陥れた相手に何を言うかと思えば、『心配していた』である。

 これで少しでも心労の痕跡があれば信憑性も増すが、舞踏会で楽しそうに踊っている時点で欠片も心配していなかったと分かってしまう。


「屋敷が盗賊に襲撃された後、奴隷商人に売られたのよ」

「……っ!」


 フィリップの頬が引き攣る。


「酷いもんだったわ。商品価値が下がるから強姦はされなかったけど、アイツらって暴力的なのよね。逆らったら殴る、口答えすれば殴る、見せしめのために殴る。狭い地下牢に押し込められて……それでも、あたしは信じてた。アンタが助けに来てくれるって信じてたのよ!」


 フィリップは阿呆のように口を開けたまま、エレナの叫びを聞いていた。

 そして、ヘラリと笑った。


「で、でも、君は助かったんだろ?」

「ええ、性奴隷として買ってくれた人がいたのよ」

「そ、その人にお礼を言わなければいけないね」


 そう? とエレナは悪意を込めてフィリップに微笑みかけた。


「言ったでしょ? あたしは性奴隷として買われたの」

「けど、もう大丈夫だよ」


 虚飾を織り交ぜて言うと、フィリップはエレナに向かって足を踏み出した。

 もう少し近づきなさい、とエレナは腕を組んだ。

 腕には暗器……細身のナイフを包帯で固定している。


「……っ!」


 ナイフを引き抜くよりも早く、フィリップはエレナの首を掴み、腕を突き出した。

 エレナをバルコニーから突き落とそうとしているのだ。


「フィリップ、アンタ!」

「君がいけないんだよ、エレナ」


 エレナはエビぞりになりながら、フィリップを睨み付けた。


「大人しく飼われていれば良いのに、しゃしゃり出て」

「あ、アンタが、母さんまで殺したからでしょうが!」

「あれは君の叔父さんがやったんだ」

「こ、殺してやる!」

「このナイフで?」


 フィリップはドレスの袖からナイフを抜き取り、下卑た笑みを浮かべた。


「……今だから言うけど、僕は君が嫌いだったよ。準貴族のくせに、金があるから、知識があるからとそれをひけらかす!」

「あたしは、そんなことしてない!」

「嘘を吐くな! お前に金と知識をひけらかされるたびに、僕は惨めさで気が狂いそうだった!」


 エレナは言い返そうと思ったが、音が漏れるばかりだった。


「今の婚約者は馬鹿だけど、可愛いよ。女は馬鹿なくらいが丁度良い。間違っても学のある女なんて婚約者にするべきじゃない!」


 フィリップがナイフを振り上げ、


天枢神楽てんすうかぐら!」


 飛来した漆黒の球体がフィリップの腕を包み込んだ。


「……ひぃっ!」


 フィリップは悲鳴を上げ、エレナとナイフから手を離した。

 漆黒の球体が消滅した次の瞬間、ナイフの柄が床に落ちて乾いた音を立てた。

 エレナは獣のように四つん這いになり、新鮮な空気を貪った。

 見上げると、クロノが険しい表情を浮かべて立っていた。



 間に合って良かった、とクロノは男とエレナの間に立ち、胸を撫で下ろした。


「エレナ、立てる?」

「……ええ」


 エレナは喉を押さえながら立ち上がり、クロノに身を寄せた。

 こいつがフィリップか、とクロノはエレナの元婚約者を見つめた。

 白い軍服を着ているので近衛騎士の一人のようだが、あまり特筆すべき所のない男である。

 特徴を列挙すれば金髪、碧眼で中肉中背、美しくもなければ醜くもない……特徴がないのが特徴という感じだ。


「ああ、貴方がそいつの飼い主か」

「ご主人様だよ」


 フィリップは蔑むような視線をクロノに向けた。

 何か、こう……自分に理解できないものを見下すような視線である。


「で、僕のエレナが何か?」

「卑しい奴隷が舞踏会場に迷い込んできたから、打擲しようとしただけだ」

「分かったけど、人の財産を傷つけるなんて何様のつもり?」


 フンとフィリップは鼻で笑った。


「……だったら、損害を賠償しよう。いや、その性奴隷を買い取ってやるから、好きな額を言えよ」


 視線を下ろすと、エレナは縋るような目でクロノを見上げていた。

 売らないわよね? と小さく唇が動く。


