第18話『決戦・裏』その15
ラルフはイスの背もたれに寄り掛かり、深い溜息を吐いた。
パラティウム公爵が動き、レオンハルトを戦場に送り出せた。
レオンハルトはティリア皇女を殺してくれるだろう。
その後はパラティウム公爵の力を借り、旗頭を失った反乱軍を叩き潰す。
思い通りにならないことばかりだったが、ようやく自分の望む展開になった。
安心したせいだろうか。
体が重い。
息が苦しい。
胸が痛い。
嫌な汗が噴き出してくる。
死を意識させられる。
「……せめて、勝利を」
ラルフは小さく呟いた。
祈りが通じたのだろうか。
すっと胸が楽になる。
ホッと息を吐いたその時、廊下から声が聞こえてきた。
足音もだ。
訝しんでいると、副官が執務室に飛び込んできた。
「ラルフ様!」
「何だ、騒がしい」
「敵襲です! 反乱軍が攻め込んできましたッ!」
「何だと?」
ラルフは体を起こした。
「城壁が崩され、帝都の各所から煙が立ち上っています」
「反乱軍の規模は?」
「大隊規模と推測されます」
「……そうか」
ラルフは胸を撫で下ろした。
南辺境に派遣した軍が敗北したのかと思ったが、大隊規模ならばその可能性はない。
アルフォートを討ち取るために別働隊を送り込んできたのだ。
忌々しい。何処まで邪魔をするつもりなのか。
同時に安堵にも似た気持ちを抱いていた。
終わりが見えたことに対する安堵だ。
大隊規模の戦力を送り込んできた。
それは反乱軍に余力がないことを示している。
帝国軍は違う。
自由に使える兵力は第七近衛騎士団と一般兵を合わせた千余りしかいない。
だが、パラティウム公爵がいる。
ここを凌げば勝てる。
「どう、されますか?」
「城門を閉ざし、守りを固めよ」
「――ッ!」
ラルフの言葉に副官は息を呑んだ。
「何を驚いている? ここを凌げば我々の勝利なのだぞ?」
「それは分かりますが、警備兵が必死で反乱軍を食い止めている最中です」
「警備兵が?」
ラルフは思わず問い返した。
そんな命令は下していない。
「何故、警備兵が反乱軍と戦っている?」
「帝都を守ることが彼らの仕事だからです。救援を――」
「必要ない」
「火の手も上がっています!」
ラルフが言葉を遮ると、副官は声を荒らげた。
怒りからではない。
懇願するかのような表情を浮かべているのがその証左だ。
よほど警備兵や帝都を救いたいらしい。
だが――。
馬鹿馬鹿しい。
城門を閉ざせば勝てるのだ。
それなのに、どうして兵力を割り割かねばならないのか。
「で、ですが、ここで何もしなければ戦後に差し障りが……」
「貴様は……いつから戦後のことを心配できるようになった?」
「そ、それは……いえ、申し訳ございません」
副官は口籠もり、自らの非を認めた。
戦後のことを考えるなど副官の分を越えている。
まったく、どうしてこんな単純なことが分からないのか。
「城門を閉ざし、守りを固めよ」
「……」
改めて命令するが、副官は返事をしない。
縋るような目でラルフを見ている。
この場で処罰してもよかった。
だが、その時間が惜しい。
それに有用な使い方を思い付いた。
「……城門の前に防衛陣地を築き、反乱軍の襲撃に備えよ」
「――ッ!」
副官は驚いたように目を見開いた、
それだけではない。
瞳が輝いている。
「防御陣地を築き、反乱軍の襲撃に備えよ」
「警備兵との連携は?」
「全て任せる。だが、反乱軍を城内に侵入させることは許さん」
副官は大きく息を吸った。
「返事はどうした?」
「はッ! 必ずや期待に応えてみせますッ!」
副官は背筋を伸ばし、声を張り上げた。
「行け」
「はッ! 失礼いたしますッ!」
副官はラルフに敬礼すると執務室を出て行った。
