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クロの戦記 異世界転移した僕が最強なのはベッドの上だけのようです  作者: サイトウアユム
第7部:クロの戦記

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第18話『決戦・裏』その14

 朝――。


「……レオンハルト様」

「ご苦労」


 レオンハルトが礼を言うと、爺――ジュリアスは後ろに下がった。

 姿見を見つめ、目を細める。

 そこには白銀の鎧を身に纏った自身の姿が映っている。

 自身の姿に違和感を覚える。

 それだけではない。

 以前よりも重く、息苦しく感じる。

 憂鬱とはこういうことかと改めて思う。

 自分は賭博師にはなれないとも。

 戦いの趨勢が明らかになるまで中立を保つべきだと父に進言した。

 どちらが勝つにせよ、それが最もリスクが少ないからだ。

 いや、最小の損で済ませられるというべきか。

 最大の利益を得られる時機はとうに終わっている。

 利益を得たいのならばもっと早く動くべきだった。

 たとえばティリア皇女が幽閉された時だ。

 諸侯がアルフォートの下に馳せ参じた時でもいい。

 だが、父は帝国がやや劣勢というタイミングでアルフォートに与することを選んだ。

 馬鹿げている。

 さらに馬鹿げているのがその理由だ。

 何故、新貴族の風下に立つことはできないなんて理由でアルフォートに与するのか。

 何故、新貴族を駆逐しても別の勢力が現れるだけだと気付かないのか。

 大きなリターンが望めないのにリスクばかりが高い。

 アルフォートが勝たなければパラティウム家はおしまいだ。

 いっそ、今からでもティリア皇女に与するか。

 アルフォートを討ち、領地の安堵を申し出る。

 そんなことを考え、自嘲する。

 こんな取引は成立しない。

 アルフォートを討とうにも登城を認められていない。

 それに父はティリア皇女に敵対してしまった。

 信賞必罰は世の常。

 敵対した以上、相応の罰が必要だ。

 そうしなければ敵対しても許されると思われる。

 戦後の政権運営に支障が出る。

 結局、パラティウム家が存続するにはアルフォートに勝ってもらうしかないのだ。

 その上で権力を奪う。

 そうしなければいつ叛意ありと見なされるか分かったものではない。

 まったく、何が『新貴族の風下に立つことはできない』だ。

 ますます立場が悪くなるだけではないか。

 くくッ、と嗤う。

 すると、ジュリアスがおずおずと口を開いた。


「……レオンハルト様」

「大丈夫、私はきちんと役割をこなすとも」


 レオンハルトは肩を竦めた。

 本当に憂鬱で仕方がない。

 もっと時間があればと思う。

 そうすれば今よりマシな答えを導き出せるだろう。

 扉を見る。

 すると、ジュリアスが扉を開けた。


「行ってくるよ」

「……行ってらっしゃませ」


 レオンハルトはジュリアスに声を掛け、部屋を出た。

 部屋を出てすぐの所にリーラが立っていた。

 そのまま歩を進めると、彼女はやや遅れて付いてきた。


「仕事だか?」

「ああ、気は進まないがね」

「貴族様でもそうなんか?」

「こういうことに身分は関係ないとも」

「ふ~ん、そんなもんか」

「そんなもんだ」


 リーラが相槌を打ち、レオンハルトは苦笑した。


「そういや、御館様の書簡には何て書いてあっただ?」

「大したことは書いていなかったよ」

「レオンハルト様は嘘を吐くのが下手だな~」

「そうかね?」

「末の弟よりも下手だ」

