クロの戦記ifその4「女将・エンド」
帝国暦四三四年二月末朝エラキス侯爵邸――クロノが食堂に入ると、スーとエリルが席に着いていた。
ティリアの姿はない。
というのも女帝として帝都に残って働いているからだ。
身重の奧さんを帝都に残して領地に戻る。
自分のことながらひどいことをしていると思う。
だが、だがしかし、今後のことを考えると領地のことをしっかりやっておきたかったのだ。
ワイズマン先生に領主代理をお願いして、シッターはそのサポート、ケインはカド伯爵領の代官を継続してもらって――。
そんなことを考えていると視線を感じた。
テーブルの方を見ると、スーとエリルがこちらを見ていた。
「クロノ、座ル」
「……体調が悪いのなら寝てるといい」
「大丈夫だよ」
最近は咳も出ないし、とクロノは心の中で呟き、テーブルに歩み寄った。
スーとエリルの間の席に座る。
三人がテーブルの一方に座っているのでバランスが悪く感じる。
沈黙が舞い降りる。
スーとエリルが黙っているので仕方がないが、ちょっと寂しい。
そんなことを考えているとガチャという音が響いた。
音のした方を見ると、食堂と厨房を隔てる扉からセシリーとヴェルナが出てくる所だった。
二人ともメイド服を着て、料理の載ったトレイを持っている。
二人とも望めば軍で出世できたが、セシリーは脚の怪我を理由に、ヴェルナは色々と思う所があったらしくメイドに戻ることを選んだ。
「失礼しますわ」
「失礼するぜ」
そう言って、セシリーとヴェルナは料理を並べ始めた。
料理を並べ終えた所で再びガチャという音が響く。
女将が扉を開けたのだろう。
そんなことを考えながら扉の方を見る。
すると、予想通りというべきか女将が出てくる所だった。
体調が悪いのか。
顔色があまりよくない。
こちらにやって来てエリルの対面の席に座る。
「クロノ様、別の仕事に行ってもいいか?」
「うん、い――」
「ちょっと、ヴェルナさん」
ヴェルナの問いかけに答えようとする。
すると、セシリーが割って入った。
「クロノ様達が食事を終えるまで待機って時間の無駄じゃん」
「待つのもメイドの仕事ですわ」
「……」
「何ですの、その顔は?」
ヴェルナが押し黙り、セシリーは訝しげに尋ねる。
「いや、メイドとして生きる決心をしたんだなって」
「とっくの昔にメイドとして生きる決心はしていますわ」
「それって、クロノ様に惚れたってことか?」
「惚れた? 臍が茶を沸かしますわ」
ふん、とセシリーは鼻で笑った。
ちょっと傷付く。
「で、どうよ?」
「食器の片付けは僕がやっておくから二人は仕事に行っていいよ」
「よし! クロノ様の許可が出たぜ」
クロノが問いかけに答えると、ヴェルナは拳で手の平を打った。
「行こうぜ!」
「お待ち――ああ、もう!」
ヴェルナが歩き出し、セシリーは一礼して後を追った。
女将が口を開く。
「召し上がれ」
「「「いただきます」」」
クロノ達は手を合わせ、料理に手を伸ばした。
パンを割ると、芳ばしい香りが湯気と共に立ち上った。
パンを頬張る。
ほのかに甘みがあって美味い。
他の二人の反応が気になって様子を確認する。
スーは無言でパンを頬張り、エリルはスプーンを握り締めたまま動きを止めている。
「どうだい?」
「…………味が濃い」
女将が問いかけると、エリルは呻くような声音で言った。
クロノはスプーンを手に取り、スープを口に運んだ。
言われてみれば味が濃いような気がする。
「ちょいと塩加減を間違ったかね?」
「エラキス侯爵、このままでは人類の至宝が失われる可能性がある。きちんとケアをして欲しい」
女将が困ったように頭を掻く。
だが、エリルはこちらを見て、地の底から響くような声で言った。
人類の至宝――いいすぎじゃないかと思ったが、エリルにはそれだけの価値があるということだろう。
「分かった」
「……期待している」
エリルは素っ気なく言ってスープを口に運んだ。
再び沈黙が舞い降りる。
まるでお通夜だ。
スーとエリルはほぼ同時に食べ終わり、ごちそうさまでしたと言って食堂を出て行った。
視線を向けると、女将は物憂げな表情を浮かべていた。
ふとエリルの――きちんとケアをして欲しいという言葉を思い出す。
「女将、何かあった?」
「ん? まあ、うん、色々とね」
女将は言葉を濁した。
それでピンときた。
こうなるんじゃないかと思っていた。
「女将、もしかして――」
「い、いや、まだ確定したって訳じゃないんだよ? でも、もしそうだとしたらあたしもいよいよ年貢の納め時かね? ははは――はぁ~」
女将はクロノの言葉を遮って言い、最後に深々と溜息を吐いた。
「安心して責任は取るから」
「そんな当たり前のことを言われてもねぇ」
「当たり前ですか」
「そりゃそうだよ。今までさんざ好き勝手やったんだから責任を取らないなんて言ったら逆さ吊りの刑にしてやる所だよ」
「逆さ吊りの刑ですか、そうですか」
女将が呆れたように言い、クロノは思わず呟いた。
想像していたよりも刑が過酷だ。
蹴りを入れられるか、泣かれるかだと思っていたのに――。
「まあ、なんだ。あたしが言いたいのは割と適当にずるずる関係を続けちまったから白黒つけなきゃってことだよ」
「今更だと思うけどな~。それに、白黒つけるって言うけど、別に僕は女将が亡くなった旦那さんのことを思ってても構わないし」
「気持ちを表明するのは大事だろ?」
「そうかな?」
「そうだよ」
クロノが首を傾げると、女将はムッとしたように言った。
「クロノ様ッ!」
「はいッ!」
突然、名前を呼ばれ、クロノは背筋を伸ばした。
女将はしばらくクロノを見つめていたが、そっと視線を逸らした。
ごにょごにょと何かを呟く。
「照れ臭いなら手紙でもいいよ」
「とにかく、側室として頑張ってくから……」
女将は口籠もり、再びこちらに視線を向けた。
「あたしより長生きしとくれよ」
「分かった。約束する」
「……」
クロノが即答すると、女将は悲しげな表情を浮かべた。
これまでのことを考えれば約束できない、あるいは善処すると言うべきなのだろう。
だが、嘘はこういう時にこそ吐くべきだと思う。
「頑張って長生きするよ」
「絶対だよ?」
「うん、絶対」
そう言って、クロノは微笑んだ。