「エレナはあまり素直じゃなくてね、これでどう?」


 クロノが人差し指を立てると、フィリップは貴族にあるまじき笑みを浮かべた。


「金貨百枚か、中古の奴隷相手に吹っ掛けるもんだな」

「残念、桁が違う」

「中古だもんな、金貨十枚が妥当か」


 フィリップは腹を抱えて笑った。


「それも桁が違う。これでも僕はエレナが気に入っているんだよ。生意気だけど、怯えた時の表情が堪らなくてね。ついついイジメ過ぎちゃうんだ」

「だから、金貨千枚?」

「三桁違う。僕からエレナを買い取りたいんなら、金貨百万枚持って来なよ」

「馬鹿を言うな!」

「……大真面目だよ」


 クロノはエレナをフィリップに向き直らせ、背後から抱き締めた。


「もうエレナは君のものじゃない」

「くっ、失礼する」


 襲い掛かってくると思ったが、フィリップはバルコニーから立ち去った。

 ガリッと指を噛まれ、クロノは慌ててエレナの口から指を引き抜いた。


「……母さんの仇を取れなかったわ」

「復讐は止めて欲しいなぁ」

「アンタは! 当事者じゃないから言えるのよ!」


 振り向き、エレナはクロノの胸ぐらを掴んだ。


「当事者じゃないから、エレナに手を汚して欲しくないって言えるんだよ。もし、僕がエレナの立場だったら、復讐で何も考えられなくなるだろうけどね」

「……お礼は言っておくわ。助けてくれて、ありがとう」

「お礼を言われてる感じがしないね」

「嫌味に決まってるでしょ!」


 エレナは俯き、小さく肩を震わせた。


「エレナ?」

「……っ!」


 クロノが声を掛けると、突然、エレナは顔を上げた。

 真っ白い光が目の前で炸裂し、鉄臭い味が口に広がる。


「……お礼のキスよ」

「アグレッシブなキスだね、血の味がする」

「あたしも一緒よ」


 ぐいっとエレナは唇から垂れる血をドレスの袖で拭った。


「キスは嫌なんじゃなかった?」

「嫌よ」

「これからどうする?」

「不発だったけど、あたしの用事は済んだし、西館に戻りましょ」


 エレナはクロノの腕を掴んで歩き出した。


「おおっ、クロノ! お前の部下とは思えないくらいフェイは素晴らしい騎士だな!」


 舞踏会場に戻ると、ティリアが興奮した面持ちで言った。


「どうしたの?」

「うむ、二人で少し話しただけだが、フェイは私の苦労を理解してくれている」

「フェイ、何をしたの?」

「我が弟子より授かった奥義『おべっか』を使ったであります!」


 ピュ~ルリと凍てついた風が吹き抜け、ティリアの顔が引き攣った。


「フェイ……私の家臣になれと言ったが、撤回する」

「何故でありますか?」

「私の家臣におべっか使いは必要ない!」

「またしても出世の道が閉ざされてしまったであります」

「僕は西館に戻るよ」

「わ、私も行くぞ」


 ティリアはクロノの腕を掴み、反対側にいるエレナを睨み付けた。


「やあ、化粧を直したよ」


 リオ・ケイロン伯爵と合流し、西館に戻る途中……旧城館のホールで禿頭の老人が喚き散らしていた。

 老人の足下には箱……蓋が開いて、ミイラのようなものが飛び出している。

 ミイラは下半身が魚、上半身が人間っぽい何かだ。

 落とした衝撃によってか、腕が折れてしまっている。


「……レイラか」


 老人が怒鳴りつけているのはレイラだ。

 やや離れた場所にレオンハルトが立っている。


「卑しいハーフエルフめが! 一体、私がどんな苦労をして、この人魚を捕獲したと思っている!」

「も、申し訳ありません」


 レイラは平謝りしているが、老人の怒りは収まりそうにない。


「いいや、お前は分かっておらん! 大体、学のないハーフエルフ如きに人魚の価値が分かって堪るか! これは神が作りし神秘の生物、貴様らハーフエルフは……」

「行ってくるよ」

「放っておけ、クロノ」


 クロノはティリアの制止を振り切り、一人で老人に近づいた。


「あの、僕の愛人が何か?」

「旦那様」


 クロノはレイラを庇うように老人の前に立った。

 老人はさておき、レオンハルトが近くにいるだけで足が震える。


 何だ、生物として格の違いでも感じているのか?