「そうか」


 レオンハルトは苦笑しながら頷いた。


「それにしてもアレだな。レオンハルト様と御館様は仲が悪いだな。親子なんだからもう少し仲よくすりゃええのに……」

「仲は良好だと思うが……」

「やっぱ、親子だな。御館様も同じことを言ってただ」


 ふむ、とレオンハルトは頷いた。

 自分では親子仲は悪くないと思っていたが、他人にはそう見えなかったようだ。

 それ以前に親子と呼べるだけの絆があったかどうか。


「ああ、なるほど……」

「どうかしただか?」

「いや、何でもないよ」


 レオンハルトは軽く溜息を吐いた。

 自分達の間に親子と呼べるほどの情の繋がりは存在していなかった。

 関係の構築に失敗した。

 そんなことさえ分かっていなかった。

 なるほど、理解できないはずだ。

 今更だが、もっとリーラと話しておくべきだった。

 そうすれば今回のような事態を避けられただろう。

 そんなことを考えていると、玄関に辿り着く。

 扉の傍らに控えていた使用人が扉を開ける。

 冷たく、凍てついた風が吹き込んでくる。

 リーラが足を止める。


「……レオンハルト様、気を付けるだぞ」

「ああ、分かっているとも」


 溜息交じりに言って外に出ると、部下がレオンハルトの愛馬と一緒に待っていた。

 歩み寄り、愛馬に跨がる。


「ラルフ・リブラ軍務局長より反乱軍を鎮圧するようにと……」

「承知した。他の者は?」

「西の城門で待機しております」

「……なるほど」


 レオンハルトは小さく溜息を吐いた。

 やはり、顔を合わせるつもりはないらしい。

 裏切りを警戒しているのだろう。

 全く考えなかった訳ではないが、これでも真面目に働いてきたのだ。

 不信感を露わにされると、何とも嫌な気分にさせられる。

 まあ、あとのことを考えれば多少は気が楽になるが――。


「……さっさと仕事を済ませてしまおう」

「はッ!」


 レオンハルトが言うと、部下は自身の馬に跨がった。

 敷地を出て、西の城門に向かう。

 第一街区を抜け、第四街区へ。

 第十、第十一街区の間にある通りを進む。

 通りに人気はなく、偶に擦れ違う人の表情は暗く沈んでいた。

 記憶にある帝都はもっと騒々しかったが――。


「くッ、これが栄えある第一近衛騎士団の出陣とは……」

「なに、現実は英雄譚とは違うものだよ」


 部下が呻くように言い、レオンハルトは軽く肩を竦めた。

 盛り上げようとすれば仕込みが必要になる。

 仕込む余裕がなかったのか。

 最初からそのつもりがなかったのか。

 きっと、両方だろう。

 西の城門を潜り抜けると、部下が集まっていた。

 その数はおよそ千――第一近衛騎士団の全兵力だ。

 皆、悲壮な決意を感じさせる表情を浮かべている。

 この戦いで帝国の運命が決まると分かっているのだろう。

 声を掛けるべきか迷い、まだ早いと判断する。

 レオンハルトは胸を張り、馬を進ませた。



 数時間後――低く、押し殺したような息遣いが周囲から聞こえてくる。

 ティリアは荷車の荷台に座ったまま視線を巡らせた。

 二十台ほどの荷車が一列に並び、その荷台には十人ほどの兵士が乗っている。

 もちろん、全兵力ではない。

 拠点同様、兵力を分散して待機させている。

 別働隊の総数は千百五十四――内訳は歩兵千、騎兵百三十、弓騎兵二十四。

 ロバートは歩兵三百を率いて陽動を担当。

 ケインとセシリーは騎兵百三十、弓騎兵二十四を率いて先行し、侵攻ルートの確保。

 ティリアとガウルの役割は歩兵七百を率いてアルフィルク城の攻略だ。



挿絵(By みてみん)