「……馬鹿め」
ラルフはイスに寄り掛かり、小さく溜息を吐いた。
ああいう手合いは三十余年前にもいた。
大きな口を叩き、自分の分を弁えずに行動する。
そして、周囲を巻き込んで自滅するのだ。
それなりに使えると思って傍に置いてやったが、見込み違いだった。
本当に嫌になる。
※
※
「セシリー殿!」
「路地に入りますわよッ!」
セシリーはジードに叫び返した。
兄ならば柵を跳び越え、警備兵を一蹴できるに違いない。
生憎、セシリーは凡人だ。
天才の真似事はできない。
路地に入り、警備兵の背後に回り込む。
それが自分にできる精一杯だ。
だが、問題もある。
セシリーは帝都の地理に詳しくない。
大通りとその周辺の地理ならば分かる。
だが、どう路地が繋がっているのか分からない。
袋小路に飛び込み、状況を悪化させる可能性もゼロではない。
不意に視界が翳る。
反射的に上を見ると、人が見えた。
マントを羽織った――敵だ。
恐らく、通り沿いの建物から飛び降りたのだろう。
とんでもない真似をする。
セシリーは姿勢を低くしながら手綱を引いた。
敵を避けたい。
その一心だった。
だが、敵は難なくセシリーの真後ろ――馬上に降り立った。
やられる、と思わず身を強ばらせた次の瞬間――。
「よう! 久しぶりッ!」
「ヴェルナさん!?」
セシリーは叫んだ。
敵だと思っていたのはヴェルナだったのだ。
「どうして、こんな所にいますの!?」
「この時のために帝都に――」
「うわぁぁぁ! セシリー殿ッ!」
ヴェルナの言葉をジードが遮った。
隣を見ると、ジードの後ろに少女がいた。
見覚えがある。
確かスノウという少女だ。
「大人しくしてよ! 大人しくしてくれないと首を切っちゃうよ?」
「セシリー殿! セシリー殿ッ!」
スノウの言葉にジードは叫び声を上げた。
当然か。走っている馬に音もなく飛び乗るなんてありえない。
ましてやその相手に首を切ると言われたのだ。
ジードでなくてもパニックになる。
「落ち着きなさい! 彼女は味方ですわッ!」
「み、味方?」
セシリーが叫ぶと、ジードは落ち着きを取り戻した。
「だから、そう言ったじゃない」
スノウは唇を尖らせた。
可愛らしい仕草だが、何処か後ろ暗い感じがする。
「どうして、こんな所に?」
「こんなこともあろうかと帝都に潜んでたんだよ」
「なら道案内を頼みますわ!」
「おう!」
「皆、左右に分かれますわよ!」
セシリーは叫び、左手の路地に飛び込んだ。
※
※
セシリー隊が左右に分かれて路地に飛び込む。
ケインはそれを見て、すぐに彼女の意図を察した。
路地を通って警備兵の背後に回り込むつもりなのだ。
自分達も続くべきか。
いや、と頭を振る。
そんなことをしたら背後に回り込む意味がなくなる。
正面と背後――二つの方向に敵の意識と戦力を分散させるべきだ。
「弓騎兵は左右後方で待機、ブルーノ達は弓騎兵の護衛だ! 残りは俺についてこい!」
了解! と声が響く。
一騎の騎兵がスピードを上げ、ケインと併走する。
隣を見ると、騎兵はニッと笑った。
前歯が一本欠けている。
傭兵時代からの部下――サッブだった。
「俺達に付いてこいって言やいいと思いますぜ」
「次があればそうするぜ」
「それで、どうするんで?」
「警備兵をビビらせてやろうと思ってよ」
「なるほど、そいつはいい考えだ」
サッブは歯を剥き出して笑い、スピードを上げた。
負けじとケインもスピードを上げる。
異変を感じ取ったのだろう。
警備兵が槍を手に柵に駆け寄る。
五十人の警備兵が一列に並ぶ姿は壮観だった。
「槍を構えろ! 連中の馬は疲れているッ! 必ず! 必ず柵の前で止まる!」