「貴様がハーフエルフの飼い主か! これはティリア皇女への貢ぎ物だったのだぞ! それを、そこのハーフエルフが壊したのだ!」

「はあ、申し訳ありません」


 クロノが素直に謝罪すると、老人は言葉を失い……この騒ぎを観戦していた貴族も静まり返った。


「いいや、分かっておらん!」

「……御老体」


 レオンハルトは静かに歩み出て、落ち着きのある声で老人に呼びかけた。


「貢ぎ物を壊された苛立ちは分かるが、貴方も貴族が謝罪する意味を理解すべきではないかな?」


 老人はレオンハルトを睨み付けたが、気圧されたように後退った。


「そうそう、レオの言う通りさ。ちなみに君が頭を下げさせたのは……クロード・クロフォード男爵の息子さんだよ。もちろん、クロノ殿自身も相当な武勲の持ち主だけど」

虐殺者スローター……クロード・クロフォードかっ!」


 リオ・ケイロン伯爵が茶化すように言うと、老人は今度こそ顔を青ざめさせた。


「ティリア!」

「皇女を呼びつけるな!」


 と言いつつ、近づいてきたティリアの肩を叩き、


「ティリア皇女です。存分に貢いで下さい」

「おおっ、皇女様!」

「ティリア、頑張れ!」


 覚えていろぉぉぉ! と叫ぶティリアをホールに残し、クロノはレイラの手を掴み、西館の舞踏会場に逃げ込んだ。

 西館の舞踏会場は相変わらず……何人も酔いつぶれ、マイラがエルフ達に熱弁を振るっている以外は何も変わらない。


「遅いじゃねえか!」

「いや、色々あってさ」


 舞踏会場の入口を見ると、エレナ、フェイ、リオ・ケイロン伯爵……かなり遅れてレオンハルトが入ってくる所だった。


 何故、アイツがここに来るんだ?


 首を傾げながら、クロノはレイラと絨毯に座り、ワイングラスを手に取った。


「酷いじゃないか、ボクを置いてイクなんて」

「リオ・ケイロン伯爵」

「リオで良いよ、ボクもクロノって呼ぶから」


 全く遠慮せずにリオはクロノの隣に座り、


「これが大麦酒ビールかい? ふふ、こんな庶民の飲み物を口にしたと言ったら、父さんは自殺してしまうね」

「ああ、怒られてしまうな」


 リオとレオンハルトは木樽ジョッキを煽り、プハーッ! と息を吐いた。


「どうして、レオンハルト様がここに?」

「ボクが呼んだからさ」

「迷惑だっただろうか?」

「イエ、ソンナコトハ」


 レオンハルトに真顔で尋ねられ、クロノは肩を竦めた。

 取り敢えず、酔おう、酔ってしまおう。

 クロノは大麦酒ビールを煽り、料理を口に運んだ。

 一時間と経たない内にクロノとリオは酔い潰れる寸前、レイラは色っぽい感じで酔っぱらい、エレナは絨毯の隅で寂しそうにワイングラスを傾け、フェイは酒に手を付けず、料理を頬張り続けている。

 クロノとリオを上回るハイペースで飲み続けたのにレオンハルトはケロッとしている。


「……クロノ殿、一つ聞きたいことがあるのだが?」

「何でしょう?」

「私は貴殿と遭うのは初めてのはずだが、何故、東館の舞踏会場で私を睨み付けていたのだろう?」


 そういえば睨んだな、とクロノは頭を左右に揺らしながら記憶を漁った。


「……ティリア皇女に貴方の武勇を聞かされ、このチート野郎! とガラにもなく敵愾心を」

「なるほど」


 レオンハルトはようやく合点が言ったというように頷いた。


「小さい人間で申し訳ない」

「いや、真に度量の小さい人間はハーフエルフのために謝罪することなんてできないだろう。むしろ、何故、貴殿はハーフエルフのために謝罪することができたのか、真意を伺いたいのだが?」