 ティリアは気付かれないように注意しながら兵士達を観察した。

 兵士達は興奮とも、緊張ともつかない表情を浮かべていた。

 自分達の未来はこの一戦に掛かっている。

 敵に存在を気取られてはならない。

 興奮と自制、あるいは極度の緊張がこの表情を生み出しているのだろう。

 自分はどうだろうか。

 興奮はない。自制と緊張はあるように思うが、別の感情に囚われているような気もする。

 どんな感情に囚われているのか。

 自身や部下の死、作戦を失敗することへの恐怖か。

 クロノ達が命懸けで戦っている時に待機せざるを得ないことへの焦燥か。

 どれも正しいような気がするし、間違っている気もする。

 だが、どんな気分かは簡単に説明できる。

 どうにも落ち着かない、だ。

 きっと、兵士達も同じだろう。

 ティリア達の気分を察しているのか。

 森は静寂に包まれている。

 小鳥の囀りさえ聞こえない。

 ふとジョニーの姿が目に止まる。

 彼は股間を握り締めていた。

 見てはいけないようなものを見た気がして天を仰ぐ。

 木々の枝の向こうには空が見える。

 分厚い、鉛色の雲に覆われた空だ。


「……降るなら早く降ればいいものを」


 小さく吐き捨てる。

 雨はティリア達――皇軍・南辺境軍にとって、文字通り恵みの雨となる。

 皇軍・南辺境軍の目的は偽帝アルフォートを討つことだ。

 そのためにレオンハルトには戦場に居続けてもらわねばならない。

 万が一にも戻ってこられる訳にはいかないのだ。

 雨はベールのように全てを覆い隠し、その確率を減らしてくれるはずだ。

 だから、昨日から天気が気になって仕方がなかった。

 朝、空が晴れ渡っていた時は落胆したし、天候が悪化し始めた時には興奮した。

 風が湿り気を帯びてきた時には快哉を叫んだほどだ。

 しかし、その期待は裏切られ続けている。


「……奥様」


 ハッとして振り返ると、マイラが荷馬車の傍らに立っていた。

 通信用マジックアイテムを持っている。


「偵察部隊より連絡あり。第一近衛騎士団が帰還不能点を越えたとのことです」

「……そうか」


 ティリアはやや間を置いて頷いた。

 帰還不能点とは、ここからならば容易に引き返せないと設定した地点だ。

 これには第五近衛騎士団の知識と経験が役に立った。

 第五近衛騎士団は帝国で最も優れた騎兵隊だ。

 彼らが容易に引き返せないと言うのならばそれは限りなく事実に近いが――。

 ティリアは空を見上げた。

 空は分厚い、鉛色の雲に覆われている。

 今にも雨が降りそうだ。

 もう少し待っていれば雨が降るのではないか。

 そんな期待が決断を先延ばしにさせる。

 再びマイラに視線を向ける。

 彼女は口を閉ざしている。

 当然か。彼女は自分の分を弁えている。

 憎らしく感じるほどだ。

 ティリアは正面に向き直り、深呼吸を繰り返した。

 作戦は立てた。

 雨は作戦成功率を上げるための要素に過ぎない。


「……作戦を開始する」


 意を決して口を開く。

 自分で吐いた言葉に総毛立ち、心臓の鼓動が速まる。

 吐き気さえ覚えた。

 やってしまったという思いが湧き上がる。

 もう戻れない。

 この流れに乗って――あとはベストを尽くすだけだ。


「奥様、通信用マジックアイテムで命令を……」


 マイラが差し出した通信用マジックアイテムを手に取る。


「作戦を開始する! ロバートは城壁を破壊し、敵兵を引きつけろ! ケイン、セシリーは先行して城までの道を確保しろッ! ガウルは……」


 ティリアはそこで言葉を句切った。


「覚悟を決めろ」

『『『『了解ッ!』』』』


 通信用マジックアイテムから四人の声が響く。

 慌ただしく兵士達が動き出し、ティリアは息を吐いた。



 墓穴を掘る――身を滅ぼす原因を自身で生み出すことのたとえだ。

 気になるのは本当に自分で掘った墓穴に埋まったヤツがいるかだ。

 ロバートは坑道の最奥で視線を巡らせた。

 部下の姿はない。

 安全のために坑道の出入り口で待機させている。

 これで死んだら笑いものだな、とロバートは坑道の天井を見上げた。