年嵩の警備兵が叫び、ケインは首を竦めた。
よく分かっている。
自分達の馬はここまで走ってきたせいで疲弊している。
だが、年嵩の警備兵は勘違いしている。
「もう少し頼むぜ」
ケインが声を掛けると、馬がスピードを上げた。
柵が、警備兵が迫る。
震えているのが分かるほど近づき――。
「今だ!」
ケイン達は馬首を巡らせ、U字を描くように反転した。
年嵩の警備兵が驚いたように目を見開く。
突っ込んでくると思った相手が寸前で身を翻したのだから当然か。
そこでケインの思惑に気付いたのだろう。
ハッとしたような表情を浮かべる。
「しまっ――」
「撃てッ!」
ケインが短く叫ぶと、弓騎兵が矢を放った。
突っ込んでくると思って一列に並んだ警備兵には矢を防ぐ術がない。
悲鳴が断続的に上がり、警備兵が頽れる。
折角のチャンスだったが、いきなり命令したせいだろう。
十人も倒せなかった。
「よ~し! もう一度、仕掛けるぞッ!」
ケインは声を張り上げ、再び馬首を巡らせた。
「また来るぞ!」
「盾だ! 盾を用意しろッ!」
「盾なんて用意していません!」
「馬鹿! 扉のことだよッ!」
警備兵が盾――重ねた扉を構え、柵の後ろに立つ。
肩越しに背後を見ると、本隊が迫っていた。
「行くぞッ!」
ケインが声を張り上げた次の瞬間、警備兵の背後からセシリー達が襲い掛かった。
こちらに注意を向けていたせいで警備兵の反応が遅れる。
「う――ぎゃぁぁッ!」
「くそッ! パニックになるなッ!」
「援軍は! 援軍はまだかッ!」
「火を消しに行ってるんだ! すぐには無理だッ!」
「俺達は警備兵だぞ! 戦争屋に勝てるかッ!」
警備兵が口々に叫ぶ。
パニックに陥っている者もいるが、冷静さを保っている者の方が多い。
だが、冷静だから何とかなるというレベルではない。
警備兵の一人が言った通りだ。
こちらは戦争用の装備、彼らは治安維持用の装備だ。
警備兵はセシリー達の攻撃を受け、バタバタと倒れる。
よし、とケインは馬から下りた。
「柵を退かす! お前ら手伝えッ! 弓騎兵は援護を頼むッ!」
柵に駆け寄ると、すぐに部下がやってきた。
本隊は――すぐ近くにまで迫っている。
「柵を退かすぞ!」
「分かりやした!」
「承知しました!」
全員で動かそうとするが、柵は動かない。
いや、動きはする。
一つの柵を動かそうとすると、両隣にある柵も動くのだ。
慌てて足下を見る。
「くそったれ!」
ケインは叫んだ。
柵同士が縄で結ばれていた。
単純ながら効果的だ。
「縄だ! 縄を切れッ!」
サッブが縄を切ろうとしゃがみ込む。
だが、なかなか切れない。
その間も本隊は近づいてくる。
車輪の音が近づいてくる。
「切れやした!」
「うぉぉぉぉぉッ!」
サッブが叫び、ブルーノが雄叫びを上げて柵を担ぎ上げた。
信じられない怪力だ。
ブルーノは路肩に移動し、倒れ込むように柵を投げ捨てた。
いけるか? とケインは視線を巡らせた。
ブルーノと部下の活躍で本隊――荷馬車が余裕をもって通れるスペースができた。
「本隊のために道を空けろ!」
「分かりやしたッ!」
ケインが声を張り上げると、部下が倒れた警備兵を引き摺って通りの端に避難する。
ホッと息を吐く。
これで本隊が通れる。
その時――。
「ぎゃッ!」
短い悲鳴が上がった。
悲鳴の上がった方を見ると、部下が倒れていた。
いや、重要なのは部下ではない。
警備兵だ。
死んだと思っていた警備兵がナイフで部下を刺したのだ。
重傷ではないようだが、マズい。
次の瞬間、ガウルの乗った荷馬車が目の前を通り過ぎた。
そこに警備兵が飛び込んだ。
車輪が警備兵を巻き込み、荷馬車が跳ね上がる。
ああッ! と誰かが声を上げた。