「僕はハーフエルフが迫害される理由の方が分からないんだよね。どうして、ハーフエルフを卑しいとか言うんだろ?」

「それはエルフが人間よりも下等な生物であり、ハーフエルフはどちらの血も中途半端にしか受け継いでいない下等な生物だからではないか?」


 しんと辺りが静まり返るが、レオンハルトは悪びれた様子がない。

 クロノはレイラを抱き寄せ、


「いやさ、下等上等は帝国の価値感な訳じゃない? 基本的にエルフは人間の近縁種な訳だから、上下の判断をするのは間違いだと思うんだよね、僕は」


 クロノの知識は義務教育終了レベルで止まっているが、中学校の授業によれば染色体の数が一致していなければ子どもはできないはずである。

 人間とエルフが交雑してハーフエルフが生まれるのならば生物学的な分類上、両者は極めて近しい種のはずだ。


「待て、近縁種とは何だ?」

「進化……分化になるのかな? エルフから人間が別れたのか、人間からエルフが別れたのか調べようがないけど」

「貴殿が何を言っているのか、分からない」


 クロノとレオンハルトは顔を見合わせ、首を傾げた。


「進化だよ」

「進化とは何だ?」

「えー、進化って言うのは生物が環境や突然変異とかで、変わったり、別の種に枝分かれすること。例えば……」


 クロノはレオンハルトに手の平を向け、


「中指が人間、人差し指がエルフ、薬指がドワーフ、親指と小指は猿……んで、手首に近づくほど、古い時代になると考えて……木の枝の方が分かり易いかな?」

「つまり、人間も、エルフも、ドワーフも、猿も同じ祖先を持つと言いたいのか?」

「おおっ、その通り!」

「馬鹿な、それは神に対する冒涜だ!」

「でもさ、神様がありとあらゆる生物を創ったのなら、人間とエルフが交雑できるのはおかしくない? それだったら、人間とエルフが共通の祖先から枝分かれして、最も近い種だから、ハーフエルフが生まれるって考えた方が自然だと思うんだよね。そもそも、神話だって人間が編纂した訳で、誰も神代のことなんて見ていないんだから」

「……」


 レオンハルトは考え込むように押し黙った。


「まあ、証拠は出せないから……酔っぱらいの戯れ言だと受け流して」

「ならば、我が神は何処におわすのか?」


 途方に暮れたようにレオンハルトは天井を見上げた。


「六柱神は火、水、土、風、闇、光の化身だから……そこら中にいるんじゃない? 大麦酒ビールだってさ、大麦は土から生え、水と光を浴びて……結論、大麦は神様が育ててます」