 梁で支えられ、さらに神威術で強化された天井だ。

 その先には城壁がある。

 坑道を崩し、城壁を破壊する。

 不可能ではないはずだが、初めての経験だ。

 本当に城壁を破壊できるのか不安になる。


「……ここまで来て、怖じ気づくな」


 ロバートは頭を振り、坑道の壁に触れた。


「黄土にして豊穣を司る母神よ」


 祈りを捧げる。

 坑道を強化するためではなく、脆弱化するための神威術だ。

 反応がない。

 失敗したかと思ったその時、パラッという音が聞こえた。

 振り返り、走り出す。

 次の瞬間、背後から風が押し寄せてきた。

 坑道が崩落したのだ。

 それが切っ掛けになったのだろう。

 崩壊が連鎖的に起きた。

 ロバートは必死に足を動かした。

 作戦の成否は頭から吹き飛んでいた。

 いや、考えるまでもなく成功している。

 坑道はロバートを呑み込まんばかりの勢いで崩壊している。

 死がちらついている。

 死神との追いかけっこだ。

 必死に走るロバートの後を死神が半歩遅れて付いてくる。

 大量の土砂が落下し、粉塵が舞い上がる。

 わずかな光を頼りにロバートは走る。

 走る。

 走る。

 走る。

 走り続けて――不意に目の前が真っ白になった。

 助かったとは思わなかった。

 正直、死んだと思った。

 横から衝撃を受けて倒れる。

 そこで視界が元に戻った。

 坑道の出入り口から立ち上る粉塵と自分にしがみつく部下を交互に見る。

 どうやら部下は衝撃波からロバートを守るために体当たりしたようだ。


「……生きてる」


 空を見上げて呟き、ハッとする。

 生きているではない。

 城壁が崩れたか確認し、成功していたら次の段階に進まなければならない。


「離れろ」

「申し訳ありません」


 部下が離れ、ロバートは立ち上がった。

 軽く咳払いし、唾を吐く。

 真っ黒い唾が地面に広がる。

 まだ喉に違和感がある。

 喉を押さえながら足下を見る。

 すると、坑道があった場所が大きく陥没していた。

 まるで亀裂だ。

 亀裂を辿って森の切れ目まで移動する。

 顔を上げ、目を見開く。

 城壁が崩れ、その陰に隠れていた建物――第七街区が見えていた。

 ぶるりと身を震わせ、通信用マジックアイテムを手に取る。


「こちらロバート! 城壁の破壊に成功しましたッ!」

『……よくやってくれた』


 通信用マジックアイテムからティリア皇女の声と歓声が響く。


「これより次の行動に移ります」

『頼んだぞ』

「はッ! お任せ下さいッ!」


 ロバートは通信用マジックアイテムをポーチにしまい、振り返った。

 すると、部下が盾を差し出してきた。


「慌てすぎですよ」

「すまない」


 ニヤリと笑う部下から盾を受け取る。

 盾を持ち、視線を巡らせる。

 三百人の部下は黙って崩れた城壁を見ていた。

 呆然としているかのような表情だ。

 ロバートは剣を抜き、高々と掲げた。


「見たか! 数百年に渡って帝都を守ってきた城壁が崩れ去ったッ! 天災によってではない! 俺達の……人の力によってだッ! 声を上げろ! 父や祖父のようにッ! 俺達がここにいると知らしめろッ!」


 ロバートの叫びに呼応するかのように声が上がる。

 声は波紋のように広がり、混じり合い、大きなうねりへと変わった。


「行くぞッ!」


 ロバートは城壁に向き直り、第一歩を踏み出す。

 部下の気配に押されるように二歩、三歩と歩を進める。

 あとは自然と足が前に出た。


「いい演説でしたよ」

「……そうか」


 いつの間にか隣に来ていた部下の言葉に背筋が熱くなる。

 少し調子に乗りすぎただろうか。

 冷静になってみるとでかい口を叩きすぎたような気がする。

 反省しなければ。


「何て言うか、俺達にも変えられるって気がしました」

「変えられる、か」

「親父なんかの世代はよかったと思いますよ。そりゃ、まあ、親父達にゃ親父達なりの苦労があったんでしょうけど、俺なんかは南辺境を開拓してる時に生まれたから人生が決まってるみたいな感じで――」