ケインも同じ気持ちだ。
お願いだから倒れないでくれ。
頼むから持ち直してくれ。
だが、現実は無情だ。
荷馬車は大きく傾き、そのまま横倒しになった。
さらに後続が巻き込まれる。
横倒しになることこそ免れたが、通りは瞬く間に荷馬車で埋まった。
それぞれの荷馬車がばらばらの方向を向いてしまっている。
まるで絡まった糸だ。
再び隊列を組むまでどれくらい時間が掛かることか。
城の門が閉ざされる前に攻め上がるはずだったのに。
セシリー隊も動きを止めてしまっている。
「お頭、マズいですぜ」
「分かってるよ」
サッブに耳打ちされ、ケインは視線を巡らせた。
「隊列を組み直せ!」
「そこを退け!」
「お前こそ退け!」
「どうするんだ?」
動揺が広がっている。
無理もない。
流れを完全に止められたのだ。
ケインは地面――荷馬車に飛び込んだ警備兵を見つめた。
皮膚が剥がれ、胴体が大きく抉れている。
「……やってくれたぜ」
「へい、警備兵の鑑ですぜ」
吐き捨てると、サッブが神妙な面持ちで頷いた。
「どうしやす?」
「落ち着け!」
サッブが問い掛けると、凜とした声が響いた。
思わず苦笑する。
タイミングがよすぎる。
声のした方を見ると、ティリア皇女が荷馬車の荷台に立っていた。
「想定内だ! 荷馬車はここで破棄する! 走ってアルフィルク城に向かうぞ! セシリー隊は城までのルートを確保しろッ! ケイン隊は下馬して付いてこいッ!」
「馬に乗って迂回する訳にはいかないんですかい?」
「他も柵が並んでる可能性が高ぇからな」
仕方がねぇ、とケインは頭を掻いた。
※
※
何やら外が騒がしい。
反乱軍が帝都に攻め込んできたのだろう。
ベティルは軍服に袖を通すと部屋から出た。
廊下は寒々としていた。
人気はなく、調度品はない。
使用人や部下に暇を与え、何かの役に立てばと譲り渡したせいだった。
今、屋敷にいるのは自分と妻、百人ほどの部下だった。
自分なんぞに付いてきてもいいことはないのに物好きなことだ。
そんなことを考えながら外に出る。
すると、一人の騎士――サイモン・アーデンが近づいてきた。
「どうかしたのかね?」
「はッ、ベティル宰相に、いえ、ベティル団長にお願いがあって参りました」
そう言って、サイモンは片膝を突いた。
暇乞いではないだろう。
彼の瞳には強い光が宿っている。
覚悟を決めた目だ。
「理由を聞いてよいかな?」
「はッ、私は……いえ、俺は近衛騎士です」
「ああ、そうだな」
ベティルは頷き、目を細めた。
サイモンを採用した時のことを思い出す。
あれはベティルが近衛騎士の団長だった頃だ。
親征で多くの部下を失い、第十二近衛騎士団は弱体化した。
そこで入団試験を行い、サイモンに出会った。
正直に言えば彼を採用するつもりはなかった。
下級貴族出身であることは目をつぶるとしても座学の成績が悪かった。
実技も採用基準にぎりぎり届かないくらいだった。
採用の決め手となったのは試合だった。
試合で彼は対戦相手に圧倒されていた。
だが、彼は諦めなかった。
諦めず、自棄にならず、ひたすら攻撃を凌ぎ続け、勝利を収めた。
その諦めの悪さを評価した。
「近衛騎士として皇女殿下のために戦いたいと思います」
「……そうか」
本心だと目を見れば分かった。
ならば、どうしてティリア皇女が反旗を翻した時にベティルの下に留まったのか。
考えるまでもない。
ベティルの立場を悪くすることを恐れたのだ。
二つの気持ちの間で悩み、ティリア皇女の下に行くことを選んだ。
ベティルが保身を望めば斬り捨てられるというのに。
「あと、友達の助けになってやりたいんです」
「友達?」
