第19話『宣言』その3
クロノ達は階段を登る。
主塔の内側に作られた螺旋階段だ。
同じ光景が延々と続くせいか。
気分が悪くなってくる。
「長い階段だね。見ているだけでうんざりするよ」
クロノがぼやくと、先頭を歩いていたティリアが立ち止まった。
クロノ達も立ち止まる。
彼女は肩越しに視線を向けてきた。
呆れたような表情を浮かべている。
「何か用?」
「クロノ、そういう台詞は自分で登ってから言え」
「意識を取り戻したばかりの僕にひどいお言葉」
クロノはタイガの首に回した腕に力を込めた。
自分で歩きたい所だが、三日間も意識を失っていたのだ。
怠いし、熱っぽいし、あちこち痛い。
一人で螺旋階段を登るのは無理だ。
「お前の部下だって疲れてるだろうに……」
『拙者は大丈夫でござる』(がう)
ぐッ、とティリアは呻き、再び螺旋階段を登り始めた。
しばらくして扉が見えてきた。
分厚い扉だ。
その前にはジョニーが座っている。
寒いのだろう。
毛布を羽織っている。
「ジョニー、お疲れ様」
「――ッ!」
クロノが声を掛けると、ジョニーは勢いよく立ち上がった。
こちらを見て、驚いたように目を見開く。
瞳が潤んでいる。
それだけでどれだけ心配していたか分かる。
勝つために必要だったとはいえ、申し訳ない気分になる。
「兄貴、意識を取り戻したんスね!?」
「心配かけたね」
「兄貴が意識を取り戻してくれただけで十分ッス」
ジョニーは手の甲でぐいっと目元を拭った。
「扉を開けろ」
「……姐さん」
ジョニーは小さく溜息を吐き、ティリアに視線を向けた。
毛布をぎゅっと握り締め、恨みがましい目で見ている。
せめて、労いの言葉が欲しい。
心の声を代弁するとすればそんな所か。
声なき訴えに気付いたのだろうか。
ああ、とティリアは声を上げた。
「ご苦労だったな」
「もっと早く言って欲しかったッス」
「ぐぬッ!」
ジョニーがぼやくように言い、ティリアは呻いた。
「気が利かなくて済まなかっ――」
「扉を開けるッスよ」
ティリアが言い切るよりも速く、ジョニーは背中を向けた。
ぐぬッ、とティリアが再び呻く。
どうもタイミングが悪いようだ。
重々しい音と共に扉が開く。
「さあ、どうぞッス」
「お前が先に入れ」
「どうしてッスか?」
ジョニーはきょとんとした顔で言った。
「いざという時のためだ」
「大丈夫な気もするッスけど……」
「いいから行け」
「了解ッス」
ティリアが命令すると、ジョニーは渋々という感じで扉を潜った。
クロノ達も後に続く。
タイガに背負われて中に入り、軽く目を見開く。
主塔の部屋は高貴な人物を幽閉するために使われることがあると聞いた覚えがある。
牢獄のような所をイメージしていたのだが、ちゃんとした部屋だったのだ。
必要最低限ながら家具も揃っていて、日当たりも悪くない。
目的の人物――アルコル宰相はテーブルに着いていた。
「これはこれは、ティリア皇女。何のご用ですかな?」
「ふん、白々しい。お前なら予想が付くだろう」
アルコル宰相が白々しく言うと、ティリアは不愉快そうに鼻を鳴らした。
皇位継承権を失う原因を作った人物だから当然か。
「私はアルフォートを倒し、皇位を取り戻したぞ」
「それはおめでとうございます。父君――先帝陛下もさぞお喜びのことでしょう」
「貴様――ッ!」
「ストップ!」
ティリアが激昂し、クロノは声を張り上げた。
軽く咳き込む。
なかなか咳が治まらない。
ジョニーが背後に回り込んで擦ってくれた。
少しだけ気分が楽になる。
「兄貴、大丈夫ッスか?」
「ジョニー、いつも済まないね」
「俺は兄貴の舎弟ッスから礼には及ばないッス」
ジョニーは得意げに小鼻を膨らませた。
「気持ちは分かるけど、落ち着いて」
「だが!」
「落ち着いて」
「……ぐッ、分かった」
クロノが窘めると、ティリアは呻きながらも引いてくれた。
ほぅ、とアルコル宰相が感心したように息を漏らす。
「アルコル宰相も挑発するような真似はしないで下さい。貴方がティリアから皇位継承権を奪ったせいで僕らは大勢の部下を失っています。その中には僕の恋人――リオ・ケイロン伯爵もいます」
「そうか、それはすまんかった」
アルコル宰相は頭を垂れた。
本心かは分からないが、謝罪であることに違いはない。
「それで、儂に何の用ですかな?」
「クロノ、説明は任せる」
「分かったよ」
クロノは小さく溜息を吐いた。
冷静でいられる自信はない。
だが、ティリアに比べればまだマシな対応ができるはずだ。
「僕達はアルフォートを殺し、帝都を奪うことに成功しました」
「儂にどうしろと?」
「帝国は混乱状態です。混乱を治めるために力を貸して下さい」
アルコル宰相の質問に答える。
これがクロノのアイディアだ。
三十余年前、アルコル宰相は内乱で混乱した帝国を立て直した。
自分達で試行錯誤するより経験者に任せた方がいいと考えたのだ。
「断ったら?」
「死ぬだけです」
クロノは即答した。
帝国が混乱しているのはアルコル宰相がアルフォートを担ぎ上げたからだ。
協力するつもりがないのならば責任を取らせるだけだ。
「分かった。儂も死にたくはない」
「本当ッスか?」
ジョニーが訝しげな視線を向ける。
すると、アルコル宰相は苦笑じみた表情を浮かべた。