「お前は家を出て、軍人になっただろ」

「いや、そうなんですけどね」


 ロバートが突っ込むと、部下はバツが悪そうに頭を掻いた。


「親父にだってできたんだから俺にだってできると思ったんですよ。大隊長にはなれなくても副官にくらいはなれるんじゃないかって」

「副官にくらいって、お前……」

「無理でしたけどね」


 部下は力なく笑った。


「そろそろ、黙った方がいいぞ」

「まだ大丈夫ですよ」


 城壁まで三百メートルを切っている。

 そろそろ矢を射かけてきても不思議ではない。

 にもかかわらず部下は軽く言った。

 ベテランならではのふてぶてしさだ。

 ロバートにも実戦経験はあるが、戦った相手は装備のお粗末な盗賊団だった。

 それに、ブランクも長い。

 カナンのお守り――エクロン男爵家の執事としての生活は楽しかった。

 ガウルは嫌な顔をするだろうが、自警団員としての活動もそれなりに楽しかった。

 婚約もした。今が戦時ということを除けば充実した日々を送っている。

 だが、その充実した生活が自分を鈍らせているのではないかという危惧があった。

 軍にいた時のように敵を殺せるのか。

 いざその時になったら躊躇ってしまうのではないかという不安を抑えきれない。

 その不安もベテランが一緒にいると和らぐ。

 大丈夫だという気になる。


「クロフォード男爵の息子の話を聞いた時は――」

「興奮したか?」

「まさか、その逆ですよ。英雄の息子は格が違うんだって思い知らされましたよ」

「……そうか」


 ロバートはやや間を置いて頷いた。

 クロノは実子ではないのだが、なかなか気付かないものなのだなと思う。

 まあ、かくいうロバートもついつい忘れそうになる。

 あのでたらめさはクロードの息子という気がするのだ。


「あ~、俺はうだつ上がらねぇ人生を送るんだろうなって思ってたんですけど、あの城壁がぶっ壊れる所を見たらどうでもよくなりました」

「どうでもよくなったって……」

「いや、本当にどうでもよくなったんですよ。スカッとしたんです。俺達にだって一撃喰らわせられると思ったんです」


 部下は捲し立てるように言い――。


「ああ、くそッ、スゲー楽しい」

「興奮しすぎて馬鹿な真似はするなよ」

「ええ、分かって……」


 部下は黙り込み、空――いや、城壁を見つめた。

 やや遅れて矢が地面に突き刺さる。

 といっても十メートル以上離れているが。

 背後にいる部下がどよめく。


「まだ距離があるッ! これだけ距離があればそうそう当たらんッ!」


 ロバートが声を張り上げると、ホッとしたような気配が伝わってきた。

 城壁まで二百メートル余り。

 走り出すのはもう少し距離を詰めてからだ。

 矢が足下に突き刺さる。

 城壁からの攻撃だ。


「盾を掲げろ! だが、足は止めるなッ!」


 ロバートは声を張り上げた。

 だが、自分は盾を掲げない。

 盾を掲げれば視界が塞がれ、状況を把握しにくくなる。

 それに指揮官が怯えているかのような姿を見せるのはマズい。

 今、この時だけは命知らずの指揮官であらねばならない。

 さらに距離を詰める。

 すると、矢が纏まって降ってくるようになった。

 背後からガンッという音と悲鳴が響く。

 部下の構えた盾にぶつかったのだろう。

 走るように指示を出すべきか。