「軍学校の演習で世話になったヤツが反乱軍にいるんです。あいつが助けてくれなかったら俺はここにいなかったと思います」
ベティルが鸚鵡返しに呟くと、サイモンは照れ臭そうに言った。
ふとクロノの姿が脳裏を過る。
都合よく考えすぎのような気もしたが、そういうこともあるのだろうと思う。
いや、そういうことにしておいた方がいい。
「……止める理由はないな。行って、近衛騎士としての本分をまっとうするがいい」
「はッ! 第十二近衛騎士団の名に恥じぬ戦いをして参りますッ!」
サイモンは立ち上がり、踵を返した。
ふと気配を感じて振り返ると、妻が立っていた。
「……あなた」
「……」
一人で行かせていいのですか? と問われているような気がしてベティルは目を伏せた。
※
ガウルは五十人の部下を率い、セシリー隊の後に続く。
と言っても真後ろにいる訳ではない。
こちらは歩兵、相手は騎兵だ。
どうしたってスピードに差が出る。
見失わないようにするだけで精一杯だ。
落伍者が出ても不思議ではない。
にもかかわらず、背後から響く足音の数は変わらない。
部下は誰一人として落伍していないのだ。
昔の自分ならばそれを当然のことと考えたに違いない。
今は違う。部下は疲れきり、気力で体を動かしている。
ありえないことを行っている。
全て、我が子の未来を切り開くためだ。
彼らのような部下を持てたことが誇らしい。
自分も彼らに誇ってもらえるような男になりたい。
そう考えた時、馬のいななきが響いた。
当然、いい予感はしない。
最大限の注意を払いながら足を動かす。
アルフィルク城まで数十メートルという所でセシリー隊が左右に分かれて走り去る。
視界が開け、ガウルは目を見開いた。
城門――その前に家具が半円を描くように積み重なっていた。
バリケード、いや、防御陣地だ。
これが、セシリー隊が走り去った理由だった。
逃げたとは思わなかった。
近衛騎士と馬の死体が累々と横たわっている。
突破しようとしたが、叶わなかったのだ。
被害が拡大する前に退いた。
正しい判断だ。
ガウルもセシリーの立場なら――。
いや、自分には退くという判断ができなかっただろう。
防御陣地の奥にある跳ね橋が下りている。
その奥にあるはずの落とし格子も見えない。
防御陣地を突破すれば大きく勝利に近づく。
突撃を繰り返し、被害を拡大させていたに違いない。
不意に防御陣地の陰から白い軍服を着た男達が姿を現し――。
「避けろッ!」
ガウルが叫んだ瞬間、横殴りの雨のように矢が押し寄せてきた。
咄嗟に伏せて躱すが、断続的に悲鳴が響く。
振り返ると、部下の胸に矢が突き立っていた。
部下が倒れ、ガウルは地面を這って近づく。
「大丈夫だ! 傷は浅いぞ!」
「はは、胸のど真ん中ですよ」
部下は力なく笑い、軽く咳き込んだ。
血が飛び散る。
「……ガウル隊長、お役に立てず申し訳ありません」
「そんなことはない。お前はよくやってくれた」
くそッ、と部下は吐き捨て、手で顔を覆った。
「ガキの未来を切り開きたかったのに俺は何もできなくて……。くそッ、くそッ、一回くらい、一回くらい思い通りになってもいいじゃねぇか」
「大丈夫だ。俺達は一つだ」
ガウルは部下の手を握り締めた。
そうだ。
自分達は一つだ。
子ども達の未来を切り開くという思いを共有している。
そのために帝国に反旗を翻した。
死をも恐れぬ覚悟がある。
「ガウル隊長、もう……」
別の部下が小さく頭を振った。
改めて死んだ部下を見つめる。
目を見開いたまま死んでいた。
口惜しげな表情を浮かべて、だ。
眼球の奥が痺れる。
喉が締め付けられる。
死を安らかなものにできなかった自分に腹が立つ。