「六柱神の恵みを受けているのならば、貴賎を問うのは傲慢ということか」


 クロノとレオンハルトは木樽ジョッキで改めて乾杯し、大麦酒ビールを煽った。


「クロノ!」


 ティリアの声が舞踏会場に響き渡る。

 ティリアは床を踏み抜かんばかりの荒々しい足取りで歩み寄り、リオを押し退け、クロノの隣に座った。

 脇に人魚のミイラを抱えている姿はかなり間抜けだ。

 折れた部分から針金らしきものが覗いているので十中八九偽物だ。


「よくも私を置き去りにしてくれたな!」

「まあまあ、ワインでも飲んで」

「こんなもので騙されるか」


 ティリアは豪快にワインを飲み干し、


「良い飲みっぷりだね、ティリア」

「そうか?」

「流石、皇女さ」


 そう言って、リオは空になったティリアのグラスにワインを注いだ。

 ティリアは再びワインを飲み干し、


「僭越ながら、私が」

「レオンハルト殿、申し訳ない」


 すかさず、レオンハルトがワインを注ぐ。

 ティリアは色っぽく頬を朱に染めながらワインを飲み干し、


「ティリア皇女、私も」

「ふん、ハーフエルフの注いだワインが飲めるか!」

「申し訳ございません。ティリア皇女のような高貴な方にワインを注ぐ栄誉を授かりたかったのですが……浅ましいハーフエルフの分際で」

「ふふ、ようやく立場を理解したか。許す、私のグラスにワインを注ぐが良い」


 ティリアはレイラが注いだワインを飲み干し、


「何の話だったか?」

「嫌だな、軍学校時代の話をしていたじゃないか」

「ああ、そうだったな?」


 クロノ、リオ、レオンハルト、レイラの四連撃を受け、ティリアは騙された。


「初めて軍学校でティリアを見た時、まるで太陽のようだと思ったよ」

「そ、そうか」

「ちなみに演習で斜面を駆け下りて騎乗突撃ランスチャージかましてきた時は……死ね、このアマッ! と思いました」

「そ、そんなことを考えていたのか、お前は!」

「まあ、飲むが良いさ」


 ティリアは拗ねたように唇を尖らせ、リオが注いだワインを飲み干した。


「……去年の軍事演習は酷かったな」

「アレかい? ふふ、歩行組の逃げっぷりが最高だったさ」

「二人とも騎兵に追い回されてみなよ。怖いんだよ、アレ」


 正しく、あれは阿鼻叫喚の地獄絵図だった。

 拠点防衛の演習……ティリア率いる守備隊が騎兵を揃え、丘の上に陣取っていたのに対し、クロノが所属していた攻撃隊は軽装歩兵のみというハンディキャップ・デスマッチだった。

 今にして思えば、あの経験が神聖アルゴ王国戦で活きたような気もする。


「それから、演習で敗北した後で論戦を吹っ掛けてきた時はウザッ! と思いました」

「クロノ……もしかして、お前は私が嫌いなのか?」


 クロノはティリアを見つめて微笑み、


「否定しろ、クロノ!」

「……好きだよ」


 アルコールの作用も手伝ってか、ティリアは相貌を崩してクロノにしなだれかかった。

 しかし、手が届きそうで、届かないオッパイなのだ。


「……こんな毎日が続くと良いね」


 クロノはティリアとレイラに寄り掛かられながら小さく呟いた。もっとも、それは祈りのようなものでしかなかったが。



 聖騎士、騎士道の体現者……様々な美辞麗句で賛美されるが、レオンハルトは自分を聖騎士だと思ったことはないし、騎士道の体現者だとも思っていない。

 自分は運良く公爵家に生まれ、幼い頃から最高の教育を受け、それを活かす才能に恵まれただけの男なのだ。

 リオ・ケイロン伯爵のようにワガママに振る舞えれば少しは違った人生になっていたのかも知れないが、レオンハルトは自分が背負っているものの重みを理解し、自重するだけの理性も備えていた。

 この理性の働きによるものか、レオンハルトは何をすれば何時までに目標を達成できるのかを正確に予測することもできた。

 ただ、その能力はレオンハルトの人生を酷く味気ないものに変えていた。

 正確に予測できてしまうから、熱意を持てず、達成感もない。

 レオンハルトは自分の予測を覆す何かを探し、それらしきものを見つけた。


「……面白い男だな」


 レオンハルトは大麦酒ビールを飲みながら、小さく呟いた。

 舞踏会場でクロノと目があった瞬間、レオンハルトは胸の高鳴りを覚えた。

 彼ならば自分の予測を超えてくれるのではないか?

 いや、彼は……もっと、とんでもないことをしでかすのではないか?

 そんな予感が胸を支配している。


「よう、飲んでるか?」

「これは……クロフォード男爵」


 クロフォード男爵はレオンハルトと向かい合うように座り、歯を剥き出して笑った。


「何だな、うちの倅は馬鹿だろ?」

「いえ、そんなことは」


 独自の価値感を持っていて好ましいとすら思える。


「……大麦は神様が育ててるか」

「俺の倅らしい馬鹿台詞だ」

「蒙が啓けたような気分です」


 神は天上から人間を見下ろしているのではなく、神は森羅万象に宿っているのだ。

 今ならば、より深い次元で神威術を行使できそうだが、


「クロノ殿に」

「おう、愛すべき馬鹿息子に」


 レオンハルトは生まれて初めて酒を美味いと感じた。

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