 いや、まだ早い。

 まだ距離がある。

 ここで走らせたら無事に城壁に辿り着いても戦えない。

 部下は普通の兵士だ。

 普通の兵士は二百メートルを全力疾走した後で戦えない。

 それに、ロバート達の役目は陽動だ。

 ある程度の犠牲を出しても敵を引きつけなければならない。

 走り出したい衝動を堪え、さらに距離を詰める。

 ほんの二、三十秒が異常に長く感じられた。

 あと百メートル――。


「突撃!」


 ロバートは声を張り上げ、走り出した。

 うぉぉぉぉぉぉッ! と部下が雄叫びを上げて付いてくる。

 次の瞬間、矢が降り注いだ。

 短い悲鳴が断続的に上がる。


「おい! しっか――ぎゃッ!」

「負傷者に構うな! 走れ! 走れ! 走り続けろッ!」


 ロバートは叫び、足を動かした。

 五十メートルを切った所で攻撃の手が緩む。

 矢が尽きたからではない。

 狙いにくくなったからだ。

 だが、この先はそうもいかない。

 ロバートは崩れた城壁――瓦礫の山を見上げた。

 足場が不安定でスピードが格段に落ちる。


「盾を掲げて駆け上がれ!」


 ロバートは盾を掲げ、瓦礫の山を駆け上がった。

 そのつもりだが、嫌になるほど遅い。

 背後から短い悲鳴が響く。

 ようやく頂上が見えてきた。


「気を引き締めろ! 敵が待ち伏せているぞッ!」


 ロバートは瓦礫の山を登りきり、軽く目を見開いた。

 敵が待ち構えていると思っていたのに瓦礫の山を越えた先には誰もいなかった。


「敵はいない! 駆け下りろッ! 駆け下りて、近くの建物の陰に隠れろッ!」


 声を上げ、瓦礫の山を駆け下りる。

 真横を部下が転がり落ちていく。

 矢は刺さっていない。

 足がもつれたのだろう。

 ロバート達は瓦礫の山を駆け下り、建物の陰に飛び込んだ。

 壁に背を預け、呼吸を整える。


「何人やられた?」

「一割もやられちゃいませんよ」


 ロバートの問い掛けに部下が答える。

 建物の陰から身を乗り出す。

 すると、瓦礫の山を下りた所に部下が何人も倒れていた。


「つか、瓦礫の山を転がり落ちて負傷するヤツの方が多いって……」


 部下は頭を掻き毟った。

 城壁からの攻撃は止んでいる。

 チャンスだ。今ならティリア皇女と話すことができる。

 ロバートはポーチから通信用マジックアイテムを取り出した。


「こちら、ロバート」

『どうした?』


 呼びかけると、ティリア皇女から返事があった。


「帝都に侵入成功しましたが、敵を引きつけられませんでした」

『まさか、街を見捨てるつもりか?』

「分かりませんが、このままでは本隊への圧力を軽減できません」

『そうだな』


 ティリア皇女は呻くように言った。

 陽動のつもりが、単に自軍の兵力を分散させるだけの結果になってしまった。

 敵の動きを読み違えたのは痛い。


『分かった。陽動部隊は本隊に合流しろ』

「いえ、その前に試してみたいことがあります」

『何をするつもりだ?』

「それは――」


 ロバートは自分の考えた策を説明した。


『分かったが……』

「効果がないと分かればすぐに合流します」

『頼んだぞ』

「はッ、お任せ下さい」


 ロバートは背筋を伸ばして言い、通信用マジックアイテムをポーチにしまった。




挿絵(By みてみん)