「言い直そう。死ねと言うのであれば死のうと思っとるが、帝国を立て直すために働けというのであれば死ぬ気で働こうとも思っとる」
「どっちでもいいと思ってるなんて無責任の極みッスね」
「無責任か」
ジョニーが呆れたように言い、アルコル宰相はぽつりと呟いた。
「自分のせいで何人死んだか理解していればそんな台詞は出てこないッス。少しは悪びれて欲しいもんス」
「そうかも、いや、儂は無責任だな」
ジョニーの言葉に思う所があったのだろう。
アルコル宰相は自嘲気味に呟き、居住まいを正した。
そして、深々と頭を垂れる。
「帝国のために力を尽くします」
「また私を陥れないだろうな?」
「ちょっと、ティリア」
「確認は大事だ」
クロノは手を伸ばして二の腕を叩いた。
だが、ティリアは取り合ってくれなかった。
アルコル宰相を見つめ、問い質す。
「どうなんだ?」
「お約束はできかねます」
「何だと!?」
ティリアは声を荒らげた。
無理もない。
状況によっては裏切ると言っているのだ。
彼女でなくとも怒りを覚えるだろう。
「ジョニー、首を掻き切れ」
「兄貴、いいッスか?」
ジョニーがクロノに確認する。
「お前は誰の味方なんだ!?」
「誰のって、そりゃ兄貴の味方ッス。決まってるじゃないッスか」
「ぐッ……」
ジョニーが当然のように言い放ち、ティリアは呻いた。
「アルコル宰相、聞きたいことがあるんですが……」
「儂に話せることならば何でも話そう」
「どうして、ティリアを裏切ったんですか? そりゃ、まあ、ティリアは足りない――」
「足りないと言うな!」
クロノの言葉をティリアは遮った。
小さく溜息を吐く。
とはいえ気持ちは分かる。
自分で未熟さを口にするのと他人に指摘されるのは違うのだ。
「未熟な所がありましたけど、貴方が支えてくれれば立派な女帝になれたはずです」
「……アストレア妃だ」
アルコル宰相は間を置いて答えた。
触れて欲しくない話題だったのか。
苦虫を噛み潰したような顔をしている。
もっとも、彼の心情に配慮することはできない。
多くの犠牲を出したのだ。
思い出したくない記憶だろうと話してもらわなければ困る。
「理由をちゃんと言って下さい」
「儂はアストレア妃の影響を完全に排除したかった」
「影響も何も母上に影響力などないぞ」
「三十余年前、反乱を引き起こしたのは彼女だ」
「――ッ!」
アルコル宰相が呻くように言い、ティリアは息を呑んだ。
まさか、自分の母親が原因だったとは思ってもみなかったのだろう。
「証拠はあるんですか?」
「先帝陛下は弟……アルフォート殿に皇位を譲ろうとしていたのだ。だが、アストレア妃はそれを認めなかった。しきりに不満を口にしていた。儂らはそれを止めなかった。心の何処かで彼女に共感していたのだろう」
「つまり、証拠と呼べるものは?」
「ない」
クロノが尋ねると、アルコル宰相はきっぱりと言った。
「そんなことで私を陥れたのか!?」
「そんなことではない! アストレア妃が何処まで関与していたのかは分からん! だが、内乱は起き、アルフォート殿は処刑されたのだ! 陛下の目の前でッ! それからの日々が……陛下が壊れていく様を見せつけられた儂の気持ちが分かるかッ? それだけでも許せないのにエルア殿まで……」
アルコル宰相は捲し立てるように言い、唇を噛み締めた。
力を入れすぎたせいか。
握り拳は白くなっている。
クロノは深い共感を覚えた。
アルコル宰相はラマル五世に敬意を抱いていたのだろう。
好きと言い換えてもいい。
そんな相手を壊された。
だから、陥れずにいられなかったのだ。
クロノはティリアに視線を向けた。
彼女は無表情だ。
顔面蒼白とまでは言わないが、顔色はよくない。
「母上は恨まれていたのだな」
「どうされますかな?」
「私は協力してもらう報酬としてクロード殿と母上の面会を認めた」
「――ッ!」
アルコル宰相が驚いたように目を見開く。
「クロード殿と母上の因縁についても知っている。ただの面会で終わるのならばと願っているが……」
ティリアは押し黙り、腕を組んだ。
深々と溜息を吐く。
「お前がただの面会で終わったことが許せないというのであれば話を聞く」
「姐さん、いいんスか?」
「帝国を立て直すにはアルコルの力が必要だ」
ジョニーがおずおずと声を掛けるが、ティリアは淡々と答えた。
「そうッスけど……」
「元はといえば母上が蒔いた種だ。ご自身で責任を取って頂くしかない」
ティリアは低く押し殺したような声で言った。
仕方がない、と自身に言い聞かせているようにも思える。
クロノは腕に力を込めた。
理想を掲げ、犠牲を積み重ねた。
もはや、綺麗なだけの理想ではない。
血に塗れている。
犠牲に見合うだけの未来に辿り着けるだろうか。
また誰かを犠牲にしなければならないのではないかと恐ろしくなる。
それでも、立ち止まることは許されない。
進むしかないのだ。
「これで、いいな?」
「承知いたしました。儂の全てを費やし、必ずや帝国を立て直してみせます」
ティリアが視線を向けると、アルコル宰相は深々と頭を垂れた。
「早速だが、これからどうすればいい?」
「そうですな。まず――」
ティリアが問い掛けると、アルコル宰相は何をすべきかを話し始めた。
 