だが、切り替えなければならない。
今は悲しむ時ではない。
「どうすれば……」
「ガウル隊長、覚悟はできています!」
「ええ、目にものを見せてやりましょう!」
「我々は死を恐れたりしない!」
ガウルが呟くと、部下が口々に叫んだ。
胸が熱くなるが、駄目だ。
感情に流されてはいけない。
無策で挑んで部下を死なせる訳にはいかないのだ。
本隊を待つべきか。
いや、本隊が来たら敵は恐れをなす可能性がある。
門を閉ざされたらおしまいだ。
どうすれば、と唇を噛み締める。
その時――。
「援軍だ! ベティル宰相が援軍に来てくれたぞッ!」
敵の一人が叫び、歓声が上がった。
ガウルは叫びそうになった。
なんてタイミングが悪い。
待て、と思い直す。
乱戦に持ち込むことができれば敵の矢を封じられる。
まだチャンスは残っている。
敵防御陣地を見る。
左から百人ほどの近衛騎士がやってくる。
先頭に立っているのはベティルだ。
ベティルが剣を抜き――。
「突撃ぃぃぃぃッ!」
ベティルが叫び、ガウルは立ち上がった。
部下も立ち上がる。
ありがたい。
これで望みを繋ぐことができる。
しかし、ガウルの期待は意外な形で裏切られた。
敵の援軍があろうことか防御陣地に雪崩れ込んだのだ。
敵防御陣地から悲鳴が上がる。
「どうなってるんだッ!」
「知るか!」
「裏切った! ベティル宰相が裏切ったぞッ!」
「ふざけるな! 裏切り者はお前らだッ!」
「偽帝、討つべし!」
近衛騎士団同士の戦いが始まる。
何が起きているのか分からないが、チャンスだ。
「ガウル隊! 突撃ぃぃぃぃぃッ!」
「うぉぉぉぉぉぉッ!」
ガウル達は敵防御陣地に向かって駆け出した。
「反乱軍が来たぞッ!」
「くそッ、どうなってるんだッ?」
「知るか! 撃て撃て撃てッ!」
敵の防御陣地から矢が放たれる。
矢がガウルの脇を擦り抜ける。
背後から短い悲鳴が響く。
思わず足を止めそうになる。
だが、ガウルは唇を噛み締めて走った。
これほどのチャンスは二度と巡ってこない。
「弓兵を優先して攻撃しろッ!」
「弓兵を守れ!」
近衛騎士が相反する叫びを上げる。
乱戦状態――混沌としていた敵防御陣地内に二つの流れが生じる。
弓兵を守ろうとする流れと討ち取ろうとする流れだ。
残念ながら弓兵を守ろうとする流れの方が優勢だ。
弓兵が矢を番えたその時――。
「跳ね橋が上がるぞ!」
誰かが叫び、弓兵はハッと振り返った。
もし、自分が彼らの立場であれば振り返らない。
敵の策略の可能性が高いからだ。
だが、跳ね橋は本当に上がっていた。
敵指揮官は部下を切り捨てようとしている。
まだ戦っている者がいるにもかかわらずだ。
「そんな! 俺達が戦ってるのにッ!」
「くッ、死ぬ気で城門を守るぞ!」
「できる訳ないだろ! 二方向から攻撃を喰らってるんだぞッ!」
近衛騎士が悲鳴じみた声を上げる。
彼らにとっては最悪の展開だが、ガウル達にとってはまだ最悪ではない。
むしろ、僥倖だ。
敵が攻撃の手を休めたのだから。
ガウルは積み重ねられた家具を乗り越え、敵の防御陣地に飛び込んだ。
敵を押し退け、跳ね橋に向かう。
跳ね橋は2メートルほどの高さにまで上がっている。
大地を蹴り、跳ね橋に手を伸ばす。
指が跳ね橋の縁に引っ掛かる。
「隊長!」
「ガウル隊長ッ!」
「俺に任せろ!」
ガウルは部下に叫び返し、体を引き上げた。
跳ね橋が閉じる寸前で体を滑り込ませ、ほぼ垂直の傾斜を転がり落ちる。
地面に叩き付けられ、すぐに立ち上がる。
通路の奥にある落とし格子が下り始めていた。
「間に合え!」
ガウルは地面を蹴った。
「敵だ! 弓兵ッ!」
通路の先で近衛騎士が叫び、弓兵が一列に並ぶ。