「ったく、予想外の行動ばかり起きやがるな」


 セシリー達――騎兵と弓騎兵の混合部隊は森を抜けて道をひた走る。

 目的は南の城門を抜け、アルフィルク城へのルートを確保することだ。

 だが、いやしくも皇帝を名乗る者が街を見捨てる決断をするとは思わなかった。

 そうと分かっていれば部隊を分散させずに済んだのだが――。


「それにしてもロバートの策は上手くいくのかね?」

「……もしかして、わたくしに話し掛けてますの?」


 セシリーは隣を見た。

 すると、そこには馬に乗って併走するケインの姿があった。


「別に、向こうにいる兄ちゃんでも構わねぇぜ」

「兄ちゃんですか」


 反対側に視線を向けると、白い軍服を身に纏った男が苦笑じみた笑みを浮かべていた。

 兄の副官ジードだ。


「貴方、初対面なのに気安すぎるのではなくて?」

「初対面じゃねーよ」

「何処で知り合いましたの?」

「昨夜、世間話をした」

「ほぼ初対面じゃありませんの! 気安すぎますわッ!」

「まあまあ、私は気にしておりませんので」


 セシリーが声を荒らげると、ジードは宥めるように言った。


「親しき仲にも礼儀ありと――」

「お? 見えてきたぜ」


 ケインの言葉にセシリーは前方を見据えた。

 前方では荷馬車が列をなしていた。

 本隊だ。

 ホッと息を吐く。

 どうやら本隊に先行されるという事態は避けられたようだ。


「じゃ、俺は下がるぜ」

「援護は任せましたわよ」

「任せとけ」


 ケインの姿が少しずつ見えなくなっていく。

 自分の部下と合流するためにスピードを落としたのだ。

 完全に姿が見えなくなり、セシリーは小さく息を吐いた。


「どうかしましたか?」

「何でもありませんわ」

「心配しなくても上手く連携できると思いますよ」


 セシリーはジードに視線を向けた。

 こちらの視線に気付いているのかいないのか。

 はたまた気付いていないふりをしているのか。

 涼しげな表情を浮かべている。

 流石、あの兄の部下だけはある。


「どうして、そう思いますの?」

「昨夜、話しましたからね。話しやすい方ですよ」

「あれは気安すぎると言うのではなくて?」

「確かに口調はそうですね」


 ジードは苦笑じみた笑みを浮かべた。

 イラッとする笑みだ。


「ですが、仲が悪いと思われるよりはずっといい。何しろ、私達は後から来た上、おいしい所を奪ってしまった訳ですから……」

「実力を考えれば当然ではなくて?」

「はは、その当然がなかなかできないんですよ」


 ジードはわざとらしく笑った。


「彼は私達と自分達の実力を考えた上で譲ってくれた。さらにぎくしゃくしないように気さくに声を掛けてくれているんです」

「本当ですの?」

「そう考えていた方が精神的に楽です」


 はは、とジードは笑った。

 いかにも好青年といった態度にイラッとしながら前方に意識を集中する。

 本隊はすぐ間近だ。

 ティリア皇女の姿は見えない。

 ガウル率いる決死隊の姿が見えるだけだ。

 ガウルは腕を組んで荷車の荷台に立っていた。

 第十二近衛騎士団や南辺境のことを思い出す。

 苦い思い出だ。

 今度こそ、と手綱を握る手に力を込める。

 馬首を巡らせ、城門へ向かう。

 城門は開いていた。

 閉めようとさえしていない。

 本気で街を見捨てるつもりなのだ。

 ふと不安が湧き上がる。

 本当にそうだろうか、と、

 普通に考えて街――臣民を見捨てるなんてありえない。

 臣民を見捨てたのではなく、何らかの策があると考えた方が自然だ。

 どんな策かは分からない。

 だが、入ってこいとばかりに門を開け放っているのだ。

 全滅か、それに近い損害を与えられるに違いない。

 冷たい汗が背筋を伝う。

 スピードを緩め、安全を確認すべきではないか。

 そんな考えが脳裏を過ぎる。

 もちろん、そんなことはできない。

 そんなことをしたら侵攻ルートを確保できなくなる。

 ジードに判断を仰ごうとし、何とか堪える。

 この隊の指揮官は自分だ。


「セシリー殿、これは罠では?」

「――ッ!」


 そんなことは分かっていますわッ! という言葉をすんでの所で呑み込む。

 こんな時でなければもっと早く進言するように叱責している所だ。

 もしかして、馬鹿にされているのだろうか。


「少しスピードを――」

「必要ありませんわ」


 ジードの言葉を遮る。

 先程までの不安は何処かに消えた。

 覚悟は決まった。


「スピードを――」

「わたくし達の仕事は侵攻ルートの確保! 罠があろうとも突っ込むのみですわッ! 安心なさい! 骨はケイン殿が拾って下さりますわッ!」


 セシリーは大きく息を吸い――。


「わたくしに続きなさいッ!」


 声を張り上げ、馬の脇腹を蹴った。

 馬がぐんと加速する。

 その時、城門の上で何かが閃く。

 帝国軍の兵士が矢を放ったのだ。

 構わず馬を走らせる。

 罠があろうと突っ込むと決めた。

 矢なんかでスピードを緩めてどうするというのか。

 矢を潜り抜け、視界が暗くなる。

 城門に到達したのだ。

 トンネルのように通路が長く延びている。

 罠があるとすれば通路を抜けた先か。


「スピードを!」

「突っ込みますわよ!」


 ジードの叫びを無視して、セシリーは光の中に突っ込んだ。

 視界が白く染まり、身を強ばらせる。

 だが、予想していた衝撃はなかった。

 ほぅ、と息を吐く。


「流石、団長の妹だ」

「ああ、イカれてやがる」


 わたくしは正常ですわ! と言いかけて止める。

 見くびられるよりはいいと思ったのだ。

 馬を走らせながら視線を巡らせる。

 通りに人気はなかった。


「戒厳令でも出ているんですかね?」

「……多分、違いますわ」


 ジードの問いかけにセシリーはやや間を開けて答えた。


「何故、そう考えるのですか?」

「上手くは言えないのですけれど、気配が感じられませんもの」


 人がいた場所には気配の残滓というべきものが残る。

 たとえ、人がいなくても存在を感じ取れる。

 だが、ここにはそれがない。

 帝都の大通りにもかかわらずだ。

 このままでは帝国が滅びる。

 正統回帰――正統なる後継者を皇位に就かせる。

 方便だと思っていたものが事実だなんて皮肉が利きすぎだ。


「セシリー殿!」

「総員! 抜剣ッ!」


 ジードが叫び、セシリーは声を張り上げた。

 五十メートルほど離れた所に警備兵がいた。

 丸太を組んだ柵を路地から引っ張り出そうとしている。

 雑なつくりの柵だ。

 それでも通りに並べれば皇軍の動きを妨げることができる。

 セシリーは迷う。

 相手は中年の警備兵だ。

 家に帰れば子どもが待っているかも知れない。

 こんな状態の帝都を守ろうとしている。

 素晴らしい警備兵だ。

 だが、決断しなければならない。

 剣を突き出し、警備兵の真横を駆け抜ける。

 刀身が警備兵に当たり、衝撃が手首を襲う。

 手首から先が吹っ飛んだかと思うような衝撃だ。

 何処に当たったのか。

 肩か、頭か。どちらにしても無事では済むまい。

 吐き気が込み上げてくるが、何とか呑み込み――。


「斬ることではなく当てることに集中なさい! 一撃すれば昏倒しますわッ!」

「団長の妹君が一番槍だ!」

「私達も負けていられませんね」


 背後から部下の声が響く。


「無駄口はお止めなさい! わたくし達の任務はルートの確保! 功名心を捨て、本隊に尽くすことに集中なさい!」


 声を張り上げるが、返事はない。

 再び声を張り上げる。


「返事がありませんわよッ!」


 ウーラーッ! と鬨の声が上がる。

 セシリー達は一丸となって通りを駆け抜ける。

 何度か警備兵と遭遇したが、そのたびに攻撃を仕掛けた。


「抵抗が弱いですね」

「……ええ」


 ジードの言葉にセシリーは小さく頷いた。

 予想よりも抵抗が少ない。

 視線を巡らせると、東の空に煙が見えた。

 幾筋もの煙が立ち上っている。

 ロバートのことを思い出す。

 きっと、彼が火を焚いて警備兵を引きつけているに違いない。

 これならばという期待は次の瞬間に砕け散った。

 柵が通りを塞いでいた。

 丁度、旧市街に入ってすぐの所だ。

 柵の向こうには五十人ほどの警備兵がいる。

 装備の質はよくないが、問題は柵だ。

 突破は容易ではない。

 肩越しに背後を見る。

 本隊とは――まだ距離がある。

 どうすれば、とセシリーは唇を噛み締めた。



挿絵(By みてみん)

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