そして、一斉に矢を放った。
逃げ場はない。
顔の前で腕を交差する。
躱すことはできなくても、せめて致命傷を避けようと思ったのだ。
衝撃が体を貫き、腕に、胸に熱が生じる。
「おぉぉぉぉ――ッ!」
ガウルは雄叫びを上げ、疾走する。
問題はない。通路を駆け抜け、落とし格子を潜り抜ける。
兵士を倒し、落とし格子を上げ、跳ね橋を下げる。
問題はないが、後悔はあった。
こんなことになるならもっと練習しておけばよかったという後悔だ。
女房――ララ曰く、自分は邪念が多いらしい。
指摘された時は今一つ釈然としなかった。
確かに自分は感情的になりやすい。
だが、クロノは使いこなせている。
彼より邪念が多いと言われても納得できるものではない。
再び衝撃が走る。
矢が体を貫いたのだ。
痛みはない。
焼け付くような熱を感じている。
ふとララが子どもを宿した時のことを思い出す。
今となっては笑い話だが、ひどく狼狽してしまった。
初めてのことだったし、正直にいえば父親になる覚悟ができていなかった。
だが、しばらくすると喜びが込み上げてきた。
浮かれていた。
だから、深く考えずに母親に手紙を送ってしまった。
父とはまだぎくしゃくしていたので母に取りなしてもらおうと思ったのだ。
結果から言えば母は父に取りなしてくれなかった。
母から送られてきた手紙には蛮族との間に生まれた子は孫ではないと書かれていた。
奈落に突き落とされたような気分だった。
冷静になってみれば母の反応は貴族として至極真っ当だ。
貴族同士でさえ家格が問題になるのだ。
無理もない。
理屈では分かっていたが、気持ちが荒んだ。
クロノに再会したのはそんな時だ。
おめでとう。
クロノ自身は何も考えていなかったに違いない。
だが、その言葉に救われた。
すまない、とガウルは心の中で謝罪する。
クロノのために命を懸けようと思った。
その気持ちに偽りはない。
しかし、ここにいるのは父親としてだ。
子どもの未来を切り開きたくてここにいる。
嫌だった。
我が子が誕生を祝福してもらえないことが。
これから有形無形の悪意に曝されることが。
太股に衝撃が走る。
転倒しかけ、何とか体勢を立て直す。
そこに衝撃、衝撃、衝撃、衝撃――。
問題はない。
通路を駆け抜け、落とし格子を上げる。
兵士を倒し、落とし格子を上げ、跳ね橋を下げる。
問題はない、とガウルは指で地面を掻いた。
先程の衝撃で倒れてしまったのだ。
指先しか動かせない。
だから、どうした?
心で体を動かせ。
魂だけになっても喰らいつけ。
子どもの未来を切り開け。
自分には意思がある。
強い意志だ。
世界とだって戦える。
だが、落とし格子は下りていく。
指先しか動かせない自分にはそれを止める術がない。
落とし格子が下り、重々しい音が響く。
子どもの未来が閉ざされたかのようだった。
涙がこぼれた。
命を懸けてもなお足りなかった。
「……神よ」
ガウルは祈る。
いや、神に縋った。
この願いを聞き届けてくれるのなら悪魔でも構わなかった。
命と引き替えでいい。
子ども達の未来を切り開くための力が欲しかった。
神は応えなかった。
だが、指先――人差し指に光が灯った。
赤い光だ。
次の瞬間、光が炸裂した。
赤い光が指先から腕に、全身に伸び、蛮族の戦化粧のように体を彩る。
刻印術――ようやく発動させることができた。
「……精霊よ、我が願いを聞き届けたまえ。友に勝利を、子ども達に未来を」
刻印から赤い光が溢れ出す。
光はガウルの体を覆い、鳥の姿へと変わった。
本作をご覧になって頂き、ありがとうございます。
面白いと感じて頂けましたら、下部画面より評価して頂ければ幸いです。
